仮面ライダージオウ Re:Starting Life in Another World 作:吉野家
「それじゃあ」
エルザが笑う。
楽しそうに。
本当に楽しそうに。
まるでこれから始まる出来事を心待ちにしているみたいに。
「始めましょう?」
次の瞬間だった。
エルザの姿が消えた。
そうとしか見えなかった。
床を蹴る音。
踏み込み。
予備動作。
そのどれもが認識できない。
ただ黒い影だけが視界を横切った。
「ロム爺ッ!!」
スバルの叫びが盗品蔵に響く。
自分でも情けないと思うほど声が震えていた。
だが仕方ない。
知っているからだ。
目の前の女がどれほど危険なのかを。
何度も見た。
何度も死んだ。
腹を裂かれた。
血を流した。
あの紫色の瞳を見上げながら意識を失った。
だから分かる。
あれは人間じゃない。
少なくとも。
自分の知る人間の範疇には収まらない。
ロム爺もまた動いていた。
巨体を沈める。
腰を落とす。
拳を握る。
長年鍛え上げた肉体が軋む。
老いたとはいえ衰えてはいない。
この貧民街で生き抜いてきた男だ。
危険の匂いには敏感だった。
最初の一撃だけで十分だった。
目の前の女が怪物だと理解するには。
だから退かない。
後ろにはフェルトがいる。
それだけで十分だった。
「ぬぅんッ!!」
拳が唸る。
空気が裂ける。
豪快で。
一直線で。
無駄のない一撃。
普通の相手なら終わっていた。
だが。
エルザは笑う。
楽しそうに。
本当に心の底から。
紙一重。
わずか数センチ。
それだけの差で拳を躱す。
まるで踊っているみたいだった。
優雅に。
自然に。
人を殺すための動きとは思えないほど美しく。
「ほぉ」
ロム爺の目が細まる。
強い。
それも想像以上に。
躱されたことより。
その動きそのものが異常だった。
速い。
軽い。
そして無駄がない。
長年修羅場を潜ってきた経験が告げていた。
危険だと。
生半可な相手ではないと。
エルザもまたロム爺を見ていた。
紫色の瞳を細めながら。
興味深そうに。
観察するように。
値踏みするように。
そして。
少しだけ嬉しそうに。
「素敵ね」
その言葉に悪意はない。
本当に感心しているのだろう。
だからこそ不気味だった。
スバルの背筋を冷たいものが這う。
知っている。
この顔を。
この声を。
エルザが興味を持った時の反応だ。
面白い玩具を見つけた子供みたいに。
長く遊べそうな獲物を見つけた獣みたいに。
だから怖い。
ロム爺はまだ立っている。
まだ無事だ。
それなのに。
スバルの脳裏には最悪の未来ばかりが浮かぶ。
血。
悲鳴。
倒れる身体。
守れなかった後悔。
死に戻るたび積み重なった記憶が胸を締め付ける。
「くそっ……」
思わず漏れた声は小さい。
だが感情は重かった。
知っているのに。
危険を理解しているのに。
何もできない。
その事実が何より悔しい。
フェルトもまた黙っていた。
普段なら軽口の一つも叩く。
悪態だって吐く。
だが今はそんな余裕がない。
ロム爺の背中を見つめていた。
何度も守ってくれた背中。
何度も助けてくれた背中。
幼い頃から変わらず自分の前に立ち続けてくれた大きな背中を。
唇を噛む。
何か言いたい。
だが言葉にならない。
ただ無事でいてほしい。
そう願うことしかできなかった。
エミリアもまた構えている。
銀髪が揺れる。
紫紺の瞳は鋭い。
誰かを守るためなら前へ出る。
それが彼女だった。
スバルはそんな彼女を見て胸が苦しくなる。
守りたい。
傷付いてほしくない。
失いたくない。
その想いだけが膨らんでいく。
盗品蔵の空気は重かった。
誰もが理解している。
目の前の女は危険だ。
下手をすれば誰かが死ぬ。
あるいは全員死ぬ。
そんな未来すら十分にあり得る。
それほどまでにエルザという存在は異質だった。
カチリ。
ソウゴの胸の奥で時計が鳴る。
血。
悲鳴。
刃。
断片だけが流れ込む。
危険だ。
それだけは分かる。
だが今はそれ以上見えない。
ソウゴは黙って戦いを見つめる。
ロム爺。
エルザ。
二人の間に漂う緊張。
盗品蔵の空気が張り詰める。
誰も動かない。
いや。
動けない。
そして。
エルザが笑った。
「良いわ」
ククリ刀をくるりと回す。
黒と紫の刃が夕日に照らされる。
妖しく。
危険な光を放ちながら。
「もっと見せて」
その声と共に。
戦いは次の段階へ進もうとしていた。