「族長どの、本当にひとりで帰られるのか?」
ラフレルは心配になって尋ねた。ガブール族長は肩に弓、背中に矢筒といった旅支度のうえに、山ほどの矢束を背負っていた。遠くから見ると、まるで薪拾いの帰りにしか見えない。
「鉄の矢、強い。我、撃つ。鬼、倒れる」
族長は答えると、嬉しそうに言葉を継いだ。
「鉄の矢、強い。村、強い。村、栄える」
「大丈夫だよ。だって彼のべらぼうな強さ、きみも見たろう?」
傍らにいたミハイルが請け合った。三人は、城下町東門からハイラル東平原を見渡す場所に立っていた。族長は二・三日城下町に逗留していたが、矢束や短刀といった武器類を購入すると、すぐに帰りたがったのだ。
「我、帰る。娘、待つ」
「そうだね。ファプタ嬢によろしく。元気でって伝えてくれ」
ミハイルは言うと、それを通訳してもう一度繰り返した。
「お前、来る。お前、来る」
「かたじけない。ではいつかお世話になることといたそう」
族長は二人の手を固く握ると、踵を返して歩き始めた。ラフレルとミハイルは相手の姿が見えなくなるまで見送っていた。
「――さて、困ったことになったよ。どうしたらいいのかなぁ」
族長が去ると、ミハイルは町に向けてゆっくりと歩きながら考え込むように言った。ラフレルが顔を上げると、学者は続けた。
「いやね、今回の旅で大きな収穫があったはいいが、それを論文に書いてしまったら、いずれあの村の所在も明らかにしなきゃならなくなる。すると、族長との約束を破ることになる。かと言って、あの村のことだけ伏せていたのでは信憑性がなくなってしまう。だからいろいろ考えると、あれだけ多くの発見があったけど、あの礼拝所やフィローネ先住民族の存在は......」
「ご自分の胸に留めておかれたほうがよいですな、博士」
ラフレルは引き取った。するとミハイルは情けない声を出した。
「...そ...そう簡単に言うけどさ、きみ、わかるかい?学者にとって、発見した新しい事実を発表しないでいることがどんなに辛いことなのか」
「そうかも知れませぬ。ですが、あの族長たちの平穏を乱すようなことは、このラフレル絶対に反対いたしますぞ」
ラフレルが告げると、ミハイルはしょげ返った表情で俯いた。
「わかってるよ。そうすべきだって。わかってるさ。でもなぁ....」
二人が町の門を潜ったころ、誰かが慌ただしく駆け寄ってくるのが見えた。
「ラフレル卿!ラフレル卿!」
見ると、王城の若い執事のひとりだった。目の前に来るとやっと立ち止まったが、ひどく息を切らしていた。
「ラフレル卿!..お探ししましたぞ。一週間以上行方知れずでおられましたゆえ...」
「これはこれは申し訳ない。少し旅行に出ておったもので。いかがなされた」
「王陛下がお呼びです」
執事の言葉にラフレルは驚いた。
「陛下が?」
「はい、すぐにと。ご案内いたしますゆえ、さぁ」
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
「ん....ラフレルか?」
王城の最上部、謁見の間にラフレルがしずしずと入っていくと、玉座のほうから声が聞こえた。
「ラフレルにござります、陛下。旅に出ておりましたゆえ、ご不便をおかけしましたこと、お詫び申し上げます」
ラフレルが
「いやいや、それはよいのだ。たまには羽を伸ばすことも必要だからのう。それより....あぁ....なんだな」
王はわざとらしく咳払いすると切り出した。
「こないだは、ゼルダがちょっと怪我をしたことで儂も慌てておってのう。お主の去就をああやって即決してしまったのだが....じゃが少し思うところもあっての。どうじゃ、お主のために王城内に役職をみつくろってやってもよい。考えてみんか?」
それを聞いたラフレルは心から驚いた。また、王城に対して抱いていた一抹の怨嗟のような気持ちがたちまち霧消していくのを感じた。
「ありがたき幸せに存じます、陛下」
ラフレルは頭を下げたあと続けた。
「陛下のお優しいお心遣い、感謝にたえませぬ。ですが......」
「なんじゃ、なにか不満か」
「いえ、滅相もございません。陛下のご温情には深く感じ入っている次第でございます。ですが、このラフレル、たった今、王城内とも軍の内部とも違う、世で働く民草の暮らしを自ら経験し始めたところでござります。もし、拙者の生計を慮って下さっているのなら、どうかご心配なきよう....」
「ん、もう仕事が決まったのだな。わかった。ならよい。下がってよいぞ」
王は無造作に言うと、手で追い払う仕草をした。ラフレルは再び恭しく頭を下げると玉座のほうを向いたまま退出しようとした。
その時だった。身なりの良い老人が、身を低くしながらも急いで入ってきた。大公だ。
大公は王の傍らに寄って何事か耳打ちする。王は驚きに目を見開くと、確認するように大公の顔を見た。
「確かでございます、陛下。村長からの報告がありましたゆえ」
「ふうむ.....」
王は唸るような声を上げると腕を組んだ。そして顔を上げ、ラフレルがまだ室内にいるのを見ると、手招きした。
「ラフレル、待ちやれ。お主に聞きたいことがあるでの」
「はっ....」
ラフレルは再び玉座の前に戻った。
「ラフレル、お主、フィローネ地方のオルド村を悩ませていた魔物を倒したというのはまことか?」
それを聞いたラフレルはやや驚いたが、軽く頭を下げて返事をした。
「....はい、まことにございます。陛下」
「お主、そのようなものを見たのならなぜ王城に報告せぬのだ」
問われたラフレルはやや困惑したが、恐縮した様子でこう答えた。
「申し訳ございませぬ陛下。ただ、余暇の旅行中のついでの出来事でしたゆえ、わざわざ陛下のお耳に入れるほどでもないかと.....」
「その魔物というのはどんな種類だったのだ?何体いたのかね、ラフレル卿」
今度は大公が尋ねる。するとラフレルは指折り数えながら答えた。
「鬼を二十五体、大型魔物五体ほどにございます。無論私一人ではなく、小隊を組んで討伐してございます」
それを聞いた王と大公は言葉を失ってしまった。大公は首を振りながら呆れて言った。
「余暇旅行のついでにそんな武功を立てるとは...君はやはり根っからの武人だな」
「ただの手慰みにございます。どうか、ご放念くださいますよう」
ラフレルは言ったが、今度は王が笑いながら口を開く。
「ラフレル、お主の謙遜もそこまで来るとイヤミに聞こえるぞ。まあ、この種の話は受勲考査にかけるのが慣例じゃ。しばらくは城下町におるのだぞ。決まったら知らせるゆえ」
「陛下、ありがたき幸せに存じますが...」
「なんじゃ、まだ文句があるのか」
「いいえ。どうか、このラフレルと共に戦った者たちにもご考慮いただきたく。その者らは、御者のアレハンドロ、木こりのドヴィック、そして学者のミハイルでございます」
「わかったわかった。では考えておくでの」
ラフレルは今度こそ謁見の間から退出した。そして踵を返すと、野外階段を降り、巨大な扉を通って廊下に入った。だが、声を掛けてくるものがあり、彼は立ち止まった。
「ラフレル!」
見ると、そこにいたのはゼルダ姫だった。白いドレスを着て、頭にはティアラの姿だった。
「姫殿下...お久しゅうございます。ご機嫌麗しいご様子で」
ラフレルが頭を下げると、ゼルダ姫は近寄ってきて言った。
「全て聞きました。あなたは大変な危険を冒したのですね...民のために」
「お気遣い感謝いたします。確かにその通りでございます。ですが...冒険に相応の...なんといいますか...財宝も手に入れてございますので。どうかご心配なきよう」
ラフレルが答えると、ゼルダ姫は突然彼の手を握った。彼女は澄んだブラウンの瞳でラフレルの目を見つめてきた。
「ひ...姫様?」
「ラフレル、聞いてください」
ゼルダ姫は真剣な声音で言った。
「....父王は、もう長くはありません」
その言葉を聞いたラフレルは驚きで固まってしまった。
「わたくしにはわかります。わたくしも、トライフォースを受け継ぐ者ですから。ですが....」
ラフレルは思わずゼルダ姫の目を見た。その瞳には苦悩と不安と悲しみが宿っていた。
「ですが、いまこの未熟なわたくしが王位を継承しても、到底よき統治などできぬでしょう。ですから、ラフレル...」
ゼルダ姫は身を屈めると頭を下げながら言った。
「どうか...その時にはわたくしを支えていただきたいのです」
ラフレルは驚きに茫然となりかかったところを、辛うじて我に返った。ゼルダ姫の身体をそっと起こしながら答えた。
「姫様...もったいないことでございます。このラフレル、誰に言われるまでもなく、姫殿下のために身命を賭する覚悟。ご即位されるその時が来るまで、決してどこにも参りません。かならずやお側に参じて、お仕えいたす所存です」
ラフレルがそう言うと、ゼルダ姫の瞳には僅かに安堵の色が浮かんだ。その時、咳払いの声がしてふたりは顔を上げた。
背後に立った侍女がいかにも忌々しそうな目つきでラフレルを睨みつけている。ラフレルはそっとゼルダ姫から手を離すと、黙って頭を下げた。やがて侍女に連れられ、ゼルダ姫は奥の間に去っていった。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * *
夕方になった頃、ラフレルはふと思い立って目抜き通りに足を向けた。雑踏の中を通り抜け、裏通りに入る。突き当りの扉を開けると、そこはに以前訪れたときと変わらない酒場の喧噪があった。
「あぁ、あんたかい!いらっしゃい!」
女の声が聞こえた。前掛けをつけ、忙しく立ち働いていた女店主がこちらに笑顔を向けた。
「好きなとこに座んな。麦酒でいいかい?」
ラフレルは手を上げて礼を言うと、空いている席を探した。すると、カウンターの上に、木彫りの像がいくつも並んでいるのに気づいて足を止めた。
何気なく像を手にとる。どうやら女神ハイリアの彫り物だ。
「テルマ嬢。これは一体.................」
飲み物を運んできた女店主に問うと彼女は笑って答えた。
「なんでもフィローネ地方の新しい名産品だって行商人が勧めてきてね。でも裏を見たらびっくりだよ、『ドヴィック作』って書いてあるのさ!」
「なんと...ドヴィック殿が?」
「そうさ。あの人にこんな特技があるなんてね。あたしぁ思わず何個か仕入れちまったけど、あんた気に入ったら買ってやったらどうだい?」
「そうですな。ではひとつ頂こうか」
ラフレルが財布を取り出そうとしたとき、彼は殺気の籠った視線を感じて顔を上げた。
以前、いちゃもんを付けてきた大男が、その手下とともに目の前に立っている。ラフレルは鷹揚に口を開いた。
「これはこれは。たしかジュロイモー殿と......」
「ちょいとあんたら。また悪さするつもりなら承知しないよッ!」
女店主が腕組みして二人を睨みつけた。だが、ジュロイモーは腹に据えかねるといった様子で人さし指をつきつけてきた。
「このお高く留まった貴族野郎が。てめえこないだはよくもやってくれたな。これを見ろ」
彼は自分の額を指さした。何針か縫った跡がある。
「それはお気の毒でしたな。しかしながら、人に殴りかかれば何らかの反撃を受けるのも必定。自分が一方的に殴り、かつ反撃されたくないなら、ご自宅で枕でもお相手されればいかがかな?」
ラフレルは何気なく言った。だが、これが良くなかった。大男の顔はまるで茹で蛸のように真っ赤になった。
「て...てめぇ.....ッ!」
「...そう言えばご指定の席がおありということでしたな。覚えておりますぞ、ジュロイモー殿、さ、こちらへ」
だが意に介さず、ラフレルは軽く頭を下げると、以前争いの元となった席を手で指し示した。すると相手は今度は混乱したような顔で目を白黒させた。だが、前回瓶を振り回していた手下が横から言った。
「へっ...媚売ったって騙されねぇぞ。なぁジュロイモー、今日という今日はこいつにここのルールを...」
「ここのルールはあたしだよ。あんたらそれを忘れちゃいないだろうね」
女店主がドスの効いた声で呟く。それで十分だった。悪漢二人は言い返せず黙り込んでしまった。
その時扉が開いた。何気なく振り向いたジュロイモーと手下はその途端に固まった。
戸口に立っていたのはアレハンドロだった。だが、普段と様子が違う。ザンバラ髪は綺麗に撫でつけられ、無精髭も剃られているうえ、ジャケットまで羽織っていた。
「くそッ...覚えてやがれ」
捨て台詞とともに、悪漢たちは御者の脇をすり抜けるようにして出ていった。アレハンドロはテーブル席に座を占めると、今さら気づいたかのようにラフレルに手を上げて挨拶した。
「本日は正装ですな。お似合いですぞ」
ラフレルは麦酒を片手に御者の隣に席を占めた。だが、アレハンドロはどこか心あらずの様子だった。そして女店主からジョッキを受け取ると、一口飲んでからそれを置いた。そしてようようの時間が経ってから、おもむろに口を開いた。
「....娘に会いに行ったんだ。プレゼントを渡しにな」
ラフレルは目を上げた。何か言おうとしたが、結局そのまま聞き続けることにした。
「....借金を全部返したんだ。だから、やっとあいつらに会いに行ける資格ができたと思ってな。そいで、あいつの家に行ったよ。そしたらよ.....」
アレハンドロの表情には生気がない。彼は、どこか他人事のように言葉を継いだ。
「...そしたら、カカアが言うんだ。もう来ないでくれって。なんでだって聞いたら、もう娘には新しい父親がいるんだってよ。俺は言ったよ。じゃあこのプレゼントはどっかの『あしながおじさん』からだって言って渡してくれってな。それで戻ってきたのさ」
ラフレルは何か言葉をかけようとしたが見つからなかった。彼はただ御者の背中を叩くと、しばらくの間一緒にジョッキを傾けていた。
「...まあ、しゃぁねぇよな。酒浸り、博打好き、家には帰らず、借金は抱える。そんな男と一緒に暮らしたいってぇほうがどうかしてるわな」
アレハンドロは、どこか現実感のないような口調で喋り続けた。ラフレルは何度も口を開こうとして、途中でやめるのを繰り返した。しばらく飲んだ後、二人はどちらが言い出すともなく連れ立って席を立った。
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
「そうだ。旦那、あんたにも渡すものがあるんだ」
裏通りに出るとアレハンドロは唐突に口を開いた。
「拙者に?」
「ああ。ちょっと手ぇ出しな」
御者はポケットに手を突っ込むと、ラフレルの手に何かを握らせた。思わず目をやると、いくつかの高額ルピーだった。
「これは一体....」
「取っときな。ほら、あの仕事がオジャンになったのは俺のせいだろ?だけどあんたにはまだギャラを払ってなかったからよ」
「しかし........」
「いいからって。あんたの取り分さ」
ラフレルは驚きに目をしばたたかせながら、ルピーを仕舞った。
「なんかよぉ、楽しかったよなぁ。そうだろ?」
「さよう」
アレハンドロが夜空を見上げながら言う。ラフレルは答えると、御者の顔を見た。
「拙者にとって貴殿はもはや『仲間』でござる。もし困ったことがあったら、いつでも相談に来られよ」
「あんたもヘンな奴だな。貴族なのに俺みたいなろくでなしを『仲間』だって?」
御者は笑った。だがラフレルは真剣な顔で言った。
「魔物どもに追い詰められたとき貴殿が見せた勇気....。軍に長く身を置いてもあのような勇気を見ることは滅多にござらぬ。その勇気、拙者は決して忘れはせぬ」
「よせよ、照れるだろ」
アレハンドロは拳で荒々しくラフレルの肩を突くと、そっぽを向いた。そしてしばらく歩くと再び言った。
「旦那、俺もあんたに感謝してるんだ。俺はカカアにも逃げられ、娘にも忘れられた情けない男さ。でも、やるべきことを果たした今は大手を振って堂々と歩ける。そのことを教えてくれたのはあんたさ。ありがとな」
御者は、そう言うと目抜き通りの雑踏の中に去っていった。
ラフレルはしばらくそこに立ち尽くしていた。買い物をする町民が周囲を忙しく行きかう。
だが、彼はやがて顔を上げると歩き始めた。
* * * * * * * * * * * * * * * * *
その後、御者アレハンドロは病に倒れ、無縁墓地に葬られたという。
学者ミハイルは、数々の学術的発見を成し遂げたが、やはり壮年にして病没した。だがその息子シャッドは成人後稀代の天才学者と称されるほどに至ったのは多くの読者が認めるところであろう。
木こりのドヴィックは木彫り細工作家として名声を博したが、本人はどれほど要請があっても故郷オルド村から出ることはなかった。
そして、退役少将ラフレル。平穏の世の中にあっても常に備えることを忘れなかった彼は、その十六年後勃発した『ザント・ガノンドロフの乱』において重要な働きをなす
語られなかったことも数多いが、これが名将ラフレル壮年期の活躍の一端である。
(終わり)