情報をまとめているうちにいつの間にか外が暗くなっていた。三枝さんもすでに帰ってしまっていたため、事務所の消灯と鍵を閉め、外へ出る。
「……っと、こっちじゃなかったか」
つい駅までの道を進んでいた。とっさに引き返し、星見寮の方角へ足を移す。星見寮はつい先日整備と家具等の配置が済んだばかりで、ようやく人が住めるようになった状態だ。合格者……沙季たちにもすでにここに住んでもらう旨の連絡は送り、二、三日後には彼女たちが星見寮に引っ越してくる手はずになっている。
以前の俺はみんなよりも遅れて引っ越すことになっていたが、今回は早めに引っ越しを済ませ一足先にここに住むことになった。なので今は俺一人でこの寮を使うことになっている。
「と言っても物置小屋だけどな」
ベッドもない小さな部屋に苦笑いを零し、小さな丸テーブルにコンビニで買ってきた晩御飯を置く。星見寮に来るのは久しぶりでちょっとだけ楽しみにしていたんだけども、いざ一人で来ると寂しさの方が上回ってしまう。
「……前は近くを飛んでいたアイドルがいたからなぁ」
麻奈はあんな性格だから、話しても話さなくてもずっと軽口を叩いてくるから寂しくなることなんて一度もなかった。離れたからこそ、あの軽口に救われていたんだなぁと常々思う。
「っと、言った側からか」
スマートフォンに着信が入る。電話元は麻奈だった。
「もしもし?どうした?」
『ワタシワタシ、ワタシだけど、最近どう?』
「別にどうともないが……というか麻奈、ワタシワタシってなんだよ。新手の詐欺か何かか?」
『ダメだよ牧野くん。こういうときは名前を先に言ったら負けなんだから。誰ですか? ってちゃんと聞かないと』
「誰ですか」
『担当アイドルの名前を忘れるなんて……酷い!』
「理不尽すぎるだろ……」
苦笑いが零れる。こういうやり取りも麻奈とはずっとしていたなと懐かしくなる。
「それで、どうしたんだ? 何かあったのか?」
『ううん、こっちは大丈夫。言葉が通じないのがちょっとだけ大変だけど元気にやってるよ。それよりも牧野くん。お仕事の成果報告をお願いしたいです』
「なんで俺が……」
『だって私だけいっつも報告しているのに牧野くんは教えてくれないのはずるいよ! 私だけが損しているじゃん!』
「損も得もないんだけど……」
『いいから! ほらほら!』
麻奈から急かされる。沙季たちの事務所への挨拶はすで終わっているが、現在海外にいる麻奈への挨拶や紹介は当然まだできていない。麻奈からしてみれば新しく入ってきた後輩たちの様子が気になって仕方がないんだろうな。
「麻奈が聞きたいのはオーディションのことだろうけど、現状四人、星見プロに入ることになったよ」
『おぉー!! 四人!!』
「うん、ただメンバーはもうちょっと増えると思う。麻奈が帰ってきたら紹介させてくれ」
『うん! 楽しみにしてる! それで牧野くん、ずばり採用の決め手は!?』
「……オーディションのときにもいくつか見せてもらったがそれぞれ光るところがある。伸ばしていけばすごいアイドルになっていくだろうな。まぁ今は寮にも引っ越せてないし、そこからが本番だよ」
『なるほどなるほど。って寮? もしかしてみんなで寮生活なの?」
「あれ、言ってなかったか? 今回のオーディションで採用する子たちはみんな同じ寮で生活することになってる」
『えーいいなぁ! 私もみんなと一緒に寮に住みたいよー!』
電話越しに大きな声が漏れ出す。そんな様子に俺も思わず笑みが零れる。
「麻奈がいるとみんな萎縮しちゃうだろ?」
『えーそんなことないよー。よく誰とでも仲良くなれそうって言われるもん』
「今の年齢と立場を考えてくれよ」
『新人アイドル長瀬麻奈、十七歳です!』
「はいはい」
『むー。……でも寮生活かー、いいなぁ。一緒に朝ごはん食べて、のんびりと過ごして、一緒にお昼寝して、いっぱい遊んで、夜遅くにガールズトークして……青春だねぇ』
ぐうたら生活の間違いだろう。その言葉は必死に抑え込んだ。
「それに麻奈、寮に住むってなったらこ……妹さんにも会えなくなるぞ。いいのか?」
『それは嫌! せっかく少しお喋りできるようになったのに、話せなくなるのは困るよ!』
嫌、か。琴乃も麻奈のことを大切に想っていたように、麻奈も琴乃のことを大切に想っているのだろうな。
「ん? 妹さんと喋れるようになったのか?」
麻奈がアイドルになってしまったせいで一緒に過ごす時間が減ってしまって、それで麻奈と喧嘩してしまったことは俺も知っている。正面から話す事はほとんどなく、ドアごしの一方通行での会話だったとも。それが変わったのだろうか。
『うん、最近になってちょっとだけね。学校でこういうことがあったとか、今やっていることとか、休みの日とかにちょっとだけ話してくれるんだ。大げさに反応すると拗ねちゃうし、すぐに部屋に戻っちゃうんだけどね』
麻奈の困ったような顔が脳裏に浮かぶ。あのときより三年の年月が経つ。麻奈が生きていれば溝も少しは埋まっていてもおかしくはないのか。
「そっか……」
『何? もしかして琴乃のこと狙ってる? 牧野くんには上げません』
「そんなわけは」
すぐに否定しようとして、ある考えが頭に浮かんだ。琴乃は麻奈が生きていたから面接には来なかった。だけど、彼女のアイドルに対する想いは俺も良く知っている。ならアイドル自体に興味を持っていてもおかしくはない。
『え、なんで止めるの? もしかして本気?』
「麻奈」
『ダメだよ! それに牧野くんには、そ、その、私が……』
「琴乃ってアイドルに興味はないのか?」
『へ? アイドル?』
麻奈は素っ頓狂な声を漏らした後、あーそっちかーと言葉を続ける。
『んー、どうなんだろ。私から聞いたことはないなー。あんまりいい印象持ってないだろうし……。それにしてもどうしてそんなことを聞くの? 琴乃をスカウトする気?』
電話越しの声がシリアスな音色を含む。大切な妹の将来のことだ。麻奈も真剣にはなる。
「……グループはまだ決まったわけじゃないからな。もし興味を持っていたら話を聞きたいと思って」
『ふーん? ……でもそうだね。琴乃がアイドルになってくれてアイドルを好きになってくれたら私も嬉しいかな。今度電話するときに聞いてみるね』
「ありがとう」
『ううん、これくらいならお安い御用だよ』
麻奈はそう言った後、ちょっとだけトーンを落とし、言葉を続けた。
『牧野くん、三枝さんに聞いたんだけど、アイドルのグループ作りって大変なんでしょ? いつでも相談に乗るから辛くなる前に頼ってね』
「麻奈……」
その言葉に心配されていたと今気づいた。この電話も俺を心配してくれてのものだったのだろう。……マネージャーの俺が気遣ってもらってどうするんだ。
「ありがとう。何かあったら頼らせてくれ」
『うん。私にできることがあったらなんでも』
それから雑談をして、麻奈とは通話を切った。再び静かな空間が部屋に流れる。
だけど、少しだけ心が晴れたような気がした。