俺は兵藤一誠、呪術師だ!   作:朝日

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17:一難去って

 

 

 ライザー・フェニックスとの熾烈なレーティングゲームを終え、早一週間。

 

 茜色の夕陽が差し込むオカルト研究部の部室で、俺はふかふかのソファに背中を深く預け、一人静かに息を吐き出した。

 他の部員たちがまだ揃っていない放課後の部室はひどく静かで、窓から聞こえてくる運動部の活気ある声が、俺たちの日常が確かに守られたのだという事実を実感させてくれる。

 淹れたての紅茶の香りが微かに残る空間で天井を見上げていると、ふと脳裏に蘇ってくるのは、一週間前のあの夜……決着の後の出来事だった。

 

 ───ライザーさんとの激突の末、運営側の判断によってリタイアの判定を下された俺は、強制転移の光に包まれた。

 

 そして気がつけば、俺は運営の悪魔たちが待機する治療室のベッドの上に横たわっていた。最初の内は技の反動で両腕が軋むように痛んだが、悪魔側の優れた治癒魔術のおかげで、ボロボロだった右腕も焼け爛れた左手もすぐに元の形を取り戻していき、俺は治療を受けながら、室内に設置された巨大なモニター越しに、リアス部長がライザーさんに引導を渡す最後の瞬間を見届けていた。

 

 やがて画面越しに勝利のアナウンスが響き渡った瞬間、一足先に治療を終え固唾を飲んで事の顛末を見守っていた姫島先輩とアーシアが、抱き合って歓喜の涙を流し始めた。

 

『一先ず、小娘の勝利で終わったか。……まったく、相棒も物好きな奴だ』

 

 神器に宿る相棒───ドライグが、呆れたような、けれどどこか楽しげな声音で語りかけてくる。

 その言葉に思わずどういう意味だよと返しそうになったが、ドライグの言いたいことが何となく分かってしまった俺は、ただ黙ってその言葉の続きを受け入れるしかなかった。

 

『ゲーム開始と同時に俺の力を使っていれば、あそこまで苦戦することもそんな傷を負うこともなかっただろうに』

 

 『赤龍帝の籠手』による倍加の力。ライザーさんからも指摘されたが、それを最初から発動させて術式を併用していれば、ライザーさんやその眷属たちも、もっと安全に、もっと容易く圧倒できていたというのは紛れもない事実だ。

 ただそれを、赤龍帝ではなくオカルト研究部の兵藤一誠として戦いたいからと、本当にどうしようもなくなるまでは使うのを控えていたのは単なる俺の我が儘で、ドライグはそんな俺に何故態々そんな面倒な真似をするんだと今に至るまで苦言を呈し続けており、俺としても全面的にそれが正しいと分かっているからこそ返す言葉がないだけ。

 

「……まぁ、勝てたからいいじゃんか」

 

 悪魔の事情も、貴族のゴタゴタも俺には知ったことじゃない。俺はただ、オカルト研究部の部員として、部長には笑っていてほしかっただけなのだ。

 それに、と俺は言い訳をするように言葉を添える。

 

「神器の力に頼り切らずに戦ったことで、結果的に自分の術式への理解をより深く落とし込むことができたし、たまにはこういう縛りプレイも悪くないってことさ」

 

 今までは手掌を用いずに実戦で術式を使ったことなんて皆無だったからな。

 そういう意味じゃ、今回の戦いで手掌なしで術式を自在に扱えるようになったことは大きな収穫と言えるのは間違いない。

 

『ふん。……だが、態々『()』まで奴らに明かして良かったのか?』

 

 ドライグの声色に、微かな懸念が混じる。

 

『フェニックスの象徴たる炎を、真っ正面からより高火力の炎で打ち破って見せたんだ。現在の冥界において、それがどれほどの衝撃を与えるか……今後、悪魔側からの何らかの干渉や接触は免れないぞ』

 

「あー……まぁ、あれはちょっと俺も反省してるよ」

 

 完治した右手でポリポリと頭を掻きながら、自分の行いの所為とは言えため息を一つ。

 本来であれば、『竈』は俺の術式の奥の手とも言うべき切り札の一つであり、あんな人目につく場所で安易に晒すつもりはなかったのだ。

 しかし、ライザー・フェニックスという悪魔が予想以上にやり手だったこともあり、戦いの中でつい興が乗ってしまい、呪術師としての闘争本能があの状況での火力勝負を選ばせてしまったことは否めない。

 

『別に責めている訳じゃない。だが、『竈』を見せてしまったからには、目を付けられることには変わりない。今後のことを踏まえれば、やはり『領域展開』の完成は急務だろうな』

 

「……分かってるよ。領域と禁手、俺もそろそろ本腰入れて修行しないとな」

 

 ドライグの忠告に頷きつつ、俺は脳裏で、今回のゲームで意図的に神器を封じていたもう一つの理由について思考を巡らせた。

 オカルト研究部の部員として戦いたかったというのは紛れもない本心だが、それと同時に、俺には呪力のみで戦うことでどうしても成し遂げたい個人的な裏目標があった。

 

 ───『黒閃』。

 

 それは、呪力をまとった打撃が衝突した際に生じる空間の歪み。呪術師にとって、それを経験するかしないかで、呪力の核心への理解度が天と地ほど変わるという一種の到達点。

 

 俺は今回の実戦の中で、あわよくばその『黒閃』を出す機会を窺っていたのだ。

 しかし、事態はそう上手くは運ばなかった。

 体育館でのライザーさんの眷属たちとの肉弾戦以降、相手の『女王』が放った爆撃から小猫ちゃんを庇ったことで右腕に深刻なダメージを負ってしまい、その結果、徒手空拳での戦闘を諦め、『術式』を主体とした戦闘スタイルに変更せざるを得ず、結局最後まで『黒閃』を叩き出すことは叶わなかったのである。

 

『再三言っているが、あれは狙って出せるようなものではないからな』

 

 俺の心残りを見透かしたように、ドライグが苦笑するような気配を見せた。

 

『それに、俺が言うのも何だが……今この瞬間くらいは己の不足を嘆くよりも、素直に勝利の余韻に浸ってもいいんじゃないか』

 

「……そうだな。サンキュー、ドライグ」

 

 相棒からの珍しく素直な気遣いを受け取った、ちょうどその時だった。

 

「みんな!」

 

 バンッ、と勢いよく治療室の扉が開き、そこには息を切らした部長の姿があった。ライザーさんとの決着をつけ勝利を収めた彼女が、リタイアして強制転移させられていた俺たちの様子を見に駆けつけてくれたのだ。

 そして、その後ろからは、最後までライザーさんの眷属たちを足止めするという大役を果たした木場と小猫ちゃんの姿もあった。

 

「イッセー先輩!」

 

 俺の姿を視界に捉えた瞬間、小猫ちゃんが普段の無表情を崩し、一目散にベッドの傍へと駆け寄ってきた。

 

「怪我は……腕の怪我は、大丈夫なんですか?」

 

 彼女の黄金色の瞳には、俺に庇われたことへの自責と、心底からの心配が深く滲んでいた。俺はベッドの上に胡座をかいたまま、完全に治療された右腕をグルグルと回して見せた。

 

「あれくらい何てことないって。念のためにってアーシアにも診て貰ったし、もうすっかり元通りだよ」

 

 俺が明るく笑い飛ばすと、小猫ちゃんの肩から安堵と共に力が抜けるのが分かった。

 

「小猫ちゃんこそ、木場と一緒にライザーさんの残りの眷属たちを足止めしてくれてありがとな。おかげで、後ろを気にせずにライザーさんたちとの戦いに専念できたよ」

 

 俺が心からの労いを口にすると、小猫ちゃんは少しだけ目を丸くした後、嬉しそうにその目を細めた。

 

「……はい。助けてくれて、ありがとうございました、先輩」

 

 ペコリと深々と頭を下げる小猫ちゃん。その可愛らしい仕草に笑みを返しつつ、俺は隣で静かに立ち尽くしている木場へと視線を向けた。

 

「木場もサンキューな。一人で敵の本隊を止めるの、相当骨が折れただろ」

 

「まぁ、ね……でも、途中で小猫ちゃんが合流してくれたから何とかなったよ」

 

 木場は照れ隠しのように金髪を揺らし、少しだけ気まずそうに頬を掻いた。

 

「ただ、今回のゲームで僕はあんまり活躍できなかったからね。敵を撃破できたわけでもないし……個人的には、少し悔しさが残るゲームだったよ」

 

 合宿で共に修行に励んだ俺や小猫ちゃんが敵の眷属を撃破していく中、自分は一人も倒すことができなかった。そのことに、木場は木場なりにグレモリー眷属の『騎士』としての不甲斐なさを感じているようだった。

 

 しかし、そんな木場の言葉を俺は真っ向から否定した。

 

「馬鹿言うなよ。お前が前線で敵の主力を引きつけてくれたからこそ、俺たちは自由に動けたんだ」

 

 俺はベッドから降り、木場の肩をポンと叩く。

 

「それに、途中でリタイアしていった俺たちと違って、お前は最後まであの場所に残って部長の背中を守り続けたじゃねぇか。俺個人の意見だけど、お前は立派に『騎士』の務めを果たしてたと思うぜ」

 

「イッセーくん……」

 

 俺のその言葉に、木場はまさかそんな風に言われるとは思ってもみなかったと言わんばかりに目をパチクリと瞬かせ、やがてその端正な顔立ちにパッと明るい笑みを浮かべた。

 

「……ありがとう。君にそう言ってもらえると、少しだけ救われた気がするよ」

 

「イッセー」

 

 そんな男同士のやり取りをしていると、姫島先輩やアーシアと勝利を喜び合っていた部長が、二人を伴って俺たちの前へと歩み寄ってきた。そして俺たち三人の姿を隅々まで見渡し、特に目立った外傷がないことに深く安堵の息を吐いていた。

 

「改めて……私の我が儘のために、最後まで力を貸してくれて本当にありがとう」

 

 そう感謝の言葉を述べると、部長は木場と小猫ちゃんの肩をそっと優しく抱き寄せた。

 

「祐斗、小猫。あなたたちは、私の自慢の下僕よ」

 

 主からの直接の労いに、木場と小猫ちゃんはどこか気恥ずかしそうに頬を染めつつも、本当に嬉しそうに頷いていた。

 そんな主従の美しい絆を微笑ましく見守っていると、部長がふと、悪戯っぽい笑みを浮かべて俺へ向き直る。

 

「イッセー。決戦前夜の合宿の夜、あなたが私に言ってくれた言葉……覚えているかしら?」

 

「え? ああ、まぁ、ある程度は……」

 

 突然の問いかけに首を傾げつつ、俺は朧げな記憶を辿りながら頷いた。

 確か、部長が自分の選択を嘆いていた時に、俺は悪魔なんだからそれって健全なことじゃない? みたいなことを言ったはずだ。

 そんな俺の姿に、部長はパッと花が咲いたような美しい笑みを溢した。

 

「そう。私は悪魔だから……これからは誰に遠慮することなく、素直に自分の欲望に従って生きていきたいと思うわ」

 

 そう語るや否や、部長はずいっと俺の目の前まで体を寄せてきた。

 ふわりと、彼女の紅髪から甘く高貴な香水の匂いが漂ってくる。

 

「……これは、私に力を貸してくれた、大切な部員へのお礼よ」

 

 耳元で甘く囁かれた直後。

 チュッ、っと俺の頬に、ひどく柔らかくて温かい、唇の感触が押し当てられた。

 

「───……?」

 

 思考が完全に停止した。

 俺が目を見開いて硬直しているその後ろで、アーシアが「ぶ、部長さん!?」と悲鳴を上げて顔を真っ赤にし、姫島先輩が「あらあら」と扇情的に口元を隠している。

 

 部長は、完全にフリーズしてしまった俺の顔を見てクスリと笑うと、唖然とするアーシアに向かってパチンと可愛らしくウィンクをしてみせた。

 そして、状況が分からずに混乱する俺の目を見つめ返すと、歳相応のとびきりの笑顔で言葉を紡いだ。

 

「カッコよかったわよ、イッセー。……これからも、末永くよろしくね」

 

 それがその日一番深く印象に残った出来事で、果たして部長のあの言動が何を意味するのかと、今もなお俺の頭を悩ませていることは言うまでもない。

 

「(あれってどう捉えればいいと思う、ドライグ)」

 

『知るか』

 

 松田と元浜は嫉妬で狂うから論外として、今度桐生にでも相談してみるか。……いや、なんかあることないこと学園中にばら撒かれそうだし、やっぱりやめとこ。

 

 

 

 

 

 

 冥界の空は、いついかなる時も禍々しくも美しい紫紅に染まっている。

 現魔王ルシファーの執務室。その巨大な窓から冥界の景色を見下ろしていたサーゼクス・ルシファーは、背後の豪奢な扉が開く音を聞き、穏やかな笑みを浮かべて振り返った。

 

「ご苦労様、グレイフィア。……グレモリーとフェニックス、両家への報告と事後処理はどうだった?」

 

 執務室に入室してきたのは、銀糸の髪を美しく結い上げたメイド姿の美しい悪魔。サーゼクスの妻にして、彼の『女王(クイーン)』であるグレイフィア・ルキフグスだった。

 彼女はサーゼクスの前に進み出ると、いつものように完璧な所作で一礼し、淡々と、しかしどこか誇らしげな響きを含ませて報告を始めた。

 

「滞りなく。……リアスお嬢様率いるオカルト研究部と、ライザー・フェニックス様率いる眷属のレーティングゲームの映像は、中継役を務めたソーナ・シトリー様の手腕により、両家並びにそれに連なる名家の方々へと余さず放送されました」

 

 元々、今回のレーティングゲームは、元72柱の純血の悪魔同士の婚約という極めて政治的関心度の高い事案を懸けたイレギュラーな試合だった。そのため、冥界の貴族社会からの注目度は異様に高く、多くの有力悪魔たちがその行く末を注視していたのだ。

 

「観戦していた貴族たちの反応は?」

 

「前評判通りの圧倒的な実力を見せたライザー様を称賛する声もさることながら……未だ公式戦デビュー前であるにも関わらず、あれほどまでに粒ぞろいで優秀な眷属を揃え、見事な采配を見せたリアスお嬢様たちを称える声で溢れておりました」

 

 その報告を聞き、サーゼクスの端正な顔立ちがパッと明るく輝いた。

 魔王としての威厳ではなく、ただ純粋に、可愛くて仕方がない妹の成長を喜ぶ『兄』としての顔だ。

 

「そうか。リアスは自らの力で、自身の進むべき未来を勝ち取ってみせた。……兄として、これほど誇らしいことはないよ」

 

 サーゼクスは満足げに頷き、ふと悪戯っぽい笑みを浮かべて言葉を続けた。

 

「それで? 縁談は正式に白紙になってしまったわけだけれど、その件について父とフェニックス卿は何か言っていたかい?」

 

「……両家とも、当人たちの意思を蔑ろにし、家の存続を急ぐあまり少々強引に事を進め過ぎていたと深く反省しておられました」

 

 グレイフィアの報告に、サーゼクスは脳裏でグレモリー家の現当主である自身の父、ジオティクス・グレモリーの顔を思い浮かべた。

 良かれと思って進めた縁談が、娘にここまでの無理を強いてしまったのだ。娘想いの父のことだから、今はひどく落ち込んでいるに違いない。

 

「ははっ。今頃、父上は母上にこってりと絞られている頃だろうね」

 

 恐妻家でもある父の姿を想像し、サーゼクスは肩を揺らして苦笑を溢した。

 

「…………」

 

 しかし。

 そんなサーゼクスの軽口に対して、普段のグレイフィアであれば「サーゼクス様も笑い事ではありませんよ」と呆れたような嘆息を返す場面であったが……今の彼女は、口を閉ざしたまま、どこか思い詰めたようにその美しい眉根を深く顰めていた。

 

 執務室の空気が、微かに、しかし明確に張り詰める。

 長年連れ添ったサーゼクスが、彼女のその内心の機微に気がつかないはずがなかった。

 サーゼクスは瞬時に兄としての顔から、冥界を統べる魔王としての冷徹な表情へと切り替えグレイフィアに問いかけた。

 

「───それで、上層部は何と?」

 

 リアスとライザーのレーティングゲームの映像は、当然ながら冥界の中枢を担う上層部の一部にも放送されていた。

 サーゼクスら現魔王たちが「実力主義」や「他種族との融和」を掲げ、今の冥界に新たな風と変革をもたらそうとしている革新派であるならば。上層部の重鎮たちは、旧魔王の時代から続く「純血の尊さ」や「悪魔としての古きしきたり」を重んじる保守派の老人たちである。

 当然、実力や立場という地位においては魔王であるサーゼクスの方が遥かに上であるが、政治的な観点で見れば、大王バアル家を筆頭とする上層部の彼らには、未だ冥界の貴族社会において多大な発言権と影響力がある。それが、現魔王であるサーゼクスたちの最大の悩みの種でもあった。

 

「今回のレーティングゲームの結果を受け、純血の悪魔同士の婚約破棄については、当人たちの好きにすればいいと……ある程度の承諾と譲歩を得ることはできました」

 

「……だが、それはあくまで些事に過ぎないと判断されたわけだね」

 

「はい」

 

 サーゼクスの言葉にグレイフィアが重く頷いた。

 純血の悪魔同士の婚姻という、彼ら保守派が最も口煩く介入してくるであろう問題からあっさりと手を引いた理由。それは他でもない、彼らの目を釘付けにするほどの、より重大で、より深刻な存在があのゲームには介在していたからだ

 

「当代の赤龍帝……兵藤一誠様の処遇については、言及を免れませんでした」

 

 グレイフィアの口から紡がれたその名前に、サーゼクスは静かに目を伏せた。

 

 古き時代、大戦の時代から生きる上層部の老人たちは、今や神器となった赤龍帝の力がどれほどの脅威をもたらすかを、若きサーゼクスたちよりも遥かに深く、骨の髄まで理解している。

 だが、今回彼らが真に恐れ、そして戦慄したのは、赤き龍の力に対してだけではない。

 人間の負の感情を操作し、生まれながらにその肉体に刻まれた術式を扱う……とうの昔に歴史の闇に葬り去られたはずの『呪術師』という異端の存在に対してでもあった。

 

「赤龍帝の力を使用せずして、フェニックスの象徴とも言える冥界屈指の炎を、あろうことか真っ向から別の炎で打ち破って見せた……その事実が、上層部の方々にとっては到底看過出来なかったようです」

 

 グレイフィアの脳裏にも、ゲームの終盤に映し出された規格外の一撃が焼き付いている。

 純血の上級悪魔たるライザーの放った業火を、呪力と称される未知のエネルギーで構成された炎の矢が正面から喰い破ったあの光景。それは、自分たち悪魔が長年信じてきた魔力の優位性を根底から覆す、あり得ざる事象だったのだ。

 

「あれほどの未知の力を操る人間を、このまま野放しにしておくのは危険過ぎる……それが、上層部の総意です」

 

「……」

 

「現在、一誠様はリアスお嬢様の監視下にあるとはいえ、未だ『悪魔の駒』を取り込ませた眷属化はおろか、魔法陣を通した正式な契約すら結ばず、ただの協力者として放置されている状態。……もしも、堕天使や天使といった他の敵対勢力にその特異な才能を認知され、我々より先に取り込まれるようなことがあれば、冥界にとって取り返しのつかない脅威になり得る、と」

 

 グレイフィアは、上層部から突きつけられた非情な要求を、サーゼクスへと淡々と告げた。

 

「故にこそ、上層部の方々は、すぐにでも彼を無理矢理にでも悪魔に転生させるか、あるいは冥界の管理下に置くための『首輪』をつけるべきだと、強硬に主張しております」

 

 首輪。それがどれほど非人道的で、リアスやイッセーの意思を無視した政治的暴力であるか、グレイフィアに言われずともサーゼクスには理解できた。

 彼らは兵藤一誠という人間を、リアスの大切な恩人や友人としてではなく、いつ爆発するか分からない管理すべき兵器としてしか見ていないのだ。

 

 サーゼクスは、折角の可愛い妹の祝勝会に水を差すわけにはいかないと、ゲームが終わる前から「彼らへの接触は控えるように」と上層部にはあらかじめ釘を刺していた。

 だが、グレイフィアのこの重苦しい反応から察するに、上層部はその釘を無視してでも、兵藤一誠という存在を自陣営に囲い込もうと水面下で行動を起こそうとしていることは明白だった。

 

「(……まったく。古い考えに囚われた老人たちというのは、いつの時代も厄介なものだ)」

 

 サーゼクスは小さく息を吐き出すと、執務室の窓から広がる広大な冥界の景色へと再び視線を向けた。

 彼の脳裏に浮かぶのは、兄として見守ってきたリアスの笑顔と、彼女のために血を流して戦ってくれた、あの型破りな人間の少年の姿。

 

「……リアスも、随分と彼のことを気に入っているみたいだからね」

 

 サーゼクスは、魔王としての重圧を微塵も感じさせない、しかし絶対的な強者の余裕を含んだ声で独り言のように呟いた。

 

「恩人に無理矢理首輪をつけるような真似をすれば、リアスは必ず悲しむ。……そんな古臭いしがらみから彼女たちを守るのも、我々上に立つ者の役目だろう」

 

 サーゼクスが振り返り、力強い眼差しを向けると。

 グレイフィアは張り詰めていた表情を僅かに和らげ、小さく息を吐き出した。主がそう決断したのならば、自身の役目は全力でそれを補佐することだけである。

 

「これから忙しくなるぞ、グレイフィア」

 

 主たる魔王の静かな宣言に。

 最強の『女王』は、メイドの身分に相応しい完璧な所作で、静かに、しかし深く首肯の意を示すのだった。

 

 

 

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