村で待った。
石が並んでいる。並びの上だけ、草の背が低い。基礎の石が地面の下にあると、根が深く入らない。だから離れて見れば、家のあった形が線になって出る。
線を四つ数えて、やめた。数えても比べる数字がない。この村に家がいくつあったかは、王国側の記録に載っていない。焼いた側が、数を書いていない。
屋根が三つ残っている。一つから煙が上がっていた。細い。朝の炊きではなく、昼の火だ。
俺の受け持ちの図に、この谷は入っていない。第二中隊は北東の丘陵から先を持っていた。この村を焼いた命令書に、俺の名前はない。
どの部隊が入ったかは、調べれば出る。作戦記録は残っている。番号と、日付と、掃討という語が並んでいる。
調べていない。
調べない理由を、俺は自分に説明できない。説明のつく形にすると、言い訳になる。
カルヴァスが道の曲がりのところで足を止めた。
そこから歩数を数えていた。口では数えていない。足の運びが変わったからわかる。歩幅を揃えて、途中で止まって、また揃えて進む。
十二、七、九。
三軒目のところで止まって、草しかない地面を見ていた。
歩数で位置を出すのは、地図のない土地でやる方法だ。目印を決めて、そこからの歩数を覚える。夜でも使える。俺は教える側にいた。教本にも載っている。
教本を見たことのない子供が、自分の家を、その方法で見つけた。
「ああ」
声が出た。
「ここ、わたしの家があった場所だ」
あの声を、俺は知っている。
最初の座学で聞いた。包囲されたら何を優先するかと聞いたときの声だ。何があって、どこで、いくつ。順に並べて、渡して、終わる。
自分の家のことを、あの声で言った。
アルヴェインが半歩うしろに立って、何も言わなかった。
手を伸ばして背中に触るほうが楽だ。何もしないで横に立っているほうが難しい。この子はそっちをやっている。
しばらくして、フォルケが谷の奥のほうへ歩き出した。カルヴァスが後ろについていった。
止めなかった。止めるなと言われている。
アルヴェインが石垣の残りのところに立っていた。
上を見ていた。木が生えている斜面と、そのあいだの道を見ている。二人はもう見えない。
「先生」
「なんだ」
「上には、行かないんですか」
「行かん」
「……はい」
それで済んだ。理由は聞かなかった。
理由は二つある。
一つは、ヴァイスに言われたことだ。止めるのは危険があるときだけだ、と言われた。それ以外はそばにいるだけにしろと言われた。道具はあの子が持っている、使う前に取り上げるな、と。
二つ目は、あそこが俺の場所ではないからだ。
祭りの夜に確かめた。名前を呼んだ。何度も呼んだ。声は届かなかった。届かないのが当たり前だ。俺の声は、あの子の戦場の内側にある。命令の声で呼べば、呼んだぶんだけ、あの子は戦場に留まる。
あの夜に届いたのは、この子の声だった。
だから今日も、俺の順番はない。
順番がないところに立っているのは、俺の仕事のうちではない。仕事のうちではないものを四年やった。命令の外のことは何もしなかった。それで四年が過ぎた。
ヴァイスは荷を置いて、村の入口の側に立っていた。座らない。上も見ない。呼ばれたら行く位置に立っている。あの女は、自分の距離を先に決めてから来る。
俺は待てなかった。
三十を数えて、それから歩き出した。
谷を少し上がった。
道と草地の境のところまでだ。そこから上には行かなかった。
斜面を削って作った平らが、上に見える。縁に土を盛って、腰より低くしてある。
下から見上げるほうが、上から見下ろすよりよく見える。前線でも同じだった。上にいる人間は、下を見ない。見るのは向かいの斜面と、道の先だ。
だから俺の位置からは、平らの奥まで見通せた。
石を積んだ炉が残っていた。
三方を囲って、谷の下になる側だけ開けてある。煙は下に流れる。下に流せば、上の道からは見えない。夜に火を使っても、光は縁の内側で止まる。
四年、俺たちは煙を探して歩いた。日の出前に高いところへ登って、谷を見下ろして、白いものが立っていないかを探した。見つけたのは、たいてい、空になったあとの跡だった。
探していたものが、ここにある。
天幕の杭の穴が残っていた。
穴の縁の形が二通りある。深くて縁の立っているのが二つ、炉の近くに寄っている。その外側に、浅くて縁の丸いのが並んでいる。丸いほうは古い。雨に何度も打たれた穴は、縁が落ちて浅くなる。
新しいのが二つで、古いのが外側だ。
数が減って、火のそばへ寄ったということだ。減るたびに内側へ寄る。寄れば火が足りる。天幕を張る場所は余っているのに、内側に二つだけ張ってある。
損耗率九割という語を、俺は紙の上で覚えた。生存者二名という語も紙で覚えた。読んで、数字を計算して、それで済ませていた。
ここでは穴の数だ。
俺は数えるのをやめようとして、やめられなかった。
天幕の間隔から人数が出る。炉の大きさから、一日に何人ぶんの飯を炊いたかが出る。縁の高さから、どの方向を警戒していたかが出る。ここに立って十を数えるあいだに、その全部が出た。
子供が二年住んだ場所を、俺は敵の陣地として読んでいた。読み終わるまで、読んでいることに気づかなかった。
ここから北東の丘までの距離を、足が勝手に測った。
山を越える。道は使えない。荷を背負って夜のうちに動くなら、二晩だ。往きに二晩、戻りに二晩。
三年前の秋、丘陵の南面で四人排除したと、俺は報告書に書いた。夜十時、交戦約四十分、味方負傷二名。それだけ書いて、判をもらって、次の作戦に移った。
あの四人が、この炉で飯を食っていた可能性がある。
前は、確かめようがないと思っていた。暗かった、顔は見ていない、確かめる方法がない。そう自分に言って、酒を片付けて、翌日は教壇に立った。
今日は確かめられる場所に立っている。
聞けばいい。三年前の秋に丘の南面へ出たか、と聞けばいい。
あの子は答える。あの声で答える。何月に出て、何人で出て、何人で戻ったかを、順に並べて渡してくる。渡されたものを、俺は受け取ることになる。
だから聞かない。
聞かないほうが楽だからだ。俺のためだ。そこは間違えないでおく。
斜面の上のほうを見た。
土が浅い。岩が近い。あそこでは深く掘れない。深く掘れない場所で埋めるなら、上に石を積むしかない。石を積む時間がある状況で、その部隊はここにいなかったはずだ。
どこに何があるかは、見なくてもわかる。
見ないでおいた。
初めての面談の日、俺は保温壺と湯呑みを二つ持って、階段を下りた。
面談に使っているのは、教官棟の一階の突き当たりの部屋だ。前は物置で、棚を外した跡が壁に四本、上から下まで残っている。茶を出すなら二階の執務室のほうが早い。壺ごと下まで運んだのは、あの子が出てきたあとに、上へ戻る気がなかったからだ。
廊下で待って、あの子を食堂へやって、それから扉を叩いた。
茶を出した。砂糖はない。ヴァイスは湯呑みを両手で持たなかった。片手で持って、机に戻して、それから口を開いた。
「率直に聞きます。あの子のことを、どれくらい見てきましたか」
「入学からずっとだ。半年」
「では、気づいたことを教えてください。わたしは今日初めて会いました。あなたは半年見ています」
俺は少し考えた。喋る用意はしていなかった。
「笑顔が三種類ある」
「三種類」
「一つ目は反射だ。何かあれば出る。速い。感情を確認する前に顔が動く。これがいちばん多い」
「二つ目は」
「中で何かを感じてから出るやつだ。飯がうまかったとき、友人と馬鹿を言っているとき。楽しいときだけとは限らん。何であれ、一度確かめてから顔に出す。だから遅れる。普通は逆だ」
「三つ目」
「笑おうとして失敗するやつだ。口だけ動いて、形にならない。これが出たら危ない」
ヴァイスは頷いた。書かなかった。ペンを持っていなかった。
「半年、それを見分けてきたんですね」
「教壇に立っていれば嫌でも見える」
「もう一つ聞きます。あの子の剣を、どう見ましたか」
「殺す剣だ。止める選択肢が組み込まれていない。最初の実技でわかった」
「その剣を教えたのは誰ですか」
「戦場だ。十三で覚えた」
ヴァイスは湯呑みに指を掛けて、そのまま置いた。
「十三の子供が、殺すこと以外の選択肢のない技術を覚えなければ生き延びられなかった。あの子の笑顔も同じです」
「……蓋か」
「蓋です。ただ、蓋を否定しないでください。あの蓋があったから、あの子は今日この学院に座っています。戦場では、正しい選択でした」
正しい、という語を、この女は先にあの子にも使ったらしい。あとで本人からそう聞いた。
俺は茶を飲んだ。冷めていた。
「一つ言っておく」
「はい」
「俺はあの子を壊した側の人間だ。同じ戦争を反対から戦った。あの子の小隊と交戦した記録が、俺のファイルにある」
「知っています」
即答だった。
「審問官の報告書に、担当教官の経歴が添付されていました」
「なら聞く。壊した側の人間が関わっていいのか」
ヴァイスは一度、間を置いた。
「あの子に必要なのは、安全な人間です。ただし安全というのは、傷つけたことのない人間という意味ではありません。傷つけた事実を知った上で、向き合い続ける人間のことです」
「言い換えただけだろう」
「言い換えです。順序が違います」
壁のほうを見て喋っていた。棚を外した跡の、いちばん上の端だ。俺の顔は見ていない。見られないほうが答えやすいと知っている人間の、目の置き方だった。
「あなたが敵だったことを、あの子はいずれ知ります。もう気づいているかもしれません。それでもあなたが教壇に立ち続けているなら、あの子にとってあなたは、世界のほうが変わりうるという証拠になります」
「買いかぶりだ」
「そうかもしれません。ただ、あの子が授業でいちばん力を抜いているのは、あなたの時間だと聞きました」
「……あいつは俺の授業で居眠りする」
「それは信頼です」
ヴァイスは声を大きくしなかった。
「危ないところでは眠れません。あの子が眠れるのは、あなたの前が安全だと体のほうが覚えているからです」
俺は湯呑みを置いた。置く音が思ったより大きかった。
「一つだけ、お願いがあります」
「言え」
「ここから先は、あなた一人で背負わないでください。治療はわたしがやります。あなたは今まで通り、教官でいてください。特別扱いをしないで、普通の授業を。それがあの子にとっていちばん安定します」
「今まで通りでいいのか」
「今まで通りが、いちばん難しいことも、わかっています」
出発の五日前、同じ部屋で、もう一つ言われた。
戻ってきたら、あなたも面談に来てください、と言われた。命令ではなくお願いだと付け足された。
考える、と俺は答えた。
あの子がその場にいた。湯呑みを持ったまま、こっちを見ていた。
考えると答えたのを、あの子は聞いている。
上から声が下りてきた。
谷は音が下に落ちる。両側が高いので、上の声は下まで来る。俺の位置から、単語まで拾えた。
「ここで訓練した」
フォルケの声だ。
訓練という語を使った。
こちらの教程は、剣だけで四十日ある。あの平らの幅では、そのうちの何一つもできない。走らせて、伏せさせて、起こす。あの広さでやれるのはそれだけだ。
それを二年、訓練と呼んだ。
「ここで食った」
「ここであいつが死んだ」
名前は出なかった。
俺の報告書には名前の欄がある。味方の損害は名前で書く。負傷者は名前と部位、戦死者は名前と日付だ。書いた紙は師団に上がって、家族に通知が行く。
あの平らで死んだ者の名前は、どこにも上がらない。あの国の書類は敗戦のときに大半が消えた。名前を書いた紙が最初からなかった可能性もある。
だから二人は名前を言わない。言わないのではなく、言えば、それが唯一の場所になる。
そこで声が止まった。
風が下りてきた。
斜面を回って、下まで来た。
匂いがあった。
古い煤の匂いだ。一年経つとこの匂いになる。雨で薄くなって、それでも石の内側から出てくる。
作戦の翌日の村は、こうではない。もっと濃い。煤だけではない匂いが混ざる。三日で薄くなって、七日でこの匂いに近くなって、そのあとは雨の回数だけ薄くなっていく。
匂いの薄まる速さで日数を数える方法を、俺は知っている。知っているという事実そのものが、答えのようなものだ。
上でも同じ風が来た。
声が止まったままだった。
十を数えた。二十を数えた。三十を数えて、そこで見えた。
平らの奥だ。二つ、しゃがんでいる。
近づかなかった。
近づけばどうなるかは、わかっている。俺の靴の音が入る。俺の声が入る。命令の形の声が入れば、あの子はそっちを戦場と読む。読めば、戻る道が一本消える。
やることは決まっている。何もしないことだ。
何もしないことが、いちばんきつい。
前線では違った。こうなったら名前を呼んで、長く吐かせて、見えるものを言わせる。それでも戻らなければ、頬を張るか水をかける。時間がないときはそっちが先だ。
やり方は体に入っている。今日は一つも使えない。使えるのは、あの平らにいるもう一人のほうだ。
フォルケがしゃがんで、手を握っていた。あの子の手も震えている。震えている手で握るほうが、震えていない手で握るより効く。同じ側にいる手だからだ。俺の手はそうならない。
三分は経った。四分は経っていない。呼吸が二つ戻るまでの間隔で、だいたい出る。
やがて、二人が立った。
肩が下がっていた。上がっていた息が下まで行ったときの下がり方だ。
戻った。俺は何もしていない。
二人が平らを下りてきた。
フォルケが先に、村のほうへ抜けていった。カルヴァスは下の平らで石に腰を掛けた。
ヴァイスが上がってきて、そのそばに立った。座らない。声は届かない。あの女の声は、初めから遠くへ届かないように出ている。
俺の受け持ちは、そこで終わった。
終わったところで、匂いがもう一度来た。
作戦のあとの村を、俺は通った。
命令書に俺の名前がない村なら、通っただけだ。留まるなという指示が出ている。占領地の焼けた集落に部隊を留めれば、狙われる。だから通過する。隊列を組んで、速度を落とさないで、抜ける。
何度通ったかは覚えていない。数えるものではなかった。数える欄が報告書にない。
一度、足の下で何かが潰れた。
柔らかくはなかった。硬くもなかった。
下は見なかった。速度を落とさないで抜けた。
見ないでいるのを、俺は技術だと思っていた。部下の前で速度を落とせば、部隊が止まる。止まれば狙われる。だから見ない。見ないで進むのが指揮官の仕事だと思っていた。
あのころ、瓦礫の下に、ああいう子供がいたかもしれない。
考えなかった。考えたら進めなかった。進むために考えなかったのだから、順序としては間違っていない。
間違っていないやり方で、俺は四年、下を見なかった。
石に腰を掛けている背中が見えた。
小さい。制服の肩が、まだ体に合っていない。あの子は入学の日から背が伸びていない。伸びる時期に飯を食っていない体は、あとから伸びない。
あの背中を、十三か十四のときに、俺は暗闇の中で撃ち合った相手だと思う。思うと、膝の力が抜けた。抜けたのは膝だけで、立ってはいられた。
顔を背けた。
半分だけ背けて、口を手で覆った。
声は出さない。出すわけにいかない。俺は引率で来ている。教官で来ている。子供たちの前で崩れる資格は、焼いた側にはない。資格の話ではないと言う人間もいるだろうが、俺は資格の話だと思っている。
だから音は出さなかった。
ヴァイスが下りてきた。
俺の横は通らなかった。少し離れたところを通って、そのまま下へ行った。足を止めもしなかった。
見えていたはずだ。あの女は人の立ち方を見る。見て、通った。
覆った手の中で、息が震えていた。
止まらない。吸うところで一度引っかかって、吐くところで割れる。四十を過ぎた男が、焼けた木の匂いの中で、子供たちに背を向けて、手のひらの内側で詰まっている。
自分でやったことのある手当てを、自分に使えばいい。長く吐けばいい。足の裏を感じて、見えるものを五つ数えればいい。あの子が三か月やっている練習だ。
一つも思いつかなかった。思いついたのは、あの女が言った二つの言葉だった。
あなた一人で背負わないでください。
戻ってきたら、あなたも面談に来てください。
「先生、大丈夫ですか? 顔色悪いですよ」
声が来た。
手を下ろした。下ろすのが少し遅れた。
「大丈夫だ」
自分の声を聞いた。低くて短い。余分な音がない。押さえてから出す声だ。押さえきれていない分が、最後のところに残る。
あの子は笑っていた。
二つ目だ。
反射で出る速さではない。中で一度確かめてから、顔に出している。遅れて出る笑い方は、こっちの三種類のうちで、いちばん本物に近いほうだ。
自分の村の焼け跡に立って、いま戻ってきたばかりの体で、敵だった男の顔色を心配している。
それ以上は言わなかった。俺も言わなかった。
日が斜めになっていた。谷は落ちるのが早い。上のほうがまだ明るいのに、底から先に暗くなる。暗くなる前に道へ戻す。まだ村の外れを抜ける手順が残っている。
歩き出した。歩幅は変えなかった。後ろについてくる足音は、今日も聞こえない。
考える、と俺は答えた。
考えた。
行く。行かなければ、もう教壇に立てない。