仮面ライダーダッシュ   作:山都撫子

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第6話「白熱のラリー、コート上の貴公子」

 ガラス張りの壁面にはホログラフィック・モニターがいくつも浮かび、無機質で洗練されたテクノロジーの光が、室内のチリ一つない床を青白く照らしている。

 

 その中央に設置された近未来的なメディカルシートの上で、駆は静かに呼吸を整えていた。

 

 かつて陸上100m走の日本記録を保持し、世界の頂点を見据えていた男の身体は、今、静かな限界を迎えている。額からは脂汗が流れ落ちていたが、駆の目は決して光を失わず、真っ直ぐにホログラムの光点を見つめていた。

 

 ――――カチ、カチ、カチ、カチ

 

 無機質な警告音が、駆の腰に巻かれたオリンピアドライバーから小さく鳴り響く。

 

 ドライバーの中央、スプリンターメダルが収まるスリットの周囲には、走るはずの真紅のエネルギーラインが、まるで寿命を迎えた蛍光灯のように弱々しく点滅を繰り返していた。その光が爆発するたび、肉体の限界を超えた不可視の過負荷が、駆の右脚を容赦なく締め付ける。

 

イタリア代表の天才司令塔、マルコ・ロッシが仕掛けた攻撃を、執念の走りで打ち破った代償はあまりにも重かった。

 

「……モニター、接続完了。深部組織の精密スキャンを開始します」

 

 コンソールの前で、輪が張り詰めた声で告げた。彼女の指先がキーボードの上を正確に叩いていく。

 

 メインモニターに映し出されたダッシュの骨格フレームの3Dモデルは、右足首のパーツだけが、不気味な警告色である真紅に染まり、激しく明滅していた。グラフィックデータが弾き出す数値は、すべてが安全圏を遥かに超えたレッドゾーンを示している。

 

「レジスタ戦でのTKOシステム……その限界駆動による負荷が、肉体とドライバーの接続回路に致命的なロックをかけています。……これ以上の連続したライダーバトルは、システム・肉体ともに不可能です。続行すれば、ドライバーのコアが暴走して、速水くんの右足首は……二度と動かなくなります」

 

 輪の声が微かに震える。その診断結果を、ピットの奥に佇む二人の男が静かに受け止めていた。

 

「当然の帰結だな。世界最高峰のクラブで10番を背負う司令塔との戦いだ。その技術を強引に力技で踏み荒らしたんだ、ノーダメージで済むはずがない」

 

 腕を組み、冷徹な眼差しでモニターを見上げるのは、チーム・ダッシュの全体を統括する監督、織田だ。その隣から、ダッシュのもう一つの可能性である『グラップスタイル』の育成を担うコーチ、蓮見が、痛々しそうに駆の右脚を見つめながら口を開く。

 

「ですが織田さん、公式リーグのスケジュールは待ってくれませんよ。次戦はあのフランス代表のルイ・シャルトリエだ。ここで不戦敗になれば、日本の市場価値(インデックス)は一気に暴落する……」

 

「わかっている、蓮見。だが、走れない男をピッチに立たせるほど、俺は焼きの回った指導者じゃない。それは速水の技術以前の問題だ」

 

 織田の言葉に、蓮見も苦渋の表情で沈黙する。

 

 世界最高峰のハイテク施設に響く、非情な現実。普通なら絶望し、取り乱すような状況。しかし、メディカルシートの上の駆は、静かに、だが深く息を吐き出すと、ドライバーの警告音を遮るように凛とした声で言った。

 

「……織田さん、蓮見さん。お二人の言う通りです。今の俺じゃ、まともなスタートすら切れません」

 

 駆はゆっくりと上体を起こした。その顔は苦痛に歪んでいたが、言葉にはかつて世界の頂点を目指したトップアスリートとしての冷徹な自負が宿っていた。指導者たちへの礼節を失わない、静かなトーン。

 

「4年前にアキレス腱を断裂した時、俺は世界に置いていかれました。あの『二度と立ち止まりたくない』って恐怖は、今も俺の胸に張り付いています。……だからこそ、ここで焦って完全に足が壊れたら、それこそ終わりです。俺はまだ、世界のフィールドを走り続けるために、ここにいるんですから」

 

 恐怖に屈するのではなく、恐怖を自覚した上で、次の一歩を見据える眼差し。駆の芯にある強さを感じ取り、織田と蓮見の表情に微かな安堵が走る。

 

 その時、輪のデスクの通信用モニターが自動で立ち上がり、クリアな電子音がピットに響いた。

 

 画面に切り替わったのは、都内の五つ星高級ホテルの特設会見場のライブ映像だった。

 

 数え切れないほどのフラッシュの光の海の中、その男は静かに座っていた。

 

 世界中のスポーツメディアのカメラが一斉にシャッターを切る音が、嵐のように会場に鳴り響いている。

 

 その中心にいるのは、フランス代表のアスリートライダー――ルイ・シャルトリエ。

 

 彼は22歳という若さにして、テニス界の四大大会をすべて制覇した世界最強のテニスプレイヤーだった。仕立ての良いロイヤルブルーの高級スーツを寸分の乱れもなく着こなし、名門貴族の末裔にふさわしい、洗練された美を全身から醸し出している。

 

「ルイ選手!日本代表の仮面ライダーダッシュが、イタリア代表のレジスタを破った映像はご覧になりましたか?」

 

 マイクを向けられたルイは、薄い唇に優雅な笑みを浮かべた。その洗練された仕草一つで、会場のあちこちから小さいため息が漏れる。

 

「ええ、もちろん拝見しましたよ。素晴らしい試合でした。……ですが、イタリアのマルコは、少々アドリブを愛しすぎた。規律なきゲームメイクの果てに自滅したに過ぎません」

 

「では、次戦で戦う予定だった日本のダッシュについてはどう評価されていますか?」

 

 ルイは、手元に置かれた高級クリスタルグラスの水を静かに口に含むと、カメラのレンズの向こうにいる誰かを見据えるように、その澄んだ青い瞳を細めた。

 

「彼は美しいステップを持った『一流のルーキー』です。ですが、試合場(コート)とは、徹底された調和とエレガンスによって統治されるべき聖域だ。怪我を抱えたまま、泥に塗れて泥臭く走るだけの存在は、私のコートには必要ありません。……もっとも、IOFの判断で試合は延期になりましたがね」

 

 ルイはゆっくりと立ち上がり、右手をそっと己の胸に当て、気品ある騎士のような美しい一礼を見せた。

 

「私は、対戦相手には常に最大の敬意を払う主義です。ハヤミくん。君の脚が癒えるその日まで、私は君たちの国を学びながら、静かに待つとしましょう。完璧な完封(ラブゲーム)で、君をコートから排除するために」

 

 白いフラッシュの光が、ルイの美しい横顔を眩しく染め上げていく。

 

 モニターの映像が暗転し、ピットの中には再び静寂が戻った。

 

 駆は、ルイの言葉を頭の中で何度も反芻していた。

 

 レックスの傲慢さとも、マルコの歪んだ支配欲とも違う。ルイの言葉の根底にあるのは、徹底された高潔な騎士道精神と、だからこそ冷徹なまでにルーキーを排除しようとする、世界のトッププロとしての圧倒的な格。

 

 織田は、手元のアシスト端末に表示されたIOFからの追加スケジュールを見つめ、苦虫を噛み潰したような顔で深く息を吐き出した。

 

「怒るなよ、速水。これが『世界』という場所の現実だ。ルイ・シャルトリエの背後には、フランスの大財閥『メゾン・ド・シャルトリエ』をはじめとする超巨大マルチスポンサーが群がっている。彼の市場価値(インデックス)は、現在のリーグ全体で見てもトップ3から動かない。IOFにしてみれば、怪我でパフォーマンスの落ちたお前を無理に走らせてリーグのブランド価値を落とすより、ルイのプロモーション期間としてこの一週間を消費した方が、遥かに商業的利益が大きいという算段さ」

 

「商業的利益、ですか……」

 

 駆はシートからゆっくりと両脚を下ろした。床に足の裏が触れた瞬間、右足首の奥で小さなガラスの破片が弾けたような痛みが走る。だが、駆はそれを表情には一切出さず、トップアスリートとしての強靭な自制心で押し殺した。

 

「ですが、織田さん。俺をルイ選手の観光案内(アテンド)に指名したということは、IOFは俺たちを完全に『客寄せの引き立て役』として扱っているということですよね」

 

「否定はせん」

 

 一歩前へ出たのは、これまで腕を組んで黙っていた蓮見だった。その冷徹な眼差しが、駆の右脚へと注がれる。

 

「だがな、速水。戦えない時間をどう過ごすかで、アスリートの格が決まる。ルイはお前を『一流のルーキー』と評した。裏を返せば、お前の走りの純粋さだけは認めているということだ。奴の言う『エレガンス』とやらがどれほどのものか、その濁りきっていない目で直に見てこい。それが、今の足でできる唯一のイメージトレーニングだ」

 

「……蓮見さん」

 

 駆は一度目を閉じ、胸の中の焦燥感を深く、長く吐き出した。

 

 立ち止まる恐怖に足元をすくわれそうになるたび、この指導者たちの言葉が駆の芯を繋ぎ止めてくれる。

 

「わかりました。日本代表として、フランスのエースを完璧にエスコートしてきます」

 

 輪がどこかホッとしたような表情でキーボードを叩く。

 その様子を見届けながら、駆は静かに右の拳を握りしめた。

 

(ルイ選手……。あなたがどれだけ高い場所にいようと、俺は絶対に、あなたの前で完全に立ち止まったりはしない)

 

 

 翌朝。五つ星ホテルのプライベート・エントランスには、朝の柔らかな光が差し込んでいた。

 

 およそスポーツのチームピットには似つかわしくない、洗練された高級ブランドの私服に身を包んだ駆と輪が、そこに佇んでいた。

 

 自動ドアが静かに左右へ開くと、ピットのモニター越しに見たあの男が、現れた。

 

 ルイ・シャルトリエ。

 

 オフホワイトのシルクシャツに、深く美しいロイヤルブルーのサマージャケットを羽織っている。ランウェイからそのまま抜け出してきたかのようなその佇まいは、周囲の空気を一瞬でヨーロッパの名門社交界のそれへと変えてしまう。

 

Bonjour(ボンジュール)、日本の戦士(ライダー)。それに、美しいエンジニアの令嬢も」

 

 ルイは駆たちの前で足を止めると、完璧に統治された、気品ある微笑みを浮かべた。

 

 その一人称は、昨日メディアの前で見せたものと同じ、徹頭徹尾崩されることのない高潔な響きを持っていた。

 

「私のために、このような貴重な時間を割いていただき感謝します、ハヤミくん。リーグの親善プロモーションとはいえ、君のような素晴らしいエゴを持つ対戦相手とプライベートで言葉を交わせる機会は、私にとっても非常に有意義なものだ」

 

 ルイは優雅な所作で右手を差し出してきた。

 駆はその手をしっかりと見つめ、トップアスリートとしての礼節を込めて、その手を握り返す。

 

「初めまして、ルイ選手。日本代表の速水駆です。こちらはチームのチーフエンジニアを務めている五代輪です。本日は、微力ながら俺たちが東京をご案内させていただきます」

 

 駆の、一寸のブレもない丁寧な敬語の応対に、ルイは微かに青い瞳を輝かせた。

 

「素晴らしい。君の目を見ればわかる。昨日の私の無礼とも取れる発言を、君は完全にアスリートとしての『モチベーション』へと変換している。やはり、君をルーキーと呼ぶのは少し不正確だったかもしれないね」

 

 ルイは手を離すと、駆の右脚へ、視線を落とした。そこには侮蔑の念は一切なく、ただ純粋な『規律へのこだわり』が滲んでいた。

 

「その脚……実に惜しい。ですが、傷を抱えたままコートに立つことは、対戦相手に対する最大の不敬であり、何より美しくない。今日一日は、戦いのことは忘れましょう。私は、君たちの国の調和(エレガンス)を学びたいのです」

 

「案内はお任せください。日本の伝統的な美しさを、存分に味わっていただきます」

 

 駆の声には、静かな自負が満ちていた。

 

 最初に訪れたのは、都内でも有数の歴史を持つ、広大な日本庭園だった。

 

 大都会の喧騒から完全に隔離されたその場所には、青々とした苔と、綿密に計算された配置の庭石、そして静かに水を湛える池が広がっている。

 

「ほう……」

 

 ルイは、庭園に一歩足を踏み入れた瞬間、その美しい眉を僅かに動かした。

 

 彼は、ガイドブックを手に緊張気味に先導する輪や、歩みを進める駆の少し前を、ゆっくりとした足取りで歩いていく。その足音すら、砂利を踏む規則正しいリズムを刻んでおり、アスリートとしての体幹の恐ろしさを物語っていた。

 

「見事です、五代令嬢。この庭園には、自然をそのまま放置する野蛮さがない。すべての樹木の枝の剪定、水の流れ、石の角度に至るまで、人間の手による完璧な『規律と調和』が行き届いている。素晴らしいエレガンスだ」

 

「あ、ありがとうございます……! 日本の造園技術は、自然との調和をベースにしながらも、実は非常に厳密な計算のもとに成り立っているんです」

 

 輪が少し頬を染めながら説明すると、ルイは深く満足そうに頷いた。

 

「やはり、美とは規律の果てに生まれるものだ。私がテニスというスポーツを愛するのも、そこに厳格な『白線(ライン)』という絶対的なルールが存在するからですよ。定められたコートの中で、汗一つかかず、呼吸一つ乱さずに相手の戦術を完封する……それこそが、私の信奉する騎士道です」

 

 歩みを止めたルイは、池の畔で振り返り、サポーターを装着した駆を真っ直ぐに見つめた。

 

「ハヤミくん。君の100m走という競技も、ある種、究極の規律だ。定められた直線を、誰よりも速く駆け抜ける。そこにはアドリブが介入する隙などない。……だからこそ、私は君に期待しているのです」

 

「期待……ですか?」

 

 駆は、ルイの青い瞳を見返した。

 

「ええ。マルコ・ロッシの戦術は歪んでいた。彼は相手を『支配』するために、わざと盤面を泥沼の混沌へと引きずり込む。あれは美しくない。……ですが、君は違った。君はあの混沌のコートの中で、ただ前だけを見て、最短の直線をこじ開けて走り抜けた」

 

 ルイは右手をそっと胸に当て、駆に対して、昨日の会見場で見せたような美しい一礼をした。

 

「私と君が戦う時、そこにノイズは不要です。君の完璧なトップギアの速度を、私の完璧なラケットワークでリターンする。その白熱したラリーの果てに、完全な調和が完成する。……そのためにも、ハヤミくん。早くその脚を治しなさい。私は、君という最高の対戦相手(ライバル)がコートに揃うのを、心から楽しみにしているのですから」

 

 ルイの言葉には、一片の嘘も、驕りもなかった。

 

 彼は心から、速水駆というアスリートに美しい戦いを求めている。それは、戦う者を等しく尊重する、気高くも冷徹な『騎士の洗礼』だった。

 

 駆は、胸の奥から湧き上がる熱い感情を、静かな微笑みに変えて言葉を返した。

 

「ルイ選手、ありがとうございます。……あなたのようなプロと最高のラリーをするためなら、俺はどんな泥を這ってでも、必ずあのスタートラインに戻ってみせます」

 

「楽しみにしていますよ」

 

 ルイが微笑み、再び歩き出そうとした――その瞬間。

 

 ――――ピキィィィンッ

 

 突如として、日本庭園の美しい静寂が、ガラスの割れるような不吉な電子音によって切り裂かれた。

 

 穏やかだった池の水面が激しく波立ち、周囲の木々から鳥たちが一斉に悲鳴を上げて飛び立つ。

 

 ルイの足が、ピタリと止まった。その青い瞳から、先ほどまでの穏やかな光が瞬時に消え失せ、底冷えするようなプロの冷徹さが宿る。

 

「……エレガンスを乱す、不愉快なノイズが来ましたね」

 

 ルイが静かに振り返る。その視線の先、庭園の美しい白砂の広場の空間が、不気味に歪み始めていた。

 

「フフフ……ハハハハッ! 見つけたぞ、フランスの『至宝』ルイ・シャルトリエ! お前のその澄ましたツラを、俺の歪んだ軌道でグチャグチャに引き裂いてやるッ!」

 

 白砂を容赦なく爆破するように蹴散らし、空中から不気味な影が高速で急降下してきた。

 

 シャトラー・ファール。バドミントンの概念が歪んで形を成したその姿は、あまりにも戦闘的で、同時に異質だった。

 

 頭部は巨大なシャトルコックを逆さにしたような鋭利な形状をしており、何重にも重なった硬質の黒い軽量羽が、まるで生き物のエラのように不気味に開閉を繰り返している。その両腕の先には、強靭なガットが剥き出しの血肉と融け合った、歪なハサミ状のラケット型鉤爪が備わっていた。

 

 ファールが狙っているのは、日本代表の駆ではない。

 ルイ・シャルトリエその人だった。

 

 駆はバッグに入っていたオリンピアドライバーへと右手を伸ばしたが、指先が触れると同時に、右足首の深部を容赦のない激痛が貫いた。

 

「――ファールっ…あぁぁっ……!」

 

 あまりの痛みに目の前が真っ白になり、指先が力なくドライバーから滑り落ちる。

 

 前戦のレジスタ戦で負った肉体の過負荷。システム的なエラーではなく、駆自身の肉体が、変身に伴うエネルギーの逆流と負荷にこれっぽっちも耐えられないという、絶対的な身体の拒絶だった。変身の姿勢を取ることすら許さない激痛に、駆の膝がカチカチとサポーターの軋む音を立てて激しく震える。

 

「死ねぇッ、シャルトリエ!」

 

 怪人は空中で不規則に身を翻すと、急加速・急停止を繰り返す超変則的なフットワークで空間を撹乱。その両腕の鉤爪から、時速300キロを超える黒いシャトル型の結晶弾をマシンガンの如くルイの脳頭部めがけて乱射した。

 

「ルイさん……ッ!」

 

 駆はサポーターの軋みと激痛に耐えながら、ルイの前に飛び出そうと右脚を一歩踏み出す。だが、その常人離れした泥臭い闘志を遮るように、ルイは片手をすっと上げて駆を制した。

 

「――下がっていなさい。今の君は、私のコートへの侵入を許すライセンスはない」

 

 その瞬間、庭園の上空に、IOFの自律型ドローンカメラが音もなく一斉に展開した。

 直後、空中に冷徹なシステム音声が響き渡る。

 

『警告。非公式戦闘を検知。IOF連盟規約に基づき――これより、全世界へリアルタイムの緊急パブリック・中継を開始します』

 

 公式戦しか流さないはずのIOFの配信ネットワークが強制ジャックされ、この静謐な日本庭園の映像が、世界中のスポーツファン、そして駆の元同僚たちの端末、さらには街頭の大型ビジョンへと一斉にストリーミングされ始めた。

 

『なんだこれ!? 日本の京都か!?』

 

『おい見ろ、ルイ・シャルトリエだ! フランスの絶対王者が襲われてるぞ!?』

 

 昨日まで、前戦の死闘を経て駆を注視し始めていた世間の視線が、一瞬にしてこの一戦、ひいてはルイという世界の頂点へと釘付けになる。画面の隅に表示されたルイ・シャルトリエのインデックスの数字が、1000万、2000万、5000万と、見たこともない天文学的な速度でカウントアップを始めた。

 

世界が固唾を呑んで画面を見つめる中、ルイは、迫り来る結晶弾の嵐を前にしても、仕立ての良いロイヤルブルーのジャケットを一寸すら揺らすことなく、ただ優雅に佇んでいた。

 

 彼は内ポケットから、眩い輝きを放つ金色のテニスのピクトグラムが描かれたアスリートメダルを取り出す。その一連のアクションすら、完全に計算されたラケットワークのように洗練されていた。

 

 ルイは金色のメダルを、腰のオリンピアドライバーへと美しくスロットインする。

 

《Play》

 

 厳かなシステム音声に続き、ドライバーのスピーカーから、テニスの試合開始を告げる審判のコールが重厚な電子音となって鳴り響いた。

 

 高潔な美学を感じさせる待機音が響くと同時に、ルイの足元から鮮烈なロイヤルブルーのエネルギーラインが四方へと走り、日本庭園の白砂の上に、光のテニスコートが具現化していく。

 

Henshin(変身)

 

 ルイが静かに、ドライバーの右側のレバーを力強く引き抜いた。

 

《PLAY GAME!!!! Athlete Rider ASSAULTtttt!!!!》

 

 コートの白線から噴き上がった高密度の光の粒子が、ルイの全身を包み込んでいく。

 

 それはロイヤルブルーのスーツを、白と青のコントラストが美しい騎士の甲冑へと再構成していく聖なる儀式だった。胸部にはテニスラケットのガットを模した、あらゆる衝撃のベクトルを吸収・中和する特殊装甲が瞬時に形成される。両肩にはマントのようになびく優美なプロテクターが装着され、その表面にはシャルトリエ家の紋章を模した青いラインが走る。

 

 最後に、流線型のバイザーが彼の青い瞳を覆い、中央に一本の鋭い白線(センターライン)がフラッシュした。それと呼応するように、光のコートのエネルギーがルイの右手に収束し、白銀のフレームを持つ専用武装『ラケットカリバー』がガシャンと小気味よい機械音を立てて展開・ロックされる。

 

 仮面ライダーアサルトの降臨。

 

 一寸の乱れもない調和を纏った騎士が、自身の美学を汚すノイズを粛清するために、静かにラケットのような長剣を構えた。

 

変身を完了したアサルトは、シャトラー・ファールが放った無数のシャトル結晶弾に対し、身構えることすらしなかった。空気を切り裂き迫る結晶の雨。アサルトはラケットカリバーを流れるようなバックハンドの動作で一閃させる。

 

 鼓膜を突き刺す、乾いた打球音が日本庭園に響き渡った。

 

 ラケットカリバーのブレイド部分にあるガット面に触れた結晶弾は、瞬時にアサルトのエネルギーへと変換され、ドライバーの固有システム『スマッシュ・カウンター』が発動される。吸収された全衝撃が倍の威力となってラケットカリバーに蓄積され、ロイヤルブルーの強烈な波動となってシャトラー・ファールへとリターンされた。

 

「ぎゃあぁっ!?」

 

 空中で自身の放った威力をそのまま浴び、爆風に呑まれながら白砂の上へと無様に転がされるシャトラー・ファール。

 

「おのれぇっ、小癪なテニスプレイヤーが!」

 

 激昂しながら、怪人は起き上がり、超高速レシーブモーションでアサルトの死角へと回り込む。残像を残すほどの超高速フットワークと、捉えきれないジグザグの不規則な軌道。

 

 しかし、グラップスタイルのダッシュが床に根を張って泥臭く耐えたのとは対照的に、アサルトはその場から一歩も動かない。バイザーの奥の瞳は、怪人の速度を完全に静止画のように捉えていた。

 

「フットワークは俊敏ですが、軌道にElegance(美しさ)がない。ただ暴れているだけの獣など、私のラリー相手にもならない」

 

 シャトラー・ファールが背後からラケット状の鉤爪を振り下ろしたその瞬間、アサルトは時計回りに半歩だけステップを踏み、完全に背後からの強襲を受け流した。それどころか、すれ違いざまに怪人の胸元へ、ラケットカリバーの刃を斬りつけた。

 

 シャトラー・フォアはそのダメージにより全身の平衡感覚を完全に狂わされ、糸の切れた人形のように白砂の上を激しく転がった。手足が自分の意思とは逆の方向へと動き、まともに立つことすらできない。

 

 世界中の画面の向こうで、何億ものオーディエンスがその圧倒的な光景に息を呑む。アサルトのインデックスカウンターは、もはや計測不能なほどの超高速度で跳ね上がり続けていた。

 

「ゲームセット。……6-0、ラブゲームです。私のコートにおいて、規律を乱すノイズの存在は一切認められない」

 

 アサルトはラケットカリバーを美しく構え、そのまま静かに天高く跳躍した。

 

 西日を背に浴び、白と青の騎士が美しく宙を舞う。それは完璧な調和から繰り出される、一撃必殺のジャンピング・スマッシュ。

 

《Tie break》

 

「これでお別れです。美しいラリーの破片になりなさい」

 

《SMASH FINISH!!!》

 

 ラケットカリバーから放たれた最大出力のロイヤルブルーの光球が、身動きの取れないシャトラー・ファールの脳頭部へと正確無比に突き刺さる。

 

 綺麗な、あまりにも美しい放物線を描いてエネルギーが炸裂した。凄まじい衝撃波が日本庭園の白砂を綺麗な同心円状に吹き飛ばし、次の瞬間、怪人は一言の断末魔すら上げられずに、青い光の粒子となって空気中に霧散していった。後に残されたのは、衝撃で吹き飛ばされた白砂のクレーターだけだった。

 

 ステップ一つ乱さず、衣服の埃すら払う必要のない、完璧なまでの排除。

 

 ホバリングするドローンのレンズから、何重もの青いホログラムのプロジェクション・スクリーンが空中へと鮮やかに展開された。

 

 激しく数値を更新し続けるグリッド線の向こう側で、IOFのメインシステムが、この戦闘の全データを冷徹に弾き出し、空間に巨大な文字を浮かび上がらせていく。

 

 ―――――

 

 緊急迎撃戦:終了(GAME SET)

 勝者:仮面ライダーアサルト(スマッシュスタイル)

 オーディエンス・レート:98%

 フランス・インデックス:維持(世界第1位)

 

 ―――――

 

 上空のドローンカメラが一斉にライトを消し、世界への実況中継がプツリと遮断される。

 

 サポーターに体重を預けながら、駆はその光景を、息をすることすら忘れて凝視していた。

 隣に立つ輪も、手元のアシスト端末の数値を凝視したまま、言葉を失っている。

 

(これが……世界トッププロの、バトル……!)

 

 駆の胸を突いたのは、純粋な恐怖ではなく、アスリートとしての圧倒的な敗北感と焦燥だった。

 

 ルイの戦いはその次元にすらいない。相手に泥臭く足掻くことすら許さず、完全にコントロールして息の根を止める。今の足が痛くて変身すらできず、サポーターに頼って立っているだけの錆びついた右脚では、あの白と青の騎士の視界に入ることすら叶わないという現実が、冷徹なナイフとなって駆のプライドを突き刺していた。

 

 アサルトの全身から光の粒子が抜け、元の美しいロイヤルブルーのジャケット姿へと戻る。

 

 ルイは何事もなかったかのように振り返ると、サポーターの痛みに耐えながら立つ駆の前までゆっくりと歩を進め、その場に静かに跪いた。目線を駆と同じ高さに合わせる。その青い瞳には、やはり数々の栄光を掴んできた者特有の、非情なまでのプロフェッショナリズムだけが宿っていた。

 

「見事な対応でした、ハヤミくん。君が五代令嬢を守るために見せた一瞬のポジショニング、あれは確かにトップアスリートのそれだった。……だからこそ、やはりその脚が呪わしい」

 

「ルイ、選手……」

 

 駆は悔しさに奥歯を噛み締めた。指導者へのそれとは違う、好敵手を見つめるアスリートとしての、礼節を込めた敬語のトーン。サポーターの油圧が静かに啼く。

 

「俺は……あなたと戦いたい。あなたのその完璧な調和を、俺の最高速(トップギア)で、ぶち破りたい……!」

 

 ルイはその言葉を聞くと、微かに目を細め、気品ある笑みを浮かべた。

 

「ええ、知っていますとも。そのために、私は君がスタートラインに戻るのを静かに待つつもりでした。……ですが、ビジネスの時間は、私のエレガンスよりも遥かにせっかちのようだ」

 

 ルイがジャケットの胸ポケットからスマートフォンを取り出し、そのホログラム画面を展開する。

 そこに映し出された文字を見た瞬間、傍らにいた輪が、息を呑むような声を上げた。

 

『公式リーグ・マッチメイク緊急変更通知:第2戦【フランス代表 VS 中国代表】』

 

 駆の目が、その文字に釘付けになる。

 

「……マッチメイクの、変更……? フランス対、日本じゃ、ない……!?」

 

「言ったでしょう、ハヤミくん。IOFは徹底されたビジネスの組織です。負傷し、市場価値が下落するであろう日本代表の身体回復を、世界中のスポンサーが大人しく待ってくれるほど、この世界は甘くありません。先ほどの中継で私の市場価値はさらに跳ね上がった。……彼らは今、最も世界が熱狂する最高峰のカードを、この日本滞在期間中に無理やりねじ込んできたのですよ」

 

 庭園の入り口から、織田が、厳しい表情のまま歩み寄ってくるのが見えた。織田の持つ端末にも、まったく同じ非情なリザルトが突きつけられていた。

 

 ルイはゆっくりと立ち上がり、庭園の出口へと向かう。その背中は、どこまでも高く、遠い世界の壁そのものだった。そして足を止め、振り返ることなく、その静かな声を庭園の空間に響かせた。

 

「君はまだ、アスリートライダーによる『ライダーバトル』の本当の恐ろしさを、何一つ理解していない。ルールに守られた競技の延長だと、どこかで錯覚していませんか?」

 

 冷徹なトーンが、夕闇の迫る庭園の空気を凍らせる。ルイの背中は、微塵の揺らぎもない。

 

「先ほどの怪人――ファールも、元を正せばIOFの過酷な競争に敗れ、市場価値(インデックス)を剥奪された元アスリートの末路……歪んだ執念の成れの果てです。このコートは、敗者から名誉も、未来も、その尊厳すらもすべてを奪い尽くす。綺麗事など一切通用しない、底なしの互助なき地獄試合(デスゲーム)だ」

 

 ルイはゆっくりと首だけを動かし、冷徹な青い瞳で、サポーターを軋ませる駆を鋭く射すくめた。

 

「その過酷な現実を……世界の本当の恐怖を、まだ若く甘いルーキーである君は、知る権利がある。いや、知らねばならない。君が背負う日本代表のシートが、どれほど重く、どれほど多くの敗者の屍の上に成り立っているかをね」

 

 ルイの言葉が、冷たい楔となって駆の胸に深く突き刺さる。右脚の激痛とは異なる、背筋が凍りつくような精神の圧迫感。

 

「言葉で説明する必要はないでしょう。すべては次の私の試合、中国代表との一戦を見れば、嫌でも理解することになる」

 

 ルイは再び前を向き、ゆっくりと歩みを進めながら、その声を空間に投げ打った。

 

「彼らは最も知らねばならない闇を見せ、その現実を君は知ることになるでしょう。ですが、私はそれを調教し、完封してみせる。日本代表の戦士(ライダー)。君は私の特等席で、世界の本当の『絶望』を、ただ黙って見ているといい」

 

 ロイヤルブルーの背影が、燃えるような夕暮れの光の中に溶けていくように去っていく。

 

 後に残されたのは、サポーターの金属に身を預け、ただ自分の無力さに拳を握りしめることしかできない駆と、彼を見守る輪、そして織田。伝統や利権、市場価値の数字だけで自分たちのスポーツを弄ぶIOFの冷徹なシステム。そして、敗者を容赦なく怪物へと変えて叩き落とすライダーバトルの恐るべき真実。世界のスピードが完全に自分を置いてきぼりにして加速していくという、底知れぬ敗北感の闇が駆を包み込もうとしていた。

 

 だが、駆の心は折れていなかった。

 

 世界が俺を絶望させるというなら、そのルールごと、自分の走りでぶち壊してやる。

 

 サポーターの奥で燻る右脚の激痛を、熱いガソリンに変えながら、かつて世界の頂点を見据えた男の泥臭くも野生的なエゴが、静かに、激しく爆発する瞬間を待っていた。

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