芽衣には契約用紙と会社の資料を渡し、後日改めてご両親含めて会社に来てもらうことになった。でもそこはもう大丈夫だろう。軽んじるわけではないが、あの芽衣の様子を見るにきっと来てくれると思ったから。
となると、次の問題は……。
「遙子さんか」
「呼んだかしら?」
「うわっ!」
みんなの事を書いていたノートの捲っていると、背後から声が響く。思わず素っ頓狂な声が漏れ出した。
「わ、ごめんなさい。驚かすつもりはなかったんだけど……」
振り返ると、そこには遙子さんの姿があった。琥珀色の瞳がわずかに下がり、手には茶器を持っている。
「こちらこそ気づかなくてすみません。それは?」
「お茶よ。何か悩んでそうだったから、気分転換にでも、ってね」
ことんと、机に茶器が置かれる。茶葉の優しい香りが鼻をくすぐる。
「ありがとうございます。遙子さんはさすがですね。よく人を見てます」
「それくらいしか取り柄がないからね」
「そんなことないです。もっと自信を持ってください」
「ありがとう。……それで、どうして私の名前を呼んでいたの? そのノートにも私の名前が書いてあるみたいだけど」
「あっ!」
遙子さんに言われて、ノート開きっぱなしだったことに気づいた。慌ててそれを閉じる。
「み、見ました?」
「ちょっとだけだけど……もしかして見ちゃまずいものだったかな?」
未来のことも含めて色々書いているから見られるのはまずい。タイムパラドックスが起きる可能性がある。丁度開いていたページは遙子さんに関するページだったから大丈夫かもしれないけど。
「え、本当にまずいものだったの? えっと、どうしよう……。わ、忘れたよ! 遙子は何も見てないし、聞いていません! ここはどこ?」
「現在地まで忘れなくても……。遙子さんの今後について考えていたんですよ。今はちょっと見せれないものも多いんですが」
「そうだったのね。いっぱい迷惑掛けちゃってごめんね。私も麻奈ちゃんみたいにもっとアイドルとして頑張らないといけないのに」
「……」
この世界の遙子さんは、初めて出会った時とは違い、それなりには活躍できている。小さな箱なら埋められるほどまでファンも集まっているし、ラジオや雑誌にも度々出演することができていた。麻奈と比べてしまうと確かにまだまだだが、それでも折れずに腐らずに一人でここまで頑張ってきたんだ。
容易くグループに入りませんか、なんて言うべきじゃない。
「遙子さん、そのアイドルの事でお話があります。明日お時間いただけませんか?」
「……わかったわ。明日空けておくわ」
「ありがとうございます」
だけど、遙子さんをサニーピースに入れることを諦めたわけじゃない。サニピは誰が欠けても成り立たない。遙子さんを欠かすわけにはいかない。
「さて」
神妙な顔をして、部屋を後にしていった遙子さんを見つめた後、俺は改めてノートを開く。遙子さんをスカウトするにはどうすればいいかは思いつく限りこのページに書き綴っていた。
「電話繋がるかな」
一人ずつ順番に電話を掛けていくと、今度は怜に繋がった。そういえばこっちから掛ける電話はすぐに繋がるから前回つながった人物に掛ければよかったのかもしれない。
『もしもし、牧野さんですか?』
電話越しの怜は小声で、小さくガサゴソとした布が擦れる音が響いていた。
「そうだよ。今大丈夫だったか?」
『大丈夫ですけど、大丈夫じゃないです。寮内外で追いかけっこしているというのは聞いてますよね? 私も追われているんで、物置に隠れてます』
「だからガサゴソ音が聞こえていたのか……」
『はい。ちなみに、すずは芽衣に捕まってリビングに捕らわれてます。沙季は今は自室でさくらと琴乃に説得してますね。千紗と雫はわかりません』
「リズノワとトリエルはどうしているんだ?」
『リズノワもトリエルも明日まで仕事なので帰ってきませんよ。というか牧野さんがそれを言ったんじゃ……と思ったんですが、そういえば今の牧野さんからすると三年前の話なんでしたっけ』
「そういえばそうだったか」
ライブがあった日に過去に戻ったことは覚えている。だけどそれ以上の事は覚えていなかった。
話が逸れたな。
「怜、相談なんだが、明日、遙子さんにサニーピースに入ってもらえないか話をしにいこうと思っている。俺の方でも色々と考えてはみたんだが、まだ不安でな……。怜からも何かアイデアがあったら言ってほしい」
『うーん、悩ましいですね……。そもそも遙子さんはソロアイドルに限界を迎えてサニピに入ったんですよね。でも、その世界では限界を迎えていない』
「そうだな。本来なら嬉しいことではあるんだが……」
『それがサニピに入らない理由になってしまっている』
皮肉なことだとは思う。頑張ったことが原因で、自分の望むものが見れなくなってしまうなんて。……まぁこうなることがわかっていたとしても俺は同じことをすると思うけど。
『それって遙子さんがそう言っていたんですか?』
「……いや、直接そう言っていたわけじゃないな。俺にはそう聞こえたというだけだ」
『なんて言っていたんですか?』
「"牧野君には感謝しているよ。地味な私をここまで立派にしてくれた恩があるから。だからこそ私も立派にならないといけないって思ってる。その恩を返すために、佐伯遙子として頑張らないとって思ってる"だったかな」
『それって本心なんでしょうか?』
「……え?」
『いえ、遙子さんが嘘吐いたわけじゃないと思うんですけど、遙子さん、自分の事になると不器用というか、卑下する癖があるじゃないですか』
「確かにそうだな」
『なのでもっと別の何かがあるんじゃないかなって思って……。あくまで想像ですけど』
「いや助かるよ。でもそうか。他の何か、か」
遙子さんの自分を卑下する癖によって隠されたもの。いや、表面に出てきてない言葉と言い換えた方が適切だろうか。それは一体……。
『そういえば全員で集まったときに少しだけ話し合ってましたけど、遙子さんの"変わったこと"は何だったんですか?』
「ソロアイドルとして活躍できていること、だと思う」
『それだけでしょうか?』
「そうだとおも……」
そこまで口にして、何か引っかかることがあった。ソロアイドルとして活躍できていること、本当にそれだけだっただろうか。他に遙子さんの周辺で変わったことはなかっただろうか。
「あ、そうだ。麻奈が生きていた」
これは初めて会ったときもだったけど、遙子さんはずっと自分と麻奈の姿を見比べていた。次々に活躍して上に上がっていく麻奈の姿を見て、自分の今の居場所に劣等感を持っていたように思える。
だけどその劣等感はある段階で止まっていた。それは麻奈が亡くなったからだ。麻奈がいなくなったから、麻奈がそれ以上の功績を立てることはなくなって、差を付けられることはなくなった。
なら、今の世界はどうだ。
麻奈が名実ともにトップアイドルの一角となっているこの世界において、遙子さんとの差は更に広がってしまっている。これを遙子さんは始めて会った世界と全く同じ感情で見ているのだろうか。
……思い返せば、ヒントはいくらでもあった。口を開けば麻奈のことを口にしていたのもそうだったのだろう。もっと考えて気を遣うべきだったんだ。俺は。
『何か見つかったみたいですね』
「あぁ。怜のおかげだよ」
『私は何もしていませんよ。それで、変わったことは何だったんでしょうか?』
「遙子さんのもう一つの変わったことは、"劣等感の大きさ"だ」
『劣等感の大きさ……。なるほど。それで、サニピにはどうやって加入させるんですか?』
「そこは……なんとか、大丈夫だよって伝えて……」
『ざっくりしすぎです。……仕方ありませんね。私に作戦がありますよ』
「し、失礼しまーす」
翌日。朝の九時丁度に、執務室のドアがノックされ、そんな声と共に遙子さんが姿を現した。表情はなぜか硬く、声だってわずかに震えていた。
「遙子さん、おはようございます。わざわざお時間取ってしまってすみません」
「ううん、別にいいのよ。それで、あのー……あ、お茶! お茶淹れましょうか!」
「いえ、お茶はいいです。すぐに終わりますので」
「そ、そっか。すぐ終わるのかぁ……」
何やらそわそわした様子で遙子さんは俺の前にやってくる。なぜだろうか、全く目を合わせてくれない。
「遙子さん」
「ま、牧野君! 私は確かにずっと活躍できてないし、事務所にもお金を入れられていない自覚はあるわ。でも次こそ、ううん、次のライブで活躍して、もっと人気になって見せるから! だからもう一度だけチャンスをください!」
「え、えっと、遙子さん?」
「お願い牧野君! 私はまだアイドルの夢を諦めたくないの!」
「お、落ち着いてください。何の話ですか?」
「え?」
そこでようやく目が合った。遙子さんの目元には涙が滲んでいた。
「……私を解雇させる話だよね?」
「そんなことするわけないじゃないですか。遙子さんはうちの大切なアイドルの一人ですよ」
「ほ、ほんとに? あのノートは私を解雇させるためのノートじゃないの?」
「どんなノートですか……。違いますよ。今後のプロデュースに関するノートです」
「そ、そうだったんだ……。牧野君、すごく真剣そうにしていたから私てっきりもう要らない子なんだって思っちゃって……」
「遙子さんは星見プロダクションだけじゃなく、俺にとっても大切な人です。そんなこと思いもしませんよ」
「た、大切な人……。も、もう、揶揄わないでよ」
「揶揄ってないです。本気で言っていますよ」
「ま、牧野君……」
俺の気持ちを伝えたくて、遙子さんの琥珀色の瞳をじっと見つめる。おどおどしていたその瞳はやがて耐え切れなくなったように、そっぽを向いた。
「ちょ、ちょっとお手洗い行ってくるわね! す、すぐ戻るから!」
「あ、はい。わかりました」
本気だと言うことをアピールしたかったが、見つめすぎただろうか。顔も赤くなっていたから、もしかすると嫌がられたのかもしれない。今後は気を付けよう。
『……それ、みんなにやっているんですか?』
ポケットに入れっぱなしだったスマートフォンから怜の声が聞こえてくる。恥ずかしいところを聞かれてしまった。
「遙子さんは俺にとって大切なアイドルだからな。もちろん、怜もだぞ」
『はぁ……』
大きなため息がスマートフォン越しに響く。何か間違ったこと言っただろうか。
そうこうしていると、遙子さんが再び戻ってきた。目元の涙の跡はしっかり洗い流したようだ。頬はまだ赤いままだったけど。
「それで、牧野君。お話があったのよね? どうしたの?」
「遙子さんに見てもらいたいものがありました」
「私に?」
「はい。今からお見せしますのでちょっとついてきてください」
執務室を降り、階段を下る。廊下を少し歩けば、すぐに目的の場所にたどり着いた。
「レッスン室?」
「はい。みんないるはずです」
扉を叩いた後、そっと開く。その先にいたのは沙季、千紗、雫、すず、怜の五人。そして。
「遅いじゃないか。待ちくたびれたよ」
藍色のボブヘアに金色の瞳。口では文句を言いつつも、表情は変えず、飄々とした雰囲気を漂わせている少女。
「これで全員ということでいいのかしら?」
灰色のミディアムヘアに紫紺の瞳。凛とした立ち姿は、思わずこちらの背筋が立ってしまうほどの威厳を放っている。
神崎莉央と井川葵。現LizNoirのメンバーがそこにいた。