夜の静寂を破り、息を荒らげて対策委員会の教室へと飛び込んだホシノ
その目に真っ先に飛び込んできたのは、重苦しく無機質な明かりだけが虚ろに灯る、がらんとした部屋だった
教卓の上にポツリと残されたタブレット端末
その小さなスピーカーから流れていたのは、あまりにも切なく、そして痛々しいノノミの音声メッセージだった
『……やっぱり、私はアビドスに残るべき人間じゃなかったんです……どこまで行っても……私はあのネフティスの血を引く人間ですから……っ』
途切れ途切れに聞こえてくるその透き通った声は、時折苦しげな胸の痛みに耐えるような咳に遮られ、必死に涙を堪えながら胸を締め付けるように細く震えていた
『……ホシノ先輩……私は今まで、ほんの少しでも先輩の力になれたでしょうか? もし……もしもそうだったなら……私、とっても嬉しいです……。生徒会を無くしてしまうというあの提案には、今でも心からは納得がいかなくて……でも、このような形だとしても、大好きなみんなとの大切な場所を……先輩が守りたかったものを……守れたことは……私にとって一生の誇りになります』
『ホシノ先輩……先生ならきっと、列車砲のあの厄介な件もなんとか解決してくれます……だから、セリカちゃんやアヤネちゃん……そして、シロコちゃんとこれからもずっと仲良くしてくださいね……。そして、あの温かい生徒会を……ユメ生徒会長の居場所を、どうか最後まで守ってあげてください』
そこでノノミの声がプツリと途切れる。ノノミの思いのすべてが込められた音声データの再生は、そこで終わっていた
教室には、言葉を失った少女たちの吐息と、凍てつくような冷たい空気が重く澱んでいる
『……とのことです』
不意に、空間の光が不自然に歪むと、青白い電子のホログラムが空間に浮かび上がった
そこに現れたのは、冷徹な目をたたえたネフティスの執事の影だった
『あなた方には、明日の総会にて『当時のアビドス生徒会は非公認の組織だった』と公言していただくだけでいいのです。それだけで、あの売買契約は法的に完全に無効となります』
執事の淡々とした、どこか機械的な口調が、静まり返った部屋の隅々にまで嫌らしく響き渡る
対策委員会であれば、ノノミの想いやアビドスを守るためにその手段を取らざるを得ないことを見越した上での、あまりにも計算された脅迫
たとえ彼女たちが土壇場で別の対抗作戦を思いついたとしても、それを実行させずに大人しく従わせるための確実な足かせとして、執事はノノミを意図的に連れ去ったのだ
『お嬢様ご本人は、もう二度と皆様の元には帰らないお覚悟でいらっしゃるようですが……しかし本心では、きっと皆様の元へ戻りたいはずです。どうか、皆様にとっての正しいご選択を願っております』
言い終えると同時に、青白いホログラムはかき消すように途絶え、通信は一方的に断ち切られた
静寂が戻った瞬間――シロコは無言のまま、机の上に置かれていた自身の愛銃を静かに掴み取ると、ただ一言も発せずに席を立った。その足取りには、一切の躊躇もない
「し、シロコ先輩っ! どこに行く気よ!?」
「……あの執事の頭に、今すぐ1発鉛玉をぶち込んでくる」
「し、シロコ先輩! 落ち着きなさいよ! 気持ちは痛いほど分かるけど、そんなことしても何も解決しないわよ……っ!」
セリカが必死の形相でシロコの上着の裾を強く掴み、必死に引き止めようとすがりつく
しかし、いつものような軽口やじゃれ合いの時の力加減ではない
シロコの瞳には、かつて見たこともないような殺意に似た冷たい光が宿っており、彼女はセリカを振り切るように、一歩、また一歩と着実に教室の扉の方へと歩みを進めていく
「シロコちゃん、そこまでだよ。ストップ」
「!」
ホシノが低く、しかし威圧感と重みのある声でそう告げると、シロコの足取りがピタッとその場にに止まった
(良かった……まだ私の声が聞こえてる……)
ホシノは内心で、まだシロコの胸のなかに自分たちの声を聞き入れるだけの理性が残されていたことに、胸をなでおろすようにわずかな安息の息を漏らす
「……シロコちゃんが一人でそんな危ない橋を渡りに行かなくてもいいよ。……おじさんに、ちゃんと考えがあるからさ」
そう言うと、ホシノは壁際に立てかけてあった盾とショットガンを、迷いのない手つきで背負い直した
「ほ、ホシノ先輩……いったい、何をするつもりなんですか……?」
青ざめた顔で尋ねるアヤネの問いかけに、ホシノは一切の感情を削ぎ落とした、あまりにも淡々とした口調で答える
「……明日の総会に、行くための準備だよ」
「そ、それなら私たちも一緒に準備をします! 荷物をまとめないと……!」
「その必要はないよ」
「え……?」
アヤネが慌てて自分のタブレットや作戦用備品を片付けようと動き出したが、ホシノはその動作を、冷たく静かな視線で制止した
「必要がないって……どういうことですか先輩! 私たちも対策委員会のメンバーなんですよ!?」
アヤネが声を荒らげ、持っていた書類を教卓へ叩きつけるように置く
「執事さんのあの態度や様子を見て、ようやくはっきりしたんだ。……おそらく、裏で手を引いている私募ファンドやカイザーローンの連中は、私たちが明日、総会に直接たどり着くのを力尽くでも邪魔しに来る」
「な、なんでそんなことになるのよ……! アイツらにとって、私たちが総会に行かないことの何の得があるっていうのよ……! むしろ、私たちが欠席したら自分たちの思い通りになるんじゃないの!?」
セリカが納得がいかないように身を乗り出し、ホシノに問い詰める
ホシノは暗い影を落とした瞳で、冷ややかに事態の裏側を紐解いてみせた
「……ネフティスはね、裏で手を組んでいたはずの私募ファンドの連中を土壇場で裏切り、今回の鉄道の権利を自分たちだけで独り占めしようと企んでいる。つまり、その計画の最大の要であり、証人でもある私たち対策委員会の出席を、何が何でも時間内に間に合わせないように潰すつもりなのさ」
大人たちの汚い裏切りと、己の利益しか考えない泥沼の欲望
これまで幾度となくそんな醜い現実を目の当たりにしてきたホシノだからこそ、今回の裏のカラクリと張り巡らされた謀略の構造が、痛いほどよく理解できていた
もしネフティスのこの土壇場での隠密作戦がそのまま成功すれば、カイザーローンも正体不明の私募ファンドも手出しができなくなり、倒産寸前だったネフティスは一気に息を吹き返し、巨額の利益と共に会社を完全に立て直すことが可能になる
しかし、急にハシゴを外された形の私募ファンドたちが、黙ってそれ指をくわえて見過ごすはずがない
それならば彼らはどう動くか――答えは残酷なまでに単純だった
総会の制限時間内に、当事者である対策委員会のメンバーを誰一人として会場に到着させなければいいだけの話なのだ
途中の砂漠で力ずくで身柄を拘束するか、あるいは物理的に排除すればそれで済む
「そ、それなら尚更、私たちも重装備でしっかり準備しないと……! どんな妨害が来ても、全員で突破するべきです!」
アヤネが焦りを隠せない声で叫ぶように訴えると、ホシノは困ったように眉を下げ、どこか切り捨てるような冷たい切なさを帯びた笑みを浮かべた
「アヤネちゃん達じゃ無理だよ。……『私一人』なら、突破出来るけどさ」
「っ……!?」
アヤネが絶句し、信じられないものを見るような衝撃の籠もった目でホシノを見上げる
いつもなら絶対に後輩に向かって言わないような、決定的な能力の格差を突きつける言葉だった
「安心して。みんなをこれ以上、あんな大人たちの汚い争いに巻き込んで危ない目になんて、おじさんは絶対合わせないからさ」
ホシノの心に余裕など、本当は一滴も残っていなかった
『あと数日も持たずに、彼女の心臓は完全に停止してしまいます』
病院で突きつけられたユメの命のタイムリミット。そのあまりにも過酷な焦燥感に苛まれ、彼女の思考は正常な判断力を失っていた
また昔の「暁のホルス」と呼ばれていた頃のように、自分一人だけで全ての犠牲と暴力を引き受け、破滅への道を突き進もうとしていることくらい、頭のどこかでは分かっていた
カイザーに騙され、後輩たちに本気で怒られ、ようやく仲間を頼り、支え合うことを覚えたはずの普段のホシノなら、こんな無謀な単独行動など絶対に選ばなかったはずだ
しかし、ユメの余命が僅か数日という容赦のない現実が、ホシノの防波堤を崩し、理性を完全に狂わせていた
自分が傷つこうが死のうがどうでもいい。ただ、ユメとの約束を守り、後輩たちの居場所を残さなければならないという強迫観念だけが、彼女を突き動かしていた
「……」
重苦しい静寂が室内を支配する。その時だった
「シロコちゃ……っ!?」
タンッ、パンッ!!
突如、何の前触れもなく甲高い乾いた銃声が教室内にはじけ飛んだ
シロコが無言のまま愛銃のアサルトライフルをホシノへと向け、一切の容赦のない銃弾を叩き込んだのだ
ホシノは反射的に愛用の巨大な盾を構えて弾丸を防いだが、あまりにも突然の行動に度肝を抜かれて息を呑んだ
「あ、危ないなぁ、シロコちゃん。いくらなんでも唐突すぎるよ」
ホシノが盾の陰から顔を出し、引きつった苦笑いを浮かべる
しかし、銃口を向けたままのシロコの瞳に、戯れの色は微塵もなかった
「……外に出て。先輩、私と勝負して」
ホシノの制止や宥めるような言葉を完全に無視するように、シロコは氷のように冷たく言い放つ
「……し、シロコ先輩っ!? こんな緊急事態の時に勝負って……正気なの!?」
いつもとはまるで違う、有無を言わせぬ威圧感を纏ったシロコの異様な雰囲気に、セリカは激しい困惑と恐怖の混じった視線を向ける
「……久しぶりだね。模擬戦以外の本当の場面で、シロコちゃんと銃を交えるのはさ」
ホシノは目を細め、静かに呼吸を整える
「……先輩は、言葉でいくら綺麗事を言っても、絶対に私たちの言うことを聞き分けたりしない。どれだけ説得しても、最後はヘラヘラ笑いながら一人で全部抱え込んで行っちゃう。だから、私がこの勝負で先輩に勝ったら……大人しくここで、私達と一緒に先生が来るのを待って」
「ま、待ちなさいよ二人とも! なんで今そんな仲間同士で喧嘩になるのよ! 意味が分からないわよ、二人とも落ち着きなさいって!」
一触即発の破滅的な緊張感が漂う空間を何とか和らげようと、セリカが必死に二人の直線上に割り込もうとする
しかし、シロコはホシノの瞳から一瞬たりとも目を離さず、ただ静かに、けれど胸の奥底にある激しい怒りと哀しみを込めてこう言い放った
「……ホシノ先輩は、一人で総会の場を突破して乗り切ったあと……そのまま一人でネフティスも、私募ファンドも……そしてカイザーローンも、アビドスの過去の借金も全部背負って潰すつもり。またあの時みたいに……『一人で』すべてを終わらせて、消える気なんだよ」
「えっ……そ、それって本当なんですか……!? ホシノ先輩……! 私たちを置いて、一人でどこかへ行っちゃうつもりなんですか……!?」
シロコのあまりにも鋭く、核心を突いた指摘に、アヤネが血の気を失って蒼白になりながらホシノの顔を凝視する
秘密を暴かれたホシノは、観念したようにふっと息を吐き出すと、痛々しいほど困ったような、自嘲気味の笑みをこぼした
「……はは、相変わらず鋭いね。よく分かってるよ、シロコちゃんは」
「何年ずっと一緒に過ごしてきたと思ってるの……。そんな無茶苦茶なことして、すべてを一人で抱え込んでどこかへ消えようとする先輩を……私たちがこのまま黙って見送って、ここに平然と居られるわけがないでしょ! 私たちの気持ちを、バカにしないで……!」
シロコの声が、珍しく激しい感情で途切れそうになる
「うん……そうだよね。ごめんね。だからこそ……おじさんはもう、この対策委員会を……アビドスを離れるんだ。これ以上、大切な人たちが私のせいで傷つく姿を見たくないからね」
そのあまりにも残酷で、決定的な決別の言葉を聞いた瞬間、シロコの瞳の奥がさらに鋭く、そして激怒で冷たく凍りついた
「……それじゃ、校庭のグラウンドに行こっか。あそこなら、思い切り暴れられるでしょ」
ホシノはそう言うと、背負った盾とショットガンをしっかりと持ち直し、感情を消し去った顔で足早に教室を後にし、校舎の出入り口の方へと歩き出す
シロコもまた、一言も発さずにその背中を追うように、ライフルを握りしめたまま歩き始めた
「ど、どうしよう……! どうしたらいいのよ……!」
「わ、私達も行きましょう!」
静まり返った教室に取り残されたセリカとアヤネは、目の前で起きた悪夢のような展開に身体を震わせながらも、咄嗟に自分の武器をしっかりと握りしめた
そして、暗闇のグラウンドへと向かっていく二人の痛ましい背中を、必死の形相で追いかけるのだった
♢
月明かりすら重い雲に覆われた、砂煙が舞う薄暗いアビドス高校の広大な校庭の中央
夜風が寒々と吹き抜けるその場所に、二人は一定の距離を保って対峙していた
校庭の隅には、遅れて駆けつけたセリカとアヤネが息を呑み、固唾をのんで二人の背中を見つめている
これから始まろうとしている不可避の決定的な衝突を前に、ホシノは慣れた手つきで手首や首筋をほぐすように軽くストレッチをこなしていた
その向かい側では、シロコが微動だにせず、透き通った瞳でホシノの立ち振る舞いを観察している
静寂が支配する校庭に、ホシノの低く落ち着いた声がぽつりと響いた
「それじゃあ……始めるけど、本当にいいの、シロコちゃん?」
重苦しい空気のなか、ホシノは試すような視線を向けながら静かに問いかける
「なんでそんなこと聞くの」
シロコはアサルトライフルのグリップを一層強く握り締め、淡々と、しかし隙もない構えを崩さずに答えた
「……この前、別世界から来たもう一人のシロコちゃんと会ったよ」
「!」
シロコの頬が一瞬だけピクリと強張る。ホシノは視線を逸らすことなく、静かに言葉を重ねた
「その時、お願いされて一対一の模擬戦をしたんだけどさ……あの時のもう一人のシロコちゃんは、間違いなく本気だった。死線をいくつも潜り抜けてきた、本物の戦士の目をしてたよ。……でもね、それでもおじさんには勝てなかった」
ホシノの口から漏れたのは、どこか投げやりで、いつもの彼女からは考えられないほど冷酷で嫌味な言い回しだった
こんな言い方をすれば後輩たちが傷つくことくらい、ホシノ自身が一番よく分かっていた
しかし、ここで自分が圧倒的な武力でシロコを力づくでねじ伏せたとしても、この健気で頑固な子たちは絶対に諦めたりしない
それを痛いほど理解しているからこそ、ホシノは自分が二度とこの温かい場所に戻ってこられなくなるまで、徹底的に自分を悪者にし、嫌われ役を演じ通して彼女たちの絆を断ち切る道を選んだのだ
「……いまのシロコちゃんは、あのもう一人のシロコちゃんほどまだ場数を踏んでいないし、圧倒的に絶対的な力だって足りてない。そんな未熟な状態でさ……経験も力も遥かに上である実力者のおじさんに、まさか勝てると思ってるの?」
残酷なまでの実力差の提示。しかし、シロコはその厳しい言葉を受けても、一切動揺することなく迷わずに小さく首を横に振った
「分からない」
「……」
「あの時は、先生が一緒にいて指揮を執ってくれたから、もう一人の私を倒すことができた。もし私一人だったら……戦術的にも戦闘経験的にも圧倒的に上のもう一人の私には、絶対に勝てなかったと思う」
シロコは構えた銃口を、真っ直ぐにホシノの胸元へと向け直す
「だけど……ここでホシノ先輩が『わざと』私たちの前から嫌われようとして、冷たい言葉を吐いて……一人で犠牲になって遠くへ離れていこうとするのを、ただ指をくわえて黙って見送るわけにはいかないから」
「……っ」
ホシノの喉の奥が詰まり、呼吸が一瞬止まる
それ以上、どんな酷い言葉を拒絶として返せばいいのか分からなくなり、ただぐっと歯を食いしばって固く沈黙するしかなかった
自分の一番の理解者であり、一番近くで過ごしてきたシロコには、何もかもがお見通しだったのだ
自分の胸の奥底で渦巻く対策委員会に対する痛烈なほどの深い愛情も、後輩たちを愛おしく思っているからこそ、あえて突き放すような悪役の台詞を吐いていることも……そのすべてが、彼女には筒抜けだった
(困ったな……本当は、こんなことやりたくないんだけどさ……)
ホシノは心の中で自虐的に苦笑する
シロコを諦めさせ、これ以上危険な戦いに踏み込ませないようにするには、言葉ではなく、二度と立ち上がれないほどの圧倒的な力の差を体で教え込むしかなかった
「……行くよ、ホシノ先輩」
シロコが低く放った、冷徹な宣戦布告
その直後、シロコは一切の迷いもなく、引き金を滑らかに絞り込んだ
スパパンッ! と夜気を切り裂く鋭い発射音がグラウンドに響き渡る
「甘いよ!」
弾道を見切っていたホシノは、背中の重厚な巨大盾を素早く前面に構え、火花を散らしながら軽々とその連射を防ぎ切った
盾の陰から一気に脚力を爆発させ、砂塵を巻き上げてシロコとの距離をゼロへと詰める
反撃のショットガンの銃口をシロコの至近距離へと向けようとした、まさにその一瞬——
「!!」
ホシノの勘が、危機感を警告した
反撃に出ようとしたホシノめがけて、シロコが予測していなかった至近距離からのグレネードを、恐ろしい精度と凄まじい勢いで叩き込んできたのだった
いつ、どのタイミングで投げられたのかすら全く分からない
撃ち出された銃弾の甲高い連射音と完璧に同時並行で放たれたとしか思えない、絶妙かつ極めていやらしい位置への投擲だった
(くっ……!)
どんな種類のグレネードか分からない以上、反射的な危機回避行動を取らざるを得ない
ホシノは迫る危機を察知すると、即座に爪先に力を込めて大きなバックステップを踏み、一気に距離をとろうと身を引いた
その数秒後、夜の静寂を引き裂くような派手な爆発音と共に、瞬く間に膨れ上がった大量の白煙が周囲の視界を完全に奪い去っていく
(スモークグレネード……!!)
みるみるうちに辺りは濃密な煙に包み込まれ、一メートル先すら見通せない極限の遮蔽空間へと変貌した
シロコもまた、その発生した煙の波の中に巧みに身を紛れ込ませ、自身の足音も呼吸音すらも綺麗に消し去っていた
ホシノは背負っていた重厚な盾とショットガンを隙なく構え直し、鋭い眼光で周囲の白い闇を警戒しながら慎重に見渡す
(……おかしい。このシロコちゃんの戦い方は……いつものやり方と明らかに違う)
いつものシロコであれば、無駄な駆け引きや絡め手は使わず、アサルトライフルを連射しながら真っ直ぐに直線的に距離を詰め、得意の近接戦闘へと強引に持ち込むはずだ
それなのに今回は違った
序盤に数発だけ牽制の銃弾を浴びせた後は、すぐに煙幕の中に身を隠し、徹底的にこちらの出方を伺いながら優位を維持する、計算し尽くされたヒット&アウェイの戦術をとっている
(……まるで……別の人と戦ってるみたいだ)
ホシノが思考を巡らせながら警戒を強めていると、右側の濃い煙の向こう側が、わずかにゆらりと揺らめいた
「!!」
反射的に、ホシノは脊髄反射のようにその方向へと銃口を向け、容赦なく引き金を引いて大口径の散弾を撃ち込む
激しい銃音が暗闇に響き渡ったが、手応えはない
(当たって……いない……!?)
乾いた銃声の残響が消えかけた直後、地面にカタン、と何かが軽やかな金属音を立てて転がる音が聞こえた
(まさか……今の音、空マガジン……!? つまり、私の注意を引くためのフェイク……!)
ホシノがそうハッと気づき、息を呑んだまさにその瞬間だった
「ぐっ……!?」
背後から、完全な無音の気配のまま文字通り飛んできたかのような、重く強烈な蹴りが右脇腹に突き刺さる
凄まじい衝撃と激痛に体勢を崩し、ホシノは前のめりに砂塵へと弾き飛ばされた
慌てて体勢を立て直そうとするも、先ほどまでの不気味な静けさとは一変し、暗闇のあちこちから視認不可能な位置で容赦なく高速の弾丸が次々と撃ち込まれてくる
ホシノは身を翻すようにして、必死の回避機動と盾による防御を強いられた
(や、やりづらい……ッ!!)
辺りがすでに完全な夜の闇に包まれていることに加え、無風状態のグラウンドのせいで一度発生したスモークの煙が一向に散らず、その場に重く停滞して最悪の視界不良を引き起こしている
その極限の悪条件を完璧に利用し、見事なまでの無音の気配隠しによって、シロコは着実にホシノの体力を削り、ダメージを蓄積させていく
正直に言って、ここまで苦戦させられるとは微塵も思っていなかった
これまでの数々の模擬戦の経験、そして先日のもう一人のシロコとの激闘を制したという自負から、ホシノの心のどこかに「今回の勝負も、すぐに終わらせられるはずだ」という油断がわずかにあったことは否定できない
しかし、今目の前にいる後輩は、今まで知っていた「守られる対象としてのシロコ」ではなかった
「ホシノ先輩、隙だらけだよ……っ!!」
「ぐっ……!!」
濃い煙の切れ目からまるで幻影のように忍び寄り、ホシノの防御の懐へと一気に潜り込んだシロコの爪先が、盾の隙間を完璧に縫ってホシノの顎へと綺麗に直撃した
衝撃で首が弾かれ、視界がグラリと揺れる
「はぁ、はぁ……シロコちゃん……さっきからの動き、いつもの模擬戦の時とはキレが全く違うね……。もしかして、今までのおじさんとの訓練では、ずっと手でも抜いてたわけ?」
激しい息を吐き出しながら、ホシノはジンジンと熱く痺れる顎を片手で押さえ、ようやく風が吹いて綺麗に晴れてきた煙の向こうに立つシロコの鋭い瞳を睨み据える
「手なんか抜いてない、ずっと本気だった。でも……ホシノ先輩のこれまでの戦闘中の動きや癖は、ずっと徹底的に研究して頭に叩き込んでた。だから、私の攻撃が当たってるだけ」
「私の動きを……研究した、だって?」
「私はホシノ先輩ほど怪力やタフさはないから、地面に盾を叩きつけて派手な爆風を起こしたりはできない……けど、先輩の隙をついて攻略する方法なら、この2年間でいくらでも思いついた」
「っ!」
シロコが再び地を蹴って鋭く走り出し、アサルトライフルから途切れない精密な弾幕を浴びせてくる
ホシノが慌てて盾を前面に構えてその猛撃を防いだ瞬間、先ほどの銃弾とは明らかに異なる、ずっしりと重たい物理的な圧力が盾越しにガツンと伝わってきた
(っ……!? なに……この重さ……っ、って、え……!? 居ない……っ!?)
ホシノがその異常な圧力を弾き返そうと身構え、すぐさま反撃の銃口を向けようとしたが、目の前にいるはずのシロコの姿が、陽炎のように忽然と消え失せていた
「上だよ」
「!!」
頭上から降ってきたシロコの澄んだ声にハッとして見上げると、いつの間にか夜空へと展開されていたドローンの機体に片手で飛び乗るように掴まり、まるで獲物を狙う猛禽類のような瞳でこちらを見下ろしているシロコと目が合った
「遅いよ、先輩」
「が……っ!?」
ホシノが咄嗟に迎撃しようと両手を動かすより早く、シロコは掴まっていたドローンから勢いよく手を放し、その落下する重力と体重のすべてを乗せた強烈な勢いのまま、ホシノの脳天めがけて力いっぱいのかかと落としを叩き込んだ
衝撃音がグラウンドに響き渡り、土煙が大きく舞い上がる
「し、シロコ先輩って……あんなに強い人だったの……!?」
校庭の隅で、激しく激突する二人の背中を見つめながら、セリカは信じられないものを見るような目で青ざめ、ポツリと呟いた。
日頃の模擬戦で4人がかりでホシノと対戦していた時にも、年上の二人(ノノミとシロコ)が自分たちより遥かに鍛え上げられていて強いことは十分に自覚していた
しかし、いま目の前で繰り広げられている勝負の中のシロコは、日頃の模擬戦の彼女とは完全に別次元の強さを見せ、あのアビドス最強のホシノを相手に互角以上に追い詰め、傷を負わせているのだ
「……銃撃戦や戦術というよりは、もはや……相手を倒すためだけに特化した、喧嘩ですね、あれは……」
アヤネもまた、自分の眼鏡の位置を直すことすら忘れ、目の前で繰り広げられる圧倒的な攻防から、一瞬たりとも目を離すことができなかった
「……やるね、シロコちゃん。おじさん、ちょっと見直しちゃったよ」
ホシノは荒い息を吐きながら小さく自嘲気味に笑い、額の生え際から切れ落ち、視界を赤く染めかけていた一筋の血を、手の甲で乱暴に拭い去った
今の一撃はあまりにも見事で、文句のつけようがない完璧なタイミングのかかと落としだ
これまで何度もシロコと模擬戦や実戦を重ねてきたが、そのどの記憶とも違う、明確で決定的な大ダメージが全身の骨と肉の芯に響いている
今回のシロコの戦い方は、文字通り「一人で今のホシノを倒すため」だけに徹底的に組み上げられ、血の滲むような思考で研究し尽くされたものだった
ホシノからの重い一撃や近接の反撃を紙一重でスマートに回避しながら、自慢の得意な近接戦闘へと安全に持ち込むための、洗練された見事な戦術
先日戦った「もう一人のシロコ」とはまた違う、このアビドスの厳しい環境の中で真っ直ぐに泥臭く積み上げてきた、シロコ自身の確かな成長と覚悟の証
ホシノはそれを痛いほど肌で感じ取り、全身の痛みの裏側で、胸の奥が熱くなるような誇らしさと愛おしさを覚えていたのだった
「……」
しかし、シロコはその絶賛の言葉を一切の表情を変えずに無言で受け流すと、すぐさま手元から新たなスモークグレネードを取り出し、隙を突くようにホシノの足元めがけて鋭く投げつけた
(またさっきの煙幕の戦術……! あんなかかとおとしレベルの危険な威力の近接を何回もまともに浴びたら、流石のおじさんだってもたない……だけど!)
ホシノは盾を重厚な音を立てて前方に力強く構え直すと、爆煙が完全に辺りを覆い尽くしてしまうよりも早く、自ら地面を強く蹴って前方へと突進した
「!!」
目の前でスモークの球体が派手に爆発して煙を巻き上げた瞬間、ホシノは強靭な腕力で盾を横方向へ思い切り薙ぎ払うように振るい、立ち込めかけた濃い煙を力ずくで強引に吹き飛ばして視界を力強く確保する
「同じ手が二度も通用するおじさんだと思わないことだね!」
目を大きく見開いて驚愕の色を浮かべるシロコの隙を逃さず、ホシノは一切の容赦なく猛然と畳みかけた
「っ……!!」
ショットガンの引き金を容赦なく引き絞り、そのあまりの至近距離での衝撃と射撃にわずかに反応が遅れたシロコの腹部へと、連続して弾丸の威力を叩き込む
そして間髪入れずに追撃するように、今度は己の身の丈ほどもある重い盾を大振りで叩きつけた
ガァン!!
惨烈な打撃音が夜のグラウンドに響き渡る
先ほどまで圧倒されていた展開が嘘のように、シロコの細かな回避の癖や狙いを完全に先読みし、ホシノの放つすべての攻撃が正確無比にシロコを捉えていく
シロコが死力を尽くして組み立てた先ほどの戦術も、ホシノを倒すためだけに急拵えで練り上げた、まだ練習の浅い付け焼き刃の作戦に過ぎなかったのだろう
一度その計算と距離感を力ずくで崩されてしまっては、反撃の糸口すら掴めずに一方的に打ち据えられるしかなかった
(ごめん……ごめんね……シロコちゃん……っ)
シロコの体に盾が衝突し、ショットガンの衝撃が走り、容赦のない蹴りが突き刺さるその一瞬一瞬、ホシノの心の中では痛切な謝罪の言葉が渦巻いていた
守りたいはずの愛しい後輩を、そのシロコを危険から遠ざけて守るために、己の手で容赦なく叩きのめす
一発一発の攻撃がシロコの身体に命中する度に、これまで彼女たちと過ごしてきたかけがえのない温かな日常の思い出が走馬灯のように脳裏を駆け巡り、激痛に歪みそうになる己の顔を必死に押し殺すだけで手一杯だった
砂塵のなかでフラフラと倒れかけながらも、必死に脚に力を入れて立ち上がろうとするシロコ
ホシノは瞳からすべての感情を消し去り、決着の一撃を繰り出すために全身のバネを極限まで絞り上げた
「おしまい、だよ……!」
「がは……っ!?」
全身の体重と背筋のバネを利かせた盾の力強い突き出しがシロコの胸元を真っ直ぐに直撃し、彼女の体躯がたまらず後方へと大きく吹き飛ばされた
激しい音を立てて地面を転がり、動かなくなるシロコ
勝敗の行方は、もはや誰も疑う余地がないほど完全に決していた
「さてと……それじゃあ約束通り、おじさんは一人で行くよ」
胸を引き裂かれるような内情を悟られないよう、どこまでも冷たく突き放すような声でそう告げると、ホシノは『重くなった』盾を再び肩に担ぎ直し、一切振り返ることなく静かに校舎の方へ歩き出そうとした
まさに、その瞬間だった
「ま……っ……て……」
背後の冷たく硬いアスファルトの上から、シャリッ、と痛々しく掠れた小さな足音が響く
ホシノはハッと息を呑み、金縛りに遭ったかのように足を止めると、慌てて後ろを振り返った
そこには、全身が傷と煤にまみれ、ただ立っていることすら奇跡のような状態のはずのシロコが、それでもなお狂気的なまでの執念だけでフラフラと、膝を震わせながら立ち上がっていた
「……シロコちゃん、君は本当に強い子だよ……いつの日か、本当におじさんを追い越せるかもしれない……だけど、それは今じゃないんだ。だから、ここで大人しく眠っていてくれると助かるんだけどなぁ」
「……いかな…いで……先輩……っ」
「シロコ先輩っ!」
限界を迎えて膝から崩れ落ちそうになったフラフラのシロコの元へと、悲鳴のような声を上げてセリカとアヤネが血相を変えて駆け寄り、両側からその細く折れてしまいそうな肩をしっかりと支え起こす
「……ごめんね、シロコちゃん。おじさんは、もう行くしかないんだ」
「……離れたくない……先輩は……私の……命の恩人で……世界でいちばん……大好きな人だから……っ」
声を途切れさせ、血の混じった息を絞り出すように放たれたシロコの震えた一言を聞いた瞬間、ホシノの肩と、重い盾を握りしめていた指先が激しく震えた
これ以上拳を交えれば、シロコは痛みに耐えかねて、あるいは体力の限界を迎えてそのまま完全に意識を失うだろう
だが、このまま中途半端な情を残したまま別れてしまえば、シロコは目を覚ましたその瞬間に、また執念だけで血を流しながら自分を追いかけてきてしまう
これ以上、この子たちを大人たちの汚い争いや死線に巻き込まないために。ここで完全に自分を嫌わせ、心の底から絶望させなければならない
ホシノは痛む唇を血が滲むほど強く噛み締めると、これまで誰にも明かさず、墓場まで持っていくはずだった「一番残酷で惨酷な嘘」を、その口から吐き出す決意を固めた
「……ノノミちゃんはね、私の昔の秘密を知っているんだよ」
感情を削ぎ落としたホシノの唐突な言葉に、セリカとアヤネの動作がピタリと止まる
「……秘密……って、なによ急に……こんな時に……!」
「……前に、この学校にはもう一人の3人目の生徒会役員がいたって話したよね? その子のことだよ」
「な、なんで今そんな昔の奴の話を持ち出す訳よ! 関係ないでしょ!?」
ホシノの真意が全く読めず、セリカは焦り、そして怒りがぐちゃぐちゃに混ざり合った声を荒げる
「……その子は、人間じゃないんだ。ただの、小さな子犬だったんだよ」
「えっ……こ、子犬……? どういうことですか……?」
アヤネの困惑した声がグラウンドに小さく響く
「うん、真っ白で無邪気にアビドスの砂漠を走り回って、おじさんやユメ先輩にたくさん甘えてくれてさ……それでいてとっても賢くて……綺麗な銀色の毛並みと、澄んだ水色の瞳を持つ、可愛い1歳の女の子だったんだ」
「そ、それをどうして今ここで……そんな昔話を話すんですか……!?」
アヤネがただならぬ冷たい気配を察知し、青ざめた表情でホシノの顔を見つめる
(言うな……ここで言ったら、シロコちゃんに取り返しのつかない心の傷を負わせることになる……! 言うな、だめだ……やめろ……っ!)
覚悟を決めたはずなのに、己の心臓が耳元でうるさく早鐘を打ち、全身の血液が逆流するような感覚に苛まれる
それでもホシノは必死に悲鳴を上げそうになる表情を押し殺し、冷酷な仮面を強く貼り付けて言葉を紡ぎ続けた
「……その子の名前はね……『白い子』と書いて、しろこ……つまり、今ここにいる君と、全く同じ名前なんだよ」
「っ……!!」
両脇を支えられながら力なくうつむいていたシロコの瞳が、信じられないものを見るように大きく見開かれる
「ようやく、気づいちゃったかな? おじさんはあの時、大切な白子を失って……ユメ先輩もずっと目を覚ましてくれなくて……ヒナちゃんとも喧嘩別れになってしまった。そんな絶望のどん底の中で、全く同じ『シロコ』という名前を持つ君が、目の前に現れたんだ」
「そ、それって……つまり、先輩は……っ」
シロコは涙と痛みに霞む目を必死にこじ開け、目の前に立つ冷たい目をしたホシノを凝視した
「……私はね、シロコちゃんのことを、一度だって本当の意味で愛したことなんてないよ。君のことはただの……失ったあの子の穴埋めをするための『代わり』の身代わりとしてしか、最初から見てなかったんだ」
「っ――――――――――――!!!!!」
言葉にならない衝撃が、夜のグラウンドを吹き抜ける
「し、シロコ先輩っ……!? しっかりしてください、シロコ先輩っ!!」
ホシノの口から吐き出されたあまりにも残酷な拒絶の言葉を耳にした瞬間、シロコは息を呑む音すら立てられず、見開いたままの瞳を一瞬だけ大きく揺らしたあと、そのまま糸が切れた人形のようにガクリと頭を垂れ、崩れ落ちるように完全に意識を失ったのだった
「……こんな最低な秘密を、ノノミちゃんは全部知りながらも……それでもずっと、私を優しく手手助けしてくれてたんだ。だから……そんな優しい子たちに、これ以上、これ以上悲しい思いなんてさせるわけにはいかないんだよ」
シロコが完全に意識を失い、その小さな体からすべての力が抜けてセリカとアヤネに身を預けるように沈み込むのを確実に見届けると、ホシノは再び自分の装備を整えるため、決然とした無機質な足取りで校舎の方向へ向かって歩き始めた
「待ってください、ホシノ先輩」
低く、しかし内に秘めた感情のすべてを苛烈なまでに押し殺したようなアヤネの冷たい声が、夜の静まり返ったグラウンドに鋭く響き渡る
それに重なるように、頭上からは空間を重く振動させる凄まじいプロペラの風切り音が幾重にも轟き、ホシノは思わず足を止め、ゆっくりと背後を振り返った
そこには、気絶してピクリとも動かないシロコをそっと冷たい地面に寝かせるように降ろし、鬼気迫る表情でこちらを真正面から射抜くように睨みつけるアヤネとセリカの姿があった
そして、その二人のさらに後ろの夜空には、重々しい金属音と威圧感を放つ『雨雲号』が、『4台』も隙のない見事な戦術編隊を組んで重々しくホバリングしていた。
「何故……いまの、シロコ先輩にあんなトドメを刺すような事を言ったんですか……! シロコ先輩がどれだけホシノ先輩のことを大切に思って、心の底から慕っていたのかは、私たちだってこの短い付き合いの中で痛いほど分かります! ……これでは前の、間違っていた頃の先輩と何一つ変わりません……いいえ、それ以上に最低のやり方です……!」
アヤネの震える声には、普段の理知的で冷静な彼女からは到底想像もつかないほどの、激しい怒りと憤ろしい悲しみが籠っていた
いつもなら真っ先に感情を爆発させて大声で怒鳴り散らすはずのセリカが、言葉を完全に失って息を呑んでいることからも、アヤネのその怒りがどれほど正当で、そして今のホシノの発言が人として許されざる一線を越えたものだったかを痛烈に物語っていた
「……いつの間に……雨雲号を、こんなに……」
ホシノは額から流れ落ちる血を拭う手を途中でとめ、わずかに目を見開いて驚愕の表情を隠せなかった
アヤネがこれまでの忙しい日々の合間に少しずつ雨雲号の調整を行い、機体を増やしていることは知っていた
しかし、少し前の模擬戦の段階では「同時に遠隔操作できるのは最大でも3台が私の限界で、これ以上の増産や同時運用は処理が追いつかず制御しきれない」とアヤネ自身が言っていたはずだった
それが今、目の前でアヤネは自身のキャパシティを限界まで突破し、同時に4台もの雨雲号を寸分の狂いもなく完璧に制御していた
そして、そのすべての機体に搭載された大砲と機関銃の凄まじい銃口を、他でもない先輩であるホシノ自身へと向けさせていたのだ
「先輩の事ですから……どうせまだ、私やセリカちゃんに隠してることがあるんですよね!? シロコ先輩に今の酷い言葉を今すぐ撤回して謝罪して、その本当の真意を、私たちに隠さず話してください!」
「……ごめんね、アヤネちゃん……」
ホシノはゆっくりと悲痛に目を閉じ、絞り出すようなかすれた声でアヤネに謝罪の言葉を零すと、盾を再び前方へ力強く展開し、冷たくショットガンを構え直した
「今私が言った言葉に……嘘なんかない。これ以上の真実なんて、どこにもないんだよ」
◇
冷たい夜が明けかけ、水平線の彼方から薄っすらと蒼から朱へと移り変わる朝焼けの光が差し込む頃
ホシノはたった一人で、広大なアビドス砂漠地帯の街道をひた走っていた
その身体にはガッチリとした高密度の戦闘用アーマーを着込み、普段は無造作に下ろしている桃色の長い髪を、激しい運動の邪魔にならないようにしっかりと頭の後ろで一つに結い上げている
それは、彼女がまだ一年生だった頃――いつでも、いかなる時でも死地へと飛び出せるようにと己に呪いのような誓いを立て、過酷な臨戦態勢の意味を込めて常に身に纏っていた戦術装備。そして、シロコと出会い、平穏で温かな日常を知ってからはずっと心の奥底に封印していた過去の戦闘服だった
アヤネとセリカの執念の猛攻を正面から打ち破り、そして決死の覚悟で立ちはだかった4機の雨雲号を力ずくで破壊したあと、静まり返った生徒会室へと戻り、着替えてきたのだ
(……っ)
荒い呼吸を繰り返しながら走るホシノの脳裏では、これまで対策委員会のみんなと過ごしたかけがえのない温かな思い出が、止めどなく次々と駆け巡っていく
時には生きることに疲れ果て、屋上で横たわる自分の頭を、何も言わずに陽だまりのような温もりで優しく撫でてくれ、自分の無謀な無茶を本気で叱ってくれたノノミの優しい笑顔
放課後の教室でいつの間にかウトウトと眠りこけていた自分に、普段は小言を吐きながらも、そっと自分の制服を優しく上からかけてくれたセリカの不器用で温かい愛しさ
面倒なすべての事務仕事を任せきりにしてしまっていつも困らせていたけれど、一日の終わりには必ず最後には「お疲れ様です」と頼もしく笑ってくれたアヤネの真面目な姿
そして――
(ごめんね……ごめんね、シロコちゃん……)
本当は、あの子のことを過去の「代わり」だなんて思ったことなど、一度たりともなかった
失意のどん底の暗闇の中で一人立ち尽くし、生きる意味を見失っていた自分を、あのドタバタとした愛おしい日常の中で何度も心から楽しそうに笑わせ、再び生きる希望と明日へと歩む光をくれたのは、まぎれもなくシロコだったのだから
(最後の目……痛いくらい、よく分かるよ……)
意識を手放す寸前のシロコが浮かべた瞳の奥の色
あの日、白子やユメ、そしてヒナが自分の前からいなくなってしまった時、絶望に染まりきった自分が鏡の中で見た、自分自身の瞳と全く同じ色をしていた。
心が完全にへし折れ、世界のすべてを失った人間の絶望の目
そこまで徹底的に拒絶してその心を抉らなければ、頑固なシロコは絶対に血を流しながらでも自分を追いかけてきてしまう
分かっている。分かっているのに、自分で自分の吐いた毒のような言葉が、何よりも一番己の胸を鋭利なナイフでえぐるように痛く、苦しかった
『いつか私が大人になって……後輩ができたら、その時はちゃーんと守ってあげてね♪』
ユメの優しかったあの日の陽射しのような声が、頭のなかで何度も、何度も深く反響する
たとえ今は深く傷つけて、絶望させたとしても……この命さえ無事に繋ぎ止めておけば、人間はいつか必ず立ち直ることができるから
(……ユメ先輩……あなたが誰よりも愛したこの学校も、私たちが笑い合ったこの大切な場所も、私が絶対に一人で守り抜くからね。だから……どうか、死なないで……絶対に、目を覚まして……!)
まだ、最悪の結末を迎えるまでの猶予時間は僅かに残されている
自分がここで全軍の足止めをして時間を稼ぎ、やがて目を覚ました時、きっとシロコたちのことも、そして後輩たち全員のことも、あのユメの持つ底なしの優しさがすべてを包み込み、救い取ってくれるはずだ
かつて荒みきっていた自分が、自分から生徒会に入りたいと思ってしまうほどに、ユメの温もりに救われたように
「なんだあいつ……? あんな朝っぱらの砂漠の真っ只中を、一人で突っ走ってきてるぞ」
「おい! 見ろよ、あれ……アビドスの『ホルス』じゃねぇのか!?」
ふと顔を上げたホシノの視線の先
朝靄が煙る街道の地平線を完全に覆い尽くすほどの、数え切れないほどの敵対組織の兵士たち、重装甲戦闘車、そして雇われた民間の傭兵たちの群れがごった返していた。
(やっぱり……大人たちは私たちが総会にたどり着くのを力ずくで邪魔しに来るんだね)
胸の奥で渦巻いていた感傷の痛みを無理やり意識の外へ振り払い、ホシノの瞳の奥に、二度と揺らぐことのない決意の光が宿る
「そこまでだ、動くなアビドスの生徒!!」
先頭に立っていた傭兵の隊長の怒鳴り声と同時に、一斉にこちらに向けて無数の黒々とした銃口と砲身が向けられる
――これ以上、私の大切な場所と未来を邪魔するというのなら
「……全員まとめて、ここで叩き潰すだけだ」