Fate/atlantis:衛宮切嗣生存stay night 作:星P/すたーりん
「なんだったんだ、あれは……」
リビングで一人、さっきまでの出来事を思い返す。
あれから遠坂と一緒に家へ戻った。時間も遅く、遠坂の家までは距離もある。今夜はこのまま泊まっていくらしい。
遠坂は今、別館で彼女のサーヴァントに運ばせた荷物の整理をしている。
これが、聖杯戦争―――。
まだ現実味がない。ひどく質の悪い夢を見せられているような気さえする。
けれど、手の甲に刻まれた令呪と、ここにいるセイバーの存在が、それを夢だと笑い飛ばすことを許さなかった。
「……シロウ? どうかしましたか?」
「あ、ああ。いや、何でもない」
気がつけば、じっとセイバーを見つめていたらしい。
こんな華奢な少女が、あの岩みたいな大男と真っ向から斬り結んでいた。
頭では見たはずなのに、どうしても現実のものとして受け止めきれない。
「……そういえば、爺さんは?」
「見ていませんね。まあ、会わないに越したことはありませんが」
ぴしゃりと言い切る声音に、思わず苦笑する。
なんというか、セイバーの周りだけ空気がぴんと張りつめた気がした。
「あ、あはは……ちょっと外に出てくるよ」
頭を冷やしたかった。ついでに爺さんの姿も探してみようと思い、庭へ出る。
夜気はひんやりとしていた。
見上げた空には、雲ひとつない満月が浮かんでいる。
その光を見た瞬間、不意に昔の記憶が胸をよぎった。
―――子供の頃、僕は正義の味方に憧れてた。
正義の味方。
爺さんみたいに、人を助けられる人間になりたかった。
全ての人を助けられる正義の味方。
そんなものになれないことくらい、もう分かっている。
全部を助けるなんてできないと、爺さんには何度も教えられた。
10年前の火災も覚えている。
それでも、せめて目の前にあるものだけは取りこぼしたくなかった。手の届く範囲にいる誰かだけでも、助けたかった。
自分の限界なんて、とっくに知っている。
それでも―――。
この聖杯戦争で、十年前みたいな悲劇だけは、二度と起こさせない。
自分の選んだ道は間違ってなどいない。マスターとして戦い抜く。
『ここに衛宮切嗣はいないぞ―――衛宮士郎』
「―――っ!」
不意に背後から声がして、反射的に振り返る。
月明かりの下、そこに立っていたのは赤い外套の男だった。
「お前は、遠坂の……!」
その姿を見た瞬間、ずきりと頭が痛んだ。
なんだ、これ。
初めて会ったはずなのに、こいつを受け入れられない。
理由の分からない拒絶が、胸の奥から込み上げてくる。
「……何しに来た」
「…………」
赤い男は答えない。
ただ、こちらではなく、空に浮かぶ満月へ視線を向ける。
「おい、お前―――」
「衛宮士郎。一つ、質問しよう」
遮るように、赤い男が口を開いた。
「ここに二隻の船があるとする。片方には三百人、もう片方には二百人が乗っている。そして同時に、二隻とも致命的な穴が空いた。修理できるのはお前だけだ。だが、助けられるのは一方のみ」
そこで赤い男は、まっすぐに士郎を見る。
「―――衛宮士郎。そのとき、お前はどちらを助ける?」
「……その質問に、何の意味がある」
「いいから答えろ」
有無を言わせぬ声音に、思わず言葉が詰まる。
「……それは―――」
もちろん、助けられるのなら両方助けたい。
だが、そんなことができないからこその問いだ。
全てを救うことなどできない。その程度のことは、もう嫌というほど思い知っている。
「……三百人の方を助ける」
「……ほう」
赤い男が、わずかに目を細めた。
「では、残る二百人を見捨てるというのか」
「人聞きの悪いことを言うな。見捨てるんじゃない」
赤い男は何も言わない。
ただ、その視線だけが俺を射抜くように注がれている。
「俺だって、助けられるなら全員助けたい。そんなのは当たり前だ。……でも、手の届かないことまでできるとは言えない」
一度、息を吐く。
「全部を救えないなら、その中で少しでも多くが助かる方を選ぶ。助けられるものを、手の届く範囲だけを助ける―――それが俺の答えだ」
「…………」
沈黙が落ちる。
夜風が木々を揺らし、葉擦れの音だけが庭に響いた。
やがて赤い男は、わずかに口元を緩めた。
「なるほど。理想に酔った愚か者というわけではないか」
「……何が言いたい」
「いや。確認しただけだ」
赤い男はそう言って、空を見上げる。
月光に照らされた横顔は、どこか遠いものを見ているようだった。
「では衛宮士郎。お前は、犠牲を出したとしても多人数を助ける。そう言うのだな?」
「ああ。そうしないと、きっと後悔する」
「……そうか」
赤い男は短く答える。
その声には、先ほどまでの棘がわずかに薄れていた。
「ならば、それでいい」
「何……?」
そこで初めて、赤い男はまっすぐ俺を見た。
「――どうやら、お前は俺の知る正義の味方とは違うらしい」
「何を……」
「気にするな。独り言だ」
赤い男は肩をすくめる。
その後、一瞬の間を開け話し出した。
「......しばらく見届けてやる。お前がその理想を抱いたまま、どこまで進めるのかをな」
淡々とした口調だった。
けれど、その言葉には不思議と嘘がないように思えた。
「もしお前が最後までその答えを捨てないというのなら―――その時は、俺も力を貸そう」
「......?お前、さっきから何をーー」
赤い男は答えない。
そのまま、踵を返す。
月明かりの中、その背中はひどく静かで―――そして、ほんのわずかにだけ、頼もしく見えた。