PREY @ PREY -Daddies Displayed Drawings- 作:砂漠谷
第四話、投稿させていただきますね。
以前の話を加筆修正しているので、そちらからお読みいただくと違和感がないと思います。
第一話では加筆で万年筆を登場させています。
第三話では『夜を短し』の仕様に関して、そしてガレヌの態度に関して、描写の変更があります。
ご了承ください。
「殺しはしない。少なくとも、今すぐには」
「誰がっ、お前らに!」
振り返る。
男は、酸素ボンベに繋がったマスクはすでに持っておらず、顔が露わになっていた。
右の瞳は眼帯で覆われており、頬の肌は火傷が刻まれている。
しかし、左の瞳で、しっかりとこちらを見据えていた。冷たく、それでいて燃えている。
意志を感じた。強い意志だ。
「その……瞳は……あなたは……」
しかし、彼が視線を母に向けると、その眼はなぜか揺らぎ始めた。
「……どなたでしょうか。ウチの息子に剣を向けてくる知人は、記憶にありません」
母は、しっかりと男の左目を見据え返していた。
「……覚えて、おられないのですか?」
「あいにくですが、息子に関わりのないことは、あまり覚えておりませんの」
声色が少し、変わる。男には感づかれていないだろうが、リナ母さんの話し方だ。対人交渉に長け、近隣の村人と遭遇した時の担当。
「そうなの、ですか。しかし――いえ。どちらにしろ、話は変わりません。その、オーラの白濁。息子さんが我らの兵糧を盗み続けていたのでしょう。我らにも幾分の責はありますが、あなた方の事情は聴かなければならない。付いてきて頂きます」
僕の手を握り、母は意志を伝えた。すなわち――逃走。
「お生憎様、ですっ!」
踵を再度返す。足に大部分のオーラを集め、防御を棄てた全力疾走。火の粉を浴びながら麓へ。包囲を超えて、西へ。
西ゴルトーへの亡命。もはや、それだけが唯一の生き残る道だと思えた。
小休憩もそこそこに、夕陽が落ち、月光が照らし、それでも一晩中、走り続けた。オーラの勢いはすでに枯れかけている。疲労は限界を超えていた。
母の呼吸も、浅く弱い。それでも、追手は迫っているはず。
逃げなければ。一歩を踏み出そうとして、足を滑らせる。
「休み、ましょう。クレオス、そろそろ限界でしょう」
「まだ……、先に、進まないと」
「休みなさい」
倒れるように、樹木の側に母を横たえ。
両者とも"絶"の状態となって、泥のように眠りにつく。
大地を踏みしめた跡を、きっと朝日は照らしていた。
翌朝。
目を覚ますと、知らない天井だった。
――木漏れ日ではない。
消毒液の匂いが突き刺すように感じられる。壁の向こうには、車のエンジンを鳴らす音。
病院か、あるいは。
飛び起きる。苦手なりに"堅"に切り換える。身体には包帯が巻かれていたが、動きに支障はなかった。
隣のベッドの上には、母の寝顔が。脚部はギプスで固められ、傷が開く心配はなさそうだ。
長い溜息をつき、臨戦態勢を解く。
この部屋は、病院の一室だろうか。ベッドは他にも複数あるが、他のベッドは空だった。
鍵が掛かっている扉を軽く叩き、複数人の気配がする隣室に知らせる。彼らが、きっと助けてくれた人たちだろうと考えて。
「起きました。あなたたちが助けてくれたんですか?」
扉から返ってきた声は驚嘆だった。そして、その声には聞き覚えがあった。
「ほう。あの疲労から随分と回復が早い。一週間は寝込んでもおかしくないのだが――流石は念使い」
あの山火事で、剣を握っていた男。母の足と、家族の家を焼いた男。
僕らの、敵。
「母さん、起きて! 逃げなきゃ!」
「待て! 頼むから待ってくれ!」
「誰が待つか! お前たちは、お前らは僕らの家を……!」
「それはお互い様だろう! 俺も部下を一人失ってる! いい加減に話を聞け!」
――部下を、一人。
あの時、胸骨を貫いた青年。火炎放射器を持っていた兵士。
はじめて人を殺したのだ。命を描く筆先で、命を奪った。怒りで燃えていたその時は実感がなかったが。
危機感で茹だった僕の頭を、罪の意識が急速に冷やした。
「――落ち着いたか、ガキ」
「クレオス。クレオス=……いや、ただのクレオスだ」
扉越しの会話。相手の顔は見えず。それでも、男の苛立ちと、それを鎮める度量が垣間見えた。
「ディーゴ、と言いたいんだろう。やめておけ、この国では」
「分かってるさ。お前の名前は」
「ガレヌだ。この国の能力者部隊――特務部隊の隊長をやっている」
信じがたい、が、信じざるを得ない。この男が念使いなのはすでに分かっている。東ゴルトーに念使いがいるのも、原作で知っている。だが、それが組織化までされているとは。
「で、僕と母さんはどうなる」
「俺個人が好きにできるなら――抱え込む。お前は、死んだ部下の代理として死ぬほど働いてもらう。ただでさえ人手不足なんでな。お前が空けた穴は、お前で埋める」
死んだ部下。僕が、筆を槍として使い、殺した兵士。
この男は、部下を殺した子供を、自分の下に置こうというのだ。
――いや、それは重要じゃない。本質は。
「母さんは」
母がどうなるか。それが、一番重要だ。
「お前の安月給から、ヘラ殿の治療費と生活費を捻出するんだ。実際の手続きは俺がやる」
……一呼吸。頭に酸素を送り、考える。
こいつは母のことを知っているようだ。ヘラ、というのは人格ごとではなく、個人としての名前。それを知っている、ということは――。
考える余地はなかった。西へ行くのは許さない、という相手の意志の表明でもある。
従う、その一択。もはや、それだけが生きる道だった。
「分かった。お前の部下になってもいい。ただし、母さんたちの治療と生活を保障する、その限りで」
「待て。母さん、たち、だと……? まさか……」
ガレヌの声が、明らかに揺れている。動揺しているのか。
ガレヌが僕を問い詰めようと、口を開こうとする気配がした。
そんな折、母さんが目覚めた。
その瞳の色は万華鏡のようにきらきらと移り変わる。だが、以前より少し暗い。まるで、明るい色が一色、消えたかのような。
瞳の色は紫に定まる。ジュン母さんの人格は少し悲しい顔をして、僕にこう告げた。
「――ココの人格が、消えたみたいだ」
「え……?」
僕の頭を抱きしめ、ジュン母さんは続ける。
「たぶん、火事のショックだ。あの山小屋が、ココの軛だった。それから放たれたココは……ここではない、どこでもないどこかに、行ってしまった」
「待て、人格? 消えた? もしかしてヘラ殿は、多重人格を患って――」
ガレヌの混乱がこちらにまで響くが、今すぐに説明できる余裕はなかった。
天真爛漫で、幼い振る舞いで僕らを癒したココ母さん。
寂しがり屋で、頑張って明るく笑っていたココ母さんは、消えた。
(がっこう? なにそれ、おもしろそう!)
あの声は、もう二度と僕の鼓膜を、心を揺らすことはない。
死んだのではない。頭では理解している。それでも、今まで個人として接してきた、人格の一つが消失する。それを受け入れるのは、ひどく難しくて。
「――クレオス。お前に伝えるのは酷だが……伝えなきゃならない。私も。いや、私たち全員、遠くないうちに、消える」
「……え」
消えるのはココ母さんだけではない。
母全員の死。
事実を、事実として受け止められない。なにかしらの間違いだ。そうに決まっている。
「……」
ガレヌは聴くことに集中しているのか、何も語らない。
僕も黙っているが、その理由は異なる。
ココ母さんが消えた。
他の母さんも、消える。
僕は、どうすればいい。どうすれば、今までの生活を続けられる。どうすれば、幸福を延長させられる。
ジュン母さんは、紫の瞳に影を差しながら、再度語り始めた。
「私の、人格が別たれる前の名前はヘラ。そして、私たちとして、人格が別たれた後の名前もヘラだ。だけど、意味が違う。別たれる前は、人間の名前。別たれた後は――
「母さん。どういう、こと?」
落ち着き始めていた混乱が、さらに加速する。ヘラという名前は、能力の名前。
それでは、まるで母たちが念能力の産物のようではないか。
母は、優しく、それでいて淡々と。僕の頭を撫でながら、説明を続ける。
「Harmonized Ego Link Architecture、H.E.L.A.――十二個の人格を維持し続けることが、能力であり、制約でもある。かつて、ヘラという女が生き長らえるために造った、
延命。つまり、本来は死んでいた、ということだろうか。
「ヘラが遺した情報を読み解くと、この身体にはクルタ族の血が流れているようだ。クルタの身体に、瞳に宿った呪い。怒り狂った状態では、瞳が茶色から美しい緋色に変遷し、甚大な能力を発揮できる代わりに、体力と寿命を急速に燃やす。そういうもの、らしい」
「らしいって……」
たしかに原作で、クラピカは緋の眼を用いた
母の瞳は紫から黒に。アヤ母さんは、普段ほとんど出てこないが、昔の記憶や東ゴルトー情勢について語る時に出てくる人格だ。
「――彼に、マサドル=ディーゴに裏切られてからの、気が狂うほどの怒り。それをヘラは鎮めることができなかった。この炎は永劫続くだろう、そういう狂気。ならば、燃やされる薪の方を殖やせばいい。彼女はそう考えた。人格を分割し、狂気を分割し、鎮めることはできなくても、炎の負担を小さく小さく別けていくことはできた。それが彼女、ヘラの特質性」
病室の天井の白が、目に刺さる。
ガレヌが扉越しに息を呑む。
僕の中に芽生えたのは、二つの相反する感情。
覚悟と、後悔。
人格が消えるまで。否、消えた後も、母を養い守るという覚悟。
母を養うためという名目で、盗みという愚かな行為に手を染めた、後悔。
綯い交ぜになったそれらは、腹から喉に上って、口を突いて出ようとして。
「――母さん」
決意の言葉は、遮られる。アヤ母さんは続けた。
「延命された私たちの寿命は、尋常の念能力者の半分。とはいえ、五十と少しは生きられる。もしかすると、孫の顔も見られるかもしれない。そう、踏んでいた。――制約が破られた今、それは叶わない」
声が出ない。
黒の瞳は入れ替わり、緑の瞳へ。
裁縫が得意なセラ母さん。頑張り屋のセラ母さん。
緑の瞳は、ぼろぼろと涙を流していく。
「ちくしょう、ちくしょう……もっと大きくなった、もっと立派になったクレオスが見たかった! 誰も悪くない、分かってる! 誰も悪くないんだ、でも、もう少し、何かが……」
それから、白の瞳に。
幼少期、乳を僕に含ませてくれていたエリカ母さんに移り変わる。
涙は穏やかになり、それでも一滴二滴と、濡れた頬を浅く流れる。
「……あのね、クレオス。いつか、こういう日が来ると思っていた。私たち十二の個が、一緒に笑いあえる、それが永遠に続くなんて、都合が良すぎる。そう、思っていたの」
――そして、緋色に移り変わる。ノア母さん。冬眠能力の主であり、他の人格たちに一目置かれている人格。
その眼は、酷く綺麗だった。
「――クレオス。誕生日はまだ先だけど。十歳になる時に贈る、プレゼントを考えています。H.E.L.A.によって維持されていた人格は、やがて消える、と思う。でも、残るものはあるわ」
「それは……」
「肉体が死ぬことは、たぶんない。ただ、受動的に息をして、心臓を動かして、お腹を時折鳴らすだけになります。頭の中には誰もいない」
両目の緋色は、僕を見つめて。その手は僕の手首を握りしめる。
母は僕の手を導いて、頭を触らせた。
髪は、炎に焼かれてもなお、艶めいていた。
「――けど。私の、この頭の中の部屋を、あなたの
母の胸元に具現化されるのは、一冊のスケッチブック。ページ数は十と少しほどの、薄くて広い一冊だ。表紙は黒の無地で、それを綴じる金具だけが黒く光っていた。
母がそれを開くと、中のページは白の無地だと分かる。
「人格の全てが消える前に、あなたにこれを。――表紙を、一緒に描いて欲しい」
僕は、具現化した念筆でなく。
枕元に、焦げた衣服と共に置かれてあった、贈り物の万年筆を取り出した。
熱で歪んでなお、そのペン先は鋭かった。
本作において、寿命が急速に消えるのは絶対時間の制約ではなく、緋の眼の副作用と解釈。
絶対時間は激情なしに緋の眼を維持する技術(念能力ではなく肢曲などの技術に近い)、とします。