「おいおい、大丈夫かい?」
しゃがみ込んで嘔吐する俺の背中を女の背が撫でる。その声色は本当に心配そうな様子だった。誰のせいでこうなったと思っている。
「え、だっ、あれ」
「あー、なるほどね。ご覧よ」
形を持たない言葉を発する俺を見て、女は蝶野の死体の方向へと指を差し、その指先を追う。
そこには、下半身だけになった蝶野の体がある。
──不意に、その体が痙攣を起こした。
二、三度ほど下半身が跳ねて、止まる。飛び出ていた腸がさらに散乱して悲惨さを増していた。
そして、切断面が泡立ち始めた。
薄桃色の細かな気泡が下半身の断面を覆い、そこから更に膨らんで上半身方面へと伸びていく。程なくして上半身が
──そこには、桃色のジャージを羽織りうつ伏せになっている、五体満足の蝶野の姿があった。
「もう! 莇さん! 何するんですか!」
「サプライズだよん。少年の反応を見るに、自分の異能を伝えてなかったでしょ?」
蝶野は立ち上がるなり、頬を膨らませて非難の声を上げる。女は、一欠片も悪びれた様子を見せずに軽い調子で返した。
確かに、俺は蝶野自身の異能を知らない。姿を消したり、物をすり抜けたりするのは蜘蛛の力で、蝶野の能力自体は秘密だと言われていた。
「だって、キモいとか思われたら嫌じゃないっすか。瞬時に治るならまだしも、変な泡が出るんですよね?」
「いやいや、それでも共有は大事でしょうよ」
二人の間で会話がなされるが、俺は一人置いていかれている。呆然としている様子に気付いた蝶野は、俺の方へと小走りで近寄ってくると、左手でピースサインを作って大きめの八重歯を煌めかせて満面の笑みを浮かべた。
「見ての通り、ミステリアスなアタシのミステリアスな異能は『再生』だよー! 体の一部が残ってれば、そこから文字通り再生出来るの! べんりー! ……あっ」
蝶野はピースする自分の左手を、哀しげな声を漏らした。その理由は俺も察しがつく。切断したはずの薬指も綺麗に再生していたからだろう。成程、簡単に再生が出来るからこそ自分の体の欠損に無頓着な訳だ。
「余計なとこまで再生してるしてんじゃーん! ふんっ!」
事もなさげに呟いた蝶野が力んだ声を上げると、左手の薬指を薄桃色の泡が包み、次の瞬間には指は消失していた。
「これでよしっ! あ、補足ね。自由にこーゆーこと出来るわけじゃなくって、切断された指が別の所にあるから出来るの。ではではー……えっと、
蝶野は薬指を失った左手を握っては閉じ、握っては閉じ、と繰り返した。その後、右手をジャージのポケットに突っ込んで暫く中を探ると、見覚えのある銀色のケースを取り出して俺に差し出す。
何の変哲もないジャージのポケットの中に、探らなければならないほど物が入っていることが不思議でならないが、どうせ蜘蛛の異能の応用だろう。聞けば分かるだろうが、調子に乗るのが目に見えているから聞きはしない。
「だから、それは要らない」
「えー。親密度ゲージ的には、そろそろ受け取ってくれても良い頃じゃないのー?」
親密度ゲージなど知らないし、あったとしても親密度は上がっていない。つい先程まで下半身だけになっていたとは思えない能天気さに俺は溜息を
「溜息|吐くと幸せ逃げちゃうよ?」
「逃げる幸せがない」
「え、アタシっていう陽気ギャル系美少女に恋されてるじゃーん」
「ただの馬鹿、の間違いだろ」
蝶野の言葉を適当に
「──姿を消せる。気配を消せる。存在を消せる。諜報要員としては打って付けじゃないかい?」
俺の心の中を引き継ぐかのように、女が言った。その通りだ。蜘蛛による『隠形』で姿を消し、存在すらも消し、万一の場合も蝶野自身の異能で復活できる。諜報や斥候としては優秀すぎる存在だろう。
「俺のストーカーをしてたんじゃなくて、監視していたのか?」
「いやいや! 確かに最初はそーだったんだけどさ! 見てる内に好きになっちゃって……、それでユータの全部が知りたくて……。えへへへへ……」
蝶野はふい、と俺から視線を逸らして顔を斜め下に向け、人差し指の先を突き合わせていた。恋する乙女か。今時の恋する乙女は自分の薬指を渡して、俺の私物をコレクションするのか。
「指示したのはアンタか」
「そうだよん」
女はピースをした左手を横向きに目元に当てた。その右手には拳銃が握られたままだ。目の前の発言と後継の不一致に、軽く目眩を覚える。
「何のために?」
「状況の打開さ。臭い物に蓋をするだけで、いつまで経っても何も変わりゃしない。だから、妹ちゃんがご執心のお兄様の動向を探ってたってワケ。……ぶっちゃけ、少年の異能には期待してたんだけどねぇ」
女の様子を見るに、俺の能力については既に共有されているらしい。蝶野はコイツの指示で動いているのだから当然か。だが、自分の知らないところで能力が他人に知られていたこと、そして何より女の言葉に苛立ちを覚えて睨み付ける。
「……役に立たない能力で悪かったな」
「そうとは言ってないじゃないか。妹ちゃんの能力の詳細がわかった訳だし。とはいえ攻撃系の能力だったら、とは思ったけど……まぁ、それは誰より少年自身が感じてる事だよね?」
女は俺の能力を否定こそしなかったが、言葉の通りに明らかな落胆が滲み、そして、浮かべる笑みには僅かな嘲りも含まれていた。
「お前──」
「まぁ、望んだ能力が得られるなら苦労はしないよね。それに君の能力、近くに居れば他者と共有できるらしいじゃないか。不可視であったものが視える。それは大きなアドバンテージだよ」
思わず殴りかかりそうになるほどの怒りを覚えるが、被せられた女の言葉によって出鼻を挫かれ、ここでコイツに怒りをぶつけるのは単なる八つ当たりでしかないと思い直して怒りを息に変えて吐き出した。
そうだ、今あるものが現実なのだ。
俺はこの能力で、アイツを殺さなければならない。その為ならば、どんな感情を向けられようと構いはしない。
「……で、結局アンタの能力は?」
「そう急かすなよ。……さて、次はこの石を見てくれたまえ」
女はいつの間にか拳銃を仕舞っており、代わりに足下に落ちていた石の一つを持ち上げ、広げた手の平を上に向けてその上に置いた。瞬間、石は砂と成り果て風に乗って何処かに舞っていく。
「げほ、げほっ……」
何処からか
「アンタがやったのか?」
「私以外に誰がいるのさ」
「……どういうことだ?」
「何がだい?」
こちらの質問の意図など分かっているだろうに、女は勿体ぶってその正体を明かそうとしない。そもそも自ら能力を明かすと言って連れてきたのにも関わらず、だ。
「なぁ、君は私のことをどう思った? 岩を割った。岩を切った。岩を爆発させた。蝶野ちゃんを破裂させた。石を砂に変えた」
無言で続きを促すと、挑戦的な笑みが返ってくる。
「──ぶっちゃけ、凄くなぁい?」
確かに俺には到底できない芸当だ。一つの能力であれだけ多彩なことが出来るとも思えない。
蝶野も多彩ではあるが、あくまで防御特化で攻撃向きではない。そうなると、あれだけ多彩な攻撃ができるのは確かに凄いと言わざるを得ないだろう。
「……確かに、凄い」
「強そう?」
「……あぁ」
「……ってことはぁ?」
意地の悪そうな笑みで顔を覗き込まれ、俺は自分の言葉を思い出した。
──アンタが強いって分かったらちゃんと呼ぶ。
未だ実態は分からないが、これから説明はしてくれるのだろう。ならば、選択肢はない。
「……みさん」
「んん?」
「…ざみさん」
「んんん?」
「
「いいよいいよ! 一気に距離が縮まった感じがする!」
段々と耳に手を当てて近付いてくる莇さんの圧力に負けた。別に名前呼びくらいどうだっていいのだが、なんとなく悔しかったのだ。ただの子供の我儘程度のもの。そんなものはどうだっていい。
「ねぇねぇ、アタシはー? 試しに
「…………咲依」
当然のように絡んでくる蝶野に鬱陶しさ感じて近づく腕を振りはらうが、めげない彼女に根負けして小さく名前を呼ぶ。
「っ、くぅぅぅ……! 効くぅ……!」
蝶野は顔を紅潮させて、びくびくと体を痙攣させ、恍惚とした表情を浮かべる。
もう
俺は女──莇の方を向くと、いつの間にか手頃な大きなの石に片足を乗せて紫煙を燻らせていた。彼女のスレンダーな体型と何処か遠くを見ているような視線も相まって、妙に美しく感じられた。
「あぁ、少年。私の能力だがね」
思わず生唾を飲み込む。
最強を自称する女。多彩な方法で岩を破壊した女。存在を消せる異能を持つ蝶野を殺した女。その能力は。
「──『破壊』だよ」
莇は、妖艶さを感じさせる薄い笑みと共に、そう言った。