わたし、壊れてるらしいです   作:まいまいつむり

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午後の実技。

グレンが訓練場の中央に立って、今日の内容を告げた。

 

「模擬戦をやる。一対一。木剣。対戦相手はこちらで決める」

 

訓練場がざわついた。先週までは基礎の素振りとペア練習だけだった。いきなり模擬戦だ。

 

グレンが対戦表を読み上げていく。名前が二つずつ呼ばれるたびに、歓声や溜息が上がる。

 

「カルヴァス。ハーゲン」

 

わたしの名前と、ヴィクトルの名前。

 

周りが少しざわついた。属国出身の元兵士と、軍閥貴族の息子。組み合わせとしては、目を引くのだろう。

 

ヴィクトルがこちらを見た。体格がいい。肩幅が広くて、首が太くて、腕が長い。黒髪を短く刈り上げていて、顎が上がっている。見下ろす姿勢が板についている。

 

「お前か」

 

わたしは「よろしくね」と笑った。

ヴィクトルの目が少し細くなった。

 

 

 

他のペアの試合が先に始まった。

 

訓練場の端に座って、順番を待つ。

ミラが隣にいる。

 

「リーネちゃん、大丈夫? ヴィクトル、体大きいよ」

 

「うん、大きいね」

 

「勝てそう?」

 

勝つ、という言葉の意味を少し考えた。

模擬戦で勝つ。

木剣で、防具をつけて、審判がいて、「一本」を取る。

そういうルールだ。

 

前線には「勝つ」はなかった。生き残るか、死ぬかだった。相手が倒れたら、次の敵が来る。審判はいない。「一本」もない。動かなくなるまでが、剣を振る動作の終わりだった。

 

「まあ、なんとかなるんじゃないかな」

 

ミラが「のんきだなあ」と笑った。

 

試合を見ている。

 

最初のペアは、背の高い男の子と、がっしりした男の子。二人とも正眼の構えから打ち合っている。型通りの攻撃と、型通りの受け。きれいだ。教科書の図が動いているみたいだ。

背の高い方が上段から振り下ろす。がっしりした方が受ける。弾く。打ち返す。受ける。

四合目で、背の高い方の面に一本入った。審判のグレンが「一本」と言う。周りから拍手が起きる。

 

二組目。女の子同士。こちらは腰が引けている。二人とも怖がっている。木剣を振るたびに顔をしかめる。打ち合いというより、お互いに木剣を差し出し合っているみたいだ。でも一生懸命だ。グレンが「もう少し踏み込め」と声をかけている。

 

三組目。赤毛の女の子——マーレンと、細身の男の子。マーレンの剣は硬い。力がある。騎士の家の子だ。構えがしっかりしていて、振りにためらいがない。二本先取した。速かった。

 

どの試合も、見ていて思うことは同じだ。

 

遅い。

振りが大きくて、隙だらけだ。打ったあとに体勢を戻すのに時間がかかっている。あの間に、横から入れば首に届く。

 

目が勝手に拾う。

防具の隙間。

面と胴の間。首の横。

胴の下、腰との境目。

腕を上げたとき、脇の下が一瞬開く。

剣を握っている指。

どれもここでは狙っちゃいけない場所だ。

でも体が見てしまう。

あそこに入れれば終わる、と計算してしまう。

 

駄目だ。

ここは模擬戦だ。

横から入ったりしない。

指も脇も狙わない。

正面から打ち合う。

「一本」を取る。

それだけ。

 

グレンが試合を見ている。

腕を組んで、壁に背を預けて、黙って見ている。

何を考えているのかわからない顔。

 

 

 

わたしの番が来た。

 

訓練場の中央に立つ。

木剣を受け取る。柄の感触を確かめる。重さは前線で使っていた剣より軽い。バランスが違う。刃がない分、先端が軽い。

 

ヴィクトルが正面に立った。防具をつけている。胴と面。わたしもつけている。防具は重い。動きが制限される。

 

「始め」

 

グレンの声が短く響いた。

 

ヴィクトルが構えた。正眼。教科書通り。足の位置が正しい。背筋が伸びている。父親に仕込まれた剣だ。きれいな構え。

 

わたしも構えた。正眼ではない。低い。重心を落として、前に出る。木剣を体の横に引いて、半身になる。

 

ヴィクトルの目が動いた。

教本にない構えだ。

見たことがないから、どこから来るかわからない。

 

来た。

 

ヴィクトルが上段から振り下ろした。

力がある。

腕が長い分、振りの軌道が大きい。

速い。

この学院の生徒の中では、たぶん速い方だ。

 

わたしの基準では、遅い。

 

半歩、横に出た。

ヴィクトルの木剣が空を切る。

振り下ろしの後、体勢を戻すまでに、一瞬の隙ができる。

腕が伸びきって、重心が前に流れている。

 

その一瞬で、踏み込んだ。

 

ヴィクトルの胴に、木剣の先が入った。

軽く当てたつもりだった。

でもヴィクトルの体がよろけた。

わたしの踏み込みの速度が、たぶん想定の外にあった。

 

「一本」とグレンが言った。

 

ヴィクトルが体勢を立て直す。

顔が赤い。

一合で取られた。

 

「続けろ」

 

グレンが言った。

模擬戦は三本勝負だ。

 

二本目。

ヴィクトルが構えを変えた。

八相。

上段からの攻撃を警戒して、受けに回る構え。

わたしの踏み込みに合わせて迎撃するつもりだろう。

 

読める。

 

八相は受けの構えだ。

受けるということは、攻撃が来るのを待つということだ。

待っている相手には、フェイントが効く。

 

上段を見せた。

ヴィクトルが反応して木剣を上げた。

その瞬間に、下から掬い上げた。

木剣が手首を打った。

手首は防具がない。

剣を握っている手の、指と手首。

ここを打てば、相手は武器を落とす。

胴を打つより、面を打つより、手首を打つ方が速い。

剣を持てなくなれば、相手はもう戦えない。

前線で最初に教わったことだ。

 

ヴィクトルの木剣が跳ね上がった。

柄を握っていた指が緩む。

 

そのまま一歩踏み込んで、胴を突いた。

 

「二本」

 

ヴィクトルが膝をついた。

十秒かかっていない。

 

三本目。

ヴィクトルが立ち上がった。

顎が上がっていない。

顔が強張っている。

歯を食いしばっている。

 

構えた。

正眼に戻している。

足が少し開いている。

踏ん張るつもりだ。

 

わたしは低い構えから、まっすぐ踏み込んだ。

フェイントも何もない。

正面から。

 

ヴィクトルが受けに来た。

木剣同士がぶつかる。

今度は受け止めた。

 

力比べになった。

ヴィクトルの方が体格がいい。腕力がある。

木剣同士が噛み合った状態で、押してくる。腕の力だけじゃない。腰から押している。足が地面をしっかり掴んでいる。

正しい体の使い方だ。力の伝え方を知っている。教本通りの、正しい力の使い方。

この子は、ちゃんと教わった人だ。父親に。時間をかけて、一つずつ、正しいやり方を。

わたしが前線で泥まみれになりながら振り回していた間、この子は道場で型を磨いていた。

どちらが正しいかと聞かれたら、たぶんこっちが正しい。剣は本来、こうやって学ぶものなんだろう。

 

押し返される。

半歩下がった。

 

ヴィクトルが追い打ちをかけてきた。

上段からの振り下ろし。

力を込めた一撃。

 

受けなかった。

 

体を横に流した。

ヴィクトルの木剣が地面を叩いた。

振り下ろした勢いで体が前に流れている。

 

背中が見えた。

 

足を払った。

ヴィクトルが倒れた。

地面に背中から落ちて、防具がガチャリと鳴った。

 

倒れた。

動きが止まった。

 

体が次の動作に入った。

 

木剣を持ち上げた。

倒れたヴィクトルの喉に向かって、振り下ろす動き。

追い討ち。

倒れた相手が起き上がる前に仕留める動作。

 

腕が動いた。

木剣が下がった。

ヴィクトルの喉の上で。

 

止まった。

 

自分で止めた。

止めたのか、体が止めたのか、よくわからない。

木剣の先が、ヴィクトルの喉の防具の上、指二本分の位置で止まっている。

 

ヴィクトルの目が見開かれていた。

防具の面の奥で、目だけが動いている。

木剣の先を見ている。

自分の喉の上にある木剣を。

 

訓練場が静かになった。

 

「あ、ここで終わりですよね。すみません、癖で」

 

笑って木剣を下ろした。

 

ヴィクトルが地面に座ったまま、わたしを見上げていた。

さっきまでの赤い顔ではない。

白い。

 

「三本。カルヴァスの勝ちだ」

 

グレンの声が聞こえた。

近い。

いつの間にか、すぐ後ろに立っていた。

 

「カルヴァス。今の最後の動きは何だ」

 

振り返った。

グレンの顔が近い。

表情は読めない。

怒っているのでもない。

何か別のものがある目だ。

 

「とどめです」

 

グレンが黙った。

 

「あ、模擬戦では不要でしたね。すみません」

 

グレンはわたしに何も言わなかった。

わたしを残して、訓練場の中央に歩いていった。

ヴィクトルを含む生徒たち全員に向き直った。

 

「今の試合を見ていたな」

 

生徒たちが頷く。

静かだ。

 

グレンがヴィクトルを見た。

ヴィクトルはまだ地面に座っている。

立てないのか、立たないのか。

 

「ハーゲン。お前の剣は正しい。教本通りで、型が正確で、力もある。立派な剣だ」

 

ヴィクトルが顔を上げた。

 

「お前たちが学んでいるのは、相手に勝つための剣だ。試合には始まりと終わりがある。審判がいる。降参がある。相手を壊さない。それが、ここで教えている剣だ」

 

グレンが一拍置いた。

 

「戦場で覚えた剣は、設計が違う」

 

訓練場の空気が変わった。

 

「教室で剣を学べば、構えから始まる。合図があって、打ち合って、一本を取る。それが剣だと思うだろう。だが、戦場にはそのどれもない。構え合う暇はない。合図はない。一本もない。始まりは奇襲で、終わりは相手が動かなくなるまでだ」

 

わたしは首を傾げていた。

 

「二本目を見ていたか。手首を打った。手首は防具がない。胴や面を打つより速い。剣を握れなくなれば終わりだからだ。お前たちの模擬戦で手首は有効打突に入っていない。だが戦場では、一番速く相手を止められる場所を体が勝手に選ぶ」

 

「最後の動きもそうだ。倒れた相手に追い討ちをかける。戦場では一人を倒したら次の敵が来る。背後から起き上がられないように、確実に動けなくしてから次へ行く。とどめは、戦場では動作の自然な終わりだ。模擬戦にはいらない。だが、戦場で体に刻まれた動きは、模擬戦だからといって消えない」

 

グレンが生徒たちを見回した。

 

「これは技量の問題じゃない。戦場で剣を覚えた人間の体には、『止める』が入っていない。教本にある八つの構えも、段位制も、降参のルールも、教わる機会がなかった。体が覚えたのは、生き残るための動きだけだ」

 

グレンの声は静かだった。

怒っていない。

責めてもいない。

 

「これが、戦場で剣を覚えるということだ」

 

グレンが生徒たち全員を見渡した。わたしも含めて。

 

「戦場で必要な剣と、ここで必要な剣は違う。どっちも要る。お前たちがいつか戦場に出れば、教本通りの剣だけでは生き残れないこともある。逆に、戦場で覚えた剣だけでは、ここでは人を壊す。だから両方持て。止める技術は、振る技術と同じだけ重い」

 

全員に言っていた。

わたしだけに向けた言葉ではなかった。

ヴィクトルにも、他の生徒にも、わたしにも。

お前たち全員の話だ、という声だった。

 

「模擬戦では、止めることも技術のうちだ。今日からそれも練習する」

 

グレンが一拍置いた。

 

「それと、もう一つだけ。カルヴァスは最後に止めた。止める型も、止める訓練も受けていない。それでも止めようとして止めた。やり方は荒い。だがあれは、ここで学ぼうとしている証だ」

 

生徒たちがわたしの方をちらりと見た。

何人かの目が、さっきまでとは少し違った。

 

グレンはそれだけ言って、背を向けた。

 

わたしは木剣を持ったまま立っていた。

首を傾げている。

 

グレンの言っていることはわかる。止めなきゃいけない。さっき自分でもそう思って、実際に止めた。

でもあの止め方は腕の力で無理やり止めただけだ。もっとちゃんとした止め方があるはずだ。

それがわからない。生き残るために体が覚えたのが、振ることだけだったから。

 

ヴィクトルの剣は「正しい」とグレンが言った。

たぶんそうだ。型があって、ルールがあって、降参があって、相手を壊さない。

剣というのは本来、ああいうものなのかもしれない。

 

ヴィクトルが立ち上がった。

防具を外している。

手が震えている。

わたしの方を見ない。

 

何か言いたそうな顔をしている。

でも何も言わなかった。

木剣を返却台に置いて、無言で訓練場を出ていった。

 

 

 

模擬戦が終わった。

他のペアの試合も一通り終わった。

グレンが全体に「解散」と告げた。

 

訓練場を出ていく生徒たちが、わたしの横を通るとき、少し距離を取って歩いた。

全員ではない。でも何人かは、明らかに避けていた。三十秒で人を倒して、喉に木剣を向けた人間の隣を歩きたくないのだろう。

 

さっきまで「すごいね」と声をかけてくれていた子が、目を逸らして通り過ぎた。二組目で一緒に緊張していた女の子たちが、小声で何か話しながら足早に去っていった。

マーレンは無言で通り過ぎた。こっちを見ていたけど、何も言わなかった。あの目は、避けている目じゃなかった。何かを考えている目だった。

 

まあ、そうだよね。

前線で人を殺す方法を体に叩き込まれた人間は、ここでは浮く。

わかっていた。わかっていたけど、目の前で距離を取られると、少しだけ胸の奥が冷たくなる。少しだけ。

すぐに消えた。こういう感覚は、蓋をするのが上手になっている。

 

ミラが走ってきた。

 

「リーネちゃん、すごかったね! 三十秒くらいで終わっちゃった」

 

「そんなに速かった?」

 

「速かったよ! でもさ、最後のあれはちょっとびっくりした。喉に木剣向けたでしょ」

 

「うん。癖で」

 

ミラが少し黙った。

笑おうとして、うまく笑えていない顔をした。

 

「……癖って、すごい癖だね」

 

「まあ、前線にいたから」

 

「うん」

 

ミラはそれ以上聞かなかった。

でも隣を歩いていた。距離を取った生徒たちの横を通り過ぎて、わたしの隣にいた。

ミラの歩幅は小さい。わたしに合わせてくれている。わたしの歩幅は軍の行軍速度に合わせて覚えたから、少し大きい。

 

「ねえリーネちゃん、あとでおやつ食べない? 焼き菓子まだあるよ」

 

「食べる」

 

ミラが「よし」と笑った。

こういうとき、ミラはいつも食べ物の話をする。シャンプーの話をしたときと同じだ。何を言えばいいかわからないとき、ミラは日常のことを差し出してくる。

たぶん、それがミラのやり方なんだろう。

 

ルチアが訓練場の隅に立っていた。

わたしと目が合った。

何か言いかけて、やめて、小さく頷いた。

 

何を考えているんだろう。最近、ルチアはときどきああいう顔をする。言葉を飲み込む顔。聞きたいことがあるけど聞けない顔。

 

まあ、聞きたくなったら聞いてくれればいい。わたしは待つのは得意だ。前線で一晩中動かずに待ったことがある。それに比べたら、友達が話し始めるのを待つくらい、何でもない。

 

木剣を返却台に置いた。

柄を離すとき、指が少しだけ名残惜しそうに引っかかった。握り慣れた感触。

剣を手放すのが惜しいのではない。握っている方が落ち着くだけだ。

それも、たぶん、癖。

 

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