さくらと別れ、事務所に帰ってきた俺は荷物を置き、椅子に座り込む。そしていつものように星見プロに関するフォルダを開こうとマウスを動かして、手が止まった。
やることを忘れたからではない。むしろ、沙季たちのデビューに向けてやるべきことは数え切れないほどある。
ただ、なんとなく、そういったことを直視するのが少しだけ嫌になった。それが原因で手が止まってしまった。
「嫌……か」
思わず口に出た言葉に、俺は首を振った。
そんなわけがない。星見プロの面々は俺にとって一番の宝だし、何よりも、この身を賭してまで守りたいものだ。それは彼女たちがデビューしてからBIG4になるまでずっと変わらない想い。変わらないからこそ、俺は今までマネージャーという仕事をやり続けている。
「あぁ……そうか」
自分の思いを振り返って、なぜ自分が嫌だと思ったのか理解できた。
彼女たちのことを大切に思っているからこそ、俺は今を直視できないんだ。
彼女たちが失われようとしているこの現実を。
「……こんな調子じゃダメだな」
まだだ。まだ失われたわけじゃない。失敗なんてこれまでも腐るほどやってきた。こんなもので諦めるにはまだ早い。
「……」
張り切ってそう思ってはみたものの、やはり気分はすぐに上がらないものらしい。
「……レッスン室見てくるか」
この時間なら、みんなはレッスン中のはずだ。
星見プロダクションのレッスン室は俺がいつも作業している執務室から、階段を一つ降りた先にある。
リノリウムの廊下を歩くと、すぐにレッスン室と書かれた板が張られた部屋があった。その扉に手をかけ、開こうとして。
「もう、無理ですわ!!!」
「うおっ!」
内側から勢いよく扉が引かれた。そこからすぐに姿を現したすずは、俺に目もくれず一目散に階段の方へと走り去っていく。
「な、なにがあったんだ?」
「あ、牧野さん……」
レッスン室を覗くと、そこには肩で息をしている様子の沙季の姿があった。視線を下げると、酷く汗をかき座り込んでいる雫と千紗の姿もある。そんな中、怜だけが凛とした様子で水を飲んでいた。
「これは……」
「牧野さん」
沙季が言葉を選ぶように口を開こうとしていると、それを遮るように怜が俺の前に歩いてくる。
「私は、アイドルになるなら本気でトップを目指します。なのになんですかこれは」
彼女の視線が千紗と雫に向けられ、そして俺を射抜く。
……そういえばそうだ。怜は自他ともに妥協は許さない性格だ。以前のメンバー結成時も厳しいレッスンで周りを置き去りにしていた。
そのときはさくらが中心となってそれを収めていたように思える。今のメンバーで彼女を正しく収められる人物はいないか……。
「怜、君はダンス経験者かもしれないが、他のメンバーは……」
「そんなことはわかってます。厳しくしすぎてしまっていたことも……。それに、あなたにも言っているんですよ。牧野さん」
「え……?」
思わず声が漏れた。俺が何かしただろうか。
「え、じゃありません。沙季に聞きました。あなた、レッスンは基礎だけ教えて後はメンバーに任せているみたいですね。それにグループを組むと言いながら人数もどういったグループなのかも教えず、デビュー日やそれに伴うスケジュールも教えていない。聞かせてください。やる気、あるんですか?」
「……あ」
事実だった。俺が優先していたのは何よりメンバーが揃うこと。そこさえ何とかできれば、後は事がうまくいくと思っていた。当然、メンバーが揃った後の道筋を立てていなかったわけではない。だけどそれを彼女たちに説明できていなかった。
「……事務所の方針に口を出す気はありません。ですが、沙季たちも不安に思っていることもある。それだけは知っておいてください。では、私はこれから予定があるので失礼します」
怜はそう言って、レッスン室を後にした。残ったのは俺と沙季、千紗、雫の四人だった。
「悪かった」
レッスンで乱れた息を整えてもらった後、俺はいの一番に口を開いた。怜の言うことは最もだ。月ストとサニピのメンバーを集めるという目標は変わらないが、今いるメンバーに対してもっと目を向けるべきだった。
「い、いえ……」
俺の言葉に千紗はそう返すと、俺を見上げながら小さく呟いた。
「何度か言おうとしましたけど……あの、牧野さんは、何だか大変そうだったので……」
うんうんと頷いている雫と、申し訳なさ気に俺を見る沙季を見るに二人も同意見だったらしい。遠慮させてしまっていたのか。
「心配かけてごめん。グループのことで色々と……いや、これもちゃんと話すべきだな」
言葉をぼかそうとして、こういった事が不満に繋がっていたことを思い出して言い直す。
意を決して話そうと彼女たちの目を見て、ふと思い出した。
「そういえばすずは? 俺が来た時どこかへ向かっていったみたいだけど」
「すずちゃんはレッスンのあまりの厳しさに……」
「逃げた」
「……」
どんなときも大言を吐いて立ち向かっていたすずが? ……いや、思い返してみるとそれは最近のすずで、出会ったころのすずは逃げ出すことも多かったように思える。そもそも星見プロに来たのだって海外への留学から逃げてきたからだったか。
「わかった。俺が探してみるよ」
「私も探します」
「私も……!」
「私も、探す。すずちゃんは、仲間だから」
「みんな……」
怜にしごかれてヘトヘトだろうに、本当に優しい子ばかりだ。そんな彼女らを放っておいた自分が嫌になってくる。
「ありがとう。俺は……そうだな、高台あたりで探す。見つけたら連絡するよ」
「はい! あ、でも牧野さん。私たち牧野さんの連絡先知りません」
「え? ……あ、そっか」
自分で口に出して思い出した。確かに連絡先を交換した覚えがない。未来のスマートフォンには彼女たちの名前はあるのですっかり忘れていた。
それから四人で連絡先を交換しあい、俺たちは別れた。
「……見当違いだったか?」
外に出て一直線に星見市の高台へと向かったが、そこにすずの姿はなかった。階段を上がった先の展望台も、祭りの会場として使われることもある大広場にもいなかった。残りはステージのある窪地だけだ。
「いた」
すずはステージ前のブロック状に積み重ねられた石畳の上で、ステージを見るかのように座り込んでいた。
……俺が真っ先に高台に向かったのは単なる偶然じゃない。すずが麻奈のライブを見て、彼女に憧れていたのは知っていた。そのライブが麻奈が星降る奇跡と呼ばれた星見まつりの時だというのも。だから彼女が逃げたと聞いたとき真っ先に来るのはここだと思った。
「すず」
「っ! あ、牧野ですの」
「牧野さんだろ」
「どっちでもいいじゃありませんの」
すずは俺の顔を見て安心するような表情を浮かべ、再びステージに目をやる。何も言わないのを見て、俺は沙季たちに見つけたと連絡を送って、彼女の隣に座った。
「……」
「……」
少しだけ無言の時間が過ぎた。すずが話そうとしてなかったのもそうだけど、俺自身も彼女に向かって諭すような言葉を吐ける気分ではなかったから。
しばらくして、すずはぽつりと口を開いた。
「……私が逃げたことすでに知っているのでしょう? なにも聞かないんですの?」
「誰しも逃げたくなるときはあるさ。俺も、そうだからな……」
「……」
すずはその言葉に不思議そうな表情を浮かべていたものの、やがてステージを真剣な眼差しで見つめ、その口を開いた。
「牧野も知っていると思いますが、私は麻奈様に憧れてアイドルを目指しました」
「麻奈様はアイドルの中のアイドルと言っても過言ではない誰もが認めるトップアイドル。そんなお方がいられるからこそ、私は星見プロダクションでアイドルを目指したいと思っています」
「でも、アイドルは私が思っている以上に厳しいですわ……。寮では沙季に毎日のように怒られ、レッスンでも怜に怒られ、私もう限界ですわ……」
「すず……」
驚いた。すずの目に涙が浮かんでいたから。
……すずの弱さは知っていた。出会った頃は逃げ癖含め、常識はずれなところや、考え方が未熟だったのが顕著だったし、十分覚えている。だけど同時に、なんだかんだ言って、めげずにやり切る強さがあって、琴乃のいなくなった月のテンペストでもセンターとして立派に活躍していた。ずっと折れずにそこに居続けてくれた。
そんな彼女が、まるで人が変わったかのように涙を浮かべている。すずのこんな姿を初めて見たかもしれない。
「……俺が悪かった。もっと見ておくべきだった。沙季とも怜ともちゃんと話し合おう」
「……」
返事はなかった。その事実に、俺は怖くなった。もしかしてすずもいなくなってしまうのかもしれないと、そう思った。
「……麻奈様は言っていました。どんな困難が立ち塞がっても、自分を信じて突き進めばきっと打ち破れる、と。その言葉を体現するように麻奈様はトップアイドルの道を歩んでいかれましたわ。私もそのようにありたい。……ですが、今の私は未熟ですわ。こんな姿、恥ずかしくて麻奈様に見せれませんわ……」
「……麻奈か」
以前はこのころ麻奈はすでに生きていなかった。幽霊となって俺と芽衣には見えていたものの、それ以外の人たちにとってはもういない人の扱いになっていたはずだ。
それが今は生きている。だからこそ、麻奈にどう見られるかを考えてしまう。すずのように麻奈に憧れていればその想いは大きくなる。それがすずを縛ってしまっているのだろう。
「……すず、麻奈は言っていたよ。初めは誰も未熟なんだって。麻奈もいっぱい頑張って今の立ち位置にいるんだ」
「麻奈様も?」
「あぁ。コーチには毎日のように怒られていたな。今だって怒られるときもあるぞ」
どちらかというと自由奔放な麻奈の動きに、だけど。
「そうだったんですの……」
「そうだ。だから、すず。今は大変かもしれないが、もう少しだけ頑張ってみないか? 麻奈に良いところが見せれるように、もう少しだけ踏み出してみないか?」
「踏み出す……」
「あぁ。そうすればきっと、世界は変わるから」
「世界は変わる……」
俺の言葉にすずはあっと声を漏らす。すずなら気づくと思った。
「"FirstStep"ですわね。この一歩から世界は変わる。……不安になるのは真剣だから」
すずは歌詞を復唱すると、自分の中の大切なものを思い出すように胸に手を当て、そしてばさっと勢いよく立ち上がった。
「大事なもの、思い出しましたわ。麻奈様が帰ってくる前に、もっと頑張らないといけませんわね」
「それでこそすずだ」
「……ですが、牧野」
先ほどの勢いとは打って変わり、すずは少しだけ顔を背け、手をもじもじとさせる。
「私一人ではどうすればいいかわかりません。……だから、手伝ってくださる?」
そう言って彼女は手を俺に向けた。答えは一つだ。
「当たり前だ」
俺はすずの手を強く握りしめる。この大切な手を二度と離さないように。
「ちょっと、痛いですわよ!」
「あ、すまない」
「もう、牧野はもっとしっかりしてくださいまし」
「……そうだな」
俺は、もっとしっかりしないといけない。すずに言ったように、恐れ怯えて、立ち止まってはいけない。一歩を踏み出さないといけない。俺にはそうする必要がある。
決意を新たに宿し、俺はすずと一緒に事務所へと戻った。