PREY @ PREY -Daddies Displayed Drawings-   作:砂漠谷

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8/6 序盤を変更し、大規模に加筆修正しました。


羆嵐

 警戒の強まる軍事拠点に、繰り返し盗みに入るためには、『白い恋人』だけでは足りない。アレは防御に特化した"発"。そう悟った僕は、代わりに盗みに入ってくれる念獣の具現化修行を試みた。

 

 最初は、土兎の念獣を具現化しようと考えた。

 "円"でも見つけきれない隠密能力に、ゴキブリもかくやという逃走力。

 ――だが、それでは拡張性に困る。特に能力を持たない土兎の念獣は、それはそれで使いようがあるだろう。それでも、これから襲い来るかもしれない、圧倒的な理不尽(キメラ=アント)に対応できるのだろうか。

 

 東ゴルトーの住民であることが、僕に将来の強さを求めた。

 そんな折、誕生日に贈られた万年筆が視界に入った。

 

「ペン――筆。念獣は、具現化するんじゃなくて――描く?」

 

 インクはもうある。黒でなく白だが、希望の少ない生活には白の方が明るく見えていいだろう。

 万年筆をくるくると回して、水をインクに、家の壁や床に落書きをする。

 前世では見る専だったのだが、今世の手先は随分と器用で、絵の上達も早い。

 ある日、いつの間にか、もう片方の手にも筆が具現化されていた。

 万年筆というよりはGペンに近い。インクを注ぎ込む持ち手部分は透明で、シリンジのようだ。

 念ずると、書道家が新年に振るう大きな筆、程度までに大きくなる。

 具現化したGペンの尻に手を当て、『白い恋人』のオーラを注ぎ込んだ。

 

 ――描ける。

 キャンバスは"円"の内側。オーラを薄く広げ、それを三次元の白紙と定義する。

 インクは"発"。『白い恋人』は、無色のオーラの上に、羽根の生えた白い兎を描き綴っていく。

 十数分の精緻な作業の最後には、眼を入れる。

 転生(テンセイ)した僕だからわかること。自我は、今まで視た景色に宿る。

 ゆえに、点睛(テンセイ)するのだ。白目の兎に筆先を突き刺し、風情を"凝"らす。

 黒い瞳孔は、まるで活きているかのように。この獣は半自律(セミオート)で食料を攫ってくれるだろう。

 

夜は短し歩けよ乙女(グッド・ナイト・ベイビー)』、念獣(コドモ)描く(ハラむ)芸術家(ハハ)の能力。

 

「ちょっと、ネーミングは下品かな」

 いい得て妙と、個人的に気に入っていた。命名の意味を伝えると、母には叱られた。だが、決めたものを変えるのは難しい。

 筆を振るい、軍拠点日々の糧を得る。それが僕の日課となっていた。

 "円"という、薄く広いオーラのキャンバスを広げつつ、眼を念獣に入れるためのオーラをペン先に"凝"めるのは、右を向きながら左を向くような曲芸だ。結局、オーラが"凝"りやすい誘導をペン先に組み込んで、なんとか成立した。

 

 直接の盗みは念獣が担当する。そうであっても、"円"の中でしか生存できない念獣を食糧に近づけるには、僕自身が駐屯地に侵入する必要があった。

 必要なのは"隠"の精度、"円"の半径、ペン先の"凝"、そして念獣の素早い描写創造。これを並行する必要があった。

 生半可な技量では到達できない。だが、必要性が僕を駆り立てる。

 半年ほどで、侵入時に見つかることはほとんどなくなった。

 描いている間に見つかる時は稀にある。そんな時は咄嗟に白濁のオーラを纏い、魔獣に化けて逃げおおせる。

 兵士たちの間で、僕は"泥棒兎と頭獅子"という、人間に化ける群れの魔獣として扱われているようだった。

 

 母たちはようやく、「ごめんなさい」ではなく「ごちそうさま」を言ってくれるようになった。

 申し訳なさそうに、それでも、糧を無為にしないように、食事はきちんと摂ってくれている。

 快復した母は、しかし物思いに耽ることが多くなっていた。手を具現化する頻度も減って、瞑想する時間が増えている。それでも、時折眼を開けて、こちらに微笑んでくれる。

 それが、ひどく嬉しくて。

 母と囲む食卓が、ただ永遠に続けばいいと、そう思っていた。

 

 長くなった髪を後ろに雑に結ぶ。九歳にして、身長はもう母に迫っていた。成長痛の日々が続く。

 住み慣れた小屋を出る。今日も盗みに。

 

「いってくる」

「……いってらっしゃい」

 

 木の根を足掛かりに跳び歩く。泥や赤土がところどころあり、足場の悪い枯れかけの山林では、地面より硬い木の根の方が確実な大地となる。

 

 母の庇護の外、地面に置かれた縄が示す境界から出る、その前に一息の深呼吸。

 山に入ってくる他者に気が付かれてはならない。縄の内側ではそうそうバレることはないが、小屋の近辺から外れればそうはいかない。

 オーラを練り上げる。"円"と"隠"の合わせ技で、野生動物にも感づかれにくいように、体表から静かにオーラの膜を広げる。

 具現化するGペンは、大腿骨ほどの大きさだ。持つというより握る。そうして描き始める。今回は兎ではなく海蛇。数分で三匹を描き終え、眼を入れる。視界を与えられた念獣は、"円"の外側も見通す。兵士や奇妙なものが見えたら知らせろと指示を与え、周囲を泳がせる。

 

 "円"の最大半径は、現在24m(6ノブナガ)。もっとも、"隠"と併用すると20m弱にまで落ち込む。それを補うための蛇の瞳。

 準備を終えた僕は、存在を"隠"す念の外側に、一歩、踏み出した。

 

 違和感。二つ目に近い駐屯地に忍び込むが、いつもより警備がザルだ。軍用犬や車両が少ない、そもそも兵士の態度が腑抜けている。この駐屯地には五度ほど忍び込んだが、他のいくつかの駐屯地と比べ、練度は高かったはず。

 『泥棒兎』の、駆除のための遠征。居残りの兵士がそれを述べた瞬間、違和感は、危機感へと変わる。僕は血相を変えて踵を返し、あの山へと。早足は駆け足に、そして、全力疾走に。"隠"すら解いて、わき目も振らずに。

 

 一時間ほどだろうか。風向きが変わった瞬間。乾いた熱気がこちらに流れ込む。

 ――現実を拒絶するように。普段通りの日常の象徴を、あの山を確認するために、走って、走って、その果てに。

 

 そこには、いつもの土色と緑はなく。

 見上げた斜面が、裾から頂にかけて赤く染まっていた。

 木々が纏う煌々とした炎の光が、瞳孔に飛び込んできて。

 防護服を着た兵士たちは、山の外縁で木々に炎を吹き付けていた。

 

「っ、アアァ!」

 

 無意識だろうか。大筆を具現化していた。Gペンの意匠を持つ穂先で、火炎放射器を持つ兵士に向けて、走る勢いのままに突き込む。

 

「誰だ、止まれぇ!」

 足音で気が付かれたのか、兵士はこちらに火炎放射器を向ける。

 邪魔だ。『白い恋人』の粘性が炎の直撃を阻み、そのまま兵士の胸骨を貫いた。

「ぅぐっ……」

 小隊の別メンバーが火炎放射を止め、小銃を構える。

 お前達に時間は割けない。一分一秒が惜しい。白濁を"纏"い、銃弾を背で受け止め、母の元へと走る。

 具現化した筆を消すと、穂先についた血と脂は地面に落ちて焼失した。

 背に受けた着弾の感覚は、すぐに忘れた。

 

 炎は、小屋に近づくにつれて強くなった。白いオーラの粘液によって、炎が皮膚を直接炙ることはない、それでも熱は身体を苦しめ、煙は息を吸わせない。

 それがどうした。走り続ける。

 視界の彩度は下がっていき、白と灰色で塗り替えられていく。

 小屋の影が見える。燃えている。周りの縄は焼き切れているようだった。

 

 急げ。きっと生きている。あの小屋で、息を潜めて、きっと。

 煙を吸わないように、息を止めて走る。視界は徐々に暗くなっていく。オーラの鎧は剥がれ始め、炎は身を焦がし始める。

 

 それでも、僕は小屋にたどり着く。

 扉を蹴破る。虎の毛皮はとうに炭になっており、その上にいるのは、()()()()()

 一つは母。横たわる身体のそこかしこに火傷を負い、ぴくりともしない。

 一つは防護服を着て酸素ボンベを背負った男。その手が、母に向けられて――。

 「やめろ……!」

 喉から絞り出したのは掠れた声だった。

 男はこちらに眼を向ける。山火事の最中にいるとは思えない、冷え切った瞳だった。

 彼は軍刀を抜く。その軍刀は、瞳と対照的に、周囲の炎で赤熱しており、明らかにオーラが籠っていた。

 

 ――母はまだ、きっと寝ているだけ。

 今の僕に出来るただ一つ、オーラを振り絞って具現化した大筆を、『夜は短し歩けよ乙女(グッド・ナイト・ベイビー)』を、力いっぱい男に投げつけるだけ。

 

 ふらつきながら投げた槍を、男は軽く躱す。

 大筆は床に突き刺さり、僕は力尽きて地面に倒れる。

 煙が薄くなり、肺に酸素を吸い込む。視界の彩度は、少しだけ戻った。

 

 

 ゆっくりと、男は僕に近づく。目を"凝"らさなくても分かるほど、握られたその剣には、確かにオーラが籠っていた。

 

 立て、母を守れ。腕に力を込め、立ち上がろうとするも、酸素がまだ届いていない。指が震えるだけだった。

 男はこちらに駆け寄る。何か話しているようだが、よく聞き取れない。

 男は、その軍刀を、倒れた僕の首筋にゆっくりと近づけていく。

 

 その、背後で。

 炎の揺らめき、木の爆ぜ音に紛れて、立ち上がる人影が一つ。

 その虹彩は、緋を基調とした虹色に輝いて。

 背には、複数の手を浮かべ。

 生きて、母は立ち上がり、叫ぶ。

 オーラを振り絞り、こちらに駆け寄ってくる。

 

「クレオス!!」

 

 男は振り向きざまに剣を取り落とし、拳を振るう。

 しかし、母の方が数瞬速い。紫の虹彩が強まった刹那、男の顎に拳を叩き込んだ。

 ふらつく男は、地面に膝を付く。

 その隙に、母は僕の首根っこを掴んで、焼け焦げた小屋を飛び出た。

 背後で、僕たちの団欒の場所が崩れる音がした。

 

 具現化された大筆が消失する際、霧散するオーラに籠った息子の気配。それは、母を目覚ますのに十分な念が籠っていた。

 息子を背負って、覚醒した母は走る。

 僕は、母の焼け爛れた肌がこれ以上痛まぬように、白い念を延ばすことしかできなくて。

「母さん……」

「大丈夫か!? クレオス、しっかりしろ! ゆっくり、浅くていいから確実に息を吸え!」

 ああ、レイ母さんの声色か。そのようなことをぼんやりと考える。視界はゆるやかに動いていて、だが思考はさらに鈍化していた。

 

 バシャン、と水に飛び込む音がして、意識が鮮明さを取り戻す。

 近くの沢はほとんど干上がっていた。だが、二人して飛び込める水の深みがあったのか。母の濡れた髪が、視界に舞う。

 母の美しい顔は、左半分が火傷で覆われて、瞳だけが、緋く輝いていた。

 ――ノア母さん。

 

「息、してる、わよね?」

「……大丈夫、ありがとう、母さん」

 そう言うしかなかった。母は肩で息をして、その瞳は涙を湛えながら震えていた。

 怒りだ。僕への怒りか、自分への怒りか、あの兵士への怒りか、その全てが入り混じったものか。

 確かめる余裕はなかった。水たまりから立ち上がり、母の手を取り、起こそうとして――。

 

「母さん、足――」

 

 膝をつく母の足には、指がほとんど無く。

 つま先からは黒焦げた骨が見えていて。

 最近背が伸びた息子を背負い、靴を履く間もなく、家から飛び出て。

 燃える木の葉を、火の灯る木の根を蹴り走ったその代償は、明らかだった。

 

「ああ、大丈夫よ、これくらい。包帯でぐるぐるに巻けば、いつも通り歩けるように――痛っ」

「それは――」

 

 謝るより先に、やることがあるだろ。

 ふらつく母を支え、そのまま背負う。これ以上歩かせるわけにはいかない。

 吸って吐く。血管に酸素が滞りなく巡ってゆく。

 大丈夫だ、きっと大丈夫。指先の感覚が戻り、震えは収まっていく。

 念獣を一匹も描けなさそうなほどかすかなオーラ量であっても、全身からかき集め、眼に集中させる。

 視界の範囲で、沢の下流に火の危険はない。他は炎に覆われていてよく見えないし、再度立ち入ろうとは思わない。

 道は一本。踵を返し、下流に向かおうとする直前。

 沢に踏み込む、僕らではない、もう一人の足音が、背後からした。

 

「……待て。お前たちは――」

 

 炎から、足音が這い出る。あの男。

 母に剣を向けた、あの男だ。

 

「誰が、待つか!」

 

 逃げなければ。沢の下流、ふもとには燃やすものなどもうないはずだ。

 炎から、この男から、軍から逃げて。

 逃げた先に母を救うものがあると信じて。

 

 背後で男のオーラが爆ぜ、その一部が塊を成し、僕たちを通り越す。

 それは眼前に着弾し、地面に穴を開けた。

 念弾だ、しかし外れた――と、そう判断したのが間違いだった。

 着弾地点の人頭大の穴。その場から、さらにオーラが飛び出てくる。

 兎の群れ、否、翼を持つ、動物状の念弾。それらが、僕らめがけて猛スピードで突撃してくる。

 

 振り絞れ。念を発しろ!

「ァああ、『白い恋人(アウターサイエンス)』ッ!」

 兎の念が迂回しないことに賭け、前面だけに白い粘液の防護膜を分厚く置く。

 防護膜に念兎の群れは衝突し続ける。木の爆ぜる轟音を塗りつぶす、ボフボフという着弾音。兎の頭部が防護膜を押し込むが、貫くには全く足らない。

 数秒か、それとも十秒ほど経ったか。着弾は止まる。

 振り向かずとも分かる。すでに、十歩後ろに男がいた。

 

「待て、といったよな。軍の食糧を奪っていたのは、お前か? 共に来てもらう。殺しはしない。少なくとも、今すぐには」

 

 男は剣を地面に突き立てる。ジュ、と沢に残った湿り気が、熱された鉄で飛ぶ。

 背負う母の体が、強張った。

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