「各々がた、無事でござるか?」
ラフレルはようやく呼吸を整えると立ち上がり、剣を血払いして鞘に納めた。
「....僕は大丈夫だよ。何もしてないからね」
ミハイルは額の汗を拭うと、苦笑いしながら答えた。瓶を取り出して、崩れた鬼の死骸から飛び散った破片を収集している。
「おい、木こり殿よ。大活躍じゃねぇか。見直したぜ」
アレハンドロはドヴィックの肩を何度も叩いた。だが当の本人は、何が起こったのかをよく理解できていない顔で、斧を持ったまま茫然と立ち尽くしている。
その時だった。上空で再び巨大な管楽器を鳴らすような不気味な音が響き渡った。一同が思わず見上げると、その音は空に空いた渦巻のような不思議な穴からだった。バラバラになった黒い破片が吸い上げられ、その渦巻に吸い込まれていく。
「あれは一体......?」
ラフレルは思わず呟いた。ミハイルは慌てた様子で破片をかき集めようとしていたが、やがて諦めて言った。
「見たこともないね...。あるいは...あの化け物たちを造った何者かが用意した『ポータル』のようなものかも知れない」
「『ポータル』?」
思わず尋ねると、学者は言葉を継いだ。
「出入口さ。覚えてるだろ?あいつらは空から現れた。ていうことはあの穴は『通路』さ」
学者は瓶を仕舞うと、紙を一枚取り出し、それを二枚折りにしたうえで鉛筆で刺し貫いた。
「三次元空間というものはより高次の次元からするとこういう風に見える。そして高次の次元からこうやって穴を開ければ、遠く離れた場所どうしを繋ぐこともできるんだ。理論上は、ね」
御者と木こりはポカンとした顔で見ている。族長はまだ弓を手放さず、用心深い表情で周囲を見回していた。
「博士。済まぬが、拙者の不明ゆえいまひとつ理解できぬ」
ラフレルが正直に告白するとミハイルは笑いながら頭を掻いた。
「いや、当然さ。高次元の存在は理論だけで実証はされていない。学会で持ち出しても正気を疑われかねないシロモノさ」
「あのもの、去る。我、拝む」
ガブール族長が声をかけてきた。ラフレルが振り返って山道のほうを見ると、新手との戦闘中に見えた不思議な柵のようなものは消え去っていた。
ラフレルは念のため使用済みの火筒を拾い集めると背負った。ようやく落ち着くと、一同は広場を横切って大木に向かった。ミハイルは振り返ると言った。
「いいかいみんな。礼拝中は声を立てないでくれ。できればクシャミや咳もね」
「おいおい、屁が出そうになったらどうすんだよ」
「我慢してくれ。とにかく彼の注意を逸らすようなことは厳禁だよ」
御者と学者は言い合いながら、ガブール族長について行った。ラフレルとドヴィックも続く。近づくと、巨木は呆れるほどの高さで、その幹は家ほどの太さがある。その根元の洞の入り口は五メートル四方ほどもあった。
「さあ、行こう。楽しみだよ。ハプニングもあったけど最高の旅だね」
ミハイルは浮き浮きした調子で族長のあとに続き、洞に入っていく。他の三人も続いた。
* * * * * * * * * * * * * * * *
洞の内部に入ってしばらく進むと、一同は広い部屋に出た。驚くことに、入り口左右に燭台が置いてあり、そこにはまだ火がついていた。
壁は自然木の洞をそのままにしてある様子だ。ところどころに蔦が絡みついている。床には翼のような装飾のついた木のポールが何本か置かれていた。
「凄い....。これも『森の神殿』と共通だ。かつて先住民族は大いに繁栄したという証拠だよ」
ミハイルが手帳に手早くスケッチをつけながら呟く。部屋の突き当りには扉らしきものがあった。円盤のような岩でできており、横に転がすことによって開けるらしい。
族長は弓を肩にかけると扉を開け、皆に手招きした。扉の先は野外だ。目の前には長い吊り橋がかかっている。驚くことに、そこは渓谷の切り立った崖の上だった。振り返ると、大木は崖の上の巨岩にへばりつくように生えていたのだ。
「な...なんて素晴らしいんだろう。自然との一体化だ。彼らの信仰の一部が垣間見えるね」
ミハイルは、族長に続いておっかなびっくり吊り橋を渡りながら言う。一同が向こう岸に到達すると、そこにも扉があった。族長がそれを開け、皆が続いて中に入る。
そこは野外だったが、頭上に濃く木が茂っていて陽光は殆ど射し込まない。現在立っている足場から木道が前方に伸びていて、突き当りにひと際大きな扉が設えてある。
「我、拝む。お前、見る。お前、待つ。お前、選ぶ」
族長が振り向くと言った。アレハンドロは意味を察したように応じた。
「じゃあ、俺はここで待ってるぜ。先生はごゆっくり」
ところがミハイルは御者の腕をつかむとこう言った。
「いや、きみも一緒に来てくれないと。アレハンドロ」
「俺が?なんでだよ。俺ぁ礼拝なんか興味ねぇぞ」
「いや、そうじゃないんだよ。聞いてくれ...いいかい、これから目撃しようとしていることは途方もなく学術的価値の高い営為なんだ」
学者は唾を飲み込むと、勢い込んで続けた。
「だとしたら、目撃者は一人でも多いほうがいい。仮にだよ、僕が一人で礼拝を見学し、その内容を論文に書いたとする。そうしたら、『想像によるでっち上げだ』と疑う者が必ず出てくるんだ。そうなったときのために、目撃者のリストにちゃんと書いておきたい。『ミハイル・デ・ル・ヒンス博士、ラフレル・ソルレントス退役少将、御者のアレハンドロ、そして木こりのドヴィック』ってね」
それを聞くと、御者はミハイルの熱意に押し切られたかのように両手を上げた。
「わあった。わあったよ。ったくそんなに唾飛ばさなくたっていいじゃねえか」
ミハイルは満足そうに微笑むと御者の手を離した。族長は扉に歩み寄ると、軽く唸り声を上げながらそれを押し、横にずらしながら開けた。そして全員が内部に入っていった。
* * * * * * * * * * * * * * * * *
部屋の内部を見回すと、そこは直径五十メートルほどもありそうな広場だった。天井も極めて高い。
壁はほとんどが自然木の状態のようだ。この部屋そのものが、人手で作られたのではなく、元々が巨木の洞であると見えた。
「なるほど...古代の礼拝所にふさわしい場所ですな」
思わず感嘆の声を漏らすと、ミハイルが口に人差し指を当てて黙るように合図してきたので、ラフレルは思わず苦笑し口をつぐんだ。
だが、ガブール族長はどうしたわけか茫然と立ち尽くしたまま動かない。その視線は部屋の向こう側に注がれていた。
視線を辿ってみると、部屋の向こう半分ほどが沼になっている。だが、その沼の水の色が異様だった。汚れているといった問題ではない。毒々しい紫なのだ。
族長の顔がみるみるうちに怒りで歪み、その白い髪の毛が逆立った。
「水、悪い。あのもの、いる」
そう言いながら、族長は肩から弓を下すと矢をつがえた。だがラフレルは困惑し、あたりを見回すと言った。
「族長どの。いったいどこに......?」
だが族長は弓を構えたまま摺り足で前進した。他の四人も困惑顔のままそれに従った。
その時だった。沼の水面が水面が泡立ち、波打ち始めた。
「....お....おいおいおいおい。一体なんだってんだ?」
アレハンドロが呟く。同時に、軽い地響きのような振動が床を揺らし始めた。ドヴィックは不安げに左右を見回す。
ラフレルは反射的に剣の柄に手をかけて引き抜いた。ミハイルが叫ぶ。
「水!水の中だ!」
その刹那だった。沼の水面中央に何かが浮上してきた。水が高く盛り上がったかと思うと、飛沫を飛ばしながら巨大な何かが姿を現した。
水を跳ね上げ顔を出した巨大なそれは、二本の食人植物だった。
その頭の大きさはゆうに大人ひとりをすっぽり呑み込めるほど。その表皮は岩のようにゴツゴツしていて、顎には肉食獣のような牙がいくつも生えていた。
食人植物たちは威嚇するような音を立てて大きく口を開けると、こちらを獲物と見定めた様子で向き直ってきた。
ガブール族長が矢を放った。矢が化け物の口に飛び込む。敵は異物を呑み込んだような様子でほんの一瞬首を傾げたあと、二・三度顎を上下させた。バリバリと音がしたかと思うと、化け物は矢の残骸を吐き出した。
「退避!下がれ!下がれ!」
ラフレルは剣を構えたまま叫んだ。食人植物の一匹が鎌首をもたげると、族長を狙って飛びついた。族長が横っ飛びに躱すと、さっきまでいた空間にバクンと喰いつく牙の音が聞こえた。
「距離をとれ!」
ラフレルが再び叫ぶ。アレハンドロは、なかば引き摺るようにして族長を下がらせた。
「あ...あれはデクババだよ。だけどあんな巨大な奴...文献では見たこともないよ!」
ミハイルがラフレルの後ろに隠れるようにしながら、引き攣った顔で叫ぶ。
「巨大なれど知能は低い。爆弾を喰わせればひとたまりもあるまい」
ラフレルが言うと、ミハイルは聞き返した。
「爆弾....そりゃいいけど、きみ、持ってるのかい?」
「....備えあれば患いなしと申しますぞ、博士」
ラフレルはニヤリと笑うと、腰のポーチに手を突っ込み爆弾を取り出した。するとアレハンドロがそれをひったくり、ウィンクした。
「この手の仕事は俺に任せな!ちょいと行ってくらぁ」
御者は爆弾の導火線のキャップに手をかけながら身を低くして前に進んだ。沼の前まで来ると、キャップを捻って導火線に点火しながら大声を上げて手を振った。
「おい!ご馳走だぞ!一名様早い者勝ちだぜ!」
すると二匹の食人植物は途端に反応し頭をピタリと御者に向けた。ラフレルは思わず叫んだ。
「御者どの!ご無理なさらず!」
二体の敵が一斉に御者に襲い掛かった。アレハンドロは爆弾を軽く空中にトスすると横に倒れ回避した。恐ろしい牙が噛み合う音が響く。御者はほうほうのていで立ち上がるとラフレルたちのほうに戻った。
鈍い爆発音がした。見ると、食人植物のうちの一匹が牙の間から煙を吐きながら萎れ始めている。
「言ったろ?得意だってな」
アレハンドロは指で鼻の下をこすると、もう一つの爆弾をラフレルから受け取った。踵を返して残り一匹に向かっていくと、同じ要領で誘い出し、襲ってきたところで点火した爆弾を喰わせた。
再び爆発音がし、食人植物が萎れていく。御者は立ち上がると両手を打ち合わせた。
「ま、ざっとこんなもんよ」
「き...きみは本当に要領がいいなぁ。冒険者に向いてるんじゃないのか?」
ミハイルは拍手しながら言う。アレハンドロはわざとらしく膝を曲げて一礼すると、おどけた口調で言った。
「まっ...社会に適合できねぇぶんだけ、こういうのは妙に得意なんだよな」
だがその瞬間だった。再び地響きがすると、水面が激しく泡立ち、揺れ動いた。
* * * * * * * * * * * * * * * *
「か...カンベンしてくれよ。まだいるのかい?」
ミハイルが泣きそうな声で言う。アレハンドロも額に汗を浮かべながら水面を見つめている。
やがて数秒たつと、萎れて水面に垂れた二匹の食人植物を押しのけるようにして巨大な何かが出現した。
それは一輪の花のような形をしていた。だが、酷く醜い形をしている。
茎の根元のほうはまるで巨大な木のような太さで、両生類生物の腹のようにぶよぶよとした皮膚で覆われていた。先端の花弁はこれもまた巨大で、分厚い肉質だ。
それに加えて、新手の二本の巨大デクババも左右に浮上して飛び出し、鎌首をもたげた。
そして中央の「花」は蛇のように体をくねらせたかと思うと、茎を曲げ先端の花弁をこちらに向けた。
花弁が大きく開き、『吠え声』を上げた。その中にある巨大な目玉がこちらを見据える。
「あ...あやつは一体...?」
ラフレルも驚愕に目を見開きながら呟いた。
「バ....ババラント........!」
ミハイルが殆ど茫然自失のさまで答える。彼はラフレルの服の裾を掴みながら悲鳴に近い声を上げた。
「ただのおとぎ話だと思ってたのに!木に寄生しながら『魔』を喰って成長する魔力植物だよ!」
その時、ガブール族長が弓に矢をつがえて狙いをつけると放った。
矢は真っ直ぐ飛び化け物の目玉に突き刺さった。化け物は苦痛の咆哮を上げると、その身体を大きく膨らませ始めた。同時に、花弁をすぼませるようにしてこちらに向けてきた。
ラフレルの脳裏に危険信号が鳴った。
「退避!散開して退避!」
次の瞬間、花弁から放たれた毒々しい紫の液体が、一直線を描くようにして襲ってきた。ラフレルたちは逃げまどった。床に落ちた液体から紫の霧が立ち昇る。直撃は免れたが、その霧を吸った五人は涙を流しながら咳き込んだ。
だが、ガブール族長は決死の表情で顔を上げると、弓に矢をつがえて再び前進し始めた。するとそれを発見したのか、『花』の左右の食人植物が鎌首をもたげた。
「族長どの!」
ラフレルはやっとの思いで立ち上がると叫んだ。だがガブール族長は振り返らずに言った。
「我、戦う。我、族長。我、戦う」
出来る限りの近距離射撃を期しているのか、族長は撃たずにジリジリと前に進んでいる。食人植物どもが顎を何度か打ち合わせると、攻撃体勢に入った。
「よせッ!」
アレハンドロが叫ぶと、後ろから追いかける。二体の巨大デクババが襲い掛かった。族長が矢を放つ。矢が飛んでいき化け物の目玉に当たったのと、御者が族長を引き戻したのはほぼ同時だった。
衝突音がして、二人は吹き飛ばされた。牙に嚙み砕かれるのは辛うじて避けたが、岩のような表皮を持つ食人植物の頭に跳ね飛ばされたのだ。
矢を急所に受けた化け物が、またも苦痛の咆哮を上げながら身を攀じっている。御者は呻き声を漏らしながらも立ち上がり、倒れた族長を後方に引き摺った。
「二人とも!...大丈夫かい?」
ミハイルとドヴィックが手を貸した。族長は頭を振りながら立ち上がる。だがその弓はポッキリと折れていた。
「...我、戦う。あのもの、汚す。我、戦う。あのもの、倒れる」
族長は押し出すように言うと、弓を投げ捨てて黒曜石のナイフを引き抜いた。だが御者はその襟首を掴んで揺さぶりながら叫んだ。
「馬鹿野郎!お前が死んだら娘はどうなるんだよ!」
傍らのドヴィックは困り果てたように、仲間たちと化け物を交互に見ている。化け物は意識をはっきりさせるように頭を振ると、再びこちらに向き直った。ラフレルは剣を納め背中から火筒を下すと、手早く発射薬と爆弾を込めた。
「な...なにをするつもりだい、ラフレル?」
気づいたミハイルが驚いた顔をした。ラフレルは発火装置の留め金を起こしながら答えた。
「あやつの急所を火筒で狙いまする。命中すればかなりの時間稼ぎになりますゆえ」
「む...無茶だよ。だって連射はできない構造だって言ってたじゃないか」
ミハイルが叫ぶ。だがラフレルは落ち着き払って言った。
「それは正式仕様の話。実験では三発まで撃てた例もござった」
「だ...だけど二発目で爆発した例もあるって書いてあったじゃないか!」
「危険を冒さねば死地は切り開けぬ。.....ミハイル博士。もし拙者が死んだら」
ラフレルはニヤリと笑って学者を一瞥した。
「特許権は全て貴殿に譲る。どうか火筒の開発を引き継いで頂きたい」
「ば......バカを言うなよ、ラフレル!」
だがラフレルは肩に火筒を背負うと立ち上がった。化け物はもはや完全に立ち直った様子でこちらを睥睨している。その両側にいる食人植物どももカチカチと顎を鳴らして威嚇した。
「各々がた!奴が倒れたら手持ちの武器で援護を!」
そう叫ぶと、ラフレルは返事を待たずに砲口を上げた。やや前進して位置を調整する。
だが、化け物花弁はゆらゆらと動いている。その先端の目玉は巨大だが、それでも直径は人の頭ほどだ。
額を汗が垂れていった。巨大デクババがこちらに気づいた。そのうち一匹が頭をもたげる。ラフレルは思い切ってもう一歩を踏み出した。さらにもう一歩。
猶予は数秒しかない。狙いをつける。距離と角度を推測し照準器の目盛りと敵影を整合させた。
「だ.....ダメだ!喰われるぞ!」
ミハイルの絶望的な声が聞こえた。食人植物が動き出す構えを見せた。
あと少し。あと数瞬。極度に集中したラフレルの目には全てがスローモーションに見えた。
巨大デクババが飛び出す。ほぼ同時に引き金を引く。軽い爆発音とともに砲口から飛び出した飛翔物が、放物線を描いて飛んで行った。
次の瞬間、それが標的に命中し爆発した。
強烈な爆風を受けた化け物花弁は大きくのけ反ると、気を失ったように前のめりに傾いた。そして巨大な茎全体が、こちら側の地面に向かって首をうなだれるようにして曲がり、地響きを立てて倒れた。
途端に族長が黒曜石のナイフを逆手に持って走り出した。片足を引き摺っている。
だが、重い足音がそれを後ろから追い越していった。
ドヴィックだ。
「ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
木こりは雄たけびを上げると、ぐったりと倒れた花弁の先端についた目玉に躍りかかった。
そして跳躍しながら重い斧を高く振り上げると、目玉に振り下ろした。まるで地響きのような衝突音がした。
斧の刃が、化け物の急所を真っ二つに割った。
* * * * * * * * * * * * * * * * *
致命傷を受けた化け物花が凄まじい断末魔の声を上げる。
目玉がその根元からバックリと二つに割れてしまった怪物花は、苦し気に上を向くと、右、左と大きく体を振り回し始めた。
ひとしきり暴れたあと、化け物はやがて動きを止めた。見ると、下のほうから急速に枯れ始めている。先端までが枯れてしまうと、その体色がみるみるうちにどす黒くなっていった。
「.....ラ..ラフレル?生きてるかい?」
ミハイルが恐る恐るの様子で声をかけてきた。ラフレルは落ち着き払って答えた。
「無事でござる。それにしても今回は貴重な教訓でござったな」
火筒を下すと、彼は独り言のように続けた。
「火筒の威力は高いが、巨大生物に単体でとどめを刺せるほどではない。連射可能な構造にするか...それとも他の兵器と併用するか」
「もういいじゃないか。きみが生きててくれただけで十分だよ」
ミハイルは涙声で言いながらラフレルの肩を抱いた。すると族長が声を上げた。
「お前たち、見る。水、清い」
指さすほうを見ると、毒々しい紫だった沼の水の色が退き始め、清らかな澄んだ色に変わっていった。
「へッ...木こり殿よ。なんだかんだでお前さんに持って行かれたな」
アレハンドロがドヴィックの肩を拳でつつく。木こりは困惑して顔を伏せた。
「ワシは....よく覚えとらんのです。ただ旦那が危ないと思って.........」
「お前さんは立派な父親だな。ガキどもに自慢できるぜ。魔物を倒したってな」
そう呟く御者の目には涙が浮かんでいた。ラフレルはそんな御者の肩を叩くと言った。
「貴殿も危険な役割を引き受けた英雄のひとり。誇ってよいですぞ」
「へッ.......まぁ、仲間うちじゃぁな。拳闘やってた頃よりは気分いいぜ」
「さあ、もう帰ろう。今回の調査旅行の目的は全て果たしただろ?」
ミハイルが眼鏡を上げて目を拭うと、促した。
「鉄の矢、強い。あのもの、痛い。我、好む」
族長は興奮冷めやらぬ様子でしきりにラフレルに言う。
「我、探す、お前、教える」
ラフレルは困惑気味で答えるしかなかった。
「心得ておりまする。必ずや城下町の商店にご案内して差し上げますゆえ」