「す、すみません。牧野さん、つい不審者と勘違いしてしまって……」
「いや、あれは俺の方が悪い。こちらこそごめん」
俺を飛ばした後、渚はすぐに俺のことを認識したようで慌てた様子で傍に駆け寄ってきた。というか、すごい力だったな。火事場の馬鹿力ってやつだろうか。まぁそれは置いておいてだ。
「牧野さんはどうしてここに? もしかして私を心配して追いかけてきてくれたんですか?」
「そう……と言いたいところなんだが、違うんだ。渚、いや、伊吹渚さん」
不思議そうな表情を浮かべていた渚は、俺の様子を見てか改まった面持ちを見せる。
「俺は貴女をスカウトしに来ました」
「スカウト、ですか……」
神妙な表情だ。まぁ無理もない。渚からしてみると、自分にはアイドルは無理だと告げたばかりなのにどうしてスカウトに来たんだろう、って感じだろうか。
「先に言っておきます。渚さん、すみません」
「えっと、何の謝罪ですか?」
「実は初対面の振りをしていましたが、俺は渚さんのことを前から知っていたんです」
「え……あっ!」
渚は動揺した素振りを見せた後、すぐに思い当たる節があったのか声を上げた。
「麻奈さんから教えてもらっていたんですか?」
「それもあります」
「やっぱり……それで私に興味を持ったって感じですかね?」
「はい」
麻奈さんお喋りそうだからなぁと渚は小さくぼやく。すまない麻奈、そういうことにさせてくれ。
「でも、さっきもお話したと思いますけど、私にアイドルは……」
「……長瀬琴乃さん、ご存知ですよね」
「……はい」
渚がアイドルを目指した理由は琴乃を支えるため。だけど、この世界では琴乃はアイドルになっていない。それが俺が渚をどうスカウトすればいいか悩んでいる理由だった。
それを解決する答えはまだ出てはいない。だけど、想いをぶつける中できっと出てくるものだと信じている。
「琴乃さんはアイドルを嫌い、いや敵視している。お姉ちゃんを奪ったものだから。でも、渚さんはアイドルは嫌いなんですか? 相容れないものですか?」
「……私は、そうは思っていません。麻奈さんとは時々話しますし、ライブも見に行ったことがあります。みんなを笑顔にする素敵な仕事だなって思ってます。琴乃ちゃんの気持ちもわかりますけど」
「じゃあどうして自分には成れないと思っているんですか?」
「私には無いからです。みんなみたいに輝ける個性が」
あっ、そうか。思い返せば渚に初めて会った時も個性について悩んでいた。琴乃を支えることが渚がアイドルになった理由だから、自分自身に関して目を向けられていなかった。だけど、その悩みを解決したのは開き直って琴乃への献身を個性にすると決めたからじゃなかっただろうか。
でも今はそれすらない。だとすると、この世界の渚が変わったことは。
"アイデンティティの喪失"。渚がずっと自信なさげにしているのもきっとそれが原因だ。
でも、そうであるのなら、渚が悩んでいる事の解決は簡単なものだ。
なければ、新しく作ってしまえばいい。
「牧野さんだってそう思わないですか? 今日話してみて、私のどこに魅力を感じましたか?」
「周りをよく見て思いやれること、誰かを喜ばせたいと思っていること、何より、アイドルを楽しそうだと思ってくれていたところです」
「……」
「他にもいっぱいあります。色恋沙汰が好きで暴走してしまうところがあったり、妄想癖があったり、意外とあざとかったり……」
「ちょ、ちょっと待ってください! なんでそんなところまで知っているんですか!? というかあざとくないです!」
もう、とむすっとした表情を浮かべる渚。うん、あざといな。
「ともかく、渚さんの個性はたくさんあります。ありすぎて渋滞してしまうくらいなので安心してください」
「むぅ……」
「それに、渚さん。アイドルになれば琴乃さんとまた一緒に居られるかもしれませんよ」
「え……?」
千紗も言っていたが渚はずっと寂しそうにしている。それは琴乃と会える時間が減ってしまったからだ。二人は度々会っているようだけど、今後どうなるかわからない。時間が過ぎていくにつれ、会う機会が減っていって疎遠になってしまうかもしれない。渚ならそういう想像をしていそうだ。
「先も話しましたが、琴乃さんはアイドルを意識しています。だからこそ、渚さんがアイドルになれば否が応でも意識せざるを得ません」
「それは……そうかもしれませんけど」
「渚さんは、今のままでいいんですか? このまま琴乃さんと離れ離れになっている状態でいいんですか?」
「……」
「琴乃さんともう会えなくなってもいいんですか?」
「……そんなの、嫌に決まっているじゃないですか!」
ほんわかとした空気を霧散させ、渚は怒気を滲ませる。
「私も琴乃ちゃんとずっと一緒に居たいです! でも琴乃ちゃんには琴乃ちゃんの事情があって、私とは一緒に居られないんです。私の我儘を押し通すわけにはいかないじゃないですか!」
いつもの緩く垂れ下がった目とは違い、その瞳はきりりと絞られる。渚のこういった姿を見るのは初めてかもしれない。
「それは本当に我儘なんでしょうか? 琴乃さんにちゃんと話しましたか?」
「……話してません。でも、琴乃ちゃんはきっと私が話すと悩んでしまうから。苦しませてしまうだけだと思います」
苦しませてしまうだけ、か。俺の知っている琴乃ならどう思うだろうか。……きっと言わなかったほうが嫌に思うだろうな。
「渚さんは琴乃さんのことをあまり知らないんですね」
「っ! そんなことないです!!! 麻奈さんがアイドルになってしまって思い悩んでいることも、周りからそのことを言われ続けて嫌な思いをしていることも、意外と可愛いものが好きなことも、見た目はツンツンしているけど内面は優しい性格だってことも、全部知ってます! 貴方こそ琴乃ちゃんの何を知っているんですか!?」
「知ってますよ。バイクに乗って浮かれている姿も、ゲームセンターではしゃいでいる姿も、アイドルに夢中になってつい叫んでいる姿も。たくさん」
「え……」
「渚さん、貴女が知っている琴乃さんは中学生までの琴乃さんじゃないですか?」
「っ!」
図星、というより事実なんだろう。前の世界での渚も離れていた時がありすぎて性格が変わってないか心配していた様子だった。きっと渚は今の琴乃を正しく見れていない。……以前の俺と同じだな。
「琴乃ちゃん、変わっちゃったの……? この前遊びに行ったときはもしかして私に合わせてくれていたのかな……」
視線が外れ、ショックを受けた様子で渚は夜空を見つめる。責めているようで申し訳なくなるが、俺も譲れないものがあるんだ。
「渚さん、もう一度琴乃さんと一緒に居る機会を作りませんか? 琴乃さんを振り向かせてみませんか?」
「振り向かせる……私が、琴乃ちゃんを」
渚は琴乃の後ろを歩いているだけの子じゃない。隣で並び立って歩める立派なアイドルだ。そんな彼女だからこそ、きっと琴乃を振り向かせることができる。そう思っての言葉だった。
「……どうですか?」
「一つだけ条件があります」
そう言うと、渚は改めて俺の目を見つめた。何かを決意したような目。だけど、どこかその目には敵意が見て取れた。
「私が琴乃ちゃんを振り向かせることができたら、牧野さんは手を引いてください」
「ん?」
俺が手を引く? どういうことだ?
「その条件が吞めないのなら私はアイドルになりません」
「……確認させてください。手を引くとはどういうことですか?」
「文字通りです。琴乃ちゃんのプライベートに触れないでください」
……それなら大丈夫か? 元よりプライベートは好きにさせていたつもりだし。
「わかりました。その条件で構わないです」
そう告げ、俺は渚に向けて手を伸ばした。
「渚さん、これからよろしくお願いします。……スカウトを受けてくれてありがとう。渚」
「はい、よろしくお願いします。……絶対に取り戻して見せますから」
伸ばした手に渚の手が繋がれる。その手は確かに俺の知っている渚の手だったが、心なしか力強く握られていたような気がした。