わたし、壊れてるらしいです   作:まいまいつむり

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教科書に書かれないこと

午前二コマ目。歴史の授業。

 

教室に入ったとき、黒板に今日の単元が書いてあった。「第六章 ヴェルダ戦争とその帰結」。

白墨の文字を見て、足が一瞬だけ止まった。止まったことに気づいて、すぐに歩き出した。いつかはこの章が来ると思っていた。教科書の目次を見たとき、六章の見出しが目に入って、ああ来るのか、と思った。来た。

席に座った。ルチアがもう隣にいた。ノートを開いて、ペンを出している。準備がいい。

 

ミラが隣の列から手を振った。「リーネちゃん、おはよ。今日歴史だね」

「うん。六章だって」

「ヴェルダの話でしょ。年号いっぱい出るかなあ」

ミラが憂鬱そうな顔をしている。この子は年号が天敵だ。

 

ドルフ・ブラントが教壇に立った。痩せた指の先で教科書の表紙を叩いた。口髭の下の口元が引き締まっている。新しい章に入るときの顔だ。

 

「本日は第六章に入ります。ヴェルダ戦争とその帰結。百二十八ページを開いてください」

 

紙の音が教室に広がった。

わたしも開いた。

 

百二十八ページ。章題が太字で印刷されている。

「王国による北東域の領土回復」。

 

本文の冒頭。「本節では、歴史的経緯に基づく王国の正当な領土回復と、戦後の統合政策について概観する」。

正当な領土回復。試験に出そうだからノートに書いた。字が汚い。隣のルチアのノートがちらりと見えた。整った字で同じ語句が並んでいる。同じ教科書で、同じ授業を受けている。同じ語句を書いている。

でもこの語句がルチアにとっての意味と、わたしにとっての意味は違う。ルチアにとっては試験範囲の見出しだ。わたしにとっては、まあ、それも試験範囲の見出しだ。試験に出るなら覚える。それだけのことだ。

 

ドルフが教科書を読み始めた。抑揚の少ない、穏やかな声だ。教科書の文面をそのまま声にするのが上手い人だ。

 

「ヴェルダ公国は大陸北東部に位置する小国であり、山岳地帯を中心とした限られた国土に、少数の住民が暮らしていました。王国とヴェルダの間には古くから交易関係が存在していたものの、近年の安全保障情勢を鑑み、王国はヴェルダの帰属について外交的な解決を模索しました」

 

ここまでは間違ってない。山がちで、小さくて、人が少ない。交易もあった。王都の商人が布や塩を持って来て、ヴェルダからは薬草や染料の原料を持ち帰った。母がときどきその布を買っていた記憶がうっすらある。

 

「安全保障情勢」の中身は書いていない。王国が版図を広げたかっただけだ。ヴェルダ側が王国を脅かした覚えはない。わたしが生まれるずっと前から、ヴェルダはただあの山の中にあった。

 

「しかしながら数度にわたる交渉が行われたものの、ヴェルダ側の強硬な姿勢により合意に至らず、やむなく軍事行動が取られることとなりました」

 

やむなく。

 

ノートに「外交決裂→軍事行動(ラウル暦四六二年)」と書いた。試験に出る形にした。

 

やむなく攻めてきた軍が、わたしの村を焼いた。「やむなく」の結果として、わたしの家は草に埋もれた。

書く側が言葉を選ぶ。書く側は勝った側だ。試験に出るのは教科書の方だ。

 

ミラが隣の列でノートにペンを走らせている。真面目に書き写している。年号になれば眠くなるミラだけど、今日の内容は年号じゃない。戦争の話だ。ミラの顔はいつもより少し硬い。

 

ドルフが教壇をゆっくり歩きながら講義を続けている。教科書を片手に持って、ときどき持ち上げて読み、ときどき下ろして自分の言葉で補足する。補足が上手い人だ。教科書に書いてあることを、さも自分が考えたかのように言い換える。でも教科書の外には出ない。出ないのは知らないからじゃないだろう。歴史・政治学の教官だ。検定記録を読む立場にいる。何が削られたか、知らないはずがない。知った上で、教科書の中だけで授業をしている。

 

「戦争は四年間に及びました。ヴェルダ側はその地理的特性を生かし、少数兵力による遊撃戦を展開しました。王国軍の補給線や駐屯地を攻撃する戦術であり、これにより王国軍は段階的な制圧を余儀なくされ、戦局は長期化しました」

 

前の席の男の子が手を挙げた。

 

「先生、ヴェルダは小さい国なのに、なぜ四年もかかったんですか」

 

ドルフが頷いた。良い質問だ、という顔をした。

 

「教科書にもあるように、ヴェルダの山岳地形が鍵でした。大軍の展開に不向きであり、遊撃隊は地形を熟知していたため、制圧に時間がかかったのです。教科書の地図を見てください。ここの等高線の間隔が狭い部分が山岳地帯で——」

 

ドルフが地図を指しながら等高線の読み方を説明している。

質問した男の子が真剣にメモを取っている。教科書の地図に目を落としてみた。わたしが歩いた山道が、等高線の中に埋もれている。あの急な坂は等高線が詰まっている部分だろう。夜中に荷物を背負って登った坂だ。教科書で見ると、ただの線だ。

地形の話は合っている。でも半分だ。

王国が欲しかったのは峠道だ。北に行く道はいくつかあるけど、ヴェルダの峠が一番近くて安い。道が欲しかっただけなのに、村ごと焼いた。ヴェルダが降りなかったからなのか、王国の将軍が焼く以外の方法を知らなかったのか、ヴェルダの指導者が降りる判断を間違えたのか。今ではもうわからない。

わかっているのは、ヴェルダが降りなかったことだけだ。何人死んでも、何を焼かれても、降伏しなかった。人が足りなくなったらかき集めた。大人が足りなければ女を出した。女も足りなくなったら子供を出した。

 

でもそれは教科書の正解じゃない。試験に書くのは「地理的特性により遊撃戦が有効だったため」だ。

 

ドルフが地図の説明を終えて、本文に戻った。

 

「戦局の長期化に伴い、ヴェルダ側では動員の範囲が拡大されました」

 

動員の範囲が拡大。

 

教科書にはそう書いてある。六文字。ノートに書き写す程度の分量。

 

少年兵とは書いていない。

子供を戦場に出した、とは書いていない。

十三歳の女の子が朝の点呼の列に立たされて、背の順に前から剣を渡された、とは書いていない。剣は数が足りなかったから、後ろの方の子には農具を研いだものが配られた、とも書いていない。

 

ヴェルダは小さい国だ。

大人の男だけでは数が揃わなかった。女も出た。それでも足りなかった。兵がいなければ国が消える。国を消さないために、子供を出した。

 

十三で前に出されたのは、わたし一人じゃない。

同じ年齢の子もいた。もっと下の子もいた。わたしの村の学校で一緒に字を習っていた子が三人、同じ部隊に入った。一人は背が高くて、わたしより先に剣をもらった。一人はいつも鼻を垂らしていて、泣き虫で、でも走るのだけは速かった。一人は、名前を思い出そうとすると、顔が先に来る。丸い顔。笑うと歯が一本欠けていた。

三人とも、最初の冬を越せなかった。学校で隣の席に座っていた子が、戦場では隣の穴に伏せていた。ある朝、穴の中で動かなくなっていた。

 

声変わりしていない男の子が、行軍のときわたしの後ろを歩いていた。村が違う子だった。足が短くて、列からよく遅れた。名前は覚えている。顔も覚えている。一週間で名簿から消えた。

消えたとき、わたしは何も思わなかった。名簿に線が引かれて、その日の配給が一人分減った。そういうものだった。何も思わないのが正しかった。思ったら足が止まる。足が止まったら次にいなくなるのは自分だ。

 

決めたのは王国じゃない。

ヴェルダの大人だ。祖国を守るために、祖国の子供を兵隊にした。

 

わたしの村の大人が、わたしを呼んで、剣を渡した。渡した人の顔は覚えている。悪い人じゃなかった。徴兵の前の年、母のところにりんごを持ってきてくれたことがある。母はそのりんごを刻んで菓子パンに混ぜて焼いた。甘い匂いがした。台所で母の背中を見ていた。湯気が上がっていた。あの菓子パンは、わたしが最後に食べた母の料理だった。

その人が、翌年のある朝、列に並んだわたしに剣を渡して「前に行け」と言った。顔はりんごを持ってきたときと同じだった。声だけが違っていた。目がわたしを見ていなかった。列の先頭からずっと、渡す相手の目を見ないようにしていたのだと、今ならわかる。

剣は重かった。十三歳の手には大きくて、柄の端が余った。握り方は誰も教えてくれなかった。三日間の訓練があった。三日。剣の持ち方と、走り方と、伏せ方だけ教わって前線に送られた。あの剣で、わたしは人を殺すことになった。殺し方は前線で覚えた。教科書はなかった。

 

恨んではいない。

あのときは、ああするしかなかったんだと思う。大人が足りないなら子供を使う。使わなければ国が消える。使っても消えたけど。

あの人はあの人で、りんごを持ってきた手で剣を渡さなきゃいけなかった。そういう戦争だった。

 

ドルフの声が続いている。教室は静かだ。みんなノートを取っている。

さっき質問した男の子もペンを動かしている。「動員範囲拡大」と書いているのだろう。六文字で済む話を、わたしの中では何ページ書いても終わらない。

でも教科書は五ページだ。五ページに収まるように、六文字にまとめてある。覚えやすい。試験に出しやすい。

六文字にまとめられる側にいると、変な気持ちになる。

 

ドルフが次の節に進んだ。

 

「王国軍は北東域における掃討作戦を段階的に実施し、ヴェルダの主要拠点を制圧しました」

 

掃討作戦。

 

村に火がつく夜の色を、わたしは知っている。掃討される側にいたからだ。

建物が焼ける匂い。煙の中を走る足音。地面が焼けていて靴底から足の裏に熱が伝わった。走りながら、自分の足がどこを踏んでいるのかわからなかった。瓦礫か、道か、誰かの持ち物か。足の裏が覚えている。背後で誰かが叫んだ。名前を呼んでいた。誰の名前かはわからなかった。わたしの名前だったかもしれない。助けに戻れない。戻ったら死ぬ。走った。走り続けた。振り返らなかった。振り返った仲間は足が止まって、止まったまま動かなくなった。

教科書では四文字だ。四文字の中に、火と煙と悲鳴と足の裏の熱が全部入っている。

 

手が襟に触れていた。無意識に。鎖骨の火傷の跡を押さえている。授業中にこの癖が出るのは珍しい。たぶん「掃討」の二文字が体に触ったのだろう。手を膝に戻した。

ルチアがこちらを見た気がしたけど、振り返らなかった。振り返ったら顔に出ているかもしれない。顔は正面を向けておく。笑顔を出すほどではないけど、平気な顔を保っておく。

 

「最終的に王国軍の攻勢によりヴェルダ公国は降伏し、武装解除が行われました。王国は北東域における秩序ある統治を確立し、戦後の復興と安定化に着手しました」

 

秩序ある統治。

 

降伏のあと、指導層は処刑された。軍は解体された。兵士は武器を取り上げられ、捕虜として収容所に送られた。わたしもそこに送られた。教科書には「武装解除」と「秩序ある統治」がある。手順としては秩序立っていたのだろう。収容所にも規則があった。食事の時間があって、点呼があって、消灯の時間があった。壁は石造りで、窓は高い位置に一つだけで、鍵は外からしか開かなかった。廊下の石の床は冷たかった。規則正しかった。

規則にないことは、夜に起きた。

 

収容所のことが、頭の奥でちらついた。

 

——夜の廊下を歩く足音。一人分。毎晩来る。ある夜は隣の房で止まった。ある夜はその先まで行った。ある夜、わたしの房の前で止まった。靴底が床を擦る音がして、扉の外に人の気配があった。息を殺した。体が固まった。暗闇の中で鼓動だけが鳴っていた。足音が動いた。通り過ぎた。先の房の扉が軋んだ。

 

あの夜、通り過ぎたのはたまたまだ。

翌朝、審問官がわたしの房に来て「来い」と言った。それだけの差で、わたしは収容所を出た。あの房にもう一晩いたら、足音はいつかわたしの扉の前で止まっていた。止まって、開いていた。たまたま審問官が早かった。たまたまわたしに利用価値があった。それだけの差だ。

 

教科書には書いていない。書くようなことでもない。誰がどの房の前で止まったかなんて、歴史の教科書に載せる話じゃない。歴史は数字と年号と政策の名前で書かれる。房の中の暗闇は、歴史に入らない。

 

「秩序ある統治」。

そういうことにしておく。

 

ペンを持った。

ノートに「降伏→武装解除→秩序ある統治の確立」と書いた。字が汚いけど読める。試験で書けばいい。試験ではこれが正解だ。

 

ドルフが教壇の端で足を止めた。教科書から目を上げて、生徒たちを見回した。口髭の下の口元が少し緩んでいる。次に話すことが好きなのだろう。

 

「さて、この戦争の帰結として、融和政策が実施されました。ヴェルダの有望な人材を王国の教育制度に受け入れ、両国の文化的統合を推進する施策です。教科書にもあるように、これは王国の寛容さに基づく前向きな政策として高い評価を受けています」

 

ドルフの目がわたしを見た。

 

「この戦争により、ヴェルダの民は王国の庇護のもとに入ることができました。リーネ君」

 

教室の視線が集まった。

 

「君も今こうして学院で学べている。教科書の記述だけでは伝わりにくいかもしれませんが、この政策がなければ、君のように優秀な若者がこうした教育の機会を得ることは、おそらく難しかったでしょう」

 

微笑んでいる。

最初の授業でも似たようなことを言われた。あのときは「融和政策の成果」という一般的な言い方だった。今日は教科書の章と結びつけて、この教育の機会は政策のおかげだと、より具体的に、よりていねいに言っている。

この人の目を見ていると、ときどき寒くなる。善意の顔をしているけど、善意かどうかはわからない。教科書から何が削られたか知っている人が、削られた側の人間の前で「庇護」と言う。それを授業の一環として、三十人の前でやる。わたしに「ありがとうございます」と答えさせることが、この人の授業の一部になっている。

 

「ありがとうございます」

 

笑顔を返した。

審問官に「使える」と選別されて送り込まれたことは言わない。庇護じゃなくて管理だということも言わない。わたしがここにいるのは王国の寛容さじゃなくて利用価値だということも。

融和。ヴェルダの国も文化も人も、王国は別に欲しくなかったのだ。欲しかったのは峠道だ。道を手に入れて、残った人間を教育して、教育した人間にヴェルダを管理させる。わたしたちが学んでいるのは、わたしたちの村を焼いた側の言葉と歴史だ。それを「融和」と呼ぶなら、融和ってそういうことなのだろう。

言わない。わたしに求められているのは「ありがとうございます」と答えることだ。そう答えれば授業は進み、ドルフは満足し、わたしの成績に影響しない。

前線でも同じだった。上官に聞かれたら「はい」と答える。求められた答えを返す。余計なことは言わない。笑顔を出しておく。場所が変わっただけだ。

 

ルチアのペンが止まっている。ノートに向かったまま、書く手が動いていない。ドルフの言葉をノートに書く手が動かないのは、何を書いていいかわからないからだろうか。「融和政策の具体的な成果」とノートに書くのか。それとも別のことを考えているのか。わたしからは見えない。

 

ミラのペンも止まっていた。ノートの上で指先が震えているように見えた。顔が硬い。聞いている。聞いてしまっている。ドルフの「庇護」も「成果」も、ミラの耳に入っている。

 

ドルフが満足そうに頷いて、次回の範囲を告げた。

 

「では、百三十三ページまでを次回の範囲とします。戦後の政治体制の変化について扱いますので、予習しておくように」

 

授業が終わった。

 

教科書を見下ろした。

百二十八ページから百三十二ページ。五ページ。わたしの村が焼かれた戦争が、五ページに畳んである。

村の名前はない。死んだ仲間の名前もない。声変わり前の男の子の名前も。母の名前も。

「動員範囲拡大」が六文字で、「秩序ある統治」が六文字で、二年間の戦場が五ページに畳んである。

 

教科書は閉じられる。

体は閉じられない。

 

手が教科書の表紙を握っている。指が白い。力が入っている。自分でも気づかなかった。授業中ずっとこうしていたのかもしれない。

顔には笑顔を出してある。笑顔は軍で覚えた。怒鳴られないように、目をつけられないように。顔で視線を受けている間は、手元まで見る人はいない。

 

ルチアの手が伸びてきた。

わたしの手に、そっと触れた。教科書を握りしめている指の上に、ルチアの指が乗った。

 

「リーネ」

 

小さな声だった。

 

わたしの指が白くなっていることに、ルチアは気づいていた。顔は笑っていたのに。手だけ見ていた。

 

昼休みの鐘が鳴った。

 

ミラが椅子の背にもたれて、大きく息を吐いた。

 

「……なんか、重かったね。今日の授業」

 

ミラの声がいつもより低かった。

 

わたしは指を開いた。ゆっくり、一本ずつ。表紙についた指の跡を掌で撫でて消した。

教科書を鞄にしまった。

 

「リーネちゃん、行こう。お昼だよ」

 

ミラが立ち上がって伸びをしている。ルチアが静かに鞄を肩にかけた。

 

「うん、行く」

 

三人で廊下を歩いた。ミラが今日のスープの予想をしている。ルチアが「昨日は豆のスープだったから、今日は別のかも」と言った。窓の外の空が高くて、雲が少しだけ流れている。足の裏に、廊下の石の温度を感じた。冷たくも熱くもない。ただの石の温度だ。

さっきまで教科書の中にいた四年間の戦争が、廊下の日差しの中では遠い。教室で読む分には五ページの出来事で、廊下に出れば昼ご飯の話になる。教室の中と外で、戦争の重さが変わる。わたしの中では変わらないけど、それはわたしの問題だ。

 

食堂の匂いが廊下に漂ってきた。パンの焼ける匂い。

 

でも食堂のパンはおいしい。それも本当のことだ。

 

壁際の席に座った。出口に近い場所。いつもの配置。

ミラが向かいに、ルチアが隣に。

 

パンをちぎった。口に入れた。

おいしい。今日は胡桃が入っている。

 

いつもより早い。二分もかからずに完食した。ミラとルチアはまだ半分も食べていない。ゆっくり食べる練習をしているけど、教科書を読んだ日は体が急ぐ。何から急いでいるのかはわからない。

 

ミラが「あ、胡桃だ。リーネちゃん好きなやつ」と言った。

 

「うん。好き」

 

「わたしは今日のスープの方がいいなあ。あ、これキャベツだ。おいしいよね」

 

ミラがスプーンでスープをかき混ぜている。ルチアが小さく頷いた。

 

ルチアが「午後の実技、何やるか聞いた?」と聞いてきた。

 

「魔法実習だと思う。先週の続き」

 

「印の練習、またやるかな」

 

「やるんじゃないかな。わたしの親指はまだ外に出る」

 

ルチアが少し笑った。「またわたしが直すよ」

 

「お願いします」

 

ミラが「わたしも直してほしいんだけど」と口を挟んだ。スープのスプーンを持ったまま。

 

ルチアが「ミラちゃんは八語目だよ。八語目がまだ出てこないでしょ」と返した。

 

ミラが「うう」と声を上げた。

 

笑った。

 

好きな食べ物が一つ増えた。砂糖漬けと、胡桃のパン。

教科書には書かれないし、試験にも出ない。でもわたしが覚えていることの中で、いちばん確かなものかもしれない。わたしの村が焼かれた戦争は五ページだけど、胡桃のパンがおいしいことは、五ページより確かだ。

 

今度のは、嘘じゃない方の笑顔だ。

 

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