「驚いたよ。まさか...黄金郷なんてものが本当にあったなんてね....」
ミハイルはそう呟きながら、何気なく自分の懐に手をあてた。ラフレルも同様に、確認するように自分の胸元を探った。手に、ズッシリとした袋が触れる。
「...ですが、博士。他言は無用ですぞ。族長からは『村の所在を決して他人に漏らすな』と釘を刺されましたゆえ」
ラフレルが小声で言うと、学者は頷いた。
「そうだね。魔物退治の謝礼としてこれをくれた族長の好意を裏切るようなことはしたくないからね」
二人は、オルド村にあるドヴィックの家の前に腰かけ、寛いでいたところだった。ドヴィック夫人プリュシュカは、元気を取り戻し始めた次男レグの看病をしている。ドヴィックは野良仕事に出かけ、長男のジルオはアレハンドロに拳闘のやり方を教わってるところだった。
「そうだ。ワン、ツー。もっと足を使え。へっぴり腰じゃ当たんねぇぞ。それ、もう一回」
静かな村に御者の掛け声が響く。少年は額に汗を浮かべながらも、御者の手のひらに向けて一心不乱に拳を振るっていた。
「.....それにしても、あのあとも驚くことばかりだったよ。まさか、族長がきみに向かって『ファプタの婿になってくれ』なんて頼んでくるとはね」
ミハイルが御者と少年を眺めながら言う。ラフレルは苦笑しながら首を振った。
「...我ら外部者の倫理で裁くことはできぬかも知れませんが、ああした閉じた共同体の風習というものは想像を絶するものがありまする。やはり長く逗留することはできませぬな」
「彼らの外見にはほとんど混血が見当たらなかったよ。てことはラフレル、きみは族長にとっては長年にわたっての同族結婚の風習を破ってまで村の中に取り込みたいほどの人材だったってことだじゃないか?ほら、言ってたじゃないか。『お前、入る。村、強い。お前、入る。村、栄える』って」
ミハイルが族長の口真似をする。ラフレルは手を振って否定した。
「買いかぶりというものでござる。それにそもそも拙者は家庭のある身」
その時、アレハンドロが構えを解くとジルオ少年に言った。
「よし、このへんでいいだろ。だいぶサマになってきたぜ、坊主」
「ありがとうおじさん!」
少年は上気した顔で言うと喜ばしげに自分の両の拳を見つめた。
「よぉし。これでもう喧嘩に負けないぞ!僕、最強だ!」
「バカ野郎!誰が喧嘩に使っていいなんつった?」
突然の叱責に、ジルオ少年はビクっと目を見開いて相手を見上げた。
「....いいか、坊主。よく聞け」
御者は再び穏やかな声に戻ると、身を屈めて少年に視線を合わせた。
「お前がその技を使っていい場合ってのはたった一つしかねぇ。母ちゃんか弟が危ない、そんでお前の親父も近くにいない。守れるのはお前しかいない。そういう時だけだ。わかったか?」
少年はしばらく御者の顔を見つめていたが、やがてそっと頷いた。
「...わかったよ、おじさん」
「よぉし。いい子だ」
アレハンドロは少年の頭をポンと撫でると言った。
その時だった。他の家々の周囲で立ち働いていた村人たちが突然手を休め、村の入り口に目を向けた。
親の傍で遊んでいた子供たちも、ただならぬ雰囲気に気づいたかのように顔を上げた。
その視線の先にはひとりの人物がいた。
荒布のチュニックを着てマントを羽織った、背の高い男。真っ白に近い髪に浅黒い肌。野生動物のような引き締まった体。肩には弓をかけ、背中には矢筒を背負っている。
「ママ...怖い。だれ?」
「シッ...!見るんじゃないよ!」
隣の家にいた母子が会話を交わすのが聞こえた。
「族長どの....」
ラフレルは思わず立ち上がって迎えた。目の前に立ち軽く膝を曲げて礼をしたあと、声をかけた。
「お怪我はすっかり良くなられたご様子ですな?」
「鉄の矢、強い。我、探す。お前、教える。約束」
するとガブール族長は微笑んで口を開いた。ラフレルは
「もちろん、その約束は覚えておりまする。城下町にご案内しますゆえ、どうぞ、我らの馬車にお乗りくだされ」
村の女や年寄りたちが遠巻きになって眺める中、アレハンドロが馬車の支度を始めた。すると、話しを聞いたのか、ドヴィックが斧を担いだまま村に戻ってきた。
「旦那...先生...」
木こりは寂しさの入り混じった微笑みを浮かべながら一同を見回した。
「御者どの...それに族長さま。ワシは一緒に冒険できて楽しかったです。ですが....ワシはもう郷から離れないとせがれに約束したです。これからは、出稼ぎせずに生計を立てる方法を考えるです」
「しっかりやれよ。カミさんを大事にな。ま、言われなくてもそうするだろうけどよ」
アレハンドロは御者席に跨りながらウィンクした。ミハイルは木こりの肩を叩くと言った。
「寂しくなるよ。いつかまたこの村に来てもいいかい?」
「もちろんですだ、先生。大歓迎ですだ」
「木こりどの。貴殿のお働きがなければ拙者も、他の皆も今頃生きてはいまい。その勇気はこのハイラルにおいて語り継がれましょう」
ラフレルは木こりの手をしっかりと握る。ドヴィックは照れ笑いをしながら首を振った。
「ワシは...よく覚えておらんのです。ただ、旦那が危ない、とそう思ったら勝手に身体が動いて......」
「お前、強い。我、好む」
族長が木こりを指さして言う。ドヴィックは気弱な笑顔を返すのみだった。
やがて馬車は出発し、森の中の道に入っていった。
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
村から伸びる小道を数時間進むと、馬車はハイラル南平原に出た。
ラフレルは気づいた。往路では空がどんより曇っていたのに、今日は快晴だ。
「うわぁ、なんだか青空が久しぶりって気がするね」
荷台の後部に座っていたミハイルが晴れ晴れとした声を上げて伸びをする。だがラフレルは釘を刺した。
「博士、後方の警戒をお頼みしますぞ」
「...わ、わかったよ。まったくきみって人は油断がないなぁ」
だが、馬車がしばらく北上するとアレハンドロが罵声を上げた。
「なんてこった。まだ水が流れてやがる。これ以上進めねぇぞ」
前方を眺めると、来るときに通った水無川に豊かに水が流れている。その水流は鉄砲水のような不吉なものではなく穏やかなものだったが、それでも馬車が通れないことには変わりない。
「御者どの。確かここより西方、平原中心部あたりに橋があったはず。そこから北上されてはいかがか」
ラフレルが言うと御者は溜め息をついた。
「ッたく面倒臭ぇなぁ。遠回りになっちまうぜ」
文句を言いながらも御者は西に針路を変えた。幸いなことに、道はよく踏みならされた街道だったので馬車は快速に進むことができた。
ミハイルは後方を見張りながらも口を開いた。
「...ラフレル。今回僕らは渓谷上流の魔力の源を除去したわけだけど...これですべてが解決したと思うかい?」
「...どういう意味ですかな、博士?」
ラフレルは前方を注視しながらも尋ね返した。
「僕は思うんだ。もしあの黒い鬼が『人工戦士』だったとしたら、あんな技術を持った存在がこれくらいで目的を諦めるはずがないってね」
それを聞いたラフレルはしばらく考えたあと、まるで自分に言い聞かせるように答えた。
「....拙者にはわかりませぬ。未知の領域を探ることを生業とする科学者ならば、仮説により事象の意味を見出そうとするのは必定かも知れませぬが...拙者はいち軍人に過ぎませぬゆえ」
そしてまた言った。
「『目的』..とおっしゃいましたが、博士。それではあの黒い鬼を遣わした何者かはいったい何の目的でそうしたとお考えか?」
するとミハイルもしばらく黙り込んでいたが、やがて口を開いた。
「...古代の礼拝所を占拠し、巨大魔力生物を飼育し、水源を汚染する。どう考えても良識的な人物とは思えない。むしろ逆さ。....おそらくこのハイラルを我が物に、と企む何者か....」
すると、ラフレルの脳裏に唐突に『魔王』という単語が浮かんだ。だが彼は眉を軽く顰めると首を振った。『魔王』などというものは久しく出現していない。お伽話。あるいは伝説の
そして彼は言った。
「あるいはそうやも知れませぬ。そうでないかも知れませぬ。ですが...このラフレル。平時であろうと戦時であろうと、力を蓄えいざという場合に備える必要を常々王城に対して提案して参った」
ラフレルは目の前に広がる平原を見やりながらも言葉を継いだ。
「拙者はもはや王城内部の人間ではない。だが、それでも機会をとらえて働きかけるつもりでござる」
それきりその会話は終わった。ラフレル、学者そして御者は世間話に興じ、族長は荷台の幌に背をもたせかけながら鋭い目で時折外を眺めている。やがて日が暮れると一行は南側の岩崖の足元で宿営を張り、翌朝早く出発した。
さらに西方を目指して進む。出発からしばらくすると、アレハンドロが声を上げた。
「おい旦那、あれか?」
顔を上げると、しっかりとした木組みの橋が前方に見えてきた。馬車は針路を変え、橋に向かった。すると、橋の上にさしかかったところで御者がまた声を上げた。
「おい旦那、見ろよ!珍しいモンが通るぜ」
後方にいたミハイルもやってきて、アレハンドロが指さすほうに注目した。橋は周囲の地形よりやや高いところに設置されていたので、遠く北方の平原の様子が一望に見渡せた。
旗印を掲げた行列がこちらに向かってきている。相当の規模だ。ラフレルは腰のポーチから遠眼鏡を取り出すと、覗き込んだ。
「これは驚きましたな」
ミハイルに遠眼鏡を手渡しながら、ラフレルは言った。
「おそらく王家に次ぐような貴人の隊列ですぞ。旗印に翼の家紋が見えますし、何よりも従者の身なりが違いまする」
「こ....こりゃぁ豪華だね。いったいどこの貴族家だろう」
ミハイルも遠眼鏡を覗きながら声を上げた。
「なあ旦那。こういう時ってよ、俺らは道の端で止まって頭下げてなきゃいけねぇのか?」
アレハンドロがやや不安げに尋ねる。ラフレルは答えた。
「明文法はありませぬが、そうするのが慣例上好ましいのは確かですな」
「やれやれ。また足止めかよ。カンベンしてくれってんだ」
御者は溜め息をつくと、手綱を引いて馬を減速させ始めた。やがて馬車が止まると、アレハンドロは御者席にもたれ掛かりながら目を閉じた。
「じゃ、旦那。近くまで来たら教えてくれ。俺はちょっとひと眠り.....」
だがラフレルは答えなかった。ミハイルから受け取った遠眼鏡を覗き込むと、真剣な面持ちで平原を走査している。
「...どうした、旦那?」
御者が身体を起こして尋ねた。だがラフレルは沈黙したままだった。そして手招きして族長を引き寄せると、言った。
「族長どの、どう思われる?」
ミハイルが通訳しようとしたが、そうするまでもなかった。族長は鋭い目つきで平原をじっと見つめていたが、やがて口を開いた。
「鬼。伏せる。たくさん」
「え....?いったいどういうことだい?」
ミハイルが困惑して尋ねる。
「...待ち伏せでござる」
ラフレルは答えると、平原のあちこちを指さした。午前の陽光に照らされた平原はいつもと変わらぬ変哲のない風景に見える。だがラフレルは続けた。
「不自然な形の草木が見えまする。それも一本や二本ではない。巧妙にカムフラージュしたつもりなのだろうが、裏の角度から見られるとは思っていなかったのでしょうな」
「ま...待ち伏せ...って」
ゴクリと唾を飲みながらミハイルが呟いた。ラフレルは冷静に言葉を継いだ。
「その目的は論じるまでもない。あの貴人の隊列を狙ってのこと。食人鬼にせよ、略奪を好むボコブリンにせよ、あれ以上の獲物はなかなかありませぬゆえ」
ガブール族長を見ると、既に弓を肩から下ろし、弦を指で弾いて張り具合を点検し始めている。ラフレルは腕を組んでしばらく思案していた。ミハイルとアレハンドロは、困惑気味の表情で二人を見比べている。
だがやがてラフレルは言った。
「各々がた。このような時にすべきことはただ一つ。鬼どもに背後から奇襲をしかけ待ち伏せの目論見を潰えさせ、その後奴らを攪乱して貴人の隊列を援護する。いかがか?」
御者はすぐ反応し、ニヤリと笑った。
「まぁたまた面白れぇことになってきたじゃねぇか。お陰ですっかり眠気が覚めたぜ」
「...わかったよ。でも僕はあんまりお役に立てないかも知れないけど.....」
ミハイルは気弱に溜め息をついて答える。ラフレルは作戦を説明し始めた。
「まず、御者どの。貴殿は何も気づかない振りをしてこのまま馬車を進める。奴らの待ち伏せ地点にさしかかったところで、拙者が草原に爆弾を投げ込む。鬼どもを炙り出したところで、御者どのが馬車を加速」
ラフレルは手を馬車に見立てて旋回させる仕草をした。
「貴人の隊列の手前で旋回させ、出てきた敵を族長が撃つ。密集している箇所があれば拙者が爆弾を投擲。隊列にも武装している者はあろうが、こちらは可能な限り敵の戦力を削り、形勢を決定的有利に持ち込む」
ミハイルが通訳すると族長は力強く言った。
「鉄の矢、強い。我、射る。鬼、倒れる」
ラフレルは顔を上げると、宣言した。
「以上...。では、作戦開始いたそう」