桜の瑞々しい花びらが、容赦なく吹き付ける砂混じりの風に煽られ、窓の外をひらひらと舞い踊る春の頃
かつて数千人の生徒で賑わっていたアビドス高等学校の校舎は、今やその大半が静まり返り、主を失った教室が砂の中に沈みつつあった
しかし、その静寂を破るように、校舎の二階の一角から、パタパタと小気味よい掃除の音が響いていた。新入生であるシロコとノノミを迎え入れたその日、彼女たちは入学式の厳かな手続きを終えたその足で、これからの学園生活の拠点となる場所を決めるべく、腕を捲り上げて掃除に勤しんでいたのだ
「よいしょと……うん、これで準備完了だね〜」
ホシノが額の汗を制服の袖で拭いながら、満足げに腰に手を当てた
「ん、綺麗にできた……。床の砂も、全部掃き出した。疲れたけど、達成感がある」
その隣で、モップをバケツに片付けたシロコが、少しだけ息を切らせながら水色の瞳を輝かせる。二人の前には、見違えるほど綺麗になった教室が広がっていた
「ふふ、お二人とも本当にお疲れ様です♪ はい、冷たいお茶をどうぞ」
タイミングよく、ノノミが、氷のカラリと鳴る涼しげな麦茶が注がれたグラスを三人分、トレイに乗せて運んできた
上品な動作でホシノとシロコの前の机にグラスを置くと、自分も二人の隣の椅子へと腰掛ける
「わーい、ありがと〜ノノミちゃん! おじさん、干からびる寸前だったよ〜」
「ん、冷たくて美味しい……生き返る」
火照った身体に染み渡る冷たさを楽しみながら、ノノミはグラスを両手で包み込み、ふと、まだ少しだけ埃っぽさの残る天井を見上げた
「それにしても……本当に良かったんですか? 生徒会室から、わざわざこっちの教室に移動しちゃったりして」
ノノミの言う通り、ここは元々「学園祭事務局」として使われていた、生徒会室よりも一回り小さな部屋だった
アビドスが全盛期だった頃、生徒たちが集まって看板や飾り付けを楽しげに作っていた形跡が、壁の煤けた跡や古いポスターに微かに残っている
今日、三人で一日がかりで片付けを行い、机や椅子、ホワイトボードを運び込んで、これからの新たな拠点にしようと整備したばかりだった
ホシノはグラスに入った氷をストローでチリン、と回し、お茶を一口優しく啜ってから、いつもの気楽げな笑みを浮かべた
「いいよ、いいよ〜。元々生徒会なんて、私一人も同然だったんだしね。それに……」
ホシノは一度言葉を区切ると、愛おしそうにシロコとノノミを見つめた
「シロコちゃんやノノミちゃんが入学してくれたのを期に、私もちょっと心一転、気持ちを新しくしたくてさ」
そう言って、ホシノはお茶を啜りながら、改めて静かに教室の中をぐるりと見渡した
窓際の棚には、シロコが持ち込んだロードバイクのメンテナンス道具や、どこからか拾ってきたスポーツ用品が綺麗に並べられている。壁には、これから書き込まれるであろうアビドスの復興計画のための、まだ真っ白なホワイトボード。そしてノノミが持ってきた、部屋を少しでも明るくするための可愛らしい観葉植物の小さな鉢植えが、窓辺で陽の光を浴びていた
かつての賑やかだった学園祭事務局の面影を残しつつも、そこには確かに、今日この日に入学した彼女たちの「これからの生活」の匂いが、少しずつ染み込み始めてい
迫り来る砂漠の脅威も、背負わされた借金の重さも、この部屋の中にいる間だけは、少しだけ遠い出来事のように思える
(うん……気持ちを新たにするには、十分すぎるくらいに良い場所だね)
ホシノは胸の中でそっとそう呟くと、新しくできた可愛い二人の後輩たちに向かって、今日一番の、柔らかく穏やかな笑みを浮かべるのだった
これで今日の重労働はすべて終わり
あとは残った冷たい麦茶を飲み干し、2人には隠していたサプライズを――そう思いながらホシノが椅子の背もたれに深く体重を預けた、その時だった
「ん、まだ終わりじゃない。もう一つだけ、すごく大事な仕事が残ってるよ」
シロコがグラスを机に置き、真剣な顔つきでホシノを見つめた
「え? 何かやり残したことあったかな〜……?」
ホシノは完全にオフモードになりかけていた頭をどうにか働かせ、首を傾げる
「書類の出し忘れとか? いやいや、生徒会室に残んでた荷物や書類も事前にこっちに全部運び終えたよね? あ、生徒会室に残ってた古い書類とか、当分使わない備品なら、昨日までにダンボールにまとめて生徒会室に厳重に保管してあるよ?」
指折り数えながら確認するホシノだったが、シロコの表情は変わらない。それどころか、隣に座るノノミまでもが、シロコと言葉を合わせるように何度も深く頷いてみせた
「そうですよ、ホシノ先輩! とっても、とっても大切なお仕事がまだ一つ、残されています!」
「うへ……2人ともいつの間に以心伝心が出来るほど仲良くなったの?……それにしてもおじさん、これでも一応書類関係はきっちりやったつもりなんだけどなぁ。もしかして頭の中まで本格的におじさん化しちゃって、大事なことを忘れちゃってる?」
二人の言いたいことがさっぱり分からず、ホシノは頬をポリポリと掻きながら、困ったような苦笑いを浮かべる
そんな頼りない「先輩」の様子を見て、シロコとノノミは一瞬だけ顔を見合わせると、悪戯が成功した子供のようにニヤリと意味深な笑みを浮かべ、同時にホシノの方を向き直った
「ん、私達の『名前』が決まってない」
「名前?」
シロコがトントンとホワイトボードの真っ白な表面を指差す
「はい♪ 私たちがこれからこの教室を拠点にして、アビドスのために活動していくための『委員会名』です! 形から入るのも、お仕事を楽しく続けるためにはとっても大切なことですよ?」
ノノミが胸の前で拳を握り、目を輝かせる
「あー……なるほどねぇ……!」
ホシノはぽんと上品に手を叩いた。言われてみればその通りだ。ただの「元生徒会と新入生」として活動するよりも、自分たちの目的を表す明確な名前があった方が、これからの厳しい現実に向き合う上でも締まりが出るというものだ
何より、入学式という記念すべき日にふさわしい、新しい始まりの証が欲しかった
「なるほど、それは一本取られたな〜。じゃあ、三人で何かいい名前を――」
「いいえ! ここは、私たちの委員長であるホシノ先輩に、バシッとカッコいい名前を決めて欲しいんです!」
「ええっ!? お, おじさんが決めるの!?」
ノノミのキラキラとした、純粋な期待に満ち溢れた瞳に見つめられ、ホシノは思わず椅子から飛び起きんばかりに背筋を伸ばした。突然の大役に、いつも余裕たっぷりなはずのホシノの顔がみるみる狼狽していく
そんなホシノの慌てぶりを見て、今度はシロコが不思議そうに小首を傾げた
「ん? ホシノ先輩がこの学校で一番上。一番年長者で、一番強い。だから、トップのホシノ先輩が名前を決める。何も変なことじゃないよ?」
「い、いやいやいや! そう言われたら理屈としてはそうなんだけどさー! シロコちゃんもノノミちゃんも、突然過ぎておじさんびっくりしちゃうよ! ほら、こういうのは新入生の瑞々しい感性で決めた方が、今風の可愛い名前になるんじゃないかな〜!?」
ホシノは珍しく両手をパタパタと振って責任を押し返そうとするが、二人の後輩たちの熱い視線は、微動だにせず彼女の元へと注がれ続けているのだった
「ん、今風の可愛い名前とかはどうでもいい。ホシノ先輩が決めたら私達は満足する」
シロコが身を乗り出し、じっとホシノの瞳を見つめる
「はい! ホシノ先輩が、私たち三人の気合いがビシッと入るような、素敵な名前を付けてもらえればそれで大満足です!」
ノノミも一緒になって椅子を引き、ぐいっと距離を詰めてきた
「う、ううう……」
左右から迫り来る、新入生たちの純粋かつ強烈な期待の眼差し。その物理的・精神的な圧力に押され、元々小柄なホシノの身体が、硬い椅子の上でさらに縮こまって小さくなっていく
(ど、どうしよう……! 気合いが入るような名前って言われてもさぁ……おじさん、昔からそういうオシャレで格好いいネーミングとか、一番苦手なんだけどな〜……!!)
ホシノは冷や汗を流しながら、必死に過去の記憶の引き出しをひっくり返した
そういえば、昔白子を拾って、その毛の色から「白子」という名前を付けた時だってそうだった。名前自体は白子も気に入って定着したものの、ユメからは「ホシノちゃん、それはいくらなんでも安直だよ〜!」とゲラゲラ笑われた思い出がある
もっとも、あのユメが提案してきた「うー○ん」みたいな危なっかしいセンスや、「ミニホシノ」という不名誉極まりない名前に比べたら、まだ自分の方が幾分マシなセンスをしているとは思う。しかし、それだって一般人レベルか、下手をすればそれ以下の次元だ
しばらくの間、ホシノは深く椅子に腰掛け、両腕を組んで「うーーーん……」と眉間にシワを寄せて唸り続けた
その間も、ノノミとシロコは一言も発さず、ただただ固唾をのんで、キラキラとした期待の目を向け続けている。部屋の中に、時計の秒針の音だけがチクタクと虚しく響く
沈黙に耐えかねたホシノは、ついに観念したように「ふぅ……」と大きく息を吐き出した。組んでいた腕を解き、少し真面目なトーンに声を切り替える
「ねぇ、二人とも。私たちがこうして集まって、わざわざ生徒会室からこの部屋に引っ越してまでやろうとしてることってさ……アビドスをどうこうするっていうより……つまるところ、この学校が廃校にならないようにすること、だよね?」
突然投げかけられたホシノの根本的な質問に、シロコとノノミは目をぱちぱちと丸くさせた
「ん……。そうだね。借金を返すのも、地域を回るのも、全部学校を守るため」
「そう……なりますね? 私たちのすべての行動は、アビドスを存続させるためにあります」
二人の答えを聞いて、ホシノは小さく頷いた
「うん。だったらさ、私たちの委員会名は、小難しいひねりを入れずにシンプルに行こうと思うんだ」
ホシノはよっこらしょと椅子から立ち上がると、教壇の脇に置いてあった黒い水性マーカーを手に取った
キュッと小気味よい音を立ててキャップを外すと、まだ何も書かれていないホワイトボードの前に立つ
かすかに差し込む日の光の中、ホシノの小さくて細い背中が、迷いのない手つきで大きな文字を書き始めていく
『アビドス廃校対策委員会』
キュキュッと小気味よい摩擦音が止まり、ホワイトボードにその十文字がくっきりと刻まれた
「これが、私たちの委員会名……。あはは、じゃあ、ダメかな?」
ホシノはペンのキャップをパチンと締めながら、自分のネーミングセンスにまるで自信が持てない様子で、恐る恐る振り返って後輩二人の顔色を伺った
「……シンプル」
シロコがじっと文字を見つめたまま、ぽつりと言った
「確かに……お洒落なインパクトとかは、あんまりありませんね〜……」
ノノミもあごに手を当てて、困ったように微笑む
「ぐふっ……!!」
可愛い後輩たちからの直球な感想が胸に突き刺さと、ホシノは目に見えてがっくりと肩を落として崩れ落ちた
(うう……やっぱりおじさん、ネーミングセンスの欠片もないのかなぁ。ここにユメ先輩が居たら2人と一緒に笑ってたよ……きっと……)
涙目で落ち込むホシノだったが、シロコはすぐにその水色の瞳を柔らかく細め、口元をわずかに緩めた
「でも、気に入った。飾られてなくて、やるべきことが一目でわかる。私はこの名前、好き」
「ふふ、私もです♪ シンプルだからこそ、これ以上今の私たちを真っ直ぐに象徴する名前はないと思います! 『対策委員会』、とっても響きが良いですね!」
ノノミも嬉そうに手を叩き、ホシノの書いた文字を見上げて満面の笑みを浮かべた
「ふ、2人とも……!」
落胆から一転、まっすぐな好意と信頼が詰まった温かい言葉をかけてくれた後輩たちを見つめ、ホシノの胸の奥がじんわりと優しい熱を帯びていく。張り詰めていた肩の力がすうっと抜け、嬉しそうに瞳を細める
「それではっ! 今日から私たちの委員会名は、『アビドス廃校対策委員会』に正式決定ですね!」
ノノミが両手を胸の前で合わせてぱっと顔を輝かせると、シロコもその言葉に深く、噛み締めるように頷いた
「ん。いい名前。これからよろしく、対策委員会」
「うへへ……なんだか可愛い後輩ちゃんたちにそんなこと言われちゃうと、おじさん目頭が熱くなっちゃうよー……。いやだねぇ、年は取りたくないもんだよ〜」
ホシノはわざとらしく目元を袖で拭う仕草をしながら、ふにゃりとだらしなく眉を下げた。そんな大袈裟な態度に、ノノミは苦笑しながら身を乗り出す
「もー、ホシノ先輩! 先輩と私たち、たったの1歳しか変わりませんよ? まるで何十歳も年上みたいな言い方は禁止です!」
ノノミはぷくっと 頬を膨らませると、手にした麦茶のグラスを机に小さくコトンと置いて抗議した。その仕草すらも、おっとりとした彼女らしい品に溢れている
「ん、ノノミの言う通り。ホシノ先輩はちゃんと若いよ。普段はおじさんぶってるけど、たまに小動物みたいに慌てたり、行動がすごく可愛い時があるし」
シロコが至って真面目な顔のまま、淡々と事実を告げるように口を挟んだ。その濁りのない瞳がまっすぐにホシノを射抜く
「シ、シロコちゃん!? それどういう意味かなぁーっ!? おじさん、これでも一応頼れる最上級生の委員長なんですけど! どこが可愛いって言うのかなぁ!?」
不意打ちを食らったホシノは、椅子の上で跳ね上がるようにして狼狽した。いつもはのらりくらりとしているはずの顔が、耳の裏まで一気に真っ赤に染まっていく
「ん、そのままの意味。ほら、今も顔を真っ赤にしてジタバタしてるところとか」
「わーー! 言わせておけばー!」
恥ずかしさを誤魔化すように、ホシノはシロコの細い両肩を掴んで前後にブンブンと揺さぶった。しかし、揺すぶられながらもシロコは全く表情を変えず、されるがままになって水色の瞳でホシノを見つめ返している
そのあまりに温度差のあるシュールな光景に、ノノミの鈴を転がすような笑い声が教室中に響き渡った
「あはは! お二人とも本当に仲良しですね♪」
「もー……シロコちゃんは本当に肝が据わってるっていうか何というか……」
ホシノはようやく腕を離して大きく息を整えると、照れ隠しに頬をポリポリと掻きながら、壁に掛けられた古びたカレンダーへと視線を移した。そこには、今日という日に赤ペンで小さく、しかし丁寧に丸印がつけられている
様々な苦難や、胸が締め付けられるような切ない出来事、そして入院してしまったユメ先輩との一時的な別れ――いろんなことがありながらも、気がつけば季節は巡り、ホシノも二年生に進級していた。そして、目の前にいる愛おしい後輩たちが、今日、正式にこの学校の生徒になったのだ
入学式と言っても、全校生徒を合わせてわずか三人しかいない現状。学校側からの堅苦しい挨拶もなければ、大勢の在校生からの拍手もない。それでも、一生に一度の記念として、形だけでもそれらしいことをして迎え入れてあげたいと、ホシノは密かに考えていた
「はぁ……それにしても、本当に早かったねぇ。ついに、二人の入学式なんだね」
しみじみと呟いたホシノの横顔を見て、ノノミの表情がふっと柔らかい追憶の色に染まる
「ふふ、本当ですよね。……でも、初めてホシノ先輩にお会いした時は、もの凄く怖い顔をされていたのに、今ではこんなに素敵な笑顔を向けてくれるようになって、私はとっても嬉しいです♪」
「ううー! ノノミちゃん、その話はもう忘れてよー! というより、おじさんがそんなに怖い顔をしてた時期なんて、一日も無かったよね!?」
焦って言い張るホシノに対し、ノノミは人差し指を頬に当てて、悪戯っぽく小首を傾げた
「えー? そうでしたっけ? 私はしばらくの間、すれ違うたびにチクチク睨まれていたような気がしますよー♪」
「うへぇ、それは誤解だよぉ……おじさん、元々こういう目付きだからさぁ……」
本日何度目になるか分からない深い溜息を吐きながら、ホシノは降参とばかりに両手を挙げた。しかし、その顔はどこか嬉しそうでもある
後輩たちからこれだけ気安く弄られるようになったこと自体が、彼女たちとの距離が縮まった証拠だからだ
「はぁ……そうだ。二人をおじさんいじりで満足させる前に、ちょっと見せたいものがあるんだよね」
「ん? 見せたいもの?」
シロコがパタリと耳を動かすようにして反応する
「ほらほら! おじさんをからかうより、もっと凄いものを見せてあげるから。ちょっと付いてきて!」
ホシノはそう言うと、まだ状況が掴めずにいる二人の手をそれぞれの手でぎゅっと握りしめ、勢いよく対策委員会の教室を飛び出した
「わっ、ホシノ先輩、急に引っ張ったら危ないですよ〜!」
「ん、どこに行くの?」
廊下に乾いた足音が小気味よく響く。ホシノが二人を連れて向かったのは、校舎の奥にある薄暗い体育館だった
重たい扉をホシノが両手で力いっぱい押し開けると、夕暮れの斜光が差し込むだだっ広い空間が目の前に広がった。普段はひっそりとしているその場所に二人を招き入れ、ステージの方へと案内する
「ん、ノノミ。あそこにあるのって……」
「え? あんなもの……学校にありましたっけ……」
ステージの壇上に立てかけられるようにして、大きな一枚の立て看板がそこに鎮座していた
「じゃーーん! おじさん特製、手作りの入場看板だよ! 2人を驚かせたくて隠れて作ってたんだ!」
ホシノが誇らしげに薄い胸を張り、看板を両手で指し示した
それは、限られた予算と物資の中で、ホシノがシロコ達を驚かせたくて夜な夜な時間をかけて作り上げたものだった。看板の周囲には、色とりどりの薄紙を丁寧に折って作られた紙の花が何重にも華やかに飾られている。そしてその真ん中には、少し不器用ながらも心を込めて書かれた、『祝 入学』という力強くも綺麗な文字が躍っていた
広大な体育館の中で、それは小さくて、どこか手作り感の溢れるものだったかもしれない。けれど、そこには間違いなく、新入生を迎えるための最大限の祝福と、先輩としての深い愛情がこれでもかと詰め込まれていた
「ええ!? い、いつの間にこんな凄いものを作っていたんですか!?」
ノノミは信じられないといった様子で両手を口元に当て、目を丸くして看板を見つめた
「ん……私も全然気が付かなかった。毎日一緒にいたはずなのに」
シロコもまた、一歩前へ踏み出しながら、食い入るようにその綺麗な文字を見つめている
驚き、そしてそれ以上に喜びを滲ませる二人の反応を見て、ホシノは小さく頭を掻きながら、へへへと照れくさそうに笑った
「えへへ……二人が帰ったあと、夜中にこっそり作ってたんだよね〜。ノノミちゃんはともかく、シロコちゃんは今、私と一緒に住んでるからさ。帰るのが遅いからってバレないかヒヤヒヤしたよー」
「ん……。だから最近、ホシノ帰ってくるの遅かったんだ。ご飯冷えるからそろそろ怒ろうかと思ってた」
「わっ、危ない危ない! シロコちゃんに怒られる前に完成して良かった〜!」
「むー……! 感動しましたけれど、夜更かしして無理をしたらダメですよ?」
納得がいったように頷くシロコの後ろから、ノノミが嬉そうに、けれど少しだけ保護者のような顔をしてホシノの体調を気遣った
「大丈夫、大丈夫だよ〜! おじさん、こう見えて身体だけは人一倍頑丈にできてるからね! ……それと、サプライズはこれだけじゃないんだ。はい、これも!」
そう言って胸を張ったホシノは、看板の裏にそっと隠すように置いてあった、少し古びた機械を両手で大事そうに取り出す
「ん、カメラ?」
シロコがパチパチと瞬きをしながら首を傾げる
「随分と年季が入っていますね……。最近のモデルに比べると、少し小さめでしょうか?」
ノノミがその外観を観察するように呟く
「うん、これはね、私のものではなくて……ちょっと借りてるものなんだー」
ホシノはそう言うと、愛おしむようにそのカメラのボディを指先でそっと撫でた
「ん……誰から借りたの?」
シロコが何気なく問いかける。しかし、ホシノがそのカメラを持つ時の、まるで壊れ物を扱うかのような慈愛に満ちた優しい手つき、そして寂しげでありながらも温かいその眼差しを見て、ノノミはすぐに察した
それが、今は入院しているこの学校のもう一人の先輩――生徒会長、梔子ユメが大切に使っていたカメラなのだと
言葉に詰まりかけた空気を察して、ノノミはすぐに満面の笑みを作って手を叩いた
「ふふ、それじゃあ早速、そのカメラで私たちの記念写真を撮りましょうよ!」
「……そうだね、誰のカメラでもいいや。せっかくホシノ先輩が用意してくれたんだから、撮ろう」
ノノミの意図を汲み取ったのか、あるいはただ純粋にホシノの好意に応えたいと思ったのか、シロコも少しだけ考えた後にコクりと頷いた
「あはは、ありがと〜! あ、待って待って、撮るならこれも持って!」
ホシノは嬉しそうに笑うと、またしても看板の裏へ手を伸ばし、今度は可愛らしくラッピングされた二人分の小さな花束を取り出して、それぞれの胸元へ手渡した
予期せぬ連続サプライズに、手渡された二人は思わず顔を見合わせ、少しだけ苦笑いを浮かべる
「ホシノ先輩……この看板の裏に、一体いくつ物を隠しているんですか?」
「まるで四次元ポケット……四次元看板……?」
「そ、それで本当に最後だよー! さすがにおじさんも、これ以上は何も隠してないから安心して!」
流石に色々と詰め込みすぎてサプライズが過剰だったかなと、ホシノは少しだけ頬を赤くして反省のポーズをとる
気を取り直して、ホシノは二人を『祝 入学』の看板の前に並んで立たせ、自分は一歩下がってカメラを構えた。ファインダー越しに、新入生二人の姿を覗き込む
「ん……き、緊張する。こういうの、あんまり慣れてない」
「シロコちゃん、ほら、もっと肩の力を抜いて、笑顔ですよ♪」
そう言ってアドバイスをするノノミだったが、カメラのレンズを見つめる彼女の笑顔も、どこか少しだけ硬い
言葉ではシロコをリードしているものの、やはり一生に一度の入学式、ノノミ自身も内心ではかなり緊張しているのだろう
(あはは、二人ともガチガチだねー……。でも、そういう初々しいところも、すっごく良いね……♪)
ホシノはファインダーの向こうで、ぎこちなく身を寄せ合う二人の表情すらも愛おしそうに見つめながら、最高のタイミングでシャッターを切った
パシャリ、と静かな体育館に心地よい機械音が響く
「はい! 綺麗に撮れたよー! 今度しっかり現像して、二人の分の写真も綺麗にアルバムにして渡すからね!」
ホシノがカメラを下ろして微笑むと、シロコは大きく息を吐き出して、自分の胸元をさすった
「ん……すごく緊張した。写真は少し苦手かも」
「あはは……確かに、私も少しだけ足が震えちゃいました。でも、なんだか凄く温かくて、楽しいですね♪」
ノノミはもらった花束を愛おしそうに両手で大切に抱き締めながら、今度はいつもの、おっとりとした極上の笑顔をホシノへと向けたのだった
「それではっ、入学式のお祝いにどこかでご飯でも食べに行きましょうか♪ ちょうどお昼時ですし!」
「ん! さんせい。お腹すいた」
ノノミが弾んだ声で提案すると、シロコは力強く何度も深く頷いた
朝から新しい拠点となる対策委員会の教室の片付け、机やホワイトボードの運び込み、さらには砂の掃き出しと、休む間もなく身体を動かし続けていたのだ
気づけば正午を回り、三人の胃袋はとうにペコペコだった
「んー、ごめんね〜。その前に、いくつかやっておかなきゃいけないことがあるんだよね〜」
しかし、ホシノは困ったように眉を下げて、へへへと苦笑いを浮かべた。それを見たシロコとノノミは、同時に小首を傾げてシンクロするように首を傾げる
「やっておくこと……ですか?」
ノノミが不思議そうに首を傾げ、手元で指を折り数えながらホシノの顔を覗き込んだ
「ん……生徒籍の名簿に名前も書いた。これで手続きは全部終わったはず」
シロコも同じように眉をひそめ、納得がいかないというように耳をパタパタと動かす。二人のそんな様子を、ホシノはどこまでもにこやかに、しかしどこか悪戯っぽい笑みを浮かべながら見つめていた。そして、手にしたカメラをステージに置き、とんでもない言葉をあっさりと口にした
「うんうん、そこら辺の事務作業や掃除はバッチリ完璧なんだけどね〜。んー……とりあえず、二人とも。自分の武器を持って、今から校庭に来てね♪ あ、おじさんも自分のを持ってこなきゃいけないから、先に行ってるよー!」
「えっ? 武器……ですか!?」
ノノミが素っ頓狂な声を上げた時には、すでにホシノの姿はそこになかった。小柄な体躯からは想像もつかないほど驚くほど素早い足取りで、そそくさと自分の教室の方へと戻っていってしまったのだ
パタン、と静かに閉まった体育館の扉を見つめながら、残された新入生二人の背中に、じっとりとした嫌な汗が伝わる
冷たい静寂が流れる部屋の中で、二人はしばらく呆然と立ち尽くしていた。しかし、彼女たちの本能が、これから起こるであろう不穏な事態を敏感に察知して、脳内でけたたましく警鐘を鳴らし始めていた
「……ねぇ、シロコちゃん。もしかして、この後って……」
ノノミが引きつった笑みを浮かべながら、助けを求めるようにシロコの袖を引いた
「……き、きっと、まだ私たちが知らない楽しいサプライズが残っているんですよ、ね……!? ほら、クラッカーを鳴らし合って、お祝いのダンスを踊るとか……!」
「……ノノミ。私の勘が、今すぐここから逃げろって言ってる」
シロコは真剣な顔のまま、最悪の予感を脳裏に過らせていた。あのホシノのオッドアイの奥に、一瞬だけ宿った悍ましいほどの「真剣味」。それをシロコは見逃していなかった
「でも、先輩の命令を無視してご飯に行くわけにもいかない……。ん、一回戻って準備しよう」
「うう、そうですね……。嫌な予感しか中りませんけれど……」
二人は重い足取りで一度対策委員会の教室へと戻り、それぞれの愛銃を手にした。シロコは使い慣れたアサルトライフルを肩に掛け、タクティカルベルトに予備のマガジンを詰め込む。ノノミは、普段の穏やかさからは想像もつかないほど巨大で重厚なミニガンを両手でしっかりと抱えた
武装を整えた二人は、覚悟を決めて、じりじりと太陽が照りつける広大な校庭へと向かったのだった
◇
それからちょうど一時間後
遮るもののない広大なアビドスの校庭には、文字通り満身創痍で地面に転がるノノミとシロコの姿があった
「う、うう……」
「し、死にます……。お腹のあたりが、よじれそうで……息が……」
ノノミは自慢のミニガンを手放し、熱を帯びた砂の上に大の字になって天を仰いでいる。綺麗な金髪は砂まみれになり、制服の襟元も大きく乱れていた
シロコもまた、新しく袖を通したばかりの綺麗な制服を砂と煤でボロボロに汚し、地面に這いつくばったまま荒い息を繰り返していた
彼女のすぐ横では、戦闘中に呼び出した自律支援ドローンが、無残にも装甲を叩き割られ、黒い煙を上げてパチパチと火花を散らしている
「ふぅ……。ひとまず、初日はこんなものかな?」
そんな二人を見下ろしながら、ガシャンと大きな金属音を立てて、巨大なシールドを器用に折りたたみ収縮させたホシノ
床の砂さえ綺麗に掃き出された今朝の姿とは違い、今のホシノは呼吸一つ乱れていない。それどころか、制服の襟元にも、その白い肌にも、戦闘の跡を示す泥や汚れが一切付着していないのだ
この一時間が、どれほど絶望的で、一方的な蹂殺だったかを、その綺麗な姿が何よりも雄弁に物語っていた
「シロコちゃんは、ドローンの展開がまだまだ遅いねー。おじさんが銃口を向けてから数秒位空いてたから、あんなの余裕で撃ち落とせちゃうよ。ノノミちゃんは初めての手合わせだったけど、シロコちゃんの動きに全くついていけてないね。二人の連携、全くなってないよ〜?」
ホシノはふにゃりとした笑顔のまま、容赦のないダメ出しを突きつける
「な、なんで……私たち、入学式が終わったばかりなのに、ホシノ先輩と戦わなきゃいけないの……っ」
シロコが砂をペッと吐き出しながら、恨めしそうな視線をホシノへとぶつけた
「し、しかも……手加減なしなんて酷すぎます……! 先輩、鬼です、悪魔です……!」
ノノミも涙目で抗議の声を上げる
「あはは、ごめんごめん! でもね、これ、今年からアビドスの伝統にしようと思ってた『模擬戦』なんだよね〜。二人の今の実力を正確に試して、これからどうやって伸ばしていけばいいか、おじさんなりに把握したくてさ。……あ、ちなみにこれでも、かなり手加減した方なんだよ?」
「あ、あれで手加減してたんですか……!?」
ノノミが絶望的な声を上げる
「だからって……心の準備が出来る前にスタートするのはどうかと思う。せめて、最初に説明して……」
シロコが砂を噛むような思いで、深い溜息をつきながら抗議した
思い返せば一時間前、二人が武器を携えて校庭の砂を踏んだ瞬間、そこには既に完全に武装を完了し、普段のダラけた雰囲気を一切排した「戦士」の目を引いたホシノが佇んでいたのだ
『それじゃあ、覚悟してね〜♪』
その、のんびりとした声と同時に、ホシノの姿が陽炎のようにブレた
次の瞬間には、五感を置き去りにするほどの圧倒的な突進力で距離を詰められ、シロコが慌てて空中へ射出したドローンは、照準を合わせる暇もなく至近距離からの正確無比なショットガンの早撃ちによって一瞬で叩き落とされた
驚愕に目を見張るノノミが、反射的にミニガンの銃身を回転させようとした瞬間には、すでにホシノの巨大な盾が目の前に迫っていた。弾丸の嵐を吐き出す前に軽々と盾で防がれ、その強固な質量兵器で文字通り、校庭の防壁へと叩きつけられる
そこからの光景は、第三者が見れば模擬戦という名のリンチにしか見えなかっただろう
二人の連携は悉く先読みされ、死角からの同時攻撃すらも、ホシノはまるで見えない眼があるかのように最小限の動きで回避し、あるいは盾の角度を変えて完璧に弾いた。それどころか、二人が息を合わせようとした一瞬の隙を突かれ、腹部へと吸い込まれるように弾を、寸分の狂いもなく一発ずつ撃ち込まれたのだ
普通の人間であればヘイローを持たないがゆえに即死していただろう、キヴォトスの生徒だからこそ耐えられる至近距離での容赦ない波状攻撃
さらに恐ろしいのは、二人が肉体的にも精神的にも限界を迎え、膝をつきそうになるたびに、ホシノが『まだ、やれるよね♪』と、底知れない、しかし純粋な期待に満ち溢れたオッドアイの瞳をキラキラと輝かせて追撃を仕掛けてきたことだった
戦闘続行を余儀なくされ、二人の銃から完全に弾薬が底を突き、体力も限界を迎えて指一本動かせなくなるまで、この地獄のような模擬戦は延々と続いたのだった
「もう二度としたくない……。いつものホシノ先輩とのギャップが強すぎる……」
シロコががっくりと頭を砂に伏せる
「あはは、流石に入学前の子にこんなことはしないよー。二人がアビドスの生徒として、ちゃんと覚悟を持ってここに来てくれたって信じてるからこその、おじさんの愛の鞭ってやつさ〜」
ホシノは盾を背中に背負い直し、何でもないことのように笑っている。しかし、シロコの瞳の奥で、小さな、しかし消えない火が灯るのをホシノは見逃さなかった
「……でも、次は、絶対に勝つ。次はもっとドローンの展開を早くして、叩き落とされる前にヒットアンドアウェイを仕掛ける……。それからノノミが射線を確保するまで、私が前衛で時間を稼ぐ」
砂まみれの顔のまま、早くも脳内で次回の戦闘シミュレーションを始め、リベンジの炎をメラメラと燃やすシロコ
その底なしの戦闘ジャンキーぶりに、ノノミは完全に遠い目をして引きつった声を出す
「し、シロコちゃんは本当に凄いです……。私は、もう二度と御免です……。お肌も制服もボロボロになっちゃいます……」
リベンジに燃えるシロコと、精神的に燃え尽きたノノミ。しかし、ホシノはノノミのその弱音を聞いた瞬間、心底不思議そうにキョトンとした顔になった
「え? 何言ってるの、ノノミちゃん。これ、毎月やるんだよ?」
「……へ?」
ノノミの思考が一瞬、完全に停止した。今、この先輩はなんと言ったのだろうか。毎月? この地獄を、月に一度、定期イベントとして開催すると言ったのか
「ここに入ってきたからには……絶対に二人には、誰よりも、どこの学校の奴らよりも強くなってもらうんだからね」
ホシノは二人に背を向け、地平線の先にある果てしない砂漠を見つめた。その言葉の裏に、かつてアビドスを襲った悲劇、そしていつか自分が居なくなった時に降り注ぐかもしれない苦痛を、後輩たちが自らの力で振り払えるようにという、痛烈なまでの決意と執着が垣間見えた
白子を失ったあの日のような絶望を、二度とこの学校で繰り返させはしないという、狂気にも似た守護の意思
しかし、それはほんの一瞬のことで、ホシノはすぐにいつものふにゃりとした笑顔に戻って振り返った
「というわけで、来月もよろしくね〜! 」
「む、無理ですーーーーー!!!」
ノノミの絶望に満ちた、魂の底からの絶叫が、アビドスの広大な校庭と砂漠の風の中に虚しく、そして賑やかに響き渡った
その後、完全にエネルギーを使い果たし、お互いにフラフラの身体で肩を貸し合いながら、なんとか一歩一歩進むシロコとノノミ。アビドスの広大な校庭を横切るだけの道のりが、今の二人にとってはまるで果てしない砂漠を縦断するかのように長く感じられた
ホシノはその二人を後ろから、まるで満足げな飼い主のようにニコニコとした表情で見守りながら、のんびりとついて歩く
「ほらほら〜、二人とも足が止まってるよ〜。これくらいでへばってたら、アビドスの過酷な夏は乗り切れないぞ〜?」
「ん……ホシノ先輩、後ろからプレッシャーかけないで……。足が、鉛みたいに重い……」
「ふふ、シロコちゃん、頑張りましょう……。でもホシノ先輩、本当に容赦がなさすぎます……」
三人でどうにかこうにか、先ほど片付けたばかりの『アビドス廃校対策委員会』の教室へと帰り着いた
ガラガラと扉を開け、冷房の効いた部屋に転がり込むようにして、二人は椅子に崩れ落ちる。ひんやりとした空気の心地よさに、思わず二人同時に深いため息が漏れた
「はい、二人とも本当にお疲れ様〜!」
ホシノはパチパチと拍手をしながら、トレイに残っていた、少しぬるくなった麦茶を二人の机に置いた。そして、驚きと疲労で完全にキャパシティを超えている二人の顔を見つめ、今日一番の、悪戯っぽくもどこか感慨深い笑みを浮かべた
「これで、身体を動かすキツいお仕事は全部終わり! 最後にもう一つだけ、アビドスの、おじさんたちの『大切な伝統』をしたら、今日の入学式は本当におしまいだよ!」
「ま、まだ……あるんですか……?」
ノノミが救急箱から取り出した消毒液を綿棒に染み込ませながら、怯えたような声を上げる
「さ、流石に私もこれ以上は動きたくない……」
痛む身体を無理やり動かし、お互いの制服の汚れを叩きながら、絆創膏を頬に貼っていたシロコも、その言葉を聞いた瞬間に文字通り凍りついた
特にノノミは、普段の聖母のような慈愛に満ちえた表情が完全に消え去り、心底嫌そうな、眉を八の字に曲げた絶望の顔を隠そうともしない
「もー、二人ともそんなに警戒しないでよ〜! さ、さっきみたいな派手だったり疲れることじゃないから! 本当に! おじさんを信じて! これっぽっちも痛くないし、体力も使わないから安心して!」
ただならぬ拒絶反応を察知して、ホシノは両手を激しく左右に振りながら慌てて言葉を重ねた
「……そう言って、実は『二回戦があるよ』とか言い出しそう。『油断したらダメだよー』って、あの笑顔のまま……」
シロコがジト目のまま、ぼそりと呟く
「もし本当にそんなことになったら……その時はペナルティとして、ホシノ先輩の私服ファッションショーを強制的に開催しないとですね……」
ノノミが救急箱をパチンと閉めながら、どこか冷ややかな、しかし妙に本気度の高い笑みを浮かべた
「ん、賛成。ピンクのフリルがたくさんついたドレスとか、フリフリのロリータ服とかがいいと思う。アビドスの新しい広報資料として、色んなところに貼り付ける。ヘイローの輝きと一緒に」
「ちょ、ちょっと二人とも!? おじさんに対する風評被害と精神的攻撃が凄まじいんだけど!? ピンクのフリルなんて着たら、おじさん恥ずかしさで本物の砂になって消えちゃうよ! 恐ろしいこと言わないで!?」
後輩たちの容赦のない反撃に、ホシノは本気で身震いして自分の体を抱きしめた。コホン、とわざとらしく大きな咳払いをして室内の空気を切り替えるようにすると、ホシノは優しく微笑み直した
「それじゃあおじさん、ちょっと『それ』を取ってくるから、二人はそこでゆっくり座って待っててね〜」
そう言い残すと、ホシノは逃げるようにそそくさと対策委員会の教室を後にした。廊下をパタパタと駆けていく足音が遠ざかっていく
静まり返った教室で、残された二人は机に突っ伏した
「シロコちゃん……何があると思います?」
「……分からない。ホシノ先輩の考えることは、時々予測不可能。……でも、悪いことじゃない気がする。たぶん、私たちのことを考えてくれてる」
「ベースが優しい先輩なのは分かっているんですけどね……。はぁ、信じるしかありませんか……」
先ほどの模擬戦の恐怖がよほど骨身に染みているのだろう。二人は深い溜息をつき、互いに顔を見合わせて苦笑するしかなかった
数分後、廊下から再び足音が近づいてきた。ガラッと扉が開くと、ホシノが両手で真っ白な紙製の四角い箱を、まるで壊れやすい宝物でも扱うかのように大切そうに抱えながら戻ってきた
「ただいまー。どう? 少しは休めたかな?」
「ん……ホシノ先輩、それなに?」
シロコが机から顔を上げ、警戒を解かない目で箱を凝視する
「やっぱり……今からでもファッションショーの計画を進めた方がいいような、怪しいものでしょうか……?」
ノノミまでもがじとーっとした視線を箱へと注ぐ
「もー! 二人ともおじさんを疑いすぎだってば! 本当に信じてよー! ほら、二人の記念すべき入学祝いを祝して……じゃーーん!」
ホシノが机の上に丁寧に箱を置き、ゆっくりと上の蓋を開けて中身を取り出した
二人が恐る恐る覗き込むと、そこにあったのは――真っ白な生クリームに覆われ、真っ赤なイチゴが美しく並べられた、小さめのホールケーキだった
どこか懐かしい、甘くて優しいイチゴとクリームの香りがふわりと教室中に広がる
「ケーキ……?」
シロコがぽかんと口を開け、パチパチと瞬きをする
「あ……甘いもの! ケーキです!」
ノノミの瞳が一瞬でキラキラとした輝きを取り戻し、疲れも忘れて身を乗り出した
「うんうん。二人とも今日はいっぱい動いて疲れてるかなーって思ってさ。糖分補給は大事だからね! ……それと、これがさっき言ってた、もうひとつのアビドスの伝統に使うものなんだよ」
ホシノはふふんと鼻を鳴らしながら、どこか誇らしげに胸を張る
「その、さっきから言ってる『もうひとつの伝統』ってなに? ケーキを食べるのが伝統?」
シロコが不思議そうに小首を傾げると、ホシノはニヤリと、どこか悪戯っぽい笑みをその愛らしい顔に浮かべた
「ふふー、これはね? おじさんが『生徒会に入った時に』出来た、アビドスが誇る伝統の儀式なんだよ」
そう言うと、ホシノは制服のポケットに手を突っ込み、何かを取り出した
二人が首を傾げながらホシノの握られた手元を覗き込む。ホシノがパッと手を開くと、そこに転がり出たのは、お祝い用のローソク――ではなく、赤い紙で巻かれた小さな【爆竹】の束だった
「え? ば、爆竹……!?」
ノノミの声が裏返る
「うん。この学校の周りにはお店がないからねー。ローソクの代わりに、爆竹!」
「へ!? ま、待ってくださいホシノ先輩!? そんなのケーキに刺したら……!」
「よーし、点火ーー!」
ノノミの必死の制止の声を聞き流しながら、ホシノは慣れた手つきでライターの火を爆竹の導火線へと近づけた
ホシノの脳裏には、かつて自分が生徒会に入った日の光景が鮮明に蘇っていた。あの時、ユメが嬉しそうに『ホシノちゃんが生徒会に入ってくれたお祝いだよ!』と、まったく同じようにローソクの代わりに爆竹に火をつけたのだ
(あのハチャメチャだったけど……楽しかった頃……それだけは、この新しい二人の後輩にも知って欲しいな)
ホシノが胸の中でそう願い、目を細めた瞬間――
バババババン!!!
狭い教室の中に、鼓膜を揺らす凄まじい爆音と鮮光が炸裂した。爆竹の激しい炸裂エネルギーによって、せっかくの美しいイチゴケーキが文字通り木っ端微塵に粉砕され、辺り一面へと容赦なくぶちまけられる
「んんっ!? く、口の中に……いきなり甘いものが……!」
模擬戦の痛みで動きが鈍り、咄嗟に逃げられなかった二人は頭から生クリームを被る羽目になった。頬にイチゴの破片をくっつけたシロコが、信じられないといった様子で声を上げる
「あああーーー! 私たちの美味しそうなケーキがーーー!? か、髪がベトベトしますー!?」
ノノミが両手で頭を抱え、クリームまみれになった制服を見て悲鳴を上げた。床にも壁にも、そして三人の顔にも、容赦なく白いクリームの斑点が飛び散っている
「あはははは! やっぱり入学式はこうでなくっちゃね〜! 伝統復活だよ〜!」
ホシノはお腹を抱えてゲラゲラと笑い転げている
「絶対に違います!」
「絶対違う! これはテロ!」
火薬の匂いと甘いクリームの香りが奇妙に混ざり合う夕暮れの教室で、新入生二人の大混乱の悲鳴と、ホシノの晴れやかな笑い声が、いつまでも、いつまでも響き渡っていた。それは間違いなく、新しく生まれ変わった『アビドス廃校対策委員会』の、騒がしくも温かい日常の始まりを告げる号砲だった
その後、ホシノはこうなることを見越して「2つ目の本命ケーキ」をちゃんと別の場所に用意していた。そのため、この後三人で一緒にお風呂に入ってクリームを綺麗に洗い流した後、夜遅くにみんなで美味しく食べる事になるのだがーー
「ノノミちゃん、そんなに怒らないでよ〜。ほら、イチゴ多めのところあげるからさー」
「むー……!」
パジャマ姿のノノミから、涙目で恨めしそうな目線を何度も何度も向けられ、ホシノはしばらくの間、平謝りを続けることになるのだった