それから二日経って、麻奈は来た時と同じように突然海外に戻っていった。本当に一時的な帰国だったようだ。
見送りには星見プロ全員で訪れ、乗っていった飛行機が見えなくなるまで手を振っていた。
こんな短い間でも、麻奈は皆と仲良くできたようだ。それがこの上なく嬉しかった。
「みんなのことよろしく頼むね。後、琴乃とも仲良くしてあげて」
別れ際、麻奈に言われた言葉が胸に響いた。そうだ、俺は何としてもやるべきことがある。
今日は琴乃との対話の日だった。
四月二十九日。祝日でもあるこの日に、俺は事務所の前に立ち、彼女を待っていた。
本当は俺が彼女を訪ねるつもりだったが、事務所を見てみたいという要望もあって、彼女に来てもらうことになった。
事務所の周りを見渡すが、予定している時間より少し早い。まだ姿は見えないようだった。
「……」
不安な気持ちがないと言えば嘘になる。もし俺の知っている彼女じゃなかったらどうしようだとか、ここで失敗すればどうなるかとか色んな考えが脳裏を過ぎる。
だけど俺ももう後には引けないんだ。月のテンペストを生み出すためにも、必ずスカウトしてみせる。
決意を新たにしていると、視界の片隅に見覚えのある影が映った。
麻奈に似た長い黒髪に、夜空を映し込んだような青い瞳。麻奈より少しつり目で冷たい印象を覚える。
彼女は俺の前に来ると、固く結んでいた口を開いた。
「長瀬琴乃です。今日はよろしくお願いします」
「牧野航平だ。こちらこそよろしく」
「来てくれてありがとう」
事務所の休憩室、といっても簡単なソファーや観葉植物、それと小さなテーブルが並んでいるだけの部屋に案内し、いの一番にそう口にした。応接間じゃなく、ここを選んだのはあまり堅苦しい場所は避けたいと思ったからだ。
「お茶用意するよ」
「いえ、大丈夫です」
お湯を沸かそうとして、断られる。まぁ琴乃はこういったまどろっこしいことは好まないか。
「お姉ちゃん……長瀬麻奈から聞きました。私と話したいことがあるって。なんでしょうか?」
先にソファーに座っていた琴乃の前に座ると、彼女はいきなりそう聞いてきた。直球もいいところだ。
「長瀬さん……はややこしいですね。琴乃さんと呼ばせてください。単刀直入に聞きます。琴乃さんはアイドルに興味ありますか?」
「アイドル、ですか」
琴乃は俺の言葉に考えるような仕草を見せる。言葉を選んでいるようには見えないし、琴乃ならそういったことはしないだろう。ということはやっぱり彼女は。
「ない、と言えば嘘になります。お姉ちゃんがアイドルなので嫌でもその話は聞こえてきますし、ライブを見ているとすごいなって思います。……ですが」
「……」
「……あまり耳にしたいとは思いません」
やはりというべきか、琴乃は変わっていない。麻奈との関係性は少しずつ修復されているが、麻奈を奪ったアイドルに対しての想いは複雑なもののままらしい。でも変わっていないのなら切り口はある。
「アイドルのライブは見たことはありますか?」
「映像でなら」
「一度、現地で見てみませんか」
「……なぜでしょう?」
「きっと印象が変わると思います」
「どう変わると言うんですか?」
「……琴乃さんがアイドルに対していい印象はないのは知っています。だけどそれは見たことがないからだと思っています」
いつの日だっただろうか、琴乃と一緒にアイドルのライブを見に行ったことがある。そのときの琴乃はとても楽しそうで、お忍びだったにも関わらず、大きな声でレスポンスを返すほど熱中していた。
あの時の姿、そして琴乃が今まで辿ってきた道のりを思い返すに、琴乃にとってアイドルというものはきっと切っても切り離せぬものなのだろう。
ならば、今の琴乃がアイドルに対して想っているものを一つ一つ紐解いていけば、きっとアイドルをもう一度好きになってくれるはずだ。そのための一歩としてアイドルのライブを直接見てほしかった。
「一度見ていただければ、琴乃さんもアイドルに興味を持ってもらえる。麻奈のことだって、きっと」
「やめてください」
鋭い声だった。明確に拒絶を表したその声に、俺は口を閉ざす。琴乃は眉を顰め、俺を睨みつけていた。
「お姉ちゃんに相談されたのかどうか知りませんが、これは私とお姉ちゃんの問題です。勝手に踏み込まないでください」
「だけど琴乃。きっとこのままじゃ……」
「変わらない、そんなことわかってます。いつか話し合わないといけないことも……。でもそれは私たちが決める事です。あなたが勝手に決めないでください」
「……それは」
「あなたはお姉ちゃんにとっては大切な人かもしれません。でも、私にとっては赤の他人です。私の何を知っているんですか?」
「……あ」
図星だった。鈍器で殴られたかのように頭が真っ白になり、視界がくらりと揺れる。
「……他に話す事がないなら、私は帰らせていただきます」
「ま、待ってくれ! まだ話は」
「……なんですか」
立ち上がり出ていこうとした琴乃を必死に留める。考える間もなく、気がつけば口から言葉が漏れ出していた。
「琴乃……さん、アイドルになりませんか。もう一度一緒にあの舞台に上がりませんか」
「…………」
琴乃の顔から表情が消える。怒りを越えて呆れたような声で彼女は呟いた。
「嫌に決まってるじゃないですか」
そう言いのけ、彼女は部屋を後にした。