俺は兵藤一誠、呪術師だ!   作:朝日

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11:決戦前夜

 

 

 冥界首都、リリス。

 どこまでも続く広大な赤紫色の空の下、その領土の中心にそびえ立つ壮麗な城の最上階。

 四大魔王が一角にして、現在の冥界を統べる頂点の一人、『ルシファー』の称号を受け継いだ男───サーゼクス・ルシファーは、執務室の窓から眼下に広がる冥界の街並みを静かに見下ろしていた。

 

 燃えるような紅髪と、どこか優しげでありながらも深淵を覗き込むような底知れない碧眼。

 その背後で、音もなく空間が歪む。

 転移の魔法陣と共に執務室へと姿を現したのは、銀色の髪を美しく結い上げた一人のメイド。サーゼクスの妻にして、最強の『女王(クイーン)』と謳われるグレイフィア・ルキフグスであった。

 

「───ただいま戻りました、サーゼクス様」

 

「ご苦労だったね、グレイフィア。人間界での話し合いは無事に終わったようで何よりだよ」

 

 窓辺から振り返ったサーゼクスは、魔王としての威厳を纏いながらも、その口元には妻を労うような柔らかい笑みを浮かべていた。

 グレイフィアは深く一礼すると、淡々とした事務的な口調で人間界での出来事を報告し始める。

 

「はい。リアスお嬢様とライザー様の交渉は完全に決裂。魔王サーゼクス様の名において、十日後に両家による非公式レーティングゲームを開催する運びとなりました」

 

「十日後、か。ライザー君も随分と余裕を持たせてくれたものだ。……いや、リアスに潔く現実を受け止めさせるための下準備、と言うべきかな」

 

 サーゼクスは執務机に腰を下ろすと、手元にあった書類に視線を落としながら小さく息を吐いた。

 純血の悪魔の減少が著しい現悪魔社会において、フェニックス家とグレモリー家の結びつきは政治的にも大きな意味を持つ。だが、サーゼクスにとってリアスは、何よりも大切な愛すべき妹だ。彼女が望まぬ婚姻に縛られることを、兄として手放しで喜べるはずもなかった。

 だからこそ、今回のレーティングゲームによる決着という逃げ道を、魔王の権限をギリギリまで行使して用意したのだ。

 

「……それで? 君の目から見て、リアスは彼に勝てると思うかい?」

 

 不意に。

 魔王としての仮面を外し、ただの心配性な『兄』としての顔を覗かせたサーゼクスが、グレイフィアへと問いを投げかけた。

 主からの問いかけに対し、グレイフィアは一切の忖度を含まない、冷徹なまでの事実のみを言葉にする。

 

「……リアスお嬢様とその眷属だけであれば。ライザー様の眷属たちを相手に善戦することは可能でしょう。個々の潜在能力においては、お嬢様の眷属たちの方が勝っている部分も多々見受けられます」

 

 そこまで語った後、グレイフィアはほんの僅かに目を伏せた。

 

「ですが……大将であるライザー様本人の、フェニックスの代名詞とも言えるあの再生能力を打ち破るのは至難の業かと存じます。今のリアスお嬢様たちの力では、ライザー様の魔力が尽きるよりも先に、お嬢様たちの魔力が削り切られて全滅するのは明白です」

 

 フルメンバーの十五人と、たった五人の未完成なチーム。

 加えて、相手はどれほどダメージを与えても一瞬で回復する理不尽な能力を兼ね備えている。戦略も戦術も、全てをライザー・フェニックスという『個』の力の差で踏み潰される。それが、グレイフィアが下したリアス(義妹)への客観的な評価だった。

 

「……ふふっ」

 

 しかし。その絶望的な報告を聞いたサーゼクスは、何故かひどく楽しげに、喉の奥で笑い声を漏らした。

 

「サーゼクス様?」

 

「いや。君のことだから、もっと冷酷に、リアスお嬢様には万に一つも勝ち目はありません、と断言すると思っていたからね」

 

 サーゼクスは机に肘を突き、両手で顎を支えながら、どこか含みのある笑みを浮かべてグレイフィアを見つめた。

 

「君は先程、リアスとその眷属だけであればと言ったね。……それはつまり、あの場にはそれ以外の不確定要素が存在したということかな?」

 

 無言で続きを促す魔王の眼差し。

 それを受けたグレイフィアの脳裏に、とある一人の少年の姿が鮮明にフラッシュバックした。

 

 ───兵藤一誠。

 

 人間界において、リアス・グレモリーが協力関係を結んだと言う、今はオカルト研究部の一員として共に活動に励んでいる人間の協力者。

 だが、グレイフィアがリアスの独断行動を察知して、いち早く人間界に赴き密かにあの少年と邂逅を果たした際に見たものは、ただの人間という枠組みを遥かに逸脱した異端の力だった。

 

「(……洗練された結界術。そして、私ですら見たことのない『帳』と呼ばれる、空間そのものを外界から切り離す異常な技術)」

 

 あれは、悪魔の魔力でも、天使や堕天使の光力でも、魔術師たちの扱う魔術でもない。

 人間の負の感情から澱のように生み出されるエネルギーを呪力と呼び、それを己の力として行使する異端の術師。

 過去に歴史の裏側で繁栄していたとされ、現代においてはとうの昔に廃れたはずの『呪術師』の末裔───それが、兵藤一誠という少年の正体だった。

 

 グレイフィアは、自身のメイド服に包まれた『右腕』を、左手でそっと擦った。

 今は回復の魔術によって傷跡一つ残っていないものの、その腕には、彼と対峙した際に刻まれた痛みの残滓が未だにこびりついている。

 

「(油断していた訳ではありませんでしたが……それでも魔力で強化していた私の防御を、いとも容易く切り刻んでみせたあの斬撃)」

 

 思い出すだけでも肌が粟立つ。

 彼が放った『捌』と呼ばれる斬撃は、対象の構造そのものを解体するような恐るべき一撃だった。本気で殺し合うつもりはグレイフィアになかったとはいえ、あの時、彼がもう一歩踏み込んでいれば、切り落とされていたのは右腕の肉ではなく、更にその先の自分の首だったかもしれない。

 そして何より恐ろしいのは、彼がその異常な呪術の才に加えて───神滅具(ロンギヌス)と呼ばれる、神器の中でも最高峰に位置する、『赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)』を宿しているという事実だった。

 

「……サーゼクス様の仰る通りです」

 

 グレイフィアは右腕から手を離し、主に向かって静かに、だが確かな熱を帯びた声で告げた。

 

「あの場には、過去の遺物とされていた『呪術』を修めた末裔であり、なおかつ当代の赤龍帝でもある少年が、リアスお嬢様の協力者として同席しておりました」

 

「赤龍帝が……?」

 

「はい。彼がリアスお嬢様に力を貸すことになり、それをライザー様ご自身が承諾した以上、このゲームの勝敗は私にも全くの不明瞭なものとなりました」

 

 冥界最強の『女王』であるグレイフィアに、そこまで言わしめるイレギュラーな存在。

 その事実を噛み砕いたサーゼクスは、驚きに数秒だけ目を丸くした後───やがて、堪えきれないといった様子で肩を震わせて笑い始めた。

 

「くっ……ははははっ! これは驚いた。まさか当代の赤龍帝が、我が妹の協力者になっているとは思いもしなかったよ」

 

「……私も、事前にお嬢様から報告を受けていたとは言え、最初に刃を交えた時は我が目を疑いました」

 

「しかも呪術師の末裔とは……リアスも、とんでもないジョーカーを盤上に引き入れたものだ。ライザー君も、まさかただの人間だと思っていた相手が二天龍の一角だとは思いもしなかっただろうね」

 

 サーゼクスはひとしきり笑った後、ふと執務室の窓から見える赤紫色の空へと視線を向けた。

 その瞳には、かつてないほどの期待と、妹への深い慈愛の光が宿っている。

 

「赤龍帝の『赤』と、紅髪の滅殺姫と謳われるリアスの『紅』。……なんとも運命的な出会いじゃないか」

 

 妹の滅びの力と、赤き龍の宿主。

 二つの赤が交わった時、果たして不死鳥の炎はそれに耐えきれるのか。

 

「ああ、待ち遠しいよ。……妹のゲームが、こんなにも楽しみになる日が来るなんてね」

 

 冥界の頂点に君臨する魔王は、十日後に迫った嵐の予感に、心底嬉しそうに微笑むのだった。

 

 

 

 

 

 

 グレモリー家の別荘で行われた十日間の強化合宿も、いよいよ終わりの時を迎えようとしていた。

 

 木場は、その真っ直ぐ過ぎる剣術の隙間に、フェイントを挟みながら相手の隙を誘い、その死角を突くという容赦のない一撃を織り交ぜるようになった。小猫ちゃんは、自らの防御力に任せた単調な突撃を改め、相手の攻撃をいなしてから重い一撃を叩き込むという、柔と剛を兼ね備えた立ち回りを会得した。

 後衛組も同様だ。姫島先輩はより精密な魔力の操作を身につけ、リアス部長は『滅びの力』の瞬発的な火力をさらに一段階引き上げている。そして新入りのアーシアも、遠隔からでも確実に対象を癒やす神器由来の治癒の魔力制御を、この短い期間で見事に自分のものにしていた。

 

 十日前と今とでは、チームとしての総合力は比べ物にならない。

 それぞれが自分の現在地を正確に把握し、その上で十日前の自分よりも確実に強くなったと、確かな手応えと共に明言できるところまで仕上がっている。

 

 あとは、明日の夜に迫った本番で、その成果をライザーたちに叩きつけるだけだ。

 

「(……頭では分かってるんだけどな)」

 

 深夜二時。

 あてがわれた客室のベッドの上で、俺は暗い天井を見つめたまま、小さく寝返りを打った。

 明日の本番に備えて少しでも体力を回復させておくべきだということは、今までの経験則から痛いほど理解している。しかし、合宿の成果に対するある種の昂揚感と、目前に迫った初めてのレーティングゲームという実戦を前に、脳の芯が妙に冴え渡ってしまって、どうにも上手く寝付けないでいた。

 

「(喉も渇いたし、飲み物でも取りに行くか)」

 

 羊を数えるのを諦めて、俺はベッドから静かに身を起こした。

 部屋を出て、別荘の薄暗い廊下を歩き、広々としたキッチンへ向かう。棚から適当なマグカップを取り出し、お湯を沸かして自分用に温かいホットミルクティーを淹れた。

 マグカップから立ち上る甘い香りと湯気に少しだけ息を吐き出し、そのままそれを片手にリビングへと向かった、その時だった。

 

「…………」

 

 灯りの消えた広いリビングルーム。

 その空間を切り取るように設置された巨大なガラス窓の前に、一人の人影が佇んでいた。

 

 月光が、雲の隙間から滑り落ちるようにリビングを照らしている。

 その淡い光を浴びていたのは、銀糸の刺繍が施された薄手のネグリジェ姿のリアス部長だった。彼女は窓枠にそっと手を添え、まるで遠くの何かを探し求めるような、酷く愁いを帯びた眼差しで夜空を見上げている。

 普段の部室で見せるような、自信に満ちた『王』としての威厳はない。そこにあるのは、明日に迫った自らの命運を前に、一人で重圧を抱え込んでいるただの年相応の少女の姿だった。

 

「……そんな薄着だと、体冷えますよ」

 

 俺は足音を立てずに近づくと、手元にあったマグカップをそっと部長の前に差し出した。

 

「イッセー……?」

 

 不意にかけられた声に、部長は僅かに肩を震わせて振り返った。

 俺が差し出したマグカップの湯気を見て、彼女は少しだけきょとんとした後、俺の気遣いを察してくれたのか、ふわりと柔らかな笑みを浮かべて目を細めた。

 

「ありがとう。ちょうど、温かいものが欲しかったところなの」

 

「俺が自分用に淹れたやつの横流しですけどね」

 

 彼女はマグカップを両手で包み込むように受け取ると、その温もりを確かめるように一口だけ口をつけ、小さく頷いた。

 俺はその隣に並び立ち、彼女と同じように窓の外に広がる月夜の森へと視線を向ける。

 

 そこからは、互いに言葉を交わすことなく、ただ静かに夜空を見上げ続ける不思議な時間が続いた。

 森の木々が風に揺れる音と、部長が時折ミルクティーを啜る微かな音だけが、月明かりのリビングに響いている。沈黙は決して気まずいものではなく、むしろ張り詰めた神経をゆっくりと解きほぐしていくような、穏やかな凪のようだった。

 

 やがて、半分ほど中身が減ったマグカップを両手で持ったまま。

 リアス部長が、その静寂をポツリと破った。

 

「……ねぇ、イッセー」

 

「はい」

 

「私、少しだけ怖くなってきたの」

 

 それは、弱音というにはあまりにも静かな、自問自答のような吐露だった。

 

「明日のゲームに勝てないことが怖いんじゃないわ。この十日間、みんなが私を導いてくれたおかげで、絶対に勝てるという手応えは確かにある。……でも」

 

 部長の碧眼が、不安に揺れる。

 

「私の選択は、本当にこれで正しかったのかって。……あの縁談は、純血の悪魔の未来を考えれば、決して間違ったものではなかったわ。私がグレモリーの次期当主という『貴族』である以上、個人の我が儘を押し殺して、あの婚約を粛々と受け入れるべきだったんじゃないかって……そう、思ってしまうの」

 

 貴族としての義務と、一人の少女としての願い。

 魔王の妹として、グレモリー家の令嬢として生きてきた彼女にとって、周囲の期待を裏切り、眷属たちまで戦いの場に引きずり込んでしまったという罪悪感は、想像を絶するものなのだろう。

 

 俺は、窓枠に寄りかかったまま、夜空の月を見上げて口を開いた。

 

「……俺はただの一般家庭で育った人間なんで、正直、上に立つ人間の重圧とか、貴族の義務とかって言われてもよく分からないですけど」

 

 俺はあえて、無責任な慰めの言葉を口にはしなかった。

 

「まぁ、客観的に見れば、部長のその悩みは至極真っ当だと思いますよ。でも、家柄とか種族の存亡とか、そういうでかい規模の話で考えるなら、貴族には貴族の『正しい生き方』ってのがあるんじゃないんですかね」

 

 その、ある意味で彼女の自己否定を肯定するような冷淡な返答に。

 リアス部長の表情が、隠しきれないほどに暗く曇る。マグカップを握る彼女の指先が、微かに白く力みを見せていた。

 

 だが。

 俺はそこで言葉を切ることなく、視線を月から隣の紅髪の少女へと移し、淡々と、そして確かな実感を持って言葉を続けた。

 

「───でも、リアス部長は『悪魔』じゃないですか」

 

「え……?」

 

 予想外の言葉を投げかけられ、部長が目を丸くしてこちらを見上げる。

 

「いつだったか、俺の中の赤い龍も言ってたんですけど……悪魔ってのは、欲に生きて欲に死ぬ種族なんでしょ? だったら、貴族の義務だの何だのと窮屈な理由をつけて自分を殺すより、『私は普通に恋愛がしたい!』って自分の欲に素直に従って生きてる今の部長の方が、よっぽど悪魔として健全だと思いますよ」

 

 正しさなんてものは、立場が変わればいくらでも反転する。

 人間界のルールに縛られず、自分のエゴを貫き通すために足掻く。その姿は、少なくとも俺の目には、誰よりも気高く美しい『悪魔』の姿に映っていた。

 

「欲に従う方が、悪魔として健全……」

 

 俺の言葉を反芻するように呟き、リアス部長は瞠目したまま、やがてハッとしたように小さく息を呑んだ。

 その顔から先程までの重い曇りが消え去り、迷いのない、本来の彼女らしい力強い光が瞳に宿っていくのが分かる。

 

 俺はそんな彼女の顔を見て、少しだけバツが悪くなって頭を掻いた。

 

「なんだか、偉そうに生意気言ってすみません。……でも、これだけは言っておきます」

 

 窓枠から背中を離し、部長の目を真っ直ぐに見据えて、不敵な───それこそ悪魔以上に強気な笑みを浮かべて見せた。

 

「俺は部長の眷属じゃない、ただの外部の協力者です。……けど、一応『オカルト研究部』の一員として今回のゲームに参加させて貰う以上、明日のゲームで部長を負けさせる気なんて毛頭ありませんから」

 

 それは同情でも精神論でもない。

 この十日間で積み上げてきた、確固たる勝算があるからこその宣言。

 

「俺たちなら、絶対に勝てますよ。……だから、部長も最後まで、絶対に勝利を諦めないでくださいね」

 

 そう言葉を残し、俺は彼女に背を向けてリビングの出口へと歩き出す。

 背後から、静かな、けれど確かな決意に満ちた声が響いた。

 

「───もちろんよ」

 

 振り返らなくても分かる。

 そこにはもう、不安に怯える少女ではなく、気高きグレモリーの次期当主たる威厳と、勝利を確信する『王』の笑顔があるはずだ。

 

「……ありがとね、イッセー」

 

 月光の降り注ぐリビングに残されたその優しい声に、俺は背中越しに軽く手を振って応えながら、明日の決戦に向けて今度こそゆっくりと眠りにつくのだった。

 

 

 

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