「うへぇ〜!? まってまって、ノノミちゃん! おじさんの話を聞いてってばー!」
「ダメです〜♪ 観念してください、ホシノ先輩」
乾いた熱風が砂嵐を巻き起こし、時折ガラガラと音を立てて校舎の窓を叩く
アビドス高等学校・対策委員会の教室。そんな静寂を破るように、ホシノの情けない悲鳴が響き渡っていた
愛用のシールドを構える暇すら与えられず、必死の形相で机の周りを逃げ回るホシノ。 その背後では、豪華なフリルのメイド服と深いスリットの入ったチャイナ服を抱えたノノミが、満面の笑みで追い回している
「あ、相変わらずですね、ノノミ先輩は……」
「ちょっとノノミ先輩! 先生もいるんだから、ここで直接着替えさせようとしないでよね!」
「ん……セリカ、そういう話じゃないと思う。セリカはちょっと興奮しすぎ」
「なっ……! 私のどこが興奮してるっていうのよ! 常識的な注意でしょ!?」
「そういうシロコは、すごく落ち着いてるね……」
「ん。慣れているから。日常茶飯事」
書類を抱えて教室へ入ってきたアヤネ、セリカ、そして先生は、呆れ顔で頬をひくつかせる。 しかしシロコだけはマイペースに、自分のお気に入りのマグカップからお茶を「ずずっ」とすすっていた
「でも、どうして急にあんなことに……? 今朝までは普通にお掃除されていましたよね?」
アヤネが書類を机に置き、首を傾げる。 背後からは「助けてー! おじさんこんなの着たら恥ずかしくて生きていけないよー!」というホシノの絶叫と、「大丈夫ですよ〜、絶対に似合いますから〜♪」というノノミの楽しげな声が聞こえてくる
「あれはノノミの禁断症状だよ」
「き、禁断症状……!?」
「えっ!? ノノミ先輩、何か怪しい病気でもあるの!?」
セリカと先生が揃って目を丸くする
「ん。病気というより……多分、ホシノ先輩が『おじさんは予備の制服とジャージがあれば十分だからね〜』って適当なことを言ったからだと思う」
「あー……それでああなっちゃったんですか……」
「ホシノ先輩、放っておくと毎日同じ服ばかり着るから。ノノミの『着せ替え欲』に火がついた」
シロコはお茶を飲み干すと、教室の奥へと視線を向けた
ついに追い詰められたホシノが、壁に背中をぴったりと預け、ジリジリと笑顔で間合いを詰めてくるノノミへ必死に両手をかざしている
「の、ノノミちゃん!? 話せば分かるから! 明日はちゃんと別の私服を着てくるからさぁ!」
「いいえ、ダメです! 可愛いお洋服をプレゼントしても着てくださらないなら……こうして直接お着替えしていただくしかありません!」
「だからって、その二択はおかしいでしょー!? どっちを着てもおじさん撃沈するんだけど!?」
「問答無用ですっ♪」
「う、うへぇぇぇ!?」
悲鳴が教室の天井を揺らす。 アビドス高校の騒がしい昼下がりは、今日も今日とて賑やかに過ぎていくのだった
——そして、数十分後
大騒ぎだった教室は、嵐が過ぎ去ったあとのような妙な静寂に包まれていた
「〜♪ 〜♪」
「うう……うへぇ〜……もう勘弁してよノノミちゃん……おじさん、こんなの似合わないって……」
一通りの着せ替え狂騒曲が落ち着き、すっかり満足した様子のノノミが、上機嫌に歌を口ずさみながらホシノの髪を丁寧に梳かしている
その傍らで、強引に着せられた赤いチャイナ服姿のまま、ホシノは魂が抜け出たように机に突っ伏していた
普段の服とは違い、体のラインやスリットから覗く脚が強調されてしまい、居心地が悪そうに縮こまっている
「……セリカ、そろそろ手を離してくれると助かるんだけど。視界が真っ暗なんだけどさ……」
「……あ、そうね。静かになったし、もう大丈夫そうね」
ホシノが着せ替え人形にされていた間、セリカはなぜか耳まで真っ赤にして、隣にいた先生の目を両手でぎゅっと覆い隠していたのだった
セリカが気まずそうに手を退けると、視界を取り戻した先生の目に飛び込んできたのは、灰のように真っ白に燃え尽きたチャイナ服姿のホシノと、満足そうにブラッシングを続けるノノミの姿だった
「……チャイナ服もいいけど、最初のメイド服も捨てがたかったな……」
「先生!?!?!?」
ぽろりと漏れ出た先生の本音に、半死半生だったホシノが跳ね上がる。 ガタリと音を立てて椅子が揺れ、チャイナ服の裾がひらりと舞った
無意識の独り言だったらしく、先生は慌てて自分の口を塞ぐが、時すでに遅し。教室の空気があっという間に凍りつく
「……先生。そういうお好みが、おありだったんですね」
アヤネが眼鏡の奥から冷ややかなジト目を向け、抱えていた書類を強く抱きしめる
「ん……それなら今度、私がどこからか本格的なメイド服を調達してくる」
「先生最低! 何サラッと自分の変態的な好みを暴露してるのよ! 教育者としてどうなの!?」
「ふふっ、それなら今度、先生を審査員にお招きしてホシノ先輩の大ファッションショーを開催しましょうね♪」
セリカの怒声とノノミの回避不能な追い打ちが襲いかかる
「待って!? 今のは口が滑ったというか、言葉の表現を誤っただけで! 決して変な意図があったわけじゃなくて!」
ダラダラと冷や汗を流して弁明する先生の横で、シロコが思い出したように手をぽんと打った
「……そういえば、シャーレの当番でメイド服を着た生徒が来てたって噂があった」
「……先生って、やっぱりメイド服が趣味なの?」
ホシノが慌ててスリットの裾を手で押さえながら、疑念と羞恥の混ざったジト目を向けつづけてくる
「あ、あはは……多分それ、ミレニアムのC&Cのことですよね……?」
見かねたアヤネが冷や汗を流しながら助け船を出した
「そ、そう! トキやネル達が仕事で来てくれた時の印象が残ってただけで! 別に変な意味じゃないよ!」
「でも、ノノミ先輩のメイド服の提案にはバッチリ反応してたわよね? 根底の趣味としては大アリってことでしょ!」
セリカの鋭い追及に追い詰められた先生は、たまらず窓の外の砂漠へと視線を逸らした
「そ、そういえばさ! ノノミとホシノって本当に仲が良いよね! まるで昔からの幼馴染みたいだ!」
あからさますぎる話題転換に、一同は「逃げたな……」と言わんばかりの呆れ顔を浮かべる。
そんな中、セリカがふと何かを思い出したように顎に手を当て、興味深く尋ねた
「確かに、シロコ先輩やノノミ先輩が1年生だった頃の話って、普段あまり聞かないから知らないんですよね……。私やアヤネちゃんが入ってくる前の対策委員会って、どんな感じだったんですか?」
「あ、私も気になっていました。……その、たった3人だけで委員会としてまともに活動できていたんですか……?」
アヤネの悪気のない疑問に、ホシノは「アヤネちゃん、それ地味に心にグサッと刺さるからね……?」と乾いた笑いを漏らす
いつの間にか、ホシノはいつもの制服へと素早く着替え終えていた
「あーっ! ホシノ先輩、いつの間に着替えちゃったんですか!? チャイナ服、とってもお似合いだったのに〜!」
ノノミが頬を膨らませて抗議する
「うへぇ、ノノミちゃんの着せ替え攻撃のお陰で、早着替えのスキルだけは極限まで鍛え上げられたからね。伊達に修羅場を潜り抜けてないよ」
「ん。人生の役に立たない無駄な特技」
「酷いよシロコちゃん! おじさんの血と汗と羞恥心の結晶なのに! ……そ、それで、1年生の時のことだよね?」
照れくささを誤魔化すように、ホシノがゴホンと咳払いをする
「私もすごく気になるな。二人は最初にどうやって出会って、対策委員会に入ったんだい?」
先生も探究心をそそられたらしく、身を乗り出して尋ねた
「そうだね〜。それじゃあ、まずはシロコちゃんとの出会いから話そうかな」
「シロコ先輩から……ですか?」
アヤネが首を傾げると、セリカが「なんで二人一緒じゃなくて順番なのよ」とすかさずツッコミを入れる
「ふふ、実はですね〜。ホシノ先輩の次にアビドスでの歴史が長いのは、シロコちゃんなんですよ〜♪」
ノノミが淹れ立てのお茶を配りながら補足すると、セリカ、アヤネ、そして先生が揃って目を丸くした
「えっ!? ということは……ノノミ先輩とは同じタイミングで入学しなかったんですか?」
「ノノミ先輩が途中で転校してきた、とか……?」
後輩二人の推測に、ホシノはやれやれと肩をすくめる
「違う違う〜。アビドスへの入学時期自体はノノミちゃんと同じなんだけどね。シロコちゃんはおじさんが1年生の時、砂漠でたまたま拾って……ううん、奇跡的に出会ってさ。それからそのまま、おじさんの家で一緒に暮らすことになったんだよ」
「あ……そういえば以前、一時期一緒に生活していたってお話されていましたね」
アヤネが過去の会話を思い出したように手を打つ
「そんな話もあったわね。でも、なんで急に二人で暮らすことになったのかまでは聞いてなかったわ」
セリカが腕を組んで首をかしげる。 するとホシノは先ほどまでの軽い調子を崩し、少しだけ声音を落とした
「シロコちゃんはね。おじさんと出会う前の記憶が……綺麗さっぱり、何も無かったんだよ」
「「「え……?」」」
予想外の言葉に、全員の視線が一瞬でシロコへと集まる
当のシロコはといえば、マグカップを両手で包み込んだまま、ほんのり頬を染めて居心地悪そうに視線を泳がせていた
「ちょっと! なんでシロコ先輩がそんな乙女みたいに照れてるのよ!?」
「ん……自分の昔の恥ずかしい話だし……ホシノ先輩に見つかったときのこと、思い出すから……」
「……シロコ先輩、本当に……昔の記憶が一切無かったんですか?」
アヤネが心配そうに尋ねると、シロコは静かに、けれど確かに小さく頷いた
「ん。目が覚めたら、周りには何もない冷たい砂漠しかなくて……自分が誰なのかも分からなくて。自分の名前しか頭に残ってない状況で歩いてたら、この学校に迷い込んでた。それで、いきなりホシノ先輩にボコボコにされて……」
「ちょっとシロコちゃん!?」
シロコの言葉足らずすぎる説明に、セリカとアヤネの目が一瞬で冷たく吊り上がる
「……ホシノ先輩?」
「記憶のない子相手に……開口一番ボコボコにしたんですか……?」
「待って待って!? 誤解だからね!? 先に容赦なく襲いかかってきたのはシロコちゃんの方だからねー!?」
必死で手を振るホシノだったが、後輩二人の冷ややかな視線は晴れない
「それからね。戦ったあと……ホシノ先輩がこのマフラーを首に巻いてくれて、家に来ないかって……」
「……シロコ目線の感動的な話なんだろうけど、今の流れで聞くと誘拐犯の供述にしか聞こえないね……」
先生までが遠い目をして呟き、ホシノはがっくりと肩を落とした
「先生まで酷いこと言うー!? ノノミちゃんも笑ってないで、おじさんがどれだけ大変だったか説明してよー!」
「ふふっ、二人のお話としてはとってもロマンチックだと思いますよ〜♪」
ノノミの楽しげな微笑みに助け船は期待できないと悟り、ホシノは深々とため息をついた
「はぁ……もう、おじさんが自分で最初から話すよ……」
窓の外では、夕陽が砂漠の地平線へ沈みかけていた。茜色の光が差し込む教室で、ホシノはどこか懐かしむように語り始める
「あの頃のアビドスは今以上に荒れててさ。連日の不幸でクタクタになって帰ってきたところに、突然飛びかかられたんだよ。まるで飢えた小獣みたいにさ」
「ん……あの時は不覚を取っただけ。次は手加減させない……」
シロコが不満そうに両頬を膨らませるのを、ホシノは苦笑いで受け流す
「あとで聞いたらさ、お腹が空きすぎて倒れそうだったんだってさ。物を奪おうとして必死だったんだよ。……だから手当てをして、マフラーを巻いて、『一人じゃお互い寂しいから』って、おじさんの家に連れて帰ったんだ」
ホシノはそこで言葉を切り、柔らかく目を細めた
当時はユメが倒れた直後。広すぎる校舎でたった一人、孤独に押しつぶされそうだったのはホシノ自身でもあった
ゴミと散らかった書類ばかりだった自堕落な部屋にシロコがやってきて、手際よく片付け、料理を作ってくれるようになったこと。 命を救われた恩返しのように寄り添ってくれたあの日々を、ホシノは優しく振り返る
(……それにさ)
語りながら、ホシノの脳裏を一瞬だけ「ある面影」がよぎる
かつてユメが砂漠で拾ってきた、小さな白い子犬——『白子』の記憶。 自分を庇って命を落としたあの日の光景と、今目の前でお茶をすする銀髪の少女の姿が、胸の奥で痛むほどに重なる
けれど、ホシノはその動揺を微塵も表に出さなかった。頼れる先輩としての柔らかな笑顔を崩さぬまま、軽快なトーンで言葉を締めくくる
「まあ、そんなわけでさ。シロコちゃんが来てくれてから、おじさんの悲惨だった食生活は一気に人間らしく改善されたんだよ〜」
「なるほど……噂には聞いてたけど、ホシノ先輩の自作料理って本当に壊滅的だったのね……」
「ん。セリカも1度食べてみる? 1口食べただけでトイレとお友達になれるよ。保証する」
「絶対嫌よ! お腹壊したくないわ!」
「あのー……本当のことだけど、おじさんの目の前でそこまで言うかなー? 地味に傷つくよ……?」
がっくりと肩を落とすホシノに、教室へ小さな笑いが広がる。
「それで、その後もしばらくはお二人だけで過ごされていたんですか?」
アヤネが眼鏡の位置を正しながら尋ねると、シロコはマグカップを両手で抱えたまま小さく頷いた
「そうそう。シロコちゃんって、こう見えて商店街の人気者でね。お肉屋さんに行けばコロッケとかオマケしてもらってたんだよ」
「ん……なんだか子供扱いされてるみたいで恥ずかしいから、あまり言わないで……」
「でもこの前も『看板娘ちゃん、持っていきな!』ってメンチカツもらってたよね?」
「……なんで知ってるの。物陰から見てたの?」
シロコが少し頬を膨らませてホシノを睨む
「シロコ先輩がまめに買い出しして料理するって、なんだか意外ですよね。コンビニのお惣菜とかカップ麺だけで済ませてそうなイメージでした」
セリカが感心したように言うと、シロコは至極真面目な顔で答えた
「初めは……ホシノ先輩の料理を食べて命の危険を感じたから自分で作るようになって。そこからタイムセールを狙ったり、献立を考えるのが楽しくなった」
「生存本能から始まったんだ……。私も今度、シロコにお弁当作ってもらおうかな?」
先生が軽口を叩くと、シロコはジト目を向けた
「ん。先生こそ毎日シャーレで、カップ麺だけで食事を済ませてそう」
「あはは……最近忙しくて、エナジードリンクだけで3日過ごすことが多くて……」
「ええっ!? 先生、それ完全に栄養失調で倒れますよ!?」
アヤネが思わず立ち上がり、説教モードに入る
「うぅ……この前ユウカにもまったく同じ顔で怒られたよ……」
「ん、自業自得。身体を壊したら元も子もない。……でも、心配だから、今度シャーレに行くとき私が特製のお弁当作っていくよ」
「えーっ!? おじさんもシロコちゃんのお弁当食べたい!」
「ホシノ先輩はたまに私の家に来て勝手に食べて行くでしょ。我慢して」
「冷たい! シロコちゃんがおじさんに冷たいよー!?」
賑やかに盛り上がる二人の横から、遠慮がちに声が差し込まれた
「あのー……盛り上がっているところ申し訳ないのですが……そろそろ私の出会いの話もしてほしいです……♪」
胸の前で手を握り、ノノミがちょっぴり頬を膨らませて割り込んでくる。
「あはは! ごめんごめん、ノノミちゃん! 順番を飛ばすところだったね。ノノミちゃんと最初に会ったのは、確か……シロコちゃんが初めて自転車に乗れるようになった頃だっけ」
「え? 自転車……ですか?」
思いがけないキーワードに、アヤネとセリカが不思議そうに首を傾げた
「そうそう〜。物陰からおじさんたちの様子をさ、まるでストーカーみたいに木の影とか建物の陰に隠れてじーっと見てたんだよねー?」
「ほ、ホシノ先輩!? 流石にストーカー扱いは酷いです〜! 私はただ、温かい目で見守っていただけです〜!」
プンプンと頬を膨らませ、両手を腰に当てて抗議するノノミ。しかし怒ってみせても、その仕草には上品さが滲み出ている
「え? でもノノミ先輩、どうして木の影なんて怪しい場所に身を隠されていたんですか……?」
アヤネが首を傾げると、ノノミは急に気まずそうに指先を突き合わせ、目線を斜め下に泳がせた
「その……いきなり声をかけたら、ホシノ先輩にボコボコにされちゃうのかなーって……えへへ」
「ノノミちゃん!? さらっと酷いこと言うね!? おじさんの名誉がズタズタになっちゃうよ!? ……って、ちょっと待ってみんなどうしてそんな冷ややかな目を向けるのかな!? シロコちゃんは当時の事情を知ってるよね!?」
ノノミの発言に、シロコを含む後輩たちが一斉に冷ややかな視線をホシノへと向けた
「ホシノ先輩……後輩が入学してくる前に、とりあえず片端からボコボコにして上下関係を分からせるタイプだったんですね……」
「そんな野蛮な人だったなんてね……見損なったわ……」
「二人とも分かっててわざと言ってるよね!? 冤罪だよ冤罪! 完全な風評被害だよー!」
「ま、まぁまぁ……二人とも落ち着いて。それで? ノノミとはどうやって打ち解けたんだい?」
ホシノの不名誉な誤解が深まるのを察し、先生が苦笑いを浮かべながら宥めるように割って入った
深々と溜め息を吐き出すホシノ
「……ふぅ、先生助かったよ。……それでその後の話だけどね? 次の日も物陰から覗いてたノノミちゃんを、シロコちゃんが速攻で捕まえてきてさ」
「捕まえたってなによ! 野生動物じゃないんだから!」
「いや、文字通りの意味だよ。警戒して逃げるノノミちゃんを、シロコちゃんが自転車も使わずにアビドスの砂漠で追いかけ回して捕まえたんだよ」
「あの時は、あまりの俊敏さに『あ、私ここで走って死ぬのかな』と思いましたね♪」
上品に微笑みながら語るノノミ
「……ちょっと待って。先輩達の過去の回想ってバイオレンス要素しかないの……?」
アヤネとセリカがぐったりと肩を落とし、疲れたように天井を仰ぎ見た
「でね、捕獲されたノノミちゃんを連れてきて話を聞いたら、アビドスへの入学希望者だって言うじゃない。もう嬉しくなっちゃってさ。そしたらノノミちゃん、正式な入学前だっていうのに『アビドスのお手伝いをします!』って、毎日差し入れを持ってやってくるようになったんだよ」
「へぇー、それじゃあノノミ先輩は、最初のストーカー行為以外は波乱も無く馴染んだんだね」
セリカが胸を撫で下ろした瞬間、シロコが静かにマグカップを机に置き、淡々とした口調で追撃の爆弾を投下した
「ん、そうでも無い。ノノミが来た初日、ホシノ先輩から思いっきり恐ろしい殺気を向けられてた。殺す一歩手前だった。あの時のホシノ先輩の目は、完全に獲物を狩る猛禽の目だった」
「シロコちゃん!?!? そこはおじさんが墓場まで持っていくって決めてたトップシークレットでしょ!? なんでさらっとバラしちゃうの!?」
教室内には一瞬にして凍りつくような沈黙が流れた。再びアヤネとセリカから冷ややかな視線が一斉にホシノへと集中する。アヤネの眼鏡がギラリと光った
「まあまあ……二人とも、ホシノ先輩をそんな目で見ないであげてください〜。私の家系と生い立ちを考えれば……当時のホシノ先輩が私に対して警戒感と殺意を抱くのは、仕方ないことですよ」
ノノミは寂しげな苦笑いを浮かべ、狼狽するホシノを庇うように穏やかな声で助け舟を出した。しかし真意が掴めず、アヤネとセリカは眉をひそめた
「家系……? なんでノノミ先輩の家系の話で、ホシノ先輩から殺気を向けられるわけよ? ノノミ先輩って、ちょっとお金持ちでおっとりしたお嬢様……ってだけじゃないの?」
「んー……そうですね。それをセリカちゃんやアヤネちゃんに正しく説明するには、まずは『ネフティス』のことから順をお話ししましょうか」
「ネフティス……」
アヤネが小さくその名を呟き、眼鏡の鼻当てを指先で押し上げながら眉をひそめた
「確か、私たちが今背負っている借金の、元々の債権を買ったのが……その『セイント・ネフティス』よね? それがノノミ先輩とどう関係あるのよ」
セリカが腕を組み、ノノミとホシノの表情を交互に見比べた
「セイント・ネフティスカンパニー……ネフティスグループはね、元々はここアビドス自治区に深く根を張っていた、地元の超巨大企業だったんだよ。昔はキヴォトス全域に名を轟かせるほどの絶大な資金力と権力を持っていたんだ」
ホシノが茜色に染まる窓の外の砂漠を見つめながら、小さく息を吐き出す
「ええ!? そ、そんな凄い規模の大企業だったの!?」
極貧のアビドスしか知らないセリカは絶句した
「元々アビドスは、今の荒涼とした姿からは想像もつかないほど豊かな緑と水に恵まれた、大オアシス都市だったからね〜♪」
「キヴォトスの中でも屈指の長い歴史を持っていて、他の学園からも一目置かれ、時にはその圧倒的な資金力と先端技術力を恐れられていましたから。……もちろん、街全体が酷い砂漠化に呑み込まれてしまう前の、ずっと昔のお話ですが……」
ノノミは少しだけ表情を曇らせ、寂しげに息を吐いた
「セイント・ネフティスカンパニーは、そんなアビドスの全盛期と共に急成長を遂げてきた企業でしたが……アビドス自体の急速な衰退と砂漠化の進行に伴って、その絶大な力と資産を急速に失っていきました。更には、失われたかつての栄光と利権をどうしても取り戻そうと、無理な砂漠化対策の投資や無謀な開発を重ねた結果、ネフティスは破産寸前にまで追い込まれ……結果として、アビドスから住民や他の企業が一斉に逃げ出していく決定的な原因を作ってしまったんです」
ノノミのどこか静かで淡々とした説明を聞くうちに、セリカの表情はこれまでの自分たちの血のにじむような苦難と、毎日のお金に困る生活を思い返してか、みるみるうちに険しく、激しい怒りを帯びたものへと変わっていった
その小さな拳が力強く握り締められる
「それって……つまりは……! そのネフティスとかいう身勝手な会社のせいで、私たちが今こんなにも苦しい思いをして、毎日血を吐くような思いでバイトをして借金を返す羽目になったってことじゃないのよ!? ふざけないでよ!」
「せ、セリカちゃん……っ! 一旦落ち着いて……っ!」
怒りに任せてバン! と勢いよく木製の机を叩き、激しい声を荒げるセリカを、アヤネが慌てて制止しようと焦ってその華奢な肩を抱きかかえる。
「何よアヤネちゃん! だっておかしいじゃない! 全部ネフティスの自業自得で、私たちが被害を被ってるのは本当のことでしょ!?」
「いや〜、セリカちゃんは相変わらずブレないというか、気持ちいいくらいの直球だねぇ……」
乾いた苦笑いを浮かべるホシノをよそに、アヤネは一度メガネの位置をキュッと直し、やれやれといった様子でセリカに向き直った
「セリカちゃん、怒る気持ちも分かりますが、まずは冷静になって最後まで話を聞いてください。ノノミ先輩は、ご自身が当時のホシノ先輩から凄まじい殺気を向けられた理由を、今 meまさに順を追って説明してくださっているんですよ?」
「……え? そういえば……なんでそれがネフティスの話に繋がるわけ? ノノミ先輩と何の関係があるのよ」
「ん、セリカは相変わらず勘が鈍い……。私でもノノミの話を聞いた瞬間に全てを理解したのに」
「私だけ分かってないみたいな言い方しないでよ!? ちょ、ちょっとシロコ先輩! 一体どういうことなのか、私にも分かりやすく教えてよ!」
呆れたような冷ややかなオッドアイの眼差しを向けてくるシロコに対し、セリカは慌てて食い下がった
「あはは……ですがセリカちゃん、そこまでお怒りになってしまうのも当然のことですよ。ネフティスは、かつて私たちが愛したこのアビドスに、実質的なトドメを刺して破滅させた張本人なんですから……。そして、あの時ホシノ先輩が私に恐ろしいほどの殺気を向けたのは……そのネフティスが、他ならぬ私の実家が経営している会社だからですよ」
「……えっ」
ノノミの穏やかで上品な微笑みから放たれた、あまりにも重く衝撃的な告白
セリカの思考は完全に停止し、数秒間、目を限界まで見開いたまま全身を固まらせる
ピシッと音がして時が止まったかのようだった
教室の中の空気がピタリと静まり返る。茜色の夕日が差し込む室内で、周囲のメンバー――ホシノ、シロコ、アヤネ、そして先生が、何とも言えない苦笑いと気気まずそうな表情を浮かべる中、数拍遅れてようやく真実の重みと自分の暴言を理解したセリカの膝から、ガクリと力が抜けた
そのまま床へ力なく崩れ落ちるセリカ
「わ、私……また取り返しのつかない大爆弾発言……やっちゃった……? ノノミ先輩の実家に向かって……あんな……」
「ん。ホシノ先輩が昔、生徒会役員だって知らずに『役立たず!』って怒鳴り散らした一件に続いて、これで2回目。めでたくツーストライク」
「シロコちゃーん!? 流石にそこまで追い打ちをかけられたらセリカちゃん立ち直れなくなっちゃうから! もう少し手加減して優しくしてあげて〜!?」
かつてホシノの壮絶な過去や重い立場を知らずに、激昂して暴言を吐いてしまった過去のトラウマが鮮明に蘇り、メンタルを限界まで削られたセリカは、「もう駄目……穴があったら入りたい……」と弱々しく呟いたきり、床の上に丸まって両手で頭を抱えてしまったのだった
「あはは……私、当時は中学生の時の制服そのままでアビドスに来ちゃったものですから、見た目ですぐにネフティスの関係者だってバレてしまって……。だから、当時のホシノ先輩にはものすごく厳しく警戒されたんですよね。まあ、私自身も最初から自分の正体を隠すつもりは一切ありませんでしたけれど……♪」
「さ、先に言ってよそういう重要すぎるお話はー! 私、このままだとアビドスの『地雷踏み抜き女』として永久認定されちゃうじゃないの!」
「ううん、セリカ。地雷を踏んでなんかないよ。ものすごい猛スピードで地雷原の真ん中を自ら駆け抜けてるだけ」
「なおさらタチが悪いわよそれ!! というより、二人とも最初からノノミ先輩の正体を知ってたわけ!?」
ガタッと勢いよく椅子を鳴らして立ち上がったセリカが、あまりのショックと恥ずかしさに顔を真っ赤にして、アヤネとシロコの二人を噛みつかんばかりの勢いで交互に睨みつける
「い、いえ……ですがセリカちゃん、流石にここまでの話の流れとノノミ先輩の雰囲気で気がつくかと……」
「ぐうっ……! それを言われたらぐうの音も出ないじゃない……!」
アヤネからの至極真っ当で申し訳なさそうな追撃が飛び、反論の言葉を失ったセリカは、そのまま力尽きたように「うう……」と声にならない呻きを漏らして机に盛大に突っ伏した
「まあまあ、そういう訳なんだよ〜。でもね、警戒してたのは最初だけで、その後はちゃんとノノミちゃんともすぐに仲良くなったんだからねー?」
ホシノは自分の過去のトゲトゲしていた気まずさを誤魔化すように、いつもの軽い調子で「あはは」と笑い飛ばすと、パタパタと小さな手で空を仰いだ
「ん、私の家を探してくれたのも、ノノミだったし」
シロコが静かに小さく頷き、当時の温かい思い出を慈しむようにポツリと付け加える
「あはは……最終的にはホシノ先輩のお顔の広さと人脈のおかげでしたけれどね?」
ノノミが口元に上品に手を添えながら、ふわりと花が咲くような柔らかい笑みを浮かべた
「なるほど……私たちが知らないところで、そんなドラマチックな出来事があったんですね……」
アヤネがこれまでの数々の衝撃的かつ濃密な初期メンバーのエピソードを噛みしめるように、眼鏡のブリッジを人差し指で静かに押し上げながら小さく呟く
「でも、色々あったとしても、今こうしてみんなで笑い合って仲良くやれているなら、それが一番いいことだと思うよ」
それまで静かに生徒たちのやり取りを見守っていた先生が、心からの柔らかい笑みを浮かべ、温かい眼差しで目の前の対策委員会のメンバーたちを順番に見渡した
「過去の出来事や家系とか、それぞれに複雑な事情や重い歴史はあると思うけれど……今、みんながこうして同じ教室で笑い合えているのは、学生として、青春として本当に素晴らしいことだからね」
「そ、そうよね! 過去の複雑な家系なんて今の私たちには何の関係もないわ! ノノミ先輩はノノミ先輩よ! こうやってアビドスに残って対策委員会として一緒にいてくれることを、純粋に喜ばないとだめよね!」
先ほどまでの失言をなんとか挽回しようと、セリカが慌ててバンと机を叩き、大きな声で先生の言葉に勢いよく賛同してみせる
「セリカちゃん、顔が強張っててだいぶ無理してますね……」
アヤネが呆れたような、けれど親しみを込めた苦笑いをセリカへと向けた
「ん……そういえば、私もずっと気になっていたことが一つある」
日常の賑やかな喧騒が一段落したその瞬間、唐突にシロコがいつになく静かで深いトーンで言葉を挟み、教室の空気を切り替えた
「ん? どうしたの、シロコちゃん?」
ホシノが首をちょこんと傾けると、シロコはその澄んだ瞳で、まっすぐにホシノの目を見つめた。
「昔のアビドス生徒会って、三人で活動してたんだよね? ユメ生徒会長、そしてホシノ先輩……なら、もう一人の役員は誰なの?」
——シロコがその問いを投げかけた瞬間
教室を満たしていた温かい空気が、まるで一瞬で凍りついたかのように静まり返った
ホシノの体が硬直する。息を吸う音すら途絶えた。
「あ、私も以前から気になっていました。過去の生徒会の記録や写真を見る限りでは、ホシノ先輩とユメ生徒会長さんの二人しか写っていませんでしたし……まるで何かを隠してるような……」
アヤネが首を傾げながら、純粋な疑問として言葉を重ねる
「そうね、私も気になってたのよ。前にホシノ先輩が生徒会は3人って言ってたのに何も言わないし。そのもう一人の人って、今はどこで何をしてるの?」
セリカも興味津々といった様子で、素直な瞳でホシノの返事を待っている
「えっと……それは……その……ね……?」
ホシノの瞳が、教室の隅から天井、窓の外の砂漠へと忙しなく泳ぎ回る
言えるはずがなかった
もう一人の生徒会メンバーとは、かつてユメが砂漠の片隅で拾ってきた一匹の小さな白い子犬であり、自分を庇って命を落とした『白子』なのだという真実など
万が一にも、今まさに自分の目の前にいる——同じ名前を持ち、どこかあの頃の面影を宿した銀髪の少女の前でその名前を口にしてしまえば。彼女の心に拭えない深い傷や、不要な罪悪感を落としてしまうかもしれない
しかし、こうして真正面から問われた問いかけに対して理由もなく言葉を濁し続ければ、かえって余計な疑念を抱かせてしまう
ホシノの額にはじわりと冷や汗がにじみ出ていた
「み、みなさんその話はそこまでで……」
ノノミが助け舟を出そうとした——まさにその時
緊張感を切り裂くように、アヤネの手元に置かれていたタブレットから、けたたましい電子警告音が教室中に響き渡った
『ピーッ! ピーッ! 警戒領域に未認証の反応を検知!』
「なっ……!?」
「アヤネちゃん、何かあったの!?」
ホシノが弾かれたように飛び起きる
「は、はい! アビドス砂漠の管轄境界線付近に、見慣れない制服を着た集団——数十人規模がこちらに向かって侵入してきています!」
アヤネが真剣な顔でタブレットのキーボードを叩き、映像とデータを高速解析していく
「所属、判明しました! 彼女たちは……ハイランダー鉄道学園です! アビドス側の許可も取らずに、私たちの校地周辺で勝手に大掛かりな線路敷設工事を始めている模様です!」
「分かった。みんな、すぐに向かおう。アヤネ、君はここでバックアップを頼むよ」
事態の緊急性を察した先生の力強い号令が教室に響く
「はいっ!」
それを合図に、セリカやシロコは迷うことなく素早く愛銃を手に取り、洗練された動作で臨戦態勢を整えると、教室を飛び出していった
オペレーションに残るアヤネを背に、ノノミ、セリカ、シロコ、そして先生が次々と廊下へ駆け出していく中、ホシノも慌ててその背中を追いかける
(助かった……間一髪で誤魔化せた……。けど……なんだろう、この胸の奥の不気味なざわめきは……すごく……嫌な予感がするな……)
喉の奥につかえたままの言葉と、胸の底から這い上がってくる言語化できない不安
拭いきれない重苦しさを胸の片隅に押し込めながら、ホシノたちは新たなトラブルの現場へと向けて、夕暮れの砂漠へと急行するのだった