流る星に一つの願いを   作:ねむれすねむれす

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いとしい笑顔を守りたい

 

「……の…ん」

 

 小さな穴から水が入り込むように、意識の僅かな隙間から音が漏れ出す。その音は小さな穴をこじ開けながらやがて声となって、耳に届く。

 

「まき…くん」

 

 耳に飛び込んできたその声は、妙に聞き馴染みがあった。温かさを感じる声に懐かしい感情が蘇ってくる。

 

 そのまま意識も感情のままに任せようとして――

 

「牧野くん!」

 

 ――腕を引かれ、思考の海から強引に現実に引っ張り込まれた。

 

 …………あれ、俺どこにいたんだっけ?

 

 最初に抱いたのはそんな疑問だった。視界に見える光景は大通りの一角で街路樹がぽつぽつと見える。空は曇っているが、時刻はまだ明るい時間らしく視界が大きく開けていた。

 

「ちょっと牧野くん。聞いてるの?」

 

 思考が定まらないままその光景を見ていると、懐かしい声が聞こえた。先ほどまで聞こえていた温かい声。思わず視線を下げると、その声の持ち主がそこに居た。

 

「ま……な……?」

 

 左でちょこんと結んだ長い黒髪に、透き通った青空のような青い瞳。白のファーコートに身を包んだ麻奈は心配気にじっとこちらを見つめている。

 

「牧野くん、大丈夫? もしかして具合悪い?」

 

 麻奈は俺のデコにピタッと手を合わせ熱はなさそうと呟き、どうしようと視線を彷徨わせる。

 

 わけがわからなかった。今いる場所もそうだし、彼女の存在もそうだ。だけど、この状況をわからないの一言で解決するには、あまりにも望んだ展望であった。だからだろうか、気が付くと俺の体は感情の儘に動き出していた。

 

「ま、牧野くん!?」

 

 細い体を引き寄せると、両腕で固く抱き締める。春風のような柔らかな香りが鼻腔をくすぐり、同時に麻奈の体温と心臓の音が直に伝わってくる。

 

 少し鼓動の早いその音は、何より麻奈が生きている証明で、その事実に目頭が熱くなる。

 

「ちょっと! 牧野くん痛いよ!」

「あ、ご、ごめん」

 

 咄嗟に抱き締めていた体を離す。ふわりと黒髪が靡く。麻奈は顔を赤くして、ちょっとだけ怒ったような表情で俺を見つめた。

 

「周りも見ているから……ね?」

 

 その言葉に思わずはっとしてようやく周囲に目が行く。今はまだ日の高い時間で人通りも多い、迂闊な行動だった。

 

「ごめん……」

「担当アイドルを傷物にした罪は大きいぞぉ?」

「……誤解されるようなこと言わないでくれ」

「ふふ、冗談だよ。でもよかった。いつもの牧野くんだ」

 

 麻奈はそう言って笑みを浮かべた。大方俺の言動を見て不安に思っていたのだろう。申し訳ない。

 

 ……麻奈と軽口を叩いたからか俺も徐々に冷静になってきた。さっき見た光景と、先ほどからちらちら見えていたブラウンタイルの建物。どこにでもありそうな光景だが、俺には馴染みのありすぎる光景だ。

 

「……旧星見プロの事務所?」

 

 その建物には大きく星見プロダクションの看板が掛けられていた。記憶に違いのない以前までの事務所だ。だけどこの建物は移転にあたって貸しテナントになったはずだ。なのにどうして元に戻っているのだろう。

 

 どうしてというと、まだ謎はあった。肌に感じるこの寒さだ。今日は八月二日だったはず、夏の真っ只中にこの寒さは異常だ。ありえるはずがない。

 

 いやそもそもとして俺はなぜこんな場所にいるのだろう。俺は確か星見市の高台で星を見ていて、そのままうたた寝していたはずだ。旧事務所の前には行っていないし、時間帯もおかしい。今の空は曇っていて詳しい時間はわからないが、少なくとも日中ではなかったはずだ。

 

 そもそもの話をするなら目の前の麻奈の存在も。

 

「どうしたのぼけーとして。やっぱり体調悪い?」

「体調は大丈夫なんだが……」

 

 調子のいい軽口と温かく朗らかなその声はまぎれもなく長瀬麻奈の声だ。決して誰かが真似をしてできるものじゃない。彼女はやはり長瀬麻奈なのだ。

 

「本当に? ほんとのほんとの本当に大丈夫? 無理してない?」

「ほんとのほんとの本当に大丈夫だ。無理してないよ。ただ考え事があってな」

「考え事? もしかして今日の……」

 

 麻奈のその言葉を遮るように、俺たちの目の前に一台のタクシーが停まり、お待たせしましたと運転席から声を掛けられる。

 

 当然俺が手配したものではない。状況が掴めないのは依然として変わらないが、ただこの展開は()()()()()()()()

 

「ありがとうございます! すみません、ちょっとだけ待ってください!」

 

 麻奈はそう言葉を返すと、俺と向き合い手をそっと持ち上げる。

 

「私はね。牧野くんにこのライブを見てほしいと思っている。この時のために詩も作って来たんだから。だけどね、そのために無理はしてほしくない。倒れるなんてしてほしくない。だから本当のことを教えて。牧野くん、大丈夫そう?」

 

 麻奈が時々見せる真剣な表情だった。こういったときの麻奈はいつも本気だ。この言葉も心の底から言っているのだろう。

 

 未だ状況は把握しきれていない。でも、この光景、この状況には既視感がある。そしてその既視感を明確に覚えているのはこの選択を何度も悔やんだからだ。だからこそ、俺は今居る場所に気づくことができた。

 

 今俺が立っているこの場所は、四年前の十二月二十五日。NEXTVENUSグランプリ決勝前に麻奈と最後に話した場所だ。その場所に俺は立っている。

 

 理由は依然としてわからない。でもこの場所に立っているのならば、俺はしなければいけないことがある。

 

「麻奈」

「うん」

「タクシーで行くのは止めにしよう。電車で近くまで行って、そこから徒歩で行こう」

「え? ちょちょっと! どういうこと!?」

 

 タクシーの運転手に断りの言葉と、会場近くには向かわない方がいいと忠告を入れ、俺は会場までのルートを脳裏で考える。高速は渋滞だったし、下道も同様だろう。少々目立ってしまう問題はあるが、電車で行った方が確実で、何より危険性がない。

 

 冴えてきた頭で当時の事を思い返しながらプランを考え終えると、俺は麻奈の腕をつかんだ。開幕までの時間を考えるとあまりのんびりしている暇はない。

 

「ま、牧野くん! どうしたの? 説明してよ!」

「大丈夫だ麻奈。俺について来れば危険はないよ」

「だから危険って何のこと? 牧野くんやっぱり変だよ!」

 

 確かに麻奈からしてみれば俺の言動は変なのだろう。自分が麻奈の立場でも同じことを思う。だけど例え変だと思われようと、今この瞬間の決断だけは絶対に間違えたくない。

 

 麻奈に文句を言われながらなんとか電車に押し込み、一緒に会場近くの駅まで向かい、そのまま徒歩で会場へと向かう。

 

 すると、呆気ないほど簡単に会場に着くことができた。やはり彼女がここで亡くなるのは運命ではなかったのだろう。単に偶然が重なり合った結果の出来事だったのだ。その事実に少しだけ怒りを覚えたが、それよりも無事に会場まで着くことができたことに対する喜びが大きかった。

 

「麻奈」

「なんでしょう」

 

 すっかりへそを曲げてしまったが、麻奈は間違いなくここにいる。生きてこの会場にたどり着いたのだ。

 

「よかった」

「……やっぱり変だよ。牧野くん」

「うん、変だと思う」

「何それ」

 

 一旦麻奈と別れ、鞄に入っていた当日のスケジュールに合わせ俺も動く。直前でミスがないように細かいやり取りの内容まで記載していてとても助かった。

 

 そうこうしているとあっという間に会場の幕が上がり、MCの声が響き始める。ライブの時間までもうすぐだ。

 

「牧野くん」

「うん?」

 

 念入りに資料を読み込んでいると、麻奈から声が掛かる。麻奈はこのステージを心底楽しみにしている様子で、曲げていたへそもすっかり良くなっていたみたいだった。

 

「約束、叶えて見せるから。ちゃんと見ててね」

 

 ……当時の俺ならわからなかったかもしれない。でも今の俺ならその言葉は理解できる。俺をトップアイドルのマネージャーにする、という子供じみた口約束だ。同時に麻奈にとってそれは、とても大きな、それこそ死んでも叶えたいと思えるような大切な約束。

 

 そのことを知っていたからこそ、俺は力強く言葉を返す。

 

「あぁ。ずっと見てるよ」

「ふふ、じゃあ行ってくるね!」

 

 俺に背を向け、麻奈はステージに上がっていく。眩く輝く、スポットライトの当たった光のステージへ。

 

 俺はここまでしか行くことができない。でもそれでよかった。以前の俺はここまですら来ることができなかった。ここまで来れなかったことが俺が悔やんでいたことだから。

 

『song for you』

 

 麻奈の歌声が会場中に響き渡る。温かく全てを包み込むような透明な歌声に、お客さんはピンクのペンライトで言葉を返す。アイドル長瀬麻奈とファンたちが織りなす最高の景色だ。

 

「さすがだな。麻奈は」

 

 思わず言葉が漏れる。きっとあの時も生きていればこうやって歌をみんなに届けていたのだろう。歌に想いを乗せて、誰かに届くように全力で。

 

 そこに自分が入っていないなんて今更言うつもりはない。麻奈の想いは十分に理解しているから。

 

『prideを胸に sing out』

 

 麻奈の歌が終わると同時に、俺は拍手を送る。麻奈がステージを降りて、いつまで拍手してるのよって笑いながら言ってくるまで、俺は拍手を送り続けた。

 

 

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