『さあ、世界中のアスリートファンの皆様!大変長らくお待たせいたしました!IOF公式リーグ第2戦、世界が注目する最高峰のマッチメイク――フランス代表VS中国代表の一戦が、ここ、超満員のメガ・スタジアムでいよいよ開始されます!!』
スタジアムの全方位に設置された巨大スピーカーから、実況アナウンサーの興奮しきった声が響き渡る。
客席は、フランスのトリコロールを掲げた青・白・赤の波、そして中国のナショナルカラーである鮮烈な赤と黄色の旗によって完全に二分されていた。
上空でホバリングする数十機のIOF公式パブリック・ドローンが一斉にフラッシュを放ち、フィールドの空中へ、光り輝く巨大な青いホログラムスクリーンを展開した。
そこに表示されたのは、格闘ゲームの大会を彷彿とさせる、冷徹かつ洗練されたユーザーインターフェースだった。
―――――
【IOF OFFICIAL TOURNAMENT:MATCH 02】
試合形式:BO3(Best of 3 / 2ゲーム先取制)
勝利条件:1ダウン2本先取で1ゲーム獲得
獲得条件:HP完全消失で1ダウン
特殊勝利条件:過度なダメージによる強制変身解除は強制敗北(TKO)
―――――
『画面に表示されました通り、本日の公式戦も『BO3』形式!先に2ゲームを獲得したアスリートライダーが勝者となります!さらに、今大会から導入された戦慄の『TKOシステム』!いかなるポイント状況であろうとも、システムクラッシュによる強制変身解除に追い込まれたアスリートライダーは、その時点で即座にマッチ全体の敗北が決定します!』
実況の声に合わせて、観客席のボルテージがさらに跳ね上がる。
だが、その熱狂から完全に隔絶された最上階のVIP専用アテンド席の空気は、冷徹なまでの静寂に支配されていた。ガラス一枚を隔てた向こう側には数万人の怒号が渦巻いているというのに、この空間にあるのは高級な革張りのソファの擦れる音と、ホログラムディスプレイが発する電子音だけだ。
「……桁が違いすぎるわ」
輪が、小脇に抱えたタブレットの画面を凝視したまま、震える声で呟いた。カンマ以下の数字が秒間数百回という恐ろしい速度で更新されるインデックス・ゲージ。それはただの視聴者数ではない。世界中の大企業が支払う放映権料や、彼らの勝敗に賭けられた莫大な経済の総量そのものだった。
「当たり前だ、五代。あそこに表示されてる数字はな、世界を牛耳るIOFの幹部どもや大富豪たちが『この男なら俺たちの利権をさらに肥やしてくれる』と太鼓判を押した、絶対的な支配力の証明だ」
織田が深くソファに腰掛け、腕を組んだまま冷徹に画面を見据えてフッと鼻で笑った。
その視線の先――防弾ガラスの最前線に、両手を突いて立ち尽くしている男がいた。駆だ。
彼の右脚には、輪が開発してくれた漆黒のサイバネティクス・サポーター『リニア・アンカー』が、今も鈍い金属光沢を放ちながら固く締め付けられている。肉体を引き裂くような激痛はサポーターのおかげで和らいでいたが、それでも駆の額には絶え間なく冷や汗が滲んでいた。
「……五代さん、すみません。せっかく作っていただいたこのサポーター、すごく軽くて、俺の足に馴染んでくれてるのに」
駆は振り返り、申し訳なさそうに眉を下げて微笑んだ。自分の怪我のせいで、チームの全員に心配をかけ、こんな大舞台の裏側にまで足を運ばせている。その申し訳なさが、彼の優しい声音に滲んでいた。
「ううん、速水くんが謝ることじゃないわ。今はまず、足を休めることが最優先なんだから」
「はい。……でも」
駆は再びガラスの向こうへ視線を戻した。その穏やかな瞳の奥に、じわじわと、燃え盛るような漆黒の情熱が灯る。眼下に広がる純白の人工芝のフィールド。そこは、勝者だけが走ることを許される聖域だ。
「……やっぱり、悔しいですね。あそこに、立ちたかった。ルイ選手がどれほど遠い存在でも、俺は同じフィールドで追いかけたかったです」
駆の拳が、ガラスのフレームをギチギチと軋ませる。人一倍礼儀正しく、自分よりも他者を優先する駆が、生まれて初めて剥き出しにした勝利への貪欲なエゴだった。足の激痛によって変身すら許されなかったあの瞬間から、彼の時計は止まったままだった。世界のスピードに置き去りにされる恐怖と、アスリートとしての強烈な飢餓感が、胸の奥で暴れていた。
『その気持ちはよく分かるよ、ハヤミくん。でも君はまだ、この席に座って世界の本当の戦いを見下ろす『ライセンス』を貰えただけでも幸運なんだよ』
その時、ルームからとある声が聞こえてきた。フィールドにいるはずの仕立ての良いロイヤルブルーのジャケット、一寸の乱れもない金髪の青年。ルイ・シャルトリエその人だ。
「ルイ選手……」
駆が姿勢を正す。ルイの声は、どこまでも澄んでいて、同時にどこまでも冷たかった。
「お招きいただきありがとうございます、と言いたいところですが……どうして俺をこの席に? 試合直前のあなたに、俺を煽るような余裕があるとは思えません」
『煽る? とんでもない』
ルイは小さく首を振り、気品ある笑みを浮かべた。
『ハヤミくん。君はまだ、アスリートライダーによる『ライダーバトル』の本当の恐ろしさを何一つ理解していない。ルールに守られ、観客に拍手を送られる、かつて君が走っていた『陸上競技』の延長線上にこの戦いがあると、どこかで錯覚していませんか?』
「な……ッ」
『君が背負っている日本代表のシート、傷ついた君を狙って現れたあの
ルイの視線が、対角線上にある対戦相手の入場ゲートへと向けられた。
『――続きまして、中国代表の入場です!現代卓球界において世界選手権の金メダルを完全独占!現代に現れた清廉なる若き天才、
スタジアムのアナウンスが爆音で鳴り響くと同時に、アリーナを埋め尽くす観客から、耳を聾するほどの地鳴りのような大歓声が沸き起こった。
入場ゲートから姿を現したのは、赤いジャージを身に纏った、まだ22歳のうら若き青年だった。陸。切れ長の目に、端正な顔立ち。彼は無数のフラッシュを浴びながら、カメラに向かって実にあざやかで、誠実そのものの笑顔を浮かべてみせた。胸元に手を当て、深く一礼するその姿は、いかにも祖国の名誉とスポーツの精神を一身に背負う若き英雄そのものだった。
観客席のあちこちから「陸!」「天才!」といった黄色い声援が飛び交う。
「……綺麗な顔をしてる。とても、ルイ選手の言うような恐ろしい戦いをするようには見えないけど……」
輪が画面のデータをスクロールさせながら首を傾げた。しかし、その様子を後ろから見ていた織田が、静かに腕を組み直しながら冷酷に言い放つ。
「騙されるなよ、五代。その綺麗なお面の中に、どんなドブネズミが隠れてるか分かったもんじゃねえ」
ルームの隅で、ずっと腕を組んで黙っていた大柄な男――チーム・ダッシュのセコンドとして合流した柔道家、蓮見が、鋭い目でガラスの向こうの陸を睨み据えた。
「……あいつの歩き方、ただの卓球選手のそれじゃねえな」
蓮見の太い声が、VIPルームの空気を低く震わせる。
「一見、無駄のないスマートなステップに見えるが……重心の置き方が、常に『相手の嫌なところを削る』ための角度に入ってる。格闘技で言えば、審判の目をごまかしながら金的を狙う不逞の輩の足腰だ。……速水、あいつを見る時は目を見るな。足元と、あの袖の裏を見ろ」
「足元と、袖の裏……?」
駆が息を呑んで陸を凝視した、その瞬間だった。
スタジアムの中央、ネットを挟んでルイと陸が握手を交わすために歩み寄る。ドローンカメラが二人の姿をアップで捉え、巨大スクリーンに映し出した。陸はルイに向かって、相変わらずの爽やかな笑みを浮かべて右手を差し出している。
だが。
カメラがほんの一瞬、ルイの背後に回り込み、陸の顔の角度が世界中のオーディエンスの死角に入った、まさにその刹那。
陸の爽やかな笑顔が、一瞬にして、凍りつくような冷酷な「嘲笑」へと変貌した。
その目は、目の前のルイを見ていなかった。まっすぐに、この最上階のVIPアテンド席――ガラスの向こうから自分を見つめている、駆の目を、正確に見据えていたのだ。
陸はマイクに絶対に拾われないほどの微小な声量で、だが唇の形だけで、駆に向かってはっきりとこう告げた。
『――ゴミ虫が、特等席で見物か?』
「っ……ターゲットは俺ですか……!」
駆の背筋に、ドクンと冷たい衝撃が走った。陸の目が語っていた。お前のような弱者は、そこで俺たちの試合の余波に巻き込まれて、指をくわえて見ていろ、と。
『フン、気づいたようですね』
ルイは差し出された陸の右手を、一切の感情を排した無表情のまま握り返しながら、静かに口を動かした。
「陸旋羽。君のその下俗なノイズは、私のコートには届かないと言ったはずですが」
「ハハッ、相変わらずお堅いねぇ、ルイ・シャルトリエ」
陸は握手の力を不気味に強めながら、ルイの耳元で、毒蛇のような声を相手だけに囁き返す。
「君のその澄ましたエレガンスってやつが、この泥沼のコートでどこまで持つか、じっくり試してあげるよ。……前戦で壊れたあの日本の雑魚みたいに、君も二度とラケットを持てない身体にしてあげるからさぁ!」
「……」
「それに、今回のお前を狙ったあのシャトラー・ファール……。あれだって元を正せば、IOFの過酷な競争に敗れて、インデックスを剥奪された元アスリートの末路だ。このコートはね、敗者から名誉も、未来も、その尊厳すらもすべてを奪い尽くす底なしの地獄さ。お前のその綺麗な首が、いつまで屍の上に立っていられるかな?」
二人が手を離し、それぞれのスタートポジションへと戻っていく。
その瞬間、スタジアムの全ホログラムライトが深紅とロイヤルブルーの二色に染まり、IOFの冷徹なシステム音声が、非情なる戦いの始まりを告げた。
『公式リーグ第2戦――これより、両代表によるライダーステージを展開します』
ルイが腰のオリンピアドライバーに金色のアスリートメダルをスロットインするのと同時に、陸もまた、自身のドライバーの左側スロットに、アスリートメダルを滑り込ませた。
スタジアムの全スピーカーから、ピンポン球が激しく、そして不気味なほど不規則に行き交う超高速のラリー音が響き渡る。
《Ready Hon》
審判の冷徹な電子コールが鳴り響く。陸は腰のレバーを、ひねるようにして一気に引き抜いた。
「
「
ルイもまた、静かに右側のレバーを力強く引き絞る。
《DRIVE SPIN!!!! Athlete Rider KOhhhRYUuuuu!!!!》
《PLAY GAME!!!! Athlete Rider ASSAULTtttt!!!!》
陸の足元からマグマのような深紅のエッジラインが走り、人工芝をドロドロとした赤黒い盤面へと侵食していく。彼の全身を包み込んだのは、中国の伝説にある『龍』の鱗を模した、極薄でありながら超高密度の赤い装甲だった。頭部には龍の顎を模した流線型のバイザーが形成され、その両腕には超高密度コンポジット製のブレード武装『ラケットダガー』が一体化されている。
仮面ライダー
対照的に、ルイもまた、一寸の乱れもない調和の光を放ちながら、ロイヤルブルーと白銀の騎士甲冑を纏った仮面ライダーアサルトへと変身を完了させていた。
両者の頭上にホログラムの『HPバー』と『インデックス・ゲージ』がパッと展開され、現実のフィールドへと完全なデスゲームの画面が構築される。上空のドローンから、試合開始を告げる鋭い電子ホイッスルがスタジアム中に鳴り響いた。
『さあ! 運命の第1ゲーム、第1ラウンド――レディ・ゴー!!!』
アテント席の駆は、ガラスに額を押し付けるようにして、その二人の対峙を見つめていた。
「これが……世界のトップ同士の戦い。俺たちの戦ってきたステージとは、何もかもが違いすぎる……!」
審判のシグナルが青に変わったその瞬間、世界最高峰の、そして最も残酷なバトルの幕が上がった。
――刹那、世界から音が消えた。
アリーナの中央に閃光が走り、アサルトと甲龍の影が、純白の人工芝の上で爆発的に交錯する。
『さあ、第1ゲーム・第1ラウンドがスタート!制限時間は90秒!先に相手のHPをゼロにして2ラウンドを先取した方がこのゲームを獲得します!』
アサルトが放つのは、一分の無駄もない流麗かつ苛烈な剣撃。テニスラケットと長剣のフォルムが融合した『ラケットカリバー』を上段から鋭く振り下ろし、甲龍の脳門へと重撃を叩き込む。
だが、甲龍の動きは、駆がそれまで見てきたどのアスリートライダーとも異質だった。
「ハハッ、ぬるいね!」
甲龍は卓球ラケットの形状から分離・変形させた双剣『ラケットダガー』を逆手に保持。地を走るような低い姿勢のままアサルトの懐へと滑り込んだ。蓮見が指摘した通りのステップだ。甲龍は長剣の重い一撃を正面から受け止めるのではなく、一本目のダガーの腹でラケットカリバーの刀身を激しく擦り、受け流しながら軸をずらす。
直後、自由なもう一振りのダガーが、卓球の高速バックハンドを彷彿とさせる異様な鋭角の軌道を描き、アサルトの隙だらけになった脇腹を容赦なく切り裂いた。
火花が爆散する。ルイのHPバーが微かに減少した。
『決まったァァ――ッ!!仮面ライダー甲龍、凄まじい前陣速攻!ラケットダガーの鮮やかな二連斬りでアサルトの肉体を捉えました!』
スタジアムに爆音の実況が響き渡る中、VIPアテンド席の駆は、ガラスにへばりつくようにしてその緊迫した超至近距離の攻防を凝視していた。
「……信じられない。ルイ選手の、あの超高速の剣筋を、完全に目視してダガーで受け流しながら自分の有利な間合いに変えてる……」
駆の言葉に、隣の輪がせわしなくタブレットを叩きながら応じる。
「それだけじゃないわ、速水くん。陸旋羽選手のインデックス・ゲージを見て!彼がラフ寸前のギリギリのインファイトで観客を沸かせるたびに、リアルタイムの投資熱量が急上昇してる。あれがMAXになると、一時的な超加速と攻撃力バフがかかる『インデックス・ドライブ』が発動しちゃう!」
「インデックス・ドライブ……」
駆の目が、変身した陸の足元――赤黒いグリッドへと向けられた。
甲龍はさらに激しくダガーを振るい、アサルトの剣撃を弾きながら、ジリジリと彼をコートの端へと押し込んでいく。その先にあるのは、パブリック・ドローンが展開するグリッドバリアの境界線――『エリア・リバウンド』だった。
「フン……あれが奴のドライブスタイルの本領だ」
織田が腕を組んだまま、冷徹な目でホログラムの数値を睨み据える。
「卓球って競技はな、狭い台の上でどれだけ相手の嫌がる回転をかけるかの化かし合いだ。陸はそれを剣技で極限まで拡張してやがる。あいつはルイのHPを削るだけじゃなく、あの『エリア・リバウンド』の電撃壁にハメ込むつもりだ。そこへ強烈な一撃を叩き込み、安全装置をブチ切ってシステムクラッシュによる強制変身解除を狙うための布石さ」
「……!」
駆は息を呑んだ。
甲龍の戦い方は、一見すると超一流のテクニックによる華麗な防御に見える。しかしその本質は、アサルトの動きを物理的、心理的に縛り付け、システムごと窒息させるための残虐な檻の構築だった。
フィールド上では、アサルトがラケットカリバーの長大なリーチを活かして光のステップを踏み、間合いを取ろうと鋭い突きを連続で繰り出す。しかし、甲龍はそのすべてを、不気味な嘲笑とともに二振りのラケットダガーで弾き、まとわりつくようにインファイトを仕掛けていた。
『第1ラウンド、残り30秒!仮面ライダーアサルト、背後はすでにエリア・リバウンドの境界線!完全に逃げ場を失っている!』
「終わりだ。お前のインデックス、僕が全部美味しくいただくよ!」
甲龍のインデックス・ゲージが臨界点に達した。
《INDEX DRIVE》
甲龍の身体から赤黒いオーラが爆発的に噴き出し、超加速状態へと突入する。
甲龍は突き出された長剣の刃を、自らの左のダガーのフレームで強引に噛み合わせて固定。肉肉しい金属音と共にルイの身動きを完全に封じると、右手に構えたもう一振りのラケットダガーを、アサルトのオリンピアドライバーのコア・スロットに向けて、超至近距離から容赦なく突き出した。
それはスポーツの試合などではない。完全な破壊を目的とした暗殺の軌道。
だが、そのあまりにも非人道的なコアへの直接攻撃に対し、上空のドローンから警告音が鳴り響く。
『警告!甲龍、過度なラフプレイ!
「ハハッ、
どれだけペナルティを受けようが、
「ルイ選手――ッ!!」
VIP席から、駆が思わず叫び声を上げていた。
ガキィィィィン――ッ!!!
アリーナ全体に、鼓膜を破らんばかりの金属衝突音が炸裂した。
激しい火花が煙のように舞い散る中、駆は目を見開いた。
甲龍の放った必殺の右ダガーは、アサルトのドライバーには届いていなかった。
アサルトは左腕の甲の強固な装甲を、あらかじめ予測していたかのような完璧な角度で滑らせ、甲龍の突きをミリ単位の精度で弾き飛ばしていたのだ。
「な……に……っ!?」
バイザーの奥で、初めて驚愕の色が走る。
「陸旋羽。君の戦術は確かに合理的であり、実に見事な泥棒の技術だ」
アサルトの静かな、だが絶対的な威厳に満ちた声が回線に響く。
「だが、君は一つ大きな勘違いをしている。私は、君のような有象無象のノイズに怯えるほど、軟弱なシステムの上に立ってはいない」
アサルトは弾いた勢いのまま、自らの情熱的なエゴを戦闘行為そのもので証明し、自身のインデックス・ゲージを一瞬でMAXへと叩き上げた。
《INDEX DRIVE》
純白の調和の光を纏った圧倒的なオーラが、アサルトのラケットカリバーに反転流入する。
強引に絡め取られていた長剣が、その大出力によって陸の左ダガーを容易く弾き飛ばした。
「バ、馬鹿な! イエローカードの移動速度低下があるはずなのに、何故そんな速度が――」
「システムクラッシュなど、起こさせない。私は私の調和を完璧に制御する」
アサルトがラケットカリバーを構え直すと、その長大な刃から放たれる凄まじい威圧感が、甲龍の赤黒いグリッドを完全に消し去っていく。アサルトのスマッシュスタイル。その真の能力は、フィールド全体のエネルギーを強制的に本来のルールへと引き戻す絶対的な裁定力だった。
「消えなさい」
アサルトが一歩、神速の踏み込みを見せた。
甲龍が慌ててラケットダガーを交差させて防御姿勢を取るよりも早く、アサルトはラケットカリバーを優雅に、そして容赦なく一閃した。テニスの最高峰のスマッシュを模した、一撃必殺の唐竹割り。
強烈な重撃が陸の防御を叩き割り、その衝撃のまま陸の身体は『エリア・リバウンド』の境界線へと一直線に吹き飛ばされた。
電撃壁に接触した甲龍の身体に、凄まじい追加ダメージの火花が走る。その瞬間、甲龍のオリンピアドライバーのコアが限界を超え、安全装置が強制起動した。
ピピッーー!! ピピッーー!!! ピピッーーーー!!!!!
上空のドローンが、試合の終わりを告げる特別なホイッスルを執拗に鳴らし続ける。
空中へと展開された巨大なホログラムスクリーンに、衝撃的なゴールドの文字がこれ以上ない大きさで刻み込まれた。
―――――
勝者:フランス(仮面ライダーアサルト)
勝利理由:強制変身解除(TKO)
フランス・インデックス:爆発的上昇(MAX OVER)
中国・インデックス:爆発的下落
―――――
『し、試合終了――ッ!!!なんということだ!第1ゲーム・第1ラウンド終盤、アサルトの放った強烈な一閃とエリア・リバウンドの電撃により、甲龍のドライバーがシステムクラッシュ! 強制変身解除による『TKO』が成立!これに伴い、全スコアを無視して、フランス代表・ルイ・シャルトリエ選手の最終勝利が決定いたしましたァァァッ!!!』
スタジアムが、ひっくり返ったような大歓声に包まれる。
勝敗が決した瞬間、アリーナのライトは再びロイヤルブルーへと戻り、勝者を称える光の雨がアサルトの上に降り注いだ。
「……すごい」
輪がタブレットを落としそうになりながら、呆然と呟いた。
過酷な連撃とTKOを狙ったラフプレイをすべて受け切った上で、システム限界のギリギリのラインで、独自ルールを逆に利用して瞬時にゲームを終わらせる。それが仮面ライダーアサルトの戦い。
しかし、駆の目は、アリーナの壁際で変身を強制解除され、力なく崩れ落ちている陸の姿から離れられなかった。HPがゼロになった場合の30秒のインターバルすら与えられず、一瞬で全てを剥奪される恐怖。
「蓮見さん……陸選手、大丈夫でしょうか。あの怪我は……」
駆の優しい性格が、ついさっき自分を侮辱したはずの対戦相手の身を案じさせる。だが、セコンドの蓮見は、腕を組んだまま、冷徹極まりない目線で眼下を見つめていた。
「心配する必要はねえ、速水。……いや、心配する方向が違う」
「え……?」
「あいつの肉体の怪我は、IOFの医療班が数日で治すだろうさ。だがな……あいつの『中身』は、もう二度と元には戻らねえ」
蓮見の言葉の意味を理解するよりも早く、スタジアムの上空に浮かぶ巨大なホログラムスクリーンが、冷酷なアナウンスを始めた。
―――――
【INDEX BALANCE UPDATE】
陸旋羽:49,500,000⇒0(UNRANKED / BANKRUPT)
―――――
「ゼロ……? インデックスが、完全にゼロに……?」
輪の悲鳴のような声が、VIPルームに響いた。
4950万という、国家レベルの経済を動かすはずの数字が、たった一つの敗北、たった一度のTKOによって、一瞬にして完全に消失したのだ。
その瞬間だった。
スタジアムを埋め尽くしていた数万人の観客から、一斉に、冷酷な「ブーイング」と「罵声」が巻き起こった。
「引っ込め、無能が!」
「僕たちの投資を返せ!」
「二度とコートに立つな、ドブネズミ!」
つい数分前まで、「清廉なる天才」と彼を称え、黄色い声援を送っていた観客たちが、一瞬にして冷酷な「捕食者」へと変貌していた。フラッシュの光はすべて陸を無視してルイへと集まり、アリーナの警備ドローンが、まるでゴミを処理するかのように、動けない陸の身体をタンカに乗せて引きずっていく。
陸は血と泥にまみれた顔で上空を見上げていた。
その目は、完全に光を失っていた。名誉も、富も、祖国での地位も、アスリートとしての未来も、すべてを剥奪された人間の、抜け殻のような目だった。
「……これが、ルイ選手の言っていたことなのか……」
駆はガタガタと身体を震わせた。
勝てば世界の頂点。だが、一度でもTKOや敗北を喫すれば、人間としての尊厳すらもすべてを奪われ、屍として処理される。これが、IOFが支配する『アスリートライダー』の世界の、本当の顔だった。かつて駆がいた、負けても互いの健闘を称え合えた陸上競技の世界とは、根本的にルールが違う。
「分かったかい、ハヤミくん」
いつの間にか、変身を解除したルイが、再びVIPルームの防音ガラスの前に立っていた。
彼のジャケットには、一寸の汚れも、乱れもない。
「あの陸旋羽も、かつては君のように、純粋な勝利を夢見る美しい青年だった。だが、この底なしのインデックスの沼が、彼をあのような怪物に変え、そして今日、彼は完全に消費されて消えた。……怪人たちも同じだ。彼らは全員、あの泥沼に敗れ、尊厳を失った元アスリートの亡霊に過ぎない」
ルイは駆の前に歩み寄り、その漆黒のサポーター『リニア・アンカー』を冷ややかに見下ろした。
「君のその優しさは、このコートでは最初の1分で君を殺す毒薬になる。それでも君は、この地獄へ這い上がってきたいと思うのかい?」
ルイの問いかけは、あまりにも重く、冷酷だった。
輪は青ざめ、織田も蓮見も、駆の反応をじっと待っている。
駆は、ゆっくりと自分の右脚を見つめた。
痛む脚。圧倒的な世界の壁。負ければすべてを失う恐怖。
その恐怖に、彼の心臓は確かに早鐘を打っていた。普通の人間に戻るなら、今この席で「自分には無理だ」と諦めるのが一番正しい。
鍵となる瞬間に、駆は、ゆっくりと顔を上げた。
その穏やかな、いつも通りの優しい微笑みの裏側で、彼の瞳には、ルイの白銀の光さえも飲み込むような、猛烈なエゴの炎が静かに揺らめいていた。
「……はい」
駆は、はっきりと言った。
「怖いです。陸選手のあの目は、きっと夢に見ると思います。……でも、ルイ選手。俺はやっぱり、あのフィールドで走りたい。あんな残酷な世界だからこそ、俺のダッシュで、誰も追いつけないスピードで、すべてを置き去りにして勝ちたいんです。誰かの尊厳を奪うためじゃない……俺が、俺自身のアスリートとしての魂を、あの場所で証明するために」
「……」
ルイは、駆の目をじっと見つめ返した。
そこにあるのは、ただの無知なルーキーの強がりではない。自分の優しさも弱さもすべて自覚した上で、なおも頂点へ手を伸ばすと決めた、真の本物の『エゴイスト』の目だった。
ルイはふっと、この日初めて、皮肉ではない微かな笑みを浮かべた。
「いい目だ、ハヤミくん。……ならば、早く上がってきなさい。君のその突風が、私のエレガンスを脅かす本物かどうか、私のコートで確かめてあげるよ」
ルイが背を向け、VIPルームを去っていく。
残された駆は、再びガラスの向こうの、熱狂が渦巻くアリーナを見つめた。
(待っていてください、ルイ選手。俺は必ず、この足で、あなたと同じステージへ這い上がってみせる――!)
スタジアムの人工芝に反射するロイヤルブルーの光が、駆の瞳を、どこまでも青く、そして熱く染め上げていた。