アイドル至上主義の教室へ   作:EXTERMINATION

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第5話 完成度と違和感

アイドル特別試験開始から五日目。

校内の空気は、明らかにおかしくなっていた。

 

廊下を歩けば、どこかの教室から発声練習が聞こえる。

階段を上がれば、鏡代わりの窓ガラスへ向かって

笑顔の練習をしている女子生徒がいる。

 

食堂では、各クラスの男子たちが

自分のクラスの代表について勝手な分析を始めていた。

 

「一之瀬は強いだろ」

「いや、坂柳の座りセンターもヤバいらしいぞ」

「龍園クラスはなんか治安悪いライブになるって聞いた」

「堀北クラスは堀北が笑顔の練習してるらしい」

「それ一番見たい」

 

そんな噂が、学校中を漂っていた。

 

高度育成高等学校。

 

そこは本来、学力、身体能力、協調性、判断力などを競う場所であるはずだった。

 

だが今だけは違う。

 

校内全体が、妙なアイドル熱に侵され始めていた。

 

そして、その中心にいるはずの堀北鈴音は。

 

「……なぜ、私がこんなことを」

 

多目的室の鏡の前で、真剣に笑顔を作っていた。

 

軽井沢恵が横から覗き込む。

 

「うん、昨日より良くなってる」

「本当?」

「うん。昨日は笑顔を命じられた人って感じだったけど、

今日は笑顔の概念を理解し始めた人って感じ」

「褒めているの?」

「褒めてる褒めてる」

「怪しいわね。ハイドロポンプの命中率くらい怪しいわ」

 

櫛田桔梗がくすりと笑う。

 

「でも、本当に柔らかくなってきたと思うよ」

 

堀北は少しだけ視線を逸らした。

 

「……そう」

 

綾小路清隆は少し離れた場所で三人を見ていた。

 

手元にはいつものノート。

 

そこには、ここ数日の練習結果が細かく記録されている。

 

『堀北――表情改善。動きの硬さは減少』

『軽井沢――観客意識良好。体力不足は継続』

『櫛田――安定。疲労時も笑顔維持可能。ただし無理をしている可能性』

 

綾小路は最後の一行へ視線を落とした。

 

櫛田は上手い。

最初から分かっていたことだ。

歌も動きも表情も、三人の中で最も安定している。

堀北や軽井沢が苦戦する場面でも、彼女だけは大きく崩れない。

だが、崩れないことと、負担がないことは別だった。

 

櫛田は疲れても笑う。

きつくても笑う。

違和感を隠して笑う。

 

それは強みであり、同時に危うさでもあった。

 

「綾小路くん?」

 

櫛田がこちらを見た。

 

「どうかした?」

「いや」

 

綾小路はノートを閉じる。

 

「今日から本番用の流れに近づける」

 

軽井沢が嫌そうな顔をした。

 

「またメニュー増えるやつ?」

「増える」

「即答やめて」

「本番まで残り九日だ。余裕はない」

「うわ、数字で言われると急に焦る」

 

堀北は腕を組んだ。

 

「具体的には何をするの?」

「三人の役割を明確にする。堀北を中央、軽井沢を右、櫛田を左に置く」

「センターを本格的に決めるということね」

「ああ」

 

堀北は少しだけ黙った。

最初なら即座に拒否していただろう。

 

だが今は違う。

納得はしていない。

 

しかし、逃げる気もなかった。

 

「分かったわ」

 

軽井沢がにやりと笑う。

 

「お、ついに認めた」

「認めたわけではないわ。必要ならやるだけよ」

「はいはい、そういうことにしといてあげる」

「軽井沢さん」

「怖い怖い」

 

櫛田は二人を見て微笑んだ。

 

「三人で頑張ろうね」

 

その言葉に、堀北も軽井沢も小さく頷いた。

 

綾小路が音楽を流す。

これまでの仮曲とは違う。

少し明るく、テンポが良く、観客が手拍子を入れやすい曲。

 

綾小路が校内の音楽設備で使用できる素材を組み合わせ、

候補として選んだものだった。

 

曲が始まる。

 

三人が位置につく。

 

堀北は中央。

軽井沢は右。

櫛田は左。

 

最初の一拍。

 

堀北が前を見る。

以前なら、視線が鋭すぎた。

 

だが今は違う。

まだぎこちない。

 

それでも、観客へ向ける意識が生まれていた。

 

軽井沢は自然に手を振る。

櫛田は柔らかく笑う。

 

三人の動きが揃う。

 

一歩。

二歩。

 

手を上げる。

視線を流す。

 

ターン。

 

最後に、堀北が前へ出る。

 

「……っ」

 

軽井沢が途中でわずかに遅れた。

櫛田がそれに合わせようとして、ほんの少し動きが詰まる。

 

堀北だけが正確に進む。

 

音楽が止まった。

 

「軽井沢、半拍遅い」

「分かってるって!」

「櫛田は軽井沢を気にしすぎだ」

「うん、ごめんね」

「堀北は正確だが、二人と距離ができている」

 

堀北が眉を寄せる。

 

「難しいわね。正確に動けば浮く。合わせれば崩れる」

「その調整が必要だ」

 

軽井沢は床へ座り込む。

 

「アイドル、奥深すぎない?」

「そうだな」

 

綾小路は淡々と答える。

 

「人前で簡単そうに見せる技術は、大抵難しい」

 

櫛田は小さく頷いた。

 

「本当にそうだね」

 

その声に、少し疲れが混じっていた。

 

堀北が気づく。

 

「櫛田さん、大丈夫?」

「うん。大丈夫だよ」

 

櫛田は笑った。

いつもの笑顔。

完璧な笑顔。

 

だからこそ、堀北は少しだけ引っかかった。

 

「無理はしない方がいいわ」

「ありがとう。でも本当に大丈夫」

 

軽井沢がペットボトルを差し出す。

 

「水飲みなよ」

「うん」

 

櫛田は受け取って水を飲む。

綾小路はその様子を静かに見ていた。

 

多目的室の外では、別のクラスの練習音が聞こえている。

 

その一つは、坂柳クラスだった。

 

坂柳有栖の練習は、もはや他クラスとは完全に別物になっていた。

 

多目的室の中央に置かれた椅子。

その上に座る坂柳。

左右に神室真澄と森下藍。

 

神室は最初こそ不満を隠さなかったが、今は少しだけ表情が変わっていた。

 

「……悔しいけど、形になってきてるわね」

「そうでしょう?」

 

坂柳は満足げに微笑む。

 

「私は動けません。ですが、動けないことと魅せられないことは別です」

「その発想が嫌に強いのよね」

 

森下は椅子の周囲をゆっくり歩いていた。

 

「坂柳有栖を惑星とすると、私たちは衛星です」

 

神室が顔をしかめる。

 

「急に宇宙にするな」

 

坂柳は楽しそうに笑う。

 

「悪くない例えですね」

「採用しないで」

 

だが、実際にその構図は効果的だった。

 

坂柳は中心から動かない。

だからこそ、神室と森下の動きが映える。

そして二人が動けば動くほど、中央で静かに歌う坂柳の存在感が増す。

 

まるで舞台全体が彼女を中心に回っているかのようだった。

 

「神室さん」

 

坂柳が言う。

 

「何」

「あなたはもう少し諦めた表情を抑えてください」

「嫌々やれって言ったのはそっちでしょ」

「嫌々ながらも美しく、です」

「注文が細かい」

 

森下が真顔で口を挟む。

 

「神室さんは帰りたいけど帰らない美です」

「何それ」

「根性です」

「急に雑」

 

坂柳は苺牛乳を手に取った。

 

「休憩にしましょう」

 

神室がじっと見る。

 

「本当に飲むのね、それ」

「ええ。練習後の甘味は悪くありません」

 

森下も牛乳を飲む。

 

「骨が喜んでいます」

「骨の声を聞かないで」

 

坂柳クラスは、奇妙だった。

だが、確実に記憶に残る。

 

一方、龍園クラスの練習は、さらに温度差が激しくなっていた。

 

龍園翔は静かに腕を組み、三人の動きを観察している。

 

ひよりは中心で柔らかく歌う。

伊吹はキレのある動きで周囲を締める。

西野は大きく崩れず、冷静に全体を支える。

 

この三人もまた、妙に噛み合い始めていた。

 

「ひより」

 

龍園が低く言う。

 

「はい」

「今の入り、少し弱い」

「入りですか?」

「最初の一秒で空気を取れ。お前は声を張る必要はねぇ。ただ、静かに目を引け」

 

ひよりは少し考え、頷いた。

 

「分かりました。やってみます」

 

伊吹が息を整えながら言う。

 

「龍園、アンタ本当にアイドルのこと分かって言ってる?」

「分かってるかどうかはどうでもいい。勝てる形を作ってる」

「それが怖いのよ」

 

西野が淡々と言う。

 

「でも、言ってることは外れてないと思う」

 

伊吹が驚いたように見る。

 

「西野まで?」

「椎名さんは声を張るより、静かに入った方が目立つ。

伊吹さんは動いた方が目立つ。私は崩れない方がいい」

「……妙に冷静ね」

「慌てても疲れるだけだし」

 

龍園は薄く笑う。

 

「西野、お前はそれでいい」

「どうも」

 

ひよりがもう一度立ち位置へ戻る。

 

静かな入り。

柔らかい視線。

 

その後ろで伊吹が鋭く動き、西野が支える。

 

龍園は黙って見ていた。

 

派手ではない。

だが、独特だった。

 

観客が一度見たら忘れにくい。

 

龍園クラスらしい、少し危険で、少し不思議なアイドル像が生まれつつあった。

 

そして一之瀬クラス。

 

ここは相変わらず王道だった。

 

一之瀬帆波は、まっすぐだった。

 

歌えば明るい。

踊れば楽しそう。

笑えば周囲まで明るくなる。

 

網倉麻子はそれを自然に支え、姫野ユキは嫌々ながらも逃げずについていく。

 

「姫野さん、今の良かったよ!」

 

一之瀬が笑顔で言う。

姫野は息を吐いた。

 

「どこが?」

「最後まで目線が落ちなかったところ」

「それは、一之瀬さんが前でずっと笑ってるから、目を逸らすと負けた気がしただけ」

 

網倉が笑う。

 

「それも立派な理由じゃない?」

「立派ではない」

 

一之瀬は嬉しそうだった。

 

「でも、姫野さんが一緒にやってくれるの、本当に嬉しいよ」

 

姫野は視線を逸らす。

 

「そういうの、ずるい」

「え?」

「何でもない」

 

一之瀬クラスは、他クラスのような強烈な奇策はない。

だが、見ている者を自然に笑顔にする力がある。

 

それは非常に強い武器だった。

 

堀北クラスの練習は終盤に入っていた。

綾小路は三人へ向けて、初めて通し練習を二回連続で行うよう指示した。

 

軽井沢が叫ぶ。

 

「鬼!」

「本番では一回しかない。だが練習では負荷をかける」

「理屈は分かるけど体が分かってない!」

 

堀北は息を整える。

 

「やるしかないわ」

 

櫛田も笑顔で頷く。

 

「うん。頑張ろう」

 

音楽が流れる。

 

一回目。

 

先ほどより良い。

軽井沢の遅れも減り、堀北の動きも少し柔らかい。

 

櫛田は相変わらず安定している。

 

二回目。

 

疲労が出る。

軽井沢の表情が少し崩れる。

堀北の動きが硬くなる。

 

櫛田は笑っていた。

 

完璧に。

 

だが、綾小路は気づいた。

 

最後のターンの着地。

櫛田の足が、ほんのわずかに揺れた。

 

音楽が止まる。

 

軽井沢がその場に座り込む。

 

「無理……本当に無理……」

 

堀北も肩で息をしていた。

 

櫛田は笑顔で立っている。

 

「お疲れ様」

 

そう言った瞬間、堀北が近づいた。

 

「櫛田さん」

「何?」

「足、大丈夫?」

 

櫛田の笑顔が一瞬だけ止まった。

 

「え?」

「さっき、少し揺れたわ」

 

軽井沢も顔を上げる。

 

「え、そうなの?」

 

櫛田はすぐに笑った。

 

「大丈夫だよ。ちょっとバランス崩しただけ」

「本当に?」

「うん。心配してくれてありがとう」

 

堀北はまだ少し疑っていたが、それ以上は言わなかった。

 

綾小路も表情を変えない。

 

だが、ノートには一行書き加えた。

 

『櫛田――足元に注意』

 

練習後。

三人は片付けをしながら、今日の出来について話していた。

 

軽井沢は疲れ切っていたが、どこか満足そうでもあった。

 

「今日、ちょっと良くなかった?」

 

櫛田が頷く。

 

「うん。昨日より揃ってたと思う」

 

堀北も静かに言った。

 

「まだ不十分だけれど、前進はしているわね」

 

軽井沢がにやりと笑う。

 

「堀北さんがそう言うってことは、かなり良かったってことじゃん」

「調子に乗らないで」

「はいはい」

 

櫛田は二人を見て笑っていた。

 

その笑顔はいつも通りだった。

けれど、綾小路には少しだけ違って見えた。

 

疲労を隠す笑顔。

無理を飲み込む笑顔。

 

その笑顔は、アイドルとしては強い。

 

だが、試験本番まで残り九日。

無理が積み重なれば、どこかで必ず歪みが出る。

 

「今日はここまでだ」

 

綾小路が言う。

 

「明日は少し負荷を調整する」

 

軽井沢が驚いた顔をした。

 

「え、減るの?」

「少しだけだ」

「珍しい。明日雪降る?」

「疲労が抜けなければ効率が落ちる」

 

堀北が綾小路を見る。

 

「あなたにしてはまともな判断ね」

「いつもまともだ」

「それはないわ」

 

櫛田が笑う。

 

その笑顔に、誰も深く踏み込まなかった。

 

少なくとも、その時は。

 

夜。

綾小路は自室で資料を整理していた。

 

各クラスの方向性は見えてきた。

 

一之瀬クラスは王道。

坂柳クラスは異質な芸術性。

龍園クラスは独特な空気と印象。

堀北クラスは成長と完成度。

 

勝つには、堀北の変化を軸にしながら、

軽井沢と櫛田で観客を引き込む必要がある。

 

計算上は悪くない。

 

だが。

 

綾小路はノートの一行を見る。

 

『櫛田――足元に注意』

 

小さな違和感。

 

まだ問題とは呼べない。

 

だが、問題になる可能性はある。

 

特別試験では、ほんのわずかな綻びが大きな結果を生む。

 

アイドル特別試験も、それは同じだった。

 

翌日。

 

その違和感が、ただの見間違いではなかったことを、綾小路たちは知ることになる。




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