あの後、ろくに仕事も手が付かず星見寮へと帰った。自室で反省点をまとめようともしたがすぐにペン先が止まり、結局何もすることができなかった。考えるのはスカウトに失敗した芽衣と遙子さんのことばかりだった。
……遙子さんが自分に仕事が来るようになって、跳び上がるように喜んで、その活力で日々を必死に頑張っていたことは知っていた。その甲斐あって、仕事も成功して、更に次の仕事へと繋がっていったのも事実だ。
そういった成功体験が遙子さんに中で、ソロアイドルとしての自信とプライドを付けていったんだと思う。
それは決して悪いことじゃない。むしろ良いことだ。アイドルとして歩んでいくに必要なものだと思う。
でも未来を知っている俺にとっては俺の知っている佐伯遙子とは違う道を歩いていて、その道がサニーピースというグループに繋がらないような気がしていて、どうしようもない喪失感を感じる。
「……何をしてるんだろうな」
正しいと思っていた行動で、良かれと思っていた行動で、未来はこんなにも容易く変わる。俺が過去に戻ったのは本当に良かったことだったのだろうか。
「……いや、まだだ。まだ終わってはいない」
絶望感に包まれようとして、咄嗟に首を振る。
まだ取り返しのつかない亀裂が入ったわけじゃない。芽衣も遙子さんも、何度か話をすればわかってくれるはずだ。
それに、デビューライブのあの日までまだ時間は残っている。むしろ全員が集まった日より現在が早いくらいなのだ。諦めるにはまだ早い。
「絶対にみんなを揃えて見せるから」
改めて決意を口にする。月のテンペストもサニーピースも俺にとって欠けがいのないもので、これだけは譲れないものだから。
翌日。今日も新たな入居者がやってくるとのことで、朝早くから星見寮を訪れていた。連絡を入れていたため、扉をノックするとすぐに扉が開き、そこから沙季が姿を現す。
「おはよう」
「おはようございます。……えっと、牧野さん、大丈夫ですか? 顔色悪いですよ?」
「そうか?」
「はい。体調が優れないのであれば私一人でも大丈夫ですが……」
「いや今日はメンバーの一人が来る日だからな。俺も手伝わせてくれ」
「……わかりました」
渋々と言った様子で沙季は納得してくれ、寮へ通してくれる。道中ちらりと覗いたリビングでは千紗が掃除道具の準備をしているのが見えた。姉妹揃って早起きだ。
「すみません、共有スペースの清掃は昨日のうちに終わらせたのですが、空き部屋まではまだ手が回って無く……」
「いや、こちらこそ全てを任せてしまって申し訳ない」
沙季たちが来る前に使える程度までには清掃が完了していたのだが、沙季からしてみればまだまだだったみたいだ。
「沙季のほうこそゆっくり休んでいて構わないんだが……昨日から忙しかっただろ?」
「いえ。これくらいなら大丈夫です。それにアイドルとなるのですから体力は付けておかないとですし」
「そっか。立派だな」
「私なんてまだまだです」
そうこう話していると空き部屋の前まで来る。星見寮は元々何かの保養施設だったものを改築して利用している。そのため和館に増設して洋館がくっついているような形になっており、みんなが住む部屋も和、洋館それぞれに存在する。とはいえ、今はメンバーが少ないため洋館の空き部屋のみを使っている形にはなる。
その一室を開くと七畳程度の大きさの部屋が姿を現す。学習机、ベッドを置いたとしてもまだ余裕のある広さだ。これくらいなら不足なく使える広さだろう。
「新しいメンバーの方がどの部屋を使うかわかりませんので、全部の部屋を掃除しておこうと思っているのですが大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。俺もそのつもりだから」
「ありがとうございます。では……」
「お姉ちゃん。掃除道具持ってきたよ。……あ」
沙季の言葉を遮って千紗が姿を現す。千紗は俺を見て人見知りするような表情を浮かべた。それでも自分のやるべきことを果たすように手元の掃除用品を俺に向けた。
「ど、どうぞ」
「ありがとう。千紗」
礼を伝えると千紗は俺をそっと見上げ、すぐに視線を外した。まだまだ怖がられているようだ。
「ありがとう千紗。では分担してやっていきましょうか。私はこことあっちをするので二人は……」
「こういうのは久しぶりだけど……今やると腰に来るな」
ほうきで一通り掃いた後、雑巾がけ。学校の掃除時間を思い出すような掃除だ。仕事上全く出歩いていないなんてことはないが、しゃがみ込むような動作は思いのほか腰にダメージが入った。
「まぁでも今はこういったことの方が……」
思わずぼやいていると、背後の扉がガシャリと開いた。振り向くと千紗がほうきと雑巾を片手にこちらを覗いていた。
「どうした? 何かあったか?」
「い、いえ。ただ、大丈夫かなって思って」
「そんなに疑われていたのか……」
「そ、そうじゃなくて! 顔色悪かったので心配で……」
……沙季もだけど、二人ともよく人を見ていて思いやってくれる子だ。そんな彼女たちに心配をかけてしまうことが申し訳なく感じる。
「ごめん。俺なら大丈夫だよ」
「……ほんとにそうですか?」
「……あぁ。ちょっと仕事でうまくいかなくて凹んでいただけだ。心配してくれてありがとう」
千紗は俺の発言を聞いても、ちらちらとこちらを覗き、最後には少しだけ俯いて背を向けた。
二人の優しさは嬉しいが、マネージャーとして彼女たちに迷惑を掛けるわけにはいかない。そう思っての発言だった。
それから少しして無事掃除も完了し、出迎える準備はできた。俺も身支度を整え、玄関先で待っていると水色髪の少女が姿を現した。
彼女は駆け足で俺の前まで来ると、緊張した面持ちで頭を下げた。
「兵藤雫、です。よろしく、お願いします」
二つのお団子が視界に映りこむ。自分の知っている姿とはやっぱり少しだけ若かったが、それでも彼女が雫なことにはすぐに理解できた。
「よろしく。面接のときも話したが牧野航平だ。好きに呼んでくれて構わないよ」
「はい。じゃあ、牧野さん、で」
「俺からは雫って呼ぶが大丈夫か?」
「はい、大丈夫、です」
見ていて心配になるほどガチガチに緊張している。そんな彼女を見てか隣にいた沙季が声をかけた。
「初めまして。白石沙季と申します。沙季って呼んでください。私も雫ちゃんって呼ぶけど大丈夫?」
「大丈夫、です。……あの、もしかして、生徒会長の?」
「はい、光ヶ崎高等学校で生徒会長を務めさせていただいてますが……もしかして同じ高校に通っている?」
「うん、光ヶ崎です。……やっぱり沙季ちゃんだ。遠くから見ているときもかっこかわいいと思ってたけどまさかアイドルになるなんて。どんなアイドルになるんだろうやっぱり真面目でしっかりものな印象が強いから周りを引っ張っていくタイプになるのかなそれでいてファンにもキリッとファンサを送ってくれて……萌え。それとも今までとは違う一面を見せてくれるのかもしれないアイドルへの熱い思いを語ってくれたりかわいい姿を見せてくれたり……ギャップ萌えだ。推します」
「えっと、ありがとう?」
緊張した面持ちを見せたのも一瞬、沙季が知っている相手であった事と、そんな彼女がアイドルになったことを知ってスイッチが入ったようだ。何やら妄想している様子の雫に思わず笑みがこぼれる。自分の知っている兵藤雫だ。
「あの、私は白石千紗……です。千紗で大丈夫です。よろしくお願いします」
「あ、ごめんなさい。よろしく、お願いします。……白石ってことは姉妹、ですか?」
「うん、お姉ちゃんの一個下だよ。高校二年」
「私は一年生だから、先輩……千紗さん?」
「さん付けは要らないよ。敬語も大丈夫」
「わかり……わかった。千紗ちゃん」
「よろしくね。雫ちゃん」
千紗も初めはおどおどしていた様子だったが、雫の様子に毒気抜かれたように話し始めた。なんとなく気が合うってわかったのだろう。二人には小さいながら笑顔が垣間見えた。
沙季もそんな二人を見て笑みを浮かべている。この調子なら三人が仲を深めるのも時間の問題だろう。
「挨拶も終わったところで。そろそろ寮の案内に移りたいが大丈夫か?」
「あ、すみません。お待たせしてしまって……」
……ただまぁ俺との距離が一向に埋まりそうにないのが個人的には心が痛むけど。
そんなことを思いつつも俺は寮に入り案内を行った。
少しだけ元の日常が見えたような気がして、心が軽くなった。