俺は兵藤一誠、呪術師だ!   作:朝日

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14:急転

 

 

 レーティングゲームの中央に位置していた巨大な体育館は、今や見る影もない瓦礫の山と化していた。

 ライザー陣営の『女王(クイーン)』であるユーベルーナが上空から放った炎の爆撃魔術。その直撃を受けた強固な屋根は一瞬にして蒸発し、分厚いコンクリートの壁は拉げ、コートの床板は原形を留めないほどに粉砕されている。

 

 もうもうと立ち昇る真っ黒な煙と、未だ燻り続ける火の粉。

 その破滅的な残骸の中心で、二つの影が静かに身を起こしていた。

 

「……イッセー、先輩……っ」

 

 瓦礫の中から立ち上がった塔城小猫の、普段は感情をほとんど表に出さないはずの黄金色の瞳が、驚愕と強い自責の念に激しく揺れ動いていた。

 無理もない。彼女の視線の先───唖然とする自身の手を引いて爆炎から庇ってくれた協力者の少年の右腕が、赤黒い鮮血に酷く染まっていたからだ。

 

 咄嗟の判断だった。

 上空からの魔力収束の気配にいち早く勘付いたイッセーが、回避は間に合わないと悟りすぐさま防御結界を展開し、それだけでは防げないと呪力強化した肉体を盾にして小猫を爆風から守ったのだ。

 結果として、『戦車(ルーク)』としての強固な防御力を持つ小猫には擦り傷一つついていない。だが、その代償としてイッセーの右腕は、制服の袖がボロボロに焼け焦げ、皮膚が裂けておびただしい量の血を流していた。

 

「ごめんなさい……私の、せいで。私が避けきれなかったから……っ」

 

 小猫はギリッと唇を噛み締め、震える声で謝罪を口にする。

 しかし、当のイッセーは激痛に顔を歪めるどころか、怪我をしていない左手で首の後ろを掻きながら、全く気にした様子もなく平然と言葉を返した。

 

「何言ってんだよ。小猫ちゃんはあの『戦車』と戦い終わった直後だったし、これはもっと早く気づけたのに油断してた俺の落ち度だって」

 

 血を流しながらも、イッセーは小猫を安心させるように、いつもと変わらない飄々とした笑顔を浮かべてみせた。

 幼少期からこれくらいの痛みは日常茶飯事だったイッセーからしてみれば、右腕一本使い物にならなくなった程度、別段騒ぎ立てるようなことでもなんともなかったからだ。

 

「(……まぁ、それはそれとして)」

 

 イッセーは内心で、だらんと垂れ下がった自身の右腕の感覚を冷静に確かめる。

 神経と筋肉にかなりのダメージが入っているせいか、指先を僅かに動かすのが精一杯なのが現状。

 

「(右腕が使い物にならなくなったことで、術式の行使に多少の不備が生じるのは痛いか)」

 

 イッセーの術式による斬撃、『解』。

 これを放つ際、イッセーは手掌を対象に向けることで、術式の『指向性』と『精度』を定めている。普段使いしている右手による精密なアシストが使えなくなったことで、命中率や威力のコントロールに顕著なブレが生じてしまうのは避けられない事実だった。

 

「(上空を飛び回る敵を、手掌抜きの『解』で撃ち落とす、か。……まぁ、これくらいは丁度いいハンデだろ)」

 

 イッセーは小さく嘆息すると、怪我をしていない左手を伸ばし、自責の念に俯く小猫の白い頭にポンと手を置いた。

 

「イッセー先輩……?」

 

「体育館はこんなんなっちまったけど、逆にこれで視界と動線は確保出来た。……だから小猫ちゃんは、当初の手筈通り、ここから校庭に向かって木場と合流してくれ」

 

「え……」

 

 イッセーの指示に、小猫は目を丸くした。

 

「祐斗先輩と合流って……じゃあ、先輩は?」

 

「俺はここに残るよ。あの『女王(クイーン)』をこのまま野放しってわけにもいかないしな」

 

 その言葉に、小猫は驚愕と共に反論を唱えようとした。

 

「む、無茶です! ただでさえ飛行手段を持たない先輩が、そんな怪我をした状態で相手の『女王』と戦うなんて! 私も残って───」

 

「小猫ちゃん」

 

 静かな、けれど有無を言わさない凄みを持った声が、小猫の言葉を遮った。

 彼女が見上げたイッセーの双眸には、怪我の痛みによる焦りも、虚勢も一切ない。あるのは、この圧倒的に不利な状況下にあってもなお、自らの勝利を微塵も疑っていない確かな勝算の光だった。

 

「っ……」

 

 合宿の十日間で、小猫は兵藤一誠という呪術師の実力を木場と一緒に間近で見てきた。

 彼は決して無謀な特攻はしない。勝てる算段がなければ、一人で残るなどと言い出すはずがないことは、誰よりも小猫自身がよく分かっていた。

 

 小猫は喉元まで出かかったその言葉をグッと呑み込み、イッセーの期待に応えるように力強く頷きを返した。

 

「……分かりました。絶対に、後で追いついて来てくださいね」

 

「ああ、任せとけ」

 

 踵を返し、小猫が旧校舎方面へと瓦礫の中を疾走し始める。

 

 それとほぼ同タイミングだった。

 上空で主であるライザーとの通信を終えたユーベルーナが、煙が晴れつつある地上の惨状を見下ろし、艶やかな唇を冷酷に歪めた。

 

「どうやって生き延びたのかは知りませんけれど……ライザー様の言った通り、赤龍帝の坊やに引導を渡して上げるとしましょうか」

 

 ユーベルーナは手に持った豪奢な魔杖の先端に再び炎の魔力を収束させ始める。

 しかし、その言葉とは裏腹に、彼女狙いは直下にいるイッセーではなかった。

 

「───ですが、そこの『戦車』の子も、予定通りここでリタイアして貰いますわ」

 

 彼女の杖が向けられたのは、背中を見せて走り出していた小猫。

 ライザー陣営の最強の矛として、主の勝利の障害となる駒は全てこの場で消し炭にする。そう決意して、ユーベルーナが魔力を解放しようとした───まさにその瞬間。

 

 バツンッ、と不可視の光芒が宙を奔る。

 

「……え?」

 

 空中で、間の抜けた声が漏れた。

 ユーベルーナは、自身の身に何が起きたのか、一瞬理解できなかった。

 

 杖を握り、小猫に狙いを定めていた彼女の『右腕』。

 その二の腕から肩口にかけての肉が、まるで巨大な見えない獣の爪で抉り取られたように、突如として深く切り裂かれたのだ。

 

「ぐぅっ!?」

 

 数拍遅れて襲いかかってきた激痛。

 鮮血が夜空に舞い、杖を握る力が抜け、ユーベルーナの身体が上空で大きくバランスを崩した。

 

「っ、な、なにが……!?」

 

 傷口を左手で押さえながら、彼女は信じられないものを見る目で眼下を睨みつける。

 魔力による攻撃ではない。飛来物の軌道も見えなかった。何の予備動作もなく、ただ唐突に『斬られた』のだ。

 

「あー……やっぱり左手だとブレるな」

 

 瓦礫の中心。

 ボロボロになった右腕を下げたまま、イッセーがひらひらと左手を振っていた。

 

「本当はその杖ごと腕を斬り落とすつもりだったんだけど、やっぱり右手(こっち)で指向性を定めないと、距離があると上手く狙えねぇや」

 

 イッセーは悪びれる様子もなく頭を掻き、そして上空のユーベルーナを真っ直ぐに見据えて、意趣返しとばかりに凶悪な笑みを浮かべた。

 

「ま、そのまま俺から余所見してくれんなら、簡単に達磨に出来そうだけど……どうする? 『爆弾女王(ボム・クイーン)』さん」

 

 その挑発的な言葉を浴びせられ。

 しかし、ユーベルーナの脳裏に浮かび上がったのは、下等な相手に傷をつけられたという『激怒』の感情ではなかった。

 それらを完全に凌駕するほどの、戦慄にも似た圧倒的な『驚愕』。

 

「(な、なんだったの、今の不可視の一撃は……っ!)」

 

 高度な魔術を修めているユーベルーナだからこそ、理解してしまったのだ。

 先の一撃は、何らかの魔術や魔法の類でも、ましてや魔力を介した特殊な術法ですらなかった。あわや、あの少年の体内に赤龍帝の籠手とは別の二つ目の神器が宿っているのかというあり得ない思考が浮かび上がったが……しかしその考えは、ユーベルーナがこれまでに目にしてきたどの神器の波動とも決定的に異なっていたために即座に否決される。

 

 未知。

 彼女の知る世界の理から完全に外れた、得体の知れない術式。

 

「(……危険だわ。彼は、このまま生かしておいてはいけない)」

 

 ユーベルーナの背筋に、冷たい汗が伝う。

 相手は飛行手段を持たない、片腕を潰されたただの人間。

 しかし、もし彼が扱うあの見えない斬撃のように、他にも何らかの隠し玉を持っているとしたら?

 

「(相手はリアス様が用意した切り札(ジョーカー)……その可能性がないとは断言できないわね)」

 

 ユーベルーナは、逃げていく小猫を追うことを完全に諦めた。

 今、この戦場で最も優先して排除すべきは、グレモリーの眷属ではない。この底知れない不気味な力を持つ、兵藤一誠という人間だ。

 主であるライザーの絶対的な勝利を揺るがすかもしれない芽は、彼の『女王』として仕える自分が、必ずここで摘み取らなければならない。

 

「……いいでしょう」

 

 右肩の傷口から血を滴らせながら。

 ユーベルーナは残された左手で魔杖を構え直し、眼下のイッセーに向けて、これまでに見せたことのない本気の殺意を孕んだ声で宣告した。

 

「小手調べはここまでです。……ここで、あなたを八つ裂きにして差し上げます」

 

 魔力を帯びたその宣戦布告に対し。

 イッセーは片腕を下げたまま、不敵な笑みを崩さずに言葉を返した。

 

「お手柔らかに」

 

 月明かりに照らされた瓦礫の平野。

 未知の力(呪術)を操る人間の少年と、フェニックス眷属最強の『女王』との、死闘の火蓋が切って落とされた。

 

 

 

 

 

 

 駒王学園が誇る、広大なグラウンド。

 普段は陸上部が使用しているその開けた空間で、グレモリー眷属の『騎士(ナイト)』である木場祐斗は、息つく暇もないほどの苛烈な包囲網の中で刃を振るっていた。

 

「ハァッ!」

 

 鋭い裂帛の気合いと共に、木場の生成した魔剣と、相手の長剣が激しく火花を散らす。

 対峙しているのは、ライザー陣営の精鋭たち。炎の剣を操る西洋風の鎧をまとった『騎士』カーラマイン。そして顔の片側に仮面を被った格闘家の『戦車』イザベラ。そして、彼女たちのサポートに回る三人の『兵士』たち。

 計五名の悪魔を相手に、木場はたった一人で立ち回っていた。

 

「(……流石に、数が多いな)」

 

 木場は内心で冷静に戦況を分析しながら、飛来する『兵士』の魔力弾をステップで躱し、同時に死角から迫るイザベラの拳を剣の腹でいなす。

 十日前の彼であれば、このフェニックス眷属の波状攻撃を前に、既に防戦一方に追い込まれそのまま散っていたことだろう。だが今の木場は、合宿で小猫と共に一から自分を鍛え上げたことで、十日前の自分とは比べ物にならないほどの力を身につけていた。

 イッセーから指摘された綺麗すぎる剣筋、あるいは殺意が足りないと評されたその剣技。木場はその指摘を受け改めて自分を見つめ直し、自らの行動原理でもある『復讐』と『恩義』を思い出したことで、五対一という絶望的な数的不利にあっても、未だに決定的な致命傷を避け続けている。

 

 とはいえ、木場の胸中には現在、自身の戦況以上に重くのしかかっている懸念があった。

 

「(イッセーくん、小猫ちゃん……無事だといいけど)」

 

 数分前、フィールドの中央にある体育館の方角から、空を焦がすような凄まじい爆発が起こるのを木場は目にしていた。

 そしてその直後に、カーラマイン一派に襲撃を受け結界に閉じ込められてしまったことで、結界内の強力な魔力干渉を受けたこともあり、眷属間の通信が完全に遮断されてしまったのだ。

 先遣隊として体育館へ向かった二人の安否が分からない。その事実が、木場の心に僅かな焦りを生ませていた。

 

「余所見をしている余裕があるのか? グレモリーの『騎士』よ!」

 

「っ、しまっ───」

 

 思考が割かれたほんの一瞬の隙を、対面で斬り合うカーラマインが見逃すはずもなかった。

 彼女の剣が木場の体勢を大きく崩し、そこへ追い打ちをかけるようにイザベラが、岩盤すら砕くような豪腕を振り上げて突進してくる。

 

 回避は間に合わない。木場が新たに生み出した魔剣を交差させて防御姿勢を取ろうとした、まさにその時だった。

 

「───えいっ!!」

 

 横合いの森の暗がりから、凄まじい速度で飛び出してきた小さな影が、空中で身体を捻りながらイザベラの巨体に強烈な飛び蹴りを叩き込んだ。

 

「ぐぉっ!?」

 

 ズドンッ! という重い衝撃音と共に、相手の『戦車』がボールのように吹き飛ばされ、校庭の地面を激しく転がっていく。

 それを成した土煙を上げながら着地した小柄なシルエットを見て、木場は安堵と歓喜の入り交じった笑みを溢した。

 

「小猫ちゃん!」

 

「……遅くなりました、祐斗先輩」

 

 駆けつけた小猫が、木場の背中を守るようにピタリと背中合わせに立つ。

 頼もしい後輩の合流。しかし、木場はすぐに、彼女の傍らにあるはずのもう一人の気配がないことに気がついた。

 

「イッセーくんは? まさか、さっきの体育館の爆発で……」

 

「……」

 

 背中越しに伝わる小猫の身体が、微かに、悔しそうに震えた。

 

「体育館は、相手の『女王』に吹き飛ばされました。私の動きが遅かったせいで、私を庇ったイッセー先輩は右腕に大怪我を負っています……っ」

 

「右腕を!?」

 

「でも、先輩は……あの『女王』は自分が足止めするから、私に祐斗先輩と合流しろって。必ず、後から追いつくって言って……」

 

 小猫の声には、彼を置いてきてしまったことへの自責と、未だ拭いきれない不安が深く滲んでいた。

 それを聞いた木場は、目を見開き、一瞬だけ言葉を失う。

 片腕を負傷した状態で、飛行手段も持たずに上空の高火力魔術師の相手をする。それがどれほど無謀で、死に直結する危険な役回りか、木場にも容易に想像がついたからだ。

 

 しかし。

 

「……そっか」

 

 木場は、静かに、けれど確かな温もりを持った声で呟いた。

 

「相手の『戦車』と『兵士』三人を倒して合流しに来てくれてありがとう、小猫ちゃん。……君が来てくれなかったら、僕も危ないところだった」

 

 まず、敵の主力を削り、自身の救援に駆けつけてくれた小猫の確かな戦果を労う。

 その上で、木場は不安に揺れる小猫に向けて、少しだけ首を傾げて、安心させるような柔らかい微笑みを浮かべた。

 

「それと、イッセーくんなら問題ないさ」

 

「……祐斗先輩?」

 

「彼は勝算もないのに強がって無謀な特攻をするような性格じゃない。この合宿で、それは僕たちが一番よく知っているはずだ。……それに、彼がわざわざ一人で残る選択を取ったのは、間違いなく僕たちを信じてくれているからだよ」

 

 自分が必ず『女王』を足止めする。だから、お前たちは手筈通りに立ち塞がる敵を打ち倒せ。

 その協力者の強気な信頼に応えずして、何がグレモリー眷属か。

 

「僕たちは、僕たちに出来ることをしよう。……イッセーくんが後から合流しやすいように、僕たちだけで目の前の敵を倒すんだ」

 

 木場のその言葉に。

 小猫は、自身の心にこびりついていた迷いの霧が、スッと晴れていくのが分かった。

 必ず追いつくと、あの時先輩は約束してくれた。……ならばこそ、自分が今ここで成すべきことは、彼への心配にリソースを割くことではなく、目の前の敵を全力で排除することだ。

 

「……はい。ぶっ飛ばします」

 

 小猫は短く応えると、両拳を胸の前で打ち合わせ、気合いを入れ直すように魔力をその身に纏わせた。

 

 遠く、後方の空から、再び重低音の激しい爆撃音が鳴り響く。

 それは、イッセーが今この瞬間も、敵の『女王』を相手に一歩も引かずに死闘を繰り広げているという何よりの証明だった。

 

「グレモリー眷属の……いや、オカルト研究部の力、見せてあげよう!」

 

 後方から響く爆音を背に受けながら、木場祐斗と塔城小猫は、正面に立ち塞がるライザーの眷属たちへと、迷いなき一歩を踏み出すのだった。

 

 

 

 

 

 

『───ライザー様の『騎士』一名、『僧侶』一名、『兵士』二名、リタイア』

 

 旧校舎の裏手に広がる鬱蒼とした森の中。

 フィールド全域に響き渡るグレイフィアのアナウンスを聞き流しながら、グレモリー眷属の『女王(クイーン)』姫島朱乃は、小さく息を吐き出して手元の魔力を収束させた。

 

「……あらあら、少しやりすぎちゃいましたか」

 

 朱乃の足元には、先程まで旧校舎への威力偵察として差し向けられていたライザー陣営の四名の悪魔たちが、転移の光に包まれて次々と姿を消していくところだった。

 旧校舎の防衛と索敵。その任を受けた朱乃は、木場と連携してトラップを仕掛けるだけでなく、上空から精密な雷撃を降らせることで、相手の偵察部隊を完全に単独で制圧してのけたのだ。

 

「(とはいえ……流石に四人同時の相手は、少し魔力を消費しすぎましたわね)」

 

 朱乃は薄く汗ばんだ額を拭いながら、自身の疲労度を冷静に測る。

 合宿で魔力の精密操作を向上させたとはいえ、純粋な魔力量そのものが劇的に増えたわけではない。息を乱すほどではないが、この後すぐに別の敵が襲いかかってくれば、少しばかり厄介な状況になるだろう。

 

「(……それにしても、静かすぎますね。体育館の方角で起きた爆発以降、イッセーくんたちと全く通信が繋がりませんし)」

 

 朱乃は耳元の通信機に触れるが、聞こえてくるのは酷い砂嵐のノイズだけだった。

 強力な魔力干渉によるジャミング。前衛の切り込み隊長として向かった小猫とイッセー、そして校庭で遊撃に当たっている木場の状況が全く掴めない。

 

「(リアスもこのことは認知してるはず。一度アーシアちゃんの治療を受けに部室に戻って、そこで今後の立ち回りを考えるべきね)」

 

 そう思考し、朱乃が旧校舎の方角へと身を翻そうとした───まさにその時だった。

 

 パチパチパチ。

 

 前方。

 月明かりの差し込む森の木々の隙間から、ひどく乾いた、それでいて余裕に満ちた拍手の音が響いた。

 

「……っ!?」

 

 朱乃は即座に臨戦態勢を取り、再びその指先に雷の魔力をバチバチと走らせる。

 しかし、木々の先から姿を現したのは、朱乃の想像を遥かに超える、この場に最も存在してはならない人物だった。

 

「───見事な雷だった。流石はリアスの懐刀、噂に名高い『雷の巫女』といったところか」

 

「……ライザー、様」

 

 深紅のスーツを優雅に着こなし、金糸の髪を揺らしながら悠然と歩み出てきたのは、ライザー陣営の『王』───ライザー・フェニックスその人だった。

 

 朱乃の瞳が、驚愕に見開かれる。

 『王』が討ち取られれば、その時点でゲームは敗北となる。故に、『王』は最も安全な本陣の奥深くで護衛と共に待機するのが、レーティングゲームにおける絶対の定石だ。

 前線の偵察部隊が壊滅したばかりのこの最前線に、しかも単騎で『王』がノコノコと姿を現すなど、常軌を逸した危機感の欠如としか言いようがない。

 

「何故、『王』であるあなたが態々こんな最前線に?」

 

 朱乃の鋭い問いかけに、ライザーは酷く機嫌良さそうに喉の奥で笑い声を鳴らした。

 

「愚問だな。……花嫁を迎えに行くのは、いつの時代も夫の務めだろう?」

 

 ニヤリと、傲慢な笑みを浮かべるライザー。

 その言葉の裏にあるのは、どれだけ前線に出ようが、自分の身に危険など及ぶはずがないという、フェニックスの血統に裏打ちされた絶対的な自信だった。

 

「(……不味いですね)」

 

 朱乃の背筋に、冷たい汗が伝う。

 偵察部隊を一人で制圧した直後の今の朱乃では、魔力も体力も万全とは程遠い。いくら合宿で腕を上げたとはいえ、腐っても相手は由緒正しき純血の悪魔の当主格であるライザー。今の状態でまともにやり合えば、十中八九、成す術もなく自分は敗北するだろう。

 

 だが、ここで逃げるという選択肢は皆無だった。

 自分がここで引き返せば、ライザーはそのまま無傷で本陣へと攻め入り、自分たちの『王』であるリアスにその毒牙を向けることになる。

 

「(私がここで少しでも時間を稼いで、前衛のみんなが本陣へ引き返すための猶予を作らないと……)」

 

 朱乃が覚悟を決め、捨て身の雷撃を放とうと体内の魔力を限界まで引き上げた、その時。

 

「───なら、夫面して土足で上がり込んでくる鬱陶しい来客を追い払うのも、次期当主の私の務めよね」

 

 凛とした、気高き声が森に響き渡った。

 

「え……? ぶ、部長!?」

 

 朱乃が愕然と振り返った先。

 旧校舎の入り口から真紅の髪を揺らして歩み出てきたのは、同じく『王』であるリアス・グレモリーだった。その背後には、緊張した面持ちの『僧侶』アーシアがしっかりと付き従っている。

 

「どうして来たの……っ! まだイッセーくんたちとの連絡もついてないのに!」

 

「私の『女王』を、こんなところでみすみす使い捨てるわけにはいかないもの。……よく四人も相手にしてくれたわね、朱乃。少し下がっていなさい」

 

 リアスは朱乃を優しく労うと、背後のアーシアに視線を向けた。

 

「アーシア、朱乃を回復してあげて」

 

「は、はいっ!」

 

 アーシアが朱乃の傍に駆け寄り、神器による癒やしの光を放ち始める。

 その光景を、ライザーは邪魔するでもなく、ただ面白そうに眺めていた。

 

「自ら本陣を出てくるとはな。……雷の巫女を回復させれば、二人掛かりでこの俺を倒せるとでも思ったか? リアス」

 

 ライザーは不敵な笑みを浮かべたまま、リアスへと語りかける。

 

「だが、君が誰一人眷属を落とされることなく、俺の眷属たちをこれほどまでにリタイアさせていくとはな……正直なところ、ここまでやるとは思ってもみなかったよ」

 

 その言葉には、一切の虚勢はない。純粋に、予想以上の奮闘を見せた婚約者への賞賛の念が宿っていた。

 だが、その余裕綽々とした態度に、リアスは冷ややかに双眸を細めた。

 

「……それで? 自分の眷属が次々とやられていくのに危機感を覚えて、居ても立っても居られず、こうして直々に私を討ちに来たのかしら」

 

 リアスの皮肉めいた言葉。

 しかし、それを聞いたライザーは、一瞬だけ本当に意味が分からないと言わんばかりのきょとんとした表情を浮かべた。

 

 そして。

 

「くっ……ククッ……アハハハハハハハッ!!」

 

 旧校舎が佇む森の中で、ライザーの高らかな、心の底からの大爆笑が響き渡った。

 

「危機感? フェニックスのこの俺が? ハハハッ、それは傑作だ!」

 

 ひとしきり笑い転げた後、ライザーは目尻に浮かんだ涙を拭いながら、傲慢極まりない眼差しでリアスを見据えた。

 

「俺がここに来た理由は、さっき言った言葉が全てさ。愛しい花嫁を直々に迎えに来た、ただそれだけのことだ。……まぁいい。君が本気で俺を倒せると思っているのなら、その攻撃が俺に通じるかどうか、一度試してみるといい」

 

 ライザーは両手を広げ、完全に無防備な姿勢を晒してリアスを挑発する。

 

「駄目です、リアス! 乗ってはいけません!」

 

 朱乃が血相を変えて制止の声を上げる。

 しかし、リアスの瞳には既に、ライザーの傲慢さを打ち砕くための強い怒りと闘志が宿っていた。

 

「……言われなくても、試させてもらうわよ!」

 

 リアスの右手に、全てを無に帰す赤黒い『滅びの力』が極限まで凝縮されていく。

 それを迎え撃つライザーの顔には、自身の不死性を微塵も疑わない、醜悪なまでの余裕の笑みが張り付いていた。

 

 リアスがその一撃を、傲慢な不死鳥に向けて解き放とうとした───まさにその直前。

 

『───ライザー様の『女王』、リタイア』

 

「「…………え?」」

 

 夜の森に響き渡った、グレイフィアの冷徹なアナウンス。

 その言葉の意味を理解した瞬間。

 

「は?」

 

 リアスと朱乃、そして───他でもないライザー本人が。

 完全に静止し、信じられないものを見るかのように、両目を見開いて硬直した。

 

 

 

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