『もう、勘違いされましたよ……』
渚とは正式な契約を交わすため後日また会う約束をして別れた。ここまで来たんだし、家まで送っていこうと思ったが固く断られてしまった。なぜだろう。
事務所に戻る途中、ポケットに入れたままだったスマートフォンから千紗の声が聞こえてくる。通話状態のままだったから、会話も筒抜けだったみたいだ。
「何をだ?」
『気づいてないんですか?』
「気づく? 俺、何か変な事言ってたかな……」
『牧野さんは変なところで鈍感ですよね……。でもあの後、普段通り話せていたから大丈夫なのかな……』
「もしかしてまずいことを言っていたか……?」
『うーん……。ちょっと確認させてください。電話、急に切れたらごめんなさい。その時はこっちから掛け直しますね』
「構わないけど……」
電話越しから千紗の声が離れていく。少しして、二つの足音が聞こえてきた。
『えっと、千紗ちゃん? 今度はこっちに来ればいいの? もう何が何だかわかんなくなってきたよ』
「あっ」
その声は聞き覚えがあった。というか、さっきまで聞いていた声だ。
『ごめんね。たぶん、もう説明できるから。……牧野さん、聞こえていますか?』
「あぁ大丈夫だ。聞こえているよ、渚の声も」
『よかった……。じゃあ無事、渚ちゃんのスカウトも成功したってことですね』
『私のスカウト?』
「俺から説明するよ」
それから俺に今起きていることについて、寮でなぜ渚たちに話していないかも全て説明した。渚は驚きつつも、最後まで真剣に聞いてくれた。
『タイムリープ……なんだか小説みたいですね』
「あぁ俺もそう思う。だけど本当なんだ」
『信じてますよ。牧野さんが私たちに噓をつく訳ないって思っているので』
「ありがとう」
荒唐無稽な話だろうに、こうやって信じてくれる。それだけで嬉しい。本当にみんなは優しいなって思う。
『あぁでも納得しました。だからあの時の牧野さんは私を囃し立てるようなことを言っていたんですね。びっくりしましたよ』
「あの時?」
『牧野さんが私をスカウトし……』
『な、渚ちゃん。ちょっと!』
電話越しに慌てたような千紗の声が響き、二人の声が遠ざかる。
でも、ちょっと待った。今、聞き逃せない言葉があった。
俺が渚をスカウトした時。元の世界での渚は自発的にオーディションに来て、そこで合格を掴んでいたはずだ。俺は渚のスカウトなんてしていない。
なのにどうして、渚はスカウトの話ができたんだ?
『すみません、戻りました』
「あぁお帰り。千紗、渚。ちょっと聞きたいことがあるんだが、俺が渚をスカウトしたことをなんで」
『あ、あーあー、で、電波が、いきなり、わ、わるくなってー』
『た、たいへんだ―』
ツーツー
あからさまな棒読みと共に電話が切れた。切らないでほしいんだけど。
でも、そんなに考え込むことでもないのか? それを知っていることで何かが変わるわけじゃないし……。ひとまず考えないでおくか。
「牧野さんおかえりー」
事務所に戻ると丁度レッスン室から出てきた芽衣たちと遭遇した。もう時間も時間だ。無理する時期でもないし、帰るころだろうか。
「ただいま」
「渚ちゃんのスカウトどうだったー?」
「なんで芽衣がそれを知っているかわからないけど、成功したよ。また後日来ると思う」
「おー! やったね!」
なぜか手を掲げてきたからハイタッチを交わす。いぇーいと元気の良い声が上がった。
「渚ちゃんも寮に来るのでしょうか?」
「その予定だ。そのときは沙季、よろしく頼むよ」
「はい、任せてください」
「今度は変なもの持ってこないでくださいまし」
「くさやは変なものじゃありません」
「怒るところそこなんですの……」
沙季のくさやへの執着はすごいからな……。まぁそれはともかくだ。
「みんなはこれから帰るんだろ? 夜道は暗いし気をつけて帰ってな」
「牧野さんはまだ帰らないんですか?」
「もうちょっと仕事して帰るよ」
「そうですか。ご無理はなさらないでくださいね」
「ありがとう。俺も気をつけるよ」
手を上げ、沙季たちと別れ執務室に戻る。タイムリミットまではまだ時間はあるが、着々と時間は迫ってきている。ただ、すでに曲や衣装のデザインはもう決まっているから後は琴乃とさくらをスカウトできれば問題はなかった。
「……あ、そうだ。電話しておくか」
この世界のスマートフォンを取り出し、目的の相手をクリックし電話を掛ける。この時間なら電話しても大丈夫とは言われていたからすぐに出るだろう、なんて考えている間に電話は繋がった。
『もしもし、どうしたの? 私の声が聞きたくなった? いやー照れるねー』
「そんなわけないだろ、麻奈」
『えー、じゃあ私の声は聞きたくないってこと? 担当アイドルの声が聞きたくないなんて酷いマネージャーだなぁ』
麻奈は今日も弾むような声で調子のいいことを呟く。海外でも元気な様子で何よりだよ。だけどなんだか今日は。
「やけにテンション高くないか?」
『そりゃそうだよ! 一時的とはいえ明日やっと日本に帰れるんだもん! ……というかその反応、もしかしなくても忘れていたでしょ』
「い、いや覚えていたぞ! 俺も楽しみにしていたんだ!」
『ふーん、へー、そうなんだー』
そういえばそうだった。麻奈が帰ってくる日はこの時だった。なんで忘れていたんだろう。
でも、そうであるのなら、この時がチャンスなのかもしれない。
「麻奈、頼みがあるんだ。聞いてくれるか?」
『うん、いいよ』
「内容、聞かないのか?」
『牧野くんが私にできないこと頼むわけないからね。……あ、嘘かも。お仕事でいっぱいできないこと頼んできた』
「できる範疇だっただろ?」
『そうだったかなぁ。まぁいいや。それで頼みって?』
「琴乃のことだよ」
『あー、なるほど。スカウトの件かー。……うん、それは大きな頼みごとだね』
電話口からんーと唸るような声が聞こえてくる。やっぱり難しいのだろうか。
『前にも言った気がするけど、私も琴乃とちゃんと話せてないんだよね。アイドルのことも。だから私からスカウトの手助けするのは……』
「いや、麻奈はスカウトしなくていいんだ。それは俺の役目だから」
『あれ、そうなの? じゃあ私はどうすればいい?』
「俺が琴乃をスカウトするとき、一緒に居てくれないか?」
琴乃の変わったことはまだ掴めてない。だけど、琴乃をアイドルにするにはきっと麻奈の力が必要だと思っている。
『うーん、逆効果じゃないかな……』
「そうか?」
『だって琴乃ってアイドルとしての私が嫌いなんだよ? 私がいたら余計にアイドルから遠ざかってしまうと思わない? だったら私が離れた方がスカウトがしやすいと思うけど』
「それじゃダメなんだ」
確かにスカウトだけを目的とするならそれでもいいかもしれない。でも俺の目的はスカウトだけじゃない。アイドルとしてデビューして、そして麻奈と一緒に笑い合っている姿だから。
「……俺が言うべきことじゃないかもしれないが、琴乃も麻奈もそろそろお互いに向き合うべきだと思う。……麻奈だってずっとこのままでいたくはないんだろ?」
『そうだけど……。でも、そうだね。牧野くんの言う通りだ。ずっとなぁなぁにしていたのは私の方だったね』
悩むような素振りの後、麻奈はすぐに言葉を返した。
『じゃあ私からもお願いしちゃおうかな』
いつものような朗らかな音色、だけど、途端に引き締まった響きへと変わる。
『……私も琴乃との対話のときに同行させて。けりをつけてみせるから』
それは、麻奈が本気になったときに見せる真剣な音色だった。もう何度も見てきた頼りになる麻奈の姿だ。
「あぁ、頼んだ」
『うん、任せて……じゃなくて、牧野くんも頑張るんだよ!』
「そうだったな……。うん、俺も頑張るよ。譲れないものがあるから」
『……ふふ、一緒に頑張ろうね! 牧野くん!』
どこか嬉しそうな麻奈の声だ。俺も思わず言葉が漏れ出す。
「あぁ頑張ろう麻奈!」