星見市の高台はステージからすぐ傍にある。暗い階段を転ばないように麻奈と手を繋いで歩く。
一段一段踏み締めながら登っていると、やがてその頂上へとたどり着き、視界が一気に開けた。
「……いい景色だね」
「そうだな……」
雲一つない星空の下には、しっとりと揺らめく海岸線が映り込む。奥に見える特徴的なシルエットはシーパラの光だろうか。あの場所でのコラボもあってライブもしたな、ってなんだか懐かしくなる。
「……とりあえず座ろっか」
「あぁ」
麻奈と隣り合わせで傍にあったベンチに座り込む。夜風がそっと頬を撫でた。
「なぁ、麻奈」
いつまでそうやって座っていただろうか。気が付けば、俺からその言葉を口にしていた。
「俺は帰らないといけないんだ」
麻奈は無言だった。やがて悠久をも思える長い間を置き、静かに、そっかと呟いた。
「実は俺は未来から……いや、ここじゃない別の世界から来たんだ。その世界では、麻奈は亡くなっていて麻奈の意思を継いだ琴乃とさくらが自分から星見プロに来てくれていたんだ。それから色々あったんだけど、今ではBIG4にまでなっているんだよ。すごいだろ?」
「うん、本当にすごいって思う。頑張ったんだねみんな」
「……あんまり驚かないんだな?」
「……まぁそうだね。最近の牧野くん見てるとなんとなくわかっていたし、それに琴乃たちならBIG4くらいなってもらわないと困るよ」
さすが麻奈だ。察しの良さも健在だし、アイドルとして理想もずっと高い。
「ねぇ、帰り方はわかっているの?」
「わかってはいる。いるんだが……」
沙季の話によると、俺がタイムリープしているのは星見市の流れ星に願いを叶えてもらったかららしい。だけど、その願いを叶えてもらえるのは一度っきりだと聞いた。どの世界線でもそれは変わらないと。
つまり俺の願いはもう叶えることはできない。だから俺が帰る方法は。
「……麻奈、これから俺は最悪の頼みごとをするかもしれない。聞いてくれるか?」
「ううん、聞かない。聞いてあげない」
「……」
麻奈はそう言うと、すたっと立ち上がり、高台の手すりに身を預ける。背を向けたその姿からは表情は見えなかった。
「でも、大丈夫だよ。牧野くんの願いは、まだ一度も叶ってないから」
「え……?」
思わず声が漏れる。俺の願いは最初のあの日、この場所で麻奈が生きている星見プロダクションが見たいと願ったときに叶えられたはずだ。だからこそタイムリープしたはずなんだ。
「牧野くんは不思議に思わなかった? 私が生きている星見プロダクションが見たいと願ったにも関わらず、なんで揃った場所から始まらなかったのかって」
「あ……」
……確かにそうだ。星見市の流れ星は願いを叶える。俺が麻奈が生きている星見プロダクションが見たいと願ったならその場所から始まるのが正しい叶え方だ。それに一度目の世界はどうだっただろうか。あの世界では結局、俺の願いは叶っていなかったじゃないか。
「牧野くん、クイズです。じゃあ最初の願いは誰の願いだったでしょうか?」
麻奈はくるりと振り返ると、いつもの明るい口調で俺に向かってそう問いかけてきた。
……俺がタイムリープしたのは間違いない。そしてタイムリープした場所は、麻奈が死ぬ直前だった。三年前のNEXTVENUSグランプリ直前のあの場所に戻ったからこそ、麻奈は生きることができた。
もしかして……。
「麻奈の願い……だったのか?」
「正解です! 星見市の流れ星は死んじゃった人の願いも叶えてくれるみたいだね。私も驚いちゃった」
麻奈は懐かしむように目を細める。というか、その態度って。
「……もしかして麻奈、なのか?」
話す前から俺が別の世界から来た事を知っているかのような態度、タイムリープが始まったときの話。それらを踏まえると、ある疑念が俺の中に浮かんだ。もしかすると今、目の前にいる麻奈は俺が元居た世界の麻奈かもしれない、と。
「……ふふ、久しぶり。牧野くん」
俺の言葉に応えるように麻奈はそっと微笑んだ。
「私もね。最近になってようやく思い出したんだ。死んじゃってた影響かな。少しずつ記憶が戻ってきたの」
「……」
「最初は戸惑ったよ。だってこの世界で生きた記憶と、死んじゃったときの記憶の二つの記憶があったんだもん。びっくりだよね。でも牧野くんの話でやっと確信が得られた」
麻奈は笑っていた。どこまでも明るく。
「私は牧野くんと生きていた世界の長瀬麻奈だよ。だから大丈夫。私の願いは、"今の牧野くんと一緒に生きていたい"だから。牧野くんが戻れば私も戻れるよ。……体までは戻らないと思うけど」
そうなったらこうやって触れられなくなるなぁって麻奈はおちゃらけた様子で呟く。俺の手が麻奈に取られる。
「でも仕方ないよ。私はもう死んでいる。だから……」
「……麻奈はやっぱり嘘つきだ」
「え……」
小さな嘘はいっぱいつくけど、大きな嘘はつかないと思っていた。だけど、違ったらしい。
「麻奈、今の君は俺が生きた世界の麻奈じゃない。この世界の麻奈だ」
「ち、違うよ! 私は牧野くんと同じ世界の」
「じゃあ麻奈。麻奈は死んだあと、どうなった?」
「ど、どうなった……? 死んじゃったらそれで終わりじゃないの……?」
「俺の世界の麻奈は亡くなった後、幽霊になったんだよ」
「……え?」
「正確には死霊になるのかな。強い未練があって、俺に憑いていたんだ」
麻奈は目を丸くして驚く。麻奈に取られていた手がいつの間にか離されていた。
「麻奈が俺の事情を知っていた理由ってこれだろ?」
持ってきていた鞄から大学ノートを取り出す。未来のことを記したノートだ。そして。
「最初のページが欠けているんだ。俺がタイムリープしたときのことを書き記したページが」
「っ……!」
俺の不注意ではあるが、俺の鞄さえ手に取ることができればノートはいつでも見ることができていた。それに麻奈はずっと俺の側に寄る機会があった。つい気になって手に取っていてもおかしくはない。
麻奈はバツが悪そうな表情を浮かべ、目を逸らす。……正解みたいだな。
「……ごめんなさい。破るつもりはなかったの。ただ丁度物音がしたから焦ってしまって……」
そう言って麻奈はそのページを取り出す。俺がタイムリープのことを書き記した最初のページだ。
「なぁ麻奈」
俺が声を掛けても麻奈は頭を下げたままだった。大方、怒られるんじゃないかって思っているんだろうな。でも、逆だ。
「ありがとう。麻奈は俺が帰りやすいようにしてくれていたんだろ?」
「…………うん」
長い沈黙の後、麻奈は静かに頷いた。
「麻奈は俺がタイムリープしたことを知って、そしてそのページからその願いが俺の願いじゃなくて、別の世界の自分自身の願いだと気づいた。だけど、俺の事だからこの世界の自分自身を思って心残りを残してしまうかもしれない。だから俺に嘘を吐いた」
「……ふふ、すごいね牧野くん。ばっちりだ」
「七年くらいか? もうずっと長いこと麻奈と一緒に生きてきたからな」
「七年? あ、そっか。幽霊となった私も含めるとそれくらいになるんだね。……じゃあもう私の想いも知られちゃってるのかな?」
「あぁ知ってるよ。麻奈の気持ちはしっかり受け取った」
「そっか。知ってたかー。じゃあもう隠さなくていいね」
そう言うと、麻奈はたっと駆け俺に抱き着いてきた。春風のような優しい香りがふわりと舞う。同時に麻奈の温かい体温が直に伝わってくる。
「牧野くん、大好き」
「俺もだよ。麻奈」
「え?」
言葉と同時に、俺も麻奈の背に手を回す。驚いた声が上がった。なんだ気づいていなかったのか。
「あれだけ素直に好意をぶつけられて、好きにならないはずがないだろ?」
「……気づいていたなら言ってよ、バカ。……でも」
麻奈は先ほどよりも強く俺を抱きしめた。でも不思議と痛くない。ただ麻奈の温かさだけが伝わってきた。
「嬉しい」
表情は見えないけど、きっと幸せそうに笑っているんだろうなって思った。だって、こんなにも心地よいのだから。
いつまで抱き合っていただろうか。お互いに手が離れ、顔が見える距離になる。心なしか麻奈の顔が赤い。でも満足げな表情だった。
「ねぇ牧野くん」
「うん?」
「やっぱり帰っちゃう?」
「……あぁ。俺も麻奈と一緒に居たい。ずっと居たいよ。でも、みんなを残してきているんだ。俺がいつまでも離れるわけにはいかない」
「そっか。でも牧野くんらしいや。そんな牧野くんだから好きになったんだから」
「……そうだったのか」
「あれ、照れてる? ふふ、いいもの見れた。……でも勿体ないなぁもっとその表情見たかったのに」
「俺が帰っても、この世界の俺がいるんじゃないか?」
「そうなの? だとすると……もしかして私、浮気しちゃった?」
「それを言ったら俺もだな……」
「私たちイケない関係だったんだ……。絶対、内緒だよ牧野くん」
「墓場まで持っていくよ」
「墓場に持っていったら私がいるんじゃないの?」
「ブラックジョーク過ぎないか……」
思わずつぶやくと、麻奈はふふと朗らかに笑みを浮かべた。
「さて、牧野くん。忘れ物はない?」
「旅行に来たわけじゃないんだから」
「旅行だよ。牧野くんは私が生きている世界に旅行に来たの」
「……まぁそう言えなくもないか?」
麻奈が言っていることはともかく、この世界に持ち込んだものと言えば今もポケットに入っているこのスマートフォンくらいだ。忘れ物はない。
「うん、大丈夫だ」
「そっか。じゃあ牧野くんには旅行のお土産を渡さないとね」
「お土産?」
「うん、これ」
そう言って麻奈は三冊の小さな日記を取り出す。水色の可愛らしい装丁だ。
「……それって」
「私の日記だよ」
麻奈がアイドルになって欠かさず……いや欠けているところもあったけど、まぁよく書いていた日記だ。確か一年で一冊だったはず。それが三冊あるということは。
「麻奈が生きてからの三年間の日記……」
「そうだね。……書いてない日があるけどそこは見逃してね」
「それは構わないが……いいのか?」
「うん、今の牧野くんが持っておくべきものだと思ったから」
「……わかった」
麻奈からその三冊の日記を受け取る。三冊もあればさすがに重さを感じる。でもそれだけ麻奈が生きた証だ。俺は大切にそれを抱え込む。
ふと、夜空を見上げると、遠くの空に星が煌めいていた。こんな澄み切った夜空なら流れ星の一つ、いつでも流れてもおかしくはないだろう。
「牧野くん、ちゃんと帰ってね。変なお願い事したらダメだよ」
「わかってるよ」
「牧野くん、私は牧野くんといれて楽しかった」
「うん、俺もだよ」
「牧野くん、今日のみんなとのライブも楽しかったよ」
「そうだな。最高のライブだった」
「牧野くん」
「うん」
「まきのくん……」
麻奈の目に涙が滲む。声も徐々に弱弱しく揺らいでいた。
今すぐにでも麻奈を抱きしめたい。大丈夫、傍に居るからって言ってあげたい。でもそうする資格はもう俺にはない。
「……ごめん、ね。えがおで送り出すつもり、だったのに……。涙がとまらないや……」
「麻奈……」
この世界の存在ではない俺に、麻奈が期待する言葉は掛けられない。それでも、麻奈の涙を止めてあげたくて、俺は言葉を紡いだ。
「この瞳が覚えている」
「っ!」
"星の海の記憶"。我ながら下手くそな歌声だ。でも、俺はあの時にこの歌が涙を抑えてくれたから。俺もそれを麻奈に返したい。
「いつから 見慣れた景色
隙間みたい なんだろうね 足りない」
「……ぷふっ、へたくそ」
麻奈の言葉にむっとしてしまう。仕方ないだろ。俺は麻奈たちみたいにボイトレもしていないんだから。……まぁでも少しでも笑顔を浮かべてくれたからよしかな。
「……続き歌わないの?」
「いるか?」
「うん、要るよ。絶対」
そう言われるんだったら仕方ないな。
「遠くに聞こえたはずのその声を
探してるんだ」
麻奈は目元の涙を拭い、楽しそうに笑みを浮かべていた。そんな麻奈の姿を見ていると俺も益々気合が入ってくる。
「夜は暗い だから
寄り添いたくって 空を見るんだ」
Under the same sky。麻奈がそっと口ずさむ。それを目に、俺は勢いのまま歌を響かせる。
「「同じ輝きの下で
つながれば良いなと 心から」」
気が付くと俺の歌声に合わせて、麻奈も歌い出していた。やっぱり聴くだけじゃ我慢しきれなかったんだろう。じゃあ、ここからは一緒に歌い切ろう麻奈!
「「星の海が流れていく
想いと願いをみんな連れて
季節めぐり また会えたときは
笑顔がもっと光るように」」
「「笑顔でずっといられるように」」
「牧野くん、私はこの三年間幸せだったよ」
「俺も幸せだった。色々と振り回されて大変だったけど、最高に楽しかったな」
「好きな女の子に振り回されているんだから男冥利に尽きるでしょ」
「女の子側が言うセリフかそれ?」
「ふふふ!」
「ははは!」
二人して笑い合う。いつの間にか星は降ったようで、徐々に俺の体は薄く消え始めていた。
「じゃあね牧野くん! 今までありがとう! さようなら!」
「こっちこそありがとう! じゃあな麻奈!」
麻奈に合わせて俺も手を振る。大きく、麻奈に見えるように、ずっと手を振り続けた。
最後に見えた麻奈の姿は、何よりも眩しく、そして優しい笑みを浮かべていた。
「……行っちゃった」
私の目の前で牧野くんは白い光になってそっと消えていった。この世界の牧野くんが消えるわけじゃない。それはわかっているけど、やっぱり今まで一緒に居た彼がいなくなるのは寂しい。
「泣いちゃダメだぞ麻奈。牧野くんに怒られちゃう」
頬をパチンと叩き、気持ちを切り替える。思い返せば今日は琴乃たちと一緒のライブもあったんだ。体も疲れているし、帰ってゆっくり休もう。そう思い、踵を返そうとして。
「あれ?」
牧野くんが立っていた場所に、何かが落ちていることに気が付く。黒いビジネスバッグ。これは牧野くんが使っていた鞄だ。
「忘れ物しないでって言ったのに……」
でも、どこか抜けているのも牧野くんらしい。小さく笑みを浮かべ、それを拾い上げる。中には一冊のノートが入っていた。
「これ……」
牧野くんが書いていたノートだ。タイムリープのことや、琴乃たちの様子が書いていた記憶がある。
「最初のページだけ見て、あんまり見れてなかったんだよね」
そういえば千切ってしまったページも渡せず仕舞いだった。最初のページを元に戻しておき、ページを進める。
「ほー。なるほど……」
次のページは私が生きたことによって、運命の歯車が狂ってしまったことが書かれていた。麻奈が生きたことで、変わった世界のことも。
「あっ!」
更にページをめくる。そこは琴乃のページだった。長瀬琴乃、麻奈が最後に残した"song for you"をNEXTVENUSグランプリの決勝で歌うためにアイドルを目指す。当初はソロを希望していたものの、寮生活を通して……。
「これって。牧野くんの世界の……!」
ページを捲っていくと月のテンペストとサニーピースのメンバー全員のページがそれぞれあった。それだけじゃない、LizNoir、TRINITYAiLE、ⅢⅩの分もある。
「そっか……。牧野くんの世界ではこうなっていたんだね」
なぜかライバルであるはずのリズノワや、バンプロのトリエル、現BIG4のスリクスが星見プロ入りしている様子を見て苦笑を浮かべつつ、一つ一つページを捲っていく。そこには当然、私のページもあった。
「あの日死んじゃってたんだ。そりゃ幽霊となって出てくるよ」
十二月二十五日。世間ではクリスマスで、NEXTVENUSグランプリの決勝の日で、琴乃の誕生日。後悔することはたくさんある。牧野くんとの約束だって果たせてないし。
「あぁでもだから、
んー、と考えてみると、すぐに思い至る節があった。というか、私の事だからすぐにわかった。
「"牧野くんと一緒に生きていたい"か。……嘘で言った言葉と全く同じ言葉だったんだ。うーん、どの世界でも変わらないんだなー私」
きっと、その願いが叶った時、私自身が生きてなかったから、代わりに牧野くんが過去に飛ばされてしまったんだろう。今の私と一緒に生きていけるように。
「一緒に生きたよ麻奈。私は幸せだった」
私なら今頃怒っているだろう。私が一緒に居たかったのに! なんて駄々こねているころのはずだ。ごめんね私。でもその代わり、生きた証はちゃんとそっちに渡しておいたから。
「私はここで祈っておくから。あなたは見守ってあげて。牧野くんの未来を」
両手を絡ませ、頭を下げる。彼の生きている世界に届くように、目を閉じる。
「牧野くんがずっと幸せでありますように」
祈りを捧げる。夜空に流れる星はもう輝かない。でもそれでいい。願い事とはそういうものだ。
夜風が空へと吹き溢れ、月明かりが未来をそっと照らし出す。
遠くの空で、小さな星がきらりと瞬いた。