良く晴れた午前。
一台の馬車が木組みの橋を渡り切り、ハイラル平原の北部に向かって走り始めたところだった。
御者のアレハンドロは鼻歌を歌っている。だが、その傍らにいた学者ミハイルは青白い顔色をしながら言った。
「....き...きみはよくそんな風にしていられるなぁ。これから戦闘が始まるってのに」
「ぁ?だってよ、『何も気づかない振り』って旦那が言ってたじゃねぇか。そうだろ?」
「そ...それはそうだけど....」
御者はまた鼻歌を続ける。ラフレルは背嚢から出した爆弾を腰のポーチに移し、一個を手に握っていた。ガブール族長は矢筒から矢を一本抜き出していつでもつがえられるように構えている。
ラフレルは幌の後部から外を伺っていたが、やがておもむろに飛び降りた。手にした爆弾に点火すると、助走をつけながら街道脇の草原に向かって思い切り投げつける。
それがまだ空中にあるうちに、ラフレルは二個目に点火し、今度は逆方向に向けて投擲した。
爆発音が平原に響いた。一度。二度。
同時に、鬼が数匹悲鳴を上げて茂みから飛び出してきた。蓬髪に鉈を持ったボコブリンたちだ。ラフレルは何個か追加して爆弾を投擲すると、後部から馬車に飛び乗って叫んだ。
「御者どの!加速を!」
アレハンドロが馬に鞭を当てる。たちまち馬車は速度を上げた。
* * * * * * * * * * * * * * * *
「隊列が異変に気付き始めたようですな」
疾走する馬車の御者席の脇で、ラフレルは遠眼鏡を覗きながら落ち着き払った声で言った。
その時、荷台の後部に陣取っていた族長がやおら弓を引き絞ると放った。泡を喰ったように道に飛び出してきたボコブリンが、額の真ん中に矢を受けて棒立ちになったかと思うと、崩れ落ちていった。
「あれほどの規模だから、きっと護衛もたくさんいるに違いないよ。ラフレル、きみがそんなに頑張らなくたって....」
ミハイルが横から言う。だが、その瞬間ラフレルが顔をしかめた。
「...これはあまり良くありませんな」
隊列に目をやると、護衛の者たちが抜いた剣が陽光を反射して煌めいている。そして一列縦隊だったのがみるみるうちに楔型の防御隊形に組み変わった。前衛を護衛兵が固めている。
「どうしたんだい?」
ミハイルが尋ねるとラフレルが答えた。
「弓兵でござる。不覚ながら見落としておりました」
ラフレルは遠眼鏡を仕舞うと、族長を身振りで引き寄せた。ガブール族長は瞬時に了解すると、弓に矢をつがえて引き絞った。
遠く隊列の左右の茂みから、伏兵が飛び出してきている。手に持った弓を構えているのが見えた。だがこちらからはまだ距離が遠い。
「おいおい、こんな距離で当たるわけねぇだろ」
アレハンドロが呆れた声で呟く。だが族長は大きく仰角を取って矢を放った。
ヒュンと音を立てて、放物線を描いた矢が飛んでいく。やがて矢がものの見事に命中し弓兵の一人が悲鳴を上げながらうつ伏せに倒れた。
「しかも馬車の上から....あ。当たりやがった。気が狂ってやがる」
御者はそう言ってしまったあと慌てて言い訳した。
「もちろんいい意味でだぜ。誤解すんなよ、族長?」
「鉄の矢、強い。我、撃つ。鬼、倒れる」
族長は得意そうに言うと、再び矢をつがえて放った。飛んでいった矢が別の弓兵に命中し、また悲鳴が上がった。
いっぽう、隊列は完全に戦闘体勢に入ったようだ。護衛兵が散開していき、手近にいた鬼どもを斬り倒し始めた。
ブルブリン弓兵が矢を放とうとするたびに、ガブール族長が先手を打つ。その矢は、まるで意志を持っているかのように正確に命中した。
狙撃の試みがことごとく邪魔されたブルブリンどもは、とうとう作戦を切り替えた。
平原の左右に散っていた鬼の弓兵どもが、馬車に向かって矢を射かけ始める。周囲の地面に矢が突き刺さり始めると、ラフレルは号令をかけた。
「旋回!」
「おうよ!」
アレハンドロが手綱を引いて減速するとともに、ハンドブレーキを引いた。方向を変えながら馬車がドリフトしていく。こちらに弓を向けようとしたブルブリンが一匹、荷台に跳ね飛ばされて悲鳴を上げた。
直角に針路を変えた馬車は、さらに旋回しながら平原を疾走する。後方に戻ったガブール族長が次々と矢を射る。そのたびに鬼の悲鳴が上がった。
「鉄の矢、強い!」
族長が叫ぶ。だが敵方は馬車への攻撃に集中し始めた。飛んで来た矢が幌に突き刺さる。幌を貫通した敵矢の矢尻がミハイルの顔の脇から飛び出し、学者は腰を抜かさんばかりの顔で悲鳴を上げた。
「博士、真ん中で姿勢を低くしておられよ」
ラフレルは声を掛けると、族長の横に並んで新たな爆弾を取り出した。ボコブリンの歩兵たちが喚き声を上げ、棍棒を振り上げながら馬車を追いかけてくる。ラフレルは撃とうとする族長を手で制すると、爆弾に点火してそっとトスした。転がっていった爆弾が爆発し、歩兵どもが吹き飛んだ。
馬車はやがて戦闘を開始した橋のたもとに向かっていった。ボコブリンどもがうじゃうじゃとたむろしている。皆、怒り狂って武器を振り上げていた。
だが、ガブール族長が馬車の前部に移動すると、問答無用で射撃を開始した。食人鬼どもは額の真ん中に矢を受け、次々と棒立ちになって崩れ落ちていく。
「族長どの、そろそろ矢を節約されてはいかがか?」
ラフレルは言った。族長の矢筒にある残りはもう少ない。
「鉄の矢、強い。我、探す。お前、教える」
族長は興奮も冷めやらぬ様子で答える。ラフレルは苦笑しつつも、諭すように言った。
「心得ておりまする、族長。しかし、貴殿ばかりに頼り切りではこのラフレル、元ハイラル軍人との肩書きが廃るというもの」
ラフレルは剣を抜くと、馬車の後部から飛び降りた。驚いたアレハンドロが馬車を急停止した。
「退避しておられよ。隊列が来るまでここにいる敵をできる限り減らすことと致そう」
「おい旦那!族長が怒ってるぜ!」
指示すると御者が叫び返した。再び発進した馬車から、ガブール族長が飛び降りてくると不満げに言った。
「お前、ひとり。鬼、多い。お前、欲張り」
「承知いたした。では背後はお願いいたしまする」
ラフレルは苦笑しながら周囲を見渡した。矢を免れたボコブリンどもが鉈を構えながらこちらを包囲し始めている。
距離が縮むと鬼どもの荒い息遣いが聞こえてくる。数は二十を超える。
やがてボコブリンどもが一斉に襲い掛かってきた。ラフレルは先頭の個体の斬撃を剣で弾くと、袈裟斬りで深手を負わせ、突きで止めを刺した。だが次々に新手が来る。
力を失った個体の身体に隠れるように身を伏せる。複数の鉈がその鬼に誤爆した。
前蹴りで死体を蹴って剣を抜く。気を取り直した鬼どもが再び斬りかかってくる。ラフレルは身を沈めてギリギリまで待つと、気合いとともに回転斬りを放った。深手を喰らった鬼どもがのけぞり、後じさりする。
肩越しに振り返ると、族長は一匹の心臓を射抜き、逆手に持った黒曜石のナイフで別の一匹の首を切り裂いたところだった。目にもとまらぬ速さで撃ったばかりの矢を引き抜くと、新たに迫った敵の額をほぼゼロ距離で撃ち抜く。
そして横から斬りかかってきた斬撃を蝶のように躱すと、弓に矢をつがえながら足払いで敵を転ばせ、倒れている最中のそいつの胸に矢を撃ち込んだ。
残りの鬼どもは、手強いと見て攻めあぐね始めた。そこに、思い切り加速をつけた馬車が突っ込んできた。数匹が車輪に轢かれ、免れた者たちも荷台に跳ね飛ばされて尻餅をつき、罵声を上げる。
うろたえ始めた敵に、ラフレルは自分から仕掛けた。近くにいた鬼に斬りかかり、上段から撃ち込むと見せかけ、胴を払う。さらに左右袈裟斬りをかけ、前蹴りで倒してから止めを刺した。素早く顔を上げ、中段に構える。
まだ戦意を失っていない鬼が喚き声を上げ斬りかかってきた。剣で鉈の一撃を逸らしながら半身になって間合いを詰め、逆袈裟斬りを喰らわせ、返す刀で首を刎ねた。飛んでいった首がドスンと音を立てて落下した。
半数近くを失った敵は、浮足立ち始めていた。馬車は遠くまで走り去ったかと思うと、また旋回し、二度目の体当たりを狙って加速している。
ふと視線を感じ、ラフレルは振り返った。ガブール族長がこちらに向けて弓を構えている。困惑したラフレルが反応する間もなく、族長は矢を放った。
真っすぐに向かってきた矢が、空中で方向を変えた。ラフレルの顔の横を通り過ぎると、背後に立っていた何者かの額に命中した。
驚いて振り向くと、馬車に跳ねられ倒れたはずのボコブリンだった。息を吹き返し、ラフレルを狙って武器を振り上げていたのだ。
「お前、見ない。我、撃つ」
族長がどうだと言わんばかりに首を傾げてこちらを見た。ラフレルは思わず破顔一笑し、丁重に膝を曲げて礼を述べた。
「族長どの。このラフレル命を助けられましてござる。このご恩忘れませぬ」
馬車が加速し、生き残りの鬼どもに突っ込んでいく。再び数匹が跳ね飛ばされた。残った者たちは殆ど戦意を失っていた。だが、族長は周囲の鬼たちの死体から矢を引き抜くと、まだ生きている敵に向かって次々と放った。頭部に矢を喰らったボコブリンたちは一様に力を失い、ゆっくりと倒れていった。
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「い...いやあ、言葉もないよ。族長の戦いぶりはまるで鬼神だね」
馬車から降りてきたミハイルが、こちらに駆け寄りながら漏らした。そして何事か族長に言うと、族長は何でもないといった様子で肩をすくめこう言った。
「石の矢、弱い。石の刀、弱い。我、戦う。我、強い」
「なるほど、威力の弱い石器武器で戦わざるを得ない以上、射撃術と体術とで補ってこられたのですな」
ラフレルは剣を血払いしながら、ニュアンスを察して言った。アレハンドロも馬車から降りてくると、戦場を見渡した。生き残った鬼どもは散り散りになって逃走し始めていた。
「...ずいぶんな働きぶりじゃねぇか旦那。こりゃ褒美でも貰えそうだな。だろ?」
「このような働きは褒美目当てにするものではござらぬ。あくまで忠義のゆえにて」
「...わぁッた、わぁッたよ。ッたくあんたって奴は堅っ苦しいったりゃありゃしねぇ」
ラフレルの答えに御者は苦笑いするしかなかった。
すると、騎馬の足音が急速に近づいてきた。一同はそちらに顔を向けた。
いかにも高価そうな甲冑に身を固めた騎兵が、こちらに走り寄ってくる。やがて騎兵はラフレルたちの前で停まり、下馬すると丁寧に頭を下げてきた。
「皆さまがた。こたびは凶悪な鬼どもに待ち伏せされたところを、我が方に加勢いただき感謝いたしまする」
「当然のことをしたまでにて。今後の道中のご無事を祈念しております」
ラフレルもまた丁寧に頭を下げながら返答した。すると騎兵はさらに言った。
「奥方さまが是非貴殿とお話しがしたいと仰っております。皆さまもまた旅の道中かとは存じますが、よろしければ是非....」
ラフレルは仲間たちと顔を見合わせたが、すぐに答えた。
「拙者は構いませぬ。....しかし、貴婦人の隊列であったとは知りませなんだ。奥方さまにお怪我などは?」
「無事でございます。これもまた皆さまがたの助力のお陰。さ、こちらへ」
騎兵の案内で、ラフレルたちはゆっくりと馬車を進ませて隊列のほうに向かった。
隊列に近づくにつれ、ラフレル一行はその威容に目を奪われた。
染め抜かれた旗印は絹製と見え、その縁には綺麗に房がつけられている。従者たちの身なりも極めて良い。
そして、一頭の馬に乗った貴婦人がその中央から進み出てきた。ケープを纏い、その胸元には赤子を抱いている。
ラフレルは馬車を降りた。すると貴婦人は従者の助けによって馬から降りると、ラフレルの前まで歩み寄り、丁寧に頭を下げてきた。ラフレルは思わず深く膝を曲げて身を低くし、返礼した。
仲間たちも慌てて馬車から降りると身を低くする。どうしたわけかガブール族長までもが、貴婦人の雰囲気に圧倒されたかのように丁寧に身体を曲げて挨拶をした。
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貴婦人が纏っているケープの布地は見たこともないような上等なもので、黒地に薄い紫の刺繍がしてある。彼女の顔はとても美しく、二十代後半から三十代のように見えたが、そのたたずまいと立ち居振る舞いとはあきらかに、極めて高い地位にいる者のものであった。
「このたび魔物たちの企みを打ち破り、わたくしの身を守ってくださった皆さまがたのお働き。感謝にたえませぬ」
貴婦人が口を開いた。文字通り珠を転がすような美声だった。
「....い...いいえ。至らぬ手伝いをしたまでにございます。奥方さまの手勢は強く手練れかと拝察しておりましたが、それでも義を見てせざるは...と考えまして」
ラフレルは我に返ると答えた。すると貴婦人は問うてきた。
「お陰で、誰一人怪我ひとつ負うことはありませんでした。貴殿の勇気、嬉しく思います。あなた方のお名前を教えていただけませぬか?」
「拙者はラフレルと申します」
問われてラフレルは答えた。そして背後にいた仲間たちに合図した。
「私は学者のミハイルです。光栄です、奥方さま」
「お....俺はアレハンドロって言いやす。辻馬車の御者でさぁ」
「我、ガブール」
自己紹介が済むと、貴婦人は柔らかい微笑みを浮かべながら言った。
「これで旅の目的も無事果たせそうです。皆さまがたのご恩は忘れませぬ」
「ばぶ....」
その時、貴婦人の胸元に抱かれていた赤子が身じろぎした。ラフレルは思わず視線を向けた。まだ生後数か月の、丸い頬をした赤子だった。金色の髪と青色の瞳をしていて、その耳が高く尖っているのが目を引いた。
「奥方さま...恐れながら」
ラフレルは頭を低くしながらも口を開いた。
「これほど多数の鬼どもが一度に出現するなど、近年例を見ないことでございます。どうかこの先の道中もご用心召されますよう」
そして、少し
「もしよろしければ、このラフレルおよび一同。奥方さまの目的地まで、護衛して差し上げます。無論、奥方さまの手勢で十分ではござりましょうが、兵力は少しでも多い方がよいかと」
それを聞いた貴婦人は少し考えていたが、やがてにっこりと微笑んだ。
「皆さまの旅を妨げることになるのは、心苦しいですが....それでもそのお気持ち、たいへんうれしゅうございます。それでは、しばらくの間だけでも、お願いいたしまする」
そのようにして、ラフレル一行は貴婦人の隊列に同行し、ハイラル平原を南下することになった。
ラフレルは徒歩で貴婦人の馬の手綱を引いて付き添い、他の仲間たちは馬車に乗ってゆっくりと進んだ。
そしてラフレルは、この謎めいた貴婦人から世にも奇妙な話を聞かされたのである。