/*/ コーラス王朝 王宮中庭 /*/
セイレイ・コーラスは、まだ幼かった。
王家の血筋を感じさせる気品はある。
髪は柔らかく、瞳は澄み、立っているだけなら絵本から抜け出した姫君のようだった。
ただし、今その手には木剣が握られていた。
そして、目の前には膝をついたトローラ・ロージンがいる。
「ハグーダ騎士め!」
セイレイは木剣を高く掲げた。
「我がコーラスの民を苦しめた罪、見逃すわけにはいきません!」
トローラは地面に片膝をついたまま、非常に悪そうな顔を作った。
「ふ、ふははは。小さき姫よ。この俺を倒せると思っているのか」
「倒します!」
「俺は悪党騎士だぞ。泣いて謝っても遅いぞ」
「泣くのはあなたです!」
近くの侍女たちが、手で口元を押さえて笑いを堪えていた。
王宮の中庭は、戦争の気配から少しだけ切り離された場所だった。
遠くでは騎士団区画が慌ただしく動いている。
城の上空には、友邦のエアドーリーが行き来している。
医療区画ではウリクルとシューシャが治療を受けている。
だが、この一角だけは、幼い王女の遊び場になっていた。
そして、なぜかその相手をしているのが、トローラだった。
正規職員ではない。
コーラス所属でもない。
王宮騎士でもない。
悪党騎士を自称する、K.O.G.に叩き落とされたゴロツキ。
その男が、王女のごっこ遊びの敵役をやっている。
トローラは心底思った。
(……悪党に王女サマの遊び相手やらせて大丈夫なのか、この国)
その時、セイレイが叫んだ。
「喰らえ! 剣聖剣技!」
「おい、剣聖剣技は軽率に出すもんじゃ――」
「ブレイクダウン・タイフォーン!」
セイレイの木剣が、くるりと回る。
足元も危なっかしい。
だが本人は完全に必殺技のつもりだった。
トローラは、一瞬だけ空を見た。
それから、全力でやられた。
「ぐわぁぁぁぁ!!」
背中から中庭の芝生へ転がる。
一回転。
二回転。
最後に仰向けになって、片腕を空へ伸ばす。
「ば、馬鹿な……この俺が……コーラスの姫君に……!」
セイレイは目を輝かせた。
「やった! 勝ちました!」
侍女たちが拍手する。
トローラは倒れたまま片目を開けた。
「姫さん、今ので俺は死んだことにしていいですか」
「だめ!」
「だめか」
「次はもっとすごくやって!」
「俺、今かなりすごくやったと思うんですが」
セイレイは木剣を抱えたまま、真剣な顔で言った。
「トローラ! 次は吹き飛んで、頭からぐしゃぁっ! って落っこちるのやって!」
トローラは起き上がりかけて、止まった。
「……なんで王女サマが車田落ちなんて知ってるんだよ」
「くるまだ?」
「いや、こっちの話です」
「やって!」
「姫さん、頭からぐしゃぁっは教育上どうなんですかね」
「やって!」
侍女の一人が困ったように言った。
「トローラ様、無理はなさらず……」
「様つけるな。あと止めるなら姫さんを止めてくれ」
セイレイは木剣を構え直した。
「ハグーダ騎士! まだ立ち上がるのですか!」
トローラは深く息を吐いた。
「立ち上がっちまうんだよなぁ、これが」
そして、悪い笑みを作る。
「ふ、ふははは。姫よ。今の一撃は効いたぞ。だが、俺はまだ倒れん!」
「ならばもう一度!」
セイレイが走る。
小さな足で、全力で。
トローラは寸前でわざと大きく目を見開いた。
「な、なんだその構えは! まさか二撃目があるだと!」
「必殺! ブレイクダウン・タイフォーン二段目!」
「二段目!?」
木剣がぽこん、とトローラの腹に当たった。
痛くもない。
だが、トローラは全身を使って吹き飛んだ。
「ぐおおおおおおおッ!」
芝生を蹴り、自分で跳ぶ。
空中で半回転し、肩から落ち、さらに転がる。
頭から落ちるふりだけはして、直前で首を守る。
K.O.G.に頭を潰されかけた男は、さすがに頭から落ちる演技だけは慎重だった。
最後に噴水の手前で止まり、片脚をぴくぴくさせる。
「こ、この俺が……二度も……!」
セイレイは大喜びだった。
「すごい! すごいです、トローラ!」
「悪党騎士の死に芸を褒めるな……」
トローラは芝生に倒れたままぼやいた。
だが、声ほど嫌そうではない。
セイレイは駆け寄ってきて、彼の顔を覗き込んだ。
「痛くありませんか?」
その一言で、トローラは少しだけ黙った。
さっきまで悪を成敗する王女だった顔が、急にただの幼い姫君に戻っている。
可憐で。
心配そうで。
自分が相手を傷つけていないか、不安になっている。
トローラは乱暴に笑った。
「痛くねぇよ。俺は悪党騎士だぞ。姫さんの木剣くらいで倒れるか」
「でも、さっき倒れました」
「演技だ演技」
「本当に?」
「本当に」
セイレイは安心したように笑った。
「では、もう一回できますね!」
「しまった」
侍女たちが今度こそ吹き出した。
トローラは起き上がり、芝を払った。
「姫さん、俺はそろそろ医療区画に――」
「だめです。次は私が味方の騎士で、トローラが改心する悪党です」
「展開が早いな」
「最後に一緒にハグーダを倒します」
「俺、悪党から改心して即戦力かよ」
「はい!」
セイレイは満面の笑みだった。
トローラは頭をかいた。
王女の遊び相手をしている場合ではない。
城は戦時だ。
友邦のMHが集まり、王は負傷し、ウリクルは重傷で、シューシャもまだ病み上がりだ。
だが。
この子が笑っていることにも意味はあるのだろう、とトローラは思った。
戦争中の城で、王女が笑える時間。
それを守るのも、たぶん騎士の仕事の端っこなのだ。
「分かったよ」
トローラは木剣を一本拾った。
「ただし、俺は悪党騎士だからな。改心しても口は悪いぞ」
「よいです」
「よくねぇと思うけどな」
「では、いきます!」
セイレイが木剣を構える。
トローラも構える。
ただし、腰を落としすぎず、子供の遊びに合わせた軽い構え。
王女が本気で打っても危なくないように、逃がしを作る。
それを見ていた侍女の一人が、小さく呟いた。
「本当に、お上手ですね」
トローラは聞こえないふりをした。
褒められると困る。
澄んだ目で見られるともっと困る。
だから、いつものように悪ぶった。
「さあ来い、コーラスの姫さん。悪党騎士トローラ・ロージン様が、改心するかどうかはお前の一撃次第だ!」
「成敗します!」
「改心させるんじゃなかったのか!?」
セイレイの木剣が、元気よく振り下ろされる。
トローラはまた、派手にやられた。
城の中庭に、幼い王女の笑い声が響く。
遠くでは、戦争の準備が進んでいる。
空はまだ騒がしい。
だが、その一角だけは、ほんの少し明るかった。
トローラ・ロージンは、芝生に転がりながら思った。
(……まあ、今日は勝ちでいいか)
死んでいないなら勝ち。
泣いていないなら勝ち。
笑えているなら、かなり勝ち。
悪党騎士は、幼い王女の必殺技を食らって、もう一度大げさに吹き飛んだ。
このころはこんな可憐な幼女だったのに……どうして……