翌日、今日は祝日で、みんなも学校は休みだ。外は日差しが暖かく、雲一つない晴天。あの日彼女たちに出会ったのもこんな天気だった。
鏡を見て身なりを整える。スカウトは久々だが緊張はしていない。むしろ彼女なら靡いてくれるだろうという根拠のない自信だけあった。
ネクタイをきちっと締め鏡の前で一つ頷く。それから俺は寮を後にした。向かう先は一つ。スーパーTAKEMIYAとそれを見下ろせるあの坂道だ。
早坂芽衣、彼女に出会ったのは勾配の強いこの坂道で麻奈と話しているときだった。塀の上から芽衣に声かけられ、いきなり飛び込んできた。印象的だったからよく覚えている。
塀の上に芽衣がいたのはここからだと怜がダンスが見えるからで、芽衣はその光景に憧れを持っていたようだ。すごいなー、と目を輝かせて話していた記憶がある。
「とはいっても毎日いるわけではないよな……」
そんな彼女をスカウトしに来たわけだが、改めて考えると芽衣が毎日ここで怜の練習を見ているという保障はない。怜も毎日練習していたかどうか不明だし、事前情報が明らかに足りていない。
「いなかったらまた来れば……」
そんなことを呟きつつ塀の上を見る。コンクリートの塀と緑の間に茶髪の少女がしゃがみ込み、笑顔で猫を撫でている姿があった。
「いた」
芽衣らしいというかなんというか、変わらずそこにいたことに思わず笑みが零れる。芽衣も俺の姿に気づいたようで、赤い瞳を俺と合わせ、不思議そうな表情を浮かべていた。
「えっと芽衣に何か用かな?」
「うん、ちょっとだけ話いいかな?」
「わかった! 今からそっち行くから受け止めてねー!」
芽衣はその言葉に立ち上がると、いっくよー! と言葉を続け、勢いよく駆け出す。これも二回目だ。受け止める準備はすぐに出来た。
「そぉーれっ!」
高く跳んだ彼女の体を両腕で受け止める。視線を下げると彼女の無邪気な笑顔が目の前にあった。
「危ないぞ」
「えへへ、ごめんね。でもちゃんと受け止めてくれたよね! なんだか慣れてた!」
「そ、そうか?」
「うん! もしかしてもう経験済みだった?」
「そ、そんなことはないぞ?」
ふーん? と見透かしたような表情を向けられ、思わず視線を外す。芽衣は直感が優れている。疑われないようにうまく誤魔化すしかない。
「まぁいいや! それで芽衣に何の用事?」
俺の腕から飛び上がるように立ち上がり、芽衣は告げる。そうだったそれを話にきたんだ。
俺は表情を改めると、できるだけあの時と同じように振舞う。俺のせいで未来が変わっている可能性があるのなら、せめてスカウトのときはあの時と同じように振舞うべきだと思ったから。
……演技は得意ではないけど、この時のために練習はしてきた。それほどずれてはいないはずだ。
「――アイドルに興味はないですか?」
「……?」
「……えっと」
すぐに返事が来るものだと思っていたけど、芽衣はきょとんした表情を向けるだけだった。このパターンは考えていなかった。俺もどう言葉を繋げればいいか迷って言葉に詰まる。
「あ、ごめんね! アイドルかぁ。楽しそうだよね! やりたい! でも……」
芽衣は言いづらいことがあるようにこちらをちらちらと見上げる。何か悩ませるようなことをしてしまったのだろうか。
「どうしたんだ? 何かあれば言ってほしいけど……」
芽衣はその言葉に更に悩んだ様子を見せた後、意を決したように口を開いた。
「えっと、えっとね。悪いことじゃないんだよ! 悪い事じゃないんだけど……なんか怖いなぁって」
「怖い?」
「あ、違うよ! 顔が怖いとかそういうことじゃなくて、アイドルに楽しそうだと思ったのもほんとだよ! でも、そのなんとなーく難しそうだなぁって……」
俺の顔じゃなくて、アイドルのことじゃなくて、怖くて難しい。何のことを言われているのかわからなかった。
「えっと……どういうことだ?」
「その、別にあなたが悪いとかそういったことじゃなくて……。その……考え方?」
結局何のことかわからずに芽衣に尋ねると、芽衣は言葉を選ぶようにそう口にした。
……考え方が怖い。そんなこと言われたのは始めてだ。未来の芽衣にもそんなこと言われたことはない。だとすればなんで……。
「えっと……あ! 芽衣この後用事があって……ごめんね! そろそろ行くね!」
気まずくなった空気から逃れるように芽衣は坂道を駆け上がっていく。俺はそれを見て咄嗟に声が出た。
「芽衣!」
俺の声が聞こえたのか、芽衣は申し訳なそうにこちらを振り向く。そして、お別れを告げるかのように手を振った。
思わず呆然としてしまった俺の耳に、鴉の鳴き声が響いた。
「どうしてだ……」
結局その日は怜には会えなかった。でも会ってもこんな気分ではまともにスカウトができなかっただろうし、会えなかったことは逆に良かったのかもしれない。
「……」
芽衣をスカウトできなかった原因はいくつか考えてみた。最初から馴れ馴れしくしてしまったのがよくなかったとか、芽衣を受け止めた時に以前の受け止めた経験があるのを気づかせてしまったのが悪かったのかとか、麻奈と一緒じゃなかったからダメだったのかとか、思いつく限り色んな要素を考えてみた。でも、結局のところ原因はわからなかった。あれだけ一緒に居たのにその理由さえ気づけないなんて、マネージャーとして失格だ。
「……今日はもう帰ろう」
気を取り直そうと事務所に来たのはいいものの、仕事に取り掛かる気さえ起きなかった。これじゃ何のために事務所に来たのかわからない。思わずため息が零れる。
「お疲れみたいね」
「遙子さん……」
ことんと机に茶器が置かれる。見上げると琥珀色の瞳と目があった。窓から入り込んだ風が黒いセミロングの髪をふわりと揺らしていた。
「ありがとうございます」
「牧野君、大変なのはわかっているけど、頑張りすぎないようにね」
彼女は心配げな表情でそんな言葉を俺に向ける。遙子さんには心配掛けてばかりで本当に申し訳ない。本来ならばマネージャーの俺が引っ張らないといけない立場なのに。
「すみません……。でもこれが俺の仕事なので」
「そっか。牧野君は立派だね」
「そんなことないですよ。俺はダメダメです」
現に芽衣のスカウトさえ失敗した。琴乃、渚、さくらのことも俺自身が至らなかったから起きてしまった出来事だ。もっと俺がしっかりする必要がある。
「自信を持って。牧野君はあの麻奈ちゃんを育てたマネージャーなんだから」
「……麻奈は俺が育てたというか勝手に育っていったようなものですから」
「そんなことないと思うけどなぁ」
そう言って遙子さんは遠い目で窓の外を覗く。遙子さんは麻奈と一番長くアイドルとして近くにいたから麻奈の事も良く知っているのだろう。それでも俺が育てたとは思わないけど。
一口お茶を啜る。茶葉の奥行きが感じられる苦みと甘みの塩梅の利いたお茶だ。自分が淹れたものだとこううまくできない。遙子さんだからこそできることなのだろう。
そういえばこのお茶も遙子さんがサニーピースに入って忙しくなってから、しばらく飲めなくなっていた。それは少しだけ寂しかったけど、遙子さんの成長を感じられて嬉しくも感じられた部分だ。
……今は遙子さんと二人っきり。この話をするのもいいタイミングかもしれない。
「それよりも遙子さん。今お話いいですか?」
「お話? あぁお仕事の話の事ね。今は大丈夫よ。今日は夜からお仕事だから」
「ありがとうございます。……実は遙子さんにはグループを組んでもらいたいと考えていまして」
「……グループ?」
「はい。星見プロダクションが現在新人アイドルを集め、新しいグループを作ろうとしているのは遙子さんもご存じだと思います」
「うん、知っているわ。オーディションもやってたわよね」
「はい、それです。その新人グループなのですが、現状二組のグループを作ろうと考えています。そのうちの一グループに遙子さんも加わっていただきたいと思っています」
経緯は違うが、以前も遙子さんにはサニーピースに加わってもらうつもりで計画を立てていた。つい伝えるのを忘れていて心配を掛けさせてしまったけど、遙子さんもそれに乗り気だったはずだ。
「…………それはどうして?」
そう思い返しながら待っていた遙子さんの返事は肯定ではなかった。むしろ考え込むように何かを含んだような声だ。思っていたものと違う。
「……遙子さんが加わるグループはみんなで手を取り合ってみんなで歩んでいくグループを想定しています。遙子さんにはそんな彼女らをまとめていってほしい、そして一緒に輝いてほしいとそう思ったからです」
「みんなで……」
遙子さんはその言葉に引っ掛かりを覚えたのかようで顔に影を落とす。やがて何かを決意した様に俺と目を合わせた。
「牧野君、それは私が一人じゃダメだからかな?」
「そんなことは……」
「私も確かにまだまだだと思うよ。麻奈ちゃんには遠く離されたままだし、VENUSプログラムの順位だってまだまだ。だけどね、デビューしてからちょっとずつ進んできてファンもちょっとずつ増えてきて、小さいステージだけど満席になるくらい頑張ってきた。一人で立つ私を応援してくれるってファンに言われたこともあるの」
「……あ」
遙子さんが語ったこと。それは俺が過去に戻ってからの三年間の間にやってきたことだった。遙子さんにはアイドルとしての魅力がある、それはサニーピースの人気が証明していた通りだ。だからこそ、その魅力を知っている俺が未来の知識を使って彼女に仕事が来るように各地に働きかけ、そして遙子さんがそれに応えたから、佐伯遙子はソロアイドルとしてもやっていけるほどまで成長した。
だけどそれはあの時と違う大きな差異だ。
あの時の遙子さんは一人でのアイドル活動に限界を迎えていたから、グループ活動に切り替えるのも苦に思ってなく、グループに移籍することを快く受け入れてくれた。
でも今は一人でやっていけている。彼女はソロに限界を迎えていない。
「牧野君には感謝しているよ。地味な私をここまで立派にしてくれた恩があるから。だけど……ううん、だからこそ私も立派にならないといけないって思ってる。その恩を返すために。佐伯遙子として頑張らないとって思ってる」
真っ直ぐなその言葉と、自信がついたその姿は喜ぶべきもののはずだ。だけど今の俺にとってはその言葉はサニーピースとしての佐伯遙子との別れの言葉に聞こえた。
「……だから、ごめんね。考えさせて」
「…………はい」
なんとか絞り出してそう答える。遙子さんは申し訳なさそうに頭を下げると、そのまま部屋を後にした。
「どうしてだ……」
望むごとに何かを失っていく。大切なものが次々に手をすり抜けていくようなそんな感覚だった。