ピクミン擬人化ハーレム物   作:風神ぷー

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気づいたら15000文字や


第十一話 灼熱の知恵

 

 

窪地へ逃げ込んでから、しばらく誰も動かなかった。

 

遠くでは、まだマグマチャッピーの低い咆哮が響いている。

 

声が聞こえるたび、周囲の岩壁までわずかに震えたような気がした。

 

実際に揺れているのか。

 

それとも、身体がまだ恐怖を引きずっているだけなのか。

 

今の俺には判断できなかった。

 

ひまわりは岩壁へ背を預け、膝を抱えている。

 

呼吸は落ち着き始めていたが、顔には疲労が濃く浮かんでいた。

 

ローズは塞がった裂け目の前へ立ち、向こう側の気配を探っている。

 

「まだいるのか?」

 

俺が尋ねると、ローズは耳を澄ませたまま頷いた。

 

「いる。」

 

「近くを歩いてる。」

 

「俺たちが出てくるのを待ってるのか。」

 

「分からない。」

 

短い返事だった。

 

マグマチャッピーが、どれほど賢い生き物なのかは分からない。

 

ただ、簡単に諦める性格ではないらしい。

 

人間でも、妙に執念深い相手ほど厄介なものだ。

 

配送先で担当者が不在だった時より面倒だった。

 

あちらは電話をすれば済む。

 

こちらは電話番号どころか、言葉が通じる可能性すらない。

 

俺は立ち上がり、窪地の中を改めて見回した。

 

周囲は黒い岩壁に囲まれている。

 

逃げ込んできた裂け目は、一部が崩れて塞がっていた。

 

完全に通れないわけではない。

 

だが、戻ればマグマチャッピーの縄張りへ出る。

 

今は選びたくない道だった。

 

反対側には、斜めに伸びる細い坂がある。

 

人一人なら登れそうだ。

 

その先までは見えない。

 

「上を確認する。」

 

俺は荷物を置き、坂へ近付いた。

 

するとローズがすぐに振り返る。

 

「私が行く。」

 

「いや。」

 

俺は首を横へ振った。

 

「まず俺が見る。」

 

「危ない。」

 

「お前はさっきまで最後尾を守ってた。」

 

「少し休め。」

 

ローズの眉がわずかに動く。

 

「平気。」

 

「平気でも休む。」

 

俺は足元へ荷物を置いた。

 

「倒れてからじゃ遅い。」

 

するとローズは、俺の顔をじっと見た。

 

「それは、オリマーも同じ。」

 

言い返された。

 

もっともだった。

 

俺も足が重い。

 

肩も痛い。

 

喉も乾いている。

 

説得する側が今にも倒れそうでは、あまり格好がつかない。

 

ひまわりが俺とローズを見比べる。

 

「じゃあ。」

 

「みんなで少し休んでから行けばいいんじゃない?」

 

俺とローズは同時に彼女を見た。

 

「……それがいいな。」

 

俺が言うと、ローズも小さく頷く。

 

「うん。」

 

ひまわりは得意そうに胸を張った。

 

「私、賢い。」

 

「今のところ本日一番だ。」

 

「もっと褒めていいよ。」

 

「調子に乗るからやめておく。」

 

「もう乗ってる。」

 

ローズが淡々と言った。

 

「ひどい!」

 

ひまわりの声が窪地へ響く。

 

思わず口元が緩んだ。

 

さっきまで命からがら逃げていたとは思えない。

 

だが、その明るさに助けられているのも事実だった。

 

俺は荷物から水を取り出す。

 

残量を確認する。

 

果皮の器は二つ。

 

そのうち一つは、すでに半分以下まで減っていた。

 

三人で分ければ、今日を越えられるかどうかも怪しい。

 

「一口ずつだ。」

 

「また?」

 

ひまわりが悲しそうな顔をする。

 

「今度は本当に少しだけだ。」

 

「この先に水がある保証はない。」

 

ひまわりは器を受け取ると、名残惜しそうにほんの少しだけ飲んだ。

 

ローズは受け取ろうとしない。

 

「ローズ。」

 

「私はいらない。」

 

「飲め。」

 

「平気。」

 

「命令。」

 

そう言うと、ローズが目を細めた。

 

「命令?」

 

「ああ。」

 

「先頭を歩く人間が倒れたら困る。」

 

「だから飲め。」

 

しばらく睨み合う。

 

やがてローズは器を受け取り、本当に一口だけ飲んだ。

 

「これでいい?」

 

「よし。」

 

「偉い。」

 

「子ども扱いしないで。」

 

「さっき、ひまわりにも同じことを言った。」

 

「私はひまわりじゃない。」

 

「分かってる。」

 

ローズは器を押し返しながら、少しだけ不満そうな顔をした。

 

ひまわりが横で笑っている。

 

「ローズも子ども扱いされた。」

 

「笑わない。」

 

「でも、ローズの方が小さいよね。」

 

「関係ない。」

 

ひまわりは自分の頭の上へ手を置き、ローズと比べるような仕草をした。

 

「背は私の方が高い。」

 

「黙って。」

 

騒がしい。

 

だが、悪くない。

 

この森へ来てから、静かな場所ほど危険だと学んだ。

 

こうして声が聞こえているうちは、少なくとも三人とも生きている。

 

それだけで十分だった。

 

少し休んだ後、俺たちは斜面へ向かった。

 

先頭はローズ。

 

結局、そうなった。

 

どうやら譲る気はないらしい。

 

俺がその後ろ。

 

ひまわりが最後に続く。

 

坂は見た目以上に急だった。

 

黒い岩は乾いているが、ところどころ表面が脆くなっている。

 

手を掛けた場所が、そのまま崩れることもあった。

 

「足元、気を付けて。」

 

上からローズが声を掛ける。

 

「右側は弱い。」

 

俺は右手側の岩を軽く叩いた。

 

乾いた空洞音が返ってくる。

 

「中が空洞なのか。」

 

「たぶん。」

 

「重いものが乗ったら崩れそうだな。」

 

ローズは少し考え、岩肌を見下ろした。

 

「人なら平気。」

 

「チャッピーなら?」

 

ローズはもう一度、空洞音のした場所を見る。

 

「崩れるかも。」

 

俺はその場所を目へ焼き付けた。

 

使えるかもしれない。

 

今すぐ何に使うかは分からない。

 

だが、危険な地形は敵にとっても危険だ。

 

仕事でも、道路の幅や高さ制限を知らずに大型車で突っ込めば立ち往生する。

 

身体が大きいことは、いつでも利点になるわけではない。

 

マグマチャッピーほど巨大な生き物なら、通れる道は限られる。

 

通れる道が限られるなら、動かせる場所も限られる。

 

俺たちはゆっくりと斜面を登った。

 

上へ出ると、細長い岩棚が続いていた。

 

窪地を囲む岩壁の中腹に、自然に作られた道らしい。

 

幅は狭い。

 

俺たち三人なら通れる。

 

マグマチャッピーは無理だろう。

 

下を見ると、赤い花道が遠くまで広がっている。

 

その中に、黒く焼け焦げた一本の道があった。

 

マグマチャッピーが歩いた跡だ。

 

花々が左右へ押し分けられ、岩肌が剥き出しになっている。

 

「高いね。」

 

ひまわりが下を覗き込む。

 

「落ちるなよ。」

 

「落ちないよ。」

 

「そう言う奴ほど落ちる。」

 

「オリマー、心配しすぎ。」

 

「心配しなさすぎる奴がいるからだ。」

 

ひまわりは頬を膨らませたが、すぐに岩壁へ身体を寄せた。

 

注意は聞いているらしい。

 

素直で助かる。

 

俺は岩棚から周囲を観察した。

 

ここからなら、マグマチャッピーの縄張り全体を見渡せる。

 

足跡は一方向だけではない。

 

黒い道がいくつも交差している。

 

中央には広い岩場。

 

その周囲を囲むように、赤い花の群れが広がっていた。

 

さらに奥には、黒い岩壁が立ち上がっている。

 

道は、その岩壁の間へ続いていた。

 

おそらく、俺たちが進むべき方向だ。

 

だが、その手前をマグマチャッピーが徘徊している。

 

完全に道を塞いでいるわけではない。

 

しかし、気付かれずに通り抜けるには距離が近すぎる。

 

「向こうだな。」

 

俺が岩壁の隙間を指差す。

 

ローズも頷く。

 

「あの先から、空気が変わる。」

 

「灼熱花道の出口か?」

 

「たぶん。」

 

たぶん。

 

ここでは、その言葉に何度も命を預けてきた。

 

確かな案内板などない。

 

地図もない。

 

あるのは風と植物と、ローズの感覚だけだ。

 

それでも、何もないよりはずっといい。

 

「問題は。」

 

ひまわりが小さく言った。

 

「あの前に、あの子がいることだね。」

 

彼女が指差した先。

 

黒い道の向こうで、炎が揺れていた。

 

マグマチャッピーだった。

 

ゆっくりとこちらへ近付いている。

 

俺たちは反射的に身を伏せた。

 

岩棚の縁から、慎重に様子を窺う。

 

マグマチャッピーは焼けた道を歩いていた。

 

背中の炎が風に煽られ、赤く大きく揺れている。

 

一歩進むたび、足元の花が焦げていく。

 

だが、よく見ると無秩序に歩いているわけではなかった。

 

一定の場所を巡っている。

 

中央の岩場。

 

火吹き花の群生。

 

黒い岩壁の隙間。

 

そして、また中央へ戻る。

 

「同じ道を歩いてる。」

 

俺は小声で呟いた。

 

「見張ってるのかな?」

 

ひまわりが尋ねる。

 

「縄張りを回ってるのかもしれない。」

 

ローズは黙ってマグマチャッピーを見つめていた。

 

俺は地図代わりの葉を取り出した。

 

木炭で簡単に線を引く。

 

マグマチャッピーが通った道。

 

立ち止まった場所。

 

向きを変えた位置。

 

時間までは分からない。

 

それでも、動きに規則があるなら記録する価値はある。

 

「また地図?」

 

ひまわりが覗き込む。

 

「今度は道じゃなくて、あいつの動きだ。」

 

「何周するか見る。」

 

「どうして?」

 

「いつ、どこを通るか分かれば。」

 

俺は岩壁の隙間を指差した。

 

「見つからずに抜けられるかもしれない。」

 

ひまわりの顔が明るくなる。

 

「じゃあ、倒さなくてもいいの?」

 

「倒さずに済むなら、それが一番いい。」

 

するとローズがこちらを見た。

 

「でも。」

 

「難しい。」

 

「どうして?」

 

俺が尋ねると、ローズはマグマチャッピーの進路を指差した。

 

「出口の前で、必ず止まる。」

 

確かに。

 

マグマチャッピーは黒い岩壁の隙間へ近付くと、その場で長く留まっていた。

 

鼻先を地面へ近付け、周囲の匂いを確かめている。

 

その時間が、他の場所より明らかに長い。

 

出口を守っているようにも見える。

 

「通ろうとしたら気付かれるか。」

 

「うん。」

 

「別の道は?」

 

ローズは首を横へ振った。

 

「見えない。」

 

俺も周囲を確認した。

 

左右は高い岩壁。

 

岩棚は途中で切れている。

 

花道の出口へ進むには、どうしても中央の縄張りを通らなければならない。

 

やはり、楽には帰してくれないらしい。

 

俺はマグマチャッピーの動きを地図へ書き込み続けた。

 

一周。

 

二周。

 

三周。

 

多少のずれはある。

 

だが、大まかな道順は同じだった。

 

途中で火吹き花の群生へ近付く。

 

すると火吹き花が一斉に炎を噴き上げる。

 

しかし、マグマチャッピーは気にする様子もない。

 

炎を浴びたまま通り過ぎていく。

 

「火は効かないな。」

 

「当たり前。」

 

ローズが言う。

 

「燃えてるから。」

 

「分かってたけど、確認だ。」

 

火吹き花を直接攻撃へ使うのは難しい。

 

同じ炎なら、相手をさらに元気にするだけかもしれない。

 

だが、使い道がないとは限らない。

 

火吹き花は、何かが触れた時に反応する。

 

距離が離れていても、振動や熱に反応する個体がある。

 

それを利用すれば、注意を逸らせるかもしれない。

 

「火吹き花は、どのくらいの距離で反応する?」

 

俺が尋ねる。

 

ローズは少し考えた。

 

「近付いた時。」

 

「触れなくても?」

 

「大きく動けば。」

 

「音は?」

 

「分からない。」

 

俺は落ちていた小石を拾った。

 

岩棚から火吹き花へ投げるには遠すぎる。

 

途中で届かないだろう。

 

それでも、反応条件を知る価値はある。

 

「もう少し近くから試したい。」

 

ローズが顔をしかめる。

 

「危ない。」

 

「分かってる。」

 

「だから、あいつが離れてからだ。」

 

「何をするの?」

 

ひまわりが尋ねる。

 

「火吹き花が何に反応するか調べる。」

 

「それが分かれば、遠くから動かせるかもしれない。」

 

「動かす?」

 

「マグマチャッピーを。」

 

ひまわりが目を丸くした。

 

「そんなことできるの?」

 

「分からない。」

 

「でも、正面から殴るよりは可能性がある。」

 

ローズは不満そうにマグマチャッピーを見た。

 

「私は殴れる。」

 

「殴れるのと、倒せるのは別だ。」

 

「……分かってる。」

 

その声には悔しさが滲んでいた。

 

ローズにとって、力で押し切れない相手は珍しいのだろう。

 

だが、力だけで勝つ必要はない。

 

俺たちの目的は戦うことではない。

 

帰ることだ。

 

敵を倒したという実績が欲しいわけでもない。

 

表彰状も賞金も出ない。

 

無事に通り抜けられれば、それでいい。

 

マグマチャッピーは三周目を終え、中央の岩場へ戻った。

 

そこで身体を低くする。

 

眠るのかと思った。

 

しかし、完全には目を閉じない。

 

炎を揺らしながら、周囲の気配を探っている。

 

「休んでる。」

 

ローズが小さく言う。

 

「今なら動ける?」

 

「近くは無理。」

 

「でも、反対側なら。」

 

俺は地図を見下ろした。

 

火吹き花の群生は、マグマチャッピーから離れた場所にもある。

 

岩棚を少し戻れば、下へ降りられそうな傾斜が見えた。

 

あそこなら、中央から死角になる。

 

「行ってみよう。」

 

俺が言うと、ローズはすぐに首を横へ振った。

 

「私だけで行く。」

 

「三人で行く。」

 

「危ない。」

 

「だから三人だ。」

 

ローズはひまわりを見る。

 

「ひまわりは?」

 

ひまわりが自分を指差した。

 

「私?」

 

「ああ。」

 

俺は頷く。

 

「耳がいい。」

 

「マグマチャッピーが動いたら、俺たちより早く気付ける。」

 

ひまわりの表情が少し引き締まる。

 

「できる。」

 

「足音を聞けばいいんだね。」

 

「ああ。」

 

「近付いたら、すぐ知らせてくれ。」

 

「任せて。」

 

ローズはまだ納得していない顔だった。

 

「オリマーは?」

 

「俺は花を調べる。」

 

「触るの?」

 

「触らない。」

 

俺はひまわりへ視線を向けた。

 

「ひまわりじゃないからな。」

 

「どういう意味?」

 

ひまわりが抗議する。

 

「経験者を参考にしただけだ。」

 

「失礼!」

 

ローズが小さく息を吐いた。

 

呆れているのか。

 

少し笑っているのか。

 

その中間の顔だった。

 

三人は岩棚を戻り、下へ続く傾斜を探した。

 

道と呼べるほど整ってはいない。

 

だが、手を掛けられる岩がいくつかある。

 

ローズが先に降り、安全な場所を確認する。

 

俺が続く。

 

最後にひまわりが軽やかに飛び降りた。

 

「着地。」

 

「静かに。」

 

「はい。」

 

声だけは小さくなった。

 

俺たちは岩壁沿いに身を低くしながら進んだ。

 

中央の岩場は見えない。

 

その分、マグマチャッピーの姿も見えない。

 

姿が見えない相手へ近付くのは気分が悪い。

 

見えていれば怖い。

 

見えなければもっと怖い。

 

人間は面倒だ。

 

しばらく進むと、火吹き花が一輪だけ離れて咲いている場所へ出た。

 

周囲に他の花は少ない。

 

実験するには都合がいい。

 

俺は少し離れた場所へしゃがみ込んだ。

 

「ひまわり。」

 

「聞こえるか?」

 

ひまわりは目を閉じ、耳を澄ませる。

 

「……まだ動いてない。」

 

「遠くで火がぱちぱち鳴ってる。」

 

「たぶん、寝てる。」

 

「よし。」

 

俺は小石を一つ拾った。

 

火吹き花の根元から少し離れた地面へ投げる。

 

石が岩へ当たった。

 

カツン。

 

花は反応しない。

 

「音だけじゃ駄目か。」

 

次に、少し大きな石を投げる。

 

今度は花の茎の近くへ落ちた。

 

地面がわずかに揺れる。

 

花弁が開いた。

 

俺たちは身構える。

 

だが、炎は出ない。

 

「まだ。」

 

ローズが小さく言う。

 

俺はもう一つ石を拾う。

 

今度は茎へ直接当てた。

 

ボッ。

 

火吹き花が炎を噴いた。

 

熱風がこちらまで届く。

 

ひまわりが顔を庇う。

 

「やっぱり、触らないと駄目?」

 

「いや。」

 

俺は花を見つめる。

 

石が当たる前。

 

地面が揺れた時にも、花は開いていた。

 

反応はしていた。

 

炎を吐くほどではなかっただけだ。

 

「大きな振動なら、触らなくても反応するかもしれない。」

 

「大きな振動?」

 

ひまわりが首を傾げる。

 

俺は、マグマチャッピーが歩く姿を思い出す。

 

一歩ごとに地面が揺れていた。

 

火吹き花の群生へ近付けば、それだけで一斉に炎を噴く。

 

あの炎自体は、マグマチャッピーには効かない。

 

だが。

 

炎を噴く瞬間、火吹き花は大きく膨らむ。

 

茎が地面からせり上がり、周囲の岩を押し退ける。

 

群生なら、さらに大きな動きになる。

 

「花だけじゃない。」

 

俺は周囲の地面を見る。

 

火吹き花の根元には、細い亀裂が走っていた。

 

炎を噴くたび、亀裂が少しずつ広がっている。

 

この辺りの岩は熱で脆い。

 

斜面で見つけた空洞も同じだ。

 

「地面が壊れてる。」

 

ローズが俺の視線を追う。

 

「花が動くたびに。」

 

「ああ。」

 

「これが群生してる場所なら、もっと脆いはずだ。」

 

俺は地図を広げた。

 

マグマチャッピーの通り道。

 

火吹き花の群生。

 

空洞になった斜面。

 

それぞれの位置を思い返す。

 

まだ繋がらない。

 

だが、何かが見え始めている。

 

その時。

 

ひまわりが突然、顔を上げた。

 

「動いた。」

 

俺とローズが同時に彼女を見る。

 

「足音。」

 

「こっちへ来てる。」

 

遠くから。

 

ドン。

 

地面が揺れた。

 

続けて、もう一度。

 

ドン。

 

「戻るぞ。」

 

俺は地図をしまい、すぐに立ち上がった。

 

三人は来た道を引き返す。

 

走らない。

 

音を立てれば気付かれる。

 

だが、足音は少しずつ近付いてくる。

 

ドン。

 

ドン。

 

岩壁の向こうで炎が揺れる。

 

赤い光が花の隙間から見えた。

 

「急いで。」

 

ローズが小声で言う。

 

傾斜まであと少し。

 

ひまわりが先に登る。

 

俺も岩へ手を掛けた。

 

その時だった。

 

足元の岩が崩れた。

 

ガラッ。

 

乾いた音が響く。

 

身体が傾く。

 

「オリマー!」

 

ローズが俺の腕を掴んだ。

 

強い力で引き上げられる。

 

俺は岩棚へ身体を乗せた。

 

その直後。

 

岩壁の角から、炎をまとった巨大な頭が姿を現した。

 

マグマチャッピー。

 

青い目がこちらを向く。

 

距離はある。

 

だが、見つかったかもしれない。

 

「伏せて!」

 

三人は岩棚へ身体を伏せた。

 

マグマチャッピーが鼻先を上げる。

 

匂いを探している。

 

炎の揺れる音が近い。

 

熱風が岩棚まで届いた。

 

俺は息を殺した。

 

ひまわりも口元を押さえている。

 

ローズだけが、すぐに身を起こせる体勢を取っていた。

 

飛び掛かられたら、自分が前へ出るつもりなのだろう。

 

俺はその腕を掴んだ。

 

ローズがこちらを見る。

 

声には出さず、首を横へ振った。

 

行くな。

 

今はまだ。

 

ローズはしばらく俺を見つめていた。

 

やがて、わずかに頷く。

 

マグマチャッピーはしばらく周囲を探った。

 

やがて興味を失ったように、ゆっくりと向きを変える。

 

足音が離れていく。

 

誰もすぐには動かなかった。

 

完全に聞こえなくなってから、ようやくひまわりが息を吐いた。

 

「……怖かった。」

 

「ああ。」

 

俺も同じだった。

 

ローズが俺の腕を見る。

 

「怪我。」

 

見ると、先ほど岩へ擦った場所から少し血が出ていた。

 

深くはない。

 

ただの擦り傷だ。

 

「これくらい平気だ。」

 

ローズの表情が険しくなる。

 

「平気って言わないで。」

 

思わず言葉に詰まった。

 

ついさっき、俺が彼女へ言ったのと同じことだった。

 

ひまわりが小さく笑う。

 

「同じだね。」

 

「何が?」

 

俺が尋ねると、ひまわりは俺とローズを交互に指差した。

 

「二人とも。」

 

「自分の怪我は平気って言うのに。」

 

「相手が言うと怒る。」

 

俺とローズは顔を見合わせた。

 

言い返せない。

 

こういう時だけ、ひまわりは妙に鋭い。

 

「似てない。」

 

ローズが先に否定した。

 

「そこまで強く否定しなくてもいいだろ。」

 

「似てない。」

 

二度言われた。

 

少し傷付く。

 

腕より、そちらの方が痛い。

 

ひまわりは楽しそうに笑っていた。

 

俺は葉を裂き、傷口へ巻き付ける。

 

「これでいい。」

 

「戻ろう。」

 

「まだ観察は終わってない。」

 

ローズが眉をひそめる。

 

「また行くの?」

 

「今日はもう行かない。」

 

「でも、使えるものは見つかった。」

 

俺は火吹き花の群生がある方角を見る。

 

地面の亀裂。

 

脆い岩。

 

決まった巡回路。

 

狭い出口。

 

そして、炎へ耐えられるローズ。

 

それぞれ単独では、マグマチャッピーを越える方法にはならない。

 

だが、組み合わせれば。

 

荷物を運ぶ時も同じだ。

 

一つの道具だけで、何でも解決できるわけではない。

 

台車。

 

固定具。

 

迂回路。

 

時間。

 

人員。

 

全部を組み合わせて、初めて無理な荷物を動かせる。

 

「何か思い付いた?」

 

ひまわりが尋ねる。

 

「まだ形にはなってない。」

 

「でも。」

 

俺は地図を軽く叩いた。

 

「ただ殴るよりは、ずっとましな方法がありそうだ。」

 

ローズが地図を見る。

 

「どうするの?」

 

「まずは、あいつの道を全部調べる。」

 

「次に、火吹き花の群生と、脆い地面の場所を確認する。」

 

「それから。」

 

俺は岩棚の下を見た。

 

熱で空気が揺れている。

 

赤い花道の奥では、マグマチャッピーが再び巡回を始めていた。

 

「俺たちが戦う場所を決める。」

 

「戦う場所?」

 

「ああ。」

 

「向こうが強い場所で戦う必要はない。」

 

「俺たちが勝てる場所まで、あいつを運ぶ。」

 

ローズが目を瞬かせる。

 

「運ぶ?」

 

「運転手だからな。」

 

俺はマグマチャッピーの巨体を見つめた。

 

「荷物だけじゃない。」

 

「危険だって、動かし方を考えればいい。」

 

マグマチャッピーは大きい。

 

重い。

 

炎をまとっている。

 

正面からぶつかれば勝ち目はない。

 

なら、正面からぶつからなければいい。

 

地形を使う。

 

植物を使う。

 

動きを読む。

 

俺たち三人が持つものを、全部使う。

 

それでようやく、勝負になる。

 

ローズはしばらく俺を見つめていた。

 

やがて、静かに頷く。

 

「分かった。」

 

その声には、さっきまでの焦りがなかった。

 

「準備する。」

 

「ああ。」

 

「今度は、逃げるためじゃない。」

 

遠くでマグマチャッピーが咆哮する。

 

炎が揺れ、赤い花々が一斉に伏せた。

 

俺は地図を広げる。

 

まだ空白ばかりだ。

 

足りない情報も多い。

 

水もない。

 

食料も少ない。

 

時間に余裕もない。

 

条件は最悪だった。

 

だが、何も分からず追われていた時とは違う。

 

今度はこちらが、あいつを見る番だ。

 

俺は木炭を握り直し、マグマチャッピーの巡回路へ新しい線を引いた。

 

灼熱の番人を越えるための準備が、ようやく始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

灼熱花道を吹き抜ける風が、赤い花々を大きく揺らした。

 

俺は木炭を握ったまま、地図へ視線を落とす。

 

マグマチャッピーの巡回路。

 

火吹き花の群生。

 

熱で脆くなった岩盤。

 

それぞれは、まだ別々の情報だった。

 

だが、無駄なものは一つもない。

 

配送の仕事でも同じだった。

 

積み荷だけ見ていても、安全には運べない。

 

道路の幅。

 

橋の高さ。

 

天候。

 

交通量。

 

荷物の重さ。

 

使える人員。

 

全部を合わせて考えて、ようやく一つの道が決まる。

 

この森でも、やることは変わらない。

 

「……もう一回見る。」

 

俺が呟くと、ローズが頷いた。

 

「うん。」

 

ひまわりも岩棚の縁へ近付き、慎重に下を覗き込む。

 

「まだ歩いてる。」

 

マグマチャッピーは相変わらず、同じ道を巡回していた。

 

中央の岩場を一周。

 

火吹き花の群生を通過。

 

出口の前で停止。

 

周囲の匂いを確認した後、再び中央へ戻る。

 

四周目。

 

五周目。

 

細かなずれはある。

 

しかし、大まかな順番は変わらない。

 

「本当に同じところを歩いてる。」

 

ひまわりが感心したように呟いた。

 

「ああ。」

 

「縄張りを見回ってるんだろうな。」

 

「見張り番みたい。」

 

「そんな感じだ。」

 

俺は地図へ新しい線を書き足す。

 

一定の動きを繰り返す相手なら、次にどこへ来るか予測できる。

 

予測できるなら、動かす方法も考えられる。

 

もちろん、紙の上で線を引くほど簡単ではない。

 

あれは地図の記号ではなく、俺たちを一口で食える巨大な生き物だ。

 

だが、何も知らず追われていた時よりはましだった。

 

「ローズ。」

 

「何。」

 

「この巡回、前から同じなのか。」

 

ローズはマグマチャッピーの動きを目で追った。

 

「うん。」

 

「いつも同じ。」

 

「中央を回って。」

 

「火吹き花の前を通って。」

 

「最後に出口を確かめる。」

 

ひまわりが首を傾げる。

 

「ずっと見てたの?」

 

「前に、この辺を通ったことがある。」

 

ローズは静かに答えた。

 

「その時も同じだった。」

 

「一人で?」

 

俺が尋ねると、ローズは少しだけ間を置いて頷く。

 

「うん。」

 

「どうやって通った。」

 

「通ってない。」

 

「近付いたけど、引き返した。」

 

それを聞いて、少し意外に思った。

 

ローズなら、無理にでも進もうとしたのではないか。

 

そんな考えが顔へ出たのか、彼女がこちらを見る。

 

「何。」

 

「いや。」

 

「引き返すこともあるんだなと思っただけだ。」

 

ローズは少しむっとした顔をした。

 

「私だって考える。」

 

「それは失礼した。」

 

「馬鹿だと思ってた?」

 

「そこまでは言ってない。」

 

「思ってた顔。」

 

面倒なところだけ鋭い。

 

ひまわりがくすくす笑っている。

 

「ローズ、根に持つよ。」

 

「余計なこと言わない。」

 

「でも、引き返したから今ここにいるんだよね。」

 

ひまわりの何気ない言葉に、ローズは黙った。

 

それから、もう一度マグマチャッピーへ視線を戻す。

 

「……うん。」

 

短い返事だった。

 

だが、その声は少しだけ柔らかかった。

 

無理に進まない。

 

生きて戻る。

 

当たり前のようで、危険な場所では難しい判断だ。

 

引き返したことを失敗だと思う人間もいる。

 

だが、生きていれば次を考えられる。

 

俺にとっては、それで十分だった。

 

「なら、癖じゃない。」

 

俺は地図へ目を戻す。

 

「決まった巡回だ。」

 

木炭で、マグマチャッピーの通り道をなぞる。

 

「予定通りに動く相手なら。」

 

俺は出口前の岩場へ印を付けた。

 

「予定通りに誘導できる。」

 

ひまわりが首を傾げる。

 

「誘導?」

 

「歩く道が決まってるなら。」

 

「少しだけ、その道を変えられるかもしれない。」

 

「どうやって?」

 

俺は火吹き花の群生へ目を向けた。

 

「あれを使う。」

 

ローズも同じ方向を見る。

 

「火吹き花?」

 

「ああ。」

 

「火そのものじゃない。」

 

「花が動く時の力だ。」

 

ひまわりは難しそうに眉を寄せた。

 

「花が動く力?」

 

「炎を吐く時、茎が地面から持ち上がってただろ。」

 

俺は先ほど調べた一輪の火吹き花を思い出す。

 

花弁が開く。

 

茎が膨らむ。

 

根元の岩が押される。

 

それを何度も繰り返した結果、周囲には細い亀裂が走っていた。

 

一本なら小さな変化だ。

 

だが、群生なら。

 

「花が一斉に動けば、地面も動く。」

 

「それが何度も続けば、岩盤はさらに脆くなる。」

 

ローズが地図を覗き込む。

 

「崩すの?」

 

「まだ分からない。」

 

「場所を見ないと決められない。」

 

「でも、可能性はある。」

 

ローズは火吹き花の群生と、その近くの岩場を見比べた。

 

「マグマチャッピーを、そこへ連れていく。」

 

「ああ。」

 

「重いからな。」

 

「俺たちが歩いても崩れない場所が、あいつなら崩れるかもしれない。」

 

ひまわりがぱっと顔を明るくする。

 

「落とし穴!」

 

「まだ穴にはなってない。」

 

「じゃあ、穴にする。」

 

言うのは簡単だ。

 

自然の地面へ、巨大な生き物が落ちる穴を作る。

 

人間の町なら重機が必要になる。

 

ここにあるのは、木の枝と蔦と石。

 

そして、炎を吐く花だけだ。

 

相変わらず設備環境がひどい。

 

労働基準監督署へ連絡したい。

 

電話が通じれば、だが。

 

「まずは場所を調べる。」

 

俺は立ち上がった。

 

「火吹き花の群生の下が、本当に脆いか確認する。」

 

ローズも立ち上がる。

 

「私が行く。」

 

「三人で行く。」

 

「また?」

 

「まただ。」

 

「ひまわりは足音を聞く。」

 

「ローズは火吹き花を調べる。」

 

「俺は地面を見る。」

 

それぞれの役割を伝える。

 

ローズは不満そうだったが、反対はしなかった。

 

一人で全部を背負おうとするより、少しはましになったらしい。

 

ほんの少しだが。

 

俺たちは岩棚の上を移動し、火吹き花の群生へ近い場所を探した。

 

下へ降りられそうな斜面は二つ。

 

一つはマグマチャッピーの巡回路に近すぎる。

 

もう一つは遠回りになるが、岩壁の陰を進める。

 

「こっちだな。」

 

俺は遠い方を指差した。

 

「時間はかかるけど、見つかりにくい。」

 

ローズが頷く。

 

「うん。」

 

「走らなくて済む。」

 

それが一番大事だ。

 

追われてから考えるのでは遅い。

 

追われないように動く。

 

三人は慎重に斜面を下りた。

 

先頭はローズ。

 

俺。

 

ひまわり。

 

足元の岩は乾き切っている。

 

少し力を掛けるだけで、表面が砂のように崩れた。

 

「ここも弱いな。」

 

俺は岩壁へ手を当てる。

 

中から熱が伝わってくる。

 

太陽の熱だけではない。

 

地面の奥に、別の熱源があるようだった。

 

「下が熱い。」

 

ローズが言う。

 

「前から?」

 

「うん。」

 

「この辺りはずっと。」

 

「火吹き花が増える場所ほど熱い。」

 

俺は足元を見る。

 

岩の亀裂から、白い湯気が細く立ち上っていた。

 

地下に空洞がある。

 

そこへ熱い空気が流れ込んでいるのかもしれない。

 

あるいは、もっと別の何か。

 

考えても答えは出ない。

 

世界の仕組みを解くのは、今の俺の仕事ではない。

 

使えるかどうか。

 

それだけ分かればいい。

 

「ひまわり。」

 

「足音は?」

 

ひまわりは目を閉じる。

 

風で揺れる花の音。

 

遠くで弾ける火。

 

岩の中を抜ける空気。

 

その全部から、必要な音だけを拾い上げているようだった。

 

「遠い。」

 

「出口の方にいる。」

 

「今なら大丈夫。」

 

「よし。」

 

三人は岩壁の陰を進んだ。

 

火吹き花の群生が見えてくる。

 

十本どころではない。

 

背丈ほどの大きな花が、狭い範囲へ密集していた。

 

どれも濃い赤色をしている。

 

風に揺れているだけなのに、花弁の奥から赤い光が漏れていた。

 

地面には無数の亀裂。

 

一部は手の指が入りそうなほど広がっている。

 

「近付きすぎるな。」

 

俺が言う前に、ローズが前へ出た。

 

「私が見る。」

 

「炎は平気でも、地面が崩れたら落ちるぞ。」

 

「分かってる。」

 

「本当に?」

 

ローズが振り返る。

 

「しつこい。」

 

「心配性なんだ。」

 

「知ってる。」

 

それだけ言って、ローズは火吹き花へ近付いた。

 

炎へ耐えられる彼女なら、俺たちより安全に調べられる。

 

だが、無敵ではない。

 

その区別を、本人がどこまで理解しているかは少し怪しい。

 

ローズは花の外側を回り、足元を確かめる。

 

拳で岩を軽く叩く。

 

乾いた音。

 

もう一度。

 

少し場所を変える。

 

今度は、低く響く空洞音が返ってきた。

 

「ここ。」

 

ローズが地面を指差す。

 

「下が空いてる。」

 

俺は安全な場所まで近付き、持っていた枝を伸ばした。

 

先端で岩を叩く。

 

確かに軽い。

 

薄い板を叩いているような音だった。

 

「広さは?」

 

「分からない。」

 

ローズが亀裂へ耳を近付ける。

 

「でも、奥まで続いてる。」

 

俺は枝を亀裂へ差し込んだ。

 

かなり深い。

 

途中で何かに当たる感触はない。

 

「空洞の上に、薄い岩盤が乗ってるのか。」

 

ひまわりが恐る恐る近付く。

 

「落ちたらどうなるの?」

 

「分からない。」

 

「底があるかも分からない。」

 

「マグマチャッピーが落ちても、死なないかもしれない。」

 

ローズが言う。

 

「でも、動けなくはなる。」

 

「あの身体なら、狭い穴から出るのは難しい。」

 

それで十分だ。

 

倒す必要はない。

 

通り抜ける時間が作れればいい。

 

俺たちの目的は、灼熱花道を越えることだ。

 

「問題は。」

 

俺は周囲を見回す。

 

「どうやってここへ誘導するかだ。」

 

マグマチャッピーの巡回路は、群生のすぐ横を通っている。

 

だが、空洞の真上は避けている。

 

偶然とは思えない。

 

地面が弱いことを知っているのか。

 

あるいは、本能的に避けているのか。

 

どちらにせよ、普段の巡回だけでは踏み込まない。

 

「匂い。」

 

ローズが言った。

 

「匂い?」

 

「あいつは、私たちを匂いで探してた。」

 

確かに。

 

見失った後も、鼻先を上げて何度も空気を嗅いでいた。

 

「誰かがおとりになる。」

 

ローズが続けた。

 

「ここまで連れてくる。」

 

「駄目だ。」

 

俺は即座に答えた。

 

「まだ誰がやるか言ってない。」

 

「お前がやる顔をしてる。」

 

ローズは黙る。

 

図星だったらしい。

 

「炎に強い。」

 

「だからって、食われないわけじゃない。」

 

「速く走れる。」

 

「ひまわりの方が速い。」

 

今度はひまわりが自分を指差す。

 

「私?」

 

「名乗り出なくていい。」

 

「まだ何も言ってないよ。」

 

「おとりは最後の手段だ。」

 

俺は地図を開いた。

 

「できるだけ、人が走らなくて済む方法を考える。」

 

「匂いを使うなら、残せばいい。」

 

ローズが眉を寄せる。

 

「残す?」

 

俺は自分たちの荷物を見る。

 

使い古した布。

 

汗を吸った葉。

 

食べ物の果皮。

 

動物ほど鼻が利く相手なら、俺たちの匂いが染み付いた物へ反応するかもしれない。

 

「これを使う。」

 

俺は汗を拭くために使っていた布を取り出した。

 

ひまわりが顔を近付け、すぐに離れる。

 

「くさい。」

 

「正直だな。」

 

「すごく働いた人の匂い。」

 

「言い方を変えても同じだ。」

 

ローズも布を見る。

 

「これを置くの?」

 

「ああ。」

 

「巡回路から少しずつ、匂いを繋げる。」

 

「最後に、この空洞の上まで誘う。」

 

「気付くかな。」

 

「分からない。」

 

「だから試す。」

 

何もかも一度で成功するとは思っていない。

 

小さく試す。

 

反応を見る。

 

駄目なら直す。

 

仕事でも同じだった。

 

いきなり本番へ突っ込む人間は、だいたい何かを壊す。

 

「でも、匂いだけだと途中で見失うかもしれない。」

 

ひまわりが言う。

 

「風もあるし。」

 

「ああ。」

 

俺は花の揺れを見る。

 

風は出口側から中央へ向かって吹いている。

 

この向きなら、空洞の上へ置いた匂いは巡回路側へ流れる。

 

使える。

 

「火吹き花も使う。」

 

俺は群生を見上げる。

 

「花を一斉に反応させれば、音と熱で気を引ける。」

 

ローズが首を傾げる。

 

「どうやって反応させるの。」

 

「石を落とす。」

 

俺は岩棚を見上げた。

 

群生の上には、大きな岩がいくつも引っ掛かっている。

 

蔦を結び、下から引けば落とせるかもしれない。

 

岩が群生へ落ちる。

 

花が一斉に炎を吐く。

 

地面が揺れる。

 

そこへ匂いを流す。

 

興奮したマグマチャッピーが踏み込めば、脆い岩盤へ負荷が掛かる。

 

成功する保証はない。

 

だが、一つの形にはなってきた。

 

「役割を決める。」

 

俺は地図へ三つの印を付けた。

 

「ひまわりは岩棚の上。」

 

「足音を聞いて、合図を出す。」

 

「それと、蔦を引いて岩を落とす。」

 

ひまわりが力強く頷く。

 

「任せて。」

 

「ローズは、空洞の向こう側。」

 

「マグマチャッピーが踏み込まなかった時だけ、姿を見せて誘導する。」

 

ローズが口を開く。

 

「最初から私がおとりでいい。」

 

「よくない。」

 

「でも。」

 

「最初から危険な方法を選ぶ必要はない。」

 

俺は彼女の目を見る。

 

「物で済むなら、物を使う。」

 

「それで駄目なら、次を考える。」

 

「いきなりお前の命を賭けるのは準備とは言わない。」

 

ローズは何か言い返そうとした。

 

だが、言葉は出なかった。

 

代わりに、少しだけ視線を逸らす。

 

「……分かった。」

 

不満は残っている。

 

それでも、受け入れてくれた。

 

前なら勝手に一人で動いていたかもしれない。

 

そう考えると、少しだけ進んでいる。

 

「オリマーは?」

 

ひまわりが尋ねる。

 

「俺はここ。」

 

俺は火吹き花の群生から離れた岩陰を指差した。

 

「全体を見て、合図を出す。」

 

「それだけ?」

 

ローズが言う。

 

「それだけが一番難しい。」

 

「二人の位置。」

 

「マグマチャッピーの動き。」

 

「地面の状態。」

 

「全部見て、止めるか続けるか決める。」

 

俺は戦えない。

 

ローズのように殴ることも。

 

ひまわりのように高く跳ぶこともできない。

 

だから、見る。

 

判断する。

 

指示を出す。

 

それが俺の役目だった。

 

「今日は仕掛けを作る。」

 

「決行は明日。」

 

ひまわりが驚いた顔をする。

 

「今日じゃないの?」

 

「日が傾いてる。」

 

「暗くなれば、足元が見えない。」

 

「失敗した時の逃げ道も確認できてない。」

 

「焦るな。」

 

水も食料も残り少ない。

 

本当なら、今すぐにでも進みたい。

 

だが、焦って全てを失えば意味がない。

 

一日遅れても、生きて越える。

 

それが正解だ。

 

三人は仕掛け作りを始めた。

 

まず、空洞へ近付きすぎないよう目印を置く。

 

黒い岩では見分けにくいため、赤い花弁を束ねて並べた。

 

次に、岩棚から垂らす蔦を探す。

 

乾いた蔦は切れやすい。

 

まだ水分を残している太いものを選び、何本も編み込む。

 

結び目は二重。

 

途中で外れないよう、枝へ巻き付ける。

 

「細かい。」

 

ローズが俺の手元を見る。

 

「切れたら困るからな。」

 

「引くだけでしょ。」

 

「引く時に切れるのが一番困る。」

 

「荷物も同じだ。」

 

「固定が甘いと、走り出してから崩れる。」

 

ひまわりが蔦を持ち上げる。

 

「これ、重い。」

 

「三本まとめてるからな。」

 

「私が引けるかな。」

 

「一人で難しければ、身体を使え。」

 

「岩へ足を掛けて、後ろへ倒れるように引く。」

 

「腕だけでやるな。」

 

ひまわりは言われた通りに姿勢を取る。

 

「こう?」

 

「もう少し腰を落とす。」

 

「こう?」

 

「それでいい。」

 

ローズが横から見ている。

 

「私がやった方が早い。」

 

「ローズは下だ。」

 

「何かあった時、マグマチャッピーを止められるのはお前だけだからな。」

 

ローズは少しだけ黙る。

 

「……分かった。」

 

必要とされる役割がある。

 

そう伝えると、彼女は比較的素直になる。

 

扱いやすい、などと思ってはいけない。

 

顔に出れば面倒だ。

 

仕掛けが形になった頃には、太陽がかなり傾いていた。

 

赤い花道は夕日を浴び、昼間よりさらに濃い赤色へ染まっている。

 

遠くでマグマチャッピーが巡回を続けていた。

 

こちらには気付いていない。

 

俺は岩棚へ登り、蔦を最後に確認する。

 

引けば、岩が群生へ落ちる。

 

火吹き花が反応する。

 

その振動で、空洞の岩盤はさらに弱くなる。

 

後は、マグマチャッピーが踏み込むかどうか。

 

風向き。

 

匂い。

 

距離。

 

条件は揃っている。

 

足りないのは、確信だけだった。

 

だが、危険な仕事に完全な確信などない。

 

あるのは、準備したという事実だけだ。

 

俺たちは窪地へ戻った。

 

焚き火は小さくする。

 

食事も最低限。

 

残った水を三人で分ける。

 

明日、失敗すれば水も尽きる。

 

成功して出口を越えても、その先に水がある保証はない。

 

それでも進むしかなかった。

 

ひまわりは蔦を引く動きを何度か確認している。

 

ローズは拳を握り、開く。

 

それぞれ、自分の役割を頭の中で繰り返しているのだろう。

 

俺は地図を広げ、最後の確認をする。

 

「ひまわり。」

 

「足音を聞いて、巡回路へ入ったら知らせる。」

 

「うん。」

 

「早すぎても駄目だ。」

 

「遅すぎても駄目。」

 

「火吹き花の横へ来た時。」

 

「分かった。」

 

「ローズ。」

 

「マグマチャッピーが空洞へ踏み込むまでは出るな。」

 

「……うん。」

 

少し間があった。

 

「勝手に前へ出るなよ。」

 

「分かってる。」

 

「本当に?」

 

「しつこい。」

 

「大事だからな。」

 

ローズは俺を睨んだ。

 

だが、怒ってはいなかった。

 

「オリマーも。」

 

「何だ。」

 

「勝手に前へ出ないで。」

 

今度は俺が黙る番だった。

 

ひまわりが笑う。

 

「やっぱり似てる。」

 

「似てない。」

 

ローズは即座に否定した。

 

俺はもう反論しなかった。

 

二度傷付く趣味はない。

 

遠くでマグマチャッピーが咆哮する。

 

三人の表情が引き締まった。

 

明日。

 

あの巨体を、俺たちが選んだ場所へ動かす。

 

正面から戦うわけではない。

 

力比べでもない。

 

地形。

 

植物。

 

風。

 

匂い。

 

役割。

 

使えるものを全て使う。

 

俺たちは弱い。

 

少なくとも、あの怪物と比べれば。

 

だが、弱いから考える。

 

考えるから、準備する。

 

それが人間のやり方だ。

 

俺は地図を畳んだ。

 

「準備は終わった。」

 

ひまわりが頷く。

 

ローズも静かに立ち上がる。

 

赤い花道の奥で、炎をまとった巨体がゆっくりと歩いている。

 

昨日は、ただ逃げることしかできなかった。

 

今は違う。

 

勝てるとは言わない。

 

倒せるとも言わない。

 

それでも。

 

「ようやく。」

 

俺は灼熱の番人を見据えた。

 

「勝負にはなる。」

 

熱風が岩陰へ吹き込む。

 

赤い花々が炎のように揺れる。

 

その向こうで、マグマチャッピーがこちらを探すように鼻先を上げた。

 

明日。

 

俺たちは、あの番人を越える。

 

 

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