俺は兵藤一誠、呪術師だ!   作:朝日

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18:嵐の前

 

 

 授業もなければ、オカルト研究部の活動もない、長閑な昼下がりの休日。

 活気ある声が飛び交う駒王町の商店街を、俺は片手にスーパーのビニール袋を提げて一人で歩いていた。

 

「(ええっと、大根に豚肉、卵がワンパック。特売の玉ねぎも買ったし……頼まれたものはこんなもんか)」

 

 脳内で母さんから告げられた買い物リストを反芻し、買い忘れなどがないことを確認してホッと息を吐く。

 いつもであれば、休日の買い出しは母さんとアーシアの二人が仲良く出かけていくのが我が家の恒例なのだが、今日に限っては俺が一人でおつかいをこなす羽目になっていた。

 

 その理由は他でもない、一週間前に行われたライザーさんとのレーティングゲームにある。

 

 見事勝利を収めることができた俺たちだったが、あの戦いでアーシアは、回復役であるにも関わらずライザーさんの奇襲を許し、早々にゲームからリタイアさせられてしまった。

 もちろん、あれはライザーさん自身のこれまでに培った戦術眼の賜物というのもあるし、彼女を守りきれなかった部長や俺たちの責任でもあるから、一概にアーシアが悪かったという話ではない。部長自身も「私の軽率な行動が招いたことよ」とアーシアに深く謝罪していたしな。

 

 だが、アーシア本人はその事実を重く受け止めていた。

 グレモリー眷属の『僧侶(ビショップ)』という自分の役割が、自陣営における絶対的な生命線であり、だからこそ実戦やゲームにおいては真っ先に敵から狙われるのだということを、彼女はあのゲームで身を以て自覚したのだ。

 「もっと皆さんのお役に立てるように、自分の身を守る術を身につけたいです」と健気に意気込む彼女の姿勢を見て、部長が提案したのが『使い魔』の獲得だった。

 

 使い魔は索敵や防衛、魔術の補助だけではなく、強力な魔物ならば主に代わって戦闘をこなすことが出来る種族など、術者の足りない部分を補ってくれる心強いパートナーになり得る。

 そんなわけで、今日は朝から部長の引率の下、グレモリー眷属総出で冥界にある『使い魔の森』へと契約の儀式に向かっており、アーシアは現在人間界には不在なのである。

 

「(今頃、どんな使い魔と出会ってるのかなぁ……)」

 

 商店街を抜け、住宅街へと続く道を歩きながら、俺は悪戦苦闘しているであろうアーシアの姿を思い浮かべて苦笑を溢す。

 アーシアの性格なら、きっと子犬や小鳥みたいな可愛らしい使い魔を選ぶのかなと思いつつ、部長もいることだしもっと実用的な魔獣型を勧めているの可能性も十分にある。何であれ、彼女の良きパートナーになってくれることを祈るばかりだ。

 契約の儀式に関しては特に心配はしていない。部長や姫島先輩だけじゃなく、木場や小猫ちゃんも既に自分たちの優秀な使い魔を持っている。そんな経験豊富な先達たちが傍についているのだから、アーシアが契約に困ることはないだろう。

 

『使い魔が居れば何かと便利だからな。……どうだ相棒、お前もこれを機に、一匹見繕って契約してみたらどうだ?』

 

 俺がそんなことを考えていると、ドライグが愉快そうに喉を鳴らしながら語りかけてきた。

 

「(いやいや、無理言うなよ)」

 

 分かってて言ったるだろと言わんばかりに肩を竦め、俺はドライグへ言葉を返す。

 

「(俺はオカルト研究部の部員として部長たちの仕事を手伝っちゃいるけど、人間であることに変わりはないからな? 人間が冥界へ赴くには転移のパスやら滞在許可やら死ぬほど複雑な手続きが必要になってくるんだから、部長にこれ以上迷惑はかけられないっての)」

 

 まぁ、冥界ってどんなところなのかなって、素直に行ってみたいって気持ちは否定しないけどさ。

 

「(人間界でたまたまはぐれ使い魔みたいな奴と出会う縁でもあれば別だけど、そうでもなければ俺が使い魔を持つことはないと思うぜ)」

 

 魔術と呪術で間に合ってるところはあるし、何より俺にはドライグというこれ以上ないほど喧しくも頼もしい相棒がいる。だから今更使い魔が一匹増えたところでなぁ……と言うのが俺の正直な気持ちだ。

 

『……まぁ、言ってみただけだ』

 

「(はは、何照れてんだよ)」

 

 そんな風にドライグとの軽口を交えながら、買い出しの荷物を提げて帰路に続く道を歩いていた、その時だった。

 

「───失礼。そこの少年、少し道を尋ねさせて貰ってもよろしいかな?」

 

 不意に、背後から声をかけられた。

 しかしそれは、普段から俺が耳にする流暢な日本語ではなかった。正確には、俺の耳の奥に仕込んである、爺ちゃんから教わった翻訳の魔術が自動で反応し、外国語のニュアンスを脳内で日本語に変換してくれたのだ。

 

「(海外の観光客かな?)」

 

 この辺りでは珍しいなと思いながら、俺は何の気なしに振り返った。

 だが、その視界に映った人影を見た瞬間、俺の背筋を、氷の刃で撫でられたような強烈な悪寒が駆け抜けた。

 

「──────っ」

 

 息が、止まりそうになる。

 そこに立っていたのは、教会関係者らしき豪奢な祭服を身に纏った、白髪の老人だった。

 いや、老人と呼ぶには、その姿はあまりにも常軌を逸していた。身長は優に二メートル近くあり、祭服の上からでもはっきりと分かるほど、その肉体は大木のように分厚く、老体にあるまじき鋼のような筋肉で鍛え上げられていた。

 

 それでも、俺の術師としての本能が警鐘を鳴らしたのは、その恵まれた体格に対してではない。

 その老人の内側から発せられる、恐ろしいほどに研ぎ澄まされ、そして完全に制御された『闘気』に対してだ。

 

「(グレイフィアさん以上の怪物だな、この人……っ)」

 

 俺は内心で滝のような冷や汗を流しながら、必死に表情筋を抑え込んだ。

 以前、冥界最強の魔王の『女王』であるグレイフィアさんと対面した時も、その底知れない魔力に戦慄したものだが……この老人が発しているプレッシャーはそれとは全くベクトルが違う。

 それは魔力のような神秘的なエネルギーではなく、純粋な暴力の体現。肉体と闘志を極限まで鍛え抜いた者だけが到達できる、人という種の一つの到達点。もしもこの老人がその気になれば、瞬きをする間に俺の首は胴体とおさらばしているだろうと確信してしまうほどの、圧倒的な覇気がその体に凝縮されていた。

 

 白髪の巨漢たる老人は、穏やかな笑みを浮かべながらも、その鋭い眼光でどこか俺の力量を品定めするように見据えている。

 

「(ここで警戒を見せれば、逆に怪しまれるか)」

 

 心臓の嫌な早鐘を無理やり落ち着かせ、俺は観光客の道案内に素直に応じる若者という姿勢を即座に作り上げた。

 

「どうかしましたか?」

 

 俺が愛想よく応じると、老人は柔和な笑みを深め、ゆっくりと口を開いた。

 

「時間を取らせて申し訳ない。旧友の墓参りに来たのだが、如何せん十年振りですっかり道を忘れてしまってね」

 

 老人はそう言葉を告げると、この町の霊園への行き方を教えて欲しいと、巨体を折り曲げて丁寧に頭を下げてきた。

 

「霊園、ですか」

 

 駒王町には市が管理している大きな霊園は一つしか存在せず、俺自身も爺ちゃんの墓参りで定期的に向かうことがある場所だから、道順は目を瞑っていても分かるから問題はない。

 普通ならそれとなく言い訳をしてやり過ごす場面ではあるが……相手がどれほどの怪物であろうと、道に迷って困っている老人を見過ごせないというのが、兵藤一誠という人間の生来の性分だった。

 

「口頭だとちょっと説明が難しい道なんですよね。どうせ俺も暇ですし、途中まで案内しますよ」

 

 俺は荷物を持ち直し、気さくな笑みを浮かべてみせた。

 すると、老人は少しだけ驚いたように目を見開き、やがて嬉しそうに目尻の皺を深くした。

 

「おお、それは助かる。日本の若者は親切だと聞いていたが、どうやら本当らしい」

 

「ははっ、大げさですよ。こっちです、ついてきてください」

 

 そうして俺が歩き出すと、老人は静かな足取りで俺の隣に並んだ。

 長閑な休日の昼下がり。

 見えない緊張感を腹の底に抱えながら、俺は正体不明の怪物と共に、駒王町の霊園へと足を進めていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 駒王町の閑静な住宅街を抜け、市営の霊園へと続く緩やかな坂道を、俺は正体不明の白髪の老人と肩を並べて歩いていた。

 

 老人の足取りはその巨躯と年齢からは想像もつかないほどに静かで、アスファルトを踏みしめる足音すら全く聞こえてこない。長年の動きがそのまま体に染みついたかのように、どこまでも自然に、まるで空間そのものを滑るように移動するその洗練された歩法を見て、俺は内心で眼前の相手の警戒レベルを更に引き上げざるを得なかった。

 しかし、表向きはあくまで道案内をしている地元の学生であるため、決してその態度を表に出す様な真似は出来ない。

 

「それにしても、友人の墓参りってことは、この町には昔から何か縁があったんですか?」

 

 俺は片手にスーパーの袋を提げたまま、世間話でもするかのような軽いトーンで問いかけた。

 十年振りって言っていたから俺がこの人のことを知らないのは当然として、故郷とはまるで違う日本の街並みを見ても特に物珍しさを覚えていなかった様子なので、この人がこの町に来るのは一度や二度という訳ではないことは明白。

 すると、老人は俺の言葉に柔和な笑みを浮かべて頷いた。

 

「私の故郷はイタリアでね。仕事柄、日本には足を運ぶこともそう少なくはなかったんだ」

 

「(……イタリア、ね)」

 

 その単語を聞いた瞬間、俺の脳裏に真っ先に浮かんだのは、金髪碧眼の心優しいシスター───アーシア・アルジェントの姿だった。

 イタリア。それは他でもない、アーシアがかつて所属していた組織、教会の中枢が存在する国だ。

 更にはこの老人が身に纏っている豪奢な祭服の意匠。そして、悪魔の魔力とは対極に位置する、極限まで研ぎ澄まされたどこか神聖さを感じさせる闘気……これだけの要素が揃っていれば、俺でなくても、この老人が教会側から何らからの任を受けて派遣されて来た戦士だと言うことは瞭然だろう。

 

「(ライザーさんとのゲームが終わって間もないってのに、今度は教会のエージェントのお出ましってわけか。……勘弁してくれよ、マジで)」

 

 俺は心の中で盛大なため息を吐きつつも、決してその動揺を顔には出さず、「へぇ、イタリアですか。昔爺ちゃんが、ピザとかパスタが絶品だって言ってましたね」と相槌を打つ。

 

「爺ちゃん、か……ああ、どちらもとても美味しい自慢の母国だとも」

 

 当時は半信半疑だったけど、現地の人がそう言うとやっぱり説得力を感じる……そういや、爺ちゃんも呪術師として現役だった頃は海外を飛び回ってたって言ってたっけな。

 

「それにしても、この町も随分と栄えたものだ。私が初めてこの地を訪れた時は、ここまで立派な街並みではなかったからね」

 

 道ゆく景色を懐かしむように、老人は細めた目で周囲の建物を見渡している。

 俺はその言葉に特に反応することなく無言で続きを促すと、老人は過去を想起するような遠い眼差しで言葉を紡いでいく。

 

「当時の私は、血気盛んで少々頭の固いところがあってね。とある任務でこの極東の地を訪れた際に、一人の男と出会ったのだよ」

 

 その口元に、どこか少年のように無邪気で、嬉しそうな笑みが浮かんだ。

 

「立場も、信念も、背負っているものも違う相手だった。最初の頃は幾度も拳を交え、互いの胸の内をぶつけ合ったものだが……不思議なものでね。拳で語り合う内に、いつの間にか私たちは、時折この町で再会を果たしては酒を酌み交わすほどの親友になっていたんだ」

 

「へぇ……なんか、漫画みたいな展開ですね」

 

「ああ、本当に。彼とこの町で出会い、友好を深めた日々は、私の長い人生の中でも一、二を争うほど得難く、そして素晴らしい財産だった」

 

 老人の横顔には、かつての旧友を偲ぶ、純粋な哀愁と慈愛が満ちていた。

 その表情を見ていると、この人が悪魔と敵対する教会の人間であるという事実がひどく嘘のように思えてくるが……それでも、油断は出来ない。目の前の老人が俺にとっての絶対強者であることに変わりはなく、一度その拳が振るわれれば今の俺では到底止めることなど不可能なのだから。

 

 やがて、坂道を登り切った先。

 静寂に包まれた広大な市営霊園の入り口が、俺たちの視界に現れた。

 

「ここが目的地の霊園ですよ」

 

 俺が立ち止まって入り口を指し示すと、老人もまた足を止め、霊園の入り口にある看板と、その奥に広がる無数の墓石を見つめて深く頷いた。

 

「おおっ、そうだ、ここだった。……親切な少年よ。私のような老いぼれのために、わざわざ時間を割いて案内してくれたこと、心から感謝する」

 

「いえいえ、大したことじゃないッスよ。困った時はお互い様ですから」

 

 それは俺の本心であるし、何なら爺ちゃんに軽く挨拶でもしていこうかとも考えたが……流石にこれ以上、この人と一緒にいるのは心臓に悪すぎる。

 

「それじゃ、俺はお使いの途中なんでここで失礼しますね」

 

 そう言って、俺が老人に背を向け、足早にこの場を立ち去ろうとした、その瞬間だった。

 

「───少年。少し待ってくれないか」

 

 背中越しに掛けられた、深く、そして有無を言わさぬ重低音の響き。

 ピタリ、と俺の足が縫い止められる。

 

「私にこれほど親切にしてくれた貴殿の名前を、どうか教えてはいただけないだろうか?」

 

 振り返ると、老人が真っ直ぐに俺の目を見据えていた。

 その瞳には先程までの柔和な色が残ってはいるものの、奥底には一切の誤魔化しを許さない、鋼のような意思が宿っている。

 

「(……名前?)」

 

 素直にその言葉をそのままの意味で捉えるべきか、はたまた何らかの探りを入れてるとみて偽名を答えるべきか。

 相手が教会の関係者である以上、一瞬その判断に迷ったが……目の前の老人の真っ直ぐな瞳の前で嘘をつくことは俺には出来なかった。

 

 俺は覚悟を決め、真っ向から老人の瞳を見返して、偽りのない自分の名前を口にした。

 

「兵藤一誠です」

 

「……兵藤、一誠」

 

 老人は俺の名前を口の中で転がすように反芻すると、ふっと、これまでで一番の優しい笑みを浮かべた。

 

「誠実な君らしい、とても良い名前だ。……ありがとう、一誠君」

 

 老人は巨体を揺らして俺に向かって再び深く一礼すると、その顔を上げ、静かなトーンで言葉を続けた。

 

「私は、しばらくの間この駒王町に滞在する予定でね。もしもまた、君とこの町で縁があり、出会う時が来たならば……今日のこの恩を、必ず返させてもらいたい」

 

 しばらくこの町に滞在する。

 その言葉は、俺たちオカルト研究部にとって、そして何より俺自身にとっても決して無視できない特大の爆弾だった。

 だが、老人の放つ空気には、俺やこの町に対する害意のようなものは一切感じられない。ただ純粋に、一人の人間としての義理を果たそうとする、強固な信念だけがそこにあった。

 

「私の名は───ヴァスコ・ストラーダ」

 

 老人は、自らの名を誇り高く口にした。

 

「一誠君。貴殿との良き出会いに、改めて心からの感謝を」

 

『なっ……!?』

 

 老人が自らの名を名乗った、その瞬間。

 俺と同様に老人の言動を注意深く見守っていたドライグが、これまでに聞いたこともないような、信じられないものを見るような驚愕の声を上げた。

 

「(え? どうしたんだよ、ドライグ……)」

 

 そんな相棒の異常な反応に気を取られ、瞬きをした、ほんの刹那の出来事だった。

 

 ザァっと。突如として、霊園の入り口を枯れ葉を巻き上げる一陣の突風が吹き抜けた。

 俺が思わず腕で顔を庇い、すぐに視界を前に戻した時。

 

「消えちまった……」

 

 俺の目の前には、誰もいなかった。

 あれほどの存在感を放っていた二メートル近い巨漢が、闘気の残滓も、足音の余韻すら一切残すことなく、一瞬にして俺の視界から完全に消失していたのである。

 

『……ヴァスコ・ストラーダ、だと?』

 

 誰もいなくなった霊園の前で、俺の脳裏にドライグの戦慄した声が響き渡る。

 その驚きように思わず有名人なのかと問いかけてみれば、ドライグはそんな俺に呆れるように嘆息し老人の正体を明かしてくれた。

 

『教会最強の戦士にして現代の英雄だ。それこそ、奴を最強の人間(・・・・・)と呼ぶ者も少なくないほどのな』

 

「…………マジか」

 

 ドライグから告げられた、あまりにも規格外な事実。

 俺は提げていたスーパーの袋を落とさないよう無意識に強く握りしめながら、誰もいなくなった静寂の空間に、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。

 

 

 

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