翌日、俺は早朝に空港近くのホテルで目が覚めた。ホテルのチェックアウトを済ますと、すぐさま外に出る。外は雨が降っており、早朝ということもあって真っ暗だった。
「……」
琴乃から話してもらった麻奈の事故。それは早朝に起きた車同士の追突事故だった。海外の仕事を終わらせ、ようやく日本に帰ってきた麻奈。だけどそこからの帰り道、乗っていたタクシーが乗用車との追突事故を起こし、麻奈はこの世を去った。
この日に麻奈が帰ってくることは俺も把握していたが、琴乃たちのデビューライブ後の対応もあって、俺も送迎を出せない状況だった。そのためタクシーを使ってもらうことになっていたが、それが完全に悪い方向に向かってしまったらしい。
……なんとも聞いたことがある定めだ。どうやら世界は麻奈の事が嫌いらしい。
でも、そこまでわかれば、俺ができることは簡単だ。タクシーに頼らず、俺自身が送迎する。そのため空港近くの駐車場に車を停め、俺自身もホテルに泊まっていた。
傘を差しながら外を移動し、駐車場まで来る。いつも送迎に使っている黒の車にエンジンを入れようとキーを挿し込んで。
「あれ……?」
キュルキュルと、セルが回る音を響く。だけどいつまで経ってもエンジンが入らない。
「嘘だろ?」
一度キーを入れ直し、再度回してみる。けれど、何度やってもキュルキュルとセルが回る音だけが響くだけだった。
「もしかして壊れたのか!?」
繰り返し繰り返し回してみるが一向にエンジンが入らない。修理とも考えたが、自分じゃどうすればいいかわからないし、業者を呼んでだと間違いなく時間が足りない。
「くそっ!!」
俺は慌てて車から飛び出し、空港へと向かう。早朝、タクシーの事故。情報はそれだけしかないが、そこまでわかっていれば自分が送迎しなくてもいくらでも対処はできる。
そのはずだったのだが。
「つ、通行止め?」
空港に向かう道で事件があったとかで、いつの間にか警察の交通規制がなされていた。視界の先には立ち入り禁止のテープが貼られている。事件と聞いて冷汗が流れたが、どうやら死傷者が出る類のものじゃないらしい。とはいえ、空港までの一番近い道が通れなくなっていた。
「回り道をすればなんとか……いや待て」
そもそも麻奈はどの出口から出てくるんだ?
国際線の出口は複数ある。例えば早朝の一番早い時間なら第二ターミナルだが、次の便だと第三ターミナルになる。ターミナルごとは距離があるため、向かうにしてもそれなりに時間は掛かる。到着してタクシーに乗るくらいの時間なら余裕だろう。
昨夜から麻奈とは連絡を取ってみているのだが、飛行機の中だからか連絡が一切取れず、麻奈が日本に帰ってくる正確な時間がわからない。三枝さんにも確認を取ってみたが、麻奈のフライトは麻奈自身が取ったものだからわからないらしい。
「……行くしかないか」
小さく呟き、俺は回り道して空港へと向かう。以前だって、麻奈のいる位置を当てることができたんだ。俺の勘を信じてみたい。
着いたのは第三ターミナルだった。腕時計を確認すると、到着までもう少しだった。
「麻奈、連絡確認しているといいが……」
メッセージアプリで麻奈への連絡はもう行っていた。着いたらすぐに連絡してほしいとも送っていたが、まだ既読は付いていなかった。
「……」
自分の行動一つで取り返しのつかないことになる可能性がある。そう考えると気持ちが落ち着かない。辺りをうろうろとしていると、いつの間にかたくさんの人が出口付近に集まっていた。俺と同じように出迎えの人たちだろう。
「あっ……」
そうこうしているうちにも時間は過ぎていき、出口がぽつりぽつりと人の姿が見え始める。連絡はまだ来ていないが、麻奈もそこに混ざっているかもしれない。
麻奈がよく変装用に使っているサングラスを目印に、目を凝らして探してみる。
「居たっ!」
視界の片隅に、見覚えのある白のワンピースを着た少女が目に入る。黒のコートでスタイルを隠し、目には黒いサングラス。間違いない。麻奈だ。
「ほわっ!」
「あ、すみません!」
思わず駆け出して、目の前にいた少女にぶつかってしまった。少女が持っていたバッグから物が散らばった。
「大丈夫ですか!?」
「大丈夫です! ぼーとしててすみません!」
拾うのを手伝い、女性に手渡す。幸い怪我はないようだ。
「ぶつかってしまい申し訳ございませんでした。……これから用があるのでもう行きますね」
「はい! ……あ、ブロマイドもおにぎりも無事だ。よかったぁ」
少女の声を背に、俺は駆け出す。距離は離れてしまったが、幸いにも麻奈の姿はまだ見えた。
「麻奈!」
だけど安堵したのもつかの間、麻奈の前には一台のタクシーがあった。慌てて声を上げるが、空港のざわめきにかき消される。
「ダメだ! 麻奈!!!」
必死に声を上げる。だけどいくら叫ぼうと、その声が麻奈に届くことはなかった。麻奈はこちらに背を向けたままタクシーに乗り込む。
「行かないでくれ!!! 行っちゃダメだ!!!」
走り続けて息が苦しい。喉が焼けるようだ。でも、この瞬間だけを逃してはダメだと、必死に叫び、手を伸ばす。
だけど現実はどこまでも無情だった。俺の手は空を切り、声はざわめきにかき消される。視界に映ったのは、タクシーに乗った麻奈が走り去る場面だった。
雨が落ちる。冷たい水滴が全身を打つ。思えばあの日もこんな雨だった。
会場に辿り着いた俺が、スタッフから声をかけられて病院へと直行したあの日。これくらい激しい雨が降っていて、その雨の中、医師に麻奈が心肺停止状態なことを告げられた。
蘇生が困難だと告げられたのも、そのすぐ後だった。
あの時の光景は今でも忘れられない。目の前に麻奈の体はあるのに、手を握ってもピクリとも動かず、声を掛けてもいつものような朗らかな声が返ってくることはない。ただただ俺の前で麻奈は眠り続けていた。
辛かった。悲しかった。苦しかった。何より自分自身が許せなかった。麻奈に声さえ掛けられなかった自分自身の無力が悔しくて、何度も何度も涙を浮かべた。
その度に俺は思った。あの時、あの瞬間、どうすれば麻奈を救えたんだろうって。
考えても意味はないこともわかっていた。でも考えることでしか、俺が俺である手段がなかったから、ずっと考えていたんだ。あの瞬間、タクシーに乗ってしまった麻奈を助けるにはどうすればよかったのか。
……だからだろうか。降りしきる雨が頭を冷やし、ある考えが脳裏に浮かんだ。
「まだ終わってない」
口にすると不思議と力が湧いてきた。胸の奥から熱い気持ちがあふれ出してくる。
俺はもう一度、あの時の絶望をもう一度繰り返すのか。そうじゃないだろ。お前はあの時、何を学んだ。何を考えた。
月ストに、サニピに、リズノワに、トリエルに、スリクスに、お前は何を教えて貰ったんだ。
「そうだ。俺はまだ諦めない」
最後までずっとステージに立ち続けてきた彼女たちのように、俺も今を見て乗り越えていきたい。
こんなところで諦めるわけにはいかないんだよ!
気がつくと俺の足は走り出していた。頭もいつも以上にクリアに動く。
ここから星見市に向かうなら道のりは想定できる。交通規制がある以上、タクシーが進めるコースは確実に定められるだろう。そして今日は雨だし、空港近くは人通りも多い、速度もそれほど出せないはずだ。
だけどやっぱり徒歩だと……。
「おい、牧野」
「……え?」
どうすればいいか考えていると、そんな声を掛けられる。声の先には三枝さんの姿があって思わず足が止まる。
「三枝さん!? どうしてここに……」
「どうしての何もさっきの便に俺も乗っていたからな」
「そうなんですか!? じゃあなんで麻奈が乗っていたことを……」
「ん? 麻奈も乗っていたのか? 悪い、知らなかった。……海外で色々あってな。麻奈にはすっかり嫌われたんだよ。……それよりも何やら急いでいる様子だったが?」
「! そうでした! すみません、三枝さんまた後で……」
「まぁ待て。どこへ行くつもりか知らないが、どこかに行きたいならこれを使え」
そう言って、三枝さんは両手で支えていた電動自転車を見せる。これがあれば、間に合う!
「貰ったものだったんだが、この近くに置きっぱなしだったことを思い出してな。さっき取ってきたんだ。まだ回収されてなくてよかったよ」
「ありがとうございます! 三枝さん、お借りします!」
「あぁちゃんと返せよ」
電動自転車に乗り込み、すぐさまペダルを踏む。速い。この速度なら追いつける。
それからしばらく走り続けた。どこで事故を起こしたかはわからないが、もうそれを考える暇はない。ただただひたすらに麻奈を追って、足を動かす。
息も絶え絶えで、足も重くなってきた。だけどそれがどうした。まだ動く、まだ俺は進める。
漕いで、進んで、どこまでも前へ向かったその先。ようやくそのタクシーの後ろ姿が見えた。間違いない。後部座席には麻奈も座っていた。
もう少しだ。最後の力を振り絞って、ペダルを踏む。後少しで麻奈を救える。そう思ったときだった。
「なっ!」
タクシーの前方右手から猛スピードで飛ばす一台の車の姿があった。その手前にトラックがあって、タクシーからは見えない位置だ。同時にタクシーが右折ランプを点ける。このままじゃぶつかってしまう。
脳裏にあの光景がちらついた。事故現場にあった生々しい血の跡。それが誰のものかなんて明瞭で。
「やめろぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
咄嗟に声が出た。同時にペダルを踏む足に力が入る。喉も足も限界だ。心臓も破裂しそうなほど胸を打つ。だけどそんなこと気にもならなかった。
気がつけば俺はタクシーを追い越していた。窓越しの麻奈と目が合う。
青空のような優しい瞳は、驚くように大きく見開いていた。
……ずっと考えていたことがある。あの時、どうすれば麻奈を救えたか。答えは簡単だった。
俺の体を以てして、タクシーを止めればいい。
ハンドルを右に切り、タクシーの前に飛び出す。俺の姿に気づいたようで運転手が慌てた様子でブレーキを踏んだ。
キーという甲高い音が響く。車のヘッドライトが眩しい。ステージもこれくらい眩しいのかなってふと思った。
やがて、タクシーは徐々に俺に近づいてきて、そして――。