泣きじゃくり、まるで子どものように感情を爆発させていたホシノがようやく落ち着きを取り戻し、真っ赤になった目を手袋でゴシゴシとこすりながら姿勢を正したのは、シャーレでの緊急の事務処理や関係各所への連絡を驚異的なスピードで片付け、息を切らせながら急いでアビドス校舎へと駆けつけてきた先生の姿がエントランスに見えた、ちょうど穏やかな昼下がり――時計の針が午後を少し回った頃のことだった
「わぁーっ! あなたがホシノちゃんがいつもお話してくれていた『先生』だね! ホシノちゃんからはいろんな話をたくさん聞いてたけど、実際に会ってみると本当に優しそうな人柄が滲み出ているね♪ うんうん、ホシノちゃんが信じる人って感じ!」
「わっ、ちょ、ちょっと待ってユメ先輩!? 私がいつ先生のそんな恥ずかしい話をそんなにしたっていうんですか……!?」
車椅子に腰掛けたまま、興味津々といった様子でじーっと先生の顔を凝視しながら明るい声を上げるユメに対し、ホシノは先ほどまでの感動の涙が嘘のように引っ込み、今度は顔全体を真っ赤に染め上げて必死に抗議の声を上げた
あの不思議な精神世界で、病室のベッドで眠りについている間も、ホシノが語りかけた日常の出来事や弱音の数々は、すべてユメへと届いていた――そう本人から聞いていたものの、まさかここまで細かく、しかも赤裸々な内容まで鮮明に記憶されていた上に、よりによって本人の前で次々と暴露されていくとは夢にも思わなかった
自分の秘密の日記を大声で音読されているかのような耐えがたい羞恥心に、ホシノは頭から湯気が出そうなほど恥ずかしがりながらバタバタと身悶えする
そんなホシノの慌てふためく様子を面白そうに眺めながら、先生はどこか気まずそうに、けれど胸の奥が温かくなるような苦笑いを浮かべて小さく会釈した
「ねえ、ユメ先輩! 私たちのことは何か聞いてる!? 私の活躍とか、ちゃんと耳に入ってるわよね!?」
「わ、私もすごく気になります……! 私たちのエピソードも、何かお聞き及びで……!?」
セリカとアヤネが、自分のこととなると途端に食い気味に身を乗り出し、目を輝かせながらユメの両脇へと詰め寄る
ユメは元気な後輩たちの勢いに少し圧倒されつつも、嬉しそうに苦笑いを浮かべた
「えーっとね、確か……黒見アヤネちゃんと、奥空セリカちゃん……だったかな?」
「苗字が逆よ! 私は奥空じゃなくて黒見セリカ!」
「私は奥空アヤネです! 2人ともごちゃ混ぜになってます!」
「あっ、ご、ごめんねふたりとも! 名前の響きはちゃんと覚えてたんだけど、ホシノちゃん普段は下の名前しか言わないからど忘れしちゃって……!」
両手を合わせて謝罪のポーズをとるユメのマイペースぶりは相変わらず健在で、さっきまでの重苦しくシリアスだった空気は綺麗さっぱりどこかへ吹き飛んでいた
「えーっと、それじゃあ仕切り直して、まずはセリカちゃんから……」
「い、言わなくていいですって! これ以上先輩の口から私の黒歴史を喋られたらたまったもんじゃないわ!」
「もがもがもがーっ!」
これ以上プライベートな秘密を面白おかしく暴露されまいと、ホシノは慌てて飛びつくと、ユメの口を両手で必死に塞いでシャットアウトしようとした
しかし、その必死な抵抗もむなしく、周囲のメンバーは容赦しない
「ん、ホシノ先輩。これくらいのバツは喜んで受けるべき」
「そうですよ、先輩がどれだけ今までみんなを心配させたか、ここでたっぷり先輩の恥ずかしいエピソードをバラしてもらいましょう♪」
「の、ノノミちゃん!? シロコちゃんまで何言って……っ!?」
ユメの口を塞いでいるホシノの両脇に、いつの間にか音もなくスッとノノミとシロコが回り込む
そして、ホシノの両手をそれぞれ片方ずつガッチリと掴み、逃げられないように完璧に固定した
この2人の表情をよく見れば、目はまったく笑っておらず、どこか生き生きとした底知れぬ圧を放っている
きっと、ホシノが一人で抱え込み、無茶を繰り返していた間の心配や苦労を、今この瞬間に形を変えてたっぷりと回収してやろうという魂胆なのだろう
「ひ、ヒナちゃん助けて! おじさんの名誉と尊厳が今まさに死にかけてるんだけど……っ!」
暴れようにも両側の強力なホールドから抜け出せず、すがるような目で近くに立っているヒナに必死に救援を求めるホシノ
しかし――
「ふふ。ホシノ、貴方はたまにはこうやって後輩たちに思いっきりしっぺ返しを食らった方がいいわ。……これだけ賑やかで平和な日常が戻ってきたんだもの、これも一つの良い薬よ」
「鬼だ……! ゲヘナの風紀委員長は血も涙もない悪魔だぁ――っ!」
普段は絶対に見せないような、どこか楽しげですらある満面の笑みをホシノに向けながらバッサリと切り捨てるヒナ
どうやらこの場に、ホシノの味方をしてくれる人間は一人も存在しないらしい
「あっ、そういえばシロコちゃん!」
「ん? なに?」
不意に自分の名前を呼ばれたシロコが、キョトンとした顔で首を傾げる
そんなシロコに向かって、ユメは先ほどまでのセリカをいじっていたいたずらっぽい笑みを引込め、ニコニコと慈愛に満ちたあたたかな笑顔を向けながら、何も言わずに手招きして近くへ来るように促した
「ほら、こっちへいらっしゃいシロコちゃん」
「……?」
少し戸惑いながらもユメの車椅子の前までトコトコと歩み寄ったシロコに対し、ユメは突然、両手を大きく広げてその華奢な体を思いっきり力強く抱きしめた
「んんっ……!?」
「わーっ! すごい! ホシノちゃんが言ってた通りだ、シロコちゃんの抱き心地って本当にモチモチしてて最高だねー……! やっと生で体験できたよー!」
「んーっ! むーっ! 息が、息ができ……ない……っ!」
満面の笑みを浮かべたまま、シロコを文字通り自分の豊満な胸元へとすっぽりと抱え込むユメ
しかし、そのあまりの密着度と、ユメ自身の豊かな胸のボリュームに顔全体を完全に埋め尽くされてしまったシロコは、窒息寸前の状態でパタパタとユメの肩を弱々しく叩いてギブアップのサインを送り始めた
「うわぁ……あれ、もしかしてユメ先輩って、ノノミ先輩のよりも……いや、なんでもないわよ!?」
「ちょ、セリカちゃん! そんな大声で不穏な比較を口に出したら……!」
「……♪」
「ひっ……!?」
呆れたようにボソッと呟いたセリカの言葉を遮るように、ノノミが意味深な微笑みを浮かべる
その顔には、かつてカイザーの理事との交渉時や、ヒナとの一連のいざこざを隠し通そうとしたホシノを詰問した時と同じ、底冷えするような『黒い笑顔』が貼り付いていた
あの笑顔を向けられたが最後、ホシノは絶対に逆らうことができないというトラウマを完全に植え付けられており、今やノノミのその表情を見ただけで背筋が凍りつく思いだった
「シロコちゃーん? 私の方が大きいですよね? ね?」
「ノノミちゃん、だよね……? なんだかお顔が怖いなー……」
「はいっ♪ ユメ先輩が長い間眠っていらっしゃる間、私がこのアビドスでホシノちゃんやシロコちゃんのお母さん……じゃなくて、お姉ちゃんの代わりをずっと務めさせてもらったんですもの♪」
「……ちょっと待って、そのお話、後ですごく詳しく聞かせてもらいタイナァー? ホシノちゃんにとっての本当のお姉ちゃんポジションは、ずーっとこの私なんだけどなぁー!?」
「っーー!?? 」
(シロコちゃんには申し訳ないけど……おじさんが間に入ってなくて本当に良かった……)
ノノミのプレッシャー満載の笑顔と、ユメの放つ『ホシノのお姉ちゃん』の座を巡る謎の対抗心が真っ向から激突し、その中心に挟まれたシロコは逃げ場を完全に失ってしまった
はじめのうちはジタバタと元気よく足をバタつかせて暴れていたものの、強力な二人の挟み撃ちに遭ったシロコは、やがてピクピクと小さく痙攣したように震え出し、ついにガクッと力を抜いて微動だにしなくなってしまった
「ふ、二人ともストップ! ストップだってば! シロコ先輩が本当に気絶しちゃうから離れてあげて!」
「そ、そうですよ! 二人ともシロコ先輩から離れて……って、ノノミ先輩、腕力強すぎませんか……!? 二人で引っ張ってもビクともしないんですが!?」
「っ……ノノミ先輩、普段おっとりしてるのにどうしてそんなに怪力なのよ!?」
ようやく事態の危険性を察知した先生が慌てて制止の声を上げ、セリカとアヤネが総出でノノミを後ろから引き剥がそうと必死に奮闘する
「きゅう……」
「あーあ……シロコちゃん、すっかり『伸びちゃってる』よ」
「大丈夫大丈夫、心配いらないって! だって、ちょうど頼れる『先生』もこうしていることだしね♪」
気絶して床に転がったシロコのお腹を、ホシノがトントンと指先で軽く突きながら呆れたように呟く
その和やかな光景を眺めながら、ユメはニコニコと満足げな笑みを浮かべ、ふと傍らに控えていた自分の主治医の方を振り返った
「ねえドクター、今のこのシロコちゃんの状態、医学的にはどう診断するの?」
「……一応、現役の医師としての専門的な見解を述べさせていただきますと……『過剰な豊満さによる物理的な胸の圧迫、およびそれに伴う一時的な脳の酸素欠乏』ですね。……私としても、一度くらいはあのように盛大に圧迫されてみたいものですが」
「見たら分かるわよ! ていうか、最後の願望がダダ漏れになってるんですけど!?」
「うらやましい限りです」
「先生まで便乗して真面目な顔して何言ってるのよ!?」
主治医の淡々とした冷静すぎる診断と、それに乗っかるようにボソッと本音を漏らした先生に対して、セリカが鋭いツッコミのチョップを空中でバシッと炸裂させる
その横で、アヤネや主治医自身も冷ややかな視線を先生に向けて一斉に白い目を送っていた
「じょ、冗談だからね!? 誤解しないでくれ、今の発言はあくまでただのジョークだから!」
「先生、もういいですから……ついでに、その頭のネジを治すお薬でも処方してもらいましょうか」
「あいにく、そちらの重症な不治の病に効く特効薬は私の専門外ですね」
慌てて両手をブンブンと振って必死に弁解する先生に対し、アヤネと主治医の容赦なく冷徹な一言が容赦なく突き刺さる
その賑やかで、どこかシュールですらあるやり取りを眺めながら、ホシノはふっと肩の力を抜き、胸の奥底から込み上げてくる温かな波に身を委ねた
(……この主治医、さっきはしれっと『自分もされたい』なんて言ってたのに、シレッと先生を刺す側に回ってる……もしかして、先生よりずっと人生経験豊富だったりする?)
心の中でクスリと小さく悪態をつきながらも、ホシノの頬には自然と柔らかく、今日一番の幸せな笑みが広がっていた
かつては冷たい砂埃と終わりのない絶望しかなかったはずのこの古い教室が、今はかけがえのない仲間たちの笑い声と、絶対に失いたくない温もりで満たされている
もうこれ以上、何も言うまい――
ホシノは深く息を吸い込むと、騒がしくも愛おしい日常の真ん中で、ただ静かに、そして誇らしく目を細めるのだった
長いドタバタの末、ノノミやユメもようやく落ち着きを取り戻し、対策委員会の面々、ヒナ、そして先生と主治医の全員が室内にある椅子へと腰を下ろした
室内に漂っていた緊張の糸はすでに心地よくほどけ、どこか温かい安堵の空気が満ちている
しかし、いつまでもその余韻だけに浸っているわけにはいかない
本当に解決しなければならない重要な謎と、確かめなければならない真実がまだ残されていたのだから
「――それで、ユメ先輩」
ホシノは両手を膝の上できゅっと組み、真剣な眼差しで車椅子に座るユメを見据えた
先ほどまでの、懐かしい再会に心が揺さぶられていた甘い時間も大切だったが、今はこの胸につかえている疑問をはっきりとさせておかなければならなかった
「私達は、もう1人のシロコちゃんから……その、あの空が赤く染まった異変の間に、ユメ先輩が死んでしまったって聞いたんだけど……」
「もう1人のシロコちゃん? ……ああっ! 確か、こことは違う別の世界からやってきたあの子だよね?」
「はい。今はみんなから『クロコちゃん』って呼ばれてるんですけど、色々と複雑な経緯があって……」
大方の事情は、ホシノが長い昏睡状態の病室でユメに語り続けていた独り言や思い出話のおかげでユメ自身も理解していたため、ホシノはクロコに関する説明を簡潔にまとめることができた
「なるほどね……。それで、どうしてその時、アビドスの空はそんな風に真っ赤に染まっちゃったのかな?」
「……あー……ええと、その、いわゆる……超常現象、ですかね……?」
「………」
しかし、空が血のように赤く染まり、異形の脅威が顕現したその根本的な理由や、自らが背負った過酷な戦いの詳細についてまでペラペラと説明するのは、さすがに気恥ずかしさと申し訳なさが勝ってしまい、ホシノはどうしても言葉を濁してしまう
その歯切れの悪い態度を鋭く見抜いたセリカ、シロコ、そしてヒナの三人から、『原因の大部分はホシノ(先輩)でもあるんだけどね』と冷ややかで鋭い白い視線が一斉に浴びせられた
気まずさに耐えかねて、ホシノは「コホン」と大げさに一つ咳払いをして、強引に話を先へと進める
「そ、それでですね……! 私、その時になんだかよく分からない不思議な夢の世界? みたいなところで、ユメ先輩とちゃんと言葉を交わして、最後のお別れもしたはずなんですけど……あれって、本当に本物の先輩と会ってたんですよね? 会ってましたよね!?」
「自分が体験したことに、そんな不安そうな顔をしないでほしいのだけれど……」
ヒナは呆れ返ったように深くため息をつき、美しい眉をひそめた
「だってあんなの、おじさんの精神が極限まで追い詰められて勝手に作り出した都合の良い幻覚かもしれないでしょ!? もしこれで『そんな夢なんて知らないよ』なんてユメ先輩に言われたら、おじさん恥ずかしすぎて今すぐアビドスの砂漠に穴掘って埋まっちゃうもん!」
「ま、まぁまぁ、ホシノ先輩もそれだけ必死で、先輩のことを想っていたってことですから……」
立ち上がり、手足をパタパタとバタつかせて息を荒くするホシノをなだめるように、アヤネが苦笑いを浮かべながら優しく宥める
「それで、実際のところはどうなんですか、ユメ先輩?」
アヤネが改めて真剣な表情に戻り、ユメの方へまっすぐ視線を向けると、ユメは腕を組み、小首をかしげながら「うーん……」と可愛らしく唸り声を上げた。
しかし、次の瞬間
「――あれって、本物のホシノちゃんだったんだね」
「!!」
ユメが少し照れくさそうに、けれど溢れんばかりの慈愛に満ちた苦笑いを浮かべてそう答えると、ホシノは雷に打たれたように目を見開き、その場に固まった
直後、胸を締め付けていた重苦しいプレッシャーが一気に剥がれ落ちたかのように、安堵の深い息が長く漏れ出した
「その件につきましては、私の方からも少し補足して説明させてもらいますね」
そう言って、先ほどまで壁際で静かに沈黙を守っていた主治医がゆっくりと右手を挙げた
「アビドスの空が突如として不気味な赤色に変色したその頃、病室で眠っていたユメさんの心拍数が、急激に低下していったんです。私たち医療スタッフも、ホシノさんがこの方をどれほど大切に想い、そしてアビドスという街を守るために身を削って奔走しているのかを間近で見て知っていましたから……他の患者様への対応に支障が出ない範囲で、文字通り病院の総力を挙げてユメさんの蘇生処置につぎ込みました」
主治医の表情が、当時の緊迫した医療現場を思い出すようにわずかに引き締まる
「しかし、現代の高度な医学で考えうるどんな蘇生術や強心剤の投与を行っても、弱まっていく脈拍を止めることはできませんでした……。そう、ちょうど赤い空の向こう側に禍々しい雷雲が現れた頃、ユメさんは確かに一度『死亡』されたのです。病院の正式な死亡確認記録としても、その事実を厳然と確認いたしました」
ホシノたちは、主治医の静かで重い言葉を固唾を呑んで聞き入った
医療関係者、それも最前線で命と向き合う医師の口から『確実』という言葉が発せられるのは極めて異例のことだ
医療現場には常に不確実性がつきまとい、どれほど些細な治療であっても予期せぬリスクを考慮してあいまいな表現に留めるのが常である
そんなプロが「確実」と断言するということは、そこにまぎれもない「死の事実」が存在していたことを意味していた
空を覆い尽くした赤い闇、そして地平線を揺るがした『セトの憤怒』が顕現していたあの瞬間に、ユメの生命の灯火は完全に消え失せていたのだ
「ですが……不条理な奇跡は、その直後に起きました」
主治医は眼鏡のブリッジを指先でそっと押し上げ、言葉を続ける
「赤い空が元の静かな夜の暗闇へと戻り、アビドス上空の空間の歪みが収束していった時、ユメさんの枕元、正確には彼女が肌身離さず握りしめていたお守りの周辺から、突如として神秘的な強い光が放たれたのです」
「お守り……プラズマ鉱石の……!」
主治医の言葉を遮るように、ホシノが思わず声を上げた
先ほど自分の手のひらの上で美しい粒子となって消えていった、あのエメラルドグリーンの輝き。ホシノが大切にしまい込んでいたお守りに入っていた石が「プラズマ鉱石」であると判明した以上、ユメが持っていたもう一つの石も間違いなく同じ性質の物だと考えるのが自然だった
「プラズマ鉱石……? なんだかどこかで聞き覚えのあるような、ないような……?」
自分の持ち物について語られているにもかかわらず、本人はどこかピンと来ていない様子で首をかしげるユメ
そんな彼女に向けて、アヤネが冷や汗を拭いながら「アビドスに眠っていたお宝ですよ……」と苦笑まじりに説明を入れる
「ええっ!? じゃあ、あの時白子ちゃんが偶然砂漠の中から掘り当てて持ってきてくれたあの綺麗な石が、そんなにとてつもなく貴重なお宝だったっていうことなの!?」
ユメの素直な驚嘆の声が広大な生徒会室に響き渡る中、主治医は再び小さくコホンと咳払いをし、話を本筋へと戻した
「ええ。あまりにも美しく、そして常軌を逸したエネルギーを宿す光が突如として現れました……。それが、ユメさんが大切に握りしめていたお守りから発せられていたのです。私たち医療スタッフも、その圧倒的な光の美しさにただただ圧倒されるしかなかったのですが、次の瞬間、その光はまるで明確な意志を持っているかのように渦を巻き、ユメさんの全身を包み込むように一点へと集中していったのです」
「光が……ユメ先輩を包み込んだ……?」
ホシノが息を詰まらせながら問いかけると、今度は静かに話を聞いていた先生が頷いた
「はい。そして、その眩い光の粒子がユメさんの体に吸い込まれるようにスッと消えていった直後……止まっていたはずの心臓が、再び鼓動を打ち始めたんです」
「……間違いなく、一度は完全に生命の灯火が消え、死んだはずのユメが、再び目を覚ました。……まさに、現代科学や医学の法則を完全に超越した奇跡としか言いようがないね」
主治医の報告を引き継ぐように、先生が深い実感を込めて呟いた
その言葉以外に、この不条理で美しい現象を表現する方法は存在しない。あれほど絶望的な状況の中で、医学的にも死亡が確認された人間が突如として息を吹き返し、こうして再び目の前で目を覚ましたのだ
これを「奇跡」と称さないのであれば、ホシノが人生で奇跡という言葉に出会うことは二度となかっただろう
「はいはい、みんな!」
そんな重苦しくも感動的な空気を切り裂くように、ユメが元気いっぱいにピッと右手を高く挙げた
「どうしました、ユメ先輩?」
「ここからは、私自身の言葉でみんなに説明してもいいかな?」
ユメは車椅子の肘掛けに両手を置き、位置を少しだけみんなの方へ進めながら、柔らかく微笑んだ
「今回のことについて、みんなにちゃんと話しておきたいことがあるんだ」
「説明……ですか?」
「うん。少しばかり長くて、もしかしたら信じられないような不思議なお話になっちゃうかもしれないけれど……聞いてくれるかな?」
ユメはそう言い残すと、ゆっくりと言葉を選びながら、あの深い眠りの底で体験した奇妙で温かい旅の物語を、静かに語り始めたのだった
♢
ユメは一度深く呼吸を整え、遠い日の記憶をたぐり寄せるように静かに語り始めた
「ホシノちゃんを元気付けるための贈り物……あのお守りの材料を買いにトリニティの街へ出かけた、あの日のことだよ」
ユメの表情はどこまでも穏やかだったが、その瞳の奥には当時の猛烈な砂嵐の光景がまざまざと浮かんでいた
あの日までは、すべてが順調だった
ホシノのために、少しでも元気が出るような最高のお守りを――
そうして完成を急いで帰路についていた時、突如として砂漠全体を呑み込んだ激しい砂嵐に巻き込まれた
激しい突風と舞い上がる砂塵に視界を完全に奪われ、足元を取られたユメは、バランスを崩して足元の斜面から滑り落ちてしまった
硬い岩肌か、あるいは打ち捨てられた廃墟の冷たい瓦礫だったのか。頭部に途轍もない衝撃を受け、ユメの意識は強烈な痛みののち、強制的に引きちぎられるように途絶えた
「ホシノ……ちゃん……っ」
砂嵐がすぐに止むことを祈り、完成させたばかりの小さな袋をぎゅっと胸元で握りしめたまま、ユメの視界は深く暗い漆黒へと染まっていった
……次に気がついた時、私は自分がどこにいるのかも分からない、ただ永遠に続くかのような暗闇の底をあてもなく漂っていた
出口もなければ足場すらない
ユメは手探りで、何かにすがるようにしてその真っ暗な世界を必死に歩き続けた
そんな時だった
(……あれ、なんだろう……?)
果てしない闇の向こう側に、ポツリと小さな光が優しく揺れている
あれが何なのか、誰が自分を呼んでいるのかも分からない。けれど、なぜかその光に触れれば、愛しいホシノちゃんのもとへ帰れるような、不思議で温かな安心感に包まれた
ユメは確かな出口のない暗闇のなか、意を決してその光の根源へと一歩一歩足を運んだ
(……小さい……犬……?)
近づいてみると、それは光を纏った小さな仔犬の姿をしていた
かつてユメが砂漠の真ん中で幼い白子と初めて出会い、拾い上げて抱きしめたあの頃と同じくらいの愛くるしい大きさ
ユメがその光の輪へとそっと手を伸ばした瞬間、暗闇の空間そのものが微かに揺れた
『……ユメ先輩』
(ホシノちゃん!?)
その光の向こう側から、ずっとずっと聞きたかった愛おしい声が届いた
少しだけ落ち込んでいて、自分を責めて元気のない声。それでも間違いなく、それは自分が誰よりも愛しているホシノの声だった
(ホシノちゃん! 聞こえてる!? 私だよ! ここにいるよ!)
ユメは必死に声を張り上げ、光に向かって両手を振った。けれど、あちらからの声は一方通行のようで、ホシノにはユメの声など一切届いていないようだった
暗闇の中で疲れ切り、ただその場に座り込むことしかできないユメに、ホシノの痛々しい懺悔の言葉が降り注ぐ
白子が死んでしまったのも、自分が目を覚まさなくなったのも、すべて自分の不甲斐なさのせいだという深すぎる罪の意識。それによってヒナと正面から激しく衝突してしまったという、苦しく切ない胸の内
あまりの悔しさと歯がゆさに、ユメは膝の上で、拳を白くなるほど強く握りしめた
それでも、ホシノはユメに会うため、毎日毎日お見舞いに来続けてくれた
それから何回目かの、ホシノの静かな声
『……私、今日からある子と住むことにしたんです』
(ホシノちゃんの声が……)
数えきれないほどの後悔と涙の言葉を聞かされ続けたあとだったからこそ、その声に混ざったほんの少しだけの希望を湛えた響きに、ユメの心は跳ねるように弾んだ
『その子の名前は砂狼シロコ……びっくりですよね、あの白子と同じ名前なんです』
その名前を聞いた瞬間、ユメは大きく目を見開いた
『銀色の髪に……目の色も同じなんですよ? 少しだけ物静かなのは違いますけどね……うへ』
ユメがこの世界に来てから、初めてホシノが小さく笑った
ホシノがその子の存在を通じて、少しずつ、本当に少しずつだけれども、前に進もうとしている
過去の傷を抱えたまま立ち直ろうとしている
その確かな事実は、暗闇の中にいたユメにとって、何よりの救いであり光だった
時がどれだけ過ぎ去ったのかは分からなかった
日が巡るごとに、ホシノの声は少しずつ、けれど確実に本来の温かな明るさを取り戻していった
シロコに初めて料理を作ってあげたら、あの頃作っていたものと同じくらい破壊的な味だったから、シロコが代わりに料理を作ってくれるようになったこと
アビドスの商店街ではシロコがすっかり人気者で、買い物に行くとお肉屋さんや八百屋さんが嬉しそうにたくさんオマケをくれること
ノノミが新しい仲間としてアビドスに入学してきて、シロコが一人暮らしを始めて、セリカとアヤネが頼もしい後輩として入ってきてくれたこと
そして――信じられる大人が、アビドスにやってきてくれたこと
たくさんの楽しくて、愛おしい日常の話を、ホシノは夢の中でユメに向かって嬉しそうに語り聞かせてくれた
時には、大切な仲間たちを守るために無茶をして助けられたことなど、ハラハラして冷や汗を流すような大冒険もあったけれど、最近では元気で騒がしい後輩たちを連れてお見舞いに来てくれるホシノの声を聞いて、ユメはただただ胸を撫で下ろし、安心していたのだった
けれど、運命はあまりにも非情だった
『先輩……なんで、あんな契約をしたんですか……?』
スピーカー越しのように響いたホシノの声はかすれ、今にも壊れてしまいそうなほどの絶望に満ちていた
それは、かつてユメがトリニティへ出かけた際、アビドスの復興と未来のために少しでも力になれればと、良かれと思って署名してしまったあの契約書のことだった
自分の残した負の遺産が、2年の時を経て発見され、最愛のホシノや顔も知らない後輩たちをどれほど苛烈な危機に追い詰めているかを知った瞬間、ユメの胸は鋭い刃物で引き裂かれるような激痛に苛まれた
(ごめんね……ごめんね、ホシノちゃん……っ!)
自分の無知が、あまりにも軽率だったあの判断が、大切なアビドスを、そしてホシノの未来をこんなにも残酷に苦しめていたなんて
ユメは声が届かないと百も承知でありながら、暗闇の中で何度も何度も、涙を流しながら謝り続けた
その時だった
(……!?)
足元から、粘着質な何かに力任せに掴みかかられるような、寒気のする悪寒がユメの体を襲った
ここは自分とホシノの声しか存在しないはずの精神の世界。それなのに、空間を揺らす不気味な震えとともに、底冷えするような薄気味悪い声が漆黒の闇を支配していく
『――小鳥遊ホシノの心は、極めて不確定で予測も制御もできない。ならば、彼女を屈服させるための3つ目の攻略法をあらかじめ準備するとしよう』
(だ、誰……!? 誰なの、あなたは……!?)
『おや……小生の声が届くのか? まぁいい……あなたが弱っていけばいくほど、彼女の心を壊し操ることは容易い。これで小生のキャンペーンはまた一歩、確実な完成へと近づくのだ』
(っ……ホシノちゃんを狙ってる……! やめて……ホシノちゃんに手を……出さないで……っ!)
その得体の知れない邪悪な存在に、精神の深淵で全身の骨を軋ませるように締め上げられるたび、ユメの意識は泥沼のような深い眠りへと引きずり込まれていく
(ああ……ダメだ。このままじゃ……ホシノちゃんに、最後に『ごめんね』の一言も……伝えられないまま……)
ここで本当に終わってしまうのだろうか
自分のせいで苦しむホシノに謝ることもできず、あんなにも健気に頑張ってくれた愛しい後輩たちの顔すら一度も拝めないまま、二度目の死を迎えることになるのか
ユメはあまりの悔しさに唇が切れ、血が滲むほど強く噛み締めたが、抗う術はすでに残されていなかった
ゆっくりと、彼女の意識は深い闇の中へと溶けていった
……
どれほどの時間が過ぎ去ったのか、もはや時を刻む感覚すら曖昧だった
永遠とも思える暗闇の果てで、ふっと頬に射し込む柔らかな日差しのような温もりが、ユメの重たいまぶたを優しく押し上げた
「ん……んん……?」
重たいまつ毛をゆっくりと持ち上げて辺りを見渡した瞬間、ユメは息を吸い込むことすら忘れてその場に固まった
ついさっきまで全身を蝕んでいた冷たく暗い闇は、跡形もなく消え去っていた
眼前に広がっていたのは、見慣れたアビドス高等学校の屋上
吹き抜ける潮風の匂い、手すりに残る古いペンキの剥げ落ちた感触――そのすべてが、記憶の中にある鮮明な「現実」そのものだった
「あれ……ここ、屋上……?」
頭がぼんやりとして、うまく思考がまとまらない
あの苦しくて辛い暗闇は、ただの長い長い悪夢で、実は今日までずーっとここで気持ちよくお昼寝をしていただけなのだろうか?
それにしては、胸を締め付ける痛みがあまりにもリアルで、長すぎる夢だったけれど
『くぅん……』
「へ……?」
背後から聞こえた聞き覚えのある愛らしい鳴き声に、ユメは弾かれたように振り返った
そこには、首をちょこんと傾げ、心配そうに自分を見つめる真っ白な毛並みの仔犬が立っていた
「し、白子ちゃん……!?」
ユメは震える手をゆっくりと伸ばし、その温かい体を抱き寄せるように撫でた
最後に記憶にあった姿よりも少しだけ大きく育っていたが、その柔らかい毛並みの感触、そして吸い込まれそうなほど美しく澄んだ水色の瞳――それは紛れもなく、ユメが、そしてホシノが最期まで愛して止まなかった白子だった
でも、どうして?
あの日、白子は砂漠の冷たい風の中で息を引き取ったはずだ
悲しく切ない事実として、ユメの心に深く刻み込まれていたはずなのに。それなのに今、目の前には温かな鼓動を打つ白子の姿がある
静まり返った屋上で白子を抱きしめながら、ユメは自分の胸の奥底にある静かな悟りに気づいた
どれほどおバカで能天気な自分であっても、ここがもう元の世界ではないことくらいは理解できた
(そっか……私は、死んじゃったんだね。そしてこの場所で――白子ちゃんは私達が来るのを待っていてくれたんだ)
『くぅん……』
「白子ちゃん……ごめんね。私も、結局はそっちへ後を追って来ちゃったみたいだね」
ユメがその場にそっと膝をつくと、白子はトコトコと顔を近づけ、ザラリとした温かい舌でユメの頬を包み込むように優しく舐めた
「あはは……くすぐったいよー。もう、そんなに甘えないの……そうだ!久しぶりにフリスビーしよっか!」
それから、ユメは白子と屋上でフリスビーをして遊ぶことにした
自分がすでに死んでしまったという実感がどうしても湧かないまま、ただこうして体を動かしていなければ、胸の底から途方もない寂しさが溢れ出して押し潰されそうだったから
「それーっ! いくよー!」
『わぅっ!』
白子は落ち込みかけているユメの気持ちを健気に気遣ってか、それとも久しぶりに大好きな人に甘えられるのが心の底から嬉しいのか、何度も何度もフリスビーを鮮やかに咥えては、嬉しそうにパタパタと尻尾を振ってユメの足元にポトンと落とす
そんな穏やかで、けれどどこか切ない時間を過ごしていたその時――ホシノがやってきた
あの子はどこか悲しげな色を瞳に宿していたけれど、もう既にたくさんの仲間たちに支えられ、温かく背中を押されたあとの、力強く前を向く晴れやかな表情をしていた
自分ができることは、もう何もない。ただ旅立つあの子の背中を、笑顔で押してあげることだけ
「……行ってきます!」
「うん、行ってらっしゃい、ホシノちゃん!」
『ワゥーン――ッ!!』
元気に走り出し、眩い光の向こう側へと迷いなく消えていくホシノの背中
きっと、あの子はもう大丈夫だ。私がいなくても、頼もしいみんながそばにいてくれるなら、あの子はこれからも強く、優しく生きていける
「……行こうか? 白子ちゃん」
白子の方を向き、ユメは精一杯の無理な笑みを作った
これで、ホシノちゃんとも本当のお別れ。最後にちゃんと自分の言葉で別れの挨拶もできたんだから、心残りなんてあるはずがない。絶対にない
「っ……」
ユメと白子は、屋上の出口である扉の前にたどり着いた
この冷たい扉をくぐってしまえば、もう二度とホシノの姿を見ることはできない
あの子はもう前を向き始めている。隣には寄り添ってくれる頼もしい後輩や、心から信頼できる大切な友達もたくさんいる
心残りなんて何ひとつないはずなのに、扉の取っ手を握る手がガタガタと震え、どうしても離れてくれない
「……やだなぁ。こんなところで……私が一番、前を向けないでどうするのよ……」
もっともっと、話したかった
頼りないおバカな先輩だと思われても良かった。ホシノや、まだ見ぬあの子たちと一緒に、ずっとずっと穏やかで賑やかな日常を過ごしたかった
まだ、お別れなんてしたくないよ
『……くぅん』
「!」
白子の足元からの寂しげな鳴き声に、ユメはハッと顔を上げた
ホシノをあんなに笑顔で見送ったのに、今度は私がこの子まで困らせてどうするの
ユメは両手で自分の頬を、パチンと一度、強く叩いた
「……ごめんね、白子ちゃん! もう大丈夫だよ。私もしっかりしなきゃ」
白子だって、ずっと一人でここで寂しく私を待っていたんだ。それなのに、自分だけがいつまでも悲しい顔をしていちゃダメだ。私はホシノの、そしてこの子の、優しいお姉ちゃんなんだから
ユメが覚悟を決め、決意を込めて扉へ手をかけたその瞬間だった
「っ……あ、あつい……!?」
太もものポケットあたりから、唐突な熱源を感じた
……いや、これは熱くない
とても温かい、全身を優しく包み込むような光の温もりだ
慌てて制服のポケットに手を差し入れると、そこには自分があの日、心を込めて手作りした「お守り」が入っていた
「……これ、お守り……?」
そう、あの日。白子から貰った石を大切にしようと、ホシノがお守りにすることを提案してくれて、この悲劇が起きる直前にユメ自身が完成させたもの
ひとつはホシノが、もうひとつは私自身が肌身離さず持っていたもの
「……わぁ……」
屋上は朝日に照らされ、すでに十分に明るいはずだった
なのに、そのお守りの隙間からは、太陽の光さえも霞んでしまうほどの、どこか懐かしく愛おしいサクラピンクの光が溢れ出していた
震える手で紐をそっと解き、中身の石を取り出す
その石は、まるでそれ自体が命を持って息づいているかのように、温かなサクラピンクの光を放ちながら、ユメの鼓動と静かに共鳴するようにトクトクと脈動し始めたのだった
「……これ、もしかして……」
さっきまでこの屋上で明るく笑い、そして未来へと力強く歩き出していったホシノの姿が、ユメの脳裏に鮮明に蘇る
あの時の、覚悟と愛に満ちた眩しい横顔
ということは、ホシノの想いが宿ったこのお守りが奇跡のように発光しているということは、私だってこれで――
「っ……!」
だが、次の瞬間、ユメの脳裏にひとつの残酷な現実が鋭く突き刺さった
ダメだ。もし私がこの眩い光に導かれて元の世界へ帰ってしまったら、今この瞬間、このだだっ広くて寂しい屋上に残された白子は、またたった一人ぼっちになってしまう
確かに、あのここから抜け出して目覚めることができるのは飛び上がるほど嬉しい
ホシノちゃんや、声しか知らない愛しい後輩たちが待つあの温かな日常へ戻れるのなら、心の底からそうしたい
だけど――
ホシノちゃんは、もう3年生になっていた。つまり、あの日からすでに丸2年という途方もない歳月が流れているということだ
それまでの長い長い時間、白子はずっとこの冷たく風が吹き抜ける屋上で、たった一人ぼっちで大好きな主たちを待ち続けていたのだ
そんな痛々しいほどの孤独を味わわせてきたこの子を、また私は見捨てて、自分だけが温かい世界へ帰ってしまうというのだろうか
『……くぅん?』
ユメのただならぬ悲痛な気配を察知したのか、白子は可愛らしく首をちょこんとかしげ、不思議そうにじっと見上げてくる
「だ、大丈夫だよ……! ホシノちゃんがいつかここへ来てくれるまで、ずっと、ずっとお姉ちゃんは一緒にここにいるからね……!」
溢れ出そうになる涙を必死にこらえ、引きつるような無理やりな笑顔を作りながら、ユメは膝をついて白子の柔らかい首元を両手で優しく包み込むように撫でた
しかし、そんな彼女の切実な祈りを拒絶するかのように、お守りから溢れ出すサクラピンクの光はますます勢いを増し、ユメの足元からその体の輪郭が透けるように、少しずつ光の粒子となって消えかけていく
「やだ……お願い、神様がいるなら……この子をまた一人ぼっちにさせないで……! 私は、私自身はどうなったっていいから……!」
ユメは勢いよくしゃがみ込み、光に溶けかけている両腕で白子の小さな体を力いっぱい、これ以上ないほど強く抱きしめた
こんな場所で、この子を残して自分だけ消えていくなんて絶対に嫌だ
誰に祈っているのかも、どこに叫んでいるのかも分からない。ただ、もしこの世界のどこかに慈悲深い奇跡が存在するのならば、どうかこの忠実で愛おしい相棒に、これ以上の寂しい思いをさせないでほしいと、魂の底から激しく懇願した
ぽろり、と頬を伝い落ちた温かな涙が、白子の真っ白で柔らかい毛並みに静かに染み込んでいく
『……』
「えっ……?」
ふと、抱きしめられていた白子が腕の中で小さく身じろぎをした
白子は一度、ユメの涙で濡れた頬をザラリとした温かい舌で優しくペロリと舐めると、ユメの腕の中からするりと器用に体を抜き出し、その場でぴたりとお座りをした
その水色の綺麗な瞳は、どこまでもまっすぐにユメを見据えている
まるで――「私は大丈夫だから、安心して行ってきて」と、無言のままに大好きなユメの背中を、優しく力強く押してくれているかのように
「っ……!」
この子は、本当にどこまで賢くて、優しい子なのだろうか
ユメ自身ですら、これほどまでに愛おしい白子と離れるのが耐えられないほど辛いというのに、この子は自分の胸の内に渦巻く寂しさや心細さを懸命に押し殺して、むしろ旅立つユメを少しでも安心させようと、自ら健気に一歩引いて距離を取って見せたのだ
思えば、この子のお陰で、かつてのトゲトゲしく頑なだったホシノの心は、凍てついた砂漠の氷が溶けるように少しずつ柔らかくなっていった
ゲヘナ学園の情報部から、のちにアビドスの運命を大きく変えることになる空崎ヒナが不穏な偵察にやってきた時もそうだ。まるで、ホシノやヒナの間に新しい居場所や、互いを認め合える絆を作ってあげるかのように、白子はいつも絶妙なタイミングと距離感で二人の間を取り持ってくれた
この小さくも気高い命に、私たちはどれほど救われ、どれほどの温もりをもらってきたのだろう
数え切れないほどの感謝が、胸の奥から熱い塊となってこみ上げてくる
「っ……!」
ユメはあふれ出る涙を制服の袖で乱暴に拭い、ぐっと奥歯を噛み締めて、今日一番の、いや、人生で一番の、とびきりの笑顔を作った
どれだけ我慢しようとしても熱い涙は止まらなかったけれど、それでも、最期のお別れくらいは一番綺麗な笑顔でこの子を見送りたかった
「白子ちゃん、私……ホシノちゃんがこれからどんな未来を切り開いていくのか、しっかり見守って、そして応援してくるからね。……少しの間だけれど、お留守番、よろしくね?」
『――ワンッ!』
白子は座ったまま、夜空の彼方へ向かって、高く、凛とした遠吠えを響かせた
それはまるで、遠くへ旅立つ最愛の主へ向けた、力強くも切ない祝福のファンファーレのようだった
「ふふ……白子ちゃんとも、お話して、夜が明けるまでおしゃべりできたら良かったのにな……」
すでに、ユメの体は足元から胸元にかけて、ほとんどが淡く輝く無数の光の粒子に呑み込まれていた
感覚が薄れていく。もうすぐ、この夢のような空間での意識は完全に途切れ、冷たい消毒液の匂いが漂う病室のベッドへと強制的に引き戻されるのだろう
『……と……』
「?」
不意に、澄んだ鈴を転がしたような声が、冷たい風の音を縫ってユメの耳朶を打った
ここには、自分と白子以外に生き物の気配など何もないはずなのに
『たくさん、の……思い出を、ありがとう。また、いつか……遊んでね』
「!!」
今度は、幻聴などではない。あまりにもはっきりと、たしかに鼓膜にその声が届いた
幼く、あどけない高い声。たどたどしいけれど、たしかに誰かの強い意思を持った言葉
……それは、驚くべきことに、目の前にぴたりとお座りをする白子の方から聞こえてきたのだ
『ふたりとも、大好……き、だよ!』
この奇妙な世界では、自分たちのちっぽけな常識など到底通用しない、信じられない奇跡が起きる
人間と動物では、どれほど心を通わせても言葉の壁を越えて意思を通い合わせることなどできないはずなのに
これも、あの気まぐれな神様のイタズラなのだろうか
それとも、過酷な運命を乗り越えようとした二人の強い絆が、奇跡の扉をこじ開けたのだろうか
「っ……うん……!! 私も……ずっとずっと、大好きだったよ……!」
全身の形が完全に光へと溶けていく、その刹那
ユメの視界の隅に、心臓が跳ねるような信じられない光景が映し出された
白子のすぐ後ろに、陽炎のようにふわりと佇む一人の小さな人間の少女の影
もしこの子が人間の姿をしていたのならば、きっとこんな風にクシャッと笑うのだろうと思わせる、あまりにも愛らしい少女がそこに立って、ユメに向けて柔らかく微笑んでいた
(……白子ちゃんは、やっぱり……世界で一番可愛い女の子、だね)
視界がすべてを白く染め上げるまばゆい光に包まれ、ユメの意識は再び、どこまでも深い闇の底へと落ちていった
『ホシノを……仲良く…してね』
* * *
「……さんっ!………起きてくださいっ……!」
遠くから、慌ただしく誰かを呼ぶ、ひどく差し迫った必死な声が響いてくる
うっすらと開けた重たいまぶたの先に飛び込んできたのは、いつかの見慣れない天井の白い部屋ではなく、どこか消毒液の匂いが鼻をつく病院の一室と、信じられないものを見るような、驚愕と混乱に満ちた担当医師の青ざめた顔だった
「っ……! 梔子さん、ユメさん……! 意識は……はっきりしていますか……!?」
「え、ええと……ここは……?」
周囲を見回すと、さっきまでの夢の中で着ていたはずの制服ではなく、無機質な白い入院着に身を包み、細い腕には点滴の針がしっかりと刺さっていた。
窓から差す光の加減、部屋の空気の冷たさ、そして喉の渇き。状況証拠のすべてが、ここが現実世界の病院であることを疑いようもなく物語っている
「……信じられない……医学の常識なんて、どこにも通用しない……奇跡としか、言いようがない……!」
お医者さんは両手で頭を抱え、まるで幻覚でも見ているかのように何度も何度も首を横に振った
その背後では、看護師たちが両手で顔を覆い、あまりの歓喜と衝撃のあまりに、大粒の涙を止めどなくボロボロと流し合っていた
だけど――
「あの……私、一体……何があったんですか?」
自分だけが、この世界の時間の流れからぽつんと取り残されたように、今何が起きているのかが全く理解できぬまま、震える声でポツリとそう尋ねるしかなかったのだった