苛烈で凍てつくような砂漠の冬が過ぎ去り、巡ってきた温かな春
澄み渡る春風に乗って、遠くの街から運ばれてきた薄桃色の桜の花びらが、砂埃の舞うアビドス高等学校の老朽化した校舎へと、パラパラと気まぐれに舞い散る季節
雲ひとつないどこまでも澄み切った青空の下、ホシノは日差しをいっぱいに浴びた屋上のコンクリートの上に、ゴロゴロと無防備に寝転がりながら空を見上げていた
「うへぇ……。相変わらず空が青いねー……。目に毒なレベルで眩しいよ……」
片手で大きな庇を作り、瞳を細めながら、どこまでも高く広がる青のキャンバスをただぼんやりと眺める
今日は、アビドス高等学校の入学式だ
あの日――白子の命日に路地裏で、たまたま出会った二人組の少女たち。真面目で心優しく、巨大な眼鏡をかけた黒髪の奥空アヤネと、威勢が良くてツンツンと愛らしい猫耳が特徴的な黒見セリカ
あの運命の夜、「私達も、アビドスの生徒になります」と言ってくれた二人が、今日、正式にアビドス高校の新入生としてやってくるのだ
「んー……。二人とも無事に着いて、準備は終わったのかなぁ……? おじさんが居なくても、シロコちゃんやノノミちゃんならちゃんとやってくれそうだけど……」
ホシノはうーんと声を上げながら大きく背伸びをし、パタパタと足を動かしてゴロリとコンクリートの上で寝返りを打つ
本来なら、最高学年であり対策委員会の委員長でもあるホシノ自身も、腕まくりをして入学式の準備を全力で手伝うべきところなのだが……このアビドス高校における「入学式」というのは、一般的な学校のような堅苦しい式典とはまるで程遠いものだった
新入生を迎えるための「入学式」と書かれた立て看板も、去年シロコやノノミが入学してきた時に使ったものを古びた倉庫から引っ張り出してきて、表面の埃をパッパと軽く払うくらいしかやることがないのだ
(んー……。まあ、『おじさんも手伝うよー』って言ったら、速攻で追い出されちゃったわけだけど……。結局、こうして横になっても全然眠れないなぁ)
実際のところ、ホシノ自身も今日という特別な日に胸を躍らせ、やる気自体は満ち溢れていたのだ。せめて校庭の掃き掃除でもしようかと、珍しく張り切っていたくらいには
しかし――ここ最近、アビドス自治区へ執拗に攻め入ってくるヘルメット団の数が、どれだけホシノが夜陰に紛れて叩き潰しても、一向に減る気配を見せていなかった
夜間の防衛警備や見回りに割く時間が雪だるま式に増え、ホシノの睡眠時間は限界近くまで削られていたのだ
そんな酷いクマを作った顔を見かねて、今朝、シロコとノノミから強い口調で「ホシノ先輩、今日は私達に任せて寝てください」「ん。最近無理してるのは分かってるから。先輩の今日のお仕事は休むこと」と、半ば強引に体育館から追い出されてしまったのだった
せっかくの後輩二人の温かい気遣いを無駄にはできず、おとなしく屋上で横になって眠ろうとしていたホシノだったが、頭の中をぐるぐると巡る思考の渦が邪魔をして、結局は青空を見上げて溜息をつくくらいしかできずにいた
(うへぇ……。あのヘルメットの子たち、髑髏のマークで顔を隠してるから分かりにくいけど……多分、おじさんが先週へし折った連中とはまた別のグループだよねぇ……。もう二度と来ないように叩きのめしても、次から次へ違うグループが来るんじゃ意味が無いし……誰かに雇われてる……?)
ホシノは自身の細い指先をかざし、青空にかざしながら眉根を寄せた
(毎日のように違う集団が、まるで何かに誘い出されるみたいにアビドスへ攻めてくるなんて……今まで一度もなかったはずなんだけどな。一体、裏で何が起きてるのやら……。まさか、アビドスが完全に廃校になるのを待ちきれない誰かが、裏で糸を引いて仕掛けてきてるのかなぁ……)
不穏で冷たい推測が、胸の奥で黒く渦巻く
せっかく出会えた可愛い後輩たち。芽生えかけた穏やかな「日常」
それを脅かそうとする何かが、すぐ近くまで迫っているのではないかという強い不安
「うへぇ……ダメだねぇ……! 今日は可愛い後輩達が入ってくるおめでたい日。せめて今日くらいは、ちゃんとした先輩として明るい顔をしないとね」
頭の中に渦巻く不穏で暗い推測を強引に振り払うように、ホシノは両手でポンポンと自分の両頬を軽く叩いた
手に残るかすかな痛みが、まどろみかけた意識と沈みそうだった心を、ゆっくりと現実へ引き戻してくれる
気持ちを切り替え、今日これから始まる日程を頭の中で振り返りながら静かに目を瞑っていた、その時だった
「ん、ホシノ先輩。起きてる」
「わぁっ!? し、シロコちゃん!?」
音も気配もなく、いつの間にか目の前に立っていた少女が、寝転んでいるホシノの顔をじっと上から覗き込んでいた
至近距離にある透明感のある銀髪と鮮やかな青い瞳に驚き、ホシノは跳ね起きるように慌てて座り直した
「……やっぱり、寝てない」
よく見ると、目の前に立つシロコは、どこか納得がいかないといった風に、ほんの少しだけ頬を膨らませてジト目を向けている
「え、えーと……シロコちゃん? おじさん、ちゃんと横になって休んではいたんだけど……もしかして、何か怒ってる……?」
「ん。本当に休んでた? 目を閉じてただけで、頭の中はずっと動いてた顔。何か他の仕事しようとか考えてなかった?」
「も、もちろんおとなしく休んでたよ! 二人に『寝てきて』って言われてから、一歩もこの屋上から動いてないし! ほら、横になってたおかげで体もすごーく軽くなった気がするよ〜?」
「……なら、いい。少しでも休めたのなら」
シロコは小さく溜め息をつき、追及を緩めた。その「どうせろくに休めていないんだろう」と言いたげな、呆れ混じりの優しい視線に、ホシノはうへぇと苦笑いするしかなかった
(うぅ……おじさん、完全に信用ないなぁ……。まあ、自業自得なんだけどさ)
「それより、下の準備、全部できた。新入生がすごく緊張して待ってる。アヤネもセリカも、かちこちで可愛い。だから、ホシノ先輩も早く来るべき」
「お、そっか! それじゃあ、本日の主役たちを待たせるわけにはいかないし、早く行かないとね!」
「ん」
そう言って、シロコがスッと片手を差し出してきた
ホシノは一瞬「おや?」とキョトンとした顔をしたものの、すぐにその意図を察して、小さな手でシロコの手をぎゅっと掴み、勢いよく立ち上がった
「それじゃあ、みんなのところへ行こっか!」
「ん!」
互いに手を離し、二人はパタパタと足音を響かせながら、階段を下りて階下の体育館へと向かった
◇
古びたギシギシと高らかに鳴る木造廊下を渡り切ると、見慣れた広大な体育館の重々しい正面入口で、ノノミがまるで大輪の花が咲いたかのような眩しい笑顔を浮かべて待っていた
「あ、遅いですよー、お二人とも!」
「うへぇ、ノノミちゃん。待たせちゃってごめんね〜。屋上の日当たりが良すぎてさ、つい本格的にまどろみそうになっちゃって」
ノノミが体育館の分厚い扉の前に立ち、楽しそうにパタパタと両手を振ってくる。ホシノは半開きになった木製の扉のわずかな隙間から、そーっと中を覗き込みながら尋ねた
「あれ? セリカちゃんとアヤネちゃんはー? まだ来てないのかな?」
「お二人なら、もう中でホシノ先輩のことを首を長くして待ってますよ♪」
ノノミが優しく微笑みながら、ギシギシと年季の入った音を立てる扉を少し大きめに開けてくれた
シロコがその横からすっと身を乗り出し、中をチラリと盗み見ると、静かにポツリとつぶやいた
「ん。……馬にも衣装だった」
(ぶふっ!? し、……シロコちゃん、相変わらず言葉のチョイスがどこか独特……! というか、君が最初にここに来た時も、同じくらい制服に着られててガチガチだったんだけどなー……)
シロコは自分の発言のどこがおかしいのか分からないといった風に、銀色の髪を揺らしながら首をちょこんと傾けている
喉まで出かかった「それを言うなら『馬子にも衣装』だし、そもそも使い方がちょっと失礼だよ!」というツッコミを、ホシノは「今ここで言ったらシロコちゃんがジト目になるから後が怖い」と瞬時に判断して必死に押し殺した
ノノミに「ささ、主役はお待たせできませんから、入ってくださいな」と背中をポンポンと優しく押される形で、ホシノとシロコは静まり返った体育館の中へと踏み込んだ
高窓から差し込む斜光が粉塵をキラキラと光らせる広大な体育館の中央、ぽつんと並べられた2つの折りたたみ式のパイプ椅子
そこには、パリッとした美しい折り目の残る新品のアビドス高等学校の制服に身を包み、背筋を限界までピンと伸ばしてガチガチに緊張した様子のセリカとアヤネが座っていた
「おー、二人ともすっごく緊張してるねー。顔がちょっと強張ってるよ〜?」
「あっ……ほ、ホシノ先輩……! お待たせして大変申し訳ありません!」
アヤネがロボットのようにギコギコとしたぎこちない動きで素早く立ち上がり、何度も眼鏡のブリッジを慌ただしく押し上げながら深々と頭を下げる
そのあまりの勢いであやうく眼鏡が鼻先からずれ落ちそうになり、大慌てで両手で押さえていた
「あ、あの、ホシノ先輩、こんにちは! 本日はよろしくお願いします!」
セリカも大慌てで立ち上がり、黒いツインテールを激しく揺らしながら、顔をポッと朱に染めて元気よく挨拶をしてきた
「待たせたのはおじさんの方なんだけどねー……こんにちは、二人とも。制服、すっごく似合ってるよ〜」
ノノミが二人の元へゆったりと歩み寄り、困ったようにくすくすと上品に笑う
「ふふ、そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ〜って、さっきから何度も言ったんですけどね」
「だ、だって……! 入学式よ!? 一生に一度の高校の入学式なんだから、形式とか、式順とか、礼儀とか、いろいろあるじゃない……! 粛々と進めるのが普通でしょ!?」
セリカが少し悔しそうに小さく拳を握りしめて言い返すと、アヤネも「そうです、生徒としての基本です!」と必死に首を縦に振って同意した
そんな真面目すぎる二人の新入生を、ホシノはどこか遠い目で見つめながら、ボサボサのピンク色の髪をぽりぽりと掻いた
「んー……と言ってもねぇ、二人とも。ここに二人揃って着席した時点で、今日のアビドス高校の入学式は、もう7割がた終わってるよー?」
「「……え?」」
ホシノのあまりにもあっけらかんとした言葉に、セリカとアヤネは同時に目を丸くして完全に固まった
「……え? 終わり……? 式辞とか、入学者宣誓とか、校長先生のお祝いの言葉とか……校歌斉唱は……?」
「校長先生とかいないし、そういうの全部おじさんがすることになるから省略だよ〜。校歌もおじさん、うろ覚えだしねぇ」
アヤネが頭の上に大量のハテナを浮かべて尋ねると、隣に立っていたシロコが「ん」と頷きながら、追撃のバッサリとした一言を放った
「ん。二人とも。ホシノ先輩が、そんな堅苦しいこと言えると思う?」
「ちょっとシロコちゃん!?」
「そうですよー?」
ノノミまでノリノリで手をパチパチと打ちながら、楽しそうに会話に乗っかってくる
「あのホシノ先輩が急にキリッとした顔をして、『えー、本日は晴天に恵まれ、大変素晴らしい入学式を〜』なんて堅苦しい挨拶をし始めたら、私、おかしくて笑ってしまいます♪」
「二人ともー!? どういう意味かなぁ!? 確かにそういうのは超がつくほど苦手だけど! おじさんだって本気を出せば、それっぽいやつくらい言えるんだからね!?」
ホシノがジタバタと両手を振り回して不服そうに抗議すると、張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れたように、静かな体育館の中に小さな笑い声が弾けた
「あはは……なんだ、そういう感じなんですね……」
セリカが脱力したように肩を落とし、アヤネもクスリと笑いながら胸を撫で下ろす
「ふふ、でも……ホシノ先輩らしくて、なんだか安心しました。肩の力が抜けましたよ」
「でしょう? アビドスはこれでいいんです♪ 形式よりも、気持ちが大事ですからね」
先ほどまでのカチコチだった硬い雰囲気はすっかり霧散し、高窓から春の温かい光が差し込む体育館には、新しい家族を迎えたような、どこまでも優しく賑やかな空気が満ちていった
「お、二人とも! やっと可愛らしい、良い笑顔が出るようになったねー!」
ホシノが満足そうに胸の前で腕を組み、うへへ、と目を細める
「えっ……そ、そう……でしょうか? 別に笑ったつもりは……」
アヤネは急に直球で褒められたことで少し照れたように頬を染め、かけ直した眼鏡の奥で視線を泳がせた
「……まぁ、なんだか先輩方のお間抜けなやり取りを見てたら、バカバカしくなって緊張が吹っ飛んだだけだけどね!」
セリカはあからさまに横を向き、ツインテールを揺らしながらフンと鼻を鳴らしたものの、その表情には先ほどまでの硬さは欠片もなく、どこか吹っ切れたような明るい苦笑いが浮かんでいた
そんな微笑ましいやり取りを見届けると、ノノミが「はいはーい!」と可愛らしく挙手をした
「それじゃあ二人とも、次の行事に移りましょうか♪」
「え? 次の行事、ですか……?」
「式典らしい式典はやらないって話じゃ……」
首を傾げるアヤネとセリカの視線の先で、いつの間にかステージの前へと滑らかに移動していたノノミが、大事そうに大きな立て看板を抱えて立っていた
木の枠組みに、黒のペンキで大きく『祝 入学』と書かれた、どこか手作り感あふれる温かみのある看板
「おおー! あの看板、一年ぶりに見たねー。相変わらず味があるなぁ」
「ん。ホシノ先輩が去年、夜遅くまで起きて作ってた手作りの看板。すごく懐かしい」
シロコが思い出を慈しむように小さく頷くと、新入生二人から驚愕の声が上がった
「えっ!? あ、あの看板、ホシノ先輩の手作りなんですか!?」
「意外……。失礼だけど、ホシノ先輩って噂通りなら細かい作業より、銃を持って殲滅とかする方が得意そうなのに……」
アヤネとセリカの心底驚いたような素直すぎる反応に、ホシノはガクッと肩を落とし、ジト目になって不満そうに口を尖らせた
「ちょっと二人ともー? おじさんを一体なんだと思ってるのかなぁ……? こう見えても委員長だし、可愛い後輩のためならこれくらい夜なべして作る甲斐もあるってものだよ?」
自慢げに胸を張るホシノを見て、アヤネとセリカは顔を見合わせると、寸分の狂いもない見事な呼吸でハモってみせた
「「今のところ、一番後輩のお尻に敷かれている先輩……?」」
「息ぴったりか!!」
ホシノの情けない悲鳴のようなツッコミが体育館に響き渡り、ノノミの鈴を転がすような笑い声と、シロコの満足そうな「ん」という呟きが重なる
「うへぇ……おじさん、これでも最上級生なんだけどなぁ。威厳の『い』の字もないよ、まったく」
「ふふ、でもホシノ先輩が頼りないおかげで、私たちも肩の力が抜けましたから」
「そうそう。最初に会った時のせいで、威厳なんて最初から期待してないわよ。戦闘以外はね」
「セリカちゃん、それはそれでちょっと傷つくなぁ……」
へにゃりと眉を下げて溜め息をつくホシノだったが、その表情には後輩たちの緊張が解けたことへの確かな安心感が滲み出ていた
「よしっ! それじゃあみんな、いよいよ本番の記念撮影にいくよー?」
ホシノは首から下げた古風なカメラを恭しく両手で持ち上げた。それは、かつてこの学校の生徒会長であり、ホシノにとってかけがえのない存在だったユメが、いつも愛用していた大切なカメラだった
使い込まれた革のストラップ、所々の塗装が剥げた金属のボディ。そのズシリとした重みが、ホシノの手にしっくりと馴染む
「ノノミちゃん、例のやつお願いねー」
「はーい♪ 任せてください〜!」
ホシノの指示を受け、ノノミが楽しそうにステージ裏へ走り、抱えてきたのは「歓迎」と大きく手書きされた手作りの大きなプラカードと、色鮮やかな花束が二つ
「はい、セリカちゃん、アヤネちゃん。おめでとうございます♪」
「あ、ありがとうございます……! こんな素敵な花束まで用意していただいて……」
「な、なんか照れるわね……ありがと」
花束を胸に抱えたセリカとアヤネが、手作りの看板の前に並んで立つ
「ん。演出、追加」
どこから引っ張り出してきたのか、いつの間にかシロコが両手いっぱいにカラフルな紙吹雪が入った箱を抱えて二人の両脇に待機していた
「えっ、シロコ先輩!? それ、投げるタイミングは――」
「ん。気合で合わせる」
「合わせるって、大雑把すぎない!?」
カオスな先輩たちの動きにアヤネが苦笑いを浮かべ、セリカがツッコミを入れようとした、まさにその瞬間だった
「はーい、二人ともこっち見てー! 笑って笑って〜!」
ホシノがファインダーを覗き込み、レンズの焦点を手早く合わせる。ファインダーの向こうには、照れくさそうに頬を染めながらも最高の表情を浮かべる二人の新入生と、嬉しそうにプラカードを掲げるノノミ、そして真剣な顔で紙吹雪を握りしめるシロコの姿があった
「いくよー、3、2、1――」
カシャリ
金属質の静かなシャッター音が、広々とした体育館の天井に小さく響いた。同時に、シロコの手から「パラパラ」と紙吹雪が舞い散り、セリカのツインテールの上にひらひらと降ってきた
「きゃっ!? ちょっとシロコ先輩、投げるの早すぎ!」
「ん。完璧なタイミングだった」
「どこが完璧よ! 私、完全にビックリした顔になっちゃったじゃない!」
「うへへ、大丈夫大丈夫! すごくいい表情で撮れたと思うよー! 特にセリカちゃんの、目が丸くなった緊張と驚きの混ぜこぜ顔なんて最高だねぇ」
カメラを構え直したホシノが、レンズを丁寧に拭いながら、ニコニコとした柔らかい笑みを浮かべてみんなの元へ歩み寄っていく
このカメラは最新のデジタルカメラではなく、昔ながらのフィルムカメラだ。今撮った写真がどのような色合いで、どんな表情で仕上がっているのかは、現像してみるまで誰にも分からぬ「お楽しみ」となっている。けれど、ファインダーの向こう側で見えた彼女たちの瑞々しい輝きと弾けるような笑顔を思い出せば、間違いなく一生の宝物になる素晴らしい写真が撮れているはずだと、ホシノは胸の中で強く確信していた
自分の見つけた「新しい光」が、こうして温かな記憶として形に残っていく
そんな深い感慨に一人ひっそりと浸りながら、ホシノがみんなの賑やかな輪の中に加わろうとした、まさにその時のことだった
「あ、あの……ホシノ先輩?」
抱え直した色鮮やかな花束の隙間から、アヤネがふと不思議そうな顔を覗かせ、ホシノの首にかかった古いカメラをじっと見つめた
「ん? なぁに、アヤネちゃん?」
ホシノは首を傾げ、ボサボサのピンク色の髪を揺らしながら、きょとんとした顔で問い返した
「……ホシノ先輩は、一緒に撮らないんですか?」
「へ?」
抱え直した花束の隙間から、アヤネが投げかけたあまりにも素朴な問い。頭の中で次の行事のことばかり考えていたホシノは、間抜けな声を漏らしてその場にフリーズした
「ん。言われてみれば」
シロコが静かにポツリと呟き、自分の胸の前でぽんと手を打つ
「確かに……言われてみればホシノ先輩、いつも私たちのことばかり撮って、ご自分の写真は全然撮りませんよね。私達が入学した時も、ずっとカメラ係に徹してらっしゃいましたし」
ノノミも深く頷きながら、どこか寂しそうな、けれど新しい家族を慈しむような優しい眼差しをホシノに向けた
「えっ、それじゃダメじゃないのよ!」
セリカがすかさず身を乗り出し、黒いツインテールを激しく揺らしながら完全なお説教モードに入る。猫耳のような髪がピンと立ち上がっていた
「今日から私たちは同じアビドスの仲間になったんでしょ!? なのに、最上級生のホシノ先輩が写真に一枚も写ってないなんて、そんなの入学式の記念写真って言えないわよ! ホシノ先輩も絶対に一緒に撮るわよ!」
「え、ええぇ〜!? お、おじさんはいいよー! ほら、カメラの裏側でみんなの可愛い姿を見守ってるのがおじさんの定位置っていうか……それにね?」
ホシノは困ったように頭をボサボサと掻きながら、首から下げた古風な一眼レフをポンポンと手で叩いて見せた
「このカメラ、すっごく古い型だからさぁ。セルフタイマーなんて気の利いた現代の機能、ついてないんだよね。誰かがシャッターを押さないと撮れないから、やっぱりおじさんは撮る側で――」
「それでしたら、私のスマホのカメラで撮りましょうよ!」
アヤネが制服のポケットから素早く最新型のスマートフォンを取り出し、テキパキと慣れた手つきで画面を操作しながら即座に提案した
「スマホのカメラなら、タイマー機能も標準でついていますし、画質もすごく綺麗ですから! ほら、三脚がなくても、あそこのパイプ椅子の背もたれに絶妙な角度で立てかければ、全員バッチリ画面に入ります!」
「……すまほのカメラに、たいまーなんてあるの……?」
ホシノが、まるでどこかの未知の古代文明の遺物を見るかのような、心底不思議そうな目を丸くして素朴な疑問を口にした
ピキッ、と体育館の空気が一瞬で凍りついた
ノノミは満面の笑顔のままピタリと固まり、シロコは静かに目を点にし、セリカとアヤネは開いた口が塞がらないといった様子で呆然としている
「……ホシノ先輩」
セリカが、恐ろしい未知の生命体を見るかのような、引きつった強烈な眼光でホシノをじーっと見つめてきた
「……もしかして、ホシノ先輩って……スマホ、持っていないの……? 連絡どうやって取ってたのよ……?」
「持ってるからね!? ちゃんと制服のポケットに入ってるからね!?」
まさか現代社会の文明人として疑われるとは思ってもみなかったホシノは、大慌てで制服のポケットから自分の使い古した端末を取り出し、セリカの目の前にかざして見せた
「うへぇ……おじさんを一体何だと思ってるのさ。通話とメッセージくらいはちゃんと使えるよ! ただ、その……カメラの細かい設定とかタイマーとか、そういう現代の機能にはあんまり詳しくないだけで……」
「はぁ……びっくりした。本気でガラケーすら持っていない、砂漠の洞窟で暮らす原始人かと思ったわ……」
「セリカちゃん、言いすぎだよ!? おじさんだってちゃんと現代っ子なんだからね!?」
ホシノがジタバタと抗議して両手を振り回す横で、アヤネがくすくすと楽しそうに笑いながら、スマホをパイプ椅子の背もたれの上の絶妙な角度にしっかりと固定した
「ふふ、設定は私がしておきましたから、ホシノ先輩は早くこちらへ来てください! 10秒後にシャッターが切れますよ!」
「ん。先輩、こっち。早く」
シロコがホシノの袖をぐいっと強めに引っ張り、新入生二人の真ん中――まさに今日という日の主役たちの中心へと強引に引きずり込んだ
「うわわっ、ちょっとシロコちゃん、引っ張らないで〜! おじさん、髪ボサボサだし服も乱れてない!?」
「大丈夫ですよ〜、ホシノ先輩! とっても可愛いです♪」
ノノミがホシノの頭から飛び出たアホ毛をさっと手で優しく整えると、そのままアヤネの隣に寄り添うように立ち、右手をアヤネの腕にそっと絡ませた。ノノミはカメラに向かって、弾けるような満面の笑みでピースサインをつくる
一方のシロコも、セリカの隣に並ぶと、同じように左手をセリカの腕にきゅっと絡ませた。右手を顔の横に掲げ、クールな表情の中にもどこか誇らしげで温かい気配を滲ませながら、カメラへ向けて静かにピースを作る
左右を後輩たちにぴったりと挟まれた中央で、ホシノは完全に逃げ場を無くして諦めたように、けれど心の底から嬉しそうな表情を浮かべていた。目元を細め、いつもの「にへら」という温かい笑みを浮かべる
アヤネのスマホの画面上で、赤く点滅するタイマーの光が刻一刻と小さくなっていく
『3――』
中央に挟まれたホシノは、カメラのカウントダウンが進むわずか数秒の間、頭の中で今日までの出来事を静かに反芻していた
『2――』
ユメ先輩が入院し、いつ冷めるのかも分からない深い眠りについてから、ずっと一人で抱え込んできた暗い孤独。白子の死や、砂に埋もれゆくアビドスでの果てしない苦闘。大変なことも、胸が張り裂けそうなほど寂しく悲しいことも、たくさんあった
『1――』
けれど――こうして自分の隣で笑顔を見せてくれる、かけがえのない、こんなにも愛おしく可愛い後輩たちが出来たのだ
(ああ、幸せだなぁ――)
胸の奥から溢れ出す温かい愛おしさに耐えきれなくなり、ホシノは無意識に、そして勢いよく動いた
「わっ……!?」
「ちょっと……!?」
カメラのシャッターが落ちる直前、ホシノはグッと両手を伸ばし、セリカとアヤネの制服の腕を同時に自分の方へと強く引き寄せた
予期せぬ衝撃に、アヤネは眼鏡の奥で目を丸くして驚き、セリカも「な、何すんのよ!?」と言わんばかりに口を開けて大きく意表を突かれる
カシャリ――
澄んだ電子シャッター音が、静かな体育館に爽やかに響き渡った
画面の中に切り取られたのは――
ピースサインでバッチリ決めるノノミとシロコ。そして、両脇で思いきり腕を引っ張られて「なになに!?」と目を見開いて驚愕するセリカとアヤネ。その真ん中で、後輩たちを両手に抱え込むようにして、この上なく幸せそうに目をつむって「にへら」と笑うホシノ
少し不揃いで、けれどこれ以上ないほど愛おしい、アビドス対策委員会の始まりを告げる一枚の記念写真だった
◇
「もーっ! 突然ホシノ先輩が腕を引っ張るからビックリしたじゃない! 目が丸くなった間抜けな顔で撮られちゃったじゃないのよ!」
「そうですよ! 倒れるかと思って心臓がバクバクしました! 引っ張るなら事前に言ってください!」
アヤネとセリカが頬を赤く染めてぷんぷんと可愛らしく抗議する。しかし、当のホシノは悪びれる様子もなく、反省の色など微塵も見せない満足そうな「にへら」という笑みを浮かべていた
「うへぇ〜、でも二人の臨場感あふれる素の表情が撮れたんだから大成功でしょ〜? ほら、すごくいい写真だよ」
「まったくもう……全然反省してないでしょ……」
セリカが呆れたように大きな溜め息をつく横で、ふとノノミとシロコが静かに距離を取り、顔を寄せ合ってコソコソと秘密の会話を始めているのに新入生二人が気づいた
「ねぇ……ノノミ。この後って、やっぱり……あの『地獄』……?」
「多分……去年の通りなら、アレですね……ホシノ先輩の目がキラキラしてますし……」
「……あれ、毎月やってるけど、未だに体力の限界を超える。……今日だけは……逃げる?」
「そ、そうですね……セリカちゃん達には悪いですが……私たちだけ今のうちに逃げましょうか……」
コソコソと深刻そうな顔で囁き合いながら、じりじりと後退りして体育館の出口へ向かっていく二人の様子に、セリカとアヤネは不思議そうに首を傾げた
「……二人とも、なんだか急に顔色が青いわよ? どうしたの?」
「何かありましたか、シロコ先輩、ノノミ先輩?」
二人に突然音もなく背後から声をかけられ、シロコは肩をビクッと大きく跳ね上がらせてその場にフリーズした。普段の冷静沈着な姿はどこへやら、まるで悪事がバレた子どものように視線を左右へ泳がせている
「ん、んんん……な、なんでも……ないよ。ただの腹筋の運動……。ちょっと筋肉痛なだけ」
「そ、そうですよ〜♪ 素晴らしい青空だなぁと思って! おほほほ……」
ノノミは慌てて視線を明後日の方向へ泳がせ、誤魔化すように優雅に口笛を吹こうとした。しかし、あまりの緊張と焦りのせいか「スースー」と虚しい空気が漏れる不抜けな音しか鳴っていない
普段は頼りになり、優雅で完璧な先輩たちのあまりにも不自然すぎる挙動に、セリカとアヤネの謎と警戒心は深まるばかりだった
そんな二年生たちの怪しい動きを、ホシノが見逃すはずもなかった。ホシノはパンッと体育館の中に響き渡る高らかな音で両手を叩き、とびきり明るい声で宣言する
「さーて! それじゃあみんな、お待ちかねの……次の行事に行こっかー!」
「え? 他にも行事があるの?」
セリカが怪訝そうに眉根を寄せ、黒い猫耳をぴくりと警戒で動かす。アヤネも記憶を辿るように華奢な指を折りながら首を傾げた。
「そういえば……式典は7割方終わったと仰っていましたね。写真撮影が終わって……残り2割分の行事って一体何なんですか?」
「うん、去年から始まったアビドス対策委員会の『伝統』が2つあるんだよねー。二人とも、自分が一番使い慣れてる得意な武器を持って、グラウンドに集合ね」
「え? 得意な武器……?」
「式典の後に武器……? 何があるんでしょう……嫌な予感しか致しませんが……」
新入生の二人が首を傾げ、「実技試験的なものかしら」「避難訓練でしょうか」などと呑気に話し合っている隙に、状況を完璧に察しているシロコとノノミは息を殺し、忍び足でこっそりと体育館の出口へ向かおうとしていた
だが、ホシノの鋭い視線が二人の背中にグサリと刺さる
「あ、もちろんシロコちゃんとノノミちゃんも、ちゃんと自分のお気に入りを持ってきてね? もしも逃げたりしたら……おじさん、すごーく悲しくて恐ろしいお仕置きを考えちゃうなぁ。……まさか、逃げたりしないよねっ?」
満面の笑み。けれど、背後に圧倒的な殺気と圧力を感じさせるホシノの言葉に、二人はピタリと足を止めた
「う、うん……逃げるわけないよ……大好きだもん、実技演習……」
「……はい、喜んで参加させていただきます……」
逃げたらもっと恐ろしい地獄の惨劇が待っていると悟った二人は、ガックリと重い肩を落とした
「よしっ、それじゃあおじさんは校庭で準備して待ってるね〜!」
ホシノは軽やかな足取りで、本当に楽しそうに体育館を後にしていった
◇
数分後
嫌な予感が拭えないまま銃を手にしたセリカとアヤネ、そしてこれから起こる悲劇を悟って憂鬱そうな表情を浮かべるシロコとノノミが、重い足取りで広大なグラウンドへやってきた
乾いた砂風が吹き抜ける校庭の中央で、ホシノが一人で待っていた
「お、来た来た〜! それじゃあ最初はセリカちゃんたち新入生チームからで……ノノミちゃんたちは後でやろっか」
ホシノは肩にずっしりと重いショットガンを担ぎ直し、巨大な愛用の盾をドスンと地面に突き刺した。地響きのような重厚な音が響き渡る
「えっと……な、何が始まるんですか……?」
アヤネがハンドガンと作戦用タブレットを抱え込むように握り締めながら、引きつった声で尋ねる
「……凄く嫌な予感しかしないわ。ねえ、これってまさか――」
セリカがアサルトライフルを構え、警戒全開で身構える横で、後ろに控えていたシロコとノノミが諦めたように静かに呟いた
「……二人とも、頑張って。死なないで」
「応援してます……後で私達もそちら(力尽きる)側に向かうので……」
「それじゃあ……アビドス伝統・新入生歓迎模擬戦! よーい、スタート!!」
ホシノの甲高い掛け声と同時に、爆発的な踏み込みの音が響いた
「えっ――」
「ちょっ、速――!?」
ドォン!!と、地面を爆破したかのような強烈な衝撃波とともに、ホシノが盾を前に構えて凄まじい速度で突進してくる。校庭の砂煙が空高く舞い上がった
◇
それから、丸々一時間後
陽が傾きかけたグラウンドには、見るも無惨な惨状が広がっていた
「うぅ……ぐ……」
「ゆ、指一本……動きません……」
「うう、これは何度やっても慣れません……」
「ん…ホシノ先輩はなんで2連戦しても疲れてないの……化け物……」
制服を砂まみれにしたセリカとアヤネが、完全に体力を使い果たして大の字で地面に倒れていた。ノノミとシロコも、一年生ほどボロボロではないものの、息を激しく荒らして地面に座り込み、膝に肘をついて疲れ果てている
そんな荒れ果てた校庭の中心で、ホシノだけが汗一つかかずに爽やかな顔で立ち、ショットガンをポンと肩に担ぎ直した
「んー、セリカちゃんは猪突猛進で前に出すぎる癖があるね。シロコちゃんよりも特攻傾向が強いかも。アヤネちゃんは後方からの状況把握とサポートが得意そうだけど、いざ詰め寄られた時の近接対処をもっと訓練しないとダメだよ〜?」
「な、なんで……私達……入学初日から……ボコボコにされてるのよ……っ」
荒い息を吐きながら、セリカが恨めしそうにホシノを見上げる
「そうですよ……これのどこが伝統なんですか……せめて理由を教えてくださいよ……」
倒れたままメガネを直す気力すらないアヤネが弱々しく抗議する
「んー? 二人の力量を図るためと、これからのアビドスでの『戦い方』を体に叩き込むためだよー」
「……そ、それなら最初からそう言いなさいよ……!」
「そうですよ……もう、こんな過酷なこと、今日限りにしてくださいね……」
しかし、その横で冷たい水を飲んでいたシロコが、ポツリと無慈悲な事実を告げた
「……残念だけど……これ、毎月あるよ」
「「……え?」」
セリカとアヤネの顔が、絶望で一瞬にして真っ白に染まった
「ええええええっ!? 毎月こんな死ぬような目に遭うの!?」
「嘘でしょう……!? アビドスってそういう学校なんですか!?」
二人の叫び声が夕暮れの広大な校庭に悲しく響き渡る
「うへへ、これで終わりじゃないよ〜! さあ、仕上げに最後の伝統『ケーキ』で派手に祝おうか――」
ホシノが嬉々として、爆竹を挿すためのケーキを取りに教室へ戻ろうとした、その時だった
「ホシノ先輩???」
「へ? の、ノノミ…ちゃん?」
先程まで力尽きて座り込んでいたはずのノノミが、いつの間にかすっとホシノの背後に立ち、その肩にそっと手を置いた。背景にどす黒いオーラを背負い、花が開くような、けれど一切目が笑っていない笑顔を浮かべている
「……食べ物を粗末にするのは……ダメですよ〜? ね?」
「で、でもこれ……アビドスの大切な伝統……」
「ほ、し、の、先輩?」
「ひぃ! ごめんなさい! 爆破しません! 普通に食べます!」
最上級生としての威厳など欠片もなく、ホシノは即座に両手を挙げて降参の意を示した
◇
その後、対策委員会の教室へ戻った5人は、爆破を免れた二つの大きなホールケーキをみんなで切り分けて食べた。激しい運動の後だったこともあり、甘い生クリームと甘酸っぱい苺の味が五臓六腑に染み渡っていく
「美味しい……生き返るわ……」
「本当ですね……甘いものがこんなに美味しく感じるなんて……」
ケーキを綺麗に平らげた後は、学校の古いお風呂場にお湯を張り、全員で湯船に浸かって今日の泥と汗を綺麗に洗い流した
湯船の中で、最初は文句ばかり言っていたセリカも、疲労と温かさからか、とろけたような表情で湯に浸かっていた。アヤネも隣でほっと安らかな息をついている
「うへぇ〜、やっぱりお風呂は最高だねぇ……」
ホシノは湯船の縁に頭をのせ、目を細めて蒸気の向こうの後輩たちを眺めた
波乱万丈で、無茶苦茶で、けれどどこまでも温かいアビドス高等学校の入学式
これから始まる日々がどれほど険しくとも、この小さな家族とならば越えていける――そんな確信に満ちた予感に胸を包まれながら、ホシノは静かに目を閉じ、春の夜の穏やかな温もりに身を委ねたのだった