PREY @ PREY -Daddies Displayed Drawings- 作:砂漠谷
地を這うように四足で走る。
ゴミや木箱をかわして路地裏を駆ける。
「おい、そっちだ!」
「ディーゴ陛下の財産を盗んで、生きて帰れると思うなよ!」
背負った戦利品を落とさないように抱えて。
こちらを怯えた目で見る村人を無視して。
肩を貫く痛みを堪えて。
追い風であろうが、向かい風だろうが。
獣の如くオーラを纏い、"円"を視界の代わりにして、走る。
この食料を、母に届けるために。
――この逃走が始まった経緯を思い出す。
最初は村の共同倉庫に盗みに入った。
近現代とは思えない高床式の建造物に入ると、空っぽの棚には虫が湧いている穀物袋が一つだけ。
これを盗むと、村の人間は全て飢えて死ぬだろう。他に食料はほとんど無かった。見覚えのある薬草が摘まれた状態で置いてあったため、それだけ失敬した。
倉庫を抜け出して、村を見下ろす。田畑は荒れており、管理が行き届いていないようだ。
住人は若い男がおらず、老人と子供と、あまり見目の良くない女だけだった。
若い男女が連れて行かれたのであろう、おそらく豊かであろう首都まで行くことは難しかった。
国内であるのに関所があり、厳重な警備がされていた。
軍の簡易駐屯所はまだ緩く、しかも兵士たちの肌は、遠目から見ても村人の土色より明るかった。
あまりにも短絡的。飢えで頭が鈍っていたのだろう。"絶"によって気配を隠せばどうにかなると、そう思って侵入した。
愚かさは、駐屯所の倉庫の扉の前で露見した。霞んだ視界の前には、巨大な南京錠。これは破れない。
――なら、"ヨコヌケ"だ。
咄嗟に過った発想を名案だと思い込み、実行に移す。屋根に飛び移り、全身全霊の"硬"い拳でカチ割る。
それ自体は成功した。子供が入れるほどの穴が空くとともに、大きな音が鳴る。
急いで倉庫に飛び込み、レーションを探す。
これはガンロッカー、これは――医薬品。念のため盗っておきたいが、今は食料優先だ。何が良いかもわからない。
警報が駐屯所全体にガンガンと鳴る。早く食料を見つけなければ。
これは手榴弾。これは弾薬。違う、このあたりではない。外で靴の音が集まってくる、急げ。
これは紙類、これは――レーション、当たりだ。
近くに束になっていた紙袋を一枚引き抜き、缶詰やレトルトを満杯になるまで袋に突っ込み、背中に紐で結び付ける。
内側から倉庫を開ければ逃れられるだろう。事実、倉庫の内側には、鎖でつながれた南京錠の鍵があった。内側からアレを差し込めば、ここから脱出できる。
――そう思った矢先。
ガチャリ。外側から、門の鍵が開けられる音がした。
冷や汗が一滴、背中に流れた。その時の感情は覚えていないが、おそらく、爆発的な死の恐怖があったに違いない。
こんな時。熟練の念能力者なら"堅"を構えるはずだ。
そうはせず、咄嗟に横っ飛びして、棚の裏に身を潜めたのは正解だった。
開いた門から放たれたのは、銃弾の雨だった。
拳銃だけではない。携行可能な銃から放たれるあらゆる種類の弾丸。それらを浴びせられることは、熟練の強化系念能力者でもない人間にとって即死を意味した。
息を潜め、棚の裏から地面や壁に刻まれる弾痕を確認し、銃弾の威力を把握する。
その多くが小銃、一部が拳銃。短機関銃は一つだけ。
――行ける、かもしれない。
いや、行くしかない。
震える顎を、噛みしめることで固定する。
先ほど述べた事実に、一つ例外がある。
強化系の念を極めていないあらゆる人間にとって、銃弾の雨は致死の威力を持つ。
例外は、そう。対銃弾に特化した"発"だけ。
「『
声にせず、鼻から呼吸を吐き出す。
身に纏うオーラが粘性を帯び、白濁する。
顔には球体に近い山猫の面を。
首には急所を守るための、獅子のたてがみの意匠を。
四肢には薄く、しかし虎のように。
生温い粘液に自らを浸し、それを衣として。
視界は覆われるが、代わりに"円"を用いて。
白い魔獣に、自らを偽る。
――瞼の裏には、虎の毛皮を纏う、少し前の、痩せていない母の姿が浮かんでいた。
弾丸の雨に、人獣の如き外見を晒す。
地を這うように。一見すれば、四足獣にすら見えるように。
念を獣の形状にしたのはほとんどアドリブだ。慣れない形状を保つのに集中力を使い、それでも獣であることを止めない。
分厚い対弾丸装甲であり、それ以上に正体を秘匿する着ぐるみ。手放すことはできなかった。
白濁の念で銃弾を受け止めながら。その衝撃の伝播を皮膚で感じながら。貫通の危険が唯一ある、短機関銃の弾道を避けながら。
弾丸は、白濁した流体の表面で、確かに停まっていた。
"ダイラタンシー"、衝突などによる変形速度に対し、指数関数的に硬くなる性質。念は確実に変化している。
「グルルルルル!」
兵士に向けて獣の声真似をする。半ば本気で、飢えを咆哮に変え、銃口に対し突撃する。
「ひっ!」
「銃効かねぇぞ!」
兵士たちは逃げ腰になり、人の壁に隙間が生まれる。
そこだ。地を足と腕で蹴り、薄くなった弾丸の雨を突破する。
兵士の一人、少年兵がパニックを起こしたのか銃を取り落とす。村にいた子供より少しだけ年齢が上か。身長は僕と拳一つしか変わらない程度には幼かった。
彼は咄嗟にナイフを抜いて、怯えつつもこちらに投げつけた。
それは。刃物は。
僕にとって、最大の脅威となりうる。
避けられない。避ければ短機関銃がこちらを捕らえる。貫通せずとも、衝撃だけで骨が粉砕されかねない。
僕はナイフを選んだ。
ナイフは、今まで銃弾を防いでいたのが嘘のように、白濁したオーラに沈み込み、たてがみをずぶりと貫き、肩に刺さった。
ダイラタンシー流体は、変形の少ない低速の切断に意味をなさない。承知の上で、僕は血を流した。
背中に結んでいる食糧、地面を踏みしめた後の手形と足跡、それに気づかれるリスクは、飢えと痛みで頭から抜け落ちていた。
――回想を終える。
肩のナイフを抜き、痛みで意識の焦点が今に戻ったが故に。
路地裏に潜み、レーションをこじ開け、レトルトを加熱もせずすすり食らう。
この世界に転生して、一番の美味だった。
口腔に油の触感が広がり、香辛料が味蕾の上を暴れまわる。
感動している暇はない、それでも一瞬、動きが止まった。
「獣に化けたガキのこそ泥だ!」
「追え追え! 魔獣だろうが人間だろうが知ったことか!」
兵士の声を聞き、美味の感覚を振り払い、食べかけのレトルトを紙袋に再度突っ込む。
これを母に食べさせてやりたい。その一心で。
逃げる、逃げる。兵士を撒くために、途中で迂回し、いくつかの村を通過しながら。
追手の声が、少しだけ遠のく。そのタイミングで一息吐けると感じた。
家屋の影に潜み、獣の擬態を解く。どろりとした白濁は、揮発するような通常のオーラに戻っていく。
肌は点々と赤く、弾丸の衝撃が皮膚まで伝わったことを示していた。
肩に刺さっていたナイフの刃身を確かめる。
幸いなことにナイフは新しく、化膿しそうな錆や汚れ、傷跡が醜く残りそうなギザギザは無い。血は未だに流れているが、大きな動脈が傷つくことはなかったようだ。
持ってきた薬草を噛み潰して掌に吐き出し、肩の傷口に塗り付ける。
その過程で、僕を傷つけた少年兵の顔を思い出してしまう。齢十歳と少しほどだろうか。中学生ほどの身長は無かった気がした。彼にも家族がいるのだろうか、どこから徴兵されたのだろうか。
気にするな。他人だ、モブだ。僕と母には関係がない。
気を取り直して走る。二足に姿勢を変え、時折、紙袋から引き抜いたペットボトルを飲んで、走り続ける。
"円"を閉じ、"絶"に切り変えて気配を殺し、走る。
軍靴の音は装甲車のエンジン音に変わる。軍用犬が吠える声が聞こえる。村人の悲鳴が、あばら家が突き崩される音が。
振り返るな。気にするな。他人は僕らを救わなかった。
ペットボトルのキャップが、通過した村のうち一つで落ちたことには、気が付かなかった。
母の住む山の奥にようやく帰ったのは、日が二度沈んだ夜だった。
追手の気配はすでに無かった。
気のせいか、地面の赤土が、出立時より増えた気がする。
皮膚の赤みは、すでに青い痣に変わっていた。肩の刃傷も、あまり痛まなくなってきた。
木々を抜け、斜面をしばらく登り、敷かれた縄を踏み越えると小屋が見える。水汲みに使う沢の音は、この縄を踏み越えた付近で耳に入り始める。月光が差し込み、昔より明るい。
小屋の扉を開く。
「ただいま」
返事は帰ってこない。母は、虎の毛皮の上で眠りについていた。
母の身体に触れる、冷たい。まさか。最悪の想像を振り払い、母を揺する。
すると、少しずつ身体に体温が戻り、オーラが、指灯り、先がぴくりと動く。鼓動は速度を取り戻し、胸の上下が蘇る。
ノア母さんの念能力で、冬眠を深めていただけ。
それでも、僕の肝を凍えさせるのには十分だった。
眼をこすり、虹彩を赤から白に切り替える母の前に、戦利品を置く。
起き上がって食糧を見て、母は驚愕する。
きっと喜んでくれると、僕は微笑んで。
頬に走った衝撃が、母の手のひらから受けたものと理解するのに、十秒ほどかかった。実の手だった。念の手は、たったの一つも現れていない。
殴られた、のだ。母の震えは怒りと悲しさから来ている。その表情から明白だった。母の瞳は、万華鏡のように変わっていた。
「クレオス、なんてことを……! 兵隊さんの食べ物よ、これ!」
そんなことは分かっている。それがどうしたというのだ。
母の飢えに替えられるものなら、罪人にでも、何にでも。
それを言葉にしようとして、口を塞がれた。
「言わないで。――ごめんなさい、ごめんね。私が不甲斐ないせいで、そうよね、あなたに罪を着せてしまい、着せちゃった」
母の瞳はまだ、くるくると変わっているのだろう。
痣が出来るほど強く抱きしめられた僕に、確認する術はなかった。