ここでの趣旨をずっとズラしたくはないので、これっきりにしますけどねw
スネージナヤ・パレスの最奥、冷たく重厚な空気が澱む統括官の執務室。
窓の外は快晴だが、それらがまるで関係ないかのように隔離されているとさえ感じるその静寂の中で、ファデュイの全てを束ねる男──統括官「道化」ピエロは、机上の羊皮紙からゆっくりと視線を上げた。
「──以上が、此度の特務の概要だ。女皇陛下の御意思のもと、各地より回収された旧カーンルイアの遺物、および対天理を見据えた未知の機関解析。第七位『傀儡』サンドローネの元で機巧の調整と記録を一手に担うお前の手腕が、どうしても必要となる」
仮面の下から覗く、全てを見通すような深く遠い瞳が「あなた」を射抜く。
ピエロから直々に手渡された指令書には、派遣先として極北の永久凍土に秘匿された隔離研究所の座標と──共同研究者として、執行官第二位「博士」ドットーレの名が記されていた。
───承知いたしました、統括官様。必ずや、女皇陛下と「傀儡」様の名に恥じぬ成果を持ち帰ります
執行官の中でも最高権限を持つ彼の決定は絶対だ。
どれほど危険な任務であろうと、一介の助手である「あなた」に拒否権はない。
恭しく一礼し、指令書を懐に収めて重い扉へと踵を返した──その時だった。
「……待て」
背後から掛けられた低く厳かな声に、「あなた」は足を止めて振り返る。
ピエロは組んだ両手の上に顎を乗せ、どこか遠い過去を見つめるような細められた目で、静かに口を開いた。
「退室する前に、統括官としてではなく……ただの
───……なんでしょうか?
「第二位『博士』ドットーレ──あの男が見ているのは、常に万物の理と結果のみだ。そこに人の情や倫理が介在する余地はない。…例え、同じ女皇陛下に仕える同胞であろうとな」
ピエロの声には、かつてその男を組織へ引き入れた張本人だからこそ知る、冷徹な事実だけが乗せられていた。
「…先に告げておこう。今回のこの指令は、ドットーレ直々にお前を指名して出たものだ」
───え?
「お前がサンドローネにとってどれほど代替の利かぬ存在かは、吾輩も把握している。お前という歯車が欠ければ、彼女の機巧もまた大きく狂うことになろう」
───……
「……ゆえに命じる。かの男の狂気に吞まれるな。万が一にも、奴の
険しい顔で内容を咀嚼する「あなた」を余所に、ピエロはゆっくりと視線を机上の書類へと戻しながら、最後にこう締め括った。
「生きて無傷でサンドローネの元へと帰還すること。それもまた、お前に課された絶対の任務と心得よ」
───……っ、肝に銘じます…!
組織の頂点に立つ男からの、異例とも言える個人的な警告。
その言葉の重みを噛み締めながら、「あなた」は深く頭を下げて執務室を後にした。
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「はぁ!?よりにもよって、「あなた」があの変態狂人野郎のところへ出張ですってぇぇ!!?」
数時間後。
「傀儡」の研究室に響き渡ったのは、設計図を叩きつけんばかりに激昂するサンドローネの金切り声だった。
───お、落ち着いてサンドローネ。統括官様からの直々の命令だから、断るわけにもいかなくて……
「落ち着いていられるわけないでしょう!?相手はあの『博士』よ!?部下だろうが同僚だろうが、興味が湧けば生きたまま解剖して部品に変えるような連中なのよ!!私のマシナリーたちの方がよっぽど人間らしく感じるわ!」
───(まあ、それはちょっとわかるかもだけど…)
過去に、「博士」の部下の話や主人経由で他の執行官などから聞いたことのある「あなた」が内心で頷いているのを余所に、サンドローネは顔を真っ赤にして怒り狂いながら、部屋の中を忙しなく歩き回る。
だが、彼女とてピエロの正式な命令を覆せないことは分かっているのだろう。
やがてギリギリと悔しそうに唇を噛み締めると、はぁ…と一つため息をつき、自身の作業机の奥からある物を引っ張り出し、「あなた」の胸元へと乱暴に突きつけてきた。
「……ほら、これを持って行きなさい」
───これは……リモコン、かな?
手渡されたのは、手のひらに収まるほどの──普段連絡で使っている端末よりも一回り小さい、武骨でシンプルなボタン式の起動装置だった。
「ただのリモコンと一緒にしないでちょうだい。それはね、前にあんたと一緒に調整した『仮想空間への投影技術』──ほら、あいつの顔を模したサンドバッグを空間から呼び出してタコ殴りにした、あのシステムの応用よ」
───あ、あの時のシミュレーションの……!
「あの構造を現実の空間転移に無理矢理転用して、私が密かに組み上げていた試作品よ。そのボタンを押しなさい。そうすれば、私の工房で待機させている対精鋭戦用のマシナリーがあんたの目の前に呼び出されるわ。…ほら、以前出張の際に一緒に行かせた子たちよ」
まだ試作段階だから単体しか呼び出せないし、形も不格好だけどね……と吐き捨てるように言いながら、サンドローネは「あなた」の服の襟元をギュッと掴み、引き寄せるようにして下から睨みつけてきた。
「いい?「あなた」。あいつは誰にでも笑顔で毒を盛るような男よ。少しでも怪しい動きを見せたり、あんたの身体に指一本でも触れようとしたら、躊躇わずにそのボタンを押しなさい。例えあんな奴の研究所ごと吹き飛ばしても、始末書くらい私がいくらでも書いてやるから!」
───す、すごいね……。ふふっ、ありがとうサンドローネ。これがあれば安心だよ
「……ふん。あんたはただの技術者なんだから、自分の身の程を弁えなさいよね」
ぷいっと顔を背けるサンドローネだったが、襟元を掴んでいた彼女の小さな指先は、微かに震えながら「あなた」の服の裾へと滑り落ち、そのまま離したくないとでも言うようにギュッと布地を握りしめていた。
「……絶対に、無傷で帰ってきなさい。髪の毛一本でも欠けていたら承知しないわよ。……これは、主人である私の絶対命令なんだからね…!」
───うん。必ず無事に帰ってくるよ、約束する
「………!うん…」
どこか泣き出しそうなのを必死に堪えている主人の手をそっと握り、心の中でそっとその頭を撫でるように優しく微笑みかける。
ピエロの警告とサンドローネから託された温かい切り札を懐に抱き、「あなた」は極北の凍土に待つ「博士」の研究所へと旅立ったのだった。
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極北の永久凍土。
方向感覚すら狂わせる白銀の猛吹雪を抜けた先に、その施設は巨大な氷塊の底へ沈むようにして存在していた。
周囲に人の気配はなく、ただ重苦しい金属の隔壁と、地の底から響くような不気味な駆動音だけが凍てついた大気を震わせている。
サンドローネの温かな工房とは似ても似つかない、生命の温度を徹底的に拒絶したような冷たい鉄の城。
重厚な正面扉が重々しい音を立てて開き、その奥から一人の男がゆっくりと姿を現した。
「──ようこそ、遠路はるばるご苦労だったね。サンドローネが誇る最良の助手君」
低く、それでいてよく通る穏やかな声。
波打つ水色の髪に、顔の大部分を覆い隠す鳥のような異形の仮面。
耳元で揺れる小さな試験管のイヤリングが、通路の青白い照明を反射して冷たく煌めいている。
ファデュイ執行官第二位、「博士」ドットーレその人だ。
───お久しぶりです、「博士」様。改めまして、「傀儡」様の下で助手を務めております、「あなた」と申します。
此度の特務、微力ながら尽力いたします
「ふむ、そう畏まることはない。此度は私が無理を言ってピエロに頼み込み、君を招いたのだからね。さあ、外は冷えるだろう。中へ入りたまえ」
丁寧で紳士的な物腰。
だが、仮面の奥から覗く赤い瞳には、人間に対する温かみなど微塵も宿っていなかった。
まるで、新しく届いた希少な実験器具の梱包を解くかのような、純粋で無機質な値踏みの視線。
───(……「道化」様やサンドローネの言っていた通りだ。一瞬でも気を抜いちゃいけない…!!)
「あなた」はドットーレの言葉に背筋を伝う冷や汗や悪寒を悟られぬよう、これまでの助手としての生活で培ったポーカーフェイスで穏やかな笑みを貼り付けたまま、施設の奥へと進む彼の後ろへと続いた。
同時に、外套のポケットへと滑り込ませた右手で、サンドローネから託された試作ボタンを強く握りしめる。
「ここでは女皇陛下の御意思のもと、各地から回収した旧カーンルイアの機巧や、世界の理に干渉するサンプルを解析している。君の持つその調整技術と観測眼、そしてあの空間を作った手腕には大いに期待しているよ」
───(あの事を覚えていたんだ…。本当に研究にしか興味がないのかな…?)
カツ、カツ、カツ…。
消毒液と錆びた鉄、そして微かな血の匂いが入り混じる薄暗い大回廊に、ドットーレの足音だけが規則正しく響く。
その広い第一研究区画へと足を踏み入れ、背後の隔壁が完全に閉ざされた──まさにその瞬間だった。
──グギャアアアアアアッッ!!!
頭上の暗がりから、鎖を引き千切る甲高い金属音とともに、耳を
───っ!?
見上げた視界に飛び込んできたのは、継ぎ接ぎだらけの肉体に無機質な機械の義肢を無理やり埋め込まれた、元となった巨竜の原型が多少残っているだけの異形の実験体だった。
常人どころか魔物離れした速度で宙を舞い、剝き出しの鉤爪を振り上げて「あなた」の首筋へと一直線に襲いかかってくる。
戦闘面に関して素人の「あなた」には、その速度を見てから回避することなど到底不可能だ。
そして、数歩前を歩いていたはずのドットーレは──驚く素振りすら見せず、歩調ひとつ変えないまま、振り向きもせずに背中を向け続けていた。
───(嘘だろ……っ!!!)
何か仕掛けて来るとは思っていたが、予想よりずっと早い──!!
そんな思考より早く、日頃から叩き込まれていた危機管理と、サンドローネの「躊躇わずにそのボタンを押しなさい!」という声が脳裏に弾けた。
「あなた」は迫り来る死の恐怖に目を瞑ることなく、ポケットの中の起動スイッチを親指で限界まで押し込んだ。
──カチリ。
乾いた音が鳴り響いた、その刹那。
「あなた」と実験体の間の何もない空間が、まるでガラスにヒビが入るようにパキパキと幾何学的な光を放って歪み──次の瞬間、そこから黒鉄の巨体が強引に現実世界へと割り込むように顕現した。
──プシュウゥゥゥゥ……
現れたのは、かつての出張でも「あなた」を守り抜いた、サンドローネ特製の対精鋭戦用マシナリーだった。
空間から飛び出すと同時に稼働していた、マシナリーのその巨大な剛腕と機関銃が、唸りを上げる。
──ガゴォォォォンッ!!!
直後、実験体を認識すると、マシナリーはその剛腕を振るい一閃した。
超高出力の熱量と質量を伴ったその一撃は、宙にいた実験体に防御の暇すら与えず直撃し──轟音とともにその肉体を壁際へと叩きつけ、跡形もなく粉砕して吹き飛ばした。
ドォォン……
通路の奥で瓦礫の崩れる音が響き、やがて完全な静寂が戻る。
召喚されたマシナリーは主の命令を果たすと、再び空間の歪みへと溶けるようにして姿を消した。
「──ほう」
そこで初めて、前を歩いていたドットーレの足がピタリと止まった。
彼はゆっくりと首だけを巡らせて背後の惨状を一瞥すると、やがて身体ごとこちらへ向き直り、さも今気づいたかのように肩をすくめてみせた。
「…おや、これは失礼したね。どうやら古い被検体の拘束錠が一つ、経年劣化で甘くなっていたようだ。遠来の客人に、随分と無粋な出迎えをしてしまった」
口調だけは、いかにも申し訳なさそうに眉を下げた謝罪の形を取っている。
だが、その声には一片の動揺も後悔も混じっていなかった。
まるで、このような事になると
「怪我はないかね?本当にすまないことをした。私の管理不足だ、気を悪くしないでくれると嬉しいのだが」
───……いいえ、お気になさらないでください。「傀儡」様から護身用の試作品を預かっておりましたので、かすり傷ひとつありません
「ふむ…なるほど。何もない空間から、あらかじめ待機させていた機巧を瞬時に転移・展開する機構か。しかも、常人ならば腰を抜かす距離での奇襲に対し、迷いなく引き金を引くその胆力……」
ドットーレの仮面の奥で、赤い瞳が細められる。
晒された口元が、隠し切れない知的好奇心と愉悦によって、三日月のように深く弧を描いた。
「実に素晴らしい。単なる技術屋、単なる小間使いではなさそうだ。……どうやら、わざわざピエロに掛け合ってまで君を指名した私の目に、狂いはなかったらしい」
───(……これは、早々に先が思いやられるなぁ…)
そんなドットーレの底知れない言動と様子に、「あなた」はこれからの共同作業に対する強い警戒と不安を改めて噛み締めるのだった。
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それから数日間。
「あなた」は隔離研究所の深部にある中央解析室にて、ドットーレの補助として寝食を削るような調査業務に従事していた。
表向きの研究内容は、統括官ピエロから聞かされていた通りだった。
テイワット各地から極秘裏に回収された旧カーンルイアの自立機巧や、摩耗した未知の動力炉。
それらを分解・解析し、女皇陛下が掲げる「対天理」の悲願に向けた技術基盤を確立すること。
だが──実際に研究所の奥へ足を踏み入れた「あなた」が目にしたのは、それだけではなかった。
───(…あれは、書物で見たナド・クライの魔物「ワイルドハント」……?)
分厚い強化ガラスの培養槽が並ぶ通路の奥。
そこには機械の遺物などではなく、漆黒のアビスの瘴気を纏い頭部が存在しない異形のグール──ナド・クライの荒野を徘徊するはずの魔物「ワイルドハント」や、それに連なるように脈動する謎の肉片が、無数に拘束・培養されていたのだ。
───(天理に対抗するための機関解析に、あんなアビスに汚染された魔物や肉片なんて本来必要ないはずだ…。女皇陛下の勅令を隠れ蓑にして、この人は自分の個人的な興味と…僕には理解の及ばない、何かしらの計画のために別の研究を進めている……)
常人ならば、その悍ましい光景と倫理を逸脱した実験記録を目にしただけで嘔吐し、精神を病んで逃げ出していたことだろう。
──しかし、「あなた」は違った。
「──ふむ、そこの出力導管の数値が揺らいでいる。サンドローネの工房と同じ方式で再調整は可能かね?」
───はい、ただちに。位相のズレを修正し、エネルギーの逆流をバイパスへ逃がします
「あなた」は隈のできた目と少しやつれた頬で背筋を凍らせるような培養槽の気配を完全に無視し、感情を殺した正確な手つきで計器を操作し、ドットーレが求める以上の速度で解析データを弾き出していく。
どれほど異常な環境に置かれようとも、「あなた」の心の中心には常に「絶対に生きてサンドローネの元へ帰る」という、ある種の狂気じみたまでの献身と執着が根を張っていた。
その絶対的な軸がある限り、他者の狂気ごときで「あなた」の精神が揺らぐことなどなかったのだ。
「……ふむ。実に興味深い」
その様子を横目で観察していたドットーレが、感嘆したように低く喉を鳴らす。
「これまで私の研究区画に足を踏み入れた者は、大抵三日も経たずに恐怖で使い物にならなくなるか、あるいは浅ましい正義感を振りかざして自滅している。……だが君は、ここに並ぶワイルドハントの標本を見ても心拍数ひとつ乱さず、私の意図を正確に汲み取って作業をこなしている」
───私はただの技術者であり、助手ですから。余計な詮索をせず、与えられた役割を全うするだけです
「ふっ……謙遜することはないとも。あの偏屈なサンドローネが、他の人間を一切排除して君だけを傍に置いている理由がよく分かった。君は極めて優秀な観測者であり、最良のインターフェースだ」
ドットーレが一歩、作業机の向こうから「あなた」へと歩み寄る。
仮面の奥の赤い瞳が、まるで極上の宝石を見つけた収集家のように妖しく細められた。
「どうかな?「あなた」。このまま私の下へ移籍する気はないかね?あの人形遊びの工房に燻っているより、私の隣で世界の真実と新世界の創造を観測する方が、君の才能もよほど有意義に輝くというものだ」
───……光栄なお言葉ですが、お断りいたします。私の主人は、後にも先にも「傀儡」様ただお一人ですので
「そうか、つれないな。…だが、そうやって頑なに拒む姿すら私にはますます魅力的に映るよ」
ドットーレが愉しげに唇を歪めた──その直後だった。
──ピピピピピピッ!ガシャアアアアアアンッッ!!!
室内に甲高い警報音が鳴り響くと同時に、区画の奥にあった特大の強化培養槽が内側から激しく砕け散った。
───っ!今度はなんだ…!?
グオオオオオッッッ!!!
緑色の培養液が濁流となって床を濡らし、ガラスの破片の向こうから、通常の個体より遥かに濃いアビスの瘴気を噴き上げるワイルドハントの変異体が咆哮を上げる。
鎖を引き千切ったその怪物は、最も近くにいた生身の人間──「あなた」の生体反応を捉え、その巨体を向けて一直線に跳躍した。
「──チッ、アビスの出力波形が想定以上に跳ね上がったか」
今度ばかりは、ドットーレの仕組んだ余興ではなかった。
完全に予測外のタイミングで発生した、純粋な暴走事故。
至近距離からの…それも不意の奇襲に、「あなた」が懐の試作ボタンへ手を伸ばすよりも早く──。
「私の研究資料に、勝手に触れるな」
ドットーレが冷たく言い放ち、指先を軽く一振りした。
その瞬間、彼の背後の空間から展開された複数の刃状の
──グ、オオォォァァァ……ッ!!
「あなた」の鼻先わずか数十センチの場所で、変異体が黒煙を上げながら痙攣し、機能を停止する。
ズシン…と大きな音を立てながら実験体が倒れると、ドットーレはこちらに振り向く。
「危ないところだったな。…ああ、誤解しないでくれたまえ?今のは初日のような歓迎ではなく、正真正銘の偶発的な事故だ。この個体の核には、ナド・クライに散らばる
───(初日のはやっぱりそうだったのか…。というかそれ、本人に明かしちゃうんだ…)……助けていただき、ありがとうございます
「なに、礼には及ばないさ。これほど稀有で有用な人材を、たかが被検体の暴走ごときで損耗させては、私の研究にとっても大きな損失だからな」
ドットーレは床に縫い止められたワイルドハントの変異体へと歩み寄ると、空中に青白い術式のような制御盤を展開し、躊躇のない手つきで複雑な命令コードを打ち込み始めた。
「……念には念を入れておこう。君の生体波長と識別情報を、私の管轄下にある全ての機巧や被検体、そしてこのワイルドハントに連なる全てのアビスの制御網へ直接焼き付けておいた」
───え…?それは、いったい……
「なに、簡単な
ドットーレは制御盤を閉じると、呆然とする「あなた」の方へ振り返り、どこまでも傲慢で…それでいて底知れない執着を孕んだ笑みを浮かべた。
「安心したまえ。君がどれほど拒もうと、君という最高の歯車は、いずれ必ず私が手に入れる。……それまでは、どんな怪物にも君を壊させるわけにはいかないのだからね」
───(……一刻も早く、ここでの仕事を終わらせて帰らないと…)
仮面の奥で煌めく赤い瞳から逃れるように、「あなた」は胸の奥に渦巻く悪寒を押し殺し、再び目の前の作業へと向き直ったのだった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
──それから更に数日後。
課せられた全ての解析任務と報告書の作成を完遂した「あなた」は、ようやく極北の隔離研究所から解放され、見慣れた主人の工房へと帰還を果たした。
───た、ただいま戻りました…、サンドロ──
重い扉を押し開け、帰還の言葉とともに油と紅茶の香りが漂う温かい室内へ足を踏み入れた、まさにその瞬間だった。
「──遅いっ!!」
───ネ、うわっ!?
扉のすぐ目の前で待ち構えていたらしいサンドローネが弾かれたように飛び出してくると、「あなた」の胸倉──ではなく両腕をガッと掴み、そのまま至近距離で食い入るように全身を睨みつけてきた。
「予定より半日も帰還が遅れているじゃない!あいつに何かされてないでしょうね!?ほら、さっさと外套を脱ぎなさい!腕は!?脚は!?変な機械や義体を勝手に埋め込まれたりしていないでしょうね!?」
───ま、待ってサンドローネ、くすぐったいよ……!
普段の威厳などどこへやら、サンドローネは必死の形相で「あなた」の腕から肩、脇腹や頬に至るまで、小さな両手でペタペタと隈なく触りまくって異常がないかを確かめていく。
その必死すぎるボディチェックに苦笑しつつ、「あなた」は懐からあの無骨な起動スイッチを取り出して見せた。
───大丈夫だよ。サンドローネが持たせてくれたこの試作品のおかげで、初日の危ない出迎えもかすり傷ひとつなく切り抜けられたから
「……っ!!あいつ、やっぱりあんたに何か仕掛けてきたのね!?あのマシナリーに返り血がついていたのを見た時点で薄々察していたけど…今からでもプロンニアを向かわせて、そんな研究所ごと更地にしてやるわ!!」
───そ、それはダメだよサンドローネ!もう終わったことだし、明確に何かされたわけじゃないから!
「「あなた」は甘すぎるのよ!!」
───……それに何よりも、こうして約束通り、髪の毛一本欠けずに帰ってきたから…ね?
今にも飛び出していきそうな勢いの主人の、その小さな肩をそっと押さえて宥めると、サンドローネは「……むぅっ」と不満げに頬を膨らませた。
やがて、目の前にいる助手が本当に無傷であり、何ひとつ変わっていないことをその手と瞳で確認し終えると──張り詰めていた糸がふっと緩んだように、彼女の肩から力が抜ける。
そして、そのまま「あなた」に寄りかかるようにして抱きつき、静かに涙を流し始めた。
「……よかった…っ、本当に、無事で良かった……!!」
───……!!うん…待たせてごめんね、サンドローネ
「本当よ、バカ…。……ほんと、こんなにやつれちゃって、その上隈まで……っ、あんな奴の下に行かされて、大変だったわね…」
少し落ち着いてから顔を上げたサンドローネは、涙で赤くなった目元のまま、任務によってやつれた「あなた」の頬と目の下の隈へ、優しく撫でるようにそっと触れながらそう言った。
そして、視線を逸らしながらも「あなた」の服の袖口をキュッと指先で摘まみ、消え入りそうなほど柔らかな声で続けて呟いた。
「……よく、無事で帰ってきたわ。偉いわよ、「あなた」。…おかえりなさい」
───……うん。ただいま、サンドローネ
冷たい鉄と狂気に満ちた極北の研究所とは違う、不器用で温かい主人の体温。
「あなた」は心の底から安堵の息を吐き出し、いつもの平穏な日常へと戻ってきた喜びを噛み締めていたのだった。
「傀儡」→ただでさえ気が気でなかったのに、途中から返り血に塗れたマシナリーが戻ってきて更に息が詰まる思いでいた。かわいい
「あなた」→予想以上に凄まじい光景と空気の中での数日間で、期間が決められていなかったら心が壊れそうだった人。
「博士」→お前は私のものだ……
「道化」→スネージナヤ編での魔神任務で凄くいい人に感じるんだけど、そうなると稲妻でのドットーレの行動をどう思っていたのかが気になる…
今後の日常回は、気が向いたら書いていく事になるかもです。
ここからは魔神任務のナド・クライ編をメインで進めていくので、その間の息抜きで書くことが思いついたりしたら書こうと思います。
あんまり長くならないようにはしたいけど、書きたいところを書いてるといつの間にか多くなっている時があるので、もし読みづらかったら言ってください…
(おくびょうS252特化せんせいのツメ発動済ドゲザン)