白子とシロコ   作:気弱

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この日常は渡さない

「うへぇ……。相変わらず、目に毒なほどの良い青空だねー……」

 

アビドス高等学校、校舎の屋上

 

ぬるい春風に薄桃色の髪をなびかせながら、ホシノは両手を頭の後ろで組み、ぽっかりと浮かぶ白い雲をぼんやりと眺めていた。日差しを遮るものは何もなく、どこまでも広がる澄み渡った青空と、その下に広がる果てしない黄砂の海

 

あの大騒ぎだった怒濤の入学式から、季節は静かに巡っていった

 

最初はホシノとシロコとノノミの三人だけだった対策委員会も、気づけばセリカとアヤネという新しい後輩が加わり、より賑やかで、よりハチャメチャな毎日へと変わっていた

 

あんなにガチガチに緊張していたアヤネやセリカも、今ではすっかりこの砂埃に塗れた校舎と、対策委員会の変則的な日常に馴染んでいる

 

初めは「こんなの絶対死ぬに決まってます! 後輩虐めですー!」と本気で涙目で悲鳴を上げていた月1回の地獄の特別訓練――という名の、ホシノによる容赦のない鬼の模擬戦――も、今では「うぅ……今月もこの日が来てしまった……」と、嫌々ながらも確実に食らいついてくるようになった

 

後輩が増えたことで、広大な敷地の巡回や、絶望的な額の借金返済に向けた煩雑な事務作業の負担は、ほんの少しだけ軽くなった

 

だからこそ――ホシノは自分の役目を再定義していた

 

夜間の過酷な防衛警備や砂嵐に乗じて襲い来る自動砲台の迎撃に一層重きを置くようになり、その代わりとして昼間は「うへぇ〜、あとの細かい仕事はシロコちゃんたちに丸投げ〜」と称して、見晴らしがよく風の心地いいこの屋上でゴロゴロと寝転がる

 

それが、すっかり定着したホシノの「日課」となっていた

 

初めの頃は、根が真面目なセリカやアヤネに「ちょっとホシノ先輩! またこんなところでサボってるの!? 先輩が一番上級生なんだから、ちゃんとしなさいよ!」と激しく怒られていたものだ

 

だが、アヤネの方は何度注意してもホシノが「うへぇ、後輩ちゃんたちが優秀だからおじさん安心して寝ちゃうんだよね〜」とのらりくらりとすり抜けるため、早々に諦めたらしい

 

『……ハァ。ホシノ先輩を無理に書類仕事に縛り付けるより、自由に動かして土壇場で前線に立ってもらった方が、組織全体のパフォーマンスとしては効率的ですね』

 

そんな風に割り切ったアヤネは、今では屋上で寝転がるホシノを見かけても深い溜め息を一つつくだけで、小言すら言わなくなってしまった

 

結果として、今こうして屋上までぐうたらなホシノを回収しに来るのは、両手を腰に当て、頬をぷっくりと膨らませて可愛らしくプリプリと怒るセリカ一人となっていた

 

(あはは、セリカちゃんは本当に素直で可愛いねぇ……)

 

「ん〜……。それにしても、本当に色々あったねぇ……。たしか、あの日もこんな澄み渡った青空だったかな」

 

ホシノはまぶしそうに目を細め、そっと瞼を閉じる

 

あの怒濤の入学式が終わり、少し経った頃――アビドスの運命を大きく変えることになる、あの「決定的な出会い」の日へと記憶の糸を手繰り寄せる

 

 

始まりは、いつものようにセリカが屋上の重い鉄の扉をバンッ!と勢いよく押し開けて、プンプンと怒りながらやってきたことだった

 

『もーっ! ホシノ先輩! またこんなところでゴロゴロして……。委員長としての自覚はあるわけ!? 』

 

「うへー、セリカちゃんにそうやって可愛くプリプリ怒られたくてサボってるだけだから、どうかおじさんを許してよー」

 

『許すわけないでしょ、このバカ先輩! ほら、さっさと立つ! 教室に戻るわよ! お客さんも来てるんだからシャキッとしなさい!』

 

口ではキーキーと文句を言いながらも、セリカの細い手は優しくホシノの手を握り、グイッと引っ張り上げてくれた。その掌から伝わるぬくもりが、どこか愛おしい

 

(あはは、今日もアビドスは平和でいいなぁ……)

 

なんてホシノが心の底でのんきなことを思いながら、セリカに引っ張られて対策委員会の教室へと入った、その時のことだった

 

ガラガラと年季の入った扉を開けた瞬間、ホシノの全身の皮膚が不意にピリッと粟立った

 

そこには、いつものシロコ、ノノミ、アヤネの姿――そして、今まで見たこともない「一人の人物」が立っていたのだ

 

『ほら! 委員長なんだから、もっとちゃんとしなさい!』

 

『……やぁやぁ、私がアビドス高等学校、対策委員会委員長の小鳥遊ホシノだよ〜。よろしくねー』

 

ホシノは瞬時に、脳内の警報音をサッと押し殺し、いつものゆるふわな表情と語尾を崩さず、親しみやすい挨拶を口にした。けれど、そのオッドアイの奥にある瞳は、氷のように冷徹な光を帯び、相手の全存在を観察していた

 

(見たところ……アビドスの住人じゃない……『大人』、だよね? でも、おじさんが今まで会ってきた、欲望に塗れた大人たちと比べると……なんだか、すごく頼りなさそう。裏表も……全然なさそう)

 

ホシノにとって「大人」とは、悪意と欲望の塊だった。平気で傷つきやすい子供を騙し、己の野望や利益を絶対の正義とし、そして――白子を、あの冷たい砂漠で孤独に死なせてしまった直接の要因

 

しかし、今目の前に立っている大人は、違った

 

スーツはなぜか砂埃で薄汚れていて、弱り切ったような、けれど心底困ったような、どこか憎めない温かい苦笑いを浮かべてホシノを見つめている

 

警戒を重ねても、その存在からは悪意や欺瞞の気配が微塵も感じられなかった

 

『私は「シャーレ」の先生だよ』

 

(シャーレの先生……ということは、アヤネちゃんがずっと出し続けていた派遣要請が、正式に通ったってことかな)

 

【シャーレ】と言えば、少し前に設立されたばかりの特殊機関だ。行政の超人と呼ばれた連邦生徒会長が立ち上げた組織だが、当の生徒会長が失踪して以降、混乱の渦中にあると聞いていた

 

しかし、各自治区での解決実績はちらほらとホシノの耳にも届いており、少なくとも無差別に他校を侵略するような怪しい組織ではないことは明白だった

 

『先生、構内を案内するよ。ついてきて』

 

そう言って、あの警戒心の強いシロコが、自分から進んで校内案内を申し出ている。普段なら見知らぬ大人に対して真っ先に銃口を向けるようなシロコが、最初からこれほど気を許しているのだ

 

(ふむ……ここで下手に追い出すのは得策じゃないねぇ。アヤネちゃんの手前もあるし、しばらくは大人しく観察させてもらうとしようかな)

 

そう決めて「うへぇ〜、おじさんは疲れたからここで休んでるよ〜。シロコちゃん、任せたよ〜」と様子を見ていたのだが――

 

結論から言えば、この大人はホシノが知るどんな「大人」とも違っていた。少なくとも、子供の隣に立って一緒に悩み、傷ついてくれるような、不思議な信頼に足る人物であることだけは確かだった

 

シロコによる校内案内が終わり、教室でこれからの対策について話し合っていた、その時だった

 

けたたましい警報音とともに、窓の外から「野郎ども、かかれー!」という怒号が響いた。いつものカタカタヘルメット団が、大群をなして学校を占拠しようと押し寄せてきたのだ

 

『畳みかけるなら今だー! アビドスの連中は、もう弾薬も物資も尽きかけてるぞ! 今日こそこの学校を、我々の隠れアジトにしてやるー!』

 

何故かこちらの備蓄が底をつきかけていることを見透かしたように、集団で押し寄せてくるヘルメット団

 

(確かに……現在の私たちの防衛資材はほぼ底をついてる。あんな大群、まともに相手をしていたら……っ!)

 

『! 物資がないなら、侵入される前に叩く……!』

 

シロコの瞳に冷たい光が宿り、アサルトライフルを構える

 

『あ、シロコちゃん!? 待って……!』

 

ホシノの制止も虚しく、焦りからかシロコが真っ先に昇降口へと飛び出し、それを追うようにセリカやノノミも、引きずられるように校庭へ飛び出して行ってしまった

 

普段、ホシノによる過酷な模擬戦をこなしているとはいえ、実戦経験はまだまだ浅い

 

大半の危険な敵や夜間の強襲は、ホシノが夜間のうちに一人で叩き潰し、撃ち漏らした数人を4人で対処させる――それが、後輩たちを傷つけたくないホシノが裏で密かに行っていた、過保護な配慮だった

 

しかし今、圧倒的な大群を前にし、弾薬というリソースも奪われた中で冷静さを欠いた3人は、いつもの連携すらバラバラになって、敵の包囲網に追い詰められていく

 

(っ……私の手持ちの弾薬だって残りわずか……。本気で、全力を出せば、おじさん一人で突破はできる。でも……)

 

ホシノの本気の戦闘スタイル――かつて「アビドスの最高の戦力」と恐れられた、暴走戦車のような立ち回りは、シロコたちには一度も見せたことがない。それを見せれば、自分が単騎で敵陣を粉砕することは容易いだろう

 

だが、本当にそれでいいのか?

 

自分がすべてを解決してしまえば、シロコたちが自分たちの力で立ち上がり、逆境を乗り越えて成長する機会を、永遠に奪ってしまうのではないか――

 

葛藤でホシノの足がすくみかけた、その時だった

 

『みんな!!』

 

昇降口から、戦場に似つかわしくない、しかし力強い声が響いた

 

遅れて追いついてきた「先生」だった。先生は弾丸が飛び交う校庭へと身を晒し、叫んだ

 

『みんなは……どうして、この学校を守りたいんだ!』

 

戦火の中で出された、大人の優しい声の問いかけ。弾を撃ち尽しかけ、絶望に支配されかけていた少女たちは、その問いに一瞬言葉を失い、静まり返った

 

『どうして……?』

 

シロコが砂埃に汚れながらも、まっすぐな瞳で大人の問いに答える

 

『……それは、ここが私達の大好きな、かけがえのない居場所だから。……絶対に、渡したくない』

 

シロコの答えを聞いた『先生』は、ふっと優しく口元を緩めると、追いついてきたホシノ、そして隣で通信機器を抱えるアヤネにも視線を向けた

 

『もちろんです! 私たちの大切な学校なんですから! どんなことがあっても、守り抜きます!』

 

ノノミの声に、セリカが、アヤネが続く。みんなの声が重なる

 

この学校が大好きだ。一緒に泣いて笑える、対策委員会のみんなが、大好きだ

 

だからこそ、どれほど苦しくても、ここを命懸けで守り抜きたい

 

『なにうじうじ喋ってやがる! 突然出てきて、お前は誰だ!!』

 

ヘルメット団の一人が、苛立ったように先生に銃口を向けながら怒鳴り散らす

 

『私は彼女たちの【先生】だ! 彼女たちを助けるために、ここへ来た! 悪いけれど……君たちには、ここで退場してもらうよ!』

 

先生がポケットから掲げたのは、特殊な端末――『シッテムの箱』

 

その言葉を皮切りに、先生による「指揮」が始まった

 

『シロコは右の遮蔽物へ移動! セリカは左から牽制射撃! ノノミは中央で抑えの全弾掃射! アヤネ、ドローンを展開して状況のバックアップを!』

 

一瞬にして戦況が変わった

 

バラバラに乱れていたみんなの動きが、目を見張るほどの精度で噛み合い始める。先生の的確な指示ひとつで、限られた弾薬と配置が極限まで活かされ、後輩たちが本来持っているポテンシャルが100%発揮されていく

 

(……この人、すごい……)

 

ホシノは目を見張った。自分は一人で敵を殲滅することには慣れ過ぎていた。けれど、仲間を導き、その力を最大限に引き出す「指揮」という技術は、ホシノには決定的に欠けていた

 

なのに、この大人は、まるで上空から戦場全体を見渡しているかのように、完璧なタイミングと配置を提示してみせる

 

『お、覚えてろよーー!』

 

戦術的指揮に支えられた少女たちの猛攻の前に、あれほど威勢の良かったヘルメット団は瞬く間に瓦解し、蜘蛛の子を散らすように退散していったのだった

 

 

それからの日々もまた、ホシノにあの「先生」という大人を認めざるを得なくさせる出来事の連続だった

 

翌日には、ホシノすら単独で見つけられずにいたヘルメット団の隠れアジトを、先生は驚くべき情報収集力であっさりと割り出し、対策委員会と力を合わせて完全に潰してしまった

 

だが、アジトを制圧した後に改めてアビドスが背負う「九億六千万円」という、途方なさすぎる借金の現実を提示されると、さすがの先生も言葉を失い、あぜんとした表情で額を押さえていた

 

『な、なんでこんな額の借金が……! で、でも、先生として、君たちの力になれるよう全力で頑張るよ』

 

頭を抱える先生に対し、誰よりも強い責任感とプライドを持つセリカは、その言葉にカッとなってしまった

 

『何よ……! 部外者の貴方に心配されたくなんてないわよ! 私たちの問題は、私たちが何とかするんだから! 余計なお世話!」

 

怒りのままに叫ぶと、セリカは鞄を引っつかんで、勢いよく教室を飛び出していってしまった

 

普段から放課後になると理由も告げず真っ先に帰ってしまうセリカの行動。嫌な予感と一抹の胸騒ぎを覚えたホシノたちは、密かに彼女の後を追うことにしたのだった

 

砂埃が舞い散る荒涼とした路地を、身を潜めながらコソコソと追いかけた先で待っていたのは――「柴関ラーメン」という、どこか懐かしく温かみのある佇まいの暖簾をくぐるセリカの姿だった

 

「……ラーメン屋?」

 

ガラガラと暖簾の隙間から、ホシノとシロコ、先生、ノノミ、アヤネが店内の様子を覗き込んでみると、そこには頭に真っ白なバンダナをきりりと巻き、お店の制服に身を包んだセリカが立っていた

 

「いらっしゃいませーっ! 空いているお席へどうぞーっ! ただいま柴関ラーメン大盛り、一丁上がり!」

 

汗を拭いながら、不器用ながらも一生懸命に店内を駆け回って接客をするセリカ

 

その健気な姿に感心するのも束の間、入口付近で影を重ねていたホシノたちの存在に、セリカが気づいた

 

『ゲッ……!? ほ、ホシノ先輩!? な、なんでみんなしてここにいるのよーっ!?』

 

尾行がバレて堂々と店内に踏み込んだホシノたちを目にした瞬間、セリカはリンゴのように顔を真っ赤にして爆発し、恥ずかしそうに両手で顔を覆って足を踏み鳴らしながらジタバタと暴れたのだった

 

学校の重い借金を少しでも減らそうと、放課後の時間を使って一人で必死に頑張っていたのだ。その不器用で、けれどどこまでも真っ直ぐで愛おしい後輩の情熱に触れ、ホシノの胸の奥はぽかぽかと温かい光で満たされていくようだった

 

(あはは、本当に……。セリカちゃんは、おじさんには眩しすぎるくらいに良い子だねぇ……)

 

――しかし、本当の絶望とその底にある冷たい闇は、その翌日に牙を剥いた

 

朝、定刻のチャイムが学校中に鳴り響いても、セリカの席は空席のままだった

 

無遅刻無欠席で、誰よりも真面目に登校してくるセリカが、何の発信もなしに遅刻や欠席をすることなど、有り得るはずがない

 

「ダメです……セリカちゃんの家にも誰もいませんし、何度電話をかけても繋がりません……!」

 

嫌な予感に全身を苛まれたアヤネが、慌ててセリカの自宅へ確認に向かった。手元の端末から何度も電話をかけ続けたが、電子的な呼び出し音ばかりが虚しく響くのみで、一向に繋がる気配はなかった

 

「まさか……昨日の夜に……っ!」

 

青ざめたアヤネの報告に、対策委員会の教室の中に重苦しい沈黙と、激しい焦燥感が立ち込める

 

自分たちの情報網や地道な捜索能力だけでは、これ以上打つ手がない。市街地で行方不明になった一人の生徒を探し出すには、アビドスが持つ手札は完全に尽きかけていた

 

(嘘でしょ……セリカちゃん……っ)

 

思考が急激に急速冷却され、ホシノの脳裏に、胸を刺すような過去の惨劇が鮮烈にフラッシュバックする

 

冷酷な砂漠の果てで冷たくなり、どれだけ呼びかけても二度と目を覚まさなくなった白子。そして、かつて自分の無力さと甘さゆえに守り切れず、今も病院のベッドで静かに眠り続けているユメ先輩――

 

(また……? おじさんはまた、自分にとって何より大切な人を失うの……? 私がもっとちゃんと隣についていれば……!)

 

ドクドクと不快な鼓動が耳の奥で鳴り響き、冷たい汗が背筋を滑り落ちる

 

視界が恐怖と自責でグラグラと揺らぎ始め、生きた心地がしない。握り締めた手が小さく震え始めた――その時だった

 

『みんな、落ち着くんだ』

 

静かだが、驚くほど澄んだ力強い声が、教室を支配していたパニックの冷気を一瞬で切り裂いた

 

先生が、狼狽え震えるホシノの肩にそっと温かい手を置き、優しく、けれど揺るぎない眼差しで見つめ返してくる。ホシノはその体温に、ハッとして我に返った

 

先生は抱えていたタブレットを素早く操作し、画面に青い光を点滅させた

 

先生の指先が、透明な画面の上を驚異的な速度で滑っていく。ものの数分も経たないうちに、短く清涼な電子音がピコンと鳴り響いた

 

『……見つけたよ。セリカの現在位置だ』

 

「えっ……!? ど、どうやってそんな一瞬で……!?」

 

ノノミが目を見開き、信じられないといった様子で声を上げる。アビドスの通信設備は老朽化しており、広域のGPS追跡など到底不可能だったからだ

 

先生は連邦生徒会が管理する超高度なセントラル情報ネットワークのバックボーンへ直接アクセスし、セリカの端末が発している微弱な信号と暗号化された通信ログを完全に特定してみせたのだ

 

それは、アビドスの一生徒に過ぎないホシノたちには逆立ちしても真真似できない、まさに「大人」であり「シャーレの顧問」という特別な権限を持つ者だけが行える、圧巻の芸当だった

 

『セリカは現在、市街地へ向かう大型トラックの荷台に拘束されて乗せられているみたいだ。今すぐ追いかければ追いつける! 行こう!』

 

「はい! 急いでセリカちゃんを助けに行きましょう!」

 

ノノミの叫びとともに、全員で即座に現場へと急行した

 

先生のリアルタイムなナビゲーションのもと、闇金融の業者たちによって誘拐され、トラックで連れ去られようとしていたセリカを、市街地の入口付近で危機一髪のところで発見

 

激しいチェイスと果敢な戦闘の末、無事に彼女を奪還し、大事に至ることなく事態を完全に収束させることができたのだった

 

 

(……はぁぁ……)

 

屋上を吹き抜ける風に揺られながら、ホシノは心の中でぽつりと深い溜め息をついた

 

セリカちゃんが無事で、本当によかった。怪我もなく、またこうして「サボらないで!」と元気に怒鳴り込んできてくれる温かな日常が戻ってきたことは、何物にも代えがたい救いだった

 

しかし――それと同時に、ホシノの胸の奥には、どこか複雑で割り切れない感情が冷たい澱のように重く溜まっていた

 

今回の事件で、嫌というほど思い知らされたのだ。自分がどれほど爪を研ぎ澄まし、圧倒的な武力で敵をねじ伏せようと躍起になっても、決して届かない領域があること

 

そして、あの先生という大人は、自分がどれだけ警戒し、一定の距離を置こうと防壁を築いても、いとも簡単に自分たちの絶望的な困窮を救い、後輩たちの笑顔を守ってしまうこと

 

(おじさんが手も足も出なかったのに……あんなに簡単に、セリカちゃんを見つけ出して、救い出しちゃってさ……)

 

あの人は本当に、今まで自分が出会ってきた醜悪で身勝手な大人たちとは違うのかもしれない

 

信頼してもいいのかもしれない。背中を預けて、肩の荷を少しだけ降ろしてもいいのかもしれない

 

――けれど、もしも

 

もしも、あの温かい存在に甘え、心を許してしまった後で、また他の大人のように裏切られ、奪われてしまったら? その時、自分は二度と立ち上がれなくなってしまうのではないか

 

「……ずるいよなぁ、ホント。あんな風に助けられたらさぁ……認めないわけに、いかなくなるじゃないか……」

 

空を見上げるホシノの瞳に、寂しさと、ほんの少しの温かい諦めを含んだ複雑な光がゆらゆらと揺れていた

 

(……でも)

 

ホシノは両手をパンッと威勢よく自分の頬に打ち当てた。乾いた高い音が静かな屋上に響き渡り、少しだけ両頬がジンジンと心地よい熱を帯びる

 

先生を素晴らしい大人だと認めることと、自分が防衛のタガを緩めてだらしなく寄りかかることは、まったくの別問題だ。いくら頼りになり、超人的な指揮力を発揮する先生だからといって、万能の神様などではない。きっと大人にだって、限界はあるはずなのだ

 

もしも、その「限界」が訪れた時、先生の優しさに甘えきって牙を抜かれた自分が、一体何を守れるというのだろう

 

大切なこの学校を、愛おしい後輩たちのそしてユメ先輩が帰ってくる居場所を、泥を被ってでも最後に守り抜くのは――他でもない、この小鳥遊ホシノでなければならないのだから

 

(うん、もっと気合いを入れ直さないとね)

 

自分に言い聞かせるように大きく頷くと、ホシノは再び腕を頭の後ろに組み、柔らかい春風を感じながらゆったりと寝転がった

 

(そういえば……昨日、みんなで『柴関ラーメン』に行った時に出会った、あのゲヘナの子たち……。あの子たち、一体何のためにアビドスに来てたんだろうねぇ……?)

 

それは、セリカをヘルメット団の手から無事に助け出した、昨日の放課後の出来事だった

 

誘拐の一件が無事に片付き、セリカの無事を確認した対策委員会は、教室で先生を交えて改めて「借金返済に向けた現実的なアイディア」を出し合っていたのだ

 

「ん。手っ取り早い手段がある。……銀行強盗」

 

真顔のシロコがポケットから青い覆面をスッと取り出し、極めて当然のような顔で物騒すぎる提案を口にする

 

「いえいえシロコちゃん、暴力や犯罪はダメです〜! 私たちの可愛さと若さを活かして、地下アイドルを結成してCDを売り出すのはどうでしょう〜♪」

 

ノノミがフリルの付いた華やかな衣装のイメージ図(手書き)を嬉しそうに提示する

 

「うへ〜、おじさんとしてはねぇ、新しい生徒を大量に手に入れるために、他校のスクールバスをジャックして強制転校させるのが一番手っ取り早いと思うな〜」

 

便乗して適当極まりない大罪を、爽やかな笑顔で提案するホシノ

 

三人が三人とも、自分たちなりに真面目(?)に知恵を絞っていたつもりなのだが――当然、真面目な会計担当の堪忍袋の緒がもつはずもなかった

 

「いい加減にしてくださいーーーーーっ!!!!」

 

アヤネの絶叫が校舎を揺らし、卓上の書類がパサパサと舞い散った。本気で怒り狂い、涙目になりながらプルプルと肩を震わせるアヤネの姿に、さすがのホシノたちも「うへぇ、やりすぎちゃった」「ごめんなさい……」と平謝りするしかなかった

 

そんなお説教の後、怒りと心労で疲れ切ったアヤネの気を晴らすため、そしてセリカの無事とバイト復帰を祝うため、みんなで『柴関ラーメン』へ食事に向かったのだ

 

夕暮れ時、黄昏色に染まる街並みの中で、湯気が立ち込める香ばしい醤油と豚骨の香りを胸いっぱいに吸い込みながら、みんなで和気あいあいとカウンター席に並んでいた時のことだった

 

ガラガラ、と店の古びた引き戸が控えめに開き、妙にソワソワとした様子の少女が一人、恐る恐る店内へと足を踏み入れてきた

 

アビドスでは見慣れない制服。一目で他校――それも過激派が揃うとされる「ゲヘナ学園」の生徒だと分かる装いだった

 

その紫髪の少女は、おどおどと周囲の様子を窺いながら、両手で小さな財布を破れんばかりに大切そうに握り締め、おずおずとカウンター越しのセリカに声をかけた

 

「あ、あの……すみません……っ! 私のようなゴミが差し出がましいのですが……ここで一番安いメニューって……なんですか……?」

 

「いらっしゃい! 一番お値打ちなやつなら、うちの看板メニュー『柴関ラーメン』の580円だよ!」

 

セリカが胸を張って威勢よく笑顔で答える

 

「あ……あ……! ありがとうございますぅ……っ!」

 

紫髪の少女はペコペコと何度も深々と頭を下げると、返答を聞くやいなや、慌てた様子でガラリと勢いよく引き戸を閉めて外へ出て行ってしまった

 

突然の挙動不審な行動に、ホシノたちが「ん……?」「何だったんでしょう……?」と首を傾げていると、引き戸の向こうから、外で待機していた少女たちの会話が筒抜けで聞こえてきた

 

『ア、アル様……! か、看板メニューが……580円だそうです……っ!』

 

『本当!? やったわね! やっと見つかったわ、私たちの予算である600円以下のラーメンが!』

 

『あはは、ハルカちゃんすごーい! 奇跡だね〜♪ これで餓死せずに済むよ〜』

 

『ふふん、当然よ! 私たちの運命は常に自ら切り拓くものなのよ!』

 

『恥ずかしいから早く入ろうよ……』

 

見栄を張ったような赤髪の少女の高笑いと、クスクスと楽しそうな少女たちの会話

 

直後、ガラガラッと再び勢いよく扉が開き、先ほどの紫髪の少女を含めた四人組のゲヘナ生が、風を切るように店内へと足を踏み入れてきた

 

黒いロングコートを風にはためかせ、不敵な笑みを浮かべる赤髪の少女――陸八魔アルを中心とした、妙に個性の強いメンツだ

 

セリカが気を取り直し、「いらっしゃいませー! こちらのテーブル席へどうぞー!」と丁寧に案内しようとしたのだが、四人の中で一番小柄で赤い髪の少女――浅黄ムツキが、クスクスと笑いながら手をひらひらと振った

 

「いやいや〜♪ どうせ私たち、1杯しか頼まないからテイクアウトでいいよー?」

 

「えっ!? 1、1杯……!?」

 

まさか四人でやってきて1杯のラーメンを分け合って食べるつもりだったとは。セリカが呆気にとられる横で、アルは「む、ムツキ! 恥ずかしいじゃない……!」と顔を真っ赤にして慌てふためいている

 

あまりの生活苦が見え隠れする四人の様子を見兼ねた大将とセリカは、目配せを一つ交わすと、厨房で素早く腕を振るった

 

「はいよ、お待たせ! 柴関ラーメン並盛り一丁!」

 

しばらくしてテーブルへ運ばれてきたのは、巨大な鉢のような器にナルトや極厚のチャーシュー、メンマ、煮卵がこれでもかと盛り付けられた、ざっと見積もっても10人前はありそうな超・特大のメガ盛りラーメンだった

 

「そ、そんな……! 私たち、一番安い並盛りしか頼んでいません……! お、オーダーミスなんじゃ……っ!? 私たちのせいでそんなミスを……死んでお詫びしますぅぅ……!」

 

紫髪の少女・ハルカがパニックを起こして頭を抱え込むと、セリカがニッと笑って手拭いを肩にかけた

 

「何言ってるのよ。大丈夫、ちゃんと柴関ラーメン並盛りで間違いないわ。ね、大将?」

 

「ああ! ちょっと今日はお手が滑っちまってな! 盛りすぎて器に入りきらねぇから、残さずきれいに食べてくれりゃそれでいいさ!」

 

「えっ……あっ……!」

 

大将の粋な計らいとアビドスたちの温かさに、アルは涙目になりながら感極まったように声を詰まらせた

 

「うぅ……! ありがたく、頂戴するわ……! あんた、真のハードボイルドね……!」

 

「わぁぁ……! アル様、ラーメンです……! 本物の温かいラーメンですぅぅ……!」

 

「早く食べよ、アルちゃん♪」

 

「……冷めないうちにいただきましょう」

 

アルたちは一緒に心底嬉しそうにラーメンを頬張り始めた

 

一見怪しげで物騒な集団だったが、温かい湯気と美味しい食事を前にして「美味しいね!」「最高だね〜♪」「アル様、チャーシューどうぞ!」と素直に顔をほころばせる姿は、どこにでもいる年相応の普通の女の子そのものだった

 

結局、彼女たちが何のためにこんな荒涼としたアビドスへやってきたのか、その真意までは分からないままだった。けれど、みんなで一つのテーブルを囲み、温かいラーメンを分け合って笑い転げたあの時間は、敵も味方もしがらみもない不思議な温もりに満ちていたのだ

 

言葉遣いや取り繕った裏の顔は少し怪しかったものの、根は決して悪い子たちではなさそうだった。少なくとも、本気で悪事を働くような冷酷な悪党の顔ではなかった

 

(……まあ、あの子たちも何か事情があって大変なんだろうねぇ)

 

まぶたの裏に浮かぶ、大きめのチャーシューを口いっぱいに頬張って幸せそうに笑っていたゲヘナの赤髪の少女の顔を思い出し、ホシノはくすりと笑みをこぼした

 

ブーブー――、ブーブー――

 

「ん……?」

 

ポケットの中で端末が短く震え、冷たい電子音が屋上の静かな空気を切り裂く

 

夢心地のまどろみから引き戻されたホシノは、だるそうに端末を引っ張り出し、画面に表示された緊急の通知テキストに目を走らせた

 

そこにあったのは、いつもの身勝手なヘルメット団の襲来通知ではない。金で動く民間の武装傭兵集団がアビドス高校の敷地内へ侵入を開始したという、アヤネからの緊急アラートだった

 

「はぁ……。今度は一体どこの誰かなぁ……。せっかく気持ちよくお昼寝してたのにさぁ……」

 

ホシノは一度大きく重い溜め息をつくと、屋上のコンクリートに置かれていた重厚なショットガンと、巨大な盾を慣れた手つきで担ぎ直した

 

瞳から先ほどまでの柔らかい光が消え、冷たい影がすっと差し込む。ゆっくりとした足取りで、彼女は重い鉄の扉を開けて校舎の階段を下りて行った

 

 

荒涼とした乾燥した風が吹き荒れ、砂嵐が校門前の舗装をガサガサと削り取る

 

ホシノが静かな足取りで正門へたどり着いた時、そこには既にシロコ、ノノミ、アヤネ、そして先生の姿があった。そして彼らの正面には、重装備で身を固めた民間の武装傭兵集団と、その先頭に立つ見覚えのある少女たちの姿があった

 

「アンタたち……! 昨日、ラーメンを特盛にしてあげたのに……っ! この恩知らずーーっ!!」

 

セリカの、今にも怒破しそうなほど激怒した悲鳴のような叫びが、荒野の静寂を切り裂いて響き渡る

 

「あはは! その節はどーもね、バイトちゃん! すっごく美味しかったよ〜? でもさ、それはそれ! これはこれ! お仕事はお仕事なんだよね〜♪」

 

煽るようにくすくすと楽しそうに笑うのは、昨日和気あいあいと巨大なラーメン鉢を突っついていたあの銀髪の少女、浅黄ムツキだった

 

その軽々しい態度と悪びれもしない笑い声に、ホシノの胸の奥で、静かに、けれど苛烈な火種が煤を上げ始める

 

「ん。私たちは、私たちの居場所を守るだけ。仕事だろうと容赦はしない」

 

シロコが静かにアサルトライフルを構え、トリガーに指をかける。その隣で先生も『シッテムの箱』を抱え直し、眼差しを鋭くして指揮の体制に入った

 

「ふふん……! どんなに叫ぼうと無駄よ! どんな困難も、どんな非情な依頼も冷酷にこなしてみせる……! それこそが……無法の街を統べる無法者、私達『便利屋68』よ!!」

 

リーダー風の赤髪の少女――陸八魔アルが、黒いコートを風にはためかせながら、自信満々に不敵な笑みを浮かべてキリッとした眼差しをこちらに向ける

 

その背後ではハルカが「アル様、格好いいです……!」と目を眩ませるように輝かせ、カヨコが静かにハンドガンのスライドを引いて弾薬を装填していた

 

セリカやノノミたちが口々に何かを言い返し、緊迫した言葉の応酬が続いている

 

だが――その会話の全ては、ホシノの耳にはもう一切届いていなかった

 

(……昨日、みんなで笑いながら同じご飯を食べたよね)

 

(セリカちゃんが、大将が……お腹を空かせてる君達を見かねて、心を込めて作ってくれたんだよ)

 

(それを……そんなにも簡単に踏みにじって、銃を向けに来るんだ……)

 

(……今、引き返すなら許す。セリカちゃんの優しさを踏みにじったことも、1度だけ見逃してあげる)

 

(だけど――あと一歩でも、アビドスの敷地に足を踏み込んできたら)

 

ホシノは無言のまま、重い盾の影からアル達を睨みつける

 

一度は打ち解け、温かい時間を共有した相手だ。だからこそ、セリカたちの言葉で踏みとどまり、銃を収めて背を向けてくれるなら、何もするつもりはなかった

 

しかし。もしも一歩でも踏み出し、本気でこの学校と、愛おしい後輩たちを脅かそうとするならば――

 

二度とこのアビドスの地を踏めないよう、影も形もなく徹底的に叩き潰す

 

「悪く思わないでちょ――……っ!?」

 

アルが不敵な笑みを浮かべたまま、威風堂々とスナイパーライフルを構え、こちらへ銃口を向けようとした、まさにその瞬間だった

 

視線が交差した

 

ホシノのオッドアイ――前髪の隙間から覗くその瞳には、今まで見せたこともないような、圧倒的で、底なしの殺意と冷酷な圧力が渦巻いていた

 

言葉もなく、ただ静かに自分たちを「敵」として見定めているかのような、凄絶な眼光。かつて「アビドスの最高の戦力」と呼ばれ、単身で戦場を焼け野原に変えた怪物としての真の顔

 

「……ッ!?」

 

アルの背筋に、凍りつくような冷たい衝撃が走った。全身の毛穴が一気に逆立ち、肺の中の空気が凍りついて呼吸が止まる

 

「……っ……や、やめよ!! やめ! 全員撤収!!」

 

「え? ちょ、ちょっとどうしたの、アルちゃん!?」

 

「……社長の言う通り撤収するよ。 急いで、 依頼人には私が後で報告しておくから……」

 

唐突に銃口を下げ、血の気の引いた青ざめた顔で踵を返してスタスタと歩き出すアル

 

あまりの急展開に、ムツキは目を丸くして戸惑い、ハルカは「あ、アル様〜!?」と慌てて後を追う。そして、アルと同じくホシノの放つ異様な気配に気づいていたカヨコだけが、深く溜め息をついて静かに後に続いた

 

アルの後ろに控えていた民間の傭兵たちも、何が起きたのかさっぱり分からないといった様子で、互いに顔を見合わせながらゾロゾロと撤退を始めていく

 

「あ……あれ……? 帰るの……?」

 

つい数秒前まで大見得を切って喧嘩を売ってきた相手が、戦いもせずにあっさりと引き下がっていく様子に、セリカはポカンと口を開けて完全に拍子抜けしていた

 

「一体……何があったのでしょうか……?」

 

「ん……? 戦意喪失……?」

 

ノノミやアヤネ、そして先生までもが、首を傾げて狐につままれたような表情で、便利屋68の遠ざかる背中を見つめている

 

(……)

 

誰一人として気づいていなかった

 

ただ一人、後輩たちの後ろで表情が見えない位置に立っていたホシノだけが、便利屋の姿が荒野の砂煙の向こうへ完全に消え去るまで、冷たく鋭い眼光でその背中を睨み続け、指をトリガーにかけたまま微動だにしていなかったということに

 

 

「ちょっと〜、アルちゃーん! なんで急に帰っちゃうのさ〜! これじゃお仕事にならないじゃない!」

 

アビドス自治区の外れ、乾燥した砂風が吹き抜ける荒涼とした砂利道。そこを大股でザクザクと歩くアルの隣で、ムツキが両手を頭の後ろで組みながら、ムッとしたように頬を膨らませて抗議の声を上げた

 

アルは前を向いたまま、冷や汗が額を伝って顎から滴り落ちることすら拭おうともせず、かつてないほど真剣で強張った面持ちで静かに問い返す

 

「……ムツキ。私たちは、アビドスに一体何をしに行ったと思う?」

 

「え? だから、怪しい依頼人から舞い込んできた『あの学校を武力で占拠して奪え』っていう依頼をこなすためでしょ〜?」

 

「そうよ。私たちは『ビジネス』のためにあそこへ行ったの。……ビジネスのために命を捨てるなんて、本末転倒でしょう? 命があってこそのアウトローよ」

 

「あ、アル様……! 私、愚かで頭が悪いので、アル様の深遠なお考えがよく分からないです……っ」

 

オドオドと身体を小さく縮こまらせ、申し訳なさそうに尋ねるハルカ。その横で、カヨコが呆れたように小さく深いため息をついた

 

「ハルカ、ムツキ。私たちが『いくら高額な報酬の依頼でも、絶対に相手にしたくない人物』って、誰か覚えてるよね?」

 

「もちろんだよー。ゲヘナの風紀委員会……あの恐ろしいヒナちゃんでしょ? それが今回のアビドスと何か関係あるの?」

 

首を傾げるムツキに対し、アルがピタリと足を止め、ドラマチックに振り返って大袈裟に両手を大きく広げた

 

「大ありよ!!」

 

荒野にアルの叫びが響き渡る

 

「風紀委員長(ヒナ)と正面からやり合うような無謀な真似は絶対にしない……それが私たち『便利屋68』の絶対的な暗黙のルールでしょう!? あのアビドス対策委員会の……小鳥遊ホシノはね、あの風紀委員長と同じか……いいえ、それ以上の、本物の『殺気』を込めて私を見ていたのよ!!」

 

「え……?」

 

ムツキが意外そうな顔をしてキョトンと目を丸くする

 

「あと一歩でも敷地に足を踏み入れるか、少しでもこちらから攻撃行動を起こしていたら……私たちは今頃、あの風紀委員長クラスの怪物に影も形もなく踏みつぶされていたわ! 私たちはハードボイルドなアウトローとして依頼をこなしたいのであって、自分から自殺をしに行ったわけじゃないのよ!! こんなの事前のアビドスに関する情報には一切なかったわ! 契約条件が違いすぎるんだから、今回の作戦中止は当然の権利! 無効よ! 無効!!」

 

ぜぁぜぁと息を荒らしながら熱弁を振るうアル。その隣でカヨコが静かに「……まあ、判断としては間違ってないと思う。あの状態の相手とやり合うのは無謀すぎた」と深く頷いてみせた

 

それを見たハルカとムツキは、「あ、なるほど……」と少し不満を残しつつも、納得したように声を漏らした

 

「ま、それなら仕方ないか〜! 流石はアルちゃん、潮時を見極めるのが早いね♪」

 

「アル様……! 流石の圧倒的な危機管理能力と判断力です……! 私、どこまでもアル様の一生についていきます……!」

 

「ふふん! 分かればいいのよ、分かれば! これぞ無法の街を生き抜く完璧なアウトローの知恵というものよ!」

 

危険を回避した安堵感からすっかりいつもの調子を取り戻し、黒いコートの襟を正して胸を張り、満足げに高笑いを浮かべるアル

 

だが――そんなアルの姿をジト目で見つめていたムツキが、意悪く口元を歪めていたずらっぽい笑みを浮かべると、そっとアルのコートの袖を引っ張った

 

「あ、それはそうとさ……アルちゃん? 後ろの傭兵ちゃんたちが、何かすっごく言いたそうにしてるよ〜?」

 

「へ……?」

 

アルが不吉な予感に背筋を凍らせながら、そーっと後ろを振り向く

 

そこには、今回のアビドス攻略のために高額な報酬で雇い入れた、民間の武装傭兵の少女たちが勢揃いしていた

 

彼女たちは武器を手に怒気を含んだ青筋を額に浮かべ、ギラギラとしたイライラ全開の瞳でアルたちを睨みつけていたのだ

 

「……どうでもいいんだけどさぁ。戦わずに敵前逃亡して逃げ出したのは、アンタら『便利屋』の勝手……だけどさ?」

 

先頭の傭兵少女が、苛立ちを隠そうともせずに足踏みをする

 

「アタシたちの拘束時間分の『基本依頼料』と、勝手に作戦中止した分の『キャンセル料』は……きっちり満額貰うからね?」

 

「え……あ……いや、でも今回はその、作戦自体が途中で立ち消えになったというか、何の成果も出なかったというか、その……お安くしていただけたりは……」

 

「「はあぁぁぁっ!? ふざけんなぁ!!」」

 

「ひぃっ!?」

 

言葉が終わるより早く、ブチ切れた傭兵少女たちが一斉にカチャカチャと銃口をアルの頭へ向け直した。ずらりと並ぶ銃口の束に、アルの顔から一気に血の気が引いていく

 

「成果とか知るかバカ!! アタシたちは時間を無駄にしたんだよ! 今すぐ金を払うか、ここでハチの巣になるか選べよ!!」

 

「う、嘘でしょーーーっ!? 払います! 払いますから!!」

 

頭を抱えて前屈みになり、情けなく悲鳴を上げるアル

 

夕暮れに赤く染まるアビドスの広大な荒野に、威厳もハードボイルドさも微塵もない社長の哀れな叫び声が、どこまでも虚しくこだまするのだった




はい、またやらかしました…((((
入学式の後のお話になります……
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