ピクミン擬人化ハーレム物   作:風神ぷー

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おや、どうやら様子が


第六話 ルーイの事件簿Ⅰ 失踪者・織間哲平

雨だった。

 

梅雨らしい重たい雲が宮城県の空を覆い、細かな雨粒がアスファルトを静かに濡らしている。

 

石巻市内の一角。

 

築年数を感じさせるアパートの一室で、織間留衣はパソコンの画面をじっと見つめていた。

 

画面には兄のスマートフォンの位置情報履歴が表示されている。

 

最後の通信。

 

三日前。

 

それ以降、記録は一切更新されていなかった。

 

「……圏外、か」

 

小さく呟く。

 

兄、織間哲平。

 

周囲からは「オリマー」という妙なあだ名で呼ばれている長距離トラック運転手だ。

 

幼い頃から責任感だけは人一倍強かった。

 

頼まれたことは最後までやり遂げる。

 

約束は守る。

 

荷物を途中で投げ出すことなど一度もない。

 

そんな兄が、連絡もなく三日間も姿を消した。

 

留衣には、それだけで異常事態だと分かっていた。

 

スマートフォンが震える。

 

画面には母の名前が表示されていた。

 

「もしもし」

 

『留衣……何か分かった?』

 

疲れ切った声だった。

 

この三日間で何度聞いたか分からない声。

 

「まだ。警察も捜してる」

 

『哲平、生きてるよね……』

 

少しだけ沈黙が流れる。

 

留衣は窓の外を見つめた。

 

降り続く雨。

 

住宅街。

 

普段と変わらない朝。

 

世界は何も変わっていない。

 

それなのに、自分たち家族だけが取り残されているような感覚だった。

 

「大丈夫」

 

できるだけ穏やかな声を作る。

 

「兄さんは帰ってくる」

 

『……うん』

 

「だから待ってて」

 

電話が切れる。

 

留衣はスマートフォンを机へ置き、大きく息を吐いた。

 

本当は何の根拠もない。

 

それでも母の前で不安を口にするわけにはいかなかった。

 

机の上には資料が散らばっている。

 

配送伝票。

 

高速道路の利用履歴。

 

運送会社から受け取った配送ルート。

 

そして警察から渡された失踪届の控え。

 

留衣は一枚の地図を手に取った。

 

赤いペンで丸が付けられている。

 

兄が最後に通信した地点。

 

宮城県山中。

 

配送先へ向かう途中だった。

 

「途中で終わってる……」

 

配送記録を見返す。

 

荷物は目的地へ届いていない。

 

トラックも発見されていない。

 

荷物ごと、人間が消えている。

 

事故なら何かが残る。

 

事件なら痕跡が残る。

 

だが今回は、そのどちらもない。

 

まるで地図の上から兄だけが切り取られたようだった。

 

「おかしい」

 

留衣はノートへ一行だけ書き込む。

 

『事故では説明できない。』

 

フリージャーナリストになってから、彼女は何度も事件を追ってきた。

 

火災。

 

詐欺。

 

行方不明。

 

小さな地方記事。

 

どんな事件にも共通することが一つある。

 

人間は必ず痕跡を残す。

 

携帯電話。

 

防犯カメラ。

 

目撃証言。

 

財布。

 

靴跡。

 

どれか一つは残る。

 

しかし兄だけは違った。

 

何もない。

 

残されているのは「途中まで存在していた」という記録だけ。

 

だからこそ違和感が強かった。

 

留衣は立ち上がると、壁に貼ったホワイトボードの前へ向かう。

 

中央には兄の写真。

 

そこから何本もの線が伸びている。

 

運送会社。

 

配送先。

 

高速道路。

 

最後の通信地点。

 

警察。

 

家族。

 

情報はある。

 

だが一本も繋がらない。

 

「……まずは現場」

 

兄ならそうする。

 

情報だけでは限界がある。

 

実際に歩き、自分の目で見て、自分の耳で聞く。

 

それが真実へ最も近付く方法だと、兄自身が昔から教えてくれた。

 

留衣はカメラバッグを肩へ掛ける。

 

ボイスレコーダー。

 

一眼レフ。

 

ノート。

 

予備バッテリー。

 

モバイルパソコン。

 

仕事道具を一つずつ確認しながら鞄へ収めていく。

 

「待ってて、兄さん」

 

誰もいない部屋で小さく呟く。

 

「今度は私が探す番だから」

 

雨脚は少しだけ強くなっていた。

 

留衣は傘を開き、静かな住宅街へ歩き出す。

 

彼女はまだ知らない。

 

兄が姿を消した山に、百年以上前から繰り返されてきた失踪事件が眠っていることを。

 

そして、その調査が、自分の常識そのものを壊していくことを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

運送会社の営業所は、朝の慌ただしい空気に包まれていた。

 

大型トラックが次々と出入りし、制服姿の社員たちが忙しなく荷物を積み込んでいる。

 

雨に濡れたアスファルトへ、バックブザーの電子音が響いた。

 

留衣は受付で名刺を差し出した。

 

「フリージャーナリストの織間留衣です。織間哲平の件で、お話を伺えますか」

 

受付の女性は一瞬困ったような表情を浮かべたものの、すぐに奥へ姿を消す。

 

数分後、応接室へ案内された。

 

現れたのは五十代半ばほどの男性だった。

 

胸元の名札には「営業所長」と記されている。

 

「お待たせしました」

 

「本日はお時間をいただき、ありがとうございます」

 

「いえ……。こんな形で妹さんとお会いすることになるとは思いませんでした」

 

所長の表情には疲労が滲んでいた。

 

留衣は軽く頭を下げる。

 

「兄がお世話になっています」

 

「こちらこそですよ。哲平君には本当に助けられていました」

 

その口調に社交辞令らしさはなかった。

 

「彼は真面目でした」

 

「配送の遅延もほとんどない」

 

「荷物を傷つけたこともない」

 

「配送先から苦情が入ったこともありません」

 

「だから今回の件は、社員全員が信じられないんです」

 

留衣はノートを開いた。

 

「最後の配送内容を教えてください」

 

所長はファイルから数枚の資料を取り出し、机へ並べる。

 

「配送先は宮城県北部の物流センターです」

 

「積荷は日用品や食品などの一般貨物」

 

「特別高価な荷物ではありません」

 

「予定では夕方には配送を終え、営業所へ戻るはずでした」

 

「途中で連絡は?」

 

「ありません」

 

所長は地図を広げる。

 

赤い丸が一つ描かれていた。

 

「ここです」

 

「車両のGPSが最後に通信した場所になります」

 

留衣は地図へ目を落とす。

 

山道だった。

 

周囲には民家も施設もない。

 

ただ山林が広がるだけの場所。

 

「GPSはそこで途切れた?」

 

「はい」

 

「以降、車両との通信はありません」

 

「携帯電話も圏外です」

 

留衣は地図を自分のノートへ書き写す。

 

「警察は現場を調べたんですよね」

 

「ええ」

 

所長は静かに頷いた。

 

「ですが、不思議なんです」

 

「何がですか」

 

「何も残っていないんですよ」

 

留衣は顔を上げる。

 

「何も?」

 

「事故ならガードレールが壊れる」

 

「タイヤ痕が残る」

 

「部品が飛び散る」

 

「オイルが漏れる」

 

「普通は何かしら痕跡があります」

 

「ですが今回は、それがない」

 

所長は苦い表情で続けた。

 

「車両は見つかっていません」

 

「積荷も見つかっていません」

 

「哲平君も見つかっていません」

 

「本当に、全部なくなったんです」

 

その言葉に応接室の空気が重く沈む。

 

留衣は資料を見つめながら考え込んだ。

 

事故では説明がつかない。

 

車両ごと崖へ転落したとしても、捜索で見つからないのは不自然だ。

 

事件なら犯人がいる。

 

しかし大型トラックを荷物ごと隠すには、それ相応の準備と人数が必要になる。

 

しかも痕跡を一切残さずに。

 

現実的とは思えなかった。

 

「最後に哲平さんと話した社員はいますか」

 

「ええ」

 

所長は頷く。

 

「配送へ向かう前です」

 

「いつも通りでしたよ」

 

「『行ってきます』と言って出発しただけです」

 

「変わった様子は?」

 

「ありません」

 

「体調も良さそうでした」

 

「誰かと揉めていたとか」

 

「借金とか」

 

「そういう話も一切聞いていません」

 

留衣はペンを止めた。

 

兄らしい。

 

昔から感情を表へ出さない人だった。

 

それでも家族には分かる。

 

もし何か悩みを抱えていたなら、電話の一本くらいは寄越す。

 

何も言わず姿を消すような人ではない。

 

「現場周辺について、何か聞いていませんか」

 

その質問に、所長は少しだけ視線を逸らした。

 

「……警察には話していませんが」

 

「何でしょう」

 

「昔から、あの辺りは気味が悪いって言われてるんです」

 

留衣のペン先が止まる。

 

「気味が悪い?」

 

「ええ」

 

「配送担当の間では有名ですよ」

 

「夜になると近付きたくない山」

 

「携帯の電波が不安定になる場所」

 

「道に迷いやすい場所」

 

「そういう話は昔からあります」

 

「単なる噂でしょうけどね」

 

最後に苦笑を浮かべたものの、その笑顔はどこかぎこちなかった。

 

留衣はその一言をノートへ書き留める。

 

『山の噂』

 

ジャーナリストになって学んだことが一つある。

 

噂は信用しない。

 

だが、切り捨てもしてはいけない。

 

噂の中には、事実が歪んだまま残っていることがある。

 

そして、長年消えずに語り継がれる噂ほど、その土地の過去と結び付いている場合が多い。

 

留衣は静かにファイルを閉じた。

 

「ありがとうございます」

 

「次は現場へ行ってみます」

 

所長は少し驚いたような表情を見せた。

 

「一人でですか」

 

「はい」

 

「……でしたら、一つだけ忠告があります」

 

留衣は顔を上げる。

 

所長は窓の外へ降り続く雨を見つめながら、小さく言った。

 

「あの山は、昔から人が消える山です。」

 

「昔の人は迷信だと言って笑います。」

 

「ですが、配送担当は今でも暗くなる前に通り抜けるようにしています。」

 

「理由は誰も説明できません。」

 

「ただ……」

 

所長は少しだけ間を置いた。

 

「帰ってこない人が、時々いるんです。」

 

 

 

 

 

 

 

 

営業所を出ると、雨は朝より少しだけ弱まっていた。

 

曇天の下、留衣は車へ乗り込む。

 

エンジンを掛ける前に、ノートを開いた。

 

今日だけで集まった情報を書き出していく。

 

・配送先は通常業務。

 

・積荷に特別な価値はない。

 

・哲平に金銭トラブルなし。

 

・最後まで普段通り。

 

・GPSは山中で途絶える。

 

・トラックごと消失。

 

・現場には決定的な痕跡なし。

 

・配送員の間では「人が消える山」と噂されている。

 

一つ一つは決め手にならない。

 

しかし、並べると妙な輪郭が浮かび上がってくる。

 

「兄さんは狙われたんじゃない」

 

留衣は独り言のように呟いた。

 

荷物が目的なら、もっと狙いやすい車はいくらでもある。

 

哲平個人を狙う理由も見当たらない。

 

では、なぜあの場所だったのか。

 

考えれば考えるほど、答えは山そのものへ収束していく。

 

留衣はカーナビへ最後のGPS地点を入力した。

 

目的地まで約一時間三十分。

 

画面には山道が表示される。

 

人家はほとんどない。

 

途中からコンビニすら存在しなかった。

 

「本当にこんな場所なの……」

 

思わず漏れた言葉は車内へ消える。

 

アクセルを踏み込むと、街並みがゆっくり後方へ流れ始めた。

 

石巻市街を抜け、国道へ出る。

 

景色は少しずつ変化していく。

 

住宅が減り、田畑が増え、やがて山が近付いてくる。

 

取材へ向かう途中なら珍しくない景色だった。

 

だが今日は違う。

 

車窓から見える山々を眺めるたびに、兄がこのどこかへ消えたという事実だけが頭から離れなかった。

 

一時間ほど走った頃だった。

 

カーナビが目的地まで残り十五キロと表示する。

 

その直後だった。

 

スマートフォンの画面が一瞬だけ暗くなる。

 

通信が切れた。

 

「圏外?」

 

画面を確認する。

 

アンテナ表示は一本。

 

数秒後には再び四本へ戻る。

 

故障ではない。

 

電波が一瞬だけ消えたのだ。

 

留衣は道路脇へ車を停めた。

 

同じ場所でスマートフォンを掲げる。

 

通信は安定している。

 

「気のせい……?」

 

念のため位置情報アプリを開く。

 

正常。

 

地図も問題なく表示される。

 

少しだけ肩の力を抜き、再び車を走らせた。

 

だが十分ほど進んだところで、また同じ現象が起きる。

 

今度は通信が十秒近く戻らなかった。

 

「おかしい……」

 

山間部では珍しくない。

 

そう自分へ言い聞かせる。

 

しかし営業所長の言葉が頭をよぎる。

 

『携帯の電波が不安定になる場所』

 

偶然だろうか。

 

それとも。

 

留衣は考えを振り払うように首を横へ振った。

 

思い込みは調査を狂わせる。

 

事実だけを見る。

 

それが自分の仕事だった。

 

山道へ入ると、交通量は極端に減った。

 

対向車もほとんど来ない。

 

雨に濡れたアスファルトだけが静かに続いている。

 

ワイパーが一定のリズムを刻む。

 

やがてカーナビが静かに告げた。

 

『まもなく目的地周辺です。』

 

留衣は速度を落とす。

 

周囲を慎重に見渡した。

 

ガードレール。

 

木々。

 

路肩。

 

雨で濡れた雑草。

 

兄が最後に走った景色も、おそらくこれと変わらなかったのだろう。

 

その時だった。

 

路肩に黄色いテープが張られているのが目に入る。

 

警察の規制線だった。

 

留衣は車を停め、レインコートを羽織る。

 

カメラを首へ掛け、ノートをポケットへ入れた。

 

雨粒がフードを叩く。

 

規制線の向こうには、何の変哲もない山道が続いている。

 

それでも、この場所だけ空気が違って感じられた。

 

静かすぎる。

 

鳥の声が聞こえない。

 

風もほとんど吹いていない。

 

雨音だけが一定の調子で森を包んでいる。

 

留衣はゆっくり規制線の前へ立った。

 

兄が最後に存在を確認された場所。

 

全ての始まりとなった場所を、静かに見つめる。

 

「兄さん……」

 

その名を呼んでも、返事はなかった。

 

規制線の手前でしゃがみ込み、留衣は周囲をゆっくり観察した。

 

警察による現場検証はすでに終わっている。

 

そのため、大きな証拠が残っているとは思っていない。

 

それでも、自分の目で見なければ分からないことはある。

 

地面は雨で柔らかくなっていた。

 

タイヤ痕らしき跡はある。

 

しかし、山道では珍しいものではない。

 

どれが兄のトラックのものか判別できる状態ではなかった。

 

留衣はカメラのシャッターを切る。

 

一枚。

 

二枚。

 

三枚。

 

道路全体。

 

路肩。

 

森の入り口。

 

可能な限り記録していく。

 

ジャーナリストにとって、写真は記憶より信用できる。

 

現場では見落としたものも、後から写真を見返すことで気付くことが少なくない。

 

「……ん?」

 

規制線の少し奥。

 

ガードレールの支柱へ目が止まった。

 

しゃがみ込んで近付く。

 

支柱の表面に細長い擦り傷が残っていた。

 

銀色の塗装が剥がれ、新しい金属面が露出している。

 

指先でそっと触れる。

 

雨に濡れているが、錆びはほとんどない。

 

比較的新しい傷だ。

 

「ぶつかった……?」

 

スマートフォンで数枚撮影する。

 

しかし、それだけだった。

 

道路脇を見下ろいても、崖下へ続く木々は乱れていない。

 

大型車が転落したなら、枝が折れ、土が崩れ、木々が薙ぎ倒されるはずだ。

 

そんな痕跡はどこにもない。

 

留衣はゆっくり立ち上がった。

 

「傷はあるのに、事故じゃない……」

 

矛盾している。

 

ガードレールへ接触した形跡だけが残り、その先が何も続いていない。

 

まるで、その場で大型トラックだけが消えてしまったかのようだった。

 

もちろん、そんなことが現実に起こるはずがない。

 

だから別の理由がある。

 

まだ見つかっていないだけだ。

 

そう自分へ言い聞かせる。

 

その時だった。

 

「お嬢ちゃん。」

 

背後から声が聞こえた。

 

振り返ると、軽トラックが一台停まっていた。

 

運転席から七十代ほどの老人が降りてくる。

 

雨合羽を羽織り、長靴姿だった。

 

「こんなところで何してるんだい。」

 

「取材です。」

 

留衣は名刺を差し出した。

 

老人は老眼鏡を掛け、ゆっくり文字を読む。

 

「記者さんか。」

 

「はい。」

 

「この前の失踪事件について調べています。」

 

老人は少しだけ表情を曇らせた。

 

「ああ……兄ちゃんが消えたって話か。」

 

「ご存じなんですか。」

 

「この辺じゃ噂になっとる。」

 

留衣はボイスレコーダーの録音ボタンを押した。

 

「少し、お話を聞かせていただけませんか。」

 

老人は規制線の向こうを眺める。

 

「警察も何回も来た。」

 

「消防も来た。」

 

「山狩りもやった。」

 

「それでも見つからん。」

 

「昔と同じだ。」

 

留衣の眉がわずかに動く。

 

「昔と同じ?」

 

老人は頷いた。

 

「わしが子供の頃もな、人が消えた。」

 

「木こりだった。」

 

「山へ入って、そのまま帰ってこん。」

 

「熊にやられたって話で終わった。」

 

少し間を置いて続ける。

 

「でもな。」

 

「熊の死骸は見つかっても、人間だけ見つからんなんて変な話じゃろ。」

 

留衣は黙って聞いていた。

 

老人は苦笑する。

 

「若いもんは笑う。」

 

「年寄りの昔話だってな。」

 

「でも、この山じゃ昔から何人も帰ってこん人がおる。」

 

雨音だけが静かに響く。

 

留衣は一つ質問を投げた。

 

「その山に、名前はありますか。」

 

老人は少し考える。

 

「正式な山の名前はある。」

 

「じゃが、この辺じゃ別の呼び方をする。」

 

留衣は自然と息を止めた。

 

老人は森の奥へ目を向け、小さな声で言う。

 

「昔はな。」

 

「あの奥に村があったそうじゃ。」

 

「花神村。」

 

その地名を聞いた瞬間。

 

留衣の手に持っていたペンが、静かに止まった。

 

「花神村……」

 

留衣はその名前をゆっくり復唱した。

 

初めて聞く地名だった。

 

カーナビにも表示されない。

 

地図にも載っていない。

 

それなのに老人は、ごく当たり前のように口にした。

 

「今は誰もそう呼ばん。」

 

「若い人間は知らんじゃろう。」

 

老人は苦笑する。

 

「わしも子供の頃、じいさんから聞いただけじゃ。」

 

「どんな村だったんですか。」

 

留衣が尋ねると、老人は腕を組み、小さく唸った。

 

「詳しくは知らん。」

 

「ただ、花が綺麗な村だったと聞いとる。」

 

「花ですか。」

 

「一年中、花が咲いとったらしい。」

 

留衣は思わず周囲を見回した。

 

目の前に広がるのは雨に濡れた杉林。

 

足元には雑草。

 

色彩らしい色彩はほとんど存在しない。

 

とても「花の村」を想像できる景色ではなかった。

 

「その村は、どうなったんですか。」

 

老人は静かに首を横へ振る。

 

「知らん。」

 

「気付いたら誰も住まなくなっとった。」

 

「廃村ですか。」

 

「そういうことになるな。」

 

「理由は?」

 

「そこまでは聞いとらん。」

 

老人は少し困ったように笑う。

 

「昔話なんてそんなもんじゃ。」

 

「細かいことは誰も覚えとらん。」

 

留衣はノートへ走り書きを続ける。

 

花神村。

 

廃村。

 

花が多い。

 

失踪。

 

どれも断片的だ。

 

だが、一つだけ気になることがあった。

 

「人が消える話は、その村があった頃からですか。」

 

老人は少しだけ考え込む。

 

「……そうじゃな。」

 

「じいさんは、昔からあの山へ一人で入るなと言っとった。」

 

「子供が入ると叱られた。」

 

「理由は教えてもらえませんでした。」

 

「『帰れなくなる』としか言わんかった。」

 

留衣はペンを止める。

 

帰れなくなる。

 

その言葉が妙に胸へ引っ掛かった。

 

兄も、帰ってきていない。

 

偶然と言えば偶然だ。

 

だが、この山では何度も同じ言葉が繰り返されている。

 

「迷子になるという意味ですか。」

 

老人はゆっくり首を傾げた。

 

「どうじゃろうな。」

 

「昔の人は山の神様じゃとか。」

 

「山姥じゃとか。」

 

「狐に化かされるとか。」

 

「いろいろ言っとった。」

 

「わしは信じとらん。」

 

そう言いながらも、老人は森の奥へ視線を向ける。

 

その表情には、理屈だけでは説明できない何かを知る人間特有の躊躇いが浮かんでいた。

 

留衣はボイスレコーダーを止める。

 

「ありがとうございました。」

 

「とても参考になりました。」

 

「役に立つかは分からんがな。」

 

老人は軽トラックへ乗り込む。

 

エンジンを掛ける前、窓を開けてもう一度だけ口を開いた。

 

「お嬢ちゃん。」

 

「はい。」

 

「兄さんを探したい気持ちは分かる。」

 

「じゃが、一人で森へ入るのはやめとき。」

 

「警察でも苦労した。」

 

「素人が入ってどうにかなる山じゃない。」

 

「……分かりました。」

 

老人は小さく頷き、軽トラックを発進させた。

 

雨の中を走り去る車を見送りながら、留衣はもう一度規制線の向こうを見る。

 

静かな山だった。

 

風も弱い。

 

鳥の声もない。

 

ただ雨だけが、森全体を優しく包んでいる。

 

これほど穏やかな場所なのに、人は帰ってこない。

 

その事実だけが異様だった。

 

留衣はバッグからタブレットを取り出し、通信を確認する。

 

電波は辛うじて入っている。

 

すぐに検索画面を開いた。

 

「花神村」

 

検索。

 

結果はゼロ件だった。

 

検索条件を変える。

 

「花神村 宮城」

 

「花神村 廃村」

 

「花神村 失踪」

 

どれも該当なし。

 

「……そんなはずない。」

 

老人が口にした地名だ。

 

実在したなら、何か一つくらい記録が残っているはずである。

 

現代の検索エンジンから完全に消えていることの方が不自然だった。

 

留衣は画面を閉じる。

 

「ネットにないなら、紙を当たるしかない。」

 

図書館。

 

新聞縮刷版。

 

古い地籍図。

 

役場の公文書。

 

デジタルに残らない情報は、まだ数多く存在する。

 

ジャーナリストになって最初に教わったことだった。

 

「花神村……。」

 

その名をもう一度小さく呟く。

 

直感だった。

 

兄の失踪と、この廃村は繋がっている。

 

まだ証拠は一つもない。

 

それでも、この事件を解く鍵は、その名前の中に眠っている気がしてならなかった。

 

留衣は静かに車へ戻る。

 

次の目的地は、市立図書館。

 

過去は、紙の中で待っている。

 

 

 

 

 

 

 

留衣はエンジンをかけた。

 

ワイパーが一定のリズムで雨粒を払い続ける。

 

ゆっくりとアクセルを踏み込み、車は静かに山道を下り始めた。

 

バックミラーには、霧に包まれた山林が映っている。

 

灰色の空。

 

濡れた木々。

 

人気のない道路。

 

どこにでもありそうな景色だった。

 

だが、そのどこにでもありそうな景色の中で、一人の人間が跡形もなく消えた。

 

留衣はもう一度、助手席に置いたノートへ目を落とす。

 

そこには今日、新たに書き加えられた文字が並んでいた。

 

『花神村』

 

たった三文字。

 

それだけなのに、この事件全体がその言葉へ吸い寄せられているような感覚があった。

 

兄の失踪。

 

人が消える山。

 

廃村。

 

そして花神村。

 

まだ一本の線には繋がらない。

 

だが、確かに何かがある。

 

「待ってて、兄さん。」

 

留衣は静かに呟いた。

 

「必ず見つける。」

 

車はゆっくりと山を離れていく。

 

やがてバックミラーの中で、霧に包まれた森は少しずつ小さくなっていった。

 

その景色は雨に滲み、輪郭を失い、やがて灰色の霧へ溶け込んでいく。

 

留衣は前だけを見て運転を続ける。

 

だから気付かなかった。

 

バックミラーの奥。

 

霧が一瞬だけ揺れたことを。

 

木々の隙間。

 

誰もいるはずのない森の中。

 

そこに、小さな赤い花が一輪だけ咲いていた。

 

風は吹いていない。

 

それでも花だけが、ゆっくりと揺れる。

 

まるで遠ざかる車を見送るように。

 

次の瞬間。

 

霧は再び森を覆い尽くした。

 

赤い花は跡形もなく消えている。

 

バックミラーに映るのは、雨に煙る山並みだけだった。

 

留衣は何も知らないまま、山道を下っていく。

 

その背中を、静かな森だけが見送っていた。

 

 




だれもただのハーレムラブコメとは言ってませぇん
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総合評価:12476/評価:8.97/連載:98話/更新日時:2026年06月23日(火) 18:00 小説情報

サトシ君(転生者)の目指せ、ポケモンマスター!!(作者:DestinyImpulse)(原作:ポケットモンスター)

▼ 転生したのはオリ主でもモブでもなく紛れもなく主人公。▼ 定期的に世界を救わなくてはならない大役を背負いながらも、ポケモンとの出会いと冒険に胸を躍らせる。▼ ▼「通りすがりのポケモントレーナーだ、覚えておけ!ピカチュウ、君に決めた!!」▼「ピカチュウ!!」▼ コレはアニポケ主人公のサトシに転生した少年が、時にポケモンと絆を深め、時に女の子とのフラグを作り、…


総合評価:7672/評価:8.61/連載:59話/更新日時:2026年06月26日(金) 19:30 小説情報

アニポケ転生者物語(作者:投稿者)(原作:ポケットモンスター)

物心ついた時、主人公はこの世界がアニメ『ポケットモンスター』の世界だと気づいた。▼リーグ制覇や最強を目指すつもりはない。ただ、この世界の空気を吸い、ポケモンたちと触れ合う「エンジョイ勢」として生きていきたい。▼そう思っていたはずが、旅立ちの日に母から託されたのは、シルフカンパニー製の試作デバイスと、データ収集用のポケモン「ポリゴン」。▼オーキド博士から貰った…


総合評価:1792/評価:7.38/連載:349話/更新日時:2026年06月07日(日) 22:26 小説情報

羂索?ああ、さっき蟲の餌にしたよ。(作者:童慈)(原作:呪術廻戦)

 呪術廻戦世界に転生した原作履修済みオリ主が強術式で物語を無茶苦茶にする話。▼ わりかし適当に書いてるのでご都合主義と矛盾、設定の齟齬などは温かい目で見ながら致命的な奴は容赦なくしばいて指摘して頂けると幸いです。▼ 誤字脱字警察の方々は奮ってご指摘ください。


総合評価:7290/評価:8.04/連載:8話/更新日時:2026年04月05日(日) 09:31 小説情報

とある黒猫になった男の後悔日誌(作者:rikka)(原作:ONE PIECE)

これは目が覚めたら、少年時代のキャプテン・クロになっていた男の後悔だらけの航海日誌である。▼少年漫画で海賊の世界とか暴力必須間違いなしじゃねぇか!▼海賊になんかなってたまるか俺は静かに生きるんだ!▼残念、現実は非情である。▼※頂き物ファンアートは数が増えて文字数制限に近づいたため、活動報告にてページを作ってまとめさせていただきました▼『FA保管庫』▼http…


総合評価:119451/評価:9.45/連載:200話/更新日時:2026年06月16日(火) 19:00 小説情報


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