アストラル・スクランブル! 〜ヒビヤ・レンと放課後の魔影事件簿〜   作:怠惰OO

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ようこそ、学園アストラルへ

坂の上に建つその学園を見上げたとき、ヒビヤ・レンは、最初に「でかいな」と思った。 春の朝。まだ少し冷たい風が、真新しい制服の裾を揺らしていく。

 

 石造りの大きな門柱には、銀色の文字で私立アストラル学園と刻まれていた。西洋の古城みたいな本館に、ガラス張りの近代的な特別棟、それをぐるりと囲む高い鉄柵。いかにも金持ち学校です、という雰囲気だ。

「転校初日から胃が痛い……」 

 

レンは小さくつぶやいて、通学鞄の肩紐を握り直した。 父の転勤だの、親戚の都合だの、いろいろ事情は聞かされたが、正直よくわかっていない。ただ、家から遠く離れたこの街に一人で越してきて、今日からこの学園に通うことになった。それだけだ。 

 

資料には「自由な校風」「生徒の自主性を尊重」と書いてあったが、校門前に立ってみると、自由というより威圧感がすごい。校舎の尖塔のてっぺんには、なぜか巨大な時計ではなく、黒い水晶みたいなものが据えられている。朝日を受けてもきらきらせず、むしろ光を吸い込んで 思わず漏れた独り言に返事をしたのは、風ではなかった。

 

「同感ね」

 

「うわっ!?」 

 

すぐ隣から声がして、レンは飛び上がった。 いつの間にいたのか、ひとりの少女が門柱にもたれて立っていた。長い黒髪を風に流し、切れ長の瞳でじっとレンを見ている。整いすぎて冷たく見える顔立ちに、制服の着こなしもきっちりしていて、いかにも近寄りがたい。

 

「転校生、ヒビヤ・レン?」

 

「……そうだけど」

 

「九条ミオ。二年A組。あなたのクラスメイトよ」

 

「へえ、親切に迎えに――」

 

「別に。確認しただけ」 

 

ぴしゃりと言って、少女――九条ミオは視線を門の内側へ向けた。

 

「中に入るなら、私の後ろを歩いて」

 

「は?」

 

「いいから」 

 

命令口調だった。初対面なのに感じが悪い。レンが眉をひそめると、ミオはほんの少しだけ苛立ったようにため息をついた。

 

「あなた、何も聞かされてないの?」

 

「だから何を」

 

「……本当に?」 

その目が、一瞬だけ揺れた。困惑とも、警戒ともつかない色だった。 しかし次の瞬間、それをかき消すように校門の向こうからざわめきが起きた。登校していた生徒たちが、何かを避けるように後ずさっている。

 

「おい、あれ……」

 

「また朝から?」

 

「結界、薄くなってるのか……?」 

 

妙な会話が耳に入る。レンが首を傾げた、そのときだった。 門の上に据えられた装飾の影が、不自然にぐにゃりと歪んだ。

 

「……え?」 

 

影が、落ちた。 地面に染みるように広がった黒が、獣の形を取る。犬に似ている。いや、犬よりもずっと細長く、脚が多く、頭部には目がない。ただ裂けたような口だけが、にたりと笑った。 悲鳴が上がる。 レンは数秒、自分が見ているものを理解できなかった。夢かと思った。朝から変な幻覚でも見ているのかと。 だが、それは一直線にこちらへ跳んできた。

 

「伏せて!」 

 

ミオの声が鋭く響いた。 反射的に身をかがめたレンの頭上を、銀色の光が走る。次の瞬間、黒い獣の身体が横から吹き飛んだ。石畳を転がり、甲高い悲鳴のような音を立てる。 ミオの右手には、いつの間にか細身の剣が握られていた。制服姿のまま、彼女は一歩前へ出る。

 

「門影(もんえい)級……朝っぱらから厄介ね」

 

「ちょ、ちょっと待て! 何それ!? 何で剣!?」

 

「説明は後。下がって」 

 

獣がのそりと起き上がる。口の裂け目がさらに大きく開き、そこから黒い霧が漏れた。見るだけで嫌な感じがした。寒気ではない。もっと内側をじわじわ撫でられるような、不快な気配。 ミオは剣を構えたまま、低く息を吐く。

 

「――アストラルコード、第二節。断絶」 

 

彼女の足元に、淡い青白い紋様が広がった。魔法陣、という言葉がレンの頭をよぎる。そんなもの、映画や漫画の中でしか見たことがない。なのに今、それは確かに現実として石畳の上に刻まれていた。 獣が飛びかかる。 ミオは半歩も退かず、刃を振り抜いた。青い軌跡が弧を描き、黒い身体を斜めに断つ。 裂けた。 はずだった。 だが獣は消えない。真っ二つになった身体がどろりと溶け、逆に二体へ増えた。

 

「うそでしょ」

 

「今の、お前が言う台詞!?」 

 

思わずツッコミを入れたレンに、一体が向きを変えた。

 

「っ、レン!」 

 

名前を呼ばれて、胸が変にざわつく。初対面で呼び捨てにされた違和感より先に、目の前の黒が膨れ上がっていた。逃げなきゃいけないのに、足が動かない。 獣の口が、大きく開く。 その奥に、闇より深い穴が見えた気がした。 ――飲まれる。 そう思った瞬間だった。 レンの胸元で、何かが熱を持った。

 

「……え?」 

 

制服の下、首から下げていた古びた銀のペンダントが、脈打つように光っていた。両親が物心ついた頃から持たせてきたもので、ただの形見だと聞いていたそれが、白く、まぶしく輝く。 獣がびくりと止まった。 まるで、怯えたみたいに。 次の瞬間、門の上にいたカラスたちが一斉に飛び立ち、空気が震えた。レンの足元から光の線が走り、石畳の下に何か巨大な紋様が浮かび上がる。学園全体を覆うほどの巨大な陣だった。

 

「な……」

 

「結界が、反応した……?」 

 

ミオの声に、初めて明確な動揺が混じった。 光を浴びた黒い獣たちは、甲高い悲鳴を残して霧のように崩れ、跡形もなく消えた。あまりにも一瞬のことで、レンはその場に立ち尽くすしかなかった。 静寂。 そして、周囲の生徒たちの視線が、一斉にレンへ突き刺さる。

 

「おい、今の……」

 

「結界中枢が個人に反応?」

 

「まさか、あいつ……」

 

「ちょっと待ってくれ」 

 

レンは両手を上げた。何もしていない、と言いたかった。だが自分でも、何が起きたのかわからない。

 

「今の、俺のせいなのか?」

 

「……その可能性は高いわね」

 

「そんな冷静に言う!?」

 

「いいから来て。これ以上ここにいると面倒になる」

 

 ミオは剣を消すように指先で払うと、レンの手首をつかんだ。そのまま有無を言わせず歩き出す。

 

「え、ちょ、引っ張るなって!」

 

「黙って」

 

「初日から訳がわからなすぎる! 何なんだこの学校!」

 

「その質問に答える人のところへ連れていく」 

 

校門をくぐった先で、レンはようやく学園の異様さに気づき始めた。 広い中庭には普通の生徒たちがいる。談笑する者、走る者、パンをくわえて遅刻しそうな者。見た目だけならごく普通の学校だ。だがその一方で、ほうきを浮かせて窓を掃除している男子生徒や、肩に小さな火の玉を乗せて歩く女子生徒までいる。

 

「いやいやいや待て待て待て」

 

「うるさい」

 

「うるさいじゃない! 見えてる? あれ見えてる!? 火、乗ってる!」

 

「使い魔よ」

 

「さらっと新単語を出すな!」

 

 ミオは本気で不思議そうな顔をした。

 

「本当に何も知らないのね」

 

「だからさっきからそう言ってる!」

 

「なら、あなたをここへ送った大人たちは相当悪趣味だわ」

 

「それは今ちょっと同意する……」 

 

レンがげんなりしていると、ミオは足を止めた。中庭の中央、噴水の前だった。水面には朝の光が揺れている――と思った次の瞬間、その水面に見慣れない景色が映った。 黒い空。赤い月。崩れた塔。そして、その中心に立つ誰かの背中。 レンにそっくりな、誰か。

 

「――っ!?」 

 

瞬きをした瞬間、景色は消え、ただの噴水に戻っていた。

 

「どうしたの」

 

「今、そこ……」

 

「何か見えた?」

 

「……いや」 

 

言えなかった。言ったら、さらに面倒なことになる気がした。 ミオは数秒だけレンの顔を見つめ、それ以上は追及しなかった。

 

「あなたは今日から、この学園で学ぶことになる」

 

「普通の勉強じゃなさそうだけど」

 

「ええ。ここは、普通じゃないものを扱うための学校だから」

 

「普通じゃないもの?」

 

「怪異、呪術、霊素、異界存在――呼び方はいろいろあるけれど」 

ミオはそこで少しだけ目

「この世界には、見えてはいけないものがあるの。そして学園アストラルは、それに対処する人間を育てる場所」

 

「……は?」

 

「要するに、あなたはそういう学校に転校してきたのよ、ヒビヤ・レン」 

 

あまりにも突飛で、脳が理解を拒否した。 けれど、校門で見た黒い獣と、彼女の剣と、自分のペンダントの光を思い出せば、否定しようがなかった。

 

「じゃあ何か。俺は超やばい学校に何も知らず放り込まれたってことか」

 

「簡潔に言えばそう」

 

「最悪だ……」 

 

レンが頭を抱えると、ミオはほんの少しだけ口元を緩めた。笑った、のかもしれない。ほんの一瞬だったが。

 

「安心して。少なくとも、しばらくは私があなたを見ているから」

 

「監視ってこと?」

 

「……そうとも言うわね」

 

「全然安心できないんだけど!?」 

 

そのとき、遠くの塔から鐘の音が響いた。始業を告げる音だろう。空気がびり、とまたわずかに震える。 ミオは校舎のほうへ向き直る。

 

「行くわ。ホームルームに遅れる」

 

「待って、心の準備が」

 

「大丈夫。もう手遅れよ」 

 

ひどい言い草だった。 だが彼女の背を追いながら、レンは気づいてしまう。 怖い。ものすごく怖い。 それでも――胸の奥に、ほんの少しだけ、妙な高鳴りがあった。 退屈では終わらない。

 

 そんな予感だけが、春の空気の中でやけに鮮明だった。 そしてこの日、ヒビヤ・レンはまだ知らない。 自分がただの転校生ではないことも。

 

 この学園に隠された秘密も。

 

 やがて出会う少女たちと、笑って、傷ついて、命がけの放課後を過ごすことになる未来も。 ただひとつ確かなのは、校門をくぐったその瞬間から、

 

 彼の“普通の青春”は、もうどこにも残っていなかったということだけだった。

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