この世界の琴乃が通っている学校はすでに把握していた。星見市から電車で数十分行けば通える伝統ある横浜市の学校だ。
俺が着いたころは丁度下校時間だったようで、ややくたびれた正門からブレザーを着た学生が次々と出てくる。友達と話しながら賑やかに下校している様子を見ると、自分の青春時代を思い出して笑みが浮かび上がってくる。
やがて、大きな人だかりが過ぎた後、一人の少女がぽつりと出てきた。
背中まで届く長い黒髪に、姉によく似た青空の瞳。左肩に掛けた鞄を両手で握っている。一目見てわかった。琴乃だ。
下校時は一人なのか人付き合いがうまくいっていないのかはわからないが、一人という状況は今の俺に都合がいい。
俺は近くに駐車していた車から降り、彼女の前に立った。ややつり目の瞳が不審なものを見たように窄まった。
「初めまして、長瀬琴乃さん。私は星見プロダクションのマネージャーを務めています。牧野航平と言います」
「星見プロダクション……お姉ちゃんの」
「はい、麻奈のマネージャーです」
「あなたが……」
俺の言葉に琴乃はまじまじと俺を見つめる。麻奈が何か言っていたのだろうか。変なこと伝えてなければいいけど。
「ここでは何ですし、車乗りませんか? 家まで送っていきます」
「……わかりました」
琴乃は乗るかどうか迷っていた様子だったが、やがて小さく頷いた。
「それで何の用ですか?」
車を走らせて数分、まずは軽く世間話でもと考えていたが、それよりも先に琴乃がそう口を開いた。相変わらず直球だ。
「実は麻奈から様子を見てきてほしいって頼まれていて」
「お姉ちゃんから?」
「あぁ。電話もタイミングが合わなくてできないから心配だって」
「心配しすぎ……。私ももう高校生なんだから大丈夫なのに」
バックミラーを覗けば、むすっとした表情で窓の外を見る琴乃の姿が目に入ってくる。素直じゃないのは変わりないか。
「それでどうなんだ? 困ったこととかないか?」
「大丈夫です。元気にしてます。困ったことは……こうしてお姉ちゃんが過保護に接してくることです」
「そっか。それは困ったな」
思わぬ返しに笑みが浮かぶ。
「でもな、麻奈の気持ちも少しはわかってあげてくれないか? きっと麻奈は琴乃が一人で寂しくしてないかが不安なんだと思う」
「……それはわかってますけど」
琴乃は小さく呟き、鞄からはみ出していた星のペンダントをじっと見つめる。俺も見覚えのあるペンダントだ。確か麻奈の誕生日に琴乃がプレゼントしたものだったか。琴乃とお揃いなんだよ、と麻奈が嬉しそうに言っていた記憶がある。
「でもこうして私を一人にしたのはお姉ちゃんのほうだし……」
指でピンとペンダントを弾く。俯いた姿勢からは琴乃の感情はわからなかった。
「麻奈がアイドルになったからか」
「はい。……でも今さらアイドル辞めてなんて言うつもりはないです。あんなに楽しそうなお姉ちゃんに迷惑掛けたくないですし」
「なるほど」
以前よりかは琴乃も成長して考え方も少しずつ変わってきている。自分だけじゃなくて麻奈の気持ちも考えることができているのだろう。だけど、やっぱりまだ感情が追いついていないんだろうな。自分だけのお姉ちゃんが遠くに離れてしまったことが悲しいのだと思う。
「麻奈とはちゃんと話したのか?」
「……」
話していない、か。まぁそんなすぐに話せたなら苦労はしていないよな。
どんよりとした空気が車内に流れ込む。これ以上はさすがに初対面では踏み込みすぎだろうな、という感覚があった。
「……話は変わるが、琴乃は……その、一緒に帰る相手とかいないのか?」
「……私に友達がいないと言いたいんですか?」
「そこまでは言ってないけど」
「部活で帰る時間が違うだけでちゃんといますよ。……多くはないけど」
「それはよかった。それを話せば麻奈も少しは安心してくれるんじゃないかな」
「確かにそうかもしれません」
「後は渚とはうまくやっているのか?」
「うまくやっているって彼氏とかじゃないんですから……。というか、渚の事知っているんですか?」
驚きというより、不審めいた音色だ。これはちゃんと回答は用意している。
「麻奈から聞いたよ。琴乃の親友なんだろ?」
「なんでお姉ちゃんが渚のことを……?」
「あれ?」
もしかして二人が話したことがあるのは内緒だったのか? まずい、これはやってしまったかもしれない。
「まぁいいです。後で渚に問い詰めておきます」
悪い渚、円滑なコミュニケーションのために犠牲になってくれ。まぁでも。
「琴乃にそういう相手がいて安心したよ」
「なんで親目線なんですか。牧野さんまでそういう風に私を見るの止めてください」
「ごめんごめん」
未来での頼もしい琴乃を見ているからか、今の琴乃は危なっかしくてついつい口を出してしまう。麻奈も同じ気持ちだったのかもしれないな。
「まぁでも、渚と話す話題ができたのはよかったです」
「あんまり話せてないのか?」
「メッセージや電話はしてますよ。でも直接会って話すのは最近はあんまりできてなかったですね」
そういえば以前の世界で会った渚も同じようなことを言っていた気がする。
「たぶんだけど、渚も寂しがっているんだと思うぞ」
「渚が?」
「あぁ。だって琴乃だってお姉ちゃんがいなくなって寂しかったんだろ? なら渚も同じことを思っているはずだよ」
「私は寂しくなんてないですけど……。でもそうですね。今週末に渚と久々に遊びに行こうと思います」
「いいんじゃないか? 楽しんできてくれ」
「と、話している間だな。着いたぞ」
「車だとあっという間ですね。ありがとうございます」
琴乃は鞄を抱え、車のドアをそっと開ける。同時に風が入り込み、琴乃の髪がふわりと舞った。
「あ、そういえば」
また、と伝えようとしていると琴乃の声に遮られる。何か忘れ物でもあったのだろうか。
「連絡先、もらってもいいですか? お姉ちゃんの仕事で言いたいことがあるとき誰に伝えればいいかわかったので」
「……そういえば前は事務所で直接三枝さんと話したって言ってたな」
「うっ、聞いていたんですね……。それはもうする気はないですけど、お姉ちゃんの予定とか確認したい時があるので」
「わかった。構わないよ」
ポケットからスマートフォンを取り出し、琴乃と連絡先を交換し合う。夜空のアイコンで、トプ画には小さいころの家族写真が載せてあった。
「なんだか初めて会ったとは思えないほど話しやすかったです。マネージャーってすごいんですね」
「そんなことないよ。共通の話題があったからじゃないかな」
「ふふ、じゃあそういうことにしておきます。改めて今日はありがとうございました。お姉ちゃんには大丈夫だと伝えてくださいね。後、長瀬麻奈のこともよろしくお願いします」
「わかった。またな」
「はい、また」
サイドブレーキを下げ、ブレーキをそっと緩める。サイドミラーを覗くと、こちらに手を振っている琴乃の姿が映り込んだ。
今はこれでいい。琴乃が少しでも自分の問題を見つめ直すきっかけになれば、それで前進だろうから。
少しだけほっとした気分で、アクセルを踏みなおす。夕焼け色の空が少しだけ眩しかった。