仮面ライダーダッシュ   作:山都撫子

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第2話「100億円のクォーターバック」

 激しい重低音のBGMと共に、スタジアムの巨大スクリーンが爆発的な光を放つ。

 

 画面に映し出されているのは、昨夜、日本中を震撼させたあのスロー映像だ。

 

 白銀と紅の装甲を纏った戦士──仮面ライダーダッシュが、十数メートルものコンクリートの壁の側面を、重力を無視して真横に疾走している。凄まじい火花が夜闇を切り裂き、上空のドローンカメラがその命知らずな美技を完璧なアングルで捉えていた。

 

 必殺の音声と共に、時速300キロに達したダッシュの右足が、怪人・ファールの胸を容赦なく貫く。光のゴールテープが弾けるような大爆発。その直後、画面は現代的なニューススタジオへと切り替わった。

 

『──歴史が動いた、と言っても過言ではありません! 昨夜行われた陸上100m日本代表選考会で、突如現れたファールを撃破した謎の戦士! その正体は、4年前にアキレス腱を断裂し、表舞台から姿を消していた……あの『ガラスの天才』速水駆選手でした!』

 

 スタジオの男性アナウンサーが、カメラに身を乗り出し、酸欠になりそうなほどの熱量でマイクに怒鳴り散らしている。彼の背後の大型モニターには、4年前の国際大会で駆が悲劇的な転倒を喫した瞬間の写真と、昨夜、圧倒的な速度で復活を遂げたダッシュの姿が並べて映し出されていた。

 

『IOF──国際オリンピア連盟は、戦闘直後に速水駆選手を日本代表のアスリートライダーとして正式承認!ご覧ください、このSNSの反応を!タイムラインが完全にフリーズするほどの狂騒です!』

 

 画面の端で、秒間数万件という異次元の速度でスクロールしていく視聴者のコメントが映し出される。

 

『あのガラスの脚が復活とか胸熱すぎる!』

 

『ダッシュの壁走り、何回見ても鳥肌立つんだが!』

 

『日本のWARBインデックス、一晩で跳ね上がりすぎワロタ』

 

『これで世界と戦えるのか!?』

 

 女性アナウンサーも、興奮を隠しきれない様子で手元の資料をめくった。

 

『ええ! さらに驚くべきは、この劇的な勝利によって、我が国の経済インデックスが予測値を遥かに上回る『前日比プラス12%』を記録したことです! まさに、一人の走者が国家の富を動かした瞬間です!』

 

『これぞスポーツが世界のすべてを支配する、次世代国家対抗戦『WARB』の真髄! 天才の絶望からの復活劇という極上の『ドラマ』に、今、日本中が……いや、世界中が熱狂しています!』

 

 テレビのスピーカーから溢れ出る、狂ったような興奮。

 しかし、その声を冷徹に見下ろす者が、上空一万メートルにいた。

 

 クリスタルグラスの中で、琥珀色の高級シャンパンの泡が静かに弾けた。

 

 外界の喧騒が一切届かない、静寂に満ちたプライベートジェットのファーストクラス。床には毛足の長い絨毯が敷き詰められ、本革のソファに深く腰掛けた男が、ホログラムタブレットを眺めている。

 

 レックス・ジョーンズ。

 

 アメリカ代表の仮面ライダーであり、世界で最も稼ぐ最高峰のアスリート。通称『100億円のクォーターバック』。

 

 仕立ての良い高級スーツに身を包んだその肉体は、服の上からでも分かるほどに強靭で、無駄な脂肪が一切削ぎ落とされている。彫刻のように整った顔立ち。だが、その瞳にはスポーツマンとしての爽やかさは微塵もない。あるのは、すべてを数字と利益で測る、極めて冷酷なビジネスマンの光だ。

 

 彼が眺めているのは、日本のメディアが流すようなお涙頂戴のニュースではない。IOFの最高機密である、仮面ライダーダッシュの詳細な戦闘ログと生体データだった。

 

 画面には、駆の心拍数、筋肉の収縮速度、そして右足首の『アキレス腱断裂跡』の3Dモデルが赤く不吉に点滅している。

 

「……ハハッ。奇跡のドラマ、か。相変わらずイエローメディアは、安いドキュメンタリーが好きだな」

 

 レックスは低く、傲慢な笑い声を漏らした。長い指先で画面をスワイプすると、彼の専用ギア『オリンピアドライバー』と、金色に輝く『エッジメダル』の精密な3Dモデルが表示される。

 

「WARBはエンターテインメントであり、国家の富を合法的に奪い合う、極上のビジネスだ。1秒の遅れ、1ミリの無駄が数億ドルの損失を生む。他人の感情や感傷に寄り道しているような三流ランナーに、このトップ戦線を走る資格は無い」

 

 レックスはグラスを傾け、冷たい液体を喉に流し込んだ。

 

 窓の外には、雲海を抜けて、夜の宝石箱のように輝く東京の街並みが広がりつつある。今回の来日は、日米親善エキシビションという名目の、単なる市場開拓(プロモーション)に過ぎない。

 

「日本のマーケットも、すぐに俺たちの色に塗り替えてやる。……おい、US-01」

 

 レックスが呼びかけると、机の上で待機していた小型のサポートドローンが、ピコッと電子音を立てて浮上した。レックスはそのレンズを冷たく見据える。

 

「あのドブネズミの情報(スタッツ)はすべて頭に入れた。エキシビションで、世界に教えてやる。本物の『プロ』の走りがどういうものかをな」

 

 レックスの口元が、不敵に、そして残虐に歪んだ。

 

「お前のアキレス腱が次に千切れる瞬間が、今から楽しみだよ……Mr.ハヤミ」

 

 夜空を切り裂き、巨大なプライベートジェットが東京へと降下していく。

 

 世界の頂点に君臨する『100億円の怪物』が、ついに日本へと上陸する。

 

 速水駆の前に立ちはだかる、あまりにも巨大で冷徹な世界の壁。二人の激突を予感させるように、飛行機の翼が夜闇の中で怪しく明滅していた。

 

 

 重々しい電子音が静まり返った部屋に響き、金属製の分厚い自動扉が左右にスライドした。

 

 そこは、最新鋭のトレーニングマシンやホログラム式の走行シミュレーターが整然と並びつつも、窓が一つもなく、まるで地下のシェルターか監獄を思わせる殺風景な空間だった。

 

 駆は、上半身裸の状態で、最新型の中央スキャンベッドの上に仰向けに横たわっていた。

 

 彼の細身ながらもしなやかに引き締まった右足首には、昨夜の激戦による負荷の代償として、うっすらと赤黒い鬱血が浮かび上がっている。

 

「……あの、すみません。そろそろベッドから降りても大丈夫でしょうか。次の練習のスケジュールを確認したくて」

 

 駆は申し訳なさそうに、しかしどこか焦りをにじませた声で、傍らに立つ白衣の女性に尋ねた。元会社員らしい丁寧な物腰。だが、その瞳には少しでも早くトラックに戻りたいという切実な願いが宿っていた。

 

 彼の前に遮るようにして立ち塞がったのは、IOF(国際オリンピア連盟)日本支部に所属する最年少の次世代ギアエンジニア、五代(ごだい)(りん)だった。彼女は手元のタブレットに表示される膨大な文字列に鋭い視線を走らせている。

 

「ダメです、動かないで! 速水くん、自分の脚が今どういう状態か分かってるの!?」

 

 輪は強い口調で制しながら、タブレットの画面を駆の目の前に突きつけた。そこには、駆の右足首の筋肉組織とアキレス腱が、今にも千切れそうなほどに赤く変形していくシミュレーション映像が映し出されていた。

 

「オリンピアドライバーは、人間の『エゴ』──つまり精神力をそのまま物理的な駆動エネルギーに変換するギア。でも、あなたの肉体はその莫大な出力に全く追いついていないの。特にその右足首! 昨日は奇跡的に保ったかもしれない。でも、次にあんな無茶な加速をしたら……今度こそ、本当に二度と歩けなくなる!」

 

 輪の言葉は技術者として冷徹だったが、その大きな瞳には駆の選手生命を心から心配する、真摯な優しさが宿っていた。

 

 駆はタブレットの映像を見つめ、静かに息を吐いた。そして、自分の腫れた右足首にそっと手を置く。

 

「……心配してくれて、ありがとうございます、五代さん。怒らせるようなことを言って、すみませんでした」

 

 駆はベッドの上で小さく頭を下げた。周囲に迷惑をかけていることへの自責の念が、その表情にはっきりと浮かんでいる。

 

「でも……昨日、あのドライバーが俺の心に反応してくれた時、信じられないくらい体が軽かったんです。4年前にアキレス腱を切って、世界から『もう終わった選手だ』って言われて……。一度は諦めてサラリーマンにもなった。でも、心のどこかでずっと立ち止まったままの自分がいたんです」

 

駆はゆっくりとベッドから脚を下ろし、床を踏みしめる。アキレス腱の奥からズキリと鈍い痛みが走るが、駆の目はまっすぐに輪を見つめていた。

 

「昨日の戦いで、自分のためじゃなく、誰かのためにまた全力で走れた気がしたんです。だから……他人の評価や連盟の思惑はどうでもいい。俺を待ってくれている人のために、もう一度だけ、この脚でスタートラインに立ちたいんです」

 

「速水くん……」

 

 輪は息を呑んだ。破滅の恐怖に怯えながらも、他者のために、そして自らの失われた時間を取り戻すために走ろうとする、あまりにも誠実で、静かに燃え盛る熱い執念。その圧倒的な輝きに、輪の胸は激しく高鳴っていた。この人を、絶対にここで終わらせてはいけない、と。

 

「おーおー、朝から熱いねぇ。若さってのは羨ましいこった」

 

 部屋の隅、パイプ椅子に踏んぞり返ってスポーツ新聞を読んでいた男が、めんどくさそうに声をあげた。チーム・ダッシュの監督である織田(おだ)(れん)だ。

 

「織田さん……」

 

 駆は居住まいを正し、監督に向き直った。

 

「連盟の上が俺を『日本代表』として政治や株価のパンダに利用しようとしているのは、俺にも分かります。俺みたいな無名な元選手じゃ、力不足なのも……。でも、怪人が出なきゃ走ることも許されないなんて、それはやっぱり、純粋にスポーツを愛する人たちに対して不誠実だと思うんです」

 

 織田は新聞をパサリと閉じると、眠そうな目で駆を見た。

 

「不誠実、ねぇ。速水、お前はまだお利口さんが過ぎるな。WARB(ここ)はな、純粋なアスリートが汗を流す聖域じゃねえ。巨大な資本と、国家の面子がルールを殴りつける、ただの戦場だ。お前がいくら正論を吠えたところで、連盟が『止まれ』と言えば、お前のドライバーの電源は遠隔で切られる。それが現実だぞ」

 

「……それでも、俺は走ります。変えられない現実があるなら、それを追い越すくらい速く走るしか、今の俺にはできないから」

 

 駆は毅然と言い放ち、深く一礼した。織田はその様子を意外そうに見つめ、フッと小さく鼻で笑った。

 

 その時、部屋の天井に設置されたスピーカーから、無機質なシステム音声が鳴り響いた。

 

『──チーム・ダッシュに通達。日米親善エキシビションの開始時刻となりました。速水駆選手は、速やかに特設スタジアムの記者会見場へ移動してください』

 

 織田がよっこらしょ、と重い腰を上げる。

 

「ほら、お出ましだ。お前を大金に変えるための、派手な見世物小屋の始まりだ。行くぞ、日本代表の『新星』さん」

 

「はい。五代さん、治療ありがとうございました。行ってきます」

 

 駆は連盟から与えられた日本代表のユニフォームを丁寧に着用すると、凛とした足取りで廊下へと歩き出した。その後ろ姿を、輪は祈るような思いで見つめ、彼をサポートするための最新データが詰まったタブレットを固く抱きしめた。

 

 

 眩いばかりのフラッシュの光が、無数に交錯していた。

 

 世界各国の主要メディアが集まる記者会見場。壇上には巨大なWARBのロゴが掲げられ、その中央に、速水駆と、本日来日したアメリカ代表のレックス・ジョーンズが並んで座っていた。

 

「レックス選手! 今回の来日、 日本の新代表である速水選手についての印象をお聞かせください!」

 

 記者がマイクを突きつけると、レックスはカメラに向かって非の打ち所がない完璧なハリウッドスマイルを浮かべ、流暢な英語で答えた。

 

「日本の皆さん、ハロー。まずはハヤミの劇的な復活に、心からの敬意を表したい。4年のブランクを跳ね除けて戦う彼の姿は、まさに真のアスリートだ。今回の親善エキシビションで彼とクリーンなプレイができることを、アメリカ代表として誇りに思うよ」

 

 パチパチパチ、と会場から割れんばかりの拍手。レックスは隣の駆に向けて、爽やかに右手を差し出した。

 

 駆は一歩引き、まずは「ありがとうございます」ときちんと一礼してから、その手を両手で丁寧に握り返した。

 

「レックス選手のような世界トップの方と言葉を交わせて、本当に光栄です。今の俺はまだまだ未熟ですが、日本の代表として、恥じない走りを全力でお見せしたいと思います」

 

 謙虚でありながらも、一歩も引かない芯のある駆の言葉。カメラのフラッシュが一斉に焚かれ、日米の代表が固い握手を交わす美しい絵が世界中に中継される。

 

「──ありがとうございました。これにて記者会見を終了します」

 

 司会者のアナウンスと共に、壇上の照明が落とされ、記者たちが一斉に退場していく。ステージの上が二人だけになった瞬間レックスの顔から、先ほどまでの爽やかな笑みが、まるで仮面を剥ぎ取るようにして完全に消え失せた。

 

 レックスは握っていた駆の右手を、ギリ、と不自然な強さで締め付けた。

 

「……っ」

 

 駆は痛みに眉をひそめたが、声を荒げることはせず、静かにレックスの目を見つめた。

 

「ハヤミ。お前、自分が健気な復帰ランナーを演じれば、世界が味方してくれるとでも思っているのか?」

 

 レックスは駆の手を掴んだまま、至近距離まで顔を近づけた。その瞳は冷たく、残酷なビジネスマンのそれへと変貌していた。

 

「アキレス腱を一度切った負け犬が、代表面して俺の隣に座るな。お前の昨日の情報(スタッツ)はすべて俺の『US-01』に叩き込んである。直線しか走れないドブネズミが」

 

 あまりにも理不尽な暴言。しかし、駆の瞳から光は消えなかった。彼はレックスの威圧感に気圧されることなく、むしろ静かな気迫を込めて、真っ直ぐに言い返した。

 

「……確かに、今の俺のデータはレックス選手より遥かに劣っているかもしれません。怪我のブランクもあります。でも」

 

 駆はレックスの手を自らの力でじわりと押し返し、静かに、しかし確かな拒絶の意思を示した。

 

「俺は、俺を応援してくれる日本の人たちの想いを背負ってここに立っています。その想いを『負け犬』なんて言葉で侮辱することは、絶対に許しません。データがどうあれ、俺はあなたに負けないくらい、本気で世界と戦うつもりです」

 

「……チッ」

 

 レックスは駆の手をへりくだって振り払うと、ポケットから最高級のハンカチを取り出し、触れた右手を念入りに拭い始めた。駆の予想以上の芯の強さに、わずかに不快感を覚えたのだ。

 

「今回のエキシビションは、アメリカの市場価値(インデックス)を高めるためのプロモーションだ。俺の国益の邪魔をするな。次にお前がフィールドに立った時が、本当の引退試合になると思っておけ」

 

 レックスはハンカチを床に投げ捨てると、背を向けて悠然と歩き去っていった。

 

 ステージに取り残された駆は、落ちたハンカチをそっと拾い上げ、近くのゴミ箱へ静かに捨てた。そして、レックスが去った扉の向こうをじっと見据える。

 

(世界は、想像以上に冷たくて強い。……でも、だからこそ、絶対に立ち止まるわけにはいかないんだ)

 

 駆は小さく拳を握りしめ、自分を奮い立たせるように、深く、静かに息を吸い込んだ。

 

 翌日、スタジアムを埋め尽くした数万人の観衆から、割れんばかりの歓声が地鳴りのように響いていた。

 

 日米親善エキシビション。それは形を変えた事実上の経済戦争の幕開けだった。上空には、日本の『JP-01』、アメリカの『US-01』をはじめ、各メディアの無人中継ドローンが何十機と蜂のように飛び交い、ピコピコと電子音を鳴らしながらその様子を全世界へリアルタイムで配信している。

 

 スタジアムの傍らに設置された、ガラス張りのチーム・ダッシュ専用ピット。

 

 駆は、支給されたばかりの日本代表ジャージを身に纏い、息を呑んで競技場を見つめていた。その視線の先では、アメリカ代表のレックスが、大歓声に応えて華麗なジャンプを決め、カメラに向かってウインクを飛ばしている。その一挙手一投足に連動して、電光掲示板に表示されたアメリカチームの市場価値(インデックス)の数値が跳ね上がっていく。

 

「信じられない……。ただ歩いて、手を振るだけで、あんなに数字が動くなんて」

 

 駆の呟きに、隣でノートPCのキーボードを高速で叩いていた輪が、苦渋に満ちた表情で頷いた。

 

「それが『100億円のクォーターバック』の市場価値よ、速水くん。WARBにおいて、ライダーはただの選手じゃない。国家の経済を牽引する巨大な『ドル箱』なの。特にレックス・ジョーンズは、全米のアスリートビジネスを一身に背負う怪物。彼の戦いは、最初から最後まで完璧に計算された『ショー』なのよ」

 

 駆は自分の右足首に巻かれた、輪の手製のサポーターに触れた。まだ鈍い痛みが残っている。しかし、世界最高峰のステージを目の当たりにして、元アスリートとしての、そして一度はすべてを失った男としての静かな闘志が、胸の奥で確かにパチパチと音を立てて燃え始めていた。

 

 その時だった。

 

 突如として、スタジアムの強固なコンクリートの床が、激しい地響きとともに内側からせり上がった。

 

 大歓声が瞬時に悲鳴へと変わる。中央の芝生広場が大きく割れ、そこから泥のような黒いエネルギーが噴出。煙の中から現れたのは、全身を巨大な(ケージ)のような装甲で覆い、その両腕に鋼鉄のリングを嵌めた異形の怪人――バスケット・ファールだった。

 

「選考漏れだ……! 俺のシュート成功率は98%だったッ! なのに、連盟のデータが足りないというだけで、俺は代表から切り捨てられたァァァッ!」

 

 ファールは狂ったように叫ぶと、両腕のリングから黒いエネルギーで形成された巨大なバスケットボールを乱射し始めた。直撃を受けた特設ステージが粉々に砕け散り、逃げ惑う観客たちの間に容赦なく瓦礫が降り注ぐ。

 

「ファール……!五代さん、ドライバーを!」

 

 駆が即座に飛び出そうとした瞬間、その肩をガシッと強い力で掴む者がいた。監督の織田だ。織田はいつになく鋭い目で駆を見据え、首を横に振った。

 

「待て、速水。まだお前の脚の調整は終わってねえ。今出れば、本当にアキレス腱が消し飛ぶぞ」

 

「でも、織田さん! あそこに逃げ遅れた人たちが……昨日、俺を助けてくれたあの女の子もいるんです! 見過ごせるわけがない!」

 

 駆の視線の先には、先日のスタジアムにもいたあの少女が、椅子の隙間に挟まり、恐怖に震えながら泣き叫んでいた。目の前には、ファールが放った炎が迫っている。

 

 人々を守りたい。その優しさと誠実さが、駆の心の中で激しい「エゴ」となって爆発しようとしていた。

 

 だが、その駆を遮るようにして、ピットの前にゆっくりと進み出る影があった。

 

 レックス・ジョーンズ。

 

 彼は焦る様子も、恐れる様子も微塵もなく、ただ冷徹に、倒壊していくスタジアムの惨状を見つめていた。そして、背後の駆に向けて、振り返りもせず言い放った。

 

「下がっていろ、日本のドブネズミ。怪我人の出る幕じゃない。……ここからは、真のプロフェッショナルによる『100億円のビジネス』の時間だ」

 

レックスは腰に、金色に輝く重厚なベルト・オリンピアドライバーを装着した。

 

《Down Set Hut》

 

 右手に持った、アメフトのヘルメットを模した造形が刻まれたエッジメダルを親指で弾き、巧みなキャッチとともにドライバーのスロットへと滑り込ませる。

 

Bring it on, you cheater(かかってこい、反則野郎)!」

 

Henshin(変身)!」

 

《READY BREAK!!!! Athlete Rider BLITzzzz!!!!》

 

 激しいエレクトロサウンドとともに、レックスの全身を、分厚い漆黒のプロテクターと、雷撃の如きゴールドのラインが走り抜ける。頭部には、バイザーの奥で一対の鋭い電子眼が青く輝くヘルメットが装着された。

 

 アメリカ代表――仮面ライダーブリッツ。

 

その威風堂々たる姿が顕現した瞬間、上空の『US-01』をはじめとする全ドローンカメラのレンズが一斉に彼をロックオンした。

 

『──視聴熱(オーディエンス・レート)急上昇。全世界中継、接続開始』

 

 ファールがブリッツを視認し、十数発もの超高速エネルギー弾を同時に射出した。気をも引き裂く弾幕が、ブリッツの全身へと襲いかかる。

 

 しかし、ブリッツは避けない。避けるどころか、腰を深く落とし、アメフトのクラウチングスタートの構えをとった。

 

 バチバチと、その重装甲の排気口から金色の電撃が迸る。

 

「ターゲット・ロック。……これより、全米へ向けた最高のショータイムを始める。オーディエンス、レートを稼ぐぞ」

 

 ブリッツが地面を蹴った。

 

 ソニックブームを置き去りにするほどの圧倒的な突進力。ブリッツは、正面から迫るファールの高速弾を、その頑強な肩のプロテクター・ショルダードーザーだけで次々と弾き飛ばし、文字通り正面粉砕しながら一直線に突き進んでいく。

 

「な、何だと!?」

 

 驚愕するファール。ブリッツはその巨体に寸前のところで急ブレーキをかけると、上空でホバリングしている『US-01』のカメラに向けて、わざわざ親指を立ててみせる派手なパフォーマンスを挟んだ。

 

 その瞬間、世界中の視聴熱(オーディエンス・レート)が爆発的に上昇し、スクリーンに表示されたアメリカチームの株価が急垂直に跳ね上がっていく。

 

「これだ。世界が求めているのは、圧倒的な力と、洗練された勝利のビジョンだ」

 

 ブリッツは冷徹に言い放つと、右拳に雷撃を纏わせ、ファールの胸へと強烈なストレートを叩き込んだ。

 

 金属音が響き渡り、ファールの巨体が何十メートルも後方へと消し飛ばされ、スタジアムの壁に激しく激突した。

 

 その圧倒的な強さに、駆は息を呑んだ。

 

 ただ強引に戦っているのではない。ブリッツの動きは、自分の見せ方、ドローンの位置、そして観客の心理までをも完全に計算し尽くした、究極のエンターテインメントだった。泥臭く走るだけの自分とは、あまりにも次元が違う、世界トップの「壁」。

 

 しかし、追い詰められたファールは、まだ死んでいなかった。

 

 壁に埋まったまま、ファールは血の涙のような黒い泥を流しながら、狂ったように笑った。

 

「ハハ……ハハハ! プロだと? ビジネスだと? ふざけるなァ! 俺の人生を狂わせたデータごと、すべて灰にしてやるッ!!」

 

 ファールが両腕を天に掲げると、周囲の瓦礫や鉄骨が磁石のように引き寄せられ、彼の頭上に、直径数十メートルにも及ぶ鋼鉄の巨大なバスケットゴールが形成されていった。その中心には、超高熱のエネルギーが渦巻いている。

 

「死ね、エリートどもがァァァッ!」

 

 ファールが腕を振り下ろす。

 

 質量とエネルギーの塊である巨大なゴールが、凄まじい轟音とともに、逃げ遅れた人々――そして、あの少女が取り残された観客席へと向かって、容赦なく落下し始めた。

 

「チッ……想定外(イレギュラー)だな。効率が悪すぎる」

 

 ブリッツは一瞬、その落下軌道と自分の位置を計算した。救助に向かえば、自分の戦闘評価にタイムロスが生じる。彼は冷徹に、救助を後回しにしようとした。

 

 だが、その冷酷な計算を、ピットから飛び出した一人の男の叫びが完全に打ち破った。

 

「止まってたまるかァァァーーーーッ!!!」

 

 駆だった。

 

 彼は織田の静止を振り切り、輪の手からドライバーを強引にひったくると、走りながらそれを腰へと叩きつけていた。

 

 右足首が悲鳴を上げる。サポーターが激しい負荷で千切れそうになる。だが、駆の心にある「誰かを守りたい、二度と誰も見捨てない」という誠実な優しさが、限界を超えた強烈な『エゴ』となって、ドライバーのコアを限界突破(オーバーロード)させていく。

 

「五代さん! 織田さん! 俺は……絶対に誰も見捨てない! 届いてくれ、俺の、脚ッ!!」

 

 駆はポケットからスプリンターメダルを滑り込ませた。

 

《START DASH!!!! Athlete Rider DAShhhh!!!!》

 

 激しい閃光が爆ぜ、仮面ライダーダッシュが白煙を突き抜けて出現し、落下する鋼鉄の巨塊へと向かって、トップギアの加速を開始した。

 

「ハヤミ!? バカめ、スプリンターの直線加速だけであの質量を受け止めきれるか!」

 

 ブリッツが驚愕の声をあげる。

 

 まともに激突すれば、ダッシュの肉体ごと観客席が消し飛ぶ。

 

 だが、ダッシュのバイザーの奥の瞳は、極限の集中状態でクリアに冴え渡っていた。

 

(受け止めるんじゃない。俺の速度を、全部ぶつけて――軌道を変える!)

 

 ダッシュはさらにピッチを上げた。時速1150キロ、200キロ、250キロ。右足首のパーツからバチバチと青い火花が散り、強烈な負荷で排気口から白煙が吹き出す。

 

「ウオォォォォォッ!!!」

 

 落下の直前、ダッシュは限界を超えた超高速のまま、前方へと強烈なスライディングを敢行した。地面と装甲が擦れ合い、凄まじい火花の帯が駆け抜けるダッシュの道に走る。

 

 ダッシュはその滑り込みの勢いと速度を維持したまま、落下する鋼鉄のゴールの最下部へと、自らの右足を楔のように滑り込ませた。

 

 そして、下から上へと、渾身の力で右足を蹴り上げたローキック。

 

 凄まじい衝撃波がスタジアムを震撼させた。

 

 時速300キロに達したダッシュの突進エネルギーが、落下の質量と真っ向から衝突する。ギギギ、と不快な金属疲労音が響く中、ダッシュは歯を食いしばり、全エゴを出力へと注ぎ込んだ。

 

「あっちへ……行けェェェーーーッ!!!」

 

 一瞬の拮抗。次の瞬間、ダッシュの超高速キックの推進力が勝り、数トンはある鋼鉄の巨大ゴールが、まるで弾かれたピンボールのように軌道を大きく歪められ――誰もいない中央の芝生広場へと、激しい轟音を立てて激突・大爆発した。

 

 凄まじい爆風がトラックを吹き抜ける。

 

 観客席の少女は無傷だった。呆然と目を開けた少女の視線の先で、真紅のライダーがゆっくりと立ち上がる。

 

「……はぁ、はぁ、はぁ……!」

 

 ダッシュの右足からは激しく煙が上がっていたが、彼は確かに、自分の速度だけで絶望の軌道を変えてみせたのだ。

 

 その光景を、上空の『JP-01』が至近距離で捉えていた。

 

『──オーディエンス・レート、急上昇! 日本チームのインデックス、前日比をさらに更新!』

 

「チッ……無茶苦茶な走りをする」

 

 ブリッツが忌々しそうに、しかしその電子眼を鋭く光らせてダッシュを睨みつける。計算外のイレギュラー。だが、世界最高峰の男に、その走りの価値を認めさせるには十分すぎる一撃だった。

 

「おのれ……おのれ、おのれぇぇぇッ! 邪魔をするなァ、日本の型落ちがァァァッ!」

 

 爆炎の向こうから、全身のケージ装甲を真っ赤に加熱させたバスケット・ファールが、怒り狂って突進してきた。その両腕の鋼鉄リングが激しく回転し、周囲の瓦礫を弾丸のように巻き込みながら、猛烈なサイクロンとなってダッシュへと襲いかかる。

 

「はぁ、はぁ……!」

 

 装甲の内で、駆の呼吸は激しく乱れていた。

 

 先ほどの超高速スライディングの衝撃、そして数トンの質量を強引に蹴り上げた反動で、全身の細胞が悲鳴を上げている。特に右足首の『トップギア・レガース』からは、過負荷(オーバーロード)を示す激しい白煙がプシューッと吹き出していた。輪の手製サポーターが辛うじて肉体の崩壊を繋ぎ止めているが、もう一度同じような衝撃を受ければ、今度こそ脚が千切れる。

 

 一歩を踏み出そうとしたダッシュの膝が、激痛でわずかにガクリと震えた。

 

「死ねぇッ!」

 

 ファールの鉄輪が、ダッシュの脳裏へ向かって容赦なく振り下ろされる。

 

 防げない──そう確信した刹那、ダッシュの視界を、金色と漆黒の分厚い壁が遮った。

 

 激しい金属音がスタジアムに木霊する。

 

 ブリッツがその頑強なショルダードーザーを突き出し、ファールの突進を正面から完全に受け止めていたのだ。ビシビシと金色の電撃が迸り、怪人の暴走を力ずくで押し留める。

 

「レックス選手……!」

 

「勘違いするな、ハヤミ」

 

 ブリッツはバイザーの奥の青い電子眼を冷酷に光らせたまま、背後のダッシュを一瞥もせずに言い放った。

 

「救助という最悪のタイムロスを出したお前のせいで、このゲームのタイムラインが秒単位で狂っている。これ以上のイレギュラーは我が国の株価(インデックス)に関わる。……下がっていろと言ったはずだ」

 

「でも……!」

 

「プロのエリアに、アマチュアが足を踏み入れるな」

 

 ブリッツはファールを力任せに押し返すと、腰のオリンピアドライバーのスターターレバーを強く押し込んだ。

 

《TOUCH DOWN》

 

 緊迫した電子音声がスタジアムに鳴り響く。ブリッツの全身の装甲が眩いゴールドの光を放ち、その右足に、アメフトの楕円球を模した巨大な雷撃のエネルギーが収束していく。

 

「これで終わりだ。……オーディエンス、俺のプレイに全額賭けろ!」

 

 ブリッツが爆発的な踏み込みで跳躍した。上空で綺麗に身を翻し、ファールに向けて強烈なドロップキックを放つ構えをとる。必殺技『ブリッツ・タッチダウン』。その一撃で、すべてを終わらせるつもりだった。

 

 しかし、ファールは狂ったように笑った。

 

「読めるんだよ、お前の完璧なデータはァッ!」

 

 ファールは自らの胸のメダルを鷲掴みにすると、それを無理やり内側へと押し込んだ。肉体が歪に膨れ上がり、彼の周囲の空間そのものが、まるで重力場のように激しく歪み始める。

 

 空間の歪みに囚われ、空中へ放たれたブリッツの突進軌道が、まるで目に見えない壁に衝突したかのようにピタリと停止させられた。

 

「何だと!?」

 

 ブリッツのバイザーの奥に、初めて明らかな驚愕が走る。

 

「捕まえたぞ、全米のスターがァッ! お前と一緒に、このスタジアムごと爆発してやる!」

 

 ファールの全身が、自爆寸前のエネルギーで赤黒く膨れ上がっていく。空間を固定されたブリッツは、空中から身動きが取れない。計算し尽くされたプロの戦術が、怪人の理性を捨てた暴走によって破綻しかけていた。

 

 上空の『US-01』がその危機を捉え、アメリカチームのインデックスが急速に下降を始める。

 

 ピットの中で、輪がノートPCの画面を見つめて悲鳴を上げた。

 

「嘘……ファールの周囲の空間密度が跳ね上がってる! レックス選手が拘束されて……このままだと、スタジアムの半分が吹き飛んじゃう!」

 

 織田が苦々しく吐き捨てた。

 

「チッ、データの限界だな。これだから、ルールを殴りつける怪人ってのはタチが悪い……」

 

 その時だった。

 

 ボロボロの、しかし真紅の輝きを失っていない走者が、バイザーに映し出されたトラックの白線(レーン)を見つめて深く腰を落とした。

 

「速水……! お前、まさかその脚でまた走る気か!?」

 

 織田が驚愕の声をあげる。

 

 ダッシュは、右足首の激痛に耐えながら、バイザーの奥の目を真っ直ぐに前方へと向けた。

 

「織田さん。レックス選手の言う通り、俺の走りは泥臭くて、計算もできない三流かもしれません。……でも」

 

 ダッシュの全身の排気口から、バチバチと激しい青い火花が散る。ドライバーが、駆の「誰も死なせない、絶対に全員でゴールする」という誠実な優しさを吸い上げ、限界を超えたエネルギーへと変換していく。

 

「あそこで捕まっているレックス選手も、まだ諦めてない。必死に戦ってる! アスリートがフィールドの上で命を懸けているなら……それを助けるのが、同じアスリートの役目だッ!!」

 

「速水くん……!」

 

 輪が祈るように胸の前で手を組む。

 

《FINAL LAP》

 

 ダッシュの腰のドライバーから、緊迫したカウントダウンが鳴り響いた。

 

《SPRINTER FINISH!!!》

 

「ウオォォォォォッ!!!」

 

 ダッシュが爆発的な一歩を踏み出した。

 

一瞬で時速100キロ、200キロ、そして限界値の300キロを突破する。右足首のパーツが金属疲労で悲鳴を上げ、火花と白煙が長い尾を引く。それはまるで、スタジアムの夜闇を駆ける一筋の「流星」のようだった。

 

「無駄だ! 直線しか走れないお前が、この歪んだ空間に突っ込めば、肉体がねじ切れるぞ!」

 

 ファールが叫ぶ。

 

 確かに、正面から突っ込めば空間の歪みに囚われる。

 

 だが、ダッシュの目は冷徹に、ファールの足元――歪んでいない唯一の直線を捉えていた。

 

(歪みがあるのは、ファールの上半身と空気中だけだ。なら──)

 

 激突の直前、時速350キロに達したダッシュは、地面へと完全に身体を伏せた。

 

 陸上競技のスタートダッシュよりもさらに低く、地面からわずか数センチの隙間を、ソニックブームを纏いながら弾丸となって滑り込む。空間の歪みの『下』を、完全に潜り抜けたのだ。

 

「何っ!?」

 

 ファールが驚愕した瞬間、その足元を真紅の閃光が駆け抜けた。

 

 すれ違いざま、ダッシュは残ったすべての推進力を右足へと集中させ、ファールの軸足を強烈に払いのけた。

 

 激しい衝撃が走り、ファールの巨体が大きくバランスを崩す。足元をすくわれたことで、上半身が維持していた空間の拘束が、ガラスが割れるようにして一瞬で霧散した。

 

「が、はっ!?」

 

「今だ……レックス選手ーーーッ!!」

 

 滑り込んだ姿勢のまま、ダッシュが上空へ向かって絶叫する。

 

 拘束から解き放たれ、空中で自由を取り戻したブリッツの青い電子眼が、鋭く輝いた。

 

「……フン。言われなくとも、俺のプレイに不可能は無い!」

 

 ブリッツは空中で再加速をかけ、雷撃の楕円球を完全に足先にロックした。そのまま、バランスを崩して無防備になったファールの脳裏へと、完璧なフォームの必殺キックを突き刺す

 

《EDGE FINISH!!!》

 

BLITZ TOUCH DOWN(ブリッツ・タッチダウン)!!!」

 

 スタジアム全体を、金色の雷撃と激しい大爆発が包み込んだ。

 

 ブリッツの圧倒的な破壊力がファールの胸を直撃し、その中心にあったメダルを、文字通り粉々に粉砕する。

 

「オレの……オレのスコアがぁぁぁっ!」

 

 怪人の絶叫が爆音に消き消され、黒いエネルギーが霧散していく。光のゴールテープが弾けるような鮮やかなエフェクトがスタジアム全体へ広がり、元の静寂が戻ってきた。

 

 煙がゆっくりと夜風に流されていく。

 

 中央広場には、変身を解除され、泥のように意識を失って倒れた元スター候補の男の姿だけが残されていた。

 

 カチャ、カチャ、カチャ。

 

 上空から、日米のドローンカメラがゆっくりと降下し、二人のライダーの前にレンズを向ける。

 電光掲示板のリザルトが点滅した。

 

 ―――――

 

 エキシビション:終了(GAME SET)

 勝者:仮面ライダーブリッツ / 仮面ライダーダッシュ

 アメリカ・インデックス:V字回復

 日本・インデックス:過去最高値を記録(CLEAR)

 

 ―――――

 

ブリッツはドローンカメラに向かって、何事もなかったかのようにヘルメットを軽く叩き、全米の視聴者へ向けた勝利のポーズを決めてみせた。そのプロフェッショナルな姿に、再び観客席から大歓声が沸き起こる。

 

一方、ダッシュは静かに変身を解除した。

光の粒子が消え、元の日本代表ジャージ姿に戻った駆は、激しい疲労と右足首の激痛で、その場に力なく片膝をつく。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 全身から湯気を立て、泥に汚れた顔で呼吸を整える駆。

 

 そんな彼の前に、カツ、カツ、と静かな足音が近づいてきた。変身を解除したレックスが、ポケットに手を突っ込んだまま、見下ろすように立っていた。

 

 レックスは、床に落ちていた駆のサポーターの千切れた破片を、つま先で軽く転がした。

 

「他人のために自分の脚を危険に晒すなど、アスリートとしては救いようのない三流だ。……タイムラインも大幅に狂った」

 

 レックスの言葉は相変わらず冷たかった。しかし、その瞳からは先ほどまでの「ドブネズミ」と見下すような侮蔑の光は完全に消えていた。レックスは駆をまっすぐに見据え、不敵に口元を上げる。

 

「だが……あの歪んだ空間の下を潜り抜けるスライディングの判断速度だけは、俺の『US-01』のデータにも入っていなかった。認めよう。お前はただの型落ちじゃない。排除すべき戦士(アスリート)だ」

 

 レックスは背を向けると、今度はハンカチで手を拭うこともせず、悠然と去っていった。

 

「次に出会う時は、WARBの本戦の上だ。精々、それまでにその安物の脚を磨いておけ、ハヤミ」

 

 その言葉に、駆は泥に汚れた顔を上げ、小さく笑った。

 

「……はい。本戦で、あなたを追い越してみせます、レックス選手」

 

 世界最高峰のライバルからの、事実上の「宣戦布告」。

 

 レックスが去った後、ピットから輪と織田が駆け寄ってきた。

 

「速水くん! 大丈夫!?」

 

 輪は泣きそうな顔で駆の肩を支え、すぐにタブレットで右足首のバイタルをチェックし始める。

 

「五代さん、織田さん……ごめんなさい、無茶をして」

 

 駆は申し訳なさそうに頭を下げたが、織田は呆れたように笑いながら、駆の頭にぽんと缶コーヒーを置いた。

 

「ま、結果オーライだ。日本の株価(インデックス)も爆上がりだし、お前のおかげで世界ランキングが一気に急上昇だ。流石だな、日本代表」

 

『ハヤミ・カケルの戦闘データを正常に記録。お疲れ様でした』

 

 上空から降りてきた日本のドローン『JP-01』が、駆の周りを嬉しそうに飛び回りながら電子音を鳴らす。

 

 駆は缶コーヒーの冷たさに一息つきながら、遠くの客席を見上げた。

 

 そこでは、先ほどの少女が、先日の戦いから回復した母親の傍で父親の腕に抱かれながら、駆に向かって一生懸命に小さな手を振っていた。その笑顔を見た瞬間、駆の胸の奥の痛みが、すっと消えていくような気がした。

 

(世界は強くて、冷たい。……でも、俺を待ってくれている人がいるなら、このチームと一緒に、どこまでも走り続けられる)

 

 仲間たちの温かい絆に包まれながら、元会社員のランナーは、世界の頂点へと続く果てしないトラックの先を、静かに、しかし強く見据えていた。




【専門用語】

WARB(World Athlete Rider Battle)
 従来のオリンピックに代わり、世界の政治・経済・エンターテインメントの中心となった次世代の国家対抗戦。世界中の人々がこの大会に熱狂し、その勝敗や選手の市場価値によって国家の株価さえも変動する。

アスリートライダー
 国際オリンピア連盟(IOF)に選ばられた、、世界最高峰の各国の若き代表アスリートたち。人間の肉体のリミッターを解除し、精神力を物理エネルギーへと変換する次世代スポーツギア・オリンピアドライバーとアスリートメダルを用いて変身する。彼らの戦闘はすべてドローンで全世界に生中継され、戦いながらも「観客を魅了する美しいプレイ」が求められる。

ファール
 華やかな表舞台の裏で流通する、不完全なアスリートメダル・ロストメダルによって変身した怪人。その正体は、才能の限界への焦りや敗北の恐怖から、「歪んだドーピング」としてメダルを肉体に埋め込んだ現役・引退アスリートたち。モチーフとなったスポーツのルールを無視した、卑劣な能力と圧倒的な暴力でスタジアムを蹂躙する。
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