0079
「行ったか」
「あん?なんか言った?」
「あ、あぁいやいや。なんでも」
「あ、そ」
元々見える位置ではない。
ルルはカウンターで火山地区で鉱石採掘をする申請書を書くのに一生懸命だったし、広場を挟んで向こう側の道を行くヴァン達には背を向けた格好だった。
けど、シンバは自分の体でルルの視線をそれとなく塞ぎ、ヴァリオンとデイジーの姿を彼女に見つからないようにした。
深い意図は無い。
あの二人を避ける理由は、たぶん無い。
でもシンバ自身が彼らを避けたかったのかもしれない。
おそらくトゥトゥに向かうのだろう、シンバも通りなれた角を曲がって二人が姿を消したとき無性にほっとした自分に気付いた。
今はちょっと、時間が欲しい。
自分は。
きっとルルも。
「よし、書けた。んじゃユニス、お願い」
「……わかった。がんばって」
元気なギルドガールが多い中で、ややおとなしめ……というか無口な受付嬢のユニスに申請書を渡しスタンプを押し付けてもらう。
無表情に小さく手を振る彼女に手を上げて応え、ルルリアとシンバは火山行きの気球に乗り込む。
さて、このなんとなくもやもやした気持ちを整理するには丁度良いかもしれないな、紅蓮石採掘ってのは。
「なんだよぅ。つまんねークエストで悪かったねぇ」
ピッケルグレートを肩にかけ、鉱石をいれるおおきな袋を持ったルルリアが嬉しそうに笑いかけてくれる。
ああ、そんなつもりじゃないんだ。
「いやいや。忘れ物無かったかなって、さ」
「だいじぶ。クーラードリンクも持ってきたぜ」
バッグの中の大量のビンを見せてニヤリとする無邪気なルルリア。
いや、そのバッグ、クーラードリンクしか入ってないってんじゃないだろうな。
◆
気球はぐんぐんと高度を上げる。
ゴンドラに風が吹き込み、すこし強めに顔を撫でてゆく。
ベンチに腰掛て両足をぶらぶらさせながら口笛を吹くご機嫌なルルリア。
「寝なくていいのか?」
「うん。いい。」
口笛を半端なところで中断した彼女がアッチを向いたまま、こんなことを口走った。
「シンバと、お話したいから」
絶妙な角度でアゴをぶん殴られたような衝撃がシンバの脳みそを揺らす。
そっぽを向いたままのルルリアの耳が真っ赤。
きっと自分はもっと真っ赤な顔なのだろう。
どんどん顔が火照っていくのが自覚できる。
火山地区はまだ先だというのに、二人の間の空気はヤケドでもしそうなくらいのテレ具合だった。
「……にゃあっクション!ゥ~ィ」
その二人の空気に中てられ、すこし離れたところでロープを纏めていたアイルーがウソっぽいくしゃみをした。
「ケッ、やってらんにゃいニャ」と続く彼の呟きはしかし、まるっきり無視されてしまう。
それも当然だ。
シンバの関心は、今、いかにして自分の左手10センチ先にあるルルリアの右手を握ろうかどうかというところに向いているのだから。
じりじりと、それこそ尺取虫のように近づくシンちゃんの左手の先っぽ。
そりゃもうルルさんのお手々なんてそんな緊張していじくるモンじゃないのくらいよくわかってる。
ああ、わかってるとも。
普通にすればいいのだ。
いや状況はむしろ追い風だろう。
なんだか知らないがルルの意識は珍しく自分を異性と捉えている。
きっと、ムードを込めて手を握る事くらい、許してくれる、はず。
あと、ちょっと。
木製のベンチの座面にぺったりと張り付いたルルの太ももが目を引く。
その太ももからちょっとだけ離れたところに、意味ありげに腕の防具を外した彼女の手のひらが置かれている。
ンン、と小さく咳払いをしてちょっと近くに座りなおしたシンバを目の端でルルリアは確認する。
彼の態度があからさまにぎこちない。
あたしになんかしたいんだな、という彼の思いがひしひしと伝わってくる。
あんまり大胆な事は困るけど、シンバという人はそう物事を一足飛びにするようなヤツではない、と思う。
とはいえ、さっき自らのたまった台詞に自分自身もドキドキしている。
この胸の高鳴りを知られるのはちょっと悔しかった。
しかしなぜだろう、今の状況がとても楽しいとも思える。
デイジーは、ヴァンと会うたびいつもこんなにドキドキしたのだろうか。
そんなことを考えたルルにふとヴァリオンとデイジーの先刻の行為が頭をよぎった。
愛し合う男と女の営み、オスとメスの行動。
セックス。
生殖行為。
その行為の意味するところ。
本来の目的。
赤ちゃん。
そしてナニを勘違いしたのか、そのヴァンとディズ二人の顔が自分とシンバに入れ替わる。
絡み合う男女の影が自分達に切り替わる。
熱を込めて求めてくるシンバとそれに悦びをもって応える自分。
そういうコトにまったく興味が無い訳ではなかった。
ただ相手がいなくては試して見ようにも出来るわけが無い。
正直に言えば、ヴァリオンに『そういうコト』をされている自分を『想像したこと』も、無かったわけじゃない。
ただ、その後、物凄くげんなりした事だけは今も鮮明に覚えている。
もともと自分はエッチ方面に明るい訳ではない。
猟団の女の子達がしているガールズトークの内容も実は半分くらい解っちゃいないのだ。
ただなんとなく自分のおっぱいは凶器なんだろうな、と理解している程度。
そのおっぱいを強調する格好ばかりするのだって本当は不安の裏返しだと、心の底に凍えている根暗な自分が教えてくれているのだ。
そんな自分が、急にシンバを意識して想像する自分達のセックスシーンはかなり衝撃的な出来事。
脳内を駆け巡る電気信号があたかもソレが現実に起きているかのように錯覚させる。
「!」
その瞬間、ルルの指先にシンバの手が置かれた。
それこそ天才的にドンピシャなタイミングで一次的接触を敢行したシンバであった。
ただし、その接触によってルルリアが受けたショックはまったくの逆。
まったくもって究極の間の悪さ。
シンバの女性に対する運の悪さがここにきてまさにいかんなく発揮されてしまったのは真にもって遺憾なことでございます。
びくっ!
想像と現実がごっちゃになったルルの体が大げさに跳ね、立てかけてあった自らのガンランス、トライファイアにひっかかる。
その衝撃で黒い銃身が床に倒れさらに酷い事に装填されていた銃弾が一発暴発した。
その二次災害はもののみごとに気球の操舵ハンドルをふっとばす。
「うニャーっ!」
と、黒コゲになりながら転がってゆく操舵ネコ。
アイルー族はかなり丈夫だ。
あれくらいの砲撃では死ぬ事はまずない。
しかし舵をつかさどる円形の、握り手がいっぱい突き出したあの特徴的なハンドルはそうはいかない。
軸の金属部分をちょこっと残した程度で原型を留めることなく木っ端微塵となった。
「げ」
「あ」
ヤバい、と思った時には時既に遅し。
操縦者ごとコントロールを失った気球は大きく傾き始める。
間の悪い事はさらに重なるもので、船は丁度、火山地帯に差し掛かったところであった。
熱風と温度差が起こす乱気流はギルド自慢の高速気球をあざ笑うかのように玩ぶ。
焦げ付いた毛皮を物ともせず、リーダーネコが船体の安定を取り戻そうと必死に音頭を取りつつ他の船員ネコに激を飛ばす。
「ニャに、こんニャこともあろうかと非常事態訓練はちゃんとしてあるニャ!」
自らに言い聞かせるように呟く彼の顔はちょっと引きつっている。
そんな慌てふためいた猫たちが姿勢制御を強引に行った反動で、ぐらりと大きく揺れた船体が床に手をついていたルルリアを大きく跳ね飛ばす。
空中を漂う気球に仮初めに作られた地面である不安定なそのデッキからふわりと浮かされた瞬間の恐怖。
手すりより高くもちあげられた目線の先には真っ赤に口を開ける噴火口。
ぼこりぼこりと泡立つ溶岩がなぜだかミネストローネに見える。
そんな余裕、いや現実逃避。
意識がスローモーションになり、ルルリアの思考だけがこれから落下してゆく自分の末路をシミュレートしていた。