白子とシロコ   作:気弱

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ユメの誘拐、ヒナの胸騒ぎ

「うーん……ユメ先輩、遅いですね……。いくらなんでも、流石にちょっとのんびりしすぎじゃないですか?」

 

アビドス高等学校、生徒会室

 

ホシノは一人、長年使い込まれて錆の浮いたパイプ椅子のきしむ音を室内に響かせながら、机の上に山積みになったアビドスの膨大な未処理書類と向かい合っていた

 

カサ、と乾燥した砂漠の空気の中で寂しい音を立ててめくられる、支払期限の過ぎた請求書や領収書の束

 

そのホシノの足元では、先ほどまでフリスビーの特訓でアビドス中の砂平原をさんざん走り回っていた白子が、文字通り無警戒に「ふぁぁ……」と大きな欠伸を噛み殺し、ひんやりとしたフローリングの床に気持ちよさそうに身を横たえていた

 

まだ幼さの残る小さな身体が、規則正しい呼吸に合わせて上下している

 

壁に掛けられた、砂埃でガラスの曇った古い時計に目をやると、秒針の音がやけに大きく部屋に響く中、時刻はまもなく正午の12時を指そうとしていた

 

しかし、いつもなら「ホシノちゃ〜ん! 朝だよ〜! 今日も元気にアビドスを復興させよう〜!」と、鍵の壊れかけた扉を騒々しく開けて飛び込んでくるはずの、あの頼りない生徒会長の姿は、校舎のどこを探しても、地平線のどこを見渡しても見当たらなかった

 

「……またどこかで、何か面倒な事件にでも巻き込まれたか……。いや、あの先輩のことですから、どうせまたただの『お節介』で予定が狂って、遅れてるだけかもしれませんね」

 

ペンを動かす手をぴたりと止め、ホシノは本日何度目かもわからない深い溜め息を吐き出しながら、少し凝り固まったこめかみを指先でガリガリと掻いた

 

1週間に少なくとも1回、多い時には2回や3回。ユメという人間は、登校途中に困っているおばあさんを見かければ荷物持ちを買って出て、迷子になった他校の子供がいれば手を引いて歩き、はたまた砂漠の真ん中で熱中症になりかけている野良犬なんかを見つけては、自分の飲み水を全部与えて全力で介抱し始めてしまうのだ

 

その結果、学校に到着するのが昼過ぎになるなんてことは、アビドス生徒会においてはもはや「いつもの日常」の範疇だった

 

しかし――

 

「……それにしても、ねぇ」

 

ホシノはデニムのポケットから、画面のあちこちに細かい傷の入った使い古しのスマートフォンを引っ張り出した

 

いつもなら、どんなにお節介に夢中になっていたとしても、ユメは決まって「ホシノちゃんごめんね! ちょっと困ってる人がいるから遅くなるね! 先にお昼食べてて!」と、どれほどドタバタしていても必ずモモトークで事前のメッセージを送ってきてくれていた。小言を言われるのを恐れての先手を打った連絡、それが彼女の唯一の危機管理でもあった

 

だが、発光する画面を見つめても、上部の通知ランプは静まり返ったままだ。12時を完全に超えた今になっても、ユメからの連絡は届いていなかった

 

「…………流石に、ちょっと心配ですね。仕方ない……そろそろお騒がせな先輩を迎えに行きますか」

 

『……わふ……? クゥォン』

 

ホシノがパイプ椅子を後ろに引いてスッと立ち上がると、足元で丸くなっていた白子が、まだ半分ほど眠気の残った瞳で不思議そうにホシノの顔を見上げてきた

 

「あ、ごめんね、起こしてしまいましたか。……そうですよ、私たちの困ったお騒がせ生徒会長を探しに行くんです。白子も、一緒に行きますか?」

 

その言葉を聞いた瞬間、白子の三角形の耳がピクンと跳ね上がり、それまでの眠気が嘘のようにパッと四肢で力強く立ち上がった

 

『ワンっ!!』

 

「ふふ、起きてすぐだって言うのに、本当に元気がいいですね。少しはその溢れる元気を、あのガバガバな先輩に分けてあげてください…いや、今より元気になられたら困りますね」

 

ホシノはすぐに外へ出られるよう、いつも愛用している重量感のあるショットガンを背負い、最低限の私物と弾倉の準備を手際よく済ませると、壁のフックに掛けられていた白子専用のリードを手に取った

 

床にしゃがみ込み、白子のふわふわとした首元にそっと手を回して、リードのフックをかける

 

「……ん。……やっぱり、また少し大きくなりましたね。この首輪、また近いうちに買い換えないと、さすがに窮屈そうです」

 

少し窮屈そうに白子の首元の毛に食い込んでいる、使い込まれた革製の首輪。その隙間に指先を優しく滑り込ませて押し広げながら、ホシノはぽつりと言葉を零した

 

本当に、子供の成長というのは早いものだな、と

 

もしこの光景をあのユメが見ていたら、間違いなく「もぅ〜、ホシノちゃん、本当にお母さんみたいだねぇ♪ よしよし、お母さんホシノちゃんもおいで〜!」などと、ニヤニヤしながら的外れにからかって、またホシノに容赦のないプロレス技をかけられていたに違いない

 

容易に想像できるその未来に、自然と口元が緩む

 

「よし、準備完了。それじゃあ、行きますか――」

 

ホシノが白子のリードを引き、生徒会室の建付けの悪い重い扉ノブに手をかけた、まさにその瞬間だった

 

――ブブブブッ、ブブブブッ。――

 

「ん? スマホに連絡……。ヒナから?」

 

静まり返っていた部屋に、ポケットに入れたスマートフォンのバイブレーションが騒がしく鳴り響いた

 

てっきりユメからの「ごめん!」という遅刻の言い訳だと思っていたホシノは、扉からすっと手を離した。急いでポケットから端末を引っ張り出し、発光する液晶画面を覗き込む

 

画面の真ん中に青白く浮かび上がっていたのは、予想だにしていなかった「空崎ヒナ」の四文字だった

 

数日前、このアビドスの地で奇妙な形で知り合い、お互いに組織の苦労人として妙に息が合ってしまった彼女。別れ際に、半ば勢いでモモトークの連絡先を交換してはいたものの、まさかこの時間に、しかも向こうから直電がかかってくるとは思わぬ想定外だった

 

ホシノは通話ボタンをスライドさせ、耳元にスピーカーを当てる

 

「もしもし? ヒナから直で連絡なんて珍しいね。こういう電話とか苦手そうなのに。それで、ゲヘナの超エリート優等生さんが、アビドスの風来坊に何の用ですか?」

 

いつもの調子で軽口を叩いたホシノだったが、スマートフォンの向こう側から返ってきたのは、彼女の凛とした声だけではなかった

 

『相変わらずな言い方ね……なんだか嫌な予感がしてね。アビドスの方で、妙な胸騒ぎが――『ちょっと、そこ! 配置に就きなさい! そっちに逃げたわよ!』』

 

『うおおおーーー! 温泉だ! 温泉だーーー!!』

 

凄まじい大質量を誇る爆発音。それに続いて、ゴゴゴゴと地鳴りを立てて、まるで水かが勢いよく吹き出しているかのような、暴力的なまでの環境音がスマートフォンのスピーカーを激しく震わせる

 

ホシノは「うへぇ……」と顔をしかめ、相変わらずゲヘナは毎日が大戦争だなと内心で同情しつつも、彼女の言葉の不穏な響きを拾い上げた

 

「……そちらは大丈夫ですか?」

 

『――こっちの騒音は気にしないで。ただの、まだ入学もしていない生意気な中学生が「この地層の下には確実に極上の温泉がある!」とかいう頭の悪い事を言って、大規模な爆破テロを起こしているだけだから。すぐに制圧するわ』

 

「やはり凄まじい学校ですね、ゲヘナは……。まだ入ってもいない子供が爆弾魔だなんて、アビドスのヘルメット団が可愛く見えてきますよ」

 

ホシノは心底呆れ果てた声を出す。キヴォトスの混沌を凝縮したようなゲヘナの日常に、ただただ同情を禁じ得ない

 

『……ハァ。本題に戻るんだけど、アビドスの様子はどう?』

 

「いや、どうって言われても……。それよりヒナ、そっちの状況、結構忙しいんじゃないの? 電話なんてしてて大丈夫?」

 

『これくらいなら、片手間で終わ――』

 

『わーっ! やばい、空崎ヒナが直々に前線に出てきたぞ!』

 

『ハーハッハッハッハー! この温泉開発のカリスマ、鬼怒川カスミの野望は止められないぞ! 掘れー! 爆破しろーーー!』

 

『――るわ。……チッ、本当に、湧くように出てくるわね、不届き者が……』

 

受話器の向こうから聞こえる、高笑いをあげる中学生の生意気な声と、それを冷徹に、けれど確実に怒りのボルテージを上げながら見据えているであろうヒナの息遣い

 

『……とにかく、貴方達、今日は本当に気をつけなさいよ。私のこういう、根拠のない嫌な勘っていうのは……悪い時に限って、百発百中で当たるんだから』

 

ヒナは激しい硝煙の彼方で、重いため息を吐きながらそう告げた。その声は、いつになく真剣だった

 

「気をつけろって言われても……具体的に何を?」

 

『分からないわよ。私には、トリニティに今年入学したっていう、あの未来を予知する生徒みたいに、確実に未来の出来事を言い当てられるような超能力はないんだから。ただ……胸騒ぎがするの。それだけよ』

 

「ふーん……。他ならぬヒナがそこまで言うなら、今日は少し、気を引き締めて行かないとダメですね」

 

ホシノの言葉に呼応するように、足元で大人しく待っていた白子が、ピンと耳を立てて短く吠えた

 

『ワフ!』

 

「うへ、ほら、うちの優秀な番犬も警戒レベルを上げたみたいです。忠告ありがとうね、ヒナ。……その馬鹿な中学生を無事にボコボコにできたら、今度こっちに来た時に、また一緒に散歩にでも行きましょう」

 

『ええ。それは、少し楽し――』

 

『ハーハッハッハッハー! 浅はかなりエリート様!最近活躍している威厳の欠片もないちんちくりんのチビひとりに怯える、この鬼怒川カスミではないわー!』

 

『…………』

 

その瞬間、スマートフォンの向こう側から、ピシリ……と、何かの精密機器、あるいは銃のグリップを素手でミシミシと握りつぶしそうな、恐ろしい音が届いた

 

(あ、これ、身長のことを完璧に馬鹿にされて、理性のタガがブチ切れたな……)

 

ホシノの脳裏に、小柄な身体から凄まじい威圧感のオーラを放ち、瞳の奥にドス黒い炎を宿らせているヒナの姿が、ありありと浮かび上がった

 

『……ごめんなさい、ホシノ。私からの話は終わったから、一度切るわね』

 

「あ、うん。お疲れ様、頑張ってね――」

 

しかしいつまで経っても音声は途切れず、ヒナが通話終了ボタンを押し忘れたのか、あるいはそんな余裕すら失うほど激昂したのか、生々しい戦場の音声が流れ続ける

 

『お、お前が噂の空崎ヒナか! 我々の崇高な温泉開発を邪魔するなら、この「温泉掘削用ダイナマイト」で容赦な――』

 

『……うるさい、黙りなさい。大人しくしなさいって言ってるでしょうが、このクソガキ』

 

『ひぎぃぃぃっ!? 待っ、威力が、火力が違いすぎ――!?』

 

直後、ドゴォォォン!!! という、本日最大級の情けない大爆発の音と共に、中学生の悲痛な悲鳴が響き渡った

 

「うへぇ……ヒナってあんなに口が悪くなるんだ……。そういえばお風呂に一緒に入った時も片鱗出てたねぇ」

 

これ以上聞いていてはいけない、プライバシーの侵害(と、主にカスミの尊厳破壊)になりかねないと思い直したホシノは、苦笑いしながら画面の終了ボタンをそっとタップした

 

通話が切れ、再び静寂が戻った生徒会室。ホシノは手元の中で静かになったスマートフォンを見つめ、首を横に振った

 

「……ゲヘナも大変ですね。うへ〜、今度ヒナがアビドスに遊びに来た時には、何かとびきり甘いものでも用意して、ストレスを極限まで解消させてあげないとですね、これは」

 

『わぅ?』

 

不思議そうに小首を傾げる白子の頭を優しく撫でながら、ホシノは「よし、それじゃあ今度こそ、お騒がせなユメ先輩の迎えに向かいましょうか!」と声をかけ、今度こそ、アビドスの静かな青空の下へと力強く一歩を踏み出した

 

しかし――。

 

まるでその決意を嘲笑うかのように、またしてもホシノのポケットの中でスマートフォンがけたたましく鳴り響き、砂漠へと踏み出したはずの彼女の足が、虚しく空を切った

 

「全くもう……次は一体誰ですか? 私、自分の携帯番号は必要最低限の相手にしか教えてないんですけど……」

 

『わふ……』

 

主人の度重なる足止めに、白子もどこか同情するような、あるいは呆れたような声を漏らして座り込む。ホシノは深く、今日一番の重い溜息を吐きながら、忌々しげにスマートフォンを引き抜いて画面を見つめた

 

だが、液晶に映し出された文字列を見た瞬間、彼女の細い眉がぴくりと跳ね上がった

 

画面に表示されていたのは、先ほどまで待ち侘びていた「ユメ先輩」の四文字だった

 

「…………白子。どうやら、お気楽なお迎え作戦は無しになりそうですよ」

 

『わふ?』

 

さらに深く首を傾げる白子をよそ目に、ホシノの脳裏に、先ほどのヒナの「嫌な予感」という言葉が不吉な質量を持って蘇る。ホシノは無言のまま通話ボタンを押し、冷徹な手つきで端末を耳へと当てた

 

「ユメ先輩、どこで何をしてるんですか? もうお昼を過ぎてますけど。まさかまた、迷子の親でも探してるんじゃありませんよね」

 

あえて普段通りの、呆れた後輩を装った声音。しかし、受話器の向こうから返ってきたのは、そんな静かな日常を木っ端微塵に打ち砕く、低く濁った、聞き覚えのない男の声だった

 

『――【暁のホルス】だな?』

 

その単語が鼓膜を叩いた瞬間、生徒会室の空気が完全に変質した。ホシノの全身から、先ほどまでの緩い「日常のオーラ」が霧散し、戦場を幾度も潜り抜けてきた極限の冷気が吹き荒れる。オッドアイの瞳が、獲物を屠る猛獣のそれへと変貌した

 

「お前、誰だ。ユメ先輩の携帯で、何をしてる」

 

地を走るような、極低温の声音。しかし、電話の向こうの男は、ホシノの放つ明確な殺気にも怯むことなく、下卑た笑い声を漏らした

 

『ははは! そう警戒するなよ、アビドスのちんちくりん。安心しろ、今は『まだ』何もしてない。この能天気な女会長も、五体満足でそこに転がっているからさぁ』

 

このねっとりとした、品性の欠片もない傲慢な話し方。相手は間違いなく、キヴォトスの裏社会に巣食う、金と暴力のためなら手段を選ばない「汚い大人」だ

 

そう確信した瞬間、ホシノの指先が、スマートフォンの筐体が軋むほどの力で静かに強張った

 

「……ユメ先輩の髪の毛一本にでも傷がついてみろ。お前の安全も、お前に関わるすべての連中の命も、明日を迎える保証はないからな」

 

『おお、怖い怖い。流石はアビドスの最高戦力、脅し文句の年季が違う。だがなぁ、こっちだって『命懸け』なんだよ! 貴様に基地を文字通り木っ端微塵に破壊され、俺たちの可愛い部下たちは路頭に迷う羽目になったんだ。その恨み、忘れたとは言わせんぞ? これから俺たちが何をしでかすかは、すべて貴様の、いや、【暁のホルス】の態度次第だ』

 

電話口から、何人もの男たちが下俗に同調する笑い声が聞こえる

 

(お前らが路頭に迷おうが知ったことじゃないんだけど)

 

数多の敵基地を単身で叩き潰し、もはやそれが日常の作業と化しているホシノにとって、自分が壊した有象無象の組織の顔や声など、いちいち覚えてはいられない。だが、よりにもよってアビドスで最も守るべきユメを人質に取り、学校の未来を人質にして仕返しに来るとは――

 

本当に、いい度胸をしている

 

静かな、けれど逃れようのない絶対的な怒りが、ホシノの細い手を伝ってスマートフォンへと伝播していく

 

「それで? 丁寧な前置きはいいから、お前の要求は何だ。何をすれば、その人を返す」

 

『私の要求はただ一つ。このお荷物なアホ女と引き換えに、お前は【手ぶら】で私達の前に来い』

 

「……手ぶら、ね」

 

『話が難しかったか? 脳まで砂が詰まっているわけじゃないだろう。お前がいつも背中に携えている、その物騒なショットガンを今すぐその教室の机の上に置いて、完全に丸腰で来いと言っているんだよ。もし少しこちらの要求を無視するというのならば、この女の身柄がどうなるか……分かっているな?』

 

ホシノの白いこめかみに、青い筋がはっきりと浮かび上がった。相手は自分が絶対的な優位に立てていると確信しているのだろう、挑発的な言葉を次々と並べ立て、ホシノが苛立ち、絶望する様子を電話越しに楽しんでいるのが手に取るように分かった

 

(愛用している……銃、ね。なるほど)

 

ホシノは一度だけ、自らの背中に重々しく鎮座しているショットガンに視線をやった。銃による防衛が当たり前のこのキヴォトスにおいて、銃を持たずに外を出歩くということは、全裸で戦場に飛び込むのと同じくらい正気の沙汰ではない。それを理解した上で、相手は明確な「詰み」を要求しているのだ

 

だが、ホシノの表情から、徐々に焦りが消えていく。代わりに宿ったのは、底冷えするような冷徹な計算だった

 

「分かった。どこに向けばいいんだ」

 

『おお、話が早くて助かるよ! 潔いのは美徳だな。場所はアビドス砂漠南端、今は使われていない旧クローズドエリアの廃倉庫だ。……間違っても、他の自治区に援軍を頼もうなどと思うなよ? お前一人で来るんだ。まぁ、お前らのような、破産寸前で誰も寄り付かない困窮しているゴミ屑学校では、助けに来てくれる奇特なヤツなんて、ハナから居ないだろうけどな! ハーハッハッハ!』

 

男は勝ち誇ったような大笑いを残し、一方的に電話を切った。ツーツーと虚しい電子音が響く。最後の最後まで人の神経を正確に逆撫ですることに関しては、ある種の才能だと感心すら覚えるほどだった

 

ホシノはゆっくりとスマートフォンを耳から離し、小さく息を吐いた

 

(……本当に。ヒナの予感っていうのは、こういう最悪な時に限って、面白いくらいに当たるんですね……。今度会ったら、絶対に高いパフェでも奢ってあげないと)

 

『わふ……? クゥォン……』

 

足元の白子が、ただ事ではない主人の雰囲気を察したのだろう、心配そうに潤んだ瞳でホシノを見上げて、その制服の裾を小さく引いた

 

ホシノはスマートフォンを静かにポケットにしまい込むと、わずか一秒、息を吸って吐く間に、その顔へいつもの「何も考えていないような、ゆるくて優しい笑顔」を完璧に貼り付けた

 

その声音からも、その表情からも、先ほどまで部屋を支配していた絶対的な殺気は綺麗さっぱり消え去っている

 

「ごめんね、白子。大丈夫だよ、何でもないからね〜」

 

そう言いながら、驚いて固まっていた白子の前でふわりと屈み込み、ふわふわとした顎のあたりを優しく撫でてやる。その白く小さな手は、微塵も震えていなかった

 

「ちょっと私、今から一人で、急ぎの用件でお出かけしないといけないところが出来ちゃいまして。だから白子は、ここでいい子でお留守番をお願いしますね?」

 

『くぅ〜ん……』

 

主人のただならぬ「気遣い」を察したのか、白子は納得のいかない様子で耳を伏せ、鼻を鳴らす

 

ホシノはゆっくりと立ち上がると、自らの半身とも言える愛用のショットガンを背中から外し、そっと生徒会の木製の机の上へと置いた。ガチャン、と重厚な金属が机に当たる、硬く冷たい音が室内に寂しく響く

 

白子はその銃と、すでに歩き出そうとしているホシノの顔を、引き留めるように交互に見つめていた

 

「ふふ、そんな顔しないでください。大丈夫、丸腰の私を相手にする方が、よっぽど恐ろしいってことを……あの汚い大人たちに、骨の髄まで教えてあげるだけですから」

 

ホシノは最後に一度だけ、白子の頭をぽんぽんと優しく叩いた

 

『わふ……』

 

「よし、行ってきます。帰ってきたら、あの警戒心ガバガバなユメ先輩に特大の説教をカマしたあと……たまにはアビドスの予算を無視して、白子に美味しいお肉でもお腹いっぱい食べさせてあげないとですね」

 

そう言い残すと、ホシノは徹底して敵の裏をかくため、敢えて『相手の要求』を額面通りに呑む形で愛用のショットガンを机に残した。窓から差し込む、どこまでも残酷で鋭い真昼の太陽の光を浴びながら、彼女は生徒会室の扉を静かに開け放つ

 

ユメを、そしてアビドスの騒がしくも愛おしい日常を取り戻すための孤独な戦場へと、彼女はただの一度も後ろを振り返ることなく、迷いのない強固な足取りで歩みを進めていった

 

 

アビドス自治区南端、陽炎がゆらゆらと地面から立ち上る荒野の果て

 

かつて企業の物資集積所として使われていた、今は完全に錆び付いた巨大な廃倉庫

 

「おい、本当にあの『暁のホルス』が丸腰で来んのかよ……?」

 

「リーダーの言う通りならな。あいつさえ無力化すれば、アビドスなんて俺たちの植民地よ!」

 

「油断するなよ。あのバケモノ、銃がなくても何しでかすか分からねえからな。来たら一斉に蜂の巣にしてやるんだ」

 

その周辺には、銃器を手にした粗暴なヘルメット団の構成員や、どこからか多額の資金で雇い入れたのであろう精悍な顔つきの民間軍事会社の傭兵など、総勢数十人にも及ぶ武装集団が、蟻の這い出る隙間もないほどの厳重さで正面入り口を包囲していた

 

土嚢を高く積み上げ、重機関銃を三脚に据え付け、誰もが「暁のホルス」が絶望しながら丸腰で現れる瞬間を、今か今かと待ち構えている

 

その包囲網の遥か奥。万が一激しい戦闘や爆発が発生しても、自分だけは確実に安全な場所に避難できるよう、倉庫の最深部に陣取っていた中型のタクティカル・ロボットが、キャタピラを不快に駆動させながら、下卑た金属音混じりの笑声をあげていた。その視線の先には、古びた鉄製の椅子に頑丈な軍用ワイヤーで幾重にも括り付けられ、身動き一つ取れない状態のユメの姿があった

 

「んーーーっ! んんんーーーっ!」

 

口を厚手の粘着テープで完全に塞がれたユメが、必死に何かを訴えかけるように声を曇らせ、身体をよじる

 

「ふん、今更喚いたところで無駄だ。貴様の泣き言など聞く価値もないわ。アビドスの女会長よ、貴様には、自分の絶対的な存在だと信じ切っていた生意気な後輩が、我々の圧倒的な火力の前に丸腰で引きずり出され、無惨にいたぶられていく姿を、その特等席から絶望に染まった顔で見届けるという重要な役割があるのだからな! これで奴のプライドも、アビドスの防衛線も、文字通り粉々にへし折られるだろう! ハハハハハ!」

 

ロボットのモノアイが不気味に赤く明滅し、油の浮いた不快な電子音声が薄暗い倉庫内に反響する

 

(どうしよう、どうしよう……! 困っている迷子の人を案内してあげてたら、後ろから突然電気ショックで襲われて、気づいたらこんなところに捕まってて……! 私のせいで、ホシノちゃんが、ホシノちゃんが大変なことになっちゃう……!)

 

ユメは焦燥感と申し訳なさで胸が張り裂けそうになりながら、必死に全身を小刻みに揺すって抵抗を試みた。しかし、容赦なく締め上げられた軍用のワイヤーは彼女の華奢な体や手足を椅子に完璧に固定しており、指先一つまともに動かすことができない

 

そればかりか、鉄製の椅子自体が「万が一にも人質に逃げられないように」と、重機用の超強力な工業用接着剤でコンクリートの床面に完全に硬化・溶着されており、物理的な破壊なしにはびくともしない構造になっていた

 

「今日こそが我が組織の屈辱の歴史を塗り替え、このアビドス砂漠の天下に返り咲く歴史的な瞬間なのだ!!」

 

復讐の快感に完全に酔いしれたロボットが、天井に向けて機械の腕を突き上げ、歓喜の咆哮をあげた――まさにその瞬間だった

 

「――天下になった瞬間なんて、これまでの歴史で一度でもありましたか?」

 

「は……? ぶふぇっ!?」

 

突如として、埃っぽい倉庫の天井付近、遥か上空の錆びついた鉄骨から、あまりにも聞き慣れた、低く冷ややかな少女の声が降ってきた

 

ロボットが驚愕してモノアイを真上へと向けようとした刹那、すでに視界のすべてを遮るように肉迫していたホシノが、高度からの自由落下による位置エネルギーをすべて乗せた、一切の手加減のない痛烈なかかと落としをその脳天へと叩き込んだ

 

ガシャアアアアン!!! と凄まじい金属の破壊音と衝撃波が走り、ロボットの強固な頭部装甲が派手にひしゃげ、電子火花を撒き散らしながらコンクリートの床へと叩きつけられる

 

暗視センサーや内部の重要なプロセッサが一撃で致命的な損傷を受け、ロボットはまともな警告音すら鳴らせずにその場に沈黙した

 

「全く、正面の入り口だけを文字通りバカみたいに固めて、上空の搬入口や換気ダクトといった他のルートを完全に手薄にしたら、こうやって簡単に裏を取られるってことも分からないようでは……天下なんて、夢のまた夢の、そのまた夢ですよ」

 

ホシノは風圧で乱れた前髪を軽く払い、ため息混じりに呆れ果てた表情を浮かべた。そして足元で黒煙を吹いているロボットを見下ろすと、床に転がっていた太い牽引レーン用のスチールロープを拾い上げ、手際よくその巨体を近くの頑丈な鉄柱へと何重にも縛り付け、完全に無力化する

 

「んんんん! んんっ!」

 

即座に背を向け、緊迫した面持ちでユメの元へと駆け寄るホシノ

 

まずはユメの呼吸を確保するため、口元に貼られていた粘着テープを躊躇なくベリッと剥ぎ取り、続いて手足のワイヤーの複雑な結び目を、恐ろしいほどの素早い手つきで解いていく

 

「ぷはっ……! あ、ありがとう……ホシノちゃん……! もう、本当にビックリしちゃったよぅ! まさかホシノちゃんが、あんな風に天井から降ってくるなんて思わなかったもん!」

 

自由になった口で、ユメは涙目をきゅっと拭いながら大きく息を吸い込み、いつもの調子で大袈裟に胸を撫で下ろした

 

「うへ、こういう頭の硬い馬鹿どもの集団はね、『相手を丸腰にさせ、正面から歩かせる』っていう自分たちの都合のいい目的を達成したと思い込んだ時点で、完全に勝利を確信して油断するんですよ」

 

ホシノはふっといつもの緩い表情に顔を和らげると、ワイヤーで縛られて赤く充血してしまったユメの手首を、自らの白い両手で包み込むようにして優しく擦り始めた

 

「だから、他の侵入経路に対する警戒が驚くほど杜撰になるんです。……まあ、今回は手薄どころか、この奥には見張りすら一人も配置されていませんでしたけどね。本当に、さっきまでゲヘナで大暴れしてたっていう不届きな中学生たちの爪の垢でも煎じて飲ませてあげたいくらい、ガバガバな作戦です」

 

「うぅ……ホシノちゃん、本当にごめんね。私の不注意のせいで、こんなことになっちゃって……。迷子になってる人がいるって聞いて、案内してあげてたら、後ろから突然スタンガンでバチンって……うぅ、面目ないです……」

 

ユメは眉を八の字に下げて、今にも泣き出しそうな顔で謝罪の言葉を並べる。しかしホシノは、頼もしい笑みをその唇に浮かべたまま、そっと彼女の手首の傷を労わった

 

その丁寧な手つきには、先ほどまで空気を凍らせていた「戦鬼」としての冷徹さは微塵もなく、ただただ大切な先輩を心配する、一人の生意気で温かい後輩としての姿だけがあっ

 

「いいんですよ。先輩が無事なら、それで十分です。余計な怪我もなさそうですし……。さてと」

 

ホシノが静かに立ち上がり、すっと振り返ったその瞬間

 

背後の鉄柱に厳重に縛り付けられ、今なお首の隙間からバチバチと苦しげな火花を散らしていた中型タクティカル・ロボットが、油まみれの駆動音を「ギギギ……」と不快に軋ませながら、ひび割れたモノアイを激しく発光させてホシノを睨みつけてきた

 

「ぐぅ……き、貴様……っ! よくも、よくも私の完璧な、美しき復讐の作戦を……!」

 

「なんですか? 人のスマホを使ってあれだけ散々私を煽っておいて……いざ蓋を開けてみれば、上空の警戒すらロクにしていなかった大マヌケさん。作戦って言葉、辞書で引き直してきたらどうですか?」

 

ホシノは冷ややかな視線を突き刺し、侮蔑を隠そうともせずに言い放つ。その底冷えするような圧倒的な威圧感に、ロボットの音声回路が一瞬怯むように「ピ、ピガッ……」と不快なデジタルノイズを発した。しかし、自身の窮地を認めようとしないその歪んだプライドが、形勢を逆転させようと、再び下卑た電子の笑い声を絞り出させる

 

「ぐ、ぐぬぬ……! だ、だが! 貴様、あの忌々しいアビドスの【ショットガン】は、こちらの要求通りしっかりと生徒会室に置いてきたようだな! その背中にも、手元にも、あの物騒な銃は見当たらんぞ!」

 

「ええ、約束ですからね。一応、これでも私は律儀な方なんですよ。あなたもその汚い口の利き方の割には、ユメ先輩に最低限の拘束以外の危害は加えていないようですし。そこだけは、万死に値する罪の中から少しだけ減点して評価してあげます」

 

その言葉を聞いた瞬間、ロボットは自身のモノアイを怪しくニヤリと赤く発光させ、勝利の確信を呼び戻したように、ガシャガシャと激しい金属音の笑いをあげた

 

「ハーハッハ! 認めよう、貴様一人の超人的な身体能力ならば、あの高い天窓から侵入し、私を奇襲することくらいは容易かっただろう! だが、問題はここからだ! そこの、まともに戦いもできないお荷物なアホ生徒会長を連れてこの廃倉庫から脱出するとなれば、あの数十人の完全武装した精鋭が待ち構える【正面入り口】から堂々と出ないといけないのだ! 武器を持たない貴様が、そのデカいだけの女を庇いながら、あの圧倒的な弾幕を凌げるわけがない! 結局は、我々の前に引きずり出されて嬲り殺される運命なんだよ!」

 

「…………」

 

倉庫の奥に響き渡るロボットの勝ち誇った哄笑。それを遮るように、ホシノの周囲の空気が一段と冷たく冴え渡る

 

彼女は歩幅の音すら立てず、まるで砂漠の幽霊のように、音もなくロボットの目の前へと歩み寄った

 

「……あなたに、3つ、言わせてください」

 

ホシノは完全に光の消えた瞳を向けながら、ゆっくりと腰を落とす。そして、ロープでガチガチに固定されて身動きが取れないロボットの頭部を、自らの細く白い指先で、力任せにガシッ!!! と鷲掴みにした

 

ミシミシ、バリバリ、と、生々しく不穏な金属の破壊音が静かな倉庫に響く

 

ホシノの手指がロボットの強固な合金装甲に深く食い込み、固定されているロープの張力と相まって、ロボットの首の駆動系が悲鳴をあげ始めた

 

「いだだだだ!? 圧が、圧力が強すぎる! 壊れる、頭部ユニットがひしゃげるぞ!? 」

 

「ひとつ。確かに私は、あなたの要求通り、自分の命よりも大切な『愛用の』ショットガンは、アビドスの生徒会室の机の上に綺麗に置いてきましたよ。……でもね」

 

ホシノはもう片方の手を滑らかに動かし、自らの制服のジャケットの内側、腰のホルスターへと手を伸ばした

 

そこから極めて自然な、無駄のない動作で引き抜かれたのは、鈍い黒光りを放つ、機能美に溢れた一丁の軍用ハンドガンだった

 

「――ハンドガン(これ)は、持ってきているに決まってるでしょう?」

 

「なっ……!? き、貴様……約束が違うぞ! 丸腰で来いと言ったはずだ、この卑怯者が……!」

 

ロボットのモノアイが恐怖で激しく点滅する。しかし、ホシノはそのハンドガンの冷たい銃口を、ロボットの眉間のセンサーへとこれ見よがしにカチリと突きつけながら、極上の冷笑を浮かべた

 

「卑怯? 心外ですね。貴方が電話で言った言葉を、その頼りないメモリでもう一度よく再生してみたらどうですか? あなたは『お前が愛用している銃をその教室に置いて、丸腰で来い』と言ったんです。このキヴォトスにおいて、自分の命そのものである『愛用のメインウェポン』を置いて戦場に赴くなんて、それこそ全裸で歩き回る『丸腰』と同義なんですよ。つまり私は、あなたの言葉の定義を100%完璧に解釈して、指示通りここに手ぶらで来たんです。約束はきっちり果たされています。文句がありますか?」

 

「そ、そんなの……そんなのはただの屁理屈だ! 悪質な詭弁だろ!!」

 

「なんですか? 自分の詰めが甘かったのを棚に上げて、今更それを屁理屈とでも言いたいんですか?」

 

ホシノは鷲掴みにした手の力をさらに込め、ロボットのメインセンサーの強化ガラスをピキピキと音を立ててヒビ割れさせた

 

「……だったら、最初から『キヴォトスに存在するすべての銃、火器、予備の弾倉、その他すべての武器を部屋の床に置いて、一切の抵抗手段を捨てて裸体で来い』とでも細かく指定したらどうなんですか? 最初にここへ来た時、私はちゃんと指示通り両手には何も持たず『手ぶら』で入ってきたんですから、文句を言われる筋合いはありません。自分のガバガバな危機管理能力と、命令書の作成能力の低さを、他人のせいにしないでください」

 

「ぐ、が……! 融通の利かないガキめ……!」

 

至近距離で放たれるホシノの圧倒的な覇気と、突きつけられた銃口の絶対的な死の気配。ロボットはもはや、回路がショートしたかのようなノイズ混じりの哀れな悲鳴をあげることしかできなかった

 

「……2つ目です」

 

ホシノはさらに声を一段と低く沈め、ロボットのメインセンサーを正面から見据えた。その瞳に宿る冷徹な怒りは、もはや近くにいるだけで凍死しそうなほどの質量を伴っている

 

「誰のことをアホだとか、ゴミクズ学校だとか言っているんですか? 確かに……うちのユメ先輩はお人好しで、警戒心がガバガバで、今回みたいに簡単に騙されやすい、ちょっと困った人です。……ですがね、あなたみたいな、他人の優しさを利用することしか脳にない汚いロボットごときに、そんな風に言われる筋合いはこれっぽっちもないんですよ」

 

「ホシノちゃん……」

 

背後でその言葉を聞いていたユメが、胸を強く締め付けられたように小さく、愛おしむような声を漏らす

 

「あの人は、あの人なりに、借金だらけになったこのアビドスを、大好きな学校をもう一度復興させようって、毎日毎日必死に頑張っているんです! 誰よりもアビドスの未来を、砂に埋もれた可能性を信じているその人を……これ以上、絶対に馬鹿にするな!!」

 

「がぁ!!?」

 

ガギィィンッ!! と激しい金属音を立てて、ホシノは鷲掴みにしていたロボットの頭部を乱暴に放り出す

 

ロボットのメインフレームが背後の鉄柱に叩きつけられ、ひときわ大きな火花が散る

 

「――それと、最後にもうひとつ」

 

ホシノは懐から予備の弾倉を取り出し、手慣れた美しい動作でハンドガンのグリップへと叩き込んだ。カチャリ、と重々しい装弾音が静寂に響く。彼女は親指でハンドガンのセーフティを滑らかに解除しながら、ゆっくりと正面入り口の方向へと歩み始めた

 

「さっきここに来る途中、天窓から一通り確認させてもらいましたが……正面の入り口に揃えたあなたの戦力、せいぜい数十人。どれだけ多く見積もっても100人には満たない人数ですね」

 

「そ、それがどうした……? 今の貴様なら、その人数でも十分に……!」

 

「たかが数十人程度の兵士で……。私のメインウェポンが無い、たったそれしきの理由で……。私が、あんな有象無象の弾幕を突破できないと、本気でそう思っているんですか?」

 

「なっ……! 貴様、何を……!? 正気か!?」

 

ロボットは信じられないものを見るような、驚愕と、今更になって湧き上がってきた本物の恐怖の混じった目で、ホシノの小さな後ろ姿を見つめた

 

「そ、そんなのただの強がりだ……!! 相手は最新鋭の突撃銃や、土嚢に据え付けた重機関銃を構えているんだぞ!? ハンドガン一丁の貴様が、正面から行って生きて戻れるわけが――」

 

「ユメ先輩」

 

ホシノはロボットの狼狽した叫びを完全に遮り、振り返ってユメの方を見た。その顔には、先ほどまでの冷徹な戦鬼の表情は綺麗さっぱり消え失せ、いつもの、柔らかくてどこか頼もしい「アビドスのホシノ」としての優しい笑みが浮かんでいた

 

「ここで、ちょっとだけ耳を塞いで待っててくださいね。すぐに片付けてきますから」

 

「う、うん……! わかった。気をつけてね、ホシノちゃん……! 無茶はしちゃダメだよ!」

 

ユメがコクコクと力強く頷き、両手でしっかりと耳を塞ぐのを見届けると、ホシノは一瞬で表情を戦士のそれへと戻し、正面入り口へと続く薄暗い通路の向こうへ、弾かれたように走り去っていった

 

直後

 

頑丈な鉄扉の向こう側、正面入り口の防衛陣地から、それまで丸腰の獲物を待ち伏せをしていたはずのヘルメット団や傭兵たちの、ひっくり返ったような絶叫が次々と倉庫内に響き渡った

 

『なっ!? な、何でお前が後ろから出てくるんだよぉぉ!? 嘘だろ、正面から歩いてくるんじゃねえのか!?』

 

『おい! 中の依頼人はどうした!? 作戦はどうなってるんだ!?』

 

『怯むな、やれ! 構わん、撃て撃て! あいつはあの物騒なショットガンを持ってないぞ! ハンドガン程度なら、数と火力でゴリ押せば一瞬で――』

 

――ドゴォォォォンッッ!!! ――

 

彼らの無意味な怒号を完全に掻き消すように、倉庫の入り口付近で凄まじい大爆破の音が炸裂した

 

『ぎゃあぁぁぁーーー!?』

 

『手榴弾だ! あいつ、ハンドガンだけじゃなくて大量の手榴弾を隠し持って突撃してきやがったぞ!!』

 

『馬鹿野郎、弾道が読めねえ! 遮蔽物を無視して突っ込んでくる! 動きが速すぎる、化け物か!?』

 

狂ったように連射されるアサルトライフルの乾いた銃声。しかしそれ以上に、正確無比に敵の眉間を撃ち抜いていくハンドガンの重々しい銃声と、肉体や土嚢が容赦なく吹き飛ぶ連続爆破音が、激しい硝煙の嵐と共に廃倉庫全体を激しく揺らし続ける。まさに、圧倒的なまでの蹂躙。戦場の死神による、完璧な「お掃除」だった

 

それから――ほんの数分が経過した頃

 

あんなに騒がしかった無数の銃撃音も、ヘルメット団の悲鳴も、爆発の轟音も

 

まるで最初から何もなかったかのように、ピタリと、完全に止まった

 

「ふぅ……。全く、本当に軍事訓練とか受けてますか? あいつら。これなら、いつもうちの学校の敷地境界線あたりをウロウロしてる、その辺のゴロツキのヘルメット団の方が、よっぽど手応えがありましたよ」

 

立ち込める黒煙を割って、少しだけ乱れた前髪をふいと払いながら、ホシノがいつもの淡々とした足取りで戻ってきた

 

制服のジャケットの袖口についた硝煙の煤を、パンパンと面倒そうに叩く彼女の姿には、怪我どころか、砂埃以外の掠り傷一つ見当たらない

 

「な、なっ……!? ば、馬鹿な……本当に、あの数を……!? しかも、たった数分、ハンドガン一丁と手榴弾だけで、全員全滅させただと……!? バケモノか、貴様は……!」

 

鉄柱に縛り付けられたロボットが、ガタガタと全身の油まみれの駆動系を激しく震わせながら、恐怖に歪んだモノアイでホシノを見つめた

 

最新鋭の突撃銃や重機関銃で完全武装した傭兵集団、数十人の戦力が、文字通り「塵」のように掃討されたという冷酷な現実

 

彼の安物のプロセッサは、目の前で起きた最悪の演算結果を未だに処理しきれず、過負荷によるエラー警告の電子音を小さく鳴らし続けている

 

「うへ、バケモノだなんて失礼ですね。これでも一応、か弱い現役の女子高生なんですけど?」

 

ホシノは冷ややかに言い放つと、ハンドガンのスライドを軽く引き、薬室に残った残弾がないかを目視で素早く確認した

 

「ホシノちゃん! おかえりなさーい!」

 

そんな廃倉庫を支配する緊迫感を完全に無視して、満面のひまわりのような笑顔でホシノへと飛びついた。そして、硝煙の匂いが染みついたその小さな身体を、思い切りぎゅーっと抱きしめる

 

「なっ……ちょっと、ユメ先輩!? は、恥ずかしいですから急に抱きつくのやめてくださいってば! ほら、離れて!」

 

「えへへ〜、だって、さっきホシノちゃんが『あの人は毎日毎日必死に頑張っている、絶対に馬鹿にするな!』って、私のためにあんなに熱く怒ってくれてたのが、すっごく、すっごく嬉しかったんだもん! つい、お姉ちゃん心が大爆発しちゃいました〜♪」

 

「〜〜〜〜っっっ!!」

 

ユメの無邪気で、一切の容赦のない直球の追撃。それを至近距離で浴びたホシノは、一瞬で耳の根元まで真っ赤に染め上げた

 

ユメの柔らかな腕の中から身をよじるようにして離れると、ふん、とあからさまに顔を斜め後ろへと逸らす。そして、動揺を誤魔化すように怒涛の早口でまくしたてた。

 

「な、何を言ってるのかさっぱり覚えていませんね! 記憶にありません! ただ、その、うちの生徒会長が不当に貶められるのが、アビドス全体の不利益になるから組織の防衛反応としてですね……! そんなことより、用が済んだのでさっさと学校に帰りますよ!」

 

「ふふふ、そうだね! 白子ちゃんも、お腹を空かせて首を長ーくして待ってるだろうし、今日の夜ご飯の相談もしながら帰ろう?」

 

「……白子にはお肉を食べさせますけど、先輩には特大の説教が待ってますからね。覚悟しておいてください」

 

「うぇ〜、ホシノちゃんの説教、長いからなぁ……。でも、ホシノちゃんが怒ってくれるなら、ちょっとだけ嬉しいかも?」

 

「なっ……! 本当に反省してますか、この人は!?」

 

これ以上からかうと、本当にホシノが本格的に拗ねて殻に閉じこもってしまう

 

長年の付き合いで彼女の扱いをよく分かっているユメは、それ以上は何も言わずにニヤニヤと楽しげな笑みを浮かべ、ホシノのすぐ隣を歩き始めた

 

「ぐ、ぐぐ…」

 

その二人の微笑ましい背中を、柱の影から、ただただドス黒い憎悪の光で見つめていたロボット

 

二人が完全に自分に背を向け、倉庫の出口へと向かって数歩、完全にこちらの警戒を解いて踏み出した――まさにその瞬間、ロボットのひしゃげた音声回路が、小さく、不気味に「キシャシャ……」と歪んだ

 

「さてと……。今日は全身煤だらけになっちゃいましたし、学校に戻ったら、まずはお風呂に直行ですかね。先輩のせいで無駄な体力を使いました」

 

「良いねぇ! その後、今日はホシノちゃんが私のことを本当は大好きだって認めてくれたお祝いも兼ねて、生徒会室でお泊まり会にしちゃおうよ! 買い置きのお菓子もたくさんあるし、クジラさんのぬいぐるみも持ってきて――」

 

ユメが嬉しそうにこれからの予定を弾んだ声で話している、まさにその言葉の途中だった

 

(カチッ……)

 

埃っぽい倉庫の床のきしみとは明らかに違う、極小の、けれど冷徹な、機械式の信管が噛み合うような異音が、ホシノの鋭敏な鼓膜を鋭く弾いた

 

(この音――確実に、遠隔、あるいはタイマー式の信管が作動した音……!)

 

戦場を嫌というほど駆け巡り、数々の死線を潜り抜けてきたホシノの天才的な直感が、一瞬で最悪の結末を導き出す

 

あのロボットの体内、あるいはユメが括り付けられていた椅子の真下に、最初から仕込まれていたのだ。万が一、作戦が失敗した時に、人質ごとすべてを木っ端微塵にするための「自爆用」のセテックス高エネルギー爆薬が

 

「ユメ先輩――っっ!!」

 

「へ……?」

 

考えるよりも早く、ホシノの身体は弾丸のように動いていた。手に持っていたハンドガンを床に放り出し、自らの小さな身体のバネを極限まで使って、隣を歩いていたユメの細い腰のあたりを、全力で前方へと突き飛ばす

 

音の聞こえた方向と、これまでの経験から瞬時に弾き出した爆発の指向性。ユメが飛ばされた扉側の方向であれば、コンクリートの太い梁が完璧な遮蔽物となり、確実に爆風の安全圏に届く。まずはユメを助ける――その判断に一分の迷いも、一瞬の躊躇もなかった

 

一瞬の浮遊感の後、ユメの身体が安全な通路の奥へと転がっていくのが視界の端に見えた

 

よし、と次は自分もその爆風の範囲から退避しようとした、その刹那――ホシノは、自らの決定的なミスに気づき、背筋が凍りついた

 

全体重をかけてユメを力一杯に押し出した反動で、自らの体勢が完璧に崩れ、床の上で完全に硬直してしまっていたのだ。今から地を蹴って跳んだとしても、爆発の速度には到底間に合わない

 

(くっ……! しまった……! ――でも、ユメ先輩ならともかく……頑丈な私なら、直撃を避ければ少し痛い目を見るだけで済む……!)

 

ホシノは瞬時に覚悟を決め、迫り来る爆風の熱線と破片から、顔面と生命維持に必要なヘイローの機関を保護するため、両目を強く閉じた。そして両腕を顔の前で激しくクロスさせて、強烈な衝撃に備えた

 

しかし

 

「ぐふっ!? ――え?」

 

予想していた熱い爆風よりも僅かに早く、ホシノの腹部に、ずしりとした「質量」を伴う強い衝撃が走った

 

そのまま身体が後ろへと大きく吹き飛ばされる

 

(爆発の風じゃない……。いや、何、この、柔らかくて、あったかい感触……?)

 

一瞬、ホシノの脳内をそんな疑問が過った、まさにその瞬間

 

視界のすべてを真っ白に染め上げる強烈な閃光と、鼓膜が文字通り破裂するかのような大爆音、そして、金属の破片やコンクリートの破片が飛び散り、壁に激しく激突する音が響き、倉庫の奥が完全に吹き飛んだ

 

そして、その激しい爆煙の向こう側から、聞き慣れた、けれど、ここでは絶対に聞こえるはずのない、悲痛な叫び声がホシノの耳に届いた

 

『――キャインっ!!!』




次回の投稿は7月9日 深夜12時になります!
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