仮面ライダーダッシュ   作:山都撫子

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第9話「限界なき大跳躍」

 激痛の残響が、白銀のアリーナを未だ支配していた。

 

 ドライブ・ファールが去った後の静寂の中、速水駆は担架でコントロールルームへと運び込まれていた。

 

 治療室の硬質なベッドの上、横たわる駆の右脚はひどく無惨な状態だった。変身前の負傷を物理的に固定し、歩行を助けていたはずの医療用サポーター『リニア・アンカー』は、陸の放った凄まじい超振動のスピンを直接浴びたことで、金属フレームが歪にネジ曲がり、完全に機能停止している。その内側にある、かつて断裂したアキレス腱の古傷は、強烈な打撃と不意の負荷によって再び赤黒く腫れ上がっていた。

 

「う、あ……っ……!」

 

 駆は奥歯を血が滲むほど強く噛み締め、ベッドのシーツを両手で引きちぎらんばかりに握りしめていた。

 

 傷の痛みだけではない。何よりも彼の心を苛んでいたのは、先ほどの戦いにおける、自身の絶対的な無力さだった。

 

 公式ルールという安全装置。自分を包んでいた、IOFというシステムへの盲信。

 

 それらがフィールドから剥がれ落ち、ルールのない純粋な暴力としてファールが牙を剥いた瞬間、自分の自慢のスピードは、何一つ通用せずに完敗した。相手を減速させるペナルティもなければ、自分を守ってくれるエリア・リバウンドもない戦い。そこにあったのは、ただ強者が弱者を蹂躙するだけの、泥沼の殺し合いだった。

 

「速水くん、動いちゃダメ! 今、傷口の細胞再生ナノゲルを注入してるから!」

 

 輪が、青ざめた顔で医療用コンソールを操作しながら叫ぶ。彼女の指先は、恐怖と悔しさで小さく震えていた。データがすべてを支配するはずのIOFの世界において、非公式戦という「データの通用しない領域」で傷つけられた駆を前に、彼女もまた自身の無力さを痛感していた。

 

「……織田さん」

 

 駆は脂汗を流しながら、部屋の壁に背を預けて静かに佇んでいる織田を見つめた。

 

「俺は……弱かった。ルールに守られた温室の中でしか走れない……陸さんの言った通りだ。あいつを減速させるシステムがないだけで、俺は、何もできなかった……!」

 

「当たり前だ」

 

 織田は腕を組んだまま、冷徹な声で言い放った。

 

「お前は今までIOFというルールの中で最も効率よく勝つためのトレーニングしか受けてこなかった。だが、ファールにはそんな競技用のエチケットは一切通用しねえ。あいつらを止めるには、公式戦のシステムに頼るんじゃなく、もっと圧倒的な、ねじ伏せるだけの『力』がいるんだよ」

 

「力……。でも、俺のこの脚じゃ、もうあいつのステップには追いつけない……!」

 

 駆が自身の腫れ上がった右脚を見て、悔しさに唇を噛んだその時、部屋の大型メインコンソールが電子音を鳴らした。

 

「だったら、その弱点を『兵器』に変えるしかないわ」

 

 コンソールの前に立った輪が、涙を拭い、毅然とした表情で駆を振り返った。彼女の手元には、ホログラムで引き出された『リニア・アンカー』の基本設計図面が浮遊している。

 

「速水くん、あなたの使っていたアンカーの図面を、今、織田さんのアドバイスを元にシステム上で書き換えたの。これはもう、ただの医療器具じゃない。オリンピアドライバーの出力と直接ドッキングし、あなたのアキレス腱を物理的・絶対的に防護する、スプリンタースタイル専用の『追加武装』よ!」

 

 織田がポケットから予備のチタンカーボン合金のパーツブロックを取り出し、作業台に叩きつけた。ガチリとした冷たい金属音が響く。

 

「私がプログラムを修正し、織田さんがその場でパーツを組み上げる。……これで、剥き出しの弱点だった君の右脚は、敵のいかなる超振動をも完全に無効化する強靭な盾となり、同時に爆発的なダッシュを生み出すブースターに化ける」

 

「リニア・アンカーを……俺たちの手で、追加武装に……!」

 

 駆の瞳に、かすかな光が宿る。

 

 さらに織田は、自身のセコンドケースの底から、一枚の真新しいメダルを取り出し、駆の手元へと放り投げた。

駆が咄嗟に受け止めたそのメダルには、鮮やかなグリーンとシルバーのフレームの中に、一本のしなやかな『槍』と、高く大空へと跳び上がるアスリートの意匠が刻まれていた。

 

「織田さん……これは?」

 

「俺が以前、IOFのスカウト部門から融通させておいた、アスリートメダル『プラント(棒高跳び)』だ。五代、こいつのインストールを急げ」

 

 織田はニヤリと、獰猛な笑みを浮かべた。

 

「陸の仕掛ける前陣速攻のインファイトが凶悪なら、その間合いのさらに上空から、奴の脳門をブチ抜いてみせろ。速水、お前の勝つためのエゴを、その新しいメダルに証明してみせな」

 

「プラントスタイル……」

 

 駆は手のひらの中にあるメダルの冷たい感触を確かめ、強く握りしめた。

 

 アキレス腱は、もう弱点じゃない。ルールのない戦いなら、俺自身の力で、あの絶望の亡霊を置き去りにしてやる。

 

 部屋の隅では、グラップスタイルのコーチである蓮見が、この過激な非合法改造とストリートバトルの超展開に完全に置いていかれ、「おい、お前ら何を勝手な真似を……規約違反だぞ! 駆、その脚で本当に戦うつもりか!」と、両目を丸くしてオロオロと声を荒らげることしかできず、戦力としては全く加担できずにいた。

 

 

 夜の帳が完全に下りた臨海地区。スタジアムから逃走したドライブ・ファールは、今や完全に理性を失い、周囲の商業施設の壁や街灯を右腕の巨大なブレードで無差別に破壊していた。

 

「ルイ……ルイ・シャルトリエェェッ!出てこい! 僕の力を、もう一度裁いてみせろォッ!」

 

 陸旋羽の呪詛が夜空に木霊する。

 

 ロストメダルの闇のエネルギーが暴走し、彼の全身からは赤黒い衝撃波が絶えず周囲へと撒き散らされていた。

 

「陸選手!!!」

 

 コンクリートの粉塵が舞う破壊の荒野に、力強い声が響き渡った。

 

 破壊を止めてドライブ・ファールが振り返ると、そこには、右脚に鈍い銀色に輝く重厚な強化プロテクター――輪と織田が突貫で組み上げた追加武装『リニア・アンカー』をガチリと装着した速水駆が立っていた。

 

「また来たのか、おめでたいルーキーめ。その折れかけた足で、今度は僕にどうやってハメ殺されるつもりだい?」

 

「陸選手。俺は……あなたをルールの中に引き戻すつもりはありません」

 

 駆はオリンピアドライバーを展開し、その中央のスロットへ、輪のデータ転送によって即座に最適化された新たなメダルを力強く装填した。

 

「俺は、俺のエゴの中で……あなたを、その絶望ごと跳躍する!」

 

 駆の指がドライバーのスターターを弾く。

 

《On your marks》

 

 激しい風が吹き荒れた。しかし、それはスプリンタースタイルの青い突風ではない。大地を揺るがし、天へと伸びる大樹のような、しなやかで力強いグリーンのエネルギーの奔流だった。

 

《START JUMP!!!! Athlete Rider DAShhhh!!!!》

 

 グリーンの輝きが駆の全身を包み込み、流線型だった装甲は、柔軟性と強靭さを兼ね備えた白銀と紫の重装甲へと変化していく。そして最大の特徴として、彼の右脚のふくらはぎから足首にかけて、換装された『リニア・アンカー』がドライバーのシステムと完全にドッキングし、重厚な強化装甲プロテクターとなってガチリとロックされ、不気味なほどのエネルギーを充填し始めた。

 

 仮面ライダーダッシュ・プラントスタイル。その誕生の瞬間だった。

 

 その変身完了と同時に、上空の暗闇から、数十台ものIOF自律型パブリック・ドローンが一斉に飛来し、サーチライトで二人の姿を眩しく照らし出した。

 

『警告。非公式戦闘を検知。IOF連盟規約第22条に基づき――これより、全世界のパブリック・ネットワークへリアルタイムの緊急生中継を開始します』

 

 街中の巨大スクリーン、世界中の人々のスマートフォン。そのすべてに、突如としてダッシュとドライブ・ファールの死闘が強制的に映し出された。公式のルールが一切存在しない、本物の命の奪い合い。世界中が、その過激な映像に息を呑み、オーディエンス・レートのカウンターが爆発的な速度で跳ね上がっていく。

 

 ドライブ・ファールが地を這うような前傾姿勢から、爆発的なスピードで突進してきた。ファールの踏み込みは、先ほどダッシュを敗北に追いやった神速そのもの。一瞬でダッシュの懐へと滑り込み、超振動を伴う右腕の漆黒のブレードを、容赦なく駆の右脚へと振り下ろす。

 

「死ね、ルーキー!」

 

 ――ガキィィィィィンッ!!!!!

 

 凄まじい金属音が響き渡り、激しい火花が周囲のコンクリートを白く照らした。

 

 しかし、ドライブ・ファールのブレードは、ダッシュの肉体を切り裂いてはいなかった。ダッシュの右脚に新たに搭載された追加武装『リニア・アンカー』の重厚なチタン装甲が、陸の放った凶悪な超振動のすべてを完璧に受け止め、完全に無効化していたのだ。

 

「な……何だと……!? 僕の攻撃が、弾かれた……!?」

 

 ドライブ・ファールのバイザーが驚愕に明滅する。

 

「言ったはずだ、陸選手」

 

 装甲の内側から、ダッシュの力強い声が響く。

 

「アキレス腱は……もう、俺の弱点じゃない!」

 

 ダッシュはプラントスタイル専用の長大な槍『ポールスピア』を召喚し、一閃。ファールのブレードを強引に弾き飛ばした。

 

 ファールはすぐさま体勢を立て直し、前陣速攻の超高速ステップでダッシュの周囲を旋回し始める。死角から次々と繰り出される、無慈悲なインファイト。公式戦であれば、相手を追い詰めるエリア・リバウンドがファールの移動範囲を制限してくれた。しかし、この非公式戦のフィールドには、ファールを縛る境界線などどこにも存在しない。ファールは無限の広さを持つストリートを縦横無尽に駆け巡り、ダッシュを翻弄しようとする。

 

「フィールドに壁がないなら……自分で作ればいい!」

 

 ダッシュはファールの動きを見据え、手にしたポールスピアを、アスファルトの地面へと力強く突き立てた。

 

「何をする気だ……!?」

 

 ダッシュはプラントスタイルの柔軟な装甲を極限までしならせ、右脚のリニア・アンカーに蓄積された爆発的なエネルギーを一気に解放した。棒高跳びの要領で、ポールスピアのしなりを利用した驚異的な跳躍を敢行する。

 

 推進器と化したリニア・アンカーの爆発力によって、ダッシュの身体は重力を無視するように大空へと跳ね上がった。10メートル、20メートル。サーチライトの光を浴びながら、ダッシュはファールの頭上遥か高く、夜空の虚空へと一瞬で逃れたのだ。

 

「な……上に逃げた、だと!?」

 

 ドライブ・ファールが驚愕して天を見上げる。

 

 地を這う間合いを得意とする陸にとって、遥か上空の三次元の空間は、完全に死角であり、彼の攻撃が絶対に届かない未知の領域だった。フィールドに横の境界線がないのなら、フィールドそのものを無限の上空へと拡張すればいい。それこそが、織田と輪が授けたプラントスタイルの真の戦術だった。

 

「これで終わりだ、陸選手!」

 

《FINAL LAP》

 

 最高高度に達したダッシュは、空中で反転。プラントスタイルのしなやかなバネと、右脚のリニア・アンカーの推進力をすべて一点に集中させ、超高高度からの急降下キックの体勢を取る。

 

《PLANT FINISH!!!》

 

 夜空を切り裂くヴァイオレットの流星と化したダッシュが、凄まじい衝撃波を伴ってドライブ・ファールへと肉薄する。

 

「バカな……、僕が……僕の力が、届かない上空から……ッ!」

 

 ドライブ・ファールは必死に右腕のブレードを掲げて迎撃しようとするが、上空からの圧倒的な質量と重力、誠にエゴの加速を乗せた一撃の前には、ルールのない暴力すらも無力だった。

 

 凄まじい大爆発がスタジアム周辺の街区を揺るがした。

 

 大地がクレーター状に陥没し、激しい土煙が巻き起こる。その中心で、リニア・アンカーがドライブ・ファールの胸部を完璧に踏み抜いていた。

 

「ガハッ……あ、あァ……!」

 

 ファールの肉体から、闇の紫色のエネルギーが激しく霧散していく。それと同時に、彼の胸の奥に埋め込まれていた歪なロストメダルが、パリンと悲しい音を立てて粉々に砕け散った。

 

 ドライブ・ファールの装甲が砂のように崩壊し、中から変身を解除された陸旋羽が、力なく地面へと倒れ伏す。彼の瞳からは狂気が消え去り、ただ静かな気絶の眠りへと落ちていった。

 

 静寂が戻ったバトルフィールド。

 

 変身を解除した駆は、激しい呼吸を繰り返しながら、換装された右脚のリニア・アンカーを見つめていた。アキレス腱の痛みは、追加武装の強固なプロテクトによって完全に抑え込まれている。自分自身の力で、システムの檻の外にいた怪物をねじ伏せたのだ。

 

 しかし、戦いが終わったその瞬間、上空のパブリック・ドローンが一斉に駆の目の前へと集結した。

 

 電子音と共に、ドローンのレンズから、夜の虚空に向けて冷酷で無機質なホログラム画面が投影される。

 

 そこにあったのは、勝敗の栄誉でも、陸の容態を気遣うデータでもなかった。

 

 ―――――

 

 緊急迎撃戦:終了(GAME SET)

 勝者:仮面ライダーダッシュ(プラントスタイル)

 オーディエンス・レート:94.8%(緊急生中継・歴代最高値を更新)

 日本・インデックス:一時暴落、だが鎮圧により最終【±0%】

 

 【市場価値残高の更新】

 速水駆:+12,000,000(ランク外 ⇒ 第72位)

 

 ―――――

 

 明滅する青い文字が、駆の瞳を冷たく照らす。

 

 陸の暴走という未曾有のテロ行為により、日本のインデックスは一時壊滅的な暴落の危機に瀕していた。しかし、駆がそれを命懸けで防ぎきった結果、国としての損失は奇跡的に【±0%】で相殺。そして何より、ルール無用の死闘を映し出した画面の向こうでは、世界中のオーディエンスが熱狂し、視聴率は驚異の94.8%という異常数値を叩き出していた。

 

「……くっ」

 

駆はホログラムに表示された数字を見つめ、ただ乾いた声を漏らした。

 

 インデックス・ゲージすら作動しない、ルール無用の命懸けの戦いだった。誰も自分たちを守ってくれず、一歩間違えれば本当に再起不能になっていた無法の地獄。

 

 だが、そんな凄惨な泥仕合すらも、IOFという巨大なシステムにとっては、世界中のオーディエンスを熱狂させて莫大な富を生み出すための、ただの極上の見世物(コンテンツ)でしかなかったのだ。

 

 国家の危機や、人が怪物に堕ちていく悲劇すらも、すべては数字に変換され、生き残った勝者の市場価値として還元されていく。

 

『――今のこの世界は違う。勝たなければ人間扱いはされず、負ければ存在自体を抹消される』

 

『負ければ一瞬で価値なきゴミとして世界から爪はじきにされる。昨日までのファンは一瞬で捕食者に変わり、罵声を浴びせてくる』

 

 脳裏に、ルイ・シャルトリエが吐き捨てた冷酷な言葉が、そして織田が語った亡霊の意味が、恐るべき防衛本能的なリアリティを伴って蘇ってくる。

 

 ルイたちの言っていた、アスリートライダーの本当の闇。

 

 自分もまた、その残酷な歯車の中に組み込まれ、他人の絶望や狂気を最高のエンターテインメントとして消費させ、その対価として価値を吊り上げる「捕食者」の一員にされてしまったのだと、駆は身の毛がよだつような恐怖と共に理解した。

 

 ドローンは無言のまま画面を消去すると、夜空の向こうへときれいな編隊を組んで去っていった。あとに残されたのは、意識を失った陸と、冷たい夜風だけだった。

 

 駆は自身の右脚に刻まれた、追加武装としてのリニア・アンカーを強く踏みしめた。

 

 IOFというシステムの底なしの歪みと、そこに囚われたアスリートたちの呪い。この狂った檻の中から本当のトップアスリートとしてコートに立ち、誰もが純粋にスポーツを楽しめる場所を取り戻すためには、自分はもっと強く、このシステムそのものを乗り越える存在にならなければならない。

 

 

 臨海地区の騒乱から数時間が経過した、午前2時。

 

 ネオンの消えかけたスタジアムのVIPエントランスに、一台の黒塗りの最高級セダンが静かに滑り込んできた。

 

 ドアが開き、姿を現したのはルイ・シャルトリエだった。仕立ての良い漆黒のスーツに身を包んだ彼は、昼間の華やかなコート上の笑顔とは似ても似つかない、凍りつくような冷徹な眼差しでスマートフォンの画面を見つめていた。画面に表示されているのは、先ほど強制配信された駆の市場価値データだ。

 

「……ランク外から一撃で72位、ですか。非公式戦の試合すらも、これだけの暴利を生むコンテンツに変えてみせるとは。IOFの上層部も、相変わらず悪趣味な商売がお上手だ」

 

 ルイが皮肉めいた笑みを浮かべて画面を消したその時、エントランスの影から、靴音を響かせて一人の男が歩み出てきた。

 

「お前たちトップランカーが、安全な温室の中で綺麗なおままごと試合を繰り返すのに飽きたのさ。世界はもっと、刺激的で剥き出しの暴力を求めてるんだよ」

 

 現れたのは織田だった。

 ポケットに両手を突っ込み、ルイを鋭い目で見据える。

 

 ルイは驚く風もなく、ただ退屈そうに息を吐いた。

 

「……ハヤミ君のコーチの織田さんですね。彼の右脚に、公式規約違反の追加武装を仕込んだ張本人。随分と手荒な真似をする。あのまま陸旋羽に潰させておけば、彼はただの『悲劇の元天才』として、それなりの引退の花道を飾れたというのに」

 

「フン、あいつはそんなタマじゃねえよ。たとえアキレス腱が千切れ飛ぼうが、他人のエゴにハメ殺されるくらいなら、自分のエゴで走り抜く方を選ぶバカだ」

 

 織田は不敵に笑うと、ルイの前に歩み寄り、声を低くした。

 

「だがな、お前がわざわざこんな深夜に、直々に俺たちのスタジアムにまで足を運んだ理由は、あいつの怪我の心配をするためじゃねえはずだ」

 

 ルイの目が、すっと細められる。

 

 気品に満ちたその佇まいの奥から、世界を統べる王者にのみ許された、圧倒的な圧迫感が滲み出た。

 

「……話が早くて助かります。条件を提示しに来ました」

 

 ルイは懐から、IOFの最高機密とされる暗号化されたデータドライブを取り出し、織田の前へと差し出した。

 

「それは?」

 

「陸旋羽を狂わせたロストメダル――その流通経路と、IOF上層部の一部が関与している『裏の投資市場(アンダーグラウンド・インデックス)』の全データです。あなた方なら、これがどれほどの価値を持つか理解できるでしょう?」

 

 織田の目が一瞬、鋭く見開かれた。

 

 公式システムを欺き、アスリートをファールへと変える禁忌のメダル。その情報の出所を、まさかIOFの象徴であるルイ自身が握り、さらにそれを手渡そうとしている。

 

「どういう風の吹き回しだ、ルイ・シャルトリエ。お前はIOFのシステムが生み出した、最高傑作のトップスターのはずだろう。そのお前が、組織の裏を売るような真似をするか?」

 

 織田の問いかけに、ルイは感情の消えた声で、ただ冷酷に言い放った。

 

「勘違いしないでいただきたい。私は、自分の管理できない『不確定要素』がコートに混ざるのが不愉快なだけです。ロストメダルによる泥仕合など、美しくない。私は、私の完璧な規律の中で、すべての対戦相手を100%コントロールして圧殺したい。それだけです」

 

 ルイは差し出したドライブを、織田の手へと握らせた。

 

「ハヤミ君に伝えなさい。次に私のコートに立つ時は、その歪んだ追加武装ではなく、本物のアスリートとして、私の前で完璧に絶望してみせろ、と」

 

 それだけを告げると、ルイは一切の未練なく振り返り、黒塗りのセダンへと乗り込んだ。静かに閉まるドア。滑り出す車体を見送りながら、織田は手の中のデータドライブを強く握りしめ、チッと舌を打った。

 

「……どいつもこいつも、狂ったエゴの塊ばかりだ。だが、面白くなってきたじゃねえか」

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