「今日のすずにゃん面白かったなぁ……」
星見寮での異臭事件から二日後。今日は平日だったため、芽衣はいつものように星見高校に通い、授業を受けていた。
「であるからして、鎌倉幕府が滅亡し……」
「ふふふ」
とはいえ、芽衣の頭にはすでに授業の事はなく、寮生活のことばかりが頭に浮かんでいた。初めての寮生活で戸惑うところはあるものの、やっぱり年齢の近い女の子同士ということもあり、日々楽しく過ごせている。特に一つ下のすずとはどことなく気が合うこともあり、よくお喋りもしていた。
「その後、後醍醐天皇が……」
「そういえば、あのノートに書いていた子ってどこのクラスなんだろう?」
すずとのお喋りを思い出していると、ふと一昨日見たノートの内容が頭に浮かぶ。星見高校出身で確か名前は。
「そして、室町幕府が正式に成立いたしました。室町幕府を開いた人物は皆さん知ってますよね? 早坂さん」
「伊吹渚!」
「違います。それはうちの二年生です」
「あれ?」
「今は授業中です。授業に集中するように。独り言も漏れてます」
「あ、ごめんなさい」
芽衣は恥ずかしげにえへへと笑みを浮かべながら、席へと着いた。板書も遅れていたため、慌ててペンを持ち直して。
「あ、二年生なんだ」
歴史のノートに、伊吹渚、二年生! と書き留めた。
「ねぇねぇ、伊吹渚さんってどこの組か知ってるー?」
授業を終え、お昼休み。芽衣は一直線に教室に飛び出すと、階段を下り、二年生への教室へと向かう。伊吹渚という人物がどんな子なのかが知りたかったし、自分たちと同じグループに入るかもしれない子が、なぜスカウトに靡いてくれないのか知りたかったからだ。
だけど一年生である芽衣は相手の顔もクラスも知らない。なので近くにいた人に聞き込みをしていた。
「伊吹さん? 私は知らないかな」
「そっか。ありがとー!」
一つ一つ教室を覗き、近くにいた人に声を掛ける。それを繰り返し、やっと最後の組までやってきた。
「ねぇねぇ、伊吹渚さんって知ってる?」
「伊吹さん? あの子よ、窓際の席でぼんやりしている子」
「おー、ありがとー!」
その人が指さした先には、赤みがかったボブヘアに、茜色の瞳を持った女の子がいた。教えてくれた子に感謝を告げると芽衣はその子のもとへ一息に駆け寄る。
「おっはよー!」
「え? おはようございます?」
「どこ見てたの?」
「……ここじゃない遠く、かな」
「室町幕府?」
「えっと、どうして?」
「頭に浮かんだから?」
「なんで言った本人が疑問形なんだろう」
芽衣は不思議そうに自分を見つめる渚を見て、彼女と会えて話せたことに満足気に笑みを浮かべた。それから、目の横にピースサインを置き、ウィンクをしながら口を開く。
「私は星見プロダクションのアイドル、早坂芽衣! よろしくね、渚ちゃん!」
「えっと、どこから突っ込めばいいんだろう……」
渚は困ったような表情を浮かべていたが、やがて少しだけ真剣な目をして芽衣を真っ直ぐ見つめた。
「まず、どうして私の名前を知っていたの?」
「それはね、ノー……えっと、そのー」
「……」
渚の目が不審げなものに変わる。あのノートが何を意味したものか分からない以上、ノートを見たと正直に話すわけにはいかないと芽衣も把握できていた。とはいえ、嘘を吐くことも芽衣は好きではない。
曖昧に言葉を返していると、渚は一つ温和な笑みを浮かべ、警戒していたその空気を解いた。
「答えられないなら大丈夫だよ。ごめんね」
「ううん、芽衣こそごめんなさい。でも、悪いことをしようとしていたわけじゃないんだよ! それは信じてほしいな」
「うん、わかった。芽衣ちゃんが誠実な子だってことはなんとなく伝わったから」
芽衣はそっと胸をなでおろした。そんな芽衣の様子を一目した渚は立て続けに口を開く。
「芽衣ちゃんは星見プロダクションのアイドルなの?」
「うん、そうだよー! スカウトされちゃった!」
「そうなんだ! 星見プロって麻奈さんがいるところだよね? 凄いなぁ」
「えへへ。でもデビューはまだなんだけどね」
「じゃあこれからが楽しみだね!」
「うん! でねでね! 実は今同じグループを組むみんなで寮生活をしていて……じゃなかった」
渚の反応がよくてつい話題が変わってしまっていた。ここに来た目的を思い出して、無理やり話題を変える。
「ねぇ、渚ちゃんはアイドルに興味ないの?」
「私? うーん、見ていて可愛いとは思うし、憧れたりはするけど……」
「けど?」
「なれるとは思わないかなぁ。私って、ほら、スタイルとか良くないし、何よりみんなみたいに個性的じゃないから……」
「うーん?」
渚の言葉を聞いて、芽衣は首を傾げた。スタイルの話をするなら、同じタイミングで寮に入った遙子ちゃんもそうだし、個性の話も探っていけば引き出しを多く持ってそうだなぁというのはなんとなく察していたから。
「ねぇ渚ちゃん、今日の放課後時間ある?」
「あるけど……どうして?」
「今日芽衣たちで合同レッスンするんだー。だから一緒に受けてみない?」
「わ、私も? 無理だよ……」
「無理じゃないよ! 行こ行こ!」
「うーん……」
「あ! 芽衣、先生に呼ばれているんだった! ごめん、一回帰るね! 放課後にまた来るからー!」
「あ、ちょっと芽衣ちゃん!」
咄嗟に渚は声を掛けたが、芽衣はすでに背を向けて教室を出ていた。まるで嵐のような子だ。でも素直で素敵な子でもある。
良くも悪くもアイドルらしいなぁ、と思いつつ、渚は窓の外を見つめた。自分のいる二年生の教室からは丁度、横浜方面の空が見える。
「私にはできっこないよ……」
小さく呟いた声は、教室のざわめきに吞まれて消えた。