姫たる福音   作:ゆゆみみ

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第7話 薬指

 

 公園をじっと見つめては見るものの、今は何をする訳でもない。

 

 理由は二つ。

 

 一つは未だに真意が見えないこと。

 もう一つはこれ以上遅くなるとアイツに余計な勘繰りをされるということ。

 

 拾ったスマートフォンをポケットに仕舞って家路へと着く。途中で、ぴたりと立ち止まる。何の音も、気配もしない。

 この時間帯、宵の始まりの時間帯の住宅街に、誰もいないということは有り得るのだろうか。周囲の家々には灯りが付いていて、それがそこに誰かがいることを示している。決して誰もいないわけではない。

 何とも言えない、じわりと脂汗が滲むような、そんな不快感に襲われる。

 

 俺はそれから駆け足になった。学校を越えて、いつもの帰り道へと入る。特に遠回りするでもない、真っ直ぐに帰るルート。

 

「今日は遅かったんだね? 何してたの?」

 

 当然のごとく、姫華が併走しており首を傾げていた。その瞳の中には泥が沈殿し始めている。

 

「どうでもいいだろ」

 

 通常の歩くスピードまで緩めて、その視線を視線を一瞥する。姫華はそんな俺の顔を歩きながら、鼻先がくっついてしまいそうな程に顔を近づけ、光の無い目を見開いて俺を覗き込む。俺はそれを真正面から受け止める。恐怖が全くない、訳では無い。姫華が首筋に顔を寄せ、すんすんと匂いを嗅いだ。

 

「⋯⋯いかがわしいことをしていた訳じゃなさそう。それなら、いいかな?」

「⋯⋯知るか」

 

 努めて淡々と返すと、姫華はすっと目を細めた後にいつもの微笑みを浮かべ、先程までとは打って変わってスキップをしそうな勢いで機嫌が良さそうに俺を先導する。

 

「今日はお兄ちゃんの好きなハンバーグにしよっかなぁ」

 

 ふとした、呟き

 

 ──脳裏を過ぎる過ぎ去った日々。

 

 ふんわりとした焼き加減の合い挽き肉のハンバーグと、酸味の効いたケチャップベースのソース。それが俺の大好物で、何が食べたいか聞かれたら即答する程だった。

 柔らかな笑みを浮かべる母さん⋯⋯やがて、その顔は苦悶に歪み、窪んだ眼窩から垂れた黒い血は、頬をつたってハンバーグソースと混ざり合う。その頭部がはじけて、俺の顔にびしゃりと生暖かい血と脳漿が降り掛かり、ハンバーグの添え物(トッピング)となる。

 

 あまりの吐き気に、憎悪に、その場に立ち止まった。

 

「⋯⋯それは止めろって、言ったよな。俺が好きなのは、母さんの作るハンバーグだ。お前のじゃない。母さんを穢すな、(クズ)が」

 

 あらゆる負の感情を乱雑に押し込んで、殺意で包み込んで、瞳孔の開ききった眼を向け地獄の底から声を捻り出した。

 

「あはっ!」

 

 姫華は足を止めて振り返り、嬉しそうに(わら)い声を上げる。通学鞄を持って、くるりと綺麗に回ってこちらを向く。

 

「私の言葉にちゃんと返してくれた!」

 

 俺の憎悪も怒りも殺意も関係なく、俺が言葉を返したことだけ(・・)嬉々(狂々)として笑顔の花を咲かせる。

 

「嗚呼⋯⋯私を見てる。私のことを、お兄ちゃんが⋯⋯良いなぁ⋯⋯その眼⋯⋯興奮する⋯⋯」

 

 聞き取れないほどの小さな呟きと共に、それは色を帯びていく。薄桃色に染まった頬に両手を当て、口角が深さを増して半月の笑みが三日月へと歪んでいき、細められた瞳は潤みを讃え、両膝をゆっくりと擦り合わせる姿は歳不相応の艶めかしさを持っていて。

 鼻腔を擽る爽やかで甘く、しかし何処か粘り気を持った果実のような()も相まって、吐き気が強まる。

 

「お兄ちゃん」

 

 ねっとりとした、俺を呼ぶ声。

 

「お前なんて妹じゃない。俺をそんな風に呼ぶな」

 

 それを、憎悪を込めて拒絶する。

 

「血縁関係は客観的事実だよ。証明されてるよ。勝手に辞められないんだよ。何があっても、お兄ちゃんは私のお兄ちゃんだよ」

 

 ゆっくりと近づいてきた姫華()が、俺に顔を寄せて耳元で小さく呟いた。呪縛の言葉を否定するように、俺は顔を払い除けて後退(あとずさ)る。

 

「うふふっ⋯⋯あははっ⋯⋯!」

 

 何が可笑しいのか。

 何に対して笑っているのか。

 

「だいすき、おにいちゃん」

 

 憎しみと怒りの奔流が、俺を包み込んだ。

 

 

 翌日の昼休み。

 俺は昼食を取ることなく、真っ直ぐに校舎裏へと向かった。日常の喧騒は遠く、木々の生い茂るそこは静謐に包まれていた。

 

 抱いていた、違和感。

 

 室内でスマートフォンを投げた時、それは壁へ届くことはなかった。

 

 何が止めたのか(・・・・・・・)

 

 俺の異能は『アイツの力を可視化すること』だ。それにも関わらず、何も視えなかった。それは、俺の、狭く深くを体現した異能を考えればありえない事だ。

 そして、俺の異能だからこそ解かる。俺に新たに備わった力でもないと。アイツの力の欠片めいたものですら、俺は持っていない。だから、無意識に止めたなど、そんな希望を持つことも出来ない。

 

 ならば、考えられるのは一つだけ。

 

 ──第三者の存在。

 

 アイツでも、俺でもない、誰か(何か)

 

 疑問はある。

 その誰か(何か)は、何処からその力を使っているのか。

 遠方から見ているのか、それとも──

 

 ──常に身近にいるのか。

 

 確信めいたものはあったが、慎重にいこうと思っていた。単純に、得体が知れないからだ。

 

 何故、何もして来ないのか。

 何故、アイツに探知されていないのか。

 

 前者に関しては、俺に対して敵意がないのだと判断した。それは早計かもしれない。けれど、もし、もしもアイツを殺す足掛かりになるのであれば。

 俺は、何だって利用してやる。

 

「おい、そこにいるんだろ?」

 

 校舎裏の中程まで進むと、その場でくるりと振り返って虚空へ向けて自然と声をかけてみる。返答は、沈黙。

 そこには何の気配もない。何の存在も感じられない。

 

「分かってるんだよ、もう」

 

 続けて、声を掛ける。傍から見たら馬鹿馬鹿しすぎる光景だ。俺は諦めない。制服のポケットからスマートフォンを取り出して、その画面を向ける。

 

「⋯⋯この前、砂場で拾ってくれたろ? 指紋、付いてたぞ」

「⋯⋯⋯⋯…………え︎︎゛っ」

 

 予め考えていた真っ赤な嘘だった。しかし、その嘘に対して、虚空から音が発せられた。俺はその場所を真っ直ぐに見据える。

 

「⋯⋯⋯⋯」

 

 沈黙。

 

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」

 

 沈黙。

 

「………………………………」

 

 沈黙。

 

「諦めろ」

 

 沈黙で誤魔化そうとしているのを、俺はばっさりと切り捨てた。この耳で捉えたのだから。焦った声をあげる若い女と思われる声を。

 

 そして、(まばた)き一つの後──眼前に人影が現れ──文字通りの一瞬の出来事に俺は驚愕で目を丸くする。

 

「アタシに気づいたとかヤバぁ⋯⋯。ぶっちゃけ最近の行動見ててワンチャンあるかもとか思ってたけど! だからいちおー準備しといたんだけど! えー、でもマジで気づいたとかヤバすぎ。え、もしかして溢れちゃってた? 好き好きオーラ溢れちゃってた感じ!? でもでもぉ、それでもバレたってヤバくない? えっ、ユータも無意識にアタシを求めてた、ってコト⋯⋯!? つまり両おも──」

「おい!」

 

 アイツと同じ空気を感じ取る。自分の世界に入られる前に、俺はそれをさせまいと強く声をかけた。

 

 しかし、俺も動揺しきっていた。

 

 見えざる存在が、俺と同年代、しかも同じ高校の制服を着た少女だとは思わなかったからだ。

 

 背丈は俺より少し小さい程度。色の抜け始めた金髪を高めのポニーテールに纏め、膝上丈の赤を基調としたタータンチェックのプリーツスカートから覗く肌は僅かに日焼けし、着崩した制服の上にオーバーサイズの薄ピンク色のジャージを羽織っている。

 驚愕なのかなんなのか、わなわなと震えながら口元に広げた手を当て、そこには大きめの八重歯が光り、見た目に反して爪はマニキュアすらも塗られずに短く切り揃えられ。

 しかし、何よりも、その薬指を欠損した右手(・・・・・・・・・)が目を引いた。

 

「あっ、ごめん! いやホント、気づくと思ってなかったからパニクっちゃって! でも、気づいてくれて嬉しい!」

 

 はっと我に返った少女は、恥ずかしそうな笑みを浮かべて自らの胸の前でパチパチと小さく手を打ち鳴らした。

 

「だから、えっと⋯⋯──あ、コレクションが」

 

 何を思ったのか、急にジャージのポケットへと手を突っ込んでごそごそと何かを探し始めた。見た目こそ普通だが、まるでその中には大量のモノが詰め込まれているかのようで、不意にそこから何かが落ちる。

 『歯ブラシ』と書かれたジップロックには、俺がつい最近失くした物と良く似た物が入っていて、恥ずかしそうにこちらを一瞥した少女は「やばやば、セーフセーフ」と小さく呟きを零し、素早くそれをポケットに戻して再び何かを探し始めた。完全にアウトだった。

 

「んー⋯⋯⋯⋯あれ? あ! あったあった! はい、これ! プレゼント!!」

 

 唖然としている内に目的のモノを見つけたのか元気よく声を上げると、ソレを手の平に乗せ、キラキラとした目で差し出した。

 

「は? なんだコレ」

 

 手の平に乗せられていたのは、十五センチ程の銀色のケースだった。明らかに怪しげなそれを一応受け取ると思っていたよりも軽く、ケースには蓋があった。

 

「開けて開けて!」

 

 急かされることに若干の苛立ちを覚えながら蓋を開けると、中には木乃伊(みいら)のように干からびた指のようなモノだった。というか木乃伊(みいら)だ。全くもって意味が分からずに首を傾げる。

 

「……なんだ、コレ」

「え? 指だけど? アタシの薬指」

 

 何を言っているのだとばかりに、少女はきょとんと小首を傾げて平然と言ってのけた。

 

「だって、ほら、この場で千切って渡して後で腐ったら大変じゃん? だから、保存性を重視したの! 渡す機会が来るか分かんなかったけど、ワンチャン期待してて良かったー! アタシってば、用意周到(よーいしゅーとー)!」

 

 こちらの混乱など関係無しに一人で勝手に盛り上がり、その場でぴょんぴょんと小さく飛び跳ねる姿に目眩のようなものを覚える。

 

「……意味が分からない」

「えっ、分からないの? それかアタシから言わせたい系? もー、つまりぃ⋯⋯」

 

 まるでこちらが悪いかのような物言いで眉根に皺を寄せて再び首を傾げられるが、この状況で何を察しろというのか。

 

 いや、人体の一部は(まじな)いの道具としては一級品といってもいい。コイツが俺の傍にいたならば、当然として俺のアイツに対する殺意も知っているはず。

 

 もしかすると、これは、俺にとって武器とな──

 

 

 

 

 

「──結婚を前提に、お付き合いしてください!」

 

 

 

 

 

 大声が、校舎裏に響いた。

 

 俺の手の上で薬指の木乃伊(みいら)を持つ俺の前で、少女は腰を直角に折って折って頭を下げていた。緊張しているのか、その体は僅かに震えている。

 

 数刻の間、沈黙が場を支配する。

 頭が上がる様子は無い。

 

「い、嫌だ」

 

 頬を引き攣らせながらそう返すのが、俺に出来る精一杯だった。

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