退役少将ラフレルと中年探検隊の冒険   作:nocomimi

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酒場での喧嘩

「てめえいい度胸じゃねえか。この俺に喧嘩売ろうってのか」

 

ラフレルの目の前の大男は両手の拳を握って構えた。

 

彼が先ほど振り回した右の拳をラフレルが咄嗟に回避したせいで、隣の席にいた男が直撃を喰らって椅子から転げ落ち、床の上で呻いている。

 

だが大男は気に留める様子もなくラフレルを睨みつけ、今にも殴りかかってきそうな勢いだ。

 

ラフレルは困惑し切っていた。

 

なぜこうなった。

 

酒場に行って、情報を収集し、仕事の口を探す。

 

ただそれだけのつもりだったのに。ラフレルは手を前に出しながら言った。

 

「待たれよ。拙者は無益な戦いをするつもりは..........」

 

「うるせえ!」

 

大男は再び殴りかかってきた。モーションが大きいフックだ。

 

ラフレルは反射的に前に飛び込んだ。身体を回転させながら相手の襟首を掴み、払い腰をかける。ものの見事に技がかかり、大男は自らのものと決めていたカウンター席に頭から突っ込んでいった。物凄い衝撃音がし、カウンターの上に置いてあったグラスや皿がガタガタと鳴った。

 

「い...痛てえな...畜生」

 

大男は額から血を流しながらヨロヨロと立ち上がり、こちらに向き直った。店内は静まり返り、全ての客たちはこちらを見つめている。だが驚いた様子もなく、その表情は一様にショーを楽しむような風情だった。

 

「このラフレル、席ごときで血を流すほどの拘りはござらぬ」

 

ラフレルは軽く頭を下げると続けた。

 

「それほどご執心ならば貴殿に譲ろう。では失礼つかまつる」

 

その時だった。後頭部に強い衝撃を受け、ラフレルは思わずよろめいた。さらに背中に足蹴り。ラフレルはがっくりと膝を突いた。

 

「むう....」

 

頭に手をやりながら振り返ると、重そうな酒瓶を手に、別の男が仁王立ちになっている。よく見ると、横っ面に新鮮な痣ができていた。大男に誤爆を喰らった奴だ。

 

「てめえ、人が楽しく飲んでるところを邪魔しやがって!」

 

「....待たれよ。これは誤解だ。殴ったのは拙者ではない」

 

ラフレルは辛うじて痛みをこらえながら弁明した。だがその間に、最初の大男がラフレルに突進してきた。

 

避けられない。

 

ラフレルは床に押し倒された。大男の拳が顔面に直撃する。意識が遠のきそうになる。二発目を放とうとこちらの襟首を捕まえた相手の左手を咄嗟に両手で捻り、脇腹に膝蹴りを入れた。相手の攻勢が緩んだところで、その身体を押しのけて脱出を図る。

 

だがそこまでだった。酒瓶の男がこちらの頭部に向けて武器を振り下ろした。派手な音がしてガラスが割れ、破片が飛び散る。

 

ラフレルは呻きながら再び床に横たわった。目を開くと天井がグルグルと回っている。

 

「このお高く留まった貴族野郎が。よくもやりやがったな」

 

最初の大男が脇腹をさすりながら憎々し気に呟いた。

 

「おいジュロイモー。こいつ金持ってそうじゃねえか。財布ごといただこうぜ」

 

酒瓶の男が割れた瓶を投げ捨てながら言った。ジュロイモーと呼ばれた大男が答える。

 

「違ぇねえ。ここのルールを知らねぇ奴にはちょうどいい授業料だな」

 

「ちょいとあんたたち!暴れるんなら出てってもらうよ!」

 

その時、女の声が響いた。女店主がツカツカと近づいてくる靴音が聞こえた。大男が笑いながら言った。

 

「もう終わったぜテルマ。心配ねぇよ」

 

「そういう問題じゃないよ!あんた、この店をなんだと思ってるんだい?盗みを働くなら出入り禁止だよ!」

 

女店主が激しい剣幕で怒鳴りつける。するとジュロイモーとその仲間は顔を合わせた。

 

「店内でダメなら店の外なら問題ねぇってか?」

 

「違ぇねえ。ヒャハハハ!おい、外に引きずり出そうぜ」

 

「あんたたちどこまで性根が腐ってんだい!」

 

激怒した女店主が叫ぶ。だが、大男は構わずラフレルの身体に手を掛けると、床を引きずり始めた。

 

その時だった。

 

「おい...てめぇらいい加減にしねえか」

 

別の男の声がする。

 

ラフレルは霞む目を開きながらその声の主を見た。テーブル席からゆっくりと立ち上がった、四十がらみの男。痩せた体形だが背は高い。手入れされていないザンバラ髪がなびいた。

 

「アレハンドロ、てめえも痛てぇ目見てえのか?すっこんでろ」

 

ジュロイモーと呼ばれた大男が吐き捨てる。だが痩せた背の高い男は続けた。

 

「んな胸糞悪りぃ光景見せつけられたら酒が不味くなるじゃねぇか。なあお前ら、そうだろ?」

 

アレハンドロと呼ばれた背の高い男が周囲を見回す。客たちは、どちらを味方していいのか困惑した表情で黙り込んだ。

 

「酒場の喧嘩ってのは昔っから作法が決まってんだ。一対一。武器はなし。終わったら一緒に飲むってな。てめえのはな、ジュロイモー」

 

アレハンドロは人差し指を突き付けると言い放った。

 

「喧嘩じゃあねえ。縄張り争いと一緒だ―――――てめえのションベンの匂いがついてねえと落ち着かねぇ、野良犬のな」

 

「てめえ!」

 

ジュロイモーはラフレルから手を離すと、鬼の形相で相手に殴り掛かっていった。

 

だがその瞬間、アレハンドロの上体がばね仕掛けのように動いた。体を横に反らしてパンチを躱すと同時に、右のフックが相手の顎を見事に捉える。

 

骨を打つ乾いた音が響く。次の瞬間には、ジュロイモーは拳を振り抜いた態勢のまま身体から力が抜けたように立ち尽くした。

 

ラフレルは見た。ジュロイモーの眼から完全に光が消えている。脳震盪だ。

 

数秒後、大男が斬り倒された大木のような男を立てて床に伏した。もう一人の男は目を丸くしながら自分の相棒とアレハンドロを交互に見つめている。

 

「やるか?俺はかまわんぜ」

 

アレハンドロは余裕の表情で呟くように言った。だが酒瓶男は激しく首を横に振ると、カウンターにルピーを置いて一目散に出ていった。

 

* * * * * * * * * * * * 

 

「まことにかたじけない。貴殿には何度礼を述べても....」

 

アレハンドロと呼ばれた男に助け起こされながら、ラフレルは言った。テルマが放ってくれたタオルで頭を拭くと、割れた瓶から垂れた酒と自分の血でたちまち布が染まった。

 

「随分ひどくやられちまったじゃねえか旦那。ま、酒が消毒代わりってぇなもんだな」

 

アレハンドロがラフレルの服の表面を手で払いながら笑う。ラフレルはようやく立ち上がると、改めて礼を述べた。

 

「拙者はラフレルと申す。貴殿は?」

 

「俺ぁアレハンドロさ。ここの常連さ」

 

男は名乗った。ラフレルは相手の手を握るとこう続けた。

 

「ではアレハンドロ殿、本日の貴殿の勘定はぜひ拙者に持たせて頂こう」

 

「そいつぁ豪儀だな。じゃ、遠慮なく飲ませてもらうぜ」

 

その時、客席から声が上がった。

 

「アレハンドロ、相変わらず見事だったよ。さすが元拳闘士だな」

 

見ると、眼鏡を掛けた小柄な男が立ち上がって拍手している。

 

「ま、昔取った杵柄ってヤツさ」

 

アレハンドロはやや得意そうに答えると、小柄な男をラフレルに紹介した。

 

「こいつはミハイルっつってな―――聞いて驚くなよ、なんと大学の先生なんだぜ。それがこんな安酒場に入り浸ってるって聞きやぁ、教育によろしくねえってもんだぜ、なあ?」

 

「いやぁ、家で飲んでるとそれこそ息子の教育に良くないって妻に叱られるんでね。それに大学のほうはアルバイトみたいなもんさ。本当は研究を本業にしたいんだが....。よろしく、ラフレル氏」

 

ミハイルと呼ばれた男はそう言って頭を掻くと、手を伸ばしラフレルと握手した。ミハイルは続けた。

 

「きみ、もしかしてラフレル・ソルレントス少将で間違いないかい?」

 

「よくご存じで。どこで拙者の名を?」

 

ラフレルは驚いた。三人がテーブル席に無理やり椅子を寄せて座ると、テルマと呼ばれた女店主が近づいてきた。

 

「驚いたねぇ。この店に大学の先生ってだけでも珍しいのに、その隣に軍のお偉いさんが座ってるなんて。あたしもこの商売始めてからお初だよ」

 

ラフレルがタオルの礼を述べると、女店主は苦笑いしながら肩をすくめた。

 

「災難だったねあんたも。何か飲むかい?」

 

「では、麦酒を頂こう」

 

店内は再び元の喧噪を取り戻した。ミハイルはラフレルに興味津々の様子で続ける。

 

「やっぱりそうだったね。きみ、鉄製火筒で特許を申請したろ?実は僕、その時の特許審査委員をやってたのさ」

 

「さようでござったか。それはお恥ずかしい限り。拙者もとより科学者ではありませぬゆえ、申請書も見よう見まねで書いたまでです」

 

「とてもそんな風には見えなかったよ。特に、あの部分が画期的だったなぁ、ほら、鋼板の強度を上げるためのリブ加工が....」

 

アレハンドロは困惑した様子で割り込んだ。

 

「おい、一体何の話をしてるんだ?俺にはまるでわからねぇぞ」

 

「いいかいアレハンドロ、火筒っていうのは鉄製の筒に火薬を詰めて弾を飛ばす武器なんだ。もしこれが実用化されれば戦場の様相が一変する。それくらい画期的なものなんだよ」

 

「あ?つまり....花火みてぇなもんか?」

 

アレハンドロは尋ねる。ミハイルは熱弁を続けた。

 

「構造は似ているが、花火の百倍は危険なシロモノさ。何しろ飛ばすのは爆弾なんだからな。そうだろラフレル?」

 

ラフレルは頷いた。

 

「さよう。だからこそ鉄の筒に強度が必要なのですが、今の技術では持ち運び可能な重量に押さえると強度が犠牲になる。そのジレンマの克服が課題でござる」

 

「しかしそんなモン何に使うんだってんだ?戦争でもおっぱじめようってのか?」

 

アレハンドロが混ぜっ返した。その時、隣に座っていたやや肥満気味の男が静かな声で言った。

 

「ワシは戦さは好かんです。戦さが起こると、人は愛する者と別れ、土地は荒れ、人の心は冷えるです」

 

一同は思わずその男を見た。波打った髪ともじゃもじゃの髭。ジョッキを握る節ばった大きな手は傷だらけだった。

 

「無論、軍というものは戦さを好む者の集団ではござらぬ。むしろ戦さが起きぬよう抑止力として働くのが軍。そして、ひとたび始まったなら一刻も早く終わらせるための実力を備えるのが、その役目でござる」

 

ラフレルは生真面目に弁明する。アレハンドロは言った。

 

「こいつはドヴィック。本業は木こりなんだが出稼ぎに来てるのさ。おいドヴィック、お前の郷....なんつったっけな?」

 

ドヴィックと呼ばれた男はジョッキを置き、少しだけ目を伏せた。

 

「ワシの郷はオルドの森ですだ。山と木と、川しかない静かなとこですだ」

 

その声音にはどこか寂しさが混じっていた。

 

「そのなんとかの森に嫁さんとガキを置いてきて、家族を養うために城下町に来てるのさ。泣かせる話だろ?」

 

アレハンドロがジョッキを傾けながら言う。テルマが運んできたジョッキを受け取ると、ラフレルもチビチビと飲み始めながら相手に水を向けた。

 

「アレハンドロ殿、ご家庭は?」

 

「気楽な独身貴族って奴さ。楽しいぜぇ?誰にも気兼ねなく生きられっからよぉ」

 

アレハンドロはそう言ったあと、思い直したように言葉を継いだ。

 

「...って本当のところはカカアに逃げられたんだけどな。そりゃ博打は打つし給料は酒に使っちまうから当然っちゃぁ当然だけどよ。んで、今は気楽なその日暮らしの辻馬車稼業さ」

 

少しの間だったが、他の客たちの喧噪に囲まれた中に、一同のテーブルの周囲だけぽっかりと穴が開いたかのような沈黙が走った。

 

ミハイルは眼鏡を押し上げながら、どこか気まずそうに言った。

 

「まあ人生にはいろいろあるさ。僕も研究に没頭しすぎて妻に怒られることが多くてね。もっと家庭を顧みろってさ」

 

ドヴィックが静かに応じる。

 

「ワシは家族が恋しいですだ。でも、働かねえと食わせられねえですだ。だから、ここに来たですだ」

 

アレハンドロはジョッキを置き、珍しく真面目な声で言った。

 

「旦那もなんか事情あってここに来たんだろ?とても普段こんな安酒場に顔を出すような人間には見えねえぜ」

 

ラフレルは一瞬だけ言葉に詰まった。彼は麦酒を一口飲んでから答えた。

 

「拙者は.....本日職を失い申した。ゆえに、こうして新たな道を探しておる次第」

 

「そうかい、そいつはまた奇遇だな」

 

アレハンドロはいわくありげな顔をした。ラフレルは怪訝に思って尋ねた。

 

「アレハンドロ殿、奇遇...とは?」

 

すると相手はウィンクしてこう言った。

 

「実はよぉ....いい儲け話があるんだ。旦那、いっちょう乗らねえか?」

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